メジロアルダン短編集『to the MEJIRO ARDAN』 作:いずさわ
スペースシャトル・ララバイ①
初めての夢は、宇宙飛行士だった。
『さあ!いよいよ打ち上げです!皆様ご一緒にカウントダウンをお願いいたします!』
「ほらほら打ち上げだよ!お母さんのことはいいから、前の方行っておいで!」
「う、うん……!」
きっかけは、大好きな特撮番組。何万光年先の星からやってきたヒーロー達が、『自由』に宇宙を駆け回る姿に、憧れた。
重量や物理法則なんて無視して、空のどこかをいつまでも気ままに流離う姿に、猛烈に焦がれてしまったのだ。
『10!9!8!7!……』
宇宙飛行士になれば、そんな憧れも叶うと思っていた。月を飛び越して、太陽系を抜け出して、いつか宇宙の果ての彼らの星に赴き、肩を並べて宙を飛ぶ。絵空事のような夢を本気で信じていた。
『6!5!4!……』
子供ながらに、沢山勉強もした。アポロというロケットが何十年か前に人を月に運んだというのを知って……何十年か前に月、ということは今はもう火星や木星、土星くらいには到達しているものだろうと踏んでいた。
地元から車で三時間程、日本にもロケットの打ち上げ場があることも知った。突然の我儘に二つ返事で応えてくれる、両親の温かみには流石に当時は気付けなかったが。
『3!2!1……発射ーーーっ!!!』
「っ……う、おおおおお!」
かくして僕はその日、目の前で白煙と轟音を上げながら宇宙に旅立って行くロケットを目撃した。
ぐんぐん加速して、あっという間に小さくなっていくその機体。彼は一体、どこまで飛んでいくのだろうか。水金地火木土天海……いや、そんな見知った惑星なんか目じゃないくらい、何万光年先の『未知』の惑星に辿り着いてしまうかもしれないな。辿り着いた先で、これまた未知の生命体と出会って、友好を結んで、この星へ更なる未知の技術を持ち帰ってきてくれるのかも、しれない。
そんな空想の未来が本気で楽しみで楽しみで、楽しみで。いつもは熟睡してしまう帰りの車の中でさえ、ものの一睡も出来なかったのを覚えている。反重力エンジンやワープホール、誰もが自由に宇宙の果てを目指せる世界がやってくるのだと、車窓から見えた、暮れてきた空の一番星にそんな夢を抱いていたのを、強く、覚えている。
あの日見たロケットはただの人工衛星で、これからぐるぐると地球の周り、決められたルートを延々回り続け、いずれ劣化すれば重力に引かれ大気圏で燃え尽きるだけなのだと。宇宙の果てなんてさらさら目指すつもりもないものなのだと。知ったのは、もうしばらく後の事だった。
──────────────
『本日の選抜レース、最終ラウンドの出走者は、集合場所にお集まりください。出走時刻は、午後四時三十分となります。繰り返します、本日の選抜レース……』
「今回はどうでしょうね?正直パッとしないっていうか……」
「バカねぇ、もうこんな時期なのよ?来年のクラシックの有望株はみーんな引き抜かれていった後、って訳」
「まあ、そんなもんですよね。重賞クラスの娘が一人でも残ってれば御の字ってくらい……ん、なんでしょうあの人?まだレースも始まってないのに、やけに熱心に望遠鏡を覗いてますが……?」
「ああ、あの子確か美竹さんとこのサブトレーナーの……そろそろ独り立ちしたくて、躍起になってるってところでしょ?」
「はぁ、美竹さんの。勿体ないですね、あんな人のサブに就けるだなんて、下手な正トレーナーより経験積めそうなものですけど……」
「ま、悩みは人それぞれってやつでしょう……って!そんな事言ってないで、貴方もちょっとは独り立ちに向けて努力しなさい!」
「ひ、ひぃ!分かってますよぉ!」
◆
夕方の、涼しい風がシャツの隙間に入ってきて、ぶるりと身震いをする。実際のレース場と違って遮蔽物もなく、風通しの良いこのトレセン学園のターフ、なんだか煮詰まってオーバーヒートした頭の熱を逃がすのには、うってつけの場所であった。
「……なんだろうなこれ、ほんとにこれだけ、なのか?」
