メジロアルダン短編集『to the MEJIRO ARDAN』 作:いずさわ
ラブ・ユー・テンダー!
「……美術館のチケット、よし。髪型、よし。服装も……大……丈夫、だよね?うん、大丈夫、大丈夫なはず……」
「……あっ、トレーナーさーん?おはようございます♪」
「ああ、アルダン、おはよ……」
ふわりと、ツツジの香りが燻った日曜日の朝。待ち合わせの駅前、緩やかな朝日が木漏れ日となって降りしきるプロムナードで聞こえてきた、何よりも柔らかで優しい声のする方に僕は目を向け……
「うっ!?かっ……!」
「……!」
……た、瞬間。キャパオーバーでバチリと焼き切れたのは、僕の網膜と脳細胞。まるで何らかの福音のように風が吹き枝は揺れ、強い日が差し込み、どこからともなく壮大なホルンの音色が聞こえ……たような、聞こえないような。
「……ふふふ、大丈夫ですか?トレーナー、さん♪」
「ん、う、うん……だ、大丈夫、大丈……」
僕の目の前に現れたのは、天女か、女神か。いや、間違いなく我が担当ウマ娘、メジロアルダンである。未だその姿を直視出来ずに虚空を見つめる僕に向かって、彼女はなんとも不用心に、呑気に、鼻歌混じりで歩みを進めてきた。一歩、また一歩、いよいよその爽やかで刺激的なシャボンの香りも無視出来なくなって来た頃合、露骨におどけた表情を浮かべながら、彼女は口を開く。
「……今何か、言いかけませんでした?」
「えっ!?い、いやぁ、なんにも言ってないよ?全然、なんにも?」
「そうですか?先程『かわっ……!』と、声に出ていましたよ?」
「『わ』までは言ってないよ!『か』までで我慢し……あっ」
「っ……!ふふふっ!やっぱり、言ってるじゃないですか?」
僕の目の前でぴたりと歩みを止め、その純粋そうで美しい……けれどもなんだか、獲物を追い詰めた肉食獣のようなしたたかさも混ざったような視線で見上げてくるアルダン。目を逸らしても、口元を隠しても逃げ切れないと観念した僕は、ぽつり、ぽつりと口を開く。
「い、いやぁ……こんなこと言ったら、ほら、最近は色々問題あったりするからさ?」
「問題にするかどうかは、私が決めることですよ♪」
「……その、ファッションといい、メイクといい……今日のアルダン、ちょっと、可愛過ぎるな……ってさ」
「…………ふ、ふふふ♪」
可愛過ぎるって……もうちょっと言い方あるだろうに……と思いつつ。しかし既に焼き切れてしまった僕の脳細胞からは、結局なんとも、洒落た言い回しなど浮かんでくるはずもなく……
「その、なんか、シャツ?そのふわっとしたところも、すごくオシャレで可愛いし……普段と違う黒いロングスカートも、ちょっと大人っぽさもありつつ、すごく可愛いし……」
「ふ、ふふふ、それでそれで?」
「目元のメイクも、なんだろ、優しくて、柔らかくって、すごく可愛い。そのリップも、ちょっと厚めのチークも……」
「……チーク?」
「その……なんだ……あー、全然上手く言えないんだけど……今日、僕ちょっと本当にやばいかも……全然、言葉出てこなくて……」
頭から、つま先まで、ピンと軸を通したような姿勢で、きゅるきゅると僕の顔を見回してくるアルダン。木々の隙間に吹く風で揺れ動く、品格溢れるスカートの裾が、まるで催眠術の振り子のように僕の瞳を惚けさせる。
「ふふふ、先日シチーさんにジョーダンさんとご一緒にお買い物した際に、お洋服もコスメもついつい買い過ぎてしまいまして……」
「ほ、ほうほう」
「購入したのに、お披露目出来ないのは勿体ないなぁ……と思っていたら、タイミング良くトレーナーさんからお誘いが……という訳で、思い切って今日は新品フルコーデ、なのです。喜んでいただけて、ほんとうに良かった♪」
「もちろん……いや、ほんと……」
「あらあら?もしかして、そうでもなかったり……ですか?」
「そ、そんなことないよ!本当に、可愛くて、綺麗で、すごく似合ってて……」
そのブラウスが、まるで雪原みたいにキラキラしてて……いや、そのネックレスも思わず見蕩れるほど……靴もシックで可愛くて……髪型も少し緩く巻いてるのが……
ああ、だめだ、喉元で根詰まりした言葉が、全身の血管から汗として吹き出していく。どうしたって『全て』が可愛過ぎる彼女に、逆にかける言葉が見つからない。と、カチカチと歯ぎしりしか出来ない僕を見かねて、再び彼女は、その普段より少し大人っぽく色気づいた、淡い桃色の唇を動かした。
「ふふふ、それを言うならトレーナーさんも……そのジャケット、初めてお見受けいたしますが?」
「あ、これ?これは……まあ、確かに新調したやつだね?」
「あら、トレーナーさんもおろしたてだったなんて……ふふっ、なんだか気分が上がりますね?」
「僕はジャケットだけだけどね?