メジロアルダン短編集『to the MEJIRO ARDAN』 作:いずさわ
『みんなーっ!メリー……クリスマースっ!』
『足元悪い中お集まりいただき、ありがとうございますっ!今日は私たちが皆さんに、最っ高のクリスマスイブをお届けできるように頑張りますので、どうかよろしくお願いしますっ!』
午前中降り注いだ小雨もなんとかその足を留めて、灰色の薄もやだけが天に登っていく夕方六時。幕が開いて、声援と歓声に包まれるステージを。
「おーっ、始まったなぁ」
支給されたジャンパーのポケットに両手を突っ込みながら、思わず足を留めて、僕は仰ぎ見ていた。
『みんな盛り上がる準備は出来てるーっ!?』
『後ろの人達も全員見えてますからねーっ!』
『それじゃあっ……せーのっ!』
『トレセン学園プレゼンツ!クリスマスヒットソングカバーライブ……出走ですっ!』
「って、ボーっとしてる場合じゃない……カメラカメラ……」
辺り一帯を包み込む大仰なSEに急かされて、僕は悴む指先でビデオカメラのレンズを開き、その模様を淡々と切り取っていく。
やや型落ちモデルの、学園備品のビデオカメラ。彩り鮮やかなはずのステージも少しだけくすんで見えたのは、そのレンズ越しに見つめているからか、それとも。
「待ってたよーーーーっ!」
「きゃーっ!かわいいーっ!」
「あーっ!うまむすめちゃんたち、でてきたー!」
「うんうん、出てきたねー?もっと前の方行きたい?」
「うん!いくー!」
「………………」
歓声、ウマ娘達を呼ぶ無邪気で純粋な、声。
その熱量が灯り始めたイルミネーションと共に増して、まるで綻ぶように発生した、暖かい上昇気流。
……そこから一歩外れた茶色い針葉樹の根元で、僕はセピア色に染まる街を、3インチの画面越しに眺めていた。
「……あの時、もしもあの時に、何か言えていた、ら、か」
そして、視界とともに脱色されていく脳内から、自動再生された光景。それはほんの、数週間前のことだった。
──────────────
「もう年末ですか、早いですね?」
「ね、ほんと、あっという間だね?」
丁寧に破られ、破られ、破られ。とうとう残り一枚となった今年のカレンダーを並んで見つめながら、ベタな言葉を交わし合う僕ら二人。今年もようやく解禁されたトレーナー室の暖房で、部屋が温まりきるまでの少しの間、僕らは窓辺に僅かにできた日なたでしばし身を寄せあっていた。
「今年も様々な事がありましたからね。貴方と共に過ごす一年は、やはり今までの一年よりも、ずっと早く感じてしまいます」
「ね?まあ僕はその分、比べ物にならないくらい楽しいとも思うけど……なんだかジレンマ感じちゃうなぁ」
「ふふふっ。ええ、私もそう、思います……」
およそ1メートル四方に切り取られた真っ白な日なたの中、何かの拍子に肩も触れ合ってしまいそうな距離感の中。彼女が……我が担当ウマ娘メジロアルダンが向けてきた、新雪のような笑顔。
耐えられる余裕もなかった僕は、何故だか落ち着かない心臓を掌で擦りながら、再び明後日の方に目線を傾ける。余命幾ばくもなく、なんとか必死に壁にしがみつくカレンダー。妙に同情心をくすぐられるのは、無意識に、未来の自分を重ねてしまっているからだろうか。
「…………ほんと、ジレンマだな」
彼女と共に、あのカレンダーを使い切るのも……もう、何度目になるのだろう。
初めはおぼつかなかった彼女とのコミュニケーションだって、なんだか少しずつ板に着いてきた気もして、何も言わなくとも彼女の欲しい飲み物が分かるようになってきて、丁度いい暖房の温度感も分かって、こんなベタなやり取りだって、ある程度は恥ずかしげもなく交わせるようになってきて、そして。
……そして、どうなるんだろうな。
だんだん暖房が効いてきて、居心地が良くなってきたトレーナー室。その中で僕は、なんとも贅沢で身勝手な一抹の不安を抱いてしまう。
かつての彼女は、まるでほんの一粒の雪の結晶のようだった。
世界中、他のどこにも見当たらない程鋭く、そして美しく凝固した覚悟を胸に抱えて。しかし同時に、自らの抱えた熱量によって瞬く間に自壊してしまいそうな不安定さをも内包した、淡くささやかな、雪の結晶。
