メジロアルダン短編集『to the MEJIRO ARDAN』 作:いずさわ
「トレーナー、さんっ……」
「っ、あ、アルダン……?」
使い古したトレーナー室の椅子が、ふたりぶんの体重をかけられギイギイと軋みあがる。窓の外、揺れる蝶の羽音すら聴こえそうなほど静まり返った部屋で、ウマ娘にしてはややひんやりとしたその身体を、僕の身に覆い被せて。
彼女は……我が担当ウマ娘メジロアルダンは狙いを定めた蛇のように、熱持った視線を、こちらに向けてきていた。
「ごめんなさい、トレーナーさん、私、がまんできそうにない、です」
「ちょっ……ま、アルダン……!」
よく熟れたりんごのように、真っ赤に染まる頬。上下するデコルテの隆起に余裕のなさを滲ませ、吐息と熱も伝わる温度と角度を保ったまま、彼女は限界のその先へと、腰を落とす。
「そ、それ以上は、まだ、だめ、だっ、だ、あ……」
そうして振り下ろされた彼女の唇は、僕の頬へと着地する。ウェットな生の効果音を耳元でわざとらしく鳴らし、黒子のひとつひとつ、そばかすのひとつひとつを丁寧に愛するかのように、フレンチに、何度も何度も彼女は口を尖らせる。
そして、今まで積み上げてきた僕らの関係も、まるで気の抜けた炭酸のように泡となって消えていくのであった。
「……アルダン」
「……トレーナー、さん」
そうして、仕上げと言わんばかりに彼女は僕の唇に自らの唇を、絡めつかせる。そこからは、言葉はなかった。ただ、互いの唇から漏れ出る多幸感に、ひたすら、ひたすら身を任せるだけなのであっ─────
──────────────
「うわぁっ!?あ、あれ……?」
使い古したトレーナー室の椅子が、飛び起きた僕の勢いに反響しギイギイと軋みあがる。窓の外、揺れる蝶の羽音すら聴こえそうなほど静まり返った部屋、そこにあったのは、僕の身体、ただひとつのみであった。
「……っ、うわぁ、マジか、僕」
『夢』……ってことでいいんだよな?だとしても、なんてもの見てるんだ僕……
「って、もう三時じゃん!は、早く準備しないと……!」
時計の文字盤を確認し、僕は寝ぐせで浮ついた自分の頭をわしわしと掻きあげる。今日は彼女とのミーティングの日、こんな惚けた顔を彼女に見られるわけには……
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『ごめんなさい、トレーナーさん、私、がまんできそうにない、です』
──────────────
「…………………………」
フラッシュバックした先程のあまい光景、僕は資料を用意する手を止めて、己が右手のひらを見つめる。本当にリアルな夢だったなぁ……彼女の、髪を撫でた感触も、首筋にかかった吐息も、身体の重みも、頬と、唇の湿り気も、いまだに全部、 この手の、なかに……
「って!思い出さなくていいから!集中集中!平常心、平常し……」
ガラガラガラ……
「ひゅおっ!?」
「っ!と、トレーナーさっ……!?」
と、実に個人的にタイミング悪く姿を表したのは……もちろん我が担当ウマ娘、メジロアルダンであった。身の危険を感じた猫のように後方飛び跳ねる僕を見て、彼女はいつも通りの、落ち着いた、表情で……?
「も、もう起きっ……で、ではなく、お、おちゅっ、おつかれさまですっ!トレーナーさんっ!」
「ん、んん?お、お疲れ様。あれ?それ、何持ってるの?」
「わっ!?こ、これはその、そう!ただの汗ふきシートです!最近暑くなってきたので、も、持ってきたんです!」
「あ、そう……」
……いや、何かおかしいぞ?
