メジロアルダン短編集『to the MEJIRO ARDAN』 作:いずさわ
マイノリティ・リポート(+アグネスタキオン)
「まあ……!見てくださいトレーナーさん、紅茶が光っていますよ♪」
「う、うん……これ、ほんとに飲んでもいいやつなの……?」
カーテンを締め切った、薄暗い理科準備室。アルコールランプで沸かしたビーカーのお湯の中に、黄色にピンクに水色……まるで異国情緒溢れるネオンサインのような茶葉が舞い踊る。
そんな美しくも奇妙な光景が僕の眼前に広がる、午後。
「では早速、ご相伴に預かりましょうか♪トレーナーさんは、何色のお茶が良いですか?」
「え、ええと、全然何色でもいいんだけど……これ、ほんとに飲んでもいいやつなんだよね……?」
彼女が、我が担当ウマ娘メジロアルダンが注いでくれたスカイブルーの液体。うん、香りだけはしっかりと渋めのアールグレイなのが逆に怖いというかなんというか……僕はそれを恐る恐る口元に運んで、ソーサーに戻して、また口元に運んで、戻して……
「くっくっく!安心したまえよ?この私がそんなところに、毒や劇物など仕込むように見えるのかい?」
「えっ、それは全然見えるけど……」
「ふふっ、本日はこんな素敵なお茶会にお招きいただきありがとうございます、アグネスタキオンさん♪」
そんな僕の様子をまざまざと観察するように、卓の向こうから顔を覗かせたのは『アグネスタキオン』。アルダンの後輩の、まだデビュー前のウマ娘で、僕らをこの治験……ではなくお茶会に招待してくれた、学園の中でもとりわけ悪名高い……ではなく、個性的で有名なウマ娘である。
「第一、ウマ娘の身体機能の探求と更なる発展を望むこの私が、当のウマ娘達に有害な物質など飲ませる理由がないじゃないか?冷静に考えれば分かることだろう?」
「……じゃあ、人間には?」
「第一、皆して私の事をやれマッドサイエンティストだの死神博士だの揶揄するがねぇ?化学というのは我々の暮らしを豊かにする為のものであって、その技術を我欲の為に振るうような者こそ、私が最も唾棄する存在なのだよ、分かるかい?」
「ねえ、ウマ娘はいいとして人間はどうなの?ねえ、アグネスタキオン、ねえ、なんで全然こっち見ないの?」
「……無理に飲む必要はありませんよ。信用出来ないのならば、捨ててしまいましょう」
「あっ!?や、やめるんだカフェ!そのまま流しに捨てるんじゃない!その紅茶、一般排水基準を満たしていないんだ!」
ぬるりと影から現れたマンハッタンカフェに睨まれ、ふらふらと目線を逸らすアグネスタキオン。本当に、掴みどころのないウマ娘だな……
というわけで今日僕とアルダンは、他でもない彼女に午後のお茶会へ誘われ、まんまとのこのこやってきてしまっ……有難く、馳せ参じたのであった。
「……まあ!香りに反して口当たりが軽くて、鼻に抜ける香りも素晴らしいですね?流石です、タキオンさん♪」
「お、おお、本当に怖いもの知らずだねアルダンは……」
「流石、アルダンくんはよく分かっているねぇ?これでも多少紅茶には煩くてね、被検体となる茶葉は妥協なく超一流のものを使用しているのさ!」
「毎度あんなに角砂糖塗れにしておいて、よく恥ずかしげもなくそんなこと言えますね……」
「あとあんまり、食べ物に向かって『被検体』とか言わないでほしいかな?」
僕の心配もよそに、相変わらずビカビカとやかましく光る紅茶に堂々と口をつけるアルダン。そしてその様を嬉々として見つめるアグネスタキオン。うーん……意外とこの二人、相性良かったりする、のか?