それが今や、どうだろう。
「……けれども、年末年始には楽しい行事が沢山ありますから。ジレンマもありますけど、私はやはり、楽しみのほうが勝ってしまいます♪」
「……うん、そうだね?」
まるで僕らを急かすように、今日も忙しなく昇った朝日の光。その熱を浴びてもなお彼女は、自らのその朗らかなペースを、崩しはしない。
そうだ、いつの間にだか彼女はこんなにも強くなった。熱烈な春嵐に吹かれても、強大な怪物に踏み荒らされても、それでも溶けず壊れず次の冬まで、また次の冬までその凛々しい姿を保ち続けた、永久凍土。それが今の彼女、ただ一人の強いウマ娘『メジロアルダン』。
と、なると。
「今年のお正月は、ご一緒に初詣に行きましたね?あと、書き初めもしたりして……いかかです?来年のお正月も、ご一緒に……」
「…………」
「……トレーナーさん?」
ずっと、その結晶を護るのに必死だった。
その為だけに今日まで生きてきた僕は、これから何ができるだろうか。もう充分な程に逞しくなった後の、これからの彼女にとっての何になれるのだろうか。
そして……今朝の冷え込みのようにどんどん色濃くなっていく、否が応でも訪れてしまう『終わり』の時。競走ウマ娘がターフを去るまでの、平均五年間。いずれ『トレーナー』を必要としなくなる『ウマ娘』。
その時の僕は……『メジロアルダンと共に生きる為』だけに生きてきた僕は、再びそれ以前のまっさらな状態に、戻ることが、できるのだろうか。
……なんて。まるでビデオカメラの巻き戻しみたいに、少し前に片付けたはずの煩悩が再び、僕の頭の中で回転を始めて……
「……!ふふっ、そうですよね?解っていますよ?」
「えっ?わ、解ってって、その……?」
「お正月の前に、『クリスマス』ですよね?もちろん忘れてなどいませんとも♪」
「……あ」
そんな僕の性懲りもない行き詰まりの中心点。貫くように、彼女の指が伸びる。その指し示す先、余命幾ばくもないカレンダーの、更にそのクライマックス。意識の範疇外に視えたその光景に、僕の視界も思わず傾いてしまう。
「見ましたか?駅前のクリスマスマーケット、まだまだ設営途中ですが、去年よりずっと広くなっていましたよ♪イルミネーションも去年より豪華になっていましたし……ああ!そういえば駅近くのプラネタリウム、クリスマスイブの日だけの特別なプログラムが上映されるそうなのです♪」
「えっ?そ、そうなの?それはまた……」
「ふふっ?なんだか、気になるものばかりですよね?」
「……………」
その為だけに今日まで生きてきた僕は、これから何ができるだろうか。もう充分な程に逞しくなった後の、これからの彼女にとっての何になれるのだろうか。
否が応でも訪れてしまう『終わり』の時。競走ウマ娘がターフを去るまでの、平均五年間。いずれ『トレーナー』を必要としなくなる『ウマ娘』。
もしも、もしも僕が彼女にとっての、『トレーナー』以外の、何かに変化できたとしたら?
彼女が僕のことを、『トレーナー』以外の何かとして、受け入れてくれたとしたら?
その中心点を軸に、少しずつひっくり返っていく視界。思わず僕は、口を開く。
「あ、アルダン」
「はい?トレーナーさん?」
「その、君がもし、もし良ければ、なんだけどさ……」
「……は、はい」
「良ければ、今年のク」
ガラガラガラガラ……
「アルダンさーん?メジロアルダンさーん?おられます……あら?」
気付けのように、入口ドアから吹き込んできた外の冷たい空気。ちぎれそうな勢いで舌を噛み、言葉をせき止め、見上げたその先に立っていたのは……
「あ、あら?たづなさん?」
「おっ!?お、おお、お疲れ様、です?」
「……お二人とも、そんなに日なた側に集まって、どうされたんです?お部屋、充分温まってるようですが……?」
「あ、あーっ?確かに、も、もうアツアツですねーっ?は、はは、ははは!」
「…………?」
随分見慣れた緑色のシルエット、もはや説明不要の理事長秘書、たづなさんであった。更なる意識外から飛び込んできたその姿に、僕は先程とはなんだか別の雰囲気で胸を高鳴らせる。わざわざたづなさんの方から訪ねてくるとは、すなわち、つまり……どういうことだ?