まるでいつも通りとは程遠い、露骨に慌てふためく彼女の姿。いまだかつて見たことの無いその姿に、僕はただただ目を丸くするばかり。
「…………」
「…………」
「……と、りあえず、ミーティング、始める?」
「はっ、はい!承知しました!」
何はともあれ、僕は手招きで彼女を呼び寄せて、テーブル越しに向かい合って腰掛ける。なんだかよく分からないが……アルダンだってうら若き女学生、あれこれしつこく詮索するのもよろしくはないだろう。
「そ、れ、じゃあ……まずは、今週のトレーニングのフィードバックからだね?今週は、ええと……」
「…………」
「アルダン?聞いてる?」
「あっ!はい!聞いてますっ!もちろん!」
「そ、それならいいけど。ええと、まず月曜日の……」
「…………」
「……僕の顔、なんか着いて」
「ふぐっ……!?つ、ついてないです!なにもついてませんからね!トレーナーさん!」
「え、ええ?」
いや、やっぱりよろしくはないな。とてもミーティングなんて出来る状態ではなさそうだ……しかし、一体全体彼女に何が……?
「…………」
「……ん?」
そういえば、今日はなんか全然彼女と目が合わないな。逸らされてる?というより彼女、何か別の場所を凝視してる、ような?
なんだろう、目線よりちょっと下。僕の顔の、下半分、辺り……
「……っ!?」
「えっ!?とっ、ととと、トレーナーさん!?いかが、いかが致しましたか!?」
「あ、ああ!なんでもないよ!?なんでも、なんでも……」
無意識に、本心を悟られぬように、僕は己が口元を、慌てて右手のひらで覆い隠す。
そう、『口元』だ。間違いなく、彼女は先程から僕の口元を凝視している。その熱持った視線は、さながら狙いを定めた蛇のように……
「……なん、でも」
口元、口、唇……
そうして、連想ゲームのように僕の脳内再びフラッシュバックしてきた、彼女の髪を撫でた感触、首筋にかかった吐息、身体の重み、頬と、唇の湿り気。
先程見た、あまい、あまい夢の内容。
……ほんとうに?
ほんとうにそれは、『夢』だったのか?
「トレーナー、さん」
「あっ!ああ、ああ!アルダン!?」
「その……本当に『なんでもない』のですね?本当に、本当、ですね?」
「あ、ああうん!全然『なんでもない』よ!ごめんねびっくりさせちゃって!」
「……それなら、よいの、ですが」
「あは、あはは……」
い、いやいや、あれが現実なわけがないだろう。いくら僕が無防備だからって、トレーナー室でアルダンが僕に、キ、キッ……あ、あんな事するわけないし?というかまず第一に、アルダンが僕にキ……あんなことする理由もないし?だから、あれはやっぱり間違いなく、夢に違いな……
「よかった、まだ、バレてないみたい……」
「…………」
……逆に、ひっくり返して考えてみれば。
もしもアルダンが、僕にあんなことをする『理由』があったとするならば?
今や、トゥインクルシリーズの中でも指折りの実力者に数えられるようになってきた、メジロアルダンというウマ娘。その強さの源といえば、類い稀なるレースセンスに観察眼。
そしてなにより欠かせないのが、他のウマ娘達を圧倒する程の、変化に対する『好奇心』。どんな無謀な策でも賭けでも必要とあれば臆さず飛び込むことのできる、末恐ろしい程の度胸と胆力を原動力に、彼女はここまで登りつめてきたのである。
そんな彼女がもし、あんなことやこんなことを『やってみたい』と、少しでも考えるようなことがあれば?
そしてそんな彼女が、のんきに眠りこけている僕の姿を目撃してしまったのなら?
……いやまて早まるな、いくらなんでも論理が飛躍しすぎだ。いくら度胸があるからといって、あのアルダンがそんな分別のつかないことをするはずがない。
それに、そんなことをする『理由』がある……すなわち彼女が僕に対して、そういった感情を持っているんじゃないか、なんてそれこそうぬぼれが過ぎるだろう。僕はただの冴えない新米トレーナー、そんな気持ちを彼女に抱かれることなんて、一切合切、断じてない、はず、多分、恐らく。
「………………」
「………………」
いやでも現状そうだとしか思えないんだよなあ!もしそうだとしたら彼女の今の態度、全部説明がついちゃうんだよなあ!そりゃ気まずいよね!さっきまであんな事してた相手とミーティングなんて出来るわけないよね!僕も今そう思ってるよ!
