メジロアルダン短編集『to the MEJIRO ARDAN』 作:いずさわ
JUST ONE LIFE
「ふっふっ……ふぅっ!」
「…………よし、よしよし、いいぞ」
「ふっ……はあっ!」
爆裂的な熱風吹きすさぶ季節、学園内ターフにも立ち込める蜃気楼を切り裂きながら、彼女は、我が担当ウマ娘メジロアルダンは走る。日課のトレーニングにも一段と身が入る今日この頃、来たる秋シニア三冠に季節に向けて……それはまるでこの世界に楔を打ち込むかのような、力強い走りだった。
「よし!今だ!」
「っ、はいっ!ふ……んっ!」
「《プレイヤーズ・アイ》!」
そして、僕の合図で彼女の足取りは大きく変わる。今まで『点』で接地していた世界を、今度はより広く、『面』で捉えるような……まるで彼女自身が陽炎と化したかのような不可思議な動き。思わず僕は、目を奪われる。
《プレイヤーズ・アイ》
先の大一番、高松宮杯の折に彼女と僕が編み出した、才能も運命も必要としない純粋な技術。
五感を研ぎ澄まし、ターフ上の環境、周囲のウマ娘達の動向……そして自分自身すらも徹底的に客観視し、これから先起こりうる事象をいち早く『視る』、という技である。
「ふっ、ふっ、ふっ……!」
「よし、そのまま、そのまま……」
この技術によって、初の重賞制覇を八バ身の圧勝で飾った彼女……ではあるが、この『眼』だって奇跡や魔法などでない。そこには当然、穴だってある。
まず第一にこの技は、本質的にはただ『視えるようになる』だけで、走力や瞬発力といった身体能力そのものを底上げするような技術では、決してないということ。まあそのあたりは編み出した時点で分かりきっていたことだし、今現在はそれを補うべく清濁併せて様々な試行を錯誤している真っ最中で、そう悲観的な状況でもないと言えるだろう。
……問題は、二つ目の方。
「っ……ふっ、ふ、ふうっ……!ふ…………」
「っ!そこまでだアルダン!ストップ!」
「ふ、はあっ、はあっ!やっぱり、まだ……」
「持続時間、十四秒八二。昨日よりも更に一秒近く短くなってる、か……」
「はぁ、はぁ……すみません、トレーナーさん……やっぱりどうしても、体力が持たなくって……」
「い、いやいや!謝らないでいいよ!アルダンはものすごく頑張ってくれてるんだから!」
「…………はい」
二つ目の問題点。どうやら彼女がこの技を使うと、著しく『体力』を消費してしまう、らしいのである。もちろんこの技は自らの神経を研ぎ澄まし、一種の緊張状態に追い込むのが前提。故に相応の負荷がかかるのは間違いないが……まさか、これほどまでとは。
「……やはり私の器では、私の身体では、この眼を使いこなす事はできないのでしょうか、トレーナーさん」
「い、いいや、そんなことはないよ!実際高松宮杯じゃ後半1000Mの間ずっとこの眼を使いながら走れてたんだし、今はまだその『方法』を分解しきれてないだけ、だと僕は思う」
「トレーナーさん。ええ、ええ、そうですよね?目的地にたどり着く為には、『正しいルート』と……」
「『それを踏破できるだけの体力』だね?たどり着く為の方法…ルートの方は僕が死んでも何とかするから、君は引き続き……」
「ええ、筋持久力と集中力のベースアップ、ですね?トレーナーさんも……死なない程度、に頑張ってくださいね?」
「あはは……そうだね?まだ死ぬ訳には行かないね?」
こんな状況でも決して揺るがず、ひたすら前向きに届けてくれる彼女の笑顔……と、未だ僅かに震え続ける膝下に押し出されて、僕は手元のボロボロのノートに再び視線を落とす。
「では、私はひとまず、クールダウンのストレッチを……」
「あ、大丈夫?身体、違和感あるとことかない?」
「ええ、先程は体力不足で動けなくなってしまっただけですので。身体自体は、問題無しです♪」
「それなら良かった、けど……」
「しかし、日に日に持続できる時間が減ってしまっているということは、見えない疲労が溜まってしまっているのかもしれませんね……闇雲に毎日やれば良い、という訳でもないのかもしれません」
「まあ、もちろんそうだろうけど……」
……闇雲にやればいい、という訳ではないのは分かっている、けれども、なんだろうなこの違和感。
二つ目の問題点が露呈してすぐに行った検査によれば、彼女の身体能力はむしろ今までよりも格段に向上していた。一つ目の問題を補う為の、ベーストレーニングの結果が現れたのだろう。走力も瞬発力も、もちろん筋持久力だって、それこそ高松宮杯の時点以上の数値を記録しているのだ。それなのに、何故?何故高松宮杯の本番環境で出来たことが、今は再現できない?