「ええと……その、私に何かご用でしょうか?」
「ああ、そうですね?実はメジロアルダンさんにとある『オファー』が届いておりまして……」
「オファー?」
とりあえず話を軌道修正して、たづなさんが手にした茶封筒から取り出したのは、なんだか煌びやかなロゴデザインが目につく、一枚の資料。
「……トレセン学園プレゼンツ、クリスマスヒットソングカバーライブ……ああ!そういえば確か、昨年も開催されていましたね?」
「ええ!昨年の好評を受けて、今年も引き続き、二十四日のクリスマスイブに開催される運びとなったんです!」
「え?去年?そんなの開催されてたっけ?」
「ご存知ありませんでした?まったく……トレーナーさんは私が関わらない事柄には、本当に無頓着なんですから……」
「それは……まあ、返す言葉もないけど……」
たづなさんから手渡されたその資料を、僕はまじまじと観察する。どうやら十二月二十四日のクリスマスイブ、駅前のクリスマスマーケット内の特設ステージで、トレセン学園所属のウマ娘達が往年のクリスマスソングや今年ヒットした楽曲をカバーして披露する。という趣旨のイベントらしい。
「そしてですね、昨年の来場者向けに『次回出演して欲しいと思うウマ娘』のアンケートを実施したそうなのですが……そちらでメジロアルダンさんの名前が、実に沢山の方から挙がったそうなんです!」
「まあ、私が……ですか?」
「ええ、よろしければそちらの資料の35ページ目をご覧下さい?」
たづなさんに促されるがまま、僕は手元の資料をペラペラと捲りあげる、と、そこには。
出演希望アンケート回答 一部抜粋
『メジロアルダン様』
『日本ダービーの頃から応援しているウマ娘です!出走のご検討、是非お願いします!』
『ウイニングライブで見た歌もダンスも完璧で、もっと色々な場所で見たいと思ったから』
『九州在住のウマ娘好き家族です。昨年は家族旅行の一環として来場させて頂きました。娘がメジロアルダンさんの大ファンで、もしアルダンちゃんが出るならまた行きたいと言って、勉強や家のお手伝いを頑張ってくれています。お忙しい中かとは思いますが、どうかご一考いただけませんでしょうか』
「……私の事を、こんなに」
「………………」
……そこにあったのは、紙面いっぱいに詰め込まれた、沢山の人達の『願い』。そうか、季節を越えて強くなった彼女の光は、いつの間にかずっと遠くまで……僕が思っていたよりも、ずっと遠くの人々まで、照らせるようになっていたんだな。
「という訳で、今回はイベンターさん直々に、メジロアルダンさんへご指名オファーをいただいているんです!是非ともクリスマスイブの日、皆さんの『願い』を叶えていただけないか……と」
「……ええ、ええ、これはなんとも……こんなに沢山の人が、私の出演を、心待ちにしてくれている、だなんて」
まるで心根から染み出してきたかのようなアルダンの感極まったような呟きに、噛み締めるような誇らしげな表情に、その手の震えに。僕もまた、心の中で強く強く頷き返す。初めはどこの誰にも……実の親にさえも望まれなかった彼女のこれまでの行いが。しかし、それでも何度も、何度でも繰り返し走り続けて、いつの間にか世界中、沢山の人に認められ、求められるようになっていた、だなんて。
月並みな表現だけど。そんなもの、これ以上ないほど、光栄なことで……
……光栄な、こと、なんだよな。
「……トレーナーさんは、どう思いますか?」
「……えっ?え、ええと、僕?」
ほんの少し、物思いにふけっていた僕に向けて、唐突に話題のパスを回してくるアルダン。突然の事に情けなくどもり散らかす僕を見かねてか、彼女はまた、続けて口を開いた。
「いかがでしょう?今回の……クリスマスイブのイベント。お受けするべきだと、思いますか?」
「そ、そりゃあもちろ……」
「………………」
「もちろ……ん」
……一体、僕は何を迷っているんだろうか。
他でもない、こんなに沢山の人がアルダンのことを愛してくれている。アルダンの出演を待ってくれている。中には遠路はるばる、アルダンの為だけにその足を運んでくれる人だって、いる。果たしてこんなに誇らしいことがあるだろうか?こんなの、断る理由なんて……
なんて……
「……あの、メジロアルダンさん?トレーナーさん?」
「はっ、はい!え、ええ、そりゃあもちろん!こんなに熱烈にオファーしてくれるなんて……『トレーナー』としてこんなに光栄で誇らしいことなんて、ありませんからっ……!」
何か、脳内から湧き出しかけた何かに慌てて蓋をして。僕は真っ白な頭のまま、勢い任せで、口を動かす。
「ふふっ、それは良かったです。では、いかがいたしましょうか、メジロアルダンさん?」
「………………」
「……アルダン?」
「メジロアルダンさん?」
……そんな僕とは対照的に、何かを熟考するかのように彼女は、その視線を空へと逸らす。なんだか今まで見た事のないその仕草に、思わず僕は彼女へ手を伸ばした、の、だが。
「……ええ、ええ、そうですね?実に光栄なお話ですものね?トレーナーさんが、そう、おっしゃるのなら。不肖メジロアルダン、喜んでお受けいたします」
「えっ……あ、あの」
「まあ!ありがとうございます!ではご参加ということで、早速先方にお伝えいたしますね?」
「ふふっ、誠心誠意務めさせていただきます。と……是非、お伝えくださいね♪」
「………………」
その手が届く前に、まるで、先程の一瞬が幻だったかのように。彼女はいつも通り、朗らかに軽やかに、たづなさんへと言葉を返す。そうだ、その口調も、トーンも、堂々たる佇まいも、何もかも、いつも通り……
……本当にこれで、いいんだよな?