ターフを一望できる展望台、ひしめき合うトレーナーの群れから一歩引いた場所で、手にした筒の中を覗き込む僕。そこから見えた光景は実に煌びやかで、完璧で華やかで、けれども。
「……なんか、つまんないな。まあいいや、早いとこ返さなきゃ、だな」
その光景は綺麗なまま、いつまでも静止しているように見える。まるで百点を取りきったあとのテスト、完璧に釣り合った天秤。いつまでも変わらない、変わらない事を望まれているかのような様相で、僕には酷く、つまらなく感じたのだった。
「どうだー?いい感じの娘、見つかったか?」
「ん?え?何が?」
「何がってお前、選抜レース観てたんだろ?いつまでもタケさんの世話になる訳にはいかねえからなあ、お互い」
「ああ、選抜レースね、選抜レース」
突如背後から聞こえてきた、無駄にけたたましい声に思わず耳を塞ぐ僕。足元を動かさずチラリと目線だけ向けた先、遅れてのこのこと現れたのは、これまた無駄に見知った同僚トレーナーの姿であった。
「なんだよ、気のない返事しやがって?真面目にやってんのか真面目に?」
「うるさいな、いちいち人のことに突っかかって来るんじゃないよ、小姑か?」
「それを言うなら姑だろ、なんでワンランク下げた?」
遠慮も何もなく、無愛想に僕の隣に腰掛ける姿を一瞬横目に入れてから、僕はすぐに視線を元に戻す。奴の提示してきた話題に、僕は特に、興味を持てなかったからだ。
「ま、お前がどうしようと知ったこっちゃないけどな。同期のよしみだ、お前には一番に教えといてやる」
「何さ、幸せになる壺なら買わないよ?」
「ちげーよ!担当だよ!担当ウマ娘が見つかったって話!」
「ああ、そっちか、それは良かったね」
なんとも意気揚々と、鼻息荒く語り出した奴の言葉に、適当に相槌を打っておく。流石に冷た過ぎるかとも一瞬思ったが、参ったことにやはり奴の言葉を聞いても、特に羨ましいとも妬ましいとも、思えなかったのだ。
「ああ!それに自分で言うのもなんだか、あれは相当な逸材だ。レースセンスこそまだまだ荒削りだが、ここぞの爆発力が明らかに頭一つ抜けてる。本人のモチベーションも申し分ないし、まさか初めての専属でこんな娘に巡り会えるなんてなぁ」
「ふーん、そりゃ凄いね」
「ああ、これはもしかしてもしかすると、来年にはなれちまうかもな!俺の夢、『ダービートレーナー』に!」
「……夢、ねぇ」
「おうよ!俺はその為にトレーナー目指し始めたんだからな!何を捧げたって、絶対に叶えてやるよ!」
「………………」
日本ダービー。クラシックレースの二冠目にして、ウマ娘、トレーナー、レースに関わる全ての者が憧れる、名実ともに我が国最高峰のレース。
……確かに、間違いない、奴の言っていることは何一つ間違っていない。日本ダービー、一人の人間の人生何もかも捧げて目指すに申し分ない、夢の大舞台、か。
「あれ?トレーナーさんも見に来てたんですか、選抜レース」
「ん?あの娘は?」
「おーっ!なんだお前も見学に来てたのか『チヨ』!さっすが勉強熱心だな!」
「ふふ、そんなのじゃないですよ?選抜レース、友達が走るので応援しに来ただけです!」
再び背後から聞こえてきた、今度は春風のような朗らかで快活な声。再び足元はそのままで、チラリと目線だけ動かしたそこには、声のイメージ通りぱっちりと明るく輝く瞳と桜色のやんちゃに跳ねたボブカットが特徴的な、一人のウマ娘が立っていた。
「紹介するよ、さっき言ってた俺の担当ウマ娘『サクラチヨノオー』!後のダービーウマ娘の名前だ、よーく覚えとけよ?」
「も、もうっ!そんなに煽てないでくださいって言ってるじゃないですか!嬉しいは嬉しいですけど……じゃなくて!」
「う、うん、チヨノオーね。よろしく」
「は、はい!よろしくお願いします!ええと……トレーナーさんの、お友だ」
「友達じゃないよ、ただの同僚」
「そ、それは失礼いたしました!」
大袈裟に、ペコリペコリと頭を下げる彼女の姿を、僕は何気なくぼんやりと観察する。なるほど確かに、実に素直そうな礼儀正しい良い娘という印象だ。それに……
「……なるほど、確かにお前の言う通りだ。この娘、本当に相当な逸材だよ」