「……自分の意思で自由に再現できないものを、『技術』だなんて呼べないよな」
『踏破できるだけの体力』は、恐らく十二分。となるとやはり問題は『正しいルート』の方……つまり、僕の方、か。
「とにかく、また原因を洗い出してみるかな。何はともあれ、だ」
「そうですね?きっと今はそういった考察の時期なのでしょう。考えを巡らすことなら、いくらでもお付き合いいたしますよ、トレーナーさん」
「うん、ありがとうアルダン。まずはそうだなあ……上手くいった高松宮杯の時と、今とで何が違うか、考えてみようか」
……僅かに、心の底から湧き出た感情にとりあえず蓋をして。僕とアルダンは揃って顎に手を置き、考えた。
彼女にも言った通り、高松宮杯の時は後半1000Mの間途切れることなくプレイヤーズ・アイを使いこなせていた。あの時と今とで、果たして一体何が違うのか……
「まあ、単純に考えればあの時は、競争相手の皆さんがおられましたね?場所やバ場状態も違いますが、一番の違いはやはりそこかと……」
「うーん、まあそうだよね?あれから併走とか模擬レースとかやる機会なかったから、あの時みたいに他の娘と一緒に走ったら……とか、できてないもんね?」
「ええ、『対照実験』というもの、ですね?」
「どうだろう?どこかこう、いい感じに併走相手になってくれるウマ娘とかいてくれたら、より条件を揃えて確認出来るんだけどなぁ」
「ふ、ふふ、まあそれほど都合よくお相手が見つかるだなんて、そうそうある訳は……」
「オォォォォォォッス!!!!!今日もトレーニング、頑張るっスよォォォォォォッ!!!」
「あら?あの声は……」 「うっ!?この声は……」
と、これまたいつも通りの悪い癖で深く考え込んでいたノーガードな僕の脳に突き刺さる、竹を割ったような爆音。やっぱ僕、相変わらずおっきい声に弱すぎるなぁ……
「……ん?おお!アルダン先輩に、先輩のトレーナーさんじゃないっすか!お疲れさんでーーーーーっス!!!」
「お、おつかれ、『バンブーメモリー』……」
「ふふ、今日もお元気そうで何よりです♪」
その声の主は、他でもない『バンブーメモリー』。アルダンの同期で、なんだかんだ僕らにとって縁のあるウマ娘である。
「バンブーさんも、これからトレーニングを?」
「もちろんっス!アルダン先輩にも、高松宮杯でのお返しをしなきゃいけないっスからね!」
中でも思い出深いのはやはり、高松宮杯での一幕だろう。最終的に勝てたとはいえ、彼女の鬼気迫る追い込み方。もしも彼女もまたこの『眼』を使えていれば、勝敗は……
「……あ、そうだ、バンブーメモリー!」
「…………!」
「ん?アタシの顔になんかついてるっスか?」
そうだ、『バンブーメモリー』。あの時と条件を揃えるという話であれば、まさしく適任であるはずだ。
「どうかな、バンブーメモリーに、それにアルダンも。今日は二人で合同トレーニングとかしてみない?」
「合同?トレーニングっスか?」
「あ、え、ええ。私は構いませんが……バンブーさんはよろしいのですか?ご自身のトレーニングメニューがあるのでは?」
「うーん、確かにそれもそうっスねぇ……」
耳を立てたり傾けたり、歯を見せたり口を顰めたり、コロコロと表情を変えるバンブーメモリーの姿を、僕とアルダンは二人で覗き見
「よーーーーっし!!!!!昨日の敵は今日の友!アタシでよければ、付き合うっス!」
「うっ……!あ、ありがとね?」
「あっ……ありがとう、ございます……」
……覗き見る間もなく、即決即断で首を縦に振るバンブーメモリー。不意打ちで耳を塞ぐ間もなかったけど、まあ、良しとしよう。アルダンの運動量的にも問題はないし、何はともあれ併走トレーニングで……