「ええと、この資料はこのままいただいてもよろしいのでしょうか?」
「もちろん!今週末に初打ち合わせがあるので、それまでにできるだけ細部まで、ご確認お願いいたしますね?」
「かしこまりました♪それではトレーナーさん、たづなさん。私、今日のところはここで失礼させていただきます」
「ん?アルダン?これから何か用事でも……?」
「まあ、そのようなところです。今日はトレーニングもお休みでしょう?」
「ああ、まあ、そうだね……」
当然、全く、もちろん引き止める理由もなく。僕は足早にトレーナー室を立ち去るアルダンを、ぼんやりと見送って……
「……!」
……初めはおぼつかなかった彼女とのコミュニケーションだって、なんだか少しずつ板に着いてきた気もして、何も言わなくとも彼女の欲しい飲み物が分かるようになってきて、丁度いい暖房の温度感も分かって……
でも、今。一瞬だけ視えた彼女の横顔。ほんの少しだけ見えた、不思議と子供っぽくも大人っぽくもある、眉の、目尻の角度、口元の皺、目線、表情。
それだけは、その意味合いだけは。今の僕にはまるでひとつも、分かりはしなかった。
「あ、アルダ……!」
「というわけで、トレーナーさん?」
「んぐっ!?は、はい?たづなさん?」
「今回のイベントなのですが、トレーナーさんにはまた別の『お仕事』をお願いしようと思っていまして、ですね?」
「…………『お仕事』?」
──────────────
『それじゃ、早速一曲目のプレゼント!届けてくれるのはぁ〜〜……このウマ娘!どうぞー!』
『みんなー、盛り上がってる〜?とまこまいの星、ホッコータルマエだべー!』
「……あっ、ええと、ステージと。あと観客の様子も程よく映して、と」
長かったような、ほんの一瞬だったような、そんなセピア色の過去回想から帰ってきた、僕の意識。そのまま僕は、手にしたカメラを慌ててズームして、ステージ上飛び出してきたウマ娘にフォーカスを合わせる。たづなさんから任命された今日の僕のお仕事……トレセン学園保存用の記録映像を撮影する、カメラマン。その任務を、全うする為に。
「……!たるまえちゃん!」
「おおー!?いきなりホッコータルマエ!?いいぞー!」
「待ってたよーっ!タルマエーっ!」
『うんうん!うんうんうん!私もみんなの事、待ってたべやさーっ!今日はここにいるみんなひとり残らず楽しませちゃうから、みーんな着いてきてねーっ!』
「……待ってた、か」
白と紫のライティングに照らされるステージに、ますますの熱量で応える観客達。本当に、皆待ち望んでいたんだな、クリスマスイブという今日の日を、楽しみに、待ち望んで。
『それじゃあ、聞いてくださいっ!プリティーだけじゃ、だめですか?』
「うおーーーーっ!」
「タルマエ!タルマエ!タルマエ!」
……あれからアルダンの様子は、特に変わる事はなかった。いつも通りトレーニングに精を出し、いつも通り気さくに言葉を交わしてくれる。優しくて朗らかな、いつものメジロアルダン。
ただし、その口から一言『クリスマス』という単語が出てくる事だけは、それっきり、パタリとなくなった。
今日のライブの話だって、ほとんどしなかった。彼女が何曲目に、何を歌うことになっているのかも僕には分からないし、このライブにかける意気込みも……そもそも、本当に出演したかったかどうかも、分からない。欲しい飲み物も、エアコンの温度も……そうだ、あの日以来僕は、彼女の事が、分からなくなってしまった。
「もしも、もしも、か」
会場中に溢れる、とびきり前向きなポップスの歌詞が、やけに耳へと突き刺さる。『愛』だとか『夢』だとか、『君ならできる』とか。普段ならまるで意識せずに聞き流してしまうような言葉達が、まるで冬の寒さのように骨身に染みて、カメラのピントが合わなくなる。
