メジロアルダン短編集『to the MEJIRO ARDAN』 作:いずさわ
囮囚
「はぁ、レース本番まであと……だから、アルダンの今の調子とデータから計算すれば……けれど今の実力で、本番で彼女にに対抗できるかどうか……はぁ……」
「……………………」
「いや、できるかどうかじゃなくて、やらなきゃだよな。彼女を絶対、絶対にいつ何時でも誰にでも……そうだ、『芦毛の怪物』にだって勝てる最強のウマ娘に、僕自身の手で……」
「……ウゥ」
「…………?」
「…………ガォォオオオオオッ!!!!」
「ひっ、ひいいいいっ!?!?」
草木も恐れる逢魔が時、夜闇にじり寄るトレーナー室の影から、黒い翼と長い耳を伸ばして飛び出してきた一匹の怪物……
「トレーナーさん、トリックオアトリート♪」
「ひぃぅあぁっ!?あ……な、なんだアルダンか……」
ではなく、いつも通りのいたずらっぽい笑顔を携えた我が担当ウマ娘、メジロアルダン。それは十月の始め、少しずつ窓を叩く北風が強まってきた季節のことであった。
「ハロウィンの仮装かぁ、今年のもよくできてるね?羽と牙……となると、ええと……ガーゴイル?いや、ゲーリュオーンとか?」
「どうしてそんなマニアックな悪魔を……?普通にドラキュラさんですよ。ほら、ここに血も付いてるでしょう?がおーっ♪」
「ああ、ドラキュラね!うんうん、凄く似合ってる!とはいえ、まだ十月になったばっかりだよ?百均かカルディぐらいでしょ、もうハロウィンやってんの」
「ふふふ、甘いですねトレーナーさんは?周りの皆様が余裕を見せている間の僅かな積み重ねが、本番の頃には埋められない差になっているものですよ?」
「受験生?」
差し迫った次のレース、勝利に向けての理論をびっしりと描き散らかした手帳を、一時胸ポケットにしまって。そのさらに向こう側に待つハロウィンパーティーに向けて準備を進める彼女の姿を、なんとも言えぬ心持ちで見つめる僕……まあ、彼女だって競走ウマ娘である以前に一人のうら若き女学生。少しばかり浮かれてしまうのだって、悪いことではない、のか、な?
「というわけで、まだまだインパクトのある仮装を模索中なのです。貴方からも是非、ご意見をいただければと……」
「え、えーと、僕は別に……って、うわっ!?これ、全部コスプレグッズ?」
「ええ、いくらでも持っていって良いと、シンコウウインディさんとヒシアマゾンさんが♪」
「ああ、どこかで見覚えがあると思ったら、いつぞやの……」
その勢いのまま、彼女が台車に乗せて廊下から搬入した大きなダンボール。あまり気は乗らないけど、なんか決まるまで逃がしてはくれなさそうだな……というわけで、まるでパンドラのようなおどろおどろしいその箱の中身を、僕は恐る恐る漁り出す。
「そうだなぁ?あ、このでっかい布被って一反木綿とかどう?」
「ううむ、白一色の姿では、少しインパクトには欠ける気がしますね……」
「そっかぁ……あ、じゃあこのザルを使って小豆洗いとか……」
「小豆を洗っているところ以外は普通の人ですよね?」
「じ、じゃあ特殊メイクしてぬらりひょんとか!」
「トレーナーさん、ハロウィンって元々外国の行事なの知ってます?」
お、思ったより厳しい……というより、子供の頃からこういう行事とは無縁だったからなぁ……心の中でボヤきつつ、僕はまだまだ箱の中身を漁っていく。ええと、アルダンに似合いそうで、尚且つグローバリゼーションな感じのおばけ、おばけ……
「あ、これって……」
「あら、何か良いもの見つかりましたか?」
「良いかどうかは分かんないけど、これってあれだよね?確か……そう、『フランケンシュタイン』!」
