メジロアルダン短編集『to the MEJIRO ARDAN』 作:いずさわ
「はい、すみません、申し訳ございません。はい、はい、ええ、まったくもっておっしゃる通りです。はい、はい、はい、もちろん、ええ、もちろん、以後気をつけます。はい、誠に、申し訳ございませんでした。はい、はい、今後ともよろしくお願いいたします。はい、はい、失礼いたします。はい」
ガチャッ……
「……いや、僕悪くなくない?」
冷たい電子音と共に、受話器の向こう側からの声がようやく途切れる。一時間五十……いや、もう二時間ぐらいは経ったのか。窓の外、いつの間にやらてっぺんまで登ってしまっていた太陽に具合悪く目を細めながら、僕は一人、ちらりと本音を漏らしながら、できるだけ優しく受話器を置く。
「はぁーあ……この時間があればトレーニング計画書とか、レースのフィードバックとか色々、色々さぁ……」
就業開始と同時に内線転送されてきた、URAの、ちょっとしたお偉いさんからの急な電話。本来受けるべき同僚が出張中という訳で、それならばと代理を安請け合いした……のが、運の尽き。
近年のレース事業の集客率について、近隣住民からの投書について、昨今のウマ娘達のレース場での振る舞いについて、エトセトラ、エトセトラ……妙な圧をかけられながらの終わらないお叱りの声に耳を塞ぐ訳にもいかず、そのままたっぷりこってり二時間も絞られてしまった僕。体力の限界を感じて、午前中のうちに詰めてしまおうと思っていたトレーニング日誌を、そっと、閉じる。
「レース場での品位ない振る舞いねぇ……別に誰かに迷惑かけてるとこなんて見た事ないし、そもそも集客率とか知らないし……ほんと、僕なんかにそんな難しいこと言われても、ねぇ……」
気だるく背もたれに寄りかかりながら、びっしり3ページも使ってしまった手帳のメモ欄を薄ぼんやりと眺めてみる。『かつての名ウマ娘達の品格の継承』に、『レース事業の今後二十ヵ年計画』、『周辺の関連団体との利害関係』かぁ。とにかく、内容を纏めて理事長にでも報告すればいいんだろう、けど……
「……ほんとムズいよ。僕は、アルダンが幸せで居てさえくれれば、それでいいのに」
殴り書きされた単語の、一つ一つ。そのどれもが……我が担当ウマ娘、メジロアルダンとはなんの関係もないことのように、そう、思えてしまった。
当然URAという上部組織がいなければ、アルダンはレースを走る事もままならないのは理解しているし、だから僕だって……まあ、苦手ながらもちゃんと付き合いぐらいはしないといけないのも、分かってる、けど。
『従事者全体で目指す、レース事業の恒久的な維持と発展について』
「……ほんと、何でもかんでも複雑過ぎるんだよ。ただ、ただ頑張ってレースする。ってだけでいいじゃん。本当に、ほんっと、ほんとにさぁ」
二時間も謝り倒した気疲れか、それとも……思わず語尾が強くなってしまう自分の口を慌てて塞いで、机に突っ伏し、瞳も閉じる。しかし当然、出口を塞げば、内に溜まる、というもの。
本当に、この世の中何でもかんでも複雑過ぎるなと、そう思う。もっとシンプルに、単純に、各々が各々の信じたウマ娘と共に、周りなんて気にせず自分達だけの方法で全力で一番を目指す。レース事業の発展の方法なんて、それだけで充分だと僕は思う……のだが、どうやらお偉い様方の考えは、そうじゃないらしい。
和を持って、逸脱せず、横一列で……はみ出しものには罰を、臭いものには蓋を、か。
「……じゃあさ、そんなんで、そんなんで本当に『メジロアルダン』は幸せに、なれるのかよ」
……なんて、電話が終わってから口にするなんて、しょうもなさすぎるな、僕って奴は。
きっとそういうものに文句言わず付き従い、周りに足並み揃えて生きていけるのなら、きっと僕だけじゃない、アルダンだって何かと色々得して生きていけるんだろうし。そしてそれを踏み倒したければ、それに見合った力がないと、いけないんだろうし。
「……なんか、嫌になってきたなぁ、全部」
要するに、僕みたいな新米トレーナーじゃ、考えるだけ無駄……ってわけなんだろう、結局は……
ピロンッ
「……ん?」
[お疲れ様です、トレーナーさん♪]
[お時間よろしければ、今からカフェテリアの厨房に来ていただけませんか?]