いやでも、だとしたらどうして今の彼女は、ひたすらオドオドしてるだけで、僕に何も言ってこない?そういう行動まで起こした上で、今更怖気付くというのは……まあ僕的には分からなくも無いけど、でも彼女的には少し不自然というか、彼女らしくないというか……
「と、トレーナーさんっ!」
「はっ、はいっ!?」
「ええと……その、今日はお互いになんだか調子が悪そうですね?ミーティングは、また明日にしませんか?」
「……アルダン」
僅かばかり、そのまなざしに不安の色を滲ませるアルダンに、思わず目を奪われる僕。
……そうだな、もし本当にそういう事があったのだとしても、アルダンだってうら若き女学生だ。いっときの気の迷いを起こしたり、憧れをこじらせてしまったりする時もあるだろう。もしかしたら、まだ自分の中でも答えが見つかっていない段階なのかもしれない。
「……そう、だね?じゃあミーティングは、また明日にしよっか?」
「ええ……ありがとうございます、トレーナーさん」
今にも震えだしそうな声をなんとか抑え込んで、僕はできうる限り落ち着いた声と表情で彼女に声をかける。そうだ、もし明日彼女がいつも通りの雰囲気に戻っていたならば、僕も今日のことは『夢だった』と結論付けてしまおう。
もし、そうでなかったとしたら……その時はまた、誠実に彼女と向き合うしかないな。曲がりなりにも僕は彼女の身を預かる者、どんな責任だって、受け止める覚悟はいつでも出来ている。
ま、まあでも。理由のかけらも分からない以上、本当に夢だったって可能性も全然あるけどね!だからそんなに身構えず、平常心、平常心で……
「というわけで、お、お昼寝!しませんか?トレーナーさん?」
「えっ」
「ほら、そのー……クマ、クマが酷いですよ?きっと寝不足なのですよトレーナーさん。椅子ではなくて、今度はきちんとソファーに横になって、一時間くらいぐっすり眠った方がよいのではないですか?」
「えっ、え、いや、実はさっきまで寝ちゃってたから、全然眠くはな……ん?『今度は』?さっきまで僕が椅子で寝てたの、知ってるのアルダン?」
「えっ………………と、そ、そんなことはどうだっていいじゃないですか?とにかくその、一回!一回寝ましょ?ね?ねっ?」
「……………………」
あれ?これ、もう一回チャンス狙われてない?全然迷ってないじゃん、むしろ目つきも覚悟も相当キマってるんだけど?
「あ、ああー……そ、そうだ!僕、このあと理事長に書類提出しに行かなくちゃいけないから……」
「だ、大丈夫です!それは私が代わりに提出してきます!」
「あ、あと今日はたづなさんに設備点検も頼まれてて……」
「そ、それも私が代わりにやります!」
「それと僕、さっきからちょっとトイレ行きたくて……」
「それも、私が代わりに行ってきます!」
「それは君が行っても意味ないよ?」
顔中をフレッシュなリンゴのように赤く染めた彼女を、どうにかこうにか宥めようとする僕……というかもしかしてこれ、とんでもない危機的状況では?生徒との不純異性交遊、なんて明るみに出ればトレセン学園始まって以来の大スキャンダルだぞ?
「ほら、トレーナーさん?今なら私のお膝まくらもつけてあげますよ?それにクリークさん直伝の子守歌もつけてあげます!ひとたび味わえば、八時間ほどたっぷり熟睡できるともっぱらの評判なのです!」
「そんなに寝たら夜になっちゃうよ!?いやほんと、いいから!全然眠くないから!」
「わ、分かりました……!ならばせめて目を、目だけでも瞑ってていただけませんか!?一分……いえ、三十秒でいいので!」
「そこまで!?そこまでしてでも!?怖いよ!どういう心理状態なの!?」
ま、まずい……このままではいけない……!彼女の、他のウマ娘達を圧倒する程の変化に対する『好奇心』、度胸と胆力、ターフ上では頼もしい彼女の性質が、これほどまでに恐ろしいものだったなんて……!
どうする?どうする?彼女明らかに錯綜しちゃってるみたいだし、ここは一旦ほとぼりが冷めるまで走って逃げ……れるわけないし、めちゃくちゃ嫌だけど、いざとなれば力で抑え込……めるわけもないな?くそ!ウマ娘ってズルい!