そうして、やがてその箱の奥底から現れたのは……くすんだ緑色の顔中に、醜い縫い目が所狭しと張り巡らされ、脳天に大きなネジが突き刺さった大男。身の毛もよだつほどリアルに造形された怪物……フランケンシュタインのマスクなのであった。
「あら、この怪物さんのマスクは……確かに相当な迫力がございますね?」
「ね、ちょっとリアル過ぎてあんまり持っていたくもないかなあ、このフランケンシュタイン……」
「ふふ、けれども確かにこの怪物さんも悪くないかもしれませんね?身なりをボロボロにして、身体にもボディペイントを施して……」
「あー、まあ確かに、フランケンシュタインはインパクト強そうだ……けどアルダン、さっきから『怪物さん』『怪物さん』って……名前、呼んであげないの?」
「ふふっ?良い質問ですねトレーナーさん♪」
「えっ、学べるニュース?」
彼女の口ぶりに、僅かに感じた違和感。何の気なしに尋ねた言葉に、彼女の耳はピコリと反応する。
「実は本来、こちらの怪物さんは『フランケンシュタイン』という名前ではないのです」
「え?ち、違うの?じゃあこれ、誰なの?」
「この怪物さんが初めて世に現れたのは、1818年。イギリスで出版された『フランケンシュタイン』という小説に登場したのです」
「あ、元々は小説のキャラだったんだね?映画とかで有名だから、勘違いしてたかも」
「かく言う私も、この小説は子供の頃に初めて読んで以降、ずっと心に残り続けていて……少し、詳しくお話させていただいても?」
「は、はい!よろしくお願いします!」
「では、僭越ながら……」
──────────────
[フランケンシュタイン]
とある名家出身の青年ヴィクター・フランケンシュタインは、両親や弟、そして養子でやってきた義理の妹と共に暮らしていました。やがて彼は故郷から離れ、大学に通い、自然科学を学ぶようになります。
しかし生命について学ぶうち、いつしかフランケンシュタインはこの謎を解き明かし、自らの手で生命を自在に操ろうという野心に取り憑かれます。
そうして夜な夜な狂気的な実験に勤しむフランケンシュタインは、とうとう『理想の人間』の設計図を完成させ、自ら墓を暴いて手に入れた死体を素材として、それを完成させてしまうのです。
しかし、現実にこの世に産み落とされたそれは、フランケンシュタインの思惑通りの強靭な肉体と優れた知性を持ちながら、まさしく『怪物』と呼べるほどの醜悪な姿をしていました。そのあまりのおぞましさにフランケンシュタインは絶望し、その怪物を残したまま故郷へと逃げ帰ってしまうのです。
一人取り残され彷徨う怪物は、その道中盲目の老人と出会い人間の事を教わりますが、老人の家族に恐れられ、家を追い出されてしまいます。さらにその後、怪物は川で溺れている少女を助けますが、少女を襲っていると誤解され銃で撃たれてしまいます。
孤独と自己存在に対する苦悩を募らせながら故郷である研究室に逃げ帰った怪物は、フランケンシュタインの残していった日用品を手がかりに彼を探す旅に出る事を決意するのです。
やがてフランケンシュタインの元に辿り着いた怪物は、彼の弟を殺害した後に、彼に向けてこう言い放ちます。
「自分の伴侶となるもう一人の怪物を造れ。そうすれば、自分はもう二度と人前に姿を表さない」
フランケンシュタインはこの要求を飲み、再び故郷から遠く離れた地で怪物を造る研究を始めます。しかしその最中に彼は、伴侶を得た怪物が繁殖し、更なる怪物を生み出してしまう可能性に恐れをなし、研究をやめて再び逃げ出してしまいました。
やがて故郷に帰ったフランケンシュタインは、家族の計らいで義理の妹を妻として迎え、怪物のことを忘れ生きていこうとします。