──────────────
「さてさて、やって来た、けど……?」
悶々とした僕の思考を切り裂いた、他でもない、我が担当ウマ娘、メジロアルダンからのメッセージ。そういやもうすぐお昼どきかぁ、なんて気が付いた僕は、考え疲れていた事もあって何の疑いも無くカフェテリアの厨房の前に……
「……厨房?なんで?ただお昼食べるだけじゃないの?」
てっきり単なるランチのお誘いかと思っていた僕は、そこでようやく違和感に気が付く。なんだって彼女は、こんな忙しそうな時間帯に厨房に?
……ぐすっ……ひっく
「…………?」
……ひっく、ひっく……う、あぁぁ……
「っ……!アルダン!」
必死に情報を纏めようとする僕の脳内に差し込んでくる、すすり泣くような声。間違いない、これは他でもない、アルダンの声だ。きっとこの扉の先で、今、アルダンが涙を流している……
いや本当に、なんだってこんなところで?なんて疑問を感じるより先に、僕の体は最速で目の前のドアノブを掴んで、思い切り捻り開けながら、大声で彼女の名を叫んでいた……の……だった、が?
「……あれ?」
「ううっ……ううぁぁ……!」
「は?え?何、何がどうなってんの?」
「ひっく……ぐすっ……あ、どれーなーざんっ♪おまちじておりまじた♪」
そこに立っていたのは、やはり予想通り、涙で目の周りを真っ赤に腫らしたアルダンの姿……
と、なぜだか彼女の周りを取り囲む、とんでもない量の……タマネギ?の、千切り?
「いやっ……え?何?何が……えっ?何?」
「まっていまじたよ?ざ、どれーなーざんもごちらへ……」
「分かった、分かったから一回、一回顔拭こっか?ね?」
「あ…………こ、これは失礼いたしました……ふふふ……」
改めて、手に持った包丁を置いてこちらへ顔を向けてくる彼女に、慌てて駆け寄る僕。その両の瞳にぎゅうぎゅうに涙を溜めた彼女の表情は、いつもより少し弱々しくて、なんだか今すぐにでも抱きしめてあげたくなるほど……
いや、ここヤバいな。空間がタマネギすぎる。空気中にタマネギのエキスが雲散し過ぎて、もう、既に僕もヤバい。なんとか涙がこぼれないように虚空に目線を動かしながら、僕はなるだけ手短に、彼女に質問を投げかけた。
「ええと?ええと、これは……これは、ええと、全体的に、何、かな?」
「ええ、ええ、聞いてくださいよトレーナーさん。先日、シチーさんに、それとジョーダンさんとご一緒にお買い物に行ったと、お話しましたよね?」
「えっ?あ、ああ、言ってたね?」
「……その際に、ついついお洋服やコスメを買い込み過ぎてしまったこと……ばあやに見つかって、叱られてしまったのです……!」
「……お?おお、そうなんだ……?」
「けれどもですよ?それでもちゃんとお母様に言いつけられていた月の服飾費の上限は超えていないのです。その事をもちろんばあやに主張したのですが……それは生活に必須のものではない、すなわち服飾費ではなく交友費だ……なんて言われてしまって、ですね!」
「ああー……なんか僕も子供の頃似たようなことあったなぁ……メジロ家でも、やっぱりそういうのあるんだね?」
ふと脳内に香ってきた、若葉と風の香り。懐かしいな、意気揚々と貰いたてのお年玉を殆どはたいて、ゲーム機を買おうとして、何故だか訳も分からず怒られてしまったこと……と、まあ余談はいいとして。
随分大人びて見えるけれども、やっぱり彼女だってまだまだうら若き高校生。彼女にとってはたまったものではないのだろうが……やはりお小遣いだのなんだのと実に優しげな話題で、まるで世界の終わりかのようにもがき足掻く彼女の姿が、なんだかとても愛おしくて、愛おしくて。なんだか今すぐにでも抱きしめてあげたくなるほど……
いや、それにしてもタマネギヤバいな。もはや、『中』じゃん、タマネギの。彼女にあまり気取られないようにこっそり涙を拭ってから、とりあえず僕は、今一番気になる事を言葉にしてぶつけてみるのだった。
「……ええと、それで、この大量のタマネギは……?」
「ふふふ、知っていますかトレーナーさん?涙を流すと、コルチゾールというストレスの元となるホルモンが共に流れ出て、心身の健康に良いのだ……という研究結果が、あるらしいのです」