「……もう一度、プレイヤーズ・アイの調子を視ないとな。少しでも早く、上手くいかない原因を見つけ出さないと……」
「…………トレーナーさん」
「さてさて、そうと決まれば早速トレーニングっス!……けと、それにしても今日は人が少なくって静かっスね!」
「静か?静か……まあ、まあそうだね?」
「天気も良いし、芝も柔らかくて……うんうん!これはもう、アタシ達だけで集中して『アレ』ができそうっスね!ウマ娘が何人か集まったといえば、間違いなく、『アレ』っスから!」
「ん……?あ、ああ!うんうんそうそう!丁度僕も、言おうと思ってたんだよ!」
「おおー!奇遇っすね!だったら話は早いっス!早速みんなで準備して……」
「うんうん、準備ができたら、早速併そ……」
「『座禅』!組むっスよぉーーーっ!!!オォォォォォォッス!!!!!」
「…………ん?」
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「……………………………………………………」
「……………………………………………………」
「…………………………………………あの、あの?」
「はい!なんっスか?」
雲ひとつない青空の元、青々と茂った芝生の上で優しく胡座をかく、僕とアルダン。そしてその後ろで竹刀を地に刺し、仁王立ちで笑みを浮かべる、バンブーメモリー。その間に流れる爽やかな風が心地よい午後の事……なのはいいが、それはそれとして。
「色々と言いたい事はあるんだけど……まず、なんで座禅?」
「ハッハッハ!いいっスか先輩のトレーナーさん!座禅というのは仏教の祖である釈迦が、紀元前四百五十年くらいに編み出した由緒正しい……」
「そ、それは何となく知ってるけど……それはそれとして、なんで僕ら、こんなとこで座禅させられてんの?」
「ああ、アタシこのあいだからトレーニングの前後に座禅を組むようにしてるんス!うちのトレーナー曰く、集中力を持続させる為に効果的で、なんとかって社長さんとか、かんとかって宇宙飛行士も仕事や訓練前に取り入れてるルーティンらしいんスよ!お二人にも是非体験して欲しくってっスね!」
「へえ……まあ確かに言わんとしてることは分からなくもない、けど……」
とはいえ、座禅……他でもない僕らがそんな悠長な事をやっていていいものなのだろうか?夏合宿ももう目の前だし、それが終われば、瞬く間に秋のG1戦線が……
「ふふ、けれども確かにそうですね?確かにこうしていると、少し心が軽くなるというか……こう、口では説明が難しいけれど、すごくいい感じです……♪」
「……まあ、アルダンがいい感じっていうなら、ちょっとくらいはいいかな?」
……しかし、そうだな。そういえば今日はまだ、彼女のこんな笑み、見てなかったな。
横耳で入ってくる彼女の笑い声を耳にして、そんな懸念雑念を、僕はひとまず払い除ける。
「ハッハッハ!そうそう、その調子っスよ二人とも!ささ、背筋を伸ばして、頭のてっぺんから腰まで真っ直ぐに!目は半開きで手を緩く組んで……」
「こ、こうかな?」
「こう、でしょうか?」
「そうそう!いい感じっス!あとはそのまま、ゆっくりと息を吸って……吐いて……」
そうして僕はそのまま、バンブーメモリーの言う通りに深く深く深呼吸を繰り返した。全身に巡る血液、酸素の音すら聴こえる空間で……感じ取っていたのは、風の声、鳥の羽ばたき、そして彼女の、メジロアルダンの柔らかい、吐息。
……やっぱり、彼女の体調は依然として万全の一言、みたいだな。となると、やっぱり原因は僕の方に
「そこォ!煩悩退散!」
バシィィィィイン!!!!!