しかし、約束を反故にされた怪物はとうとう人間に絶望し、復讐の為にフランケンシュタインの友人、家族を次々と殺害し、遂には結婚したばかりの妻までもが犠牲になってしまうのです。
この事でとうとうフランケンシュタイン自身も怪物に対して憎悪を抱くようになり、復讐を企て怪物を追跡しましたが、その道中で海に投げ出され、救助を行おうとした探検家の元で命を落としてしまいます。
やがて探検家の元に怪物も現れますが、フランケンシュタインの亡骸を前にした怪物は探検家に自ら命を絶つ事を告げ、北極点へ向けて一人旅立っていきました。
そうして──その後の怪物の行方は、もう誰にも分からないのでした。
──────────────
「……なる、ほど。フランケンシュタインって、そんな話だったんだね?」
「ええ、ですのでこの怪物は、創造主から名前も与えられなかった『名無しの怪物』なのです」
「名無しの、怪物……」
彼女の話を聞き終えたのち、僕は改めて自分の手の中にある怪物の姿に目を向ける。相変わらず、身の毛もよだつような醜い姿。けれどその苦悶の表情は、どこか深い悲しみを帯びている様な気がして。
「けれども、なんだろう。個人的にはこの怪物のことを『フランケンシュタイン』と呼ぶのだって、間違いじゃない気もするな」
「あら?と言いますと?」
僕はそんな彼の、もはや深く刻み付けられ過ぎて取り払うこともできなさそうな眉間の皺をじっと見つめながら。ここではないどこかに向けて口を開く。
「最初はただ、怪物のような容姿と力を持っていただけの純粋だった彼が、いつしか己の妄執と絶望に身を任せて殺戮を繰り返す本物の怪物と化してしまった。それはきっと、フランケンシュタインの持つ怪物のような『眼』を、その身に受継いでしまったから……なのかもしれないな、って」
「怪物のような、眼、ですか」
「うん。己の妄執の為なら、他者や死者への冒涜も厭わない。けれども自分の思い通りにならなければ勝手に絶望し、無責任に逃げ回る。僕には彼の方が、たまたま肉体が人間だっただけの、醜悪な怪物に思えた」
「………………」
窓の外から射し込む最後の光がぷつりと消え、禍々しい暗闇につつまれるトレーナー室。ひんやりと暑いその不安定な季節の風に流されるがまま、僕は矢継ぎ早に、口を動かしていく。
「彼が、老人から学べる知性も少女を助けられる力も持った彼が、人々との対話を選べず逃げ回る事しか出来なかったのは、きっと自分が産まれた瞬間にそうされたから。産まれた瞬間に絶望の『眼差し』を与えられてしまった怪物は、彼自身ももう、自分が世の中の全てから絶望されているようにしか、そういう風にしか世界を視る事が出来なくなってしまった、のかも」
「………………」
「そうしてどんどん、精神までもがフランケンシュタインと同期していった。自己存在の証明に妄執し、絶望の末、無関係な他者の命を冒涜し始めた彼は……まるで死体を無理やり繋ぎ合わせるみたいに、名無しの怪物とヴィクター・フランケンシュタインが融合してしまった『怪物・フランケンシュタイン』と呼ぶべき存在、なのかもしれないな、って」
「……なる、ほど」
「やがて、互いが互いを憎しみ合うようになるのだって……無意識に『同族嫌悪』し合っていたの、かも……」
「……ふふっ」
「……アルダン?」
……ここではないどこかへ向けて、無意識に、まるで新たな生命を生み出さんとするかのように、熱を帯び始める僕の語句。と、ふと気がついた彼女の生暖かな目線。少し咳払いして、僕はあらためて彼女の正面に向き直る。
「ふふ、ふふふっ?考察のお邪魔をしてしまい、申し訳ございません。けれど貴方がこの物語をそこまで深く語るほど気に入っていただけるなんて……なんだか、嬉しいですね♪」
