メジロアルダン短編集『to the MEJIRO ARDAN』 作:いずさわ
[おつかれ!]19:44
[明日の朝緊急でターフの整備が入るみたいだから、朝練は中止にするね!]19:45
「うーん……既読、付かないなぁ……」
午後十時十二分、本日の激務になんとか一区切りを付け、いつも通り殺風景なアパートに帰り、ルーチン的にシャワーを浴び、適当に買ってきたコンビニ弁当にありついて……
それでもなお、そのメッセージに対する応答はいまだなし。ほんの少しだけ昼と夜のバランスが変わってきた季節の、とある晩のことであった。
「アルダン、通知で見てくれてるかな?いやでもいつもは見たら絶対返事してくれるからなあ……どうしよう?最悪明日の朝から直接伝えれば……いやでも朝練もないのにわざわざ早起きさせるのも忍びないし……」
飲みかけのミルクティーをテーブルに置いて、着古しのスウェットに身を包み……携帯片手に重力に身を引かれ、脚付きマットレスの上にゴロゴロと転がり込む僕。さて、どうしたものか……刻一刻と迫る学園寮の消灯時間に急かされ、僕はそんな肉体と同時に、ゴロゴロと思考を重たく転がし始めた。
「……かくなる上は」
一向に変化の無いメッセージアプリの画面、その端の方に控えめに映る、『受話器のマーク』。パチリと目が合ったその呼び出しボタンを親指で指し示しながら、まだまだ、僕の思考は転がっていく。
「いや、いきなり電話ってどうなんだ?最近の若い人って結構電話嫌がるって言うしな……それに教え子とトレーナーとはいえ、プライベート時間中のやり取りってそんなにしない方がこのご時世いい気もする……けど、そんな事言い出したら普段から連絡取りづらくなるよなぁ……メッセージだったら、プライベートだろうとなんだろうと彼女も頻繁に送ってくるし、そういや彼女今は寮の部屋一人で使ってるんだったよな……彼女もそんな大声で話すわけないし、少し電話するくらいじゃ誰にも迷惑はかからないか……いやでも……」
そのマークから指を外して、何度かスポスポと画面を更新。してから再びそのマークを指先でなぞって、また更新……
そんな無意味な周回軌道を何十回繰り返しても、当然変わり映えしない画面と僕の脳内。埒が明かずに逸らした目線の先もやっぱり、書類の束と空き缶空き瓶が床にへばりついたままの、見慣れすぎた薄暗い僕の部屋。ほんと、なんだかなあ……彼女のトレーナーになってから早数年、こんな殺風景な優柔、そろそろやめにしたいのはやまやま、なんだけど。
「……でも、何もしないでアルダンが困るよりは、いい、いいよな?いいに決まってる……はずだ、うんうん、きっとそう……だ!としたらまずなんて話せばいいんだろう?『こんばんは!』は、なんかよそよそしいよなぁ……『良い夜ですね!』でもないだろうし……『よっ!元気?』……なんて柄でもないな……くそぅ、電話なんて最近めっきりしてないし……一体何から、切り出せばいいんだか──」
頭を捻って、また逆に捻って……そんな右往左往にいい加減に自分でも飽き飽きしてきた、その時。
「────あ」
ふと、見上げた目線の先。カーテンの隙間から優しい『月の光』が、まるで僕を誘うかのようにふわふわと射し込んできていたのであった。
「……『月が、綺麗ですね』。なんて」
プルルルルルル……プルルルルルル……
「ん?うおっ!?なんっ……僕、いつの間にボタンを!?」
プルルル……ガチャッ
「あ、え、ええーっと!?も、もしもし!?」
まるで導かれるかのように、いつの間にか通じていた僕と彼女の衛星周波数。まとまらない頭を無理やり押し込んで、自動音声の如く僕は口を開く、が。
『───ガサッ────ドタッ──ドタッ』
「……あ、アルダン?」
『─────────』
「…………お、おーい、聞こえてる?」
「─────は、はい、失礼しました。こ、こんばんわ、トレーナーさん」
ひどいノイズだらけの雑音。その向こう側からひょっこりと顔を覗かせた、彼女の……我が担当ウマ娘、メジロアルダンのいつものより少しぶっきらぼうな声色。そのなんとも言えない愛らしいかすれ声に、先程まで転がしていた僕の思考も、飴玉のようにほぐれ、優しく溶けていって。