……もしもあの時あの瞬間、もっと別の言葉を言えていたら。『トレーナー』として、じゃない回答を用意出来ていたら。そうしたら今頃、こんな気持ちになんてならずに済んだのだろうか。彼女とも、分かり合えたままでいれたのだろうか。すっかり日も沈んだ、人工的な光ばかりがいやに溢れる街、その視え方だって、今とはまるで違っていたのだろうか。
……いや、無理だろうな。
あの場にはたづなさんだっていたし、もしあの瞬間に冷静でいられていたとしても、きっと僕は同じ答えしか出せなかっただろう。
となると、たづなさんが来る前に、もっと早く口に出せていたなら?……いや、それも無理だ、臆病な上、無駄に八方美人な僕のことだ。先にアルダンと約束を取り付けることができていたとしても、あのアンケートを、あの『願い』達を無視して自分の意見を貫き通す事なんて、出来はしなかったはずだ。
となると、もっと、ずっと前、もっともっと、まだまだ昔。もしも彼女があのレースに出ていたら、出ていなかったら、もしも僕があの時ああ言っていたら、ああ言っていなかったら、なんたら、かんたら……
……もしも彼女と僕が、初めから『ウマ娘』と『トレーナー』以外の関係で、出会えていたら。
「……なんてな」
『みーんなー!ありがとー!最後にもう一回、みんなの声、聞かせてくれるかなーーっ!?』
ステージのウマ娘が観客を煽り、会場中が一体となって突入する大サビ。その様子を外側からただ漫然と、淡々とカメラに収める、僕。なんだろうな、なんだろう、ほんのちょっとだけ喉が痛い気がするな。相変わらず視界も晴れないし、微妙に中途半端な寒気もある。まだ一曲目だけど、これが終わったら少し休憩させてもらおうかな。
『っ……みんなーーーっ!ありがとーーー!とまこまいの星、タルマエでした!』
「ありがとーっ!」
「かわいかったよーっ!」
「レースも観に行くねーっ!」
「……ふぅ」
一人目のウマ娘がステージを去り、幕間の静寂が、街を包む。僕はずっと掲げていたカメラを少しだけ腰元まで下げて、強すぎる光に疲れた眼を、見上げた夜闇で休ませた。
「……そういえば、プラネタリウム。イブだけって言ってたなぁ」
駅ビルの正面に見えた時計は、午後六時十五分を指し示す。ライブ終了まであと一時間ちょっとか。
プラネタリウム。イメージだけど、そんな遅くまでやってないよな。あんまり詳しくないけど、せいぜい五時とか六時とかくらいまでなんだろうな。
「……特別なプログラムって、どんなのだったんだろう」
星のひとつも見えない朧夜に、僕は一人、星を想う。灯りなんて、周りを見ればいくらでもあると言うのに、それでも、僕は。
「…………えっ?」
そんな僕の願いが天に届いたのか、真っ暗な夜空に、突然散らばるような白点が灯り始める。
まるで万華鏡、揺れるビーズのようにきらきらふわふわと流れるその煌めきに、思わず僕は見蕩れ果てて、無意識に、空に手を伸ばした。
その手のひらに感じる、淡く冷たい感触。
星、じゃないな、なんだ、これは。
「そうか、雪か」
『……キュン、キュン♪抱きしめたいよ♪』
「─────」
街中から溢れたカラフルな光が紡ぐグラデーションも、集まった観客達も。等しくその純白に、包み込まれていく。
そしてその中心で輝いていた彼女に、僕は性懲りも無く、幾度目かの一目惚れをした。
「あーっ!アルダンちゃんだーーっ!」
「メジロアルダン!メジロアルダンきた!」
「てか、雪ヤバ!?タイミング良すぎじゃない!?」
『キュン、キュン♪ずっと前から、夢中だよ♪』
