メジロアルダン短編集『to the MEJIRO ARDAN』   作:いずさわ

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怪獣

線を引く。

 

幾重にも、幾重にも線を引く。点と、点を結んで、そこに定規を置き、鉛筆を走らせ線を引く。線を引いては、それを消して、また、線を引く。

それを何百回と繰り返し、視えてきた『形』を遠くから観察し……僕は首を捻って、それを丸めて、また捨てる。

 

「くそ、解らない……どこかに共通点は無いのか?当日のバ場状態?周りのウマ娘との位置関係?それともやっぱり、僕の知らない特殊なトレーニングが……?ああ、くそ、解らない……!」

 

カーテンを閉め切ったトレーナー室、冷たい夜の暗がりで。僕は孤独に咆哮を上げながら目の前の真っ白な方眼紙に向かい、テーブルライトの灯りだけを頼りに再び線を引き始める。付着した炭素で手が汚れても、せっかく淹れたコーヒーが冷めきってしまっても、僕はひたすら、線を引き続けた。

 

「……さん」

「バ場状態も、天候もバラバラ……外的要因ではない事は確かか?いやでも……」

「……ナーさん」

「各トレーナーには……うん、流石に特別なコネクションはないよな……いやしかし……」

「……トレーナー、さんっ!」

「う、うおっ!?」

 

紙のすれる音を纏いながら、暗闇を切り裂いたのは、実に聞き馴染みのある、やわらかい声。

 

「もうっ、こんな暗い所でお仕事なんてして……目を悪くしますよ?」

「あ、あはは、そうだね?ごめんね、アルダン」

 

メジロアルダン、他でもない我が担当ウマ娘。彼女はやれやれと頭を傾げながら、淡々と僕に歩み寄っては、肩を揃えて、目線を合わす。

 

「ふふっ、それにこんなにデスクを散らかして……私もお手伝いしますから、片付けて今日は……ふむ?」

「アルダン?」

「この資料の山は、ええと、マルゼンさんに、シービーさん、ルドルフさん、それにタマモさんと……オグリさんのデータ?皆様恐ろしく強い方々ですが、今ひとつ共通点が無さそうなメンバーですね?」

「……そうなんだよ、無いんだよ、『共通点』が」

「……詳しく、お伺いしても?」

 

何気に手を伸ばした資料の束を、顎に手を置き観察する、アルダン。流石としか言い様がないその視野の広さに感嘆の念を抱きながら、僕はその問を彼女にも共有する。

 

「去年の有馬記念……オグリキャップとタマモクロスの最後の一騎打ちは、もちろん覚えてるよね」

「ええ、もちろん。現地で観戦させていただきましたからね?」

「その時に、視たよね?オグリキャップの……最後の最後の、『急加速』」

「……ええ、あれは本当に凄まじかったです。巷では『奇跡』だとか、『神業』などとも言われているようですが」

「……ああ、そうみたいだね」

 

昨年の十二月、中山レース場。僕とアルダンが共に目撃した、まさに『神の御業』としか言いようが無い極限の加速。あの瞬間、オグリキャップというウマ娘はとうとう名実共に、トゥインクルシリーズの伝説にその名を刻みこんだ、訳だが。

 

「けれども僕は、あの加速はとてもそんな美しいものには感じなかった。『異常』だとすら思った」

「『異常』、ですか」

「ああ、僕の持ってるデータの全てを使ってどう試算したとしても、あの瞬間のオグリキャップに、あんな走りが出来るはずがない。まるでゲームのバグや設定のミス……明らかに『異常な挙動』としか言いようが無い」

「まあ、通常有り得ない挙動だからこそ……『奇跡』だと。そう、呼ばれるのでしょうけどね?」

 

口を動かしつつ、僕は目の前の方眼紙に再び線を引く。奇跡、偶然、上振れ、一時の追い風……と、そういう言い訳で納得するしか道は無い、のは分かっている、分かっているが。

 

「でも、『奇跡』の一言でなんでも片付けられちゃう世界なんて、僕は途方もなく、つまらなく感じるよ」

「ふふ、まあ、貴方ならそう言うと思いました♪」

 

だけど、そんな訳の分からないもので勝負が決まってしまうのなら。それは僕の好きになった『レース』でも『ウマ娘』でもない。

 

そして、そんなものが──『奇跡』なんてものがまかり通ってしまえば。

その時こそいよいよ、僕らトレーナーが存在する意義など無くなってしまう。そんなものが存在してしまうのなら、もう僕らにできる事なんて、何処にいるとも解らない『神さま』か何かに祈り続けることくらいになってしまうだろう。

 

 

そんな世界、僕は到底認められるわけがない。

 

 

「だから、僕はその『奇跡』を解体し尽くしたいんだ。あれは奇跡でもなんでもなくって、やり方さえ解れば誰にでも……アルダンにでも出来ることだと、証明したい」

「トレーナー、さん」

 