「あ、ええと、今大丈夫だった?なんかすごい音したけど?」
『う、うふふ……実は突然貴方からお電話があったので取ったは良いものの、慌てて携帯を床に転がしてしまったのです……は、恥ずかしながら……』
「あらら……ごめんね?携帯大丈夫だった?」
『ふふっ、それは傷一つありませんでしたのでご安心を。とはいえ、あまり舞い上がり過ぎるのもよろしくありませんね?少し反省です♪』
「舞い上がる……?何か、嬉しいことでもあったの?」
『………………さあ、なんでしょう?』
「???」
そうして、なんだか引っかかる所はありつつも、それも含めて拍子抜けにつつがなく弾みだす会話劇。
なんか、なんだか、さっきまで悩んでたのがばかばかしくなるくらい。重力から解き放たれたように軽くなる肩と上唇の勢いのままに、僕はふわふわとその口を動かし始めた。
「ああ、そんなことより今日は月がき……」
『つきがき……?』
「じ、じゃなくて、そう、メッセージ!メッセージ送ったの見てくれた?」
『メッセージ……あっ!も、申し訳ありません!実は先程まで読書に耽っていて……ええと、ああ、朝練は中止、なのですね?』
「そうそうそう!いや、気が付かないまま無駄に早起きさせちゃうのも忍びないからさ、念の為電話したんだ。読書の邪魔しちゃったんだったらごめんね?」
『いえ、丁度一段落したところだったので。お気遣いありがとうございます、トレーナーさん♪』
「いえいえ、それほどでも……」
「………………」
「………………」
……あれ、要件終わっちゃった。
「……あ、ああええと、という訳で明日の朝練は中止だから、昼前には整備終わるみたいだから、放課後は、いつも通り……」
『え、ええ、承知しました。放課後は、いつも通りですね、ええ、ええ、了解です』
「ああ、それじゃ………………」
『………………』
「………………」
それじゃ、またあした。なんていつも通りの言葉が何故か出てこずに、重力波に飲まれ再びピッタリと張り付いてしまう、僕の上唇と下唇。なんだろう、別にもう用事なんてないはずなのに、この繋がりを断ち切りたくなくなってしまうのは。
「…………あ、アルダ」
『あっ、そうです!』
「んっ!?ん、ど、どうしたのアルダン?」
『トレーナーさんは今、ご自分のお家におられるのですか?』
「ああ、うん。自分ちにいるよ?」
『それでしたら……少し、お外を見ていただけますでしょうか?』
「外?」
これ幸いにと彼女からの導きに応えて。僕はのしかかる重力を振り切って、月光が誘うカーテンを開け放つ。
「───────」
『ふふっ?ね?今宵は『月が綺麗』でしょう?』
「ああ、ほんとにね、『綺麗』だ。心の底から、『月が綺麗』だ」
そこに浮かんでいたのは、ぽっかりとまんまるい満月であった。その引力で地上のもの全ての目線を吸い寄せてしまいそうな、大きな大きな満月、もちろん僕も絶え間なく、いともたやすく引き寄せられてしまうのだった。
『さて、ここで問題です♪私は今、どこにいるでしょう?』
「えっ、何?ミステリーハンター?どこにいるって……えっと、寮、だよね?そうじゃなかったら困るよ?」
『ぶぶーっ、残念でした♪私は今、貴方も見ている『月面』に来ています♪』
「えっ」
ああ、またなんか変なこと言い出したぞ……せっかく落ち着き始めた僕の思考をあざ笑うかのような彼女の奇言、ひとまず僕は、返す刀で言葉を紡ぐ。
「えっ?えっと、げ、月面?月面ってあの、月の面?」
『いかにも、あの月の面です。ほら、よーく見てください?今は丁度真ん中の大きなくぼみの、どまんなかにいますよ?』
「え、えーと、大きなくぼみ、大きなくぼ……って、見えないよ!サンコンさんじゃないんだから!」
『その例え、若い方に伝わりますかね?』
「逆に君には伝わるんだね……?」
無重力のように掴みどころのない、ノイズ混じりの彼女の声。それに呼応するかのように、天高く登る月も輝きを増して、殺風景な街をもミラーボールのように照らし出す。そんな彼女が本当に月面にいるのかどうか……は、とりあえず証明する手立てもないので、今のところは信じといてあげようかな、一応。