「……え?いやまさか、もしかしてだけど、タマネギ切った時の涙で、ストレスを……?」
「ふふ、どうです?妙案だと思いませんか?」
彼女の口から飛び出した、耳を疑うような言葉につい言葉を失い、目を見開いてしまう僕……あっ、ダメだ、目なんて見開いたらヤバい、もうヤバい、粘膜にダイレクトアタックで終わる。
「妙案っていうか……ええと、効果あるの?そんな単純な方法で……あとそんな勝手にいっぱいタマネギ切ったら、怒られちゃうんじゃ……」
「ええ、それなら……」
「いいやー?むしろ助かってるよ!」
「こんなもんまだまだ、一日に使う分の十分の一にもなっちゃいないさ。アタシらが全部使わせてもらうから、好きなだけやんな?」
「……との事です♪」
「ならよかったけど!」
厨房の奥から、料理長達の快活な声が聞こえてきて、ほっと胸を撫で下ろす僕。とりあえず、人に迷惑をかけている訳じゃないんならいいけど、いいけど……
「……初めは、普通に泣こうとしたのです。どうしても納得がいかなくて、モヤついて、一度思いっきり泣いてしまえば、気持ちも晴れるのかしら、と」
「アルダン……?」
「けれども……やっぱり私の身体は、どうしてもそう都合よく泣けないように癖が付いてしまっているようでして……我慢、してしまうのです、無意識に。お鼻の上、目尻までは涙が来ているのに……そこから先、まるで堅牢なダムが建てられているかのように、流れ落ちることは、ない」
「…………」
彼女の言葉を、しかと奥歯で噛み締める。きっとその言葉の裏側にも、なにか複雑な背景を慮ることだってできるのだろう、けれども。
「けれども……えいっ……!」
トントントントントントン…………!
「うっ……!?」
改めて、よくよく研がれた美しい包丁を手に、一心不乱にタマネギを刻み出すアル……ダ……ぁぁぁああああああ!?
「ぐぅうあぁぁぁぁ!?い、いだいぃ!目が、目がぁぁあ!?」
「っ……ふふふふっ!ほらっ?こうすればっ……こんな私でも、ちゃんと泣けているっ……でしょうっ……うっ……!」
「た、し、かにっ……!泣けてるけど、泣けてるけど……」
「ふふっ……!いいのですよ、細かいことなんて……どんな手を使っても、確かに今の私は『泣けている』。その事実だけで、間違いなくスッキリ、できていますので♪」
「……ふ、ふふっ……?そうだね?細かいことなんて、いまは関係ない、ね?」
「ふふっ……おりゃー♪なにが交友費だーっ♪悪いことに使ってないなら、それでいいだろーっ♪おりゃーっ♪」
なんとも迫力に欠ける涙の訴えを、ひたすら、何にも囚われないシンプルな笑顔で叫び笑う彼女の姿。涙でボロボロに滲んだその姿を仰ぎみて、ひたすら、単純に、思う。
やはり僕は、この笑顔が一番大切だ。僕にとっての最優先事項は、間違いなく彼女の幸せ。彼女がこうして単純に、シンプルに、誰とも足並みなんて揃えず、お小遣いだのなんだのくらいの『自分の為だけ』の悩みでうじうじしてられる、そんな場所こそが、僕にとって何よりも大切なものなのだ、と。
そして、どうだ、過去とか未来とか、関係各所とか利害関係者とか。そんな顔も名前も知らない人達のために頑張るのはやっぱりごめんだが……絶対に彼女の、メジロアルダンのためなら僕は頑張れる。
『全部が嫌』なんてことは無い、けど、やっぱりもっとシンプルに。彼女の為になるか、ならないか、僕の判断基準は、ただ、それだけで充分だ。
「……ふふっ、ふふふっ!いかがでずが?どれーなーざんも……気持ちいい、でずよ♪」
「えっ?ぼ、僕も?」
「そのだめに、お呼びじたのでずから……貴方は気がづいていながったでしょうが……先程トレーナー室の前で、あなだの平謝りずるお声が聞こえてぎまじて、ですね?」
「あ……き、聞かれてたの?」
「さ、包丁を持っで、タマネギも持っで……思う存分、やっぢゃってくだざい?どれーなー、ざん♪」
「…………ふふっ」
……ただ、まあ、それはそれとして。
「……ふう……ちぐしょぉおおおおおおっ!なにが世間だ品格だURAだぁあああああっ!ぞんなごど僕が知るがぁああああああっ!あああーーーっ!ぐぞーーーっ!時間がえぜーーっ!うぉおおおーーっ!」
トントントン!トントントントン!