僕は目の前の方眼紙に、先程の線の隣に、もう一本線を書き加える。当てのないルートを描き出すように……奇跡などではない、確かな知識と思考を伴って、その『領域』までメジロアルダンを導けるように。

 

『灰の怪物』を、解体する。

 

「で、だ。あの後色んな資料や記録を漁ってたらさ。どうやら過去のレースにも、あの日のオグリキャップと似たような挙動を起こしたウマ娘がいたみたいなんだ」

「それが、この方々ということですか?」

「そういうこと……なん、だけ、ど……」

「その挙動を起こす為の条件と言いますか、彼女達に共通する『点』を見つけられずにいる、と」

「……そうなんだ、あまりに共通点がなさ過ぎる。解析すればするほど『神はいる』としか、思えなくなる。僕は、僕はまさしくそれを否定したいのに」

 

……行き詰まりに突き当たり、僕は目の前の方眼紙を、またしても丸めて放り投げる。

 

「……トレーナーさん?」

「……アルダン?」

 

放り投げた先、テーブルランプにぼんやりと溶かされた輪郭が浮き上がる。アルダン、何処にいるとも知れぬ神さまなんかより、僕が何よりも信じられる存在。思考の端を止め、僕は思わずその甘美な姿に見入ってしまう。

 

「とりあえず、換気でもしましょうか。この部屋、すごく空気が重たいですよ?」

「……うん、確かにそうだね。ありがとうアルダン、ひとりじゃ気付けなかったよ」

 

くすりと口角を上げた後、彼女は一息ランプを消して、僕の背後に堅く閉じられたカーテンと窓を解き放つ。ふわりと漂ってきたアザレアの蜜の香りが、僕の脳細胞を予想外にくすぐってきて。

 

「……ふう、見てくださいトレーナーさん?今宵は星が綺麗ですよ?」

「ああ、ほんとだね?すごくすごく、綺麗だ」

 

彼女が真っ黒な夜空に向けて指先で引いたのは、広大に輝く、オリオンの線だった。

 

「ふふっ、この星空はやはりいつどこで見ても変わらず綺麗ですね?子供の頃、病室の窓からもよく眺めていたものです♪」

「そうだね、僕が子供の頃からも、変わらず綺麗だ」

 

彼女と共に見る、四角い宇宙。子供の頃から相も変わらず、それらはまさに僕のために輝いているように感じて……僕は一歩も動かずに、口も挟まずに、ただそれを眼差しだけで、見つめていた。

 

「……この星空もさ、子供の頃から数えればもう何百、何千回と見てきたけどさ」

「ええ、はい」

「やっぱりどの星も、星座も、何年、何十年経っても。同じ形のまま、ぐるぐる回って、回って、回っているんだなぁ、って」

 

覗き込む、いつもの窓枠フレームの中。まるで閉じ込められたビーズがカラカラと回るように、それらはいついかなる時も周期的に訪れ、去りゆき、また訪れる。オリオンも、カシオペアも、デネブ、アルタイル、ベガも。

 

「現代じゃもはや笑い話だけどさ、正直こうして見てれば『回ってるのは向こうの方だ』って思うほうが、むしろ普通の感覚だよね」

「『天動説』というものですね?確かにこの星空を見て、実は回っているのが自分達の方だ、なんて、そうそう気付きはしないですよね?」

「ね、ほんとこの世界って、面白いな、ほんと」

 

彼女を真似て、僕も真っ黒な夜空に指先を尖らせてみる。自己感覚の定規を這わせて、オリオンを、なぞる。流石は神話の大英雄、そのあまりの強大さに、思わず立ち眩みすら覚えてしまう。けど。

 

「世界って、本当に広いですから♪『自分の感覚』というものが、如何にちっぽけなものなのか……この景色を見ていると、思い知らされます」

「………………」

 

力強い彼女の言葉に、奮い立つ僕の足腰。この高潔なる輝きは、きっと『奇跡』なんかじゃない。

 

「でもまあ、もしかしたら昔の人達にとっては、それこそが最大の自己証明だったのかもしれないね。『自分達の居る土地や自分達の信じる神さまこそが、唯一無二の世界の中心である』という事実って、今じゃ想像つかないほど、大切なものだったのかもしれない」

「確かにそうかも……いえ、間違いなくそう、でしょうね。昔は今よりもずっとずっと、神というものが身近な存在でしたから」

「っと、どちらかと言えばアルダンの得意分野かな、これは」

「そうですね?例えばあのオリオンの母である地母神ガイアが、この世全ての大地を生み出した……と伝えられるギリシャ神話の成立が、およそ紀元前1500年のこと。対してコペルニクスが地動説を唱えたのが確か、1543年の事……その間、実に3000年の積み重ねの差がありますから」

「3000年、かぁ……」

 

思った通り、語調が強まる彼女の姿をほのか暖かく見守った後……僕は再び、夜空を睨む。

 