ボキッ
「ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛腕゛取゛れ゛た゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!!!!」
「と、トレーナーさん!?」
「おっと失礼したっス!人間相手だって事すっかり忘れちゃって、力加減間違えたっスね!ハッハッハ!」
「ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!!!!!」
「バンブーさん!笑い事ではなさそうですよ!トレーナーさんの肩が外れて有り得ないくらい伸びてます!」
「あ……はは、ほ、ホントに失礼したっス……エイヤッ!」
ゴリッ……
「っ!?イ゛ィっ…………あ、あれ?くっついてる?僕の腕、ある?」
足元の芝生を涙で濡らしながら、僕は大慌てで己が右腕を入念に確認する。あ、焦った……まだ悟りも開いてないのにダルシムみたいになるところだった……
「よしよし!ちゃんと外れた関節は元に戻したんでひとまずは問題なしっス!さ、次からは気をつけますんで、おふたりとも続けてくださいっス!」
「ほ、ほんとに大丈夫?本当に、本当に大丈夫なんだよね?」
「ハッハッハ!心配ないっスよ!ちゃんと次からはもう少し、これくらいの勢いで……」
ビュンッ……!ビュンッ……!
「も、もうちょい!もうちょっとだけ手加減して欲し……」
「はいはい分かったっスから!はい背筋伸ばして!」
「はっ、はいぃ!」
バンブーメモリーに急かされて、僕は慌てて正面へと目線を移し、精神を落ち着ける。まあ、そうだな。今さっきのは僕が集中できてなかったのも悪いし、今度こそはしっかりと精神を統一させて……
「あ」
「は、はいぃ!?なんでしょうかバンブーさん!?」
「ああ、頭少し傾いてるんで、もう少し真っ直ぐした方がいいっスよ?」
「あ、なんだそんなことか……」
「あ、それと」
「ひゃっ!?ひゃいっ!?なんでしょう!」
「呼吸もなんだかさっきより浅くなってるっスよ?もっと大きく吸って!吐いて!」
「…………………………」
…………いやいやいやいや!無理無理怖い怖い!こんないつぶっ叩かれるか分かんない状態で集中なんてできるはずがないだろ!僕はなんとかって社長とか、かんとかって宇宙飛行士なんかじゃないんだぞ!?
「それにしても、やっぱりアルダン先輩は凄いっスね?さっきまで普通に話してたのに、もうあんなに集中しきってるっスよ?」
「え?ああ、そうだね?アルダンはずっと……レースの前とかでもああやっていつも通り落ち着いてるからね?ほんと、凄いよ」
「………………ふぅ」
苦し紛れに、僕は真横に向けて視線を動かす。そこには、まるで水深深く潜り込んでいくように、既に穏やかに呼吸を整えた彼女の姿。
「……やっぱり、凄いなぁ」
思えば、彼女がレース前に不安を露わにしたり、怖がったり。そういう所って全然見たことがないな?ダービーなんて大舞台でも、丸一年ぶりの復帰戦ですら、彼女は常に、いつでも堂々としていて……何でも怖がって逃げ腰になってしまう僕なんかとは、全然……
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『トレーナーさんは、やっぱりすごいです』
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「…………そうか!?」
息を大きく吸って、吐いて。充分に働かせた脳内で思い出したのは……他でもない、高松宮杯のゴール直後に彼女が吐露した、弱々しい言葉達。まるで悟りを開いたかのように、僕は思わず勢いよく声を上げ
「むっ?おりゃァ!煩悩退散!」
バシィィィィイン!!!!!
