メジロアルダン短編集『to the MEJIRO ARDAN』   作:いずさわ

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アイム・ア・ビリーバー(+サクラチヨノオー)

「ふっ、ふっ……はあっ……!」

「まだまだ!あと一分!」

「っ……はいっ!」

 

一段とギアを上げていく、ランニングマシンの駆動音。ウマ娘達の熱量と制汗剤の香り立ち込める第一ジム室の中で、滑り出す汗もそのままに目を細めるのは、もちろん我が担当ウマ娘、メジロアルダン。

 

「んっ……!はあっ、はあっ!」

「あと三十秒!頑張って!」

 

生涯に一度のクラシック戦線が幕を閉じ、彼女もとうとうシニア級の舞台に足を踏み入れ……てからも、もうじき半年か。春風とスポットライトに照らされた胸の高鳴るモードも過ぎ去り、今の僕らはただひたすら、差し迫った復帰戦に向けて粛々とトレーニングに励んでいたのであった。

 

「3、2、1……はい、そこまで!」

「っ……はあっ……はあっ……ふぅ、これはなかなか、ハードなペースですね……」

「そうだね。この設定、思惑通り今の君の限界スレスレのペースだ、けれども」

「……メイステークス、東京2400」

「ああ、あのコース、あの距離。全力で走り切る為にはどれくらいの体力が必要か、君には、解るだろう」

「ええ、解っています、よ」

 

東京、2400。復帰戦にこのレースを選択したのは、もちろん今の彼女に最も適したコースと距離だと判断したから。だけどまあ、他意が全くないとは、流石に言いきれないか。

 

「ふふ、貴方もなかなか粋なことを考えますね?東京レース場の、あのターフ、あのゴール板を私の復帰の第一歩目にしてしまうなんて……」

「ふっ……ふっ……」

「まあ、ね?別に気にしてる訳じゃないにしてもさ、たまにはそういうドラマや演出だって、必要でしょ?」

「ふっ……ふっ……」

「ええ、もちろん♪この舞台を用意してくれた貴方の期待に応えられるように……そして、丸一年前の『あの日』の思い出を、足蹴にできるように……不肖メジロアルダン、全力で、頑張ります♪」

「ふっ……ふっ……」

「ああ、その意気だよアルダン!それじゃあ、次は……」

「ふっ……ふっ……はあっ……!」

「次、は……」

 

互いの気持ちを確認しあって、より一層研ぎ澄ました表情を浮かべるアルダン。そんな彼女に、まるで見惚れるように吸い込まれてしまう僕の視線……

 

の、端っこの方に延々と映り続けていたのは……

 

「ふっ……ふ……あっ!……っ、はあっ、はあっ……!」

「………………」

「………………」

「……ふふっ!いかがですアルダンさん!なんと今日は、アルダンさんより32秒も長く走っていられましたよ!スタミナ勝負、私の勝ちですね!」

「そ、それはそれは、流石ですね、『チヨノオー』さん?」

 

それは他でもない、アルダンの大親友にしてルームメイト……そして、最大のライバルたるウマ娘『サクラチヨノオー』。息も絶え絶えにお隣のランニングマシンから下りてきた彼女は、何故だか満足気な表情を浮かべながら、アルダンに向けて堂々と勝利のVサインを掲げるのであった。

 

「それで?それで?次は何をするんですか!アルダンさんのトレーナーさん!」

「えっ?いや、えーと……あっちのマシンで、フィジカルトレーニングでも、やろうかなって……」

「了解です!何キロの重量でやるおつもりでしょうか?私はそれに、プラス10キロでいきます!」

「あ、あー、いやでも、やっぱりランニングマシンでもっと詰めようかな?もう少し高速度で、短いスパンで……」

「なるほど!それは具体的にはどれくらいの速度で?私はそれに、プラス10キロで走ります!」

「いやでも、あんまり根詰めすぎるのも良くないし、ここらで少し休憩時間に……」

「確かに、それもそうですね!休憩時間は何分程ですか?私はそれに、プラス10分で休みます!」

「……あー」

 

なんとも返答に詰まる僕に向かって、ぐいぐいぐぐいと距離を詰めてくるチヨノオー。何故だか地元の友達が昔飼ってたチワワと柴犬の顔を思い出してしまい、思わず吹き出しそうになる口をなんとか噤みつつ、僕はとりあえずアルダンに指示を飛ばす。