ふわり、ふわりと。街中に優しさと愛を届けるように降りしきる、粉雪。純真にはしゃぐ子供達も、その情景に声を上げるカップル達にも……その熱からつま弾かれた、僕のような捻くれ者にすら。それはあまりに平等に、矛盾なく、この世全ての人々に向けて注がれていく。
『〜♪……皆様、メリークリスマス!本日はお越しいただき、誠にありがとうございます♪』
「メジロアルダーン!!待ってたよー!!」
「アルダンちゃーん!きてくれてありがとうー!」
『ふふっ♪それに今年は皆様のお声が、私をこんなにも素晴らしいイベントにお招きくださったと伺っております。いかがでしょう、日本ダービーの頃から私の事を応援してくださった方?ウイニングライブでの私を褒めてくださった方?九州にお住まいのウマ娘ファンのご家族さまと、私に会うためにお勉強やお手伝いを頑張ってくれた、お嬢様?いかがでしょう、私の事、ちゃんと見えていますでしょうか?』
「……!?」
「えっ?あ、アルダンちゃん……!?」
「──今のトーク、アンケートの……?」
曲の間奏中、堂々たる佇まいで……なおかつこの空間を誰よりも楽しみ、遊び尽くすような勢いで客席に語りかけるのは、他でもない我が担当ウマ娘『メジロアルダン』。
……かつての彼女は、まるでほんの一粒の雪の結晶のようだった。
世界中、他のどこにも見当たらない程鋭く、そして美しく凝固した覚悟を胸に抱えて。しかし同時に、自らの抱えた熱量によって瞬く間に自壊してしまいそうな不安定さをも内包した、淡くささやかな、雪の結晶。
それが今や、今や本当に。
『それと、ファン感謝祭の際に握手列に並んでいただいた方に、私だけでなく、メジロ家一同共々推していただいている方も。もしかしたら、今年は様々な事情でお越しいただけなかった方もおられるかもしれませんが……それでも、私に出来る限りですが、皆様の『願い』、叶えさせていただきたいと思いますので……どうかよろしくお願いいたします♪』
「……きてくれてありがとーっ!アルダンちゃーん!」
「ちゃんと見えてるぞーっ!メジロアルダンーっ!」
「……本当に、強くなったんだね、アルダン」
いつしか彼女の抱えた熱量は、この空を包み込み、集う人々に分け隔てなく暖かさを届ける事が出来るほどになっていた。一人きり、自らのエゴの為だけに走り始めた『ただの少女』が、沢山の人々の願いを背に乗せ、それでも力強く走ることが出来る、立派な『ウマ娘』に。
あの降りしきる、雪のように。
と、なると。
『──キュン、キュン♪抱きしめたいよ♪』
「──そうだった、今の僕は『カメラマン』なんだった」
ますますの雪景色に包まれる会場の真ん中で、再びその美しい歌声を響かせ始めるアルダン。その姿を僕は……再び、手にしたセピア色のカメラに収め始める。
……今の僕に、何ができるのか?
そんな事、初めから心配する必要なんて、なかったんだな。
いつの間にだかこんなにも強くなった彼女に対して、僕が出来ること、僕になれるもの。それはきっと、そんな彼女の魅力を切り取ってこの世界中に知らしめ続けること。彼女の持つ暖かみを白日の下へと導いて、この世界に永遠に、『ウマ娘・メジロアルダン』の名を刻み続けること。
それだって、きっと立派な『トレーナー』としての役目であるはずだ。
「画角、もっと引いた方がいいかな?いやでも、こんなに最高な表情が見えづらくなるのはもったいないし……くそ、本当ならもっと上手く綺麗に撮れるはず、撮れるはず、なんだけどな……」
頭の上に降り積った雪が、熱くなっていた僕の脳を冷やして、すっかり視界がクリアになる。
彼女が僕のことを、『トレーナー』以外の何かとして、受け入れてくれたとしたら?