「ふ゛っ゛っ……ぐうぅうっ!アルダン!」
「トレーナーさん!?」
「なっ!耐えたっスかぁ!?」
「アルダン、一つ、一つだけ今この場で試して欲しい事があるんだけど……!」
右肩に感じた鋭い痛みをそのままに、僕はアルダンに強く語りかける。そうか、そうだよな。これじゃ『僕の方』だけじゃどうにもならないわけだ。
「今、座禅を組んだままの状態でさ。『プレイヤーズ・アイ』、使ってみてくれる?」
「えっ……?このままの状態で、ですか?」
「ああ、今の君なら必ず、出来るはずだ」
「……え、ええ、分かりました、やってみます」
少しだけ、訝しむ表情を見せた後。彼女はゆっくりと目を開き、耳を立て、鼻を尖らせ……そうしてしっかりと、その『眼』で世界を、視つめ始めた。
「……なるほど、これが美竹さんの言ってた『プレイヤーズ・アイ』っスか」
「いいよ、アルダン。そのまま、ゆっくりでいいから周りを視て……」
「……っ、はぁ、はあっ……あ、と、トレーナー、さ……やっぱり、私、体力が……」
「いや、まだダメだ。そのまま……続けるんだ」
「っ……!トレーナー、さんっ……?」
彼女の、苦々しく顰めた眉が目に入り、僕のつま先は思わず彼女の方を向いてしまう。
けれど、ダメだ、今だけは。この感情の正体を、きちんと『彼女自身』に観察させて、考察させなければ、いけない。
「よく視てアルダン。今の君の身体は少しも動いてないし、周りにあるのは静かなターフと、僕と、あとバンブーメモリーだけ。複雑で難解な、視えづらいものなんてない。身体も、頭も、『疲れる』ような要因なんて、何も無い」
「……それは、そう、ですが……け、けれども今っ、私、こんなに全身が震えてっ……つり上がってっ……!」
「ああ、僕らはずっと誤認してたんだ。君に限って、そんな事はないと思い込んでいた。君が消費しているのは、『体力』なんかじゃなかったんだ」
「そ、それは、どういう……?」
「『怖い』んだね、アルダン。その眼を使うのが」
「…………!」
彼女の両の耳が、さわりと揺れる。まるで探していたパズルのピースがピタリとハマったような、不可思議で予想外ながら、どうしても納得してしまうような、そんな盲点を、ついに見つけた、ような。
「君は、ずっと怖かった。高松宮杯の時に初めて、全力でこの眼を使ってから……この、『世界から弾き出される感覚』が。飲み込めたようで、完全にはその恐れを、払拭できていなかった」
「……そっか、私……怖かった、のね」
『土を踏んでも感覚が無い、風を浴びても心地良さがない。周りのウマ娘と肌を掠めあっても、痛みも温もりも感じない冷たい世界で、ただ、自分が走っているデータを画面越しに操っているだけのような、そんな感覚』
彼女があの日語っていた、この眼を使った時の不気味な『感覚』の話。なんということはない、彼女はその感覚に対する恐怖心を未だに持ち続けていた。だから、先程の僕と同じように、その恐れの中で深く集中することが出来ず、無意識に自分で、プレイヤーズ・アイを使うのをやめてしまっていた。
レース前に不安を露わにしたり、怖がったりなんて一度もしたことがなかったからこそ、無意識に見逃した、いや、想像もしていなかった彼女の変化……
全く、何がいつまでも一緒にいる、だ。刹那、僕は僕自身の視野の狭さを、心から悔いる。
「……では、では私はどうすれば……?せっかく貴方が、大切なトレーナーさんが命を賭して与えてくれたはずのこの眼を、無意識に拒絶してしまうような私は、これから、どうすれば」
「…………………………」
『難しければ、こんな眼なんて捨ててもらってもいいよ』
『また別の勝つための方法を、二人で一から考えよう』
「……………いいから」
「……トレーナーさん?」
「いいから、僕の事を『視る』んだ、アルダン。怖くても、不安なままでもいいから、ちゃんと、視て」
「トレーナーさんの、事を?」
「ほら、ちゃんと僕も君の事を『視てる』でしょ?」
「……あ」
そして、咄嗟に頭の中に浮かんだ優しくて、微笑ましい言葉を、僕は奥歯で噛み砕く。そうだ、きっと今の彼女に必要なものは、それじゃない。
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「どう?アルダン?まだ、怖い?」
「……ええ、まだ、やっぱり怖いです。自分の身体が曖昧で、どこにいるのかが分からない……けれど、トレーナーさん」
「うん」
「貴方が、私を視ているから。貴方の眼を通して……私も、貴方の事を視ているのが解ります。凄く怖いけれど、でも、貴方さえいれば、ちゃんと私がそこにいるんだと、確かな意志を持って、そこにいるんだと。それだけは、ちゃんと解ります」
「それなら、それだったら『心配ないんだよ』アルダン。怖かったら怖いままで、君は『逃げなくても』『無理してしまっても』いい。僕はちゃんと視てるから、君はいくらでも、ボロボロになって、足掻いて、もがいていたって、いいんだ、いい」
「トレーナー、さん……!」
「不安にさせちゃって、ごめん。これからは僕、君にちゃんと信じて貰えるように……君のその脚も、眼も、恐れずに使いこなして貰えるように、『強いトレーナー』に、なるからね」
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「………………」
「………………♪」
そうだ、今の彼女に必要なものはただ一つ、『強いトレーナー』なのだ。
もっといい方法があるかもしれない、考え、検討しよう、慎重に、一歩ずつ。そうやって先に進んできた今までの僕に足りない『そのまま全力で進んでもいい』と、堂々と、迷いなく背中を押せるだけの強さ。きっとその強さこそ彼女が、更にこの先に進んで行くための新しい道。『プレイヤーズ・アイ』の次に僕が彼女に与えることのできる、新しいもの、なのだろう。今はまだ、はっきりとは視えないけど……
「……僕ももっと、強くならないと
「むむっ?おりゃァ!煩悩退散!」
バシィィィィイン!!!!!