「え?あ……あ、あはは?まあ、ただの素人の屁理屈だから、そんなに気にしないで?ええと……ああ、元々はハロウィンの仮装の話だったね?このマスク、一回被ってみる?」
「ええ、そうですね?とはいえこのマスク、後ろの紐で固定するタイプのようですので、一人では被りづらそうですね?」
「ああ、確かにそうだね?」
「トレーナーさん、申し訳ございませんがそちらのマスク、後ろから被せていただいてもよろしいでしょうか?」
「う、うん、もちろんいいよ?」
手元に携えた怪物のマスクと、向けられた彼女の丸く優しい後頭部を交互に視界に入れながら、僕は鼻から大きく息を吸って、ヒートアップした脳をゆっくりと冷ましていく。
まったく、なんだってさっきまでの僕はこんな事に熱くなってたんだ?確かに面白そうな話だったけど、別に特別好きなジャンルってわけでもないし……それに今はこんな物語の善悪裁きなんかより、現実に差し迫ったレースの方がずっとずっと大切だろう。
「……トレーナーさん?」
「あ、ああ、今被せるよ?」
……次のレースに向けて、どんな風にアルダンを育てていこうか。彼女の呼びかけも少しだけ上の空で、改めて僕は己の脳内で理論を積み上げ始める。
アルダンが最強だって証明する為には、やっぱり純粋なスピードももっと必要だし、スタミナも踏み込みの強さももっと向上させないと……あとは、元々得意分野とはいえ、ターフ場での判断能力、知性だってより向上させないと。
まだまだ、もっともっと。芦毛の怪物も永世三強も簡単に捻り潰せるくらい……いや、なんなら歴代の三冠ウマ娘や殿堂入りウマ娘達すら勝負にならないくらい、彼女を史上最強の……『理想のウマ娘』にするためには、もっともっと、もっと、もっと─────
「──同族、嫌悪」
────もし、現実にこの世に産み落とされたその『理想のウマ娘』が、自分の思い通りの姿形をしていなかったとしたら。
その時、僕はそんな彼女を受け入れることが、できるのだろうか。
「……トレーナーさん、どうされました?」
「……えっ?あ、ああ……ええと」
「………………?」
「よ、よく考えたらさ?この仮装じゃせっかくの君の可愛い顔が、見えないなー?なんて、そう、思ってさ?」
「かわっ……も、もう?トレーナーさんったら、仕方の無い人ですね♪では、少し名残惜しいですが、この怪物さんは却下、ですかね?」
「う、うんうん。よく考えたら今着てるバフォメットだって充分似合ってるし……それが一番、いいんじゃないかな?」
「だからドラキュラさんですって、もうっ?」
「はは、あはは……」
愛らしい牙と羽を携えて、美しい笑顔をこちらに向けてくる、アルダン。そんな彼女の姿を見つめながら、僕は手元に携えた醜い怪物のマスクを再び暗い箱の奥底へと押し込めて……しっかりと、丁寧に、封を、閉じる。
「……大丈夫ですよ?トレーナーさん?」
「へ、へっ?な、何が、かな?」
「そんなに心配そうなお顔をされなくても、もちろん次のレースは、私、絶対に勝ちますから……ね?」
「……あ、はははは。そんなに渋い顔してた?僕?」
「ええ、その眉間の皺……まさしく、『怪物』さんみたいです♪」
「───────」
「……ふふっ♪そうですね、なんの憂いもなくハロウィンを楽しむためにも……さらなるご指導ご鞭撻、よろしくお願いいたしますね?私のトレーナーさん♪」
「───ああ、任せてアルダン。君を絶対に、絶対に誰にも負けない最強のウマ娘に、してあげるから、ね」
草木も恐れる逢魔が時、夜闇に包まれたトレーナー室の、暗い暗い、影の中。
深く刻み付けられ過ぎて、やはり取り払うこともできなさそうな眉間の皺をそのままに。僕はもう一度、胸ポケットにしまっていたその理論を強く強く、強く、握りしめるのであった。