「さ、どんどん飲んでくれたまえよ?次は何色がいいんだい?」
「そうですねぇ……では、この赤色のものを♪」
「……お気を付けください、アルダンさんのトレーナーさん。こんな所にわざわざ招待するなんて、どうせアルダンさんを使って良からぬ実験でも企てているのでしょうから。どうか目を離さぬよう……」
「う、うん、それは僕も最初から疑ってるから、大丈夫だよ……」
マンハッタンカフェの忠告をしかと胸に刻み込み、今のところは朗らかにカップを交わしあっているアルダンとアグネスタキオンの姿を、僕はまじまじと凝視する。なんかこう、怪しげな薬品とか持ってないよな……?注射器はどうだ……?はたまたなんかこう、すごい光線銃とか、自動装着のロボットスーツとか……
「……ん!ふふっ、これも良いですね?光らせている成分の違いでしょうか、喉を通した時の感触が違っていて、面白いです♪」
「そうだろうそうだろう?赤色は自信作なんだよ!味だって先程のものより美味に仕上がっているだろう?」
「いえ、味はほとんど変わりないですが……」
「…………?」
「おや、如何されましたか?アルダンさんのトレーナーさん」
「あ、ああいや、なんでも……」
僅かに眉を吊り上げながら、僕はもう一度、二人の姿をこの眼で視据えてみる。が、なんだろうな。
『大丈夫』だと、そう視えた。アグネスタキオンのその身振り手振り口振りは……まあ、思っていた以上にエキセントリックではあったけど。けれども、少なくともアルダンに対して何か仕掛けてやろうという様子などは、特に感じ取る事は出来なかったのであった。
「……ちょっと、悪いこと考えちゃったかな」
「………………」
まあ、さしものアグネスタキオンとはいえ一学生なのだ。たまには普通に友達と親睦を深めたい時だってあるのだろう。僕は心の中で彼女に詫びを入れてから、吊り上げていた眉をリリースし、一息、肩の力を抜く。
「……おお、そういえば!この紅茶によく合う茶菓子を実験室で生成していたんだった!」
「うん、あんまり食べ物の事『生成』とか言わないでほしいかな?」
「まあ、お茶菓子ですか?丁度甘い物が食べたいと思っていたのです♪流石はタキオンさん♪」
「しかし、参ったなぁ……実はその茶菓子、少し増殖し過ぎて一人で運ぶのは骨が折れるんだよ……」
「増殖」
「というわけでそこの……アルダンくんのトレーナーくん!少しばかり、この部屋まで運ぶのを手伝ってくれたまえよ!」
「えっ?僕?えっ?なんで?」
「おいおいおい?まさか君はお茶会のゲストに荷物運びをさせるつもりなのかい?ちょっとそれは常識がなっていないんじゃあないのかなぁ?」
「あっ、うん?僕はゲストじゃなかったんだね?」
ヒラヒラと揺れる白衣の袖先で、唐突に僕を指し示したアグネスタキオン。やっぱりなんか、謝って損したかも……
「ああ、カフェはアルダンくんのもてなしを続けておいてくれよ?茶葉ならそこにたっぷりとあるからね?」
「別に私もホストになった覚えはありませんが……まあ、怪しいことがないかだけは見張っておきますので、ご安心ください、アルダンさんのトレーナーさん」
「ふふっ、お茶菓子楽しみにしていますよ?タキオンさんに、トレーナーさん♪」
「う、うん……まあ、待っててねアルダン?」
──────────────
「さてと、そのー、君の実験室?ってどこにあるのかな?……というかそもそもなんで学園内に君の実験室なんて場所があるんだ?」
「ふっふっふ?ああ、そうだね?君は大人しく着いてくるといいよ」
理科準備室を出て、僕は彼女の、アグネスタキオンの背を追い廊下を進む。窓の外には、いつの間にやら先行き怪しい梅雨場の暗雲が立ち込めていた。
「しかしまあ、その、ありがとうね、アルダンと仲良くしてくれて。光る紅茶って聞いて、アルダン凄く楽しみにしてたからさ」
「ん?ああ、その事かい。実に簡単な細工だったのだが、楽しんでもらえたのなら良かったんじゃないかな」
「う、うん?なんで微妙に他人事……?」
「まあ、そんなことはいいとして、だ」
まるで原子時計のように正確なリズムで、こちらをチラリとも振り返ることもなく歩みを進め続ける、アグネスタキオン。情景と相まった不気味さに、思わず再び、僕は両肩を尖らせる。
「見ているよ、ここ最近のアルダンくんの躍進ぶり。実に素晴らしいじゃあないか」