「む、むむむむむ……トレーナーさん……」
「わ、わかった、わかったから一旦落ち着こ?ね?」
「うう、一体どうすれば……こんなこと、トレーナーさんに気付かれたら、私、私……」
「……!」
ターフでも見たことが無いほどかかり気味の彼女……が、一瞬だけ放った、張り詰めきって、今にも壊れてしまいそうな弱々しい口調。
……そうだ、逆にひっくり返して考えてみれば。あのアルダンがそんな分別のつかないことをその意思に反して実行してしまう。ということはそれ即ち、それだけ強い『情動』を既に彼女は抱いてしまっている、ということだろう。明日明後日なんか待っていられないほどの、溢れそうな気持ちを、既に、彼女は。
だと、するならば。
「……ねえ、アルダン」
「っ、トレーナー、さん……!」
「大丈夫、大丈夫だから、落ち着いて、ね、アルダン」
だとするならば、『その時はまた』なんかじゃダメだ。僕は今、この場で、彼女と向き合わなければいけない。彼女を……一人のうら若き女学生の人生を狂わせてしまった、僕の責任として。
「正直に言えば、僕も『そう』だ。僕だって、『気持ち』は君と、おんなじなんだ」
「……トレーナーさん?」
「でもごめん、アルダン。『今』は、『今』だけは、どうしても君の気持ちには、応えることは、できない」
「………………」
「解ってくれ、アルダン。こればかりは、今はどうしようもないんだ。だから今日あったことは……今日限りの、あまい夢ということにしておいて、くれないかな?」
「………………」
張り裂けそうな胸を抱えながら、僕は出来る限り丁寧に、慎重に、真摯に、彼女に向けて一言一言、言葉を紡ぎ出す。そうだ、今は……今だけは君のその想いも、僕のこの想いも、静謐甘美な夢物語、ということにしておいてくれ、頼む、アルダン。
「辛いのは、わかってる、それだって僕も同じだからさ。でも……約束するよ。もう少しだけ君が大人になった日には、この夢も、必ず現実に……」
「っ……!も、もう!む〜り〜〜〜!!!」
「……えっ?あ、アルダン!?大丈夫?」
俯いたまま、黙って僕の言葉を聴いていてくれたアルダン……だったが、突然彼女は凄まじいエラーを吐き出した機械のように、声ににならない声で叫び始め、そうしてがくりと、膝から崩れ落ちたのであった。
これまでを遥かに凌ぐほど、見るからに異常な挙動。慌てて僕は彼女に向けて、右手を強く差し出し……
「……ん?」
……なんだ?差し出した僕の右手のひらに、なんだか見慣れない、鮮やかな、模様?
「って、これ……き、キスマーク!?えっ?なんでこんな所に?いつの間に!?」
「あっ……!と、トレーナーさん、それは、そのっ!」
突然己が手のひらに現れたショッキングピンクなキスマークに、ただただ困惑する僕……
もしかしてこれもアルダンが……いや、違うな?確か僕、この部屋で三時ぐらいに起きて、そして彼女が来る前に資料の準備をして……その最中に手のひらを見た時には、絶対こんなのついてなかったぞ?だとしたら、一体いつ、いつ、いつ……
「───────!!!」
「ああ、トレーナーさぁん……」
そうだ、僕がこの右手で『唇』を触ったのは、つい先程、彼女の視線に気が付いた瞬間に一度だけ……無意識に、本心を悟られぬように、僕は『己が口元』を、慌てて右手のひらで覆い隠したのだ。
慌てて取り出した携帯の、内カメラ。僕が覗き込んだのは、他でもない、自分自身の……
「……やだ、これが、僕……?」
「…………う、うふふ。お気に召していただけたのなら、何よりで……」
──────────────
そう、ですね……あれは確か、今から三十分前くらい、でした。
「トレーナーさん、おつかれさまで……トレーナーさん?」
「うーん……むにゃむにゃ……」
私がミーティングの集合時間より少し前にトレーナー室に到着すると……そこに待っていたのは、机に突っ伏して眠りこける、トレーナーさんの姿でした。
「ふふっ♪そんなに気持ちよさそうに眠ってしまって……なにか良い夢でも見ているんです……」
「……すう……すう」
「……………………」
「すう……う、うーん……?」
「………………………………………………」
何の気なしにその様子を眺めていた私でしたが……ふと、ひょんなことからトレーナーさんの唇の端が乾燥して、少し切れてしまっているのを見つけてしまって……
「少し、失礼しますねトレーナーさ……あ、あら?」
「う、うーん……?」
せっかくなので、持っていたリップクリームを塗って差し上げようと思ったのですが……
その時私は間違えて、色つきのリップを塗ってしまったのです。もちろん、すぐにティッシュで拭えば良いだけのお話、だったのです、が。
「…………ふふっ♪」
「ん……んぐ、う……?」
その時のトレーナーさんのお顔が、なんだか凄く……か、可愛らしくて……
それでつい『好奇心』が抑えられずに……ファンデーションに、チーク、マスカラ……手持ちのコスメで、トレーナーさんのお顔を一通りメイクアップしてしまったのです……!