 

「じゃ、じゃあとりあえず、10分休憩!で、いいかな、アルダン?」

「え、ええ、かしこまりました」

「では私は20分程休憩してきますね!それでは、またのちほど!」

 

ドドドドドドドドドド……

 

「……ねえ、アルダン?」

「は、はい、トレーナーさん」

 

そんな言葉もそこそこに、彼女は勢い良くこちらに背を向け、バクシン的な勢いでジム室を後にする。なんだかサクラ違いな引っかかりを残しつつ、僕らは当惑の表情のまま、互いの顔を見合わせた。

 

「気のせいかもだけど……なんか今日のチヨノオー、変じゃない?」

「気のせい、では無いと思いますね……今日と言うより、先日からなのですが……」

「そうなの?」

「ええ、例えば……」

 

──────────────

 

「ふぁ……あら、まだこんな時間なのね?ふふ、もう少しだけ眠っていられ……えっ、チヨノオーさん?」

「あっ!アルダンさん起きましたか!起きましたね!?」

「え、ええ、まあ……チヨノオーさんこそ、随分お早いお目覚めですね?」

「ふふふ!やりました!今日はアルダンさんより、23分も先に起きれました!早起き勝負、私の勝ちですね!」

「えっ、え、ええ?それはそれは、おめでとう、ござい、ます?」

「ふふふ、ふふふふふ……ふぁぁ……では私はこれにて、もうすこし、ねむらせていただきますね……」

「え、えっと……おやすみなさい?」

 

──────────────

 

「ふぅ、ご馳走様でした♪」

「あっ、アルダンさん!朝ごはんもう終わりですか!?」

「あらチヨノオーさん。そうですね、そろそろ登校の準備をしなければ、なので」

「ふっふっふ……やりました!今日はアルダンさんより二杯も多くご飯をおかわりできました!大食い勝負、私の勝ちです!」

「え、ええ、そうですね?朝ごはんは一日の元気の源なので、いっぱい食べるのは大事ですから、ね?」

「では次は、登校時間の速さでも勝たせていただきます!それでは!」

「え、えっと?」

 

──────────────

 

「では次の問題を……誰か、わかる人?」

 

「ええと……は

「はいっ!はいはいはーい!」

 

「おっ?随分やる気だなチヨノオー?」

「ふふん!挙手の速さ勝負も、私の勝ちです!」

「勝ち……?まあいいや、答えは?」

「はい!答えは…………………………」

「……………………」

「答え……答え、は…………」

「……………………」

「…………ご、ごめんなさい!分かりません!」

「じゃあなんで挙手した?」

 

──────────────

 

「と、いう感じでして……」

「おお、それはまた随分と……」

 

頬に手を添え、憂いの表情を浮かべるアルダンに合わせて、僕もまた顎に手を置き思案する。自分の担当ウマ娘という訳ではないが、彼女にはなんだかんだで色々と世話になっているのは間違いない。何か問題を抱えているのなら、力になりたいとは素直に思うのだが……

 

「しかし、なんでしょう。なんと言いますか、ドロワの前に落ち込んでいた時のような、悪い感じではない気がしますね?あの頃よりも、もっとこう、むしろ生き生きとしているといいますか……」

「まあ、確かに思い悩んでるって訳じゃなさそうだね?となると、あんまり首を突っ込むのもよろしくない、かな?」

「ふふふ、まあ純粋に好奇心として気にはなりますけどね?あれからチヨノオーさんに、どういった心境の変化があったのか……」

「確かにねぇ……ま、それなら『奴』に直接聞いた方が手っ取り早いか。アルダン、ちょっとここで待っててくれる?」

「トレーナーさん?」

 

僕はアルダンに少し背を向けて、このジム室の奥、ひしめき合う大型マシンの陰に隠れた休憩スペースに歩を進める。と、そこに予想通り、ふてぶてしく鎮座していたのは……

 

「おい、何ボサっとしてんだ?ちょっとツラ貸せよ」

「……うおっ!?なんでここに居んの分かったんだよ!おっかねぇな!?」

 

他でもない、サクラチヨノオーのトレーナー。そのあまりに見知った、湿気た顔面なのであった。

 