「えっ?あ、ああ、ありがとう……?」
「ダービーの頃から見ているがね、こんな短期間であれほどの急成長を遂げるなんて……余程、トレーナーの腕が良いのだろうね?」
「いやいやいや?そんなことはないよ?あれは間違いなく、彼女自身の努力の賜物というか……」
「……さて、どうだろうねぇ?」
「……アグネスタキオン?」
相変わらず精密に刻み続ける彼女の歩幅。光源のない廊下では、窓ガラスにも彼女の表情は映らず、僕は僅かに眉を吊り上げ、一言だけ、呟いた。
「何か、企んでる?」
「────っ、くくっ!ハハハハッ!そうだよ!それそれ!」
「っ……!?」
「風の噂で聞いたんだ、メジロアルダンのトレーナーは何やら、妙ちくりんな変人らしいとね?」
「えっ、それ誰が言ってんの?」
「なんでも模擬レースの度に、ターフ端で誰とも関わらずに不気味に黙々とレースを『観察』していると。しかしラストスパートに差し掛かった頃合いに、聞いた事もないような大声で、たった一言だけ声援を送る……そんな訳の分からないタイプの応援を担当ウマ娘に行っているのだ、と……」
「あ……」
突如として、狂った機械人形のような笑い声を上げ始めるアグネスタキオン。けれども……彼女の指摘には、確かに心当たりがあった。というか、傍から見れば僕、そんな感じに見られてたのか……
「少し、気になってねぇ?これまでの模擬レースの映像を何本か、私も『観察』させてもらったよ」
「………………」
「そしたらどうだ!アルダンくんは決まって君の声掛けの瞬間に、明らかにそれまでと異なる挙動を示し始めていた!それも……あれはなんと言えば良いのかな?周りのウマ娘達の二手三手……『未来』を、視透かしているような、そうとしか考えられない挙動をだ!」
「…………!」
「ここからは私の仮説だがねぇ……単刀直入に言って君、断片的ながら『未来』が視えるんじゃあないのかい?ターフの先の未来を観測し、そうして声掛けによってそのビジョンを彼女に『気付かせる』……君たちの躍進の絡繰は、そんなところなんじゃないのかい?」
……なんてウマ娘なんだ、アグネスタキオン。鳥肌に包まれる身体と冷たくなる脳内で、僕はただ、そんな不格好な思考しか浮かばなくなる。
確かに、そうだ、仮説だなんてとんでもない。彼女の述べた理論は全て正解……『真理』と言っても差し支えないだろう。『僕が視て、きっかけを作る』そして『彼女が気付いて、実行する』。それが僕たちの編み出した役割分担、どんな強敵にも突き刺さる、メジロアルダンだけに与えられた最強の鉾。
それが、こんなにも簡単に解き明かされてしまう、だなんて。
「おっと!そう怖い顔をしてくれるなよアルダンくんのトレーナーくん?別に私はその秘密をばら蒔いてやろうとも、君たちのその座を脅かしてやろうとも思ってなどいないさ?レースの勝敗など私はまるで興味がないからね?君たちは君たちで、思う存分高みを目指すといい」
「……だったら、何故こんな話を、僕に?」
「……ほんの少しだけ、『貸してほしい』のさ、君のその『眼』を、ね?」
「っ……!」
そして……なるほど、そういう事か。
『大丈夫』だと、そう視えた。
少なくともアルダンに対して何か仕掛けてやろうという様子などは、特に感じ取る事は出来なかった。
当然である。
アグネスタキオンの狙いは初めから、アルダンではなくこの『僕』の方だったのだから。
「……アルダンに、そしてマンハッタンカフェにも邪魔されないように僕にコンタクトを取る。そのためのブラフとしてのお茶会、って訳か……それで、肝心の君の目的は?僕のこの『眼』に、何を視せるつもりだ?」
「ははっ、そう怖い顔をするものではないよ……っと、待たせたね?逃がしも隠しもしないさ、君の疑問の答えは、全てここにある」
「ここが、さっき言ってた君の研究室……?って、なんだこれ!?中、めちゃくちゃ光ってない!?」
「なに、主食に夢中な君にとっては、こんなもの茶菓子みたいなものだろう?さあさあ、早速その『眼』でサクサクと軽く噛み砕いてくれたまえよ?」
──────────────
「……なんだこれ」
彼女が開いたスライド戸の先。先程の紅茶たちとは比べ物にならない程毒々しく光る、数え切れない程のモニターには、一人のウマ娘の姿が所狭しと映し出されていた。