「地動説なんてものが語られ始めて、世界の常識がどんどん塗り替えられて……この大地も星空も、どうやら神さまが創ったものなんかじゃないらしい。なんて当時の当事者達からすれば文字通り、天地がひっくり返るような感覚だったんだろうね。それも大抵の人にとっては、悪い意味で」

「それは、そうでしょう。比喩でもなんでもなく、家や仕事場、たまの息抜きや心の拠り所……そんな生活の基盤ごと、根こそぎ『破壊』されてしまうようなものでしょうから。そんな人々にとっては、コペルニクスやガリレオ・ガリレイらの姿は、まるで怪物のように……いえ、貴方のご趣味に合わせて言えば、『怪獣』のように見えたのかも、しれませんね」

「……建物を、街を、世界の全てを破壊し尽くす、神殺しの『怪獣』か」

 

あの夜空に、線で結ばれ凛々しく立つオリオン。古くから人々に親しまれ、時に奮い立つ勇気を、時に暖かな安らぎを人々に与えてきた、大英雄。

しかし、その線を断ち切り解体してしまえば、それは勝手に紐付けられていただけの、ただの無関係の恒星達と化す。

例えそれこそがこの世の真実だったとしても……その行いはまさしく、大英雄殺しの重罪、なのだろうな。

 

「ふふっ、私には解りますよ。貴方の今、考えている事」

「……解っちゃう?流石、アルダン」

「いかがです?この世界の『怪獣』になる覚悟は……ございますか?トレーナーさん」

「子供の頃は、ヒーローの方に憧れてたんだけどなぁ」

 

真っ黒な星空に背を向けて、僕は再び、真っ白な方眼紙に目線を向ける。神殺し、大英雄殺し、みんなが憧れる、ヒーロー殺し。僕がやろうとしていることは、きっとそういう事なのだろう。

 

が。

 

「だけど、ああ。僕はなるよ、『怪獣』にでもなんでも」

「……!」

 

僕はもう一度、もう一度、もう一度、何度でも、そこに線を引く。

オグリキャップ、タマモクロス、シンボリルドルフ。『奇跡』に選ばれし特別な星達を結んだ先……その先で露わになる形こそがきっと、この世界に巣食う『神』の姿。その正体。

 

そしてやはり、どうしても、誰に何と言われようとも。

僕はその正体を、それでも『解体』してみたい。結ばれたその姿を、この鋭い爪で切り裂き、牙で噛みちぎり……そうして衝動のまま、貪り喰らい尽くしてみたいと、そう、思う。

 

「どんなに荘厳で、絶対的な力を持った神さまがいたとしても。君を、メジロアルダンを救ってくれないというのなら、僕にとってはそんなもの、祈る価値もない」

「…………トレーナー、さん」

「と、言うのももちろんある、けど」

「ある、けど?」

「単純に、気になるでしょ?あの急加速の謎。オグリキャップの快進撃の秘密。ウマ娘と人間が生きる、この世界の正体、なんて。解き明かすの、絶対、絶対楽しいじゃん!」

「……ふふっ?確かに、大いに気になりますね♪」

「そんでもって、解き明かしたその知識や技術をこの世界中にばら蒔いてやったら……世界中のウマ娘が全員あの急加速を使えるようになんてなっちゃったらさ。そっちの方が今よりずっと面白い世界、面白いレースになりそう、じゃない?」

「ふふっ?そうなれば私たち、偉人として教科書に載ってしまうかもしれませんね?コペルニクスや、ガリレオ・ガリレイと同じように♪」

 

ペン立てから無造作に一本掴み取り……彼女は僕の引いた線の上を踏み散らかすように、彼女自身の線を、堂々と引き示す。

そして、真っ白な方眼紙上に現れる、二つの線が交わる漆黒の中心点。果たしてこの『点』には、一体どんな意味があるのだろうか。夜空のどんな星よりも輝いて視えたそれに向け、僕は無意識に、指を伸ばす。

 

「そうと決まれば、私もお手伝いいたします♪私の知識でお役に立てるかは、分かりませんけれど……」

「いやいや、アルダンもいれば百人力だ……けど、もうそろそろ寮の門限じゃないの?」

「……いかがでしょう?『寮の門限』という常識もまた、二人で破壊してみませんか?」

「それは、その……君がもう少し、大人になってからね!はいはい、寮までは送るから、今日は帰るよ!」

「ふふっ、了解です♪では、歩きながら意見交換会でも……ああ、そういえばディクタさんが先日気になる事をおっしゃっていましたね?たしか、かくかくしかじかと……」

「ふむふむ?なるほど……そうなると……どういうことだ……?」

 

今日も廻りゆく星空の元、唸り声を上げながら大地を闊歩する、二匹の怪獣。

例え天の神さまでも、大地の母だろうと、僕らのこの『好奇心』という名の破壊衝動だけは、決して奪えやしないのであった。

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