パシャッ
「すう……むにゃむにゃ……」
「ふふふっ?我ながら力作ですね♪さてさて気も済んだところで、トレーナーさんが目を覚ましてしまう前に早く落としてしまいましょ……えっ?」
そしてフルメイクが完成し、満足してメイクを落とそうとした、その瞬間……!私は気が付いてしまったのです、メイク落としのクレンジングシートを、今日に限って忘れて来てしまったことを……!
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「それで、慌てて取りに帰ってる間に僕が目を覚ましちゃって、それで何とかして気付かれずにメイクを落とそうとしてた、ってこと、ね……」
「は、はい……本当に申し訳ございませんでした……」
顔中を青リンゴのように真っ青に染めながら、手にした汗ふきシート……もとい、クレンジングシートで僕の顔を優しく拭うアルダン。まあ、この顔を他の誰かに見られなかっただけよしとするけど……
「ほんと、君の『好奇心』には毎度毎度ヒヤヒヤさせられるなぁ……レースのときならいいけど、それ以外の時はちゃんと正直に言いなよ?別に怒ったりしないから」
「ふふ、了解です♪ところでトレーナーさん?先程の……ええと、気持ち……やら、夢……やらというのは、一体何と勘違いなされていたのですか?」
「えっ……!?え、ええと、それは、気にしないで!ほんと、ほんっとうにくだらない夢の話だから!」
「あら残念、実に好奇心くすぐられる話題でしたのに♪」
「そ、それだけはほんと勘弁して……」
真っ青から、あっさり再び赤く熟れる、なんとも都合の良い彼女の頬。まあなんともくだらないオチだし、さっきのあれもまた夢オチだったという訳で、まあ、めでたしめでたしってところかな……
……うん、めでたし、めでた
「トレーナーさん、なんだかがっかりしてません?」
「しっ!?してないよ!?全然!?」
「ふふ、まあ、なんの事だか分かりませんけど……けれども、貴方が私の事を本当に大切に思ってくれているということだけは、よーく伝わってきましたよ、トレーナーさん?」
「……ああ、もちろん、君の事は他の何よりも、何よりも大切にするよ、約束だ」
「ええ、それなら……私も言われた通り、きちんと待ってますよ?もう少しだけ、大人になるまでは、必ず……♪」
「……ほんとに、なんにもわかってないんだよね?」
「ええ、なんにも♪」
使い古したトレーナー室の椅子が、はしゃぐ彼女にもたれかかられてギイギイと軋みあがる。窓の外、揺れる蝶の羽音なんて聞こえないほど騒がしいいつもの部屋で、ウマ娘にしてはちょっっっとだけ自由奔放過ぎる彼女の笑顔。どろどろにあまったるい夢のようなその光景にまたしても目を奪われて、僕の今日の疲れも心配も、まるで気の抜けた炭酸のように泡となって消えていくのであった。
「あれ?そういえば僕って確か、机に突っ伏して寝てたんだよね?ええと、こんな感じだったのかな?」
「え?ええ、そうですね、その通りです」
「……その状態で、どうやって唇のひび割れに気付けたの、アルダン?」
「……………………」
「……アルダン?」
「………………………………………………」