「ん?なんだよ藪から棒に?」
「立ち姿、こんな何気ない時でも重心がピッタリ身体の芯の下めに置かれてる。デビュー前の走りの矯正も受けてない段階の娘とは思えないくらいにね。何か別のスポーツの経験とかあるのかな?アメフト……いや、相撲とか?」
「えっ?ど、どうしてわかるんですか!?実は私、お父さんが昔お相撲さんをやってて、実家が相撲部屋なんです。だから時々、お父さんにお相撲の基礎を教えてもらったりしてて……」
「えっ、そうなの?」
「えっ、そうなのか?」
「いやなんでお前も知らないんだよ」
「こ、こないだ契約したばっかりなんだよ!てかお前、ほんと……」
なんだか、一言言いたげな目線を向けられたのを感じて、そろりと目線を元に戻す僕。このまま長ったらしいお小言を食らうのはごめんだ、ここは適当に会話を切り上げて、とっとと退散するとしよう。
「ま、要するに僕からは言うことなしってことだ。きっと君なら、ダービーだって勝てるさ、きっと、ね」
「えへへ……まあ私自身はダービーにこだわりがあるってわけではありませんけどね?そこまでのスタミナが付くかどうかも分かりませんし……けど」
「けど?」
「けど、そうですね。それぐらい大きなレースに勝てれば、きっと私もあの人みたいな……『マルゼンスキー』さんみたいな、立派なウマ娘になれるかも、なんて……」
「……!」
「ほんっと好きだなー、マルゼンスキー。ちょっとだけ妬けちまうぜ?」
「ふふ、当然です!あの人みたいになりたくって、私はトレセン学園に入ったんですから!」
マルゼンスキー。前線を退くまでの八戦全勝、二着に合計六十一バ身もの着差を着けた伝説のウマ娘……まさしく、生ける怪物。
……確かに、間違いない。彼女の言っている事は何一つ間違っていない。マルゼンスキー、一人のウマ娘の人生何もかも捧げて目指すに申し分ない、伝説の背中、か。
「……なんか、違うんだよなぁ」
「ん?なんか言ったか?」
「いいや、いいや、なんでもないよ。とにかく応援してる、こっちのやつはどうでもいいけど、チヨノオーのことはね。それじゃ、僕はこれで」
「……おい、ちょっと待てよ」
一瞬だけ、開きかけた口を噤みながら、僕はその場からそそくさと退散する……が、どうやら迂闊にも、ワンテンポ遅かったらしい。
「……お前はどうなんだ?」
「……どうって?」
「やっぱ、勿体ねえよ、悔しいがお前のその観察眼は、本物だ。さっきみたいな事、俺にはとても出来ない」
「どうかなぁ?別に特別なものじゃないと思うけど?」
「今ならまだ、間に合うだろ。来年のダービー、日本一の大舞台。うちのチヨとお前の育てたウマ娘、ぶつけ合わせてみたくないか?」
「………………」
この話も、もう何度目なんだかな。性懲りも無く飛び出したそのつまらない問いかけに、僕もまた、性懲りも無くつまらない返答を返す。
「いいや、僕なんかまだまだサブトレーナーでいっぱいいっぱいな人間だからさ。ま、気が向いたら追っかけるから、お前は気にせずさっさと先に行ってなよ」
「……ったく、また性懲りも無くそんな事言いやがって……意地張ってんじゃねえよ、わざわざこんなとこまで、望遠鏡まで用意して来ておいてよ?」
「は?何言ってんだ、望遠鏡なんて持ってませんがー?」
「小学生みてえな意地の張り方すんな!自分の右手見てみろよ!てかなんで望遠鏡?双眼鏡の方が取り回しいいだろ……」
「…………」
「…………なんだこれ、望遠鏡じゃねえぞ?」
「だからそう言ったよね?」
僕の右手に握られた、手のひら大の筒を勝手に凝視して、勝手に落胆の声を上げる奴の姿。何かしら文句の十や二十でもぶつけてやろうとも思ったが、面倒なのでやめておくことにした。
「僕もこれがなんだか、よく分かんないんだよ。中を覗いても、やたらキラキラしてるだけだし」
何気なく、再び覗き込んだその中身。そこに広がっていたのは……相変わらずやたらと煌びやかで、完璧で華やかで、一向に変わる気配もない。まるで箱庭のような世界、ただ、それだけなのだった。
「……いや、つまんない奴なのは、僕の方か」
……そうだな、これだけ探しても見つからないということは、この筒はきっと『彼女』にとっても、そこまで大切なものという訳でも、ないのかもしれないな。そこまで躍起になって、探すような事でもないのかも、しれない。
「よく分からない?なんでそんな分かんないもんを、お前が持ってんだ?」
「ああ、それがさぁ……」
「それ……『万華鏡』じゃないですか?」
「……万華鏡?」
控えめに口を挟んできたのは、他でもなくサクラチヨノオー。彼女はなんとも間抜けに右往左往していた大の大人二人組に向けて、続け様におずおずと言葉を重ねる。
「昔からあるおもちゃですよ?中身を覗いて、その綺麗なキラキラを見て楽しむんです」
「そうなの?うーん、使い方これで合ってはいたんだね……なんっか違う気がしたんだけど……」
「いえいえ、覗き込むだけじゃダメなんです。『回す』んですよ?」
「回す?」
「ええ、回すんです。この中身には鏡とビーズが入っていて、こう、自分でくるっ!と回す度に、中の光り方がどんどん変わっていくんです!」
「ほぉー!流石チヨ!物知りウマ娘だな!」
「いや、逆におふたりはなんで知らないんですか……?子供の頃とか、なにで遊んでたんです?」
「え?なんだろうな……べ、ベイブレードとか?」
「そうか……『回す』か」
確かに、どうして今まで気が付かなかったんだか……彼女に言われた通りに、僕はその中身を覗きながら、ぐるりと半周、その筒の天地をひっくり返してみる……と。
「…………!」
赤、青、黄色、ピンク、紫。僕の眼前にフルカラーで拓けていく、新しい世界。まるで青空の元の花畑のように、あるいは夜空に咲き誇る打上花火か、ダンスホールで舞い踊るデートのように。くるくる、ゆるゆる、ひらひらと舞い散るビーズに、ひたすら僕は瞳を奪われる。世の中にはまだまだ、こんなに面白いものが……
ピンポンパンポン……
『……選抜レースご観覧の皆様に、お知らせです。本日の最終ラウンド、芝1600Mに出走予定であった、『メジロアルダン』は、体調不良により、出走取消となりました。本レースは、『メジロアルダン』を除いた十五人立てで、予定通り午後四時三十分出走となります。繰り返します、本日の最終ラウンド……』
「ん?メジロ……アル、ダン……!!!」
「えっ、あ、アルダンさん……」
「どうした?知り合いだったか?」
「ええ、そうですね……先程言った、今日選抜レースを走る友達というのが、そのアルダンさんで……」
メジロ……アルダン、アルダン、『アルダン』。間違いない、まさか『彼女』がこの学園の生徒だったなんて……こんな偶然も、あるんだな。
「そう、だったのか……まあ、体調不良なら仕方な」
「会わなきゃ」
「うおっ!?な、なんだよ急に!怖いだろそんないきなりこっち向い……会わなきゃ?」
「会わなきゃ、僕は、彼女に……『メジロアルダン』に、会わなきゃ、いけない」
「……は?」
「……はい?」
「ねえ、チヨノオー?その……『メジロアルダン』って普段どこにいるか、わかる?」
「えっ?ええと、今日は分からないですけど……最近はフィジカルトレーニングに精を出してるみたいで、放課後はよくジム室に行ってるみたいです、が……?」
「なるほど、ジム室か……おっけーありがとう!これからも頑張ってね!チヨノオー!」
「えっ?は、はいっ!?ありがとうございますっ!?」
「さて、まずは初対面の挨拶を考えないとな……あ、何かしらお詫びの品でも買っていった方がいいか?なんだろう……菓子折りとかが無難かな……いやでも……」
「……と、トレーナーさん?今のはいったい……?」
「お、俺に聞かれても……」
いてもたってもいられず、足元をくるりと回してターフに背を向ける僕。目の前にはじわじわと沈みゆく熾烈な夕陽が浮かんでいて……ああ、そういえば『あの時』もこんな、よく晴れた夕暮れの事だったか。
右手を強く握りしめて、一歩、また一歩と歩き始めた僕の脳裏に浮かび上がったのは、ほんの数日前の、運命の出逢い……とすら言い難い、実になんてことの無い、ありふれた出来事であった。