「見ての通り、『私』の全てだ。私の出生から本日までの身体データ、運動能力データ、トレーニング記録に模擬レース全天周モニター映像、その他もろもろ……この中には、私のウマ娘としての全てのデータが詰まっているのさ」
「す、全て……?君、もしかしてそんなに昔から、毎日こんなに詳しくデータを測ってたの?」
「勿論だとも?観察記録は研究者の心臓と言っても過言では無いからね。子供の頃から共に成長してきたこのデータ、万が一消滅するようなことがあればそれは私自身の死と同義であると言えよう」
「……いや、やっぱり解らない。そんな大切な心臓をわざわざ僕に晒して、どうして欲しいって言うんだ?」
「はっはは!まさかそこまで察しが悪いとはねぇ?」
僕をその眩しい暗闇に招き入れ、煽るように白衣の裾をぐるぐると振り回すアグネスタキオン。不吉に浮かんだ三日月のように吊り上がったその口から、彼女はあまりにさらりと、その言葉を生成する。
「当然、視て欲しいのだよ、私の『未来』を」
「君の、未来を……」
「ああ、ああ、何、少し大仰に言ってしまったがねぇ?要するに君の能力を見込んで、ちょっとしたアドバイスを賜りたいというだけさ?ほら、君もトレーナーの端くれなら、迷えるウマ娘を導く義務くらいあるんじゃあないかな?」
「端くれって、自分以外の相手にあんま使わない方がいいんじゃないかな、多分……」
「ではまず軽い相談からだ。私の脚は、芝とダートのどちらに向いてそうに視えるかい?」
「…………!」
眼前に広がる数多のデータと、焦点の合わない彼女の瞳を交互に視つめながら、僕はしばし、額を抱える。
確かに彼女の言うことは理屈が通っている、デビュー前の娘が今後の進路に迷って誰かに相談する……なんて、至極真っ当な行為でしかない。
しかし、彼女に限って本当に『それだけ』なのか?それに……果たしてこの行為は本当に彼女の、『ウマ娘』のために、なるのだろうか。
「……別に、向いてる向いてないじゃなくて、自分が、走りたいと思ったレースを、走れば、いいんじゃ、ない、かな?」
「おや、どうしたんだいそんなに歯切れを悪くして?言っただろう、求めているのは単なるアドバイスだと。別に君に責任を押っ被せようだなんてわけではないのだから、もっと気軽に答えてくれたまえよ?」
「……じゃあ、芝、かな」
「ほぉう!たったこれだけの時間で断定してしまうだなんて、想定以上だよ!ではでは、距離の適正はどうかな?」
「2000Mがジャストで、その距離なら圧倒的。それ以外は……それ以外は、解らないな」
「ふむ?なるほど?ではどうだろう、もしこれから私がデビューするとして、どのレースをどんなローテーションで進むのが『正しい』ように視える?」
「えっ?いやいや、レースローテに正しいも間違いもあるわけ……」
「………………」
「……いや、まず十二月頭のデビュー戦に出て、それからラジオたんぱ杯に直行、そして、そのままクラシック……?」
脳内の天秤は振り切れず、けれども無意味にでまかせを吐くわけにもいかず。恐る恐る僕は目の前のデータを眼に映し、視えた光景をそのまま口から放り出す。その様をまるでフラスコ越しのように澄んだ目線で、彼女は、アグネスタキオンは淡々と手元の方眼紙に記録を残していた。
「いやはや!私も近しい仮説は立てていたのだがね?ここまで詳細に視えるとは、流石だよアルダンくんのトレーナーくん!」
「……何度も、何度でも言うけど、こんなもの本当にあてにしないほうがいいよ。君は君の走りたいレースを走ればいいだけ、なんだからさ」
「おやおや?アルダンくんの未来にはあれだけ干渉しておいて、私にはそんな事を言うのかい?」
「───それは」
「っと、冗談だよ?悪かったねぇ、今日は大切な大切なアルダンくんとの時間を奪ってしまって。けれどお陰で非常に有益なデータが得られたよ。本当に心から感謝している……これは、冗談ではないよ?」
「……それは、よかったね?」
「ああ……では最後に一つだけ。もうひとつだけ視てくれたら、今日はお開きにしよう」
「本当に、一つだけだからね?」
垂れ流しにしていたモニターの電源を一つ一つ落としながら。相変わらず掴みどころのない口調で、彼女はその『題』を、口にした。
「私は、生涯で何度トゥインクルシリーズのレースに出走できるのかな?」
「え─────」
彼女がこれからレースを走れる、回数?