……なんて、僕はもう『願わない』。僕自身が、彼女にとっての特別な存在になんて、なる必要はない。
僕のやるべき事、『トレーナー』としての喜び、それはきっとこの先永遠に潰えることがないのだと、分かったから。彼女が歩みを止めない限り……いや、たとえいつか止まったとしても。
「……まだまだ、日々精進、だな」
僕は彼女の物語を、彼女の生き様を、いつまでも観察し、考察し、書き、続ける。メジロアルダンというウマ娘がこの世界に存在した、その軌跡を。
あの降り続ける雪のように、世界中の人々に余すことなく、届き続けるように。
──────────────
『……それじゃあみんなーっ!あらためて、今日は来てくれてありがとーっ!』
『名残惜しいですけど、これにて今夜のライブはゴールイン!ですっ!』
「えーーーっ!」
「寂しいよーーっ!」
『ふふっ!本当に今日は楽しかったですっ!また一年後、この場所で皆さんにお会いできるように私たち一同頑張って走っていきますので……来年も私たちウマ娘の応援、よろしくお願いしますっ!』
「もちろん!応援するよーーーっ!」
「最高のクリスマス!ありがとーーーっ!」
「ありがとーーーーーっ!!!」
午後七時三十分、すっかり降り積った一面の銀世界の中。最後の挨拶を朗らかに、けれども情緒たっぷりに交わし合う司会のウマ娘達と観客達。そんな興奮冷めやらぬ熱量……から一歩外れた茶色い針葉樹の根元で。
『〜♪〜〜♪』
「どう?どうかな?結構ダイナミックに撮れてると思わない?」
「……そう、ですね。一言で言いますと」
「うんうん!」
「凄く、下手ですね?」
「えっ…………!?」
鼻の先と頬をその寒さでほのかに染めながら、僕は彼女へ……出番を終えてやって来た我が担当ウマ娘、メジロアルダンへ、先程まで手塩にかけて収めた映像をお披露目していた。の、だが……
「まず、余りにも手ブレが酷くて純粋に見辛いのと、あと余りにも顔面ばかりをズームしすぎて、何をどうしている所なのか、訳が分からなくなってますね?」
「は、はい……おっしゃる通りで……」
「……ふふっ?来年はもっと上手く撮れるよう、ちゃんと練習しておきましょうね?」
「……そうだね?来年も、ね?」
「ええ、来年……も…………」
思わず耳を塞ぎたくなるような彼女のシンプルなダメ出しを、甘んじて受け入れていると……不意に彼女は、口を閉ざす。不思議と子供っぽくも大人っぽくもある、眉の、目尻の角度、口元の皺、目線、表情。その顔は、そうだ、あの日見た表情と同じ……
「……今回のお話、初めに伺った時は正直、お断りしようかと思っていたんです」
「……へ?そ、そうなの?」
「ええ。あのアンケート、勿論素敵なお言葉達だとは思いましたが……何よりまず、私にとってはとてつもない『重荷』に感じてしまって」
「………………」
「ずっと自分の為だけに走ってきた私が、こんな言葉に、こんな『願い』に応える事ができるのだろうか……なんて、そんな事を考えてしまったんです」
「そっ、か……」
3インチの画面に流れ続ける、先程のステージ上での堂々たる姿。それと対称的な、酷く弱く脆い、彼女の小さな小さな囁きを耳にして、僕はすっかり肩の力が抜け落ちてしまう。あの日の噛み締めるような表情も、手の震えも、全部僕が想像していたのとは、真逆の理由……
そうか、僕らは別に、そもそも、未だに全く、『分かり合えてる』訳じゃなかったんだな。それなのに、僕ときたら……ほんと、穴があったら埋葬されたい気分である。
「ごめんね……僕があんな風に言ってしまったから、断るに断れなくなっちゃった、のかな」
「えっ?そ、そんな、とんでもない!」
「……?」
「貴方が、背中を押してくれたのでしょう?貴方が私の事を『光栄で誇らしい』と評してくれたから……」
「えっ?えっと、それは……」
「見ず知らずの人達の願いに応える事なんて私には出来ない。けれども、貴方なら。私の事を一番理解してくれている、貴方という『トレーナー』が期待してくれる『ウマ娘』になら、なりたいと思ったのです、私は」
「……アルダン」
ようやく白日の元に晒された、彼女の想い、その表情の真意。そうして彼女は、再び手にしたビデオカメラ、その画面の中の自分に目を向ける。
「それからは毎日、受け取った資料とアンケートを読み込んで、そして考えました。どんな曲を歌えば、どんな言葉を発すれば、皆の望む『メジロアルダン』を作り上げられるのか、貴方の評してくれた通りの『ウマ娘』になれるのか。観察して、考察して……そうして今日、あのステージに立たせていただいたのです」