「……まあ!チヨノオーさんのトレーナーさんではありませんか?こんな所で、何をなされているのですか?」

「い、いや、今日はチヨの自主練の日だからよ……こうして少しだけ、様子を見に来たっていうか……」

「嘘つけよ、三十分ぐらいはダラダラここにいただろ」

「だからなんで分かんだよ!怖ぇよ!」

「いいから聞かせろよ、チヨノオー、どうせ何かしらお前の差し金なんだろ?」

 

なんだかんだと言いたげな奴の目線を切り取って、僕は単刀直入、手短に質問をぶつけ倒す。こいつが出てくると、いつも話が長くなるからなぁ。

 

「あ?勘違いすんな。確かに俺も一枚噛んじゃいるが、あれは100%チヨの意思だ」

「まあ、チヨノオーさんの?」

「おうよ、ドロワが終わってすぐの頃、これからの事についてチヨと話し合ったんだよ。クラシックが終わって、これから何を目標にして走っていくか。それとも……ってな」

「……それで?」

「『メジロアルダンに、勝つ』。それが今の、自分の目標なんだとよ。そう、教えてくれたんだ」

「えっ?私に、勝つ?」

 

──────────────

 

「メジロアルダンに勝つ?いやそりゃ、もうダービーで……」

「いいえ、いいえ、違うんです。あの時はただ後先の事何も考えずにがむしゃらに、トレーナーさんの言う通りひたすら走ってたら、いつの間にか一着になってたというか……」

「…………なるほど?」

「あっ!べ、別にダービー勝ったの嬉しくなかったって訳じゃありませんよ!トレーナーさんには、本当に感謝しててっ!」

「……いや、いいよ、俺だって同じだからな」

「トレーナーさん?」

「ああ、いや、脇道に逸れちまったな。続けてくれ」

「は、はいっ!それでですね。先日のドロワでアルダンさんと踊った時、生まれて初めて明確に感じたんです。『この人に勝ちたい』って」

「勝ちたい、か」

「勝ちたい。たとえあの人の人生全てを奪ってでも……そう、思ったんです。間違いなくアルダンさんは、肉体的にも精神的にもあの頃よりずっと強くなってる。それこそもう、マルゼンさん達みたいな、圧倒的な存在になりつつある。昔の私は、そんな人達にただ憧れるしか出来なかったけど……だけど……」

 

──────────────

 

「……チヨノオーさんが、そんなことを」

「まあ、な。開口一番にそんなことを言い出した時は何事かと思ったが……」

「なるほど、ね」

 

奴の口から放たれたチヨノオーの想いに、並んで強く頷く僕ら二人。アルダンに勝ちたい、か。なるほど確かに……

 

ドドドドドドドドドドドド……

 

「ただいま戻りました!そろそろ20分ですよね!?」

「えっ、ええと、恐らくまだ5分程しか経っていないかと……」

 

「……いや、なるほどじゃないよ。話が繋がってないんだけど?今の話から何がどうなったら、ああなるんだ?ああ?」

「うるせぇな、急かすんじゃねえよ?今から言おうとしてたとこだろうが?ああ?」

 

「……あれ?トレーナーさんじゃないですか?いいところに出くわしましたね?ちょうど先程で私、99勝目を記録したんですよ!」

「きゅうじゅう?」

「きゅうしょうめ?」

「おおー!そうかそうか!よーく頑張ったな、チヨ!」

 

春嵐のような勢いで帰ってきたチヨノオーは、その勢いのまま手に持っていたノート……もとい、チヨノートを自慢げに掲げてみせる。その中にびっしりと書き込まれていたのは……

 

 

1勝目 日本ダービー!

2勝目 早起き勝負!

3勝目 大食い勝負!

4勝目 登校時間勝負!

     ・

     ・

     ・

 

 

「なんだこれ?」

「ふふふ……もちろん!私とアルダンさんの勝負記録です!」

「いつの間に、こんなに……えっ?『掃除で拾ったゴミの数勝負』に、『先生への挨拶回数勝負』?こんなことまで数えてたんですか?」

 

……そこには、几帳面に1から99まで重ねられた、アルダンとチヨノオーの、勝負の歴史……?と、言えるのかどうか微妙なものもちらほらあるけど、とにかく何やら、チヨノオーにとっては大切なものらしい。どう反応を返そうか頭を捻っていると先に聞こえてきたのは、いつもの無駄にけたたましい声であった。

 

「名付けて、『サクラチヨノオーVSメジロアルダン!炎の百本勝負!』」

 