「それで、なんだってわざわざ月なんかに行っちゃったの?明日も学校でしょ?」
『それはもちろん……もちろん、ええと……そうです、うさぎさん!うさぎさん達と、お餅をつくためです♪』
「えっ、急に雑になるじゃん……んなベタな……」
『いつの間にやら今年もあと少しですからね?世界中の子供達に配る為に、今のうちからたくさん用意しておかないと……』
「年末と年始混ざってない?やだよ僕、靴下に入ってた餅食べるの」
『しかし、今年も世界中の良い子達の喜ぶ顔が楽しみです♪煙突からこっそりお家に入って、眠っている子供達に向かって…………悪い子はいねぇがぁああっ!!!』
「秋田中の悪い子達の泣き叫ぶ顔しか見れないよそれ?」
『っ……ふふっ!ふふふふふっ!やっぱり貴方は、最高ですね♪』
「……ふふ、もう、勘弁してよ?」
磁気嵐のように絶え間なく吹き荒れる、あまりに自由な彼女の妄言。そんな反力に身を任せ、僕は素足でフローリングを蹴って、2、3センチほど浮かび上がる。
「それで、月ってどう?楽しい?」
『ふふふっ♪ええ、とっても良い眺めですよ?地球がこんなに青かったなんて♪』
「へぇー?そりゃ羨ましいなぁ……」
『それにここではとっても身体が軽くて、地面を蹴ったらどこまでも飛んで行けちゃうんです。宙返りやトリプルアクセルも思うがまま、ですね♪』
「ふふっ?じゃあそっちだったら、僕とアルダンでも互角にレースができちゃうかもしれないね?」
『あら?ではお月さまをそのままターフにして走りますか?月面ダービー、ダート100000000Mですね♪』
「ふふっ……!あはははっ!過酷すぎる!ステイヤーズステークスも真っ青じゃん!」
床の空き缶も空き瓶も、重力に逆らってカタカタと音を鳴らす。飲みかけのミルクティーも、かたまりになってコップから飛び出していく。開け放った窓から月の光と引力を受け、天地がひっくり返った部屋の中。交信器片手に逆立ちしたまま、僕の喉からも、大切なものがふわりとこぼれ上がる。
「……ふふ、いいな。やっぱり君と話してると、楽しいや、アルダン」
『…………!』
「教え子とトレーナーとか、大人と若者とか関係なく、君と話すのは、本当に楽しいよ。明日も、明後日も、要件なんか無くてもずっと、こうして漂っていたくなっちゃうな」
『……ふふ?もう明日明後日のお話ですか?今晩もまだ、終わっていないというのに♪』
「確かに、まだ日付けも跨いでないもんね?」
『それに明日は、朝練もおやすみでしょう?朝一の直行便で帰れば、きっと学校にも間に合いますから……ですので、貴方も是非♪』
「ああ……それじゃ、今から『そっち』に行っちゃおっかな?」
彼女の誘いに合わせて、メリメリと音を立てながら空へと抜けていく、殺風景なアパートの天井。暗闇に光る天球に吸い寄せられて、根元から引っこ抜けていくビル群を横目に、遮るものも何も無い満点の夜空に向かって、僕は一飛び、地球を蹴り下ろし
ブツッ……
「…………え」
ピロン、ピロン
[申し訳ございません……]11:02
[消灯時間なので、ヒシアマゾンさんが見回りにやってきまして……]11:02
[もう少々お待ちください!またすぐにお電話します!]11:03
「………………っ、はぁーぁ……」
……月明かりだけが射し込む、殺風景ないつものアパート。飲みかけのミルクティーを一息で飲み干して、着古しのスウェットに身を包み……携帯片手に重力に身を引かれ、脚付きマットレスの上にコロコロと転がり込む僕。
けれどもその身に降りかかる重力は、いつのまにやら、体感六分の一くらいに軽くなって。
「ふふっ、次は何話そう?やられっぱなしも悔しいし、今度は僕の方から仕掛けてやろう、かな?地球の裏側に存在した幻の都から……いや、遠い未来世界のユートピアなんて……それか、もしくは……」
さて、どうしたものか……すっかり過ぎ去った学園寮の消灯時間を横目に、僕はそんな肉体と、それと目の前のフローリングにぼっかり空いた地底へと通じる大穴、あるいは壁に歪み開いたタイムトンネルと共に、コロコロコロコロと、思考を軽く転がし始めたのであった。