「………………」
「そうしたら……あの歓声を浴びた瞬間に、ようやく初めて私にも分かったんです。誰かの願いを背負って走る、『ウマ娘』としての喜びが。私の行いによって皆様の行いが変わって、そして皆様の行いによって、私の行いが変わる。そうして生まれる推進力。なるほど確かに、これは凄まじい力ですね?オグリさんのあの強さの一端、ようやく垣間見た気分です♪」
「……本能なんかじゃなく。観察して、考察して、その末にようやく『理解』する、か」
「ふふっ?なんとも私らしい気付き方でしょう?」
『ウマ娘』が輝いて、それを『トレーナー』が世に知らしめて、それを見た『人々』がウマ娘の元に集い、また『ウマ娘』がより強く輝きを放つ、無限とも思える、果てしないサイクル。
……誰かの行いによって、誰かの行いが変わって、その行いでまた、誰かの行いが変わっていく。それが意図的なものでも、そうでなくても、僕らはその循環を回し続けて、今日も生きている。
「そんな事に気が付けて、前よりも強い私になれたのも。そして純粋に、笑顔と祝福に包まれた、あんなに素晴らしい景色を見ることが出来たのも……全てはあの日、トレーナーさんが背中を押してくれたからですね?本当に、本当にありがとうございました、私の『トレーナー』さん♪」
「─────」
の、であれば。
一月から十二月まで破りきっても、またしても性懲りも無く一月から始まるカレンダー。けれどもそれは『同じことの繰り返し』なんかじゃない。一周回す事に一年、また一年と、螺旋階段のように暦は進んでいく。のと、同じように。
きっと僕がこうして性懲りも無く、何度も何度も同じようなことで悩み、行き詰まったとしても。きっとそれもまた『同じことの繰り返し』なんかじゃない。
つまりは……『前言撤回』だ。
「───良ければ、今年のクリスマスは……二人で、一緒に過ごさない?」
「…………!」
『ウマ娘』と『トレーナー』としての喜び。
『ただの少女』と『ただの人間』としての喜び。
今の僕なら、きっと、きっと。
『どちらか片方』を選ぶ必要なんて、無くなってるはずだ。
「……あ、ほ、ほら!今日ってまだイブだし!クリスマスマーケットは、まだ明日までやってる、でしょ?」
「………………」
「ま、まあ、プラネタリウムは今日だけだから、流石にそればかりは『選べない』けど……」
「……ふ、ふふふっ!ふふふふっ!」
「えっ?あ、アルダン?」
「ふふふ♪実はあの後すぐに調べてみたのですが……駅近くのプラネタリウムは本日特別営業で、最終公演は夜の八時、なのだそうですよ?」
「えっ?そ、そうなの?」
「『トレーナーさん』が興味を持ってくれるかどうか自信がなくって、今までお伝え出来なかったのですが……でも、今の『貴方』になら」
「………………」
「まあ、いかがなされるかは貴方次第ですが……どうでしょう?クリスマスマーケットとプラネタリウム、『どちらか片方』で、貴方はご満足ですか?」
街中を包み込む、暖かい光と、まだまだ降りしきる粉雪。誰かの楽しげな歌声、クリスマスマーケットから漂う美味しそうな匂い。
そして、その全ての中心で、他の何よりも眩く輝く、君の瞳。
「……ふふっ?そりゃもう、満足なんてするわけない、でしょ?」
「それなら、決まりですね♪」
僕の目に映る景色が、何度もくるくると回って、浮かんで落ちてを繰り返して、まるで万華鏡のように混ざりあって、想定外の形へと姿を変えていく。それがあまりにも美しくって、思わず伸ばした手の先に、触れた暖かな感触。
やっぱりまだまだ、少しだけ脆く感じたその形を、僕は優しく、握りしめる。
「って、もうあと三十分もないよ!?ま、間に合うかな!?」
「ふふっ?間に合いそうに無ければ、背に乗せて走って差し上げますよ?」
「それは流石に恥ずかしい……から、急いで向かお向かお……っと、その前に」
「トレーナーさん?」
「……今日はもう、これはいらないね?たづなさんに、返してこなきゃ」
「ふふふっ?そうですね?これから先は誰に見せる訳でもない、私達二人だけの時間……ですからね♪」
そうやって僕らは性懲りも無く、互いに顔を見せ合い、その真意も分からぬまま笑い合う。せめて緩みきったこの笑顔だけは、ずっと、永遠に僕だけのものでありますように……
なんて、少し欲張り過ぎな『願い』を結局その瞳にかけながら、僕はそのくすんだカメラのレンズを、そっと閉じるのであった。