「そのまんまじゃん、何が『名付けて』だよ」

「さっきの話の後、俺が提案したんだよ。ダービーを1勝目として、日常生活でもトレーニングでもなんでもいい、メジロアルダンに百回勝負を挑んで、百勝してみせろ!ってな!」

「なんだその奇特な儀式……あとやっぱお前の差し金じゃんかよ」

「ああ?分かってねえなぁ?これは言わば『勝者の思考』を身につけるトレーニング!常日頃から勝つための手段について考え続けることで、本番のレースでもそのメンタルを当たり前に引き出せるって寸法よ!」

「ま、まあ確かにこれだけ勝利を積み上げるなんて、並大抵の気合いでは……あら?しかし今日の英語の小テストは、私の方が点数が高かったような……」

「それはそれ!これはこれ!チヨが勝負だと認識しなければ、それは勝負ということにはならないんだよ!」

「いいのか、それで?」

 

なんだか色々とツッコミどころはありつつ、しかしまあ、言ってること自体は分からなくも……?

 

「と!いうわけですアルダンさん!早速百本目の勝負をしましょう!何で勝負しますか?相撲ですか?腕相撲ですか?指相撲ですか?どんな勝負でも、今の私は負ける気がしませんっ!」

 

「う、うっ……!?」

「ち、チヨノオーさん、なんという自信に満ち溢れた表情……!なんでしょう、これは確かに何においても、彼女に勝てるビジョンが浮かんでこな……」

「……!い、いや、大丈夫だよアルダン。確かにチヨノオーは強いけど、でも一番強いのは、絶対、間違いなく君だから!」

「と、トレーナーさん……!」

 

「はんっ!ま、そう来ねえとなぁ!」

 

何はともあれ、まさしく全てをなぎ倒すかのようなチヨノオーの気迫に、やや押し切られそうになるアルダン。その背中を支えるように、僕はできうる限りの澄ました声で、彼女へのエールを送る。

……そうだな、たとえくだらない奴の差し金だろうが、ただのお遊びだろうが……彼女に、『サクラチヨノオーに負ける』事だけは。僕も、そしてきっとアルダンだって、とても、とても看過できないことなのである。

 

「よっしゃ!じゃあ決まりだ、全員表出ろ!」

「ああ?なんだよ急に?」

「決まってんだろ?記念すべき百本目の勝負だよ。丁度全員揃ってんだ、やる事は、一つだろうが」

「……ああ、なるほどな」

「ふふふっ?なんだか面白くなってきましたね♪」

 

──────────────

 

 

「それじゃ、二人とも準備はいい?」

「ええ、もちろん♪」

「準備万端ですっ!いつでもいけますよ!」

 

「よーし。それじゃ、位置について、よーい……スタート!」

 

「ふっ……!」

「はあっ……!」

 

夏を間近に控えた、鮮烈な青い風が吹きすさぶ、学園内ターフ。彼女達はそんな向かい風もものともせずに、その大地を踏み締め、どんどんと加速していく。

 

「東京……じゃねえけど、芝!2400!やっぱあいつらの決着と言えば、ここしかねえな!」

「……ま、たまにはそういうドラマや演出だって、必要かな?」

 

「ふっふっふっふっ……ふふふっ♪」

「はっはっはっは……おりゃぁーっ!」

 

かくして、サクラチヨノオーVSメジロアルダン、炎の百本勝負の百本目、併走対決の火蓋は切って落とされたのであった。

 

「……っと、先に謝っとくぜ。悪いな、俺たちの自己満足に付き合わせちまって」

「……ほんとにな」

「『勝者の思考』を身につけるトレーニング……ってのももちろん嘘じゃねえがな。一番は、あんまり拘らずに、重く考え過ぎないようにして欲しかったんだよ、『メジロアルダンに勝つ』なんて目標をな」

「………………」

 

コーナーに差し掛かって、1~2バ身ほどアルダンが前に出る。このつまらない世界そのものに風穴を空けるべく研鑽を重ねてきた、鋭く強い鋼鉄の剣のような脚が、今日もターフに突き刺さる。

そんな様を後ろから見つめるチヨノオーの瞳は、まるで……いや、なんだろうな、わかんないや。

 

「拘りすぎてたんだよな、ダービーに。ダービーの為だけを想わせて走らせ続けてりゃ、そりゃダービーが終われば当然空っぽになる。チヨの事、空っぽにさせちまったのは、俺のせい、だったんだ」

「……ふーん?」

「だから、チヨノオーの口から次の目標が……『メジロアルダンに勝つ』って言葉が出た時。俺はしばらく悩んだ。こりゃいずれ、あの時と同じになるんじゃねえか、って」

「そうだな、ま、アルダンは負けないけど」

「それで、百本勝負を提案したんだ。次の目標は、そう重く捉えすぎないように、遊びの延長くらいに捉えて欲しかった。メジロアルダンに勝つなんて、そう拘らなくてもいつでも出来ることだから。だからレースはレースでそれなりに無理なく頑張って、そして最後まで二度とあんな怪我もせず、二度と……あんな悲しい顔もせずに、笑顔のまま、ターフを去っていって欲しいと思ったんだ」

 

代わりに、奴の言いたいことには覚えがあった。そうだな、ウマ娘だってその中身はただのうら若き少女。怪我をすれば痛いし、届かない望みがあれば、精神だってすり減っていく。

レースを好きでい続けることだって楽な事じゃない、のであれば。好きでい続けられるように望みの方を下方修正していくのだって、ひとつの幸せの形であって……

 

 

「思ったんだ……が!」

 

 

「あ?」

 

……なんて僕の思考を遮るように、相変わらずけたたましい声が鳴り響く。

 

「やっぱすげえよチヨは!こんな俺のチンケな思惑なんて……簡単に飛び越えていきやがった!」

「う、うるせーうるせー、耳元で叫ぶな」

「……百本勝負だって、やれて一日一回、二、三ヶ月くらいでコンプリートってぐらいを想像してたんだがな。あいつ、たった三日でこなしやがったんだよ。ただひたむきに俺を信じて、自分に出来ることを探して、一つずつ、一つずつ、な」

「………………」

「逆だ、『ひっくり返す』んだよな。憧れるものがなくなって走れないんなら、逆に言えば。憧れさえあれば……チヨは、無敵だ」

 

二人の姿がバックストレッチに切り込んでいって、レースはおおよそ中盤戦。

そして彼女は、サクラチヨノオーは。アルダンとの位置関係はそのままに、やはりただ純粋に、ひたむきにその背を見つめていた。その心は、やっぱりよく分からないけど。

 

「お前とメジロアルダンは、やっぱすげえな。この世界ごとひっくり返してやるなんて、まだ誰も見た事ねぇ景色を目指して走るなんて、そんな途方もない欲望、俺たちには抱えきれねえよ」

「ああ、そうかよ」

「だが、俺たちは俺たちだ。マルゼンスキーを目指したように、日本ダービーに焦がれたように。誰になんと言われようと、俺たちは俺たちが『憧れたもの』に向かって、ひたむきに、一直線に走っていくだけだ!」

「……なんだよ、結局今までと同じじゃんか?」

「おうよ!ウジウジすんのは、やっぱ性にあわねーらしい!」

 

何故だか満足気な表情を浮かべながら、奴は僕に向けて堂々と勝利のVサインを掲げてくる。もう勝ったつもりか?なんてツッコミを入れようとも思ったが、長くなりそうなので、やめた。

 

「ふぅ……チヨーーーーーーーっ!『アレ』やるぞ!『アレ』!」

「はぁ……はぁ……えっ!?あ、『アレ』ですか!?アレ、練習ですらまだ一回も成功してないじゃないですかーーーっ!」

「心配すんなーーーっ!お前ならできる!あのメジロアルダンに、99回も勝ったウマ娘ならなぁーーーっ!」

「…………!」

 

まるで夏を消し飛ばすような、轟々と吹き荒れる春嵐のような大声を、よりにもよって僕の真隣で奴は解き放つ。慌てて両耳を塞ぎながら、僕はただ、その様子をこの眼で視つめていた。

 

「何か、してくる?ふ、んっ!」

「逃がしません、逃がしませんよ!メジロアルダンっ!」

「……!?」

 

「……えっ、あれは?」

 

状況をいち早く察して、チヨノオーと距離を取ろうとするアルダン。しかし、そんな事などものともせずにチヨノオーは急加速を初めて、ジリジリとその差を縮めていく。そして……

 

「ふん……ぬぅぅぅぅぅうっ!!!」

「っ……!サクラ……チヨノオー……!」

 

「……はぁ?競り合い?嘘だろ、まだ800はあるぞ?」

 

そして彼女は、アルダンの左横にピッタリと張り付き、壮絶な競り合いを……競り合い?

いや、あの距離感はもはや競り合いと呼べるのか?例えるなら、土俵際のせめぎ合い、みたいな……

 

「チヨの最大にして最強の武器は、『体幹の強さ』と『重心のバランス』!タイマンでの競り合いなら、シンボリルドルフだろうがタマモクロスだろうがオグリキャップだろうが、誰にだって、負けねえよ!」

「くっそ……急に調子付きやがって……」

「おうよ!どんな無理な体勢でも、どんな障害物があろうと、ひたむきに前に走り続けられるウマ娘、それが、それこそが『サクラチヨノオー』だァ!」

 

そんな奴の言葉を体現するかのように、アルダンの左横を頑として譲らぬまま、前に、前にとその身を猛らせるサクラチヨノオー。対して、まるで十数人ものウマ娘に囲まれているかのように、如何せんとも出来ずにただ歩を進めるだけの、アルダン。一切他のものに目もくれず、ただひたすらアルダンだけを見つめて、アルダンだけに狙いを定めて猛追するその姿は、なるほど、わざわざ名指しで『アルダンに勝ちたい』と豪語しただけの事は……

 

「へへん!どうだよ?流石のお前でも手も足も……」

「…………目も、くれず、か」

「……ほんっとおっかねえな、こいつ……!」

 

第4コーナーも終盤戦……恐らくこのまま最終直線に入れば、その瞬間にチヨノオーはアルダンを突き放しにかかるだろう。一人包囲網に巻き込まれ疲弊した、アルダンの集中力がプツリと切れるタイミングを、狙いすませて……

 

つまり、逆に『ひっくり返して』言えば。

最終直線に入るその時、それこそが、チヨノオーが最もアルダンに『集中』する瞬間。きっとその瞬間チヨノオーは、100%の集中でアルダンを『観察』するはずだ。

 

ではもし、その瞬間にものすごく『想定外』な事が起きれば?

 

「…………っ、アルダァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァンっっっ!!!!!」

 

「っ、うおっ!?マジかよ、こいつッ!」

 

 

「……!ふふっ、ふふふふっ♪」

「はあっ……はぁ……えっ!?ア、アルダンさん、笑っ……!?まさか、何か思いついて……」

「ふふ、いいえ?『今は』まだなにも♪」

「……?」

「けれども、ええ、トレーナーさんが……あの人があの表情を浮かべるということは、間違いなく『答えはある』ということですから♪」

「………………???」

 

両の耳をピコリと立てて、こちらの声に反応したアルダン。彼女はそのまま……チヨノオーには目もくれずに、自らの周囲を、淡々と見回し始める。

 

「いつだったかな、お前、言ったよな。『トレーナーは辛い仕事だ』、『送り出したら最後、指を咥えて見てるしかない』なんてな」

「……それが、なんだよ?」

「後者は、同意してやるよ。確かに送り出したが最後、トレーナーにできることなんてない。だけどな、僕はその事が辛いなんて、一回も思ったこと、ないね」

「…………?」

「何かしら、きっかけさえあれば絶対に彼女は『気付く』から。どんな絶望的な状況でも、観察して、考察して、道を切り開くウマ娘。それが、それこそが『メジロアルダン』だ」

 

ようやくコーナーを抜け、いよいよ最終直線へと差し掛かったレース。僕の見立て通り、チヨノオーは今まで以上に、アルダン個人に『集中』する。

 

それが、彼女の。

一対一の競り合い最強ウマ娘、サクラチヨノオーの『付け入る隙』だ。

 

「ふっ、ふっ、ふっ……」

「はっ、はっ……ダメダメ、集中しなきゃ……たとえアルダンさんが何をしてこようとも、私は私の、トレーナーさんが教えてくれた最強の自分を、信じるだけ……!」

「ふっ、ふっ、ふっ……」

「まだ……まだ仕掛け所じゃない、もう少し、もう少し……」

「ふっ、ふっ、ふっ……」

「まだ……まだ……まだ……!」

 

「まだ……まだ……ま……」

 

 

「────えっ?」

 

 

「っ!?チヨっ!『下』だ───」

「いや……もう、遅い」

 

刹那。サクラチヨノオーの視界から、メジロアルダンが『消失』したその瞬間……

 

そしてその消えたアルダンを探すべく、思わず辺りを見回して……

 

そうして、その最強の体幹に『ブレ』が出た。その瞬間に、勝負は決する。

 

 

ドンッ…………!

 

 

「はぁあああああああああああっ!!!!」

「っ……!メジロ……アルダンっ!」

 

その瞬間に、アルダンはその剣のような脚で地面を蹴り上げ、本日一番の猛スパートをかける。

そう、普段より深く深く体勢を落とし込んだ……一瞬だけ、チヨノオーの視界から消えるほどの前傾姿勢から始める、精一杯のスパートを。

 

「いや、ほんと運が良かったよ。コーナーの時点でチヨノオーにスパートかけられてたら、流石にあそこまで、体勢低く出来なかったからな」

「は、はあ!?なんだそれ!結局運か……」

「…………」

「いや、待ちやがれ。最終コーナーの最中の、お前の声掛け……そしてその後の、メジロアルダンの周囲確認……」

「…………」

「『メジロアルダンが、何かやる』と警戒させて、チヨのスパートを遅らせた?あの超前傾姿勢を、安全に遂行できる位置に来るまで……おいお前、どこまで視えてやがった?」

「さあねえ、後でアルダンに聞いてみたら?」

 

「はぁあああああああああああっ!ああああああああっ!」

「ぐっ……うりゃあああああああっ!あああああ……ああ……」

 

形勢逆転、振り切ったチヨノオーの足音を背に、振り向かず、一心不乱に駆け抜ける、アルダン。そしてそのチヨノオーの足音は、少しずつ、少しずつ小さくなっていく。

 

「いいな、この光景は、やっぱり何度視ても……」

 

 

「っ…………ファイッ……オォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォッ!!!!!」

 

「っ、チヨノ……オォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォッ!!!!!」

 

 

「…………っ!」

 

「っ、くっそ、勘弁してくれよ……」

 

全く、本当にどこまでもどこまでもどこまでもどこまでも……

真隣から発せられた無駄にけたたましい声、そしてそれに呼応して、再び轟々と鳴り響く、春嵐のような足音。

 

「メぇジぃロぉぉぉおお……アルダぁぁぁぁぁぁああああああああああン!!!!!」

「っ……サクラ……チヨノオぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!!!!」

 

薄氷を削り取るように、半バ身ずつその差を削り取っていくチヨノオー。負けじと前へと、前へとその鋭い脚を穿つアルダン。残り50M、迫り来る夏の気配よりもずっとずっと、世界一熱い場所が、そこにはあった。

 

「はぁあああああああああああっ!!!」

「うりゃああああああああああっ!!!」

 

ダンッ………………

 

「っ……」

「っつ……!」

 

二人ほぼ同時に、ゴール板を踏み抜く。ほんの少しだけ、体勢有利だったのは……

 

「……どうやら、百勝目はお預けみたいだな?」

「っ……ちっ、くしょぉおおーーーーっ!」

 

 

メジロアルダン、僕の愛した、最高のウマ娘だった。

 

 

「と、トレーナー、さん……!」

「……あ、アルダン!」

「ふふっ、いかがでしたか?貴方の期待に、私はきちんと応えられたでしょうか?」

「いいや……期待以上だ!いつもいつも、僕の想像を遥かに超えてくれて……ありがとう!アルダン!」

「いいえ?それもこれもトレーナーさんのおかげですから。こちらこそ、ありがとうございます♪」

 

こちらへ向けて一目散に駆け出してきたアルダンに向けて、こちらも全力で足を回す。改めてだけど、そうだな、この光景はやっぱり何度視ても、いい。

 

「っ、はあっ……!はあっ!はあっ!」

「……!チヨっ!大丈夫か!?」

「………………」

「よく頑張った!よく頑張ったよチヨ!本当に、本当に……」

 

「いいえ、まだです!!!」

 

「!?」

「!?」

「!?」

 

……不意に聞こえてきたそのけたたましい声に、その場にいた全員の背筋が伸びる。そんな雰囲気を察してか、察さずか、その勢いのまま、彼女はまくし立てるように話し始めた。

 

「言いましたよね!確かに言いましたよね!トレーナーさん自身が!」

「え?は?何を?」

「とぼけないでくださいよっ!言ったじゃないですか!『チヨが勝負だと認識しなければ、それは勝負ということにはならない』……って!」

「……は、はい、言いま、した」

「と、言うわけで!今の勝負は無効です!改めて……もう一回勝負!です!」

「は、はあ!?今からか!?」

「アルダンさんとアルダンさんのトレーナーさんも!いいですよね!いけますよね!?」

「えっ?え、ええーと……その、流石に2400全力をもう一本は、身体的にも……」

「あら?私は一向に構いませんよ?」

「アルダン!?」

「ただし……そのルール、もちろん私にも適用されますよね?そうでなければ、フェアじゃありませんもの……」

「えっ、いやそれ、延々に終わらなくない?」

「確かに……いいでしょう!フェアプレー精神はスポーツの基本ですからね!」

「いいのかよ!?」

 

先程のレースで発生した熱量そのままに色めき語り出す女学生二人、と、反比例するように青ざめだす成人男性二人……か、勘弁してくれ……さっき思いっきり叫んだせいで、もう喉が限界なんだ……

 

「お、おい、お前が何とかしろよ……!お前言い出しっぺだろ……!」

「な、何とかしろっつってもよぉ……どうしろって……あっ!」

「?」

「?」

 

……なんだか微妙に鼻につくドヤ顔を浮かべながら、奴はおずおずと二人の前に立つ。これは、期待していいのか?

 

「……ジャパンカップだ!」

 

「ジャパン?」

「カップ?」

 

……いいん、だよな?

 

「気が変わったぜ!お前ら二人の決着が、こんないつもの学園ターフで、いい訳がねぇ!」

「と、言うと?」

「芝!2400!そして……本物の東京レース場に、G1レース!お前らの決着の場は、ここでしかありえねえだろ!」

「お、おおー!確かにそうかもしれません!流石、トレーナーさんです!」

「だから……今年の十一月!ジャパンカップ!それまで勝負はお預けだ!せいぜい首を洗って待ってるんだな!」

「待ってるんだな!じゃないよ、何お前がアルダンのレース勝手に決めてんだ?」

「んだよ水差しやがって、我ながら妙案だと思うぜ?どっかの他力本願野郎と違ってな?」

「あ?」

「お?なんだやるか?」

「ふふふっ♪しかし私も良い考えだと思いますよ?メイステークスも良いですが、やはり『あの日』の思い出を足蹴にするならば、チヨノオーさんもいてこそ、ですから♪」

「あ、アルダンさん……!」

「……ああ、もちろんだよ、アルダン!と、言うわけだ。いつまでもグダグダ文句言ってる暇があるなら、今日の併走のフィードバック、だろ?」

「こいつマジでどついていいよな?」

 

……春風とスポットライトに照らされた、胸の高鳴るモードも過ぎ去り。鮮烈な太陽に暖められた上昇気流が、僕のシャツの隙間から入り込んでくる、そんな夕方の事。

 

「……アルダンさん!」

「ええ、チヨノオーさん♪」

「今度こそ、絶対に負けませんよ?」

「ええ、私だって。今度こそ、絶対に勝たせてもらいますからね?」

「……ふふっ!『敵に送るは渋ニンジン』です!首を洗って、待っていてくださいね!」

「ええ、楽しみにお待ちしておりますよ♪」

 

 

「……しかし、ジャパンカップかぁ……我ながらデカく出たもんだぜ」

「なんだよ、怖気付いたのか?」

「ったく、そんなのはなぁ……当たり前だろ?こないだまでトレーニングも出来ずに、丸ごと一年休養してたんだぜ?」

「……ま、そりゃそうか」

「だかまあ、宣言しちまったもんは仕方ねえ。ジャパンカップまで半年もあるんだ、もっともっと基礎体力取り戻して、競り合いももっと完璧に仕上げとかねえとなぁ……」

「─────」

 

 

「消えんじゃねえぞ、僕らが勝つまで、な」

 

 

「………………」

「……ん?なんで僕、そんなこと言ったんだ?」

「ははっ、心配すんなよ。お前らギャフンと言わすまで消えたりしねえよ、俺も、チヨノオーも」

「……ま、お前はどうでもいいけどな」

「んだと?」

 

吹きすさぶ夏の気配の、さらに向こう側に確かに視えた、冷たい冬の気配。逢魔ヶ時の冷たい風が喉元掠めて、僕は一つ、小さくくしゃみをした。

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