そんなもの、流石に解るわけ─────
「─────四回?」
「四……回……?」
「えっ?あれ、僕、今……」
視界の端に視えたその『解』を、僕は思わず喉元から零してしまう。彼女の競走人生が、クラシック期はおろかダービーにすら辿り着かずに終わってしまう、だなんて惨いビジョンを、さしものアグネスタキオン相手とはいえあまりに軽率に……
いや、そんなアグネスタキオンだからこそ。生涯を賭けてこれほどの準備を整えてきた彼女に向けて、こんな残酷な未来を伝えるだなんて、僕は、僕は……
「くくっ……!アハハハハハハハッ!やはり君は、最高だよ!!!」
「っ……!?」
しかし彼女は意外にも、繕うように両手で口元を覆い隠した僕に向けて本日一番の嬉々狂々とした笑みを浮かべていた。
……彼女のその何とも形容しがたい幾何学的な表情、身の毛もよだつとは、まさにこの事か。
「いやぁ良かった良かった!まさか私の生涯で四回も、本番環境で『データ収集』のチャンスがあるとは!」
「……は?」
「さしもの私でも一度や二度しかチャンスがないとなると、流石にデータの取りこぼしの不安が残るからねぇ?実に安心したよ、改めてありがとうアルダンくんのトレーナーくん、君のお陰で、完璧な情報が手に入りそうだよ!」
「え?いや、何の話?」
「さて、そうなるとどうしたものか?一走目はトライアルとして走ってみて、そこで発生した事象をフィードバック。そして二走目と三走目を本命として、条件を固めて走る!そして四度目は予備日程。よし、これで行こう!」
「ちょ、ちょっ……アグネスタキオン!」
「………………何かね?」
すっかり僕のことなど眼中外にして、洪水のように独り言を呟き始めたアグネスタキオン。別に、別に放っておけばいいのかもしれないけど……それでも僕は、恐る恐る口を開く。
「ええと、どういうことだ?デビューした後の話をしてるのに、その四回全てが『データ収集』?なんで?何のために?」
「はて?先程も言っただろう?観察記録は研究者の心臓と言っても過言では無いのだよ。他でもない、自らの脚でトゥインクルシリーズのレースを走れる絶好の機会なんだ。完全なデータが取れるよう万全な準備を整えておくのは、当然のことだろう?」
「いや、だから、君がそこまでしてデータを集めてたのは、他でもないそのトゥインクルシリーズで走るためなんじゃないの?」
「……まあ、そういう側面も『つい先程まで』」ありはしたけどね?
「ん?つい、先程?」
「ああ、私はたった今私自身が選択する『プラン』を確定させたのだよ」
「……ええと、もう少し解るように言ってくれないかな?」
強くなってしまいそうな語調を飲み込みながら、僕はまるで深い霧の中に石を投げ込むように彼女に言葉を投げかける。そしてそんな僕をあざ笑うかのように、やれやれと赤子に言い聞かせるように、彼女もまた口を開く。
「先程も言った通り、私はレースの勝ち負けにはとんと興味がなくてね、Gが1だの2だの、そういった他人が決めたグレードなんかも酷くどうだっていいんだよ」
「……じゃあ、君は何のために走ってるの?」
「勿論、ウマ娘の身体の謎を解き明かすためさ!時折ウマ娘達が魅せてくれる、人智を超越したかのような軌道!君にだって、覚えはあるだろう?」
「…………!」
「私はそれを解き明かしたいのだよ!ウマ娘の肉体が持つ無限の可能性を、私はとことんまで追求したい!私にとってのトゥインクルシリーズとは、それを研究する為のフラスコの中身、と言ったところなのだよ?解るかい?」
「……まあ、さっきよりはね。それで、『プラン』って?」
「ああ、私はその目的のために自らの中で二つのプランを立案していたのだよ。一つはこれまでの研究結果を私自身に反映させて、私自身の肉体で可能性を追求する『プランA』。まあ、つまるところ私自身がフラスコの中に飛び込んでやろうといったところだ」
「もう、一つは?」
「『プランB』。私の研究結果を他者へ譲渡し、アドバイザーとして振る舞いつつその娘の肉体で研究を続ける……まあ、私自身の代わりにどこかからマウスやモルモットを見繕って、フラスコの中に放り込むようなものかな?」
「えっ─────」
絶句。
彼女がさも当然のようにつらつらと語る内容を、僕は如何とも打ち返せず、暗闇の中、ただ立ち尽くしていた。
「えっ、ちょっと待って。じゃあさっき言ってた『プランを確定させた』って、まさか」
「ああ、まあ勿論本命は協力者も要らず横槍が入る恐れもない『プランA』だったんだが。どうも私の肉体はそれを遂行できる程の器では無いらしいと、おぼろげながら推測できてしまっていたのでね」
「……だから僕に、あんなものを視させた。そのおぼろげな推測を、『未来』を、確定させる為に」
「最低でも、十六回以上の実証実験。私が導き出していたプランAを遂行する為の最低条件、それが適うかどうかだけが未知数だった。そこを君が視てくれたお陰で、私は心置き無く『プランB』に全賭けできるというわけさ!『四回』!実証実験を行うには少なすぎるが、実証の為のデータ収集には充分過ぎる回数だったからねぇ!」
「っ……そ、それでも!例え今の時点でそう決まっていたとしても……ええと、その、色々工夫して、もっと長く走り続ける方法を、編み出すことだって、できるかも、しれないし……」
「ほぉう?そこまで言っておきながら『自分の眼の方が間違っている可能性』は少しも考えないとは、大した自信だねぇ?ありがとう、その数値にますます確証が持てたよ?」
「…………!」
まるでラットの身体を容易に捻るかのように、僕の言葉を簡単に丸め込んで一笑に付す、アグネスタキオン。次の言葉が浮かばず、落ち着きなく唇を擦る僕に向かって、相変わらず滝のような情報量を伴った彼女の、槍のような鋭さを伴った言葉が降り注ぐ。
「はて、何故君は先程からそう不服そうな表情を浮かべているのかな?確かにプランの話を先に説明していなかったのは申し訳ない気もしないでもないが、しかし怒る程の事ではないだろう?」
「い、いや、怒る程の事だよ。確かに僕は別に君の専属なんかじゃないけど、それでもトレーナーの端くれではあるんだ。自分の夢を他人に押し付けるなんてこと、到底許される訳が……」
「………………うーん、そうだなぁ」
「……アグネスタキオン?」
「自分の夢を、他人に押し付ける。それは……この世界中誰もがやっている、極々『あたりまえ』の行為なのではないのかね?」
「え…………?」
極々、『あたりまえ』の行為?彼女は何を言っているんだ?
そんな事、あるわけがないだろ……
あるわけが……
「『親の無念を子が』『先輩の無念を後輩が』『友の無念を自分が』……そんな話は、トゥインクルシリーズの中だけで見ても呆れ返る程ありふれているだろう?それもその殆どが、怒りどころか『美談』として受け入れられているじゃあないか?」
「っ、そ、それは……」
「そしてそれは、ウマ娘同士に限った話ではないねぇ?例えば皐月賞とダービーに勝ったウマ娘は本人の意志とは関係なく、ファンや関係者の殆どから『菊花賞も勝ち、クラシック三冠を達成する』夢を押し付けられるのが常だろう?」
「だ、だけど……!」
「『だけどそれは押し付けではなく、双方の合意の元に夢を託しているのだ』とでも言いたげな様子だねぇ?しかし、どうだろう。君のその眼は、他人の心まで視えるのかい?」
「えっ……?」
「そんなはずはないよなぁ?私の真意すら看破出来なかったのだから?同じく、『夢を託している』と綺麗に思い込んでいる者たちの中で、『託されている』側の心情を正しく理解している者は、果たしてどれだけいるのだろうねぇ?」
「………………」
「大量のファンやメディアに囲まれれば、同調圧力が発生することもあるだろう。親と子、先輩と後輩の間での権力勾配だってある。そんな世の中で……何故私の『プランB』だけを批難するんだい?むしろその事に自覚的な分、まだマシだとすら思わないだろうか?」
「………………」
「そもそものところ、この『世界』自体そうやって発展してきた側面もあるだろう?最新の科学技術というものは、常々研究され尽くした古臭い技術を下敷きにして生まれゆくものであるし、売れなくなった商品の販売データを使ってより売れる商品を開発したり、つまらないと批判された物語を反面教師にして次作を大ヒットさせた作家もいる。古いキャラクターをどんどん踏み台にして、新しく刺激的なキャラクターを絶え間なく追加し続け話題性を保つゲームやコンテンツだって、世の中ありふれているはずだ」
「…………………………」
「私の『プランB』を否定するというのは、すなわちそんな『世界』そのものを否定する、ということになる。違うかい?」
眼前に広がる広大な世界と、焦点の合わない彼女の瞳を交互に視つめながら、僕はしばし、額を抱える。
確かに彼女の言うことは理屈が通っている、確かにこの世界は、他人の気持ちを勝手に慮り、夢を押し付け、イメージを押し付け、それに適合すれば賞賛され、しかしそれにそぐわなければ、あまりに簡単に切り捨てられる。おぼろげながら、僕はそんな光景をこれまで何度も目撃してきた。
そしてそんな世界で夢を追うにあたって、確かに彼女の語る『プランB』は実に合理的だ。
自分で走る……すなわち他人の憐憫を押し付けられる可能性を早々に自分自身で切り捨て、逆に夢を押し付ける側……この世界の圧倒的なマジョリティ側に属し、優しさのふりをして自己目的を満たす。
……確かに、確かに、確かに。
彼女の言う通り、これを否定するということは、今の世界を否定するという事に他ならない。
これを否定するということは、これまでの歴史で紡がれてきたウマ娘達の感動的で数奇で皆が大好きな物語達を、否定するという事に他ならない。
───それならば、僕は。
「……ああ、確かにそうだ。君の言うことは、確かに正しいよ」
「くくくっ!ご理解いただけたようで何よりだよぉ?」
「確かに君のプランは、この世界のあたりまえ、実にありふれていること、なんだろう」
「それなら僕は、その『世界』ごと否定するよ」
「…………ほぉ???」
彼女の瞳が、僅かに鈍色に光りだす。本日初めて観測したその変化を、僕は瞳を逸らさず、観察する。
「託し、託され。受け継ぎ、受け継がれ。押し付け、押し付けられ。それこそがこれまでの世界の、これまでのウマ娘のあたりまえ、なのだとしたら」
「………………」
「……人智を超えたパワーやスピードとかじゃなくて。そんな輪廻から抜け出して、自分の選んだ道を自由に走り出せるようになること、それこそが『ウマ娘の無限の可能性』なのである。これが僕の……トレーナーとして彼女を、メジロアルダンをずっと視続けてきた僕の提唱する『仮説』だ」
そうだ、もし世界がそうなっていたとしても。彼女には、メジロアルダンにはまるで一切関係の無いことだった。
この学園に足を踏み入れてから、世界や人々にどう思われようと彼女は、自分が背負うものも背負わないものも全て自分自身で決めてきた。そんな彼女だからこそ……誰よりも自由に強くなれると、僕はそう、思ったのだ。
だから僕は、彼女に何かを背負わせようとする世界も、彼女を切り捨てようとする世界も否定する。例え世界中から妙ちくりんな変人、異端者と呼ばれ切り捨てられたとしても。
そんな『プラン』なんてなくても、彼女は、『ウマ娘』はずっと強くなれるはず。
その事を既に僕は、彼女自身から教わっていたのだ。
「だから……君がどうしようと君の勝手だけど。でも僕は少なくとも、『プランB』の先に君の求めるウマ娘の可能性は、広がってなんていないと思う。どんなに辛くとも、思い通りに行かなくとも、『プランA』を追い求めた先に……いや、『プランA』を追い求めるための旅路こそが、『ウマ娘の無限の可能性』そのものなのだと、僕は、思うよ」
「………………」
「そして……そうだ、きっと僕のこの眼は、その為にあるんだ。君たちの確かな現在地を定めて、目的地までのルートを、トレーナーとして導き出すための『才能』なん……」
「……た」
「ん?」
「飽〜〜〜〜〜〜きた〜〜〜〜!!!」
「……はぁ?」
「なんだい全く?協力してくれた礼に楽しいお喋りに興じてやろうと思ったのに、そんなにムキになってさァ?」
「うん、あの話を楽しいお喋りだと思ってるんなら、ちょっと色々考えた方がいいよ?」
まるでプツリとショートを起こした機械のように、アグネスタキオンはすっかり意気消沈の末に唇を尖らせ、その場に不貞腐れ五体を投地する……ほんっとになんだこいt……このウマ娘……
「………………」
けど、ま、今日のところは大目に見とくか。
彼女と僕は主義も主張もまるで違う、控えめに言ってもまっっったく噛み合わない間柄なんだろうけど。けれども、だからこそ僕のこの眼の更なる『可能性』を引き出してくれた。この眼の事を、確かな『才能』なのだと気付かせてくれた。
全く違うもの同士が結び付いて生まれる作用……もしかしてこれこそ『化学反応』というもの、なのかもしれないな。
「おーい、何をモタモタしているんだい?こんな所で油を売っていたら、カフェがうるさいぞ?」
「えっ?いや別に僕は何も怒られるような事してないんだけど?」
「くくっ?それと……これはお節介だとは思うが、真面目にありがたーく聴いておきたまえよ?」
「お節介だと思ってるのに???」
「……君は常に他人事のように振舞っているがねぇ?君のその『才能』が、世界中にたった一人の特別なものである保証はないし……『代替可能性』があるのは、ウマ娘だけでなく、トレーナーも同じ事……だと、私は思うよ?」
「───────」
「さて、用も済んだことだし、さっさと行こうじゃないか。愛しのアルダンくんが、待っているよぉ?」
「……うるさいな、解ってるよ」
──────────────
「くっくっく、待たせたね二人とも!」
「アルダン!大丈夫!?遅効性の副作用とか、出てな……」
「……ふふっ?こちらのコーヒーもとっても美味しいですね♪あまり飲んだことのない口当たりですが、なんという品種なのでしょう?」
「ええ、こちらはマレーシア産のリベリカという品種で……コーヒー全体の流通量の1%程しか出回っていない希少な種なのです」
「まあ、そんなに希少なものを?ふふっ、ありがとうございます、カフェさん♪」
「いえいえ、気に入っていただけたのなら何よりです、アルダンさん」
「…………なんか、二人の世界なんだけど?僕ら場違いになってない?」
「カ〜フェ〜?君ぃ、私の手塩にかけて生成した紅茶はどうしたんだいぃ?」
「あら?おかえりなさい、トレーナーさんにタキオンさん♪」
「どうしたって……そんなに紅茶ばかり飲んでいたら飽きるに決まってるでしょう……味は全て同じなんですから……」
「……あら?おふたりとも、件のお茶菓子はいかがされたのですか?」
「えっ?えと……それは、そのぉ……」
「そのぉ……お、温度管理やら何やらで、全滅してしまってたんだよぉ!いやー、残念だったなあ!」
「そう、ですが……それは残念です……」
「うっ……!あ、アルダン……」
「……それなら、代わりのものを買ってくるなりなんなりできたのではないんですか?こちらはお腹を空かせて待っていたんですよ?タキオンさん……?」
「ひっ……!あ、アルダンくんのトレーナーくん、今こそ『プランB』だ!カフェに祟られる前に、代替物を用意するんだよ!早く早く!」
「えっ?やっぱり僕、ゲストじゃないの?」