ボキッ
「ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛腕゛か゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!!!!」
「トレーナーさん!?」
ゴリッ……
「いや、惜しかったっスね!しばらくはいい感じに瞑想できてたみたいっスけど!」
「う、うん……その、後でハメ直せるんだとしても、別にいつでも腕外していい訳じゃないからね?」
右肩に走る激痛で、僕は現世に引き戻される。そのうちジオングみたいに着脱可能になっちゃうんじゃないか、僕の腕……それはそれでカッコイイけど。
「いてて……ほんと急に叩くもんだからびっくりしちゃったよ、まったく!」
「トレーナーさん、なんだか図太くなりましたね?これも座禅の効果かしら?」
「というか、僕とアルダンさっきからずっと喋ってたのに、なんで急に?」
「ずっと喋ってた?何言ってんスか?二人とも二、三分くらいは黙り込んでたじゃないっスか?」
「……ん?」
「はい?」
「ん?なんか変な事言ったっスか?」
バンブーメモリーの何気ない言葉に、僕ら二人、まん丸にした目線を黙って合わせる。ええと、ちょっと待てよ……さっきまで僕は彼女を視て、彼女は僕を視て、そうして、なんか普通に話してたけど、それは周りに聞こえてなくて……それって、つまり?
「……トレーナーさん!」
「アルダン!」
「「一つ、試したい事が……!」」
「……あるん」
「ですが……」
強くしなる二対の竹刀のように、遠慮なく、容赦なく叩きつけあった僕らの感覚。その先に視えた、未だかつて知り得ない新しい『可能性』に、僕らは二人、鼻息荒く声を揃え、無意識にその場に立ち上がる。
「……ほんと、君といると予想外の事ばかりだね?」
「お互い様、ですよ?これはもう怖がってる暇もありませんね?という訳で、先程の『感覚』について、早速観察と考察を始めましょう、トレーナーさん♪」
「ああ、アルダン!」
まるで大気圏外に飛び出した宇宙飛行士のように。恐怖心、よりも目一杯の好奇心を携えた彼女の瞳に、僕はただただ、眼を奪われる。それはまるでこの世界そのものを照らし出すかのような、力強い輝きだった。
「チェストォ!!!!!」
バシィィィィイン!!!!!
ボキッ ボキッ
「ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛両゛腕゛取゛れ゛た゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!!!!」
「と、トレーナーさん!?」
「なーに勝手に突っ立ってんスか!まだ座禅の時間が終わってないっスよ!ほらほら座って!あと一時間!」
「……ふふ、そうでしたね?せっかくですし何事も怖がらず、最後までやってみないと損、ですものね♪」
「ハッハッハ!その意気っスよアルダン先輩!」
「ふふふ、ふふふふっ♪」
「ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!笑゛っ゛て゛な゛い゛て゛早゛く゛く゛っ゛つ゛け゛て゛エ゛エ゛エ゛エ゛エ゛エ゛エ゛!!!!」