「ふっ……ふふふふっ!ふふふふふっ!」
──────────────
「今日は助かったよ、ほら、こいつはサービスだ」
「おおー!美味しそう……!」
「ふふ、ありがとうございます♪」
「安心しな?タマネギはちゃあんとホロホロになるまで、煮込んであるからさ?」
テーブルのど真ん中、行儀よく置かれた片手鍋の中からもくもくとした蒸気と共に姿を表したのは……なんともシンプルで優しげな、オニオンコンソメスープであった。
「んしょ、よいしょ……はいこれ、アルダンの分」
「ありがとうございます♪流石は料理長さん、とっても美味しそうですね……」
「ねー?ちょっと嫉妬しちゃうかも……」
二人分、スープを器に盛り付けてから、改めて僕は彼女の顔を見つめてみる。ようやく滲まず、クリアに見つめることができた彼女の姿……泣いて泣いて泣き尽くして、目の下がより一層桃色に染まったその姿は、なんだか今すぐにでも抱きしめてあげたくなるほど……
い、いや、それにしてもタマネギヤバいな……料理長の言っていたとおり、ホロホロで、それと、それと……ええと……
「……なんだか面白いですね?私たちが散々怒りをぶつけたタマネギさん達が、こんなに美味しそうになってしまうだなんて……」
「まあ、野菜って火を通したら甘くなるからねぇ。似たようなもの、じゃない?」
「ふふふ、確かに♪先程のトレーナーさん、とってもお熱かったですものね?」
「まあ、まあ……それは、ね?」
照れ隠しに触った自分の目尻も、なんとも情けなくぷっくりと腫れ上がっているのに気が付いて……薄ら薄らと笑いが込み上げてくる僕。彼女とお揃いの跡、すぐに消えちゃうのは名残惜しいけど。まあ、泣きたくなるくらい辛いことなんて嫌という程あるし、その時はまた、タマネギさん達に甘えさせてもらうとしよう、かな。
「どう?アルダンは、ちゃんとスッキリできた?」
「ええ、バッチリです♪ですが……ううん……」
「ん?どうしたの?」
「……冷静になってみると、確かにばあやの言う事にも一理あるような気がしてきました……これを食べたら、また、もう一度ちゃんと話してみようかしら?」
「……ふふ、やっぱりアルダンは立派だなぁ……」
「トレーナーさんは、いかがです?」
「うーん、まだちょっと許せないかな!」
「ふふっ♪ま、それはそれでいいと思いますよ?のんびりご飯でも食べて、疲れたなら昼寝でもして、それから、また考えればいいんです。なんとかなりますよ、それでも♪」
「……ま、そだね?それじゃ早速……いただき、ます」
「いただきます♪」
きらきらと輝く黄金色のスープに、銀色のスプーンを差し込み、掬って、優しく口に含む。
「……っ……!」
「うっ……まぁ……」
燃え盛る怒りのようにじっくり煮込まれたタマネギの甘み。
前途多難な人生のように濃縮された、チキンブイヨンの風味。
そのあまりの美味しさに……僕の内に溜まったどす黒いもの、その最後の一滴は頬を伝って、ふわりふわりと優しく流れ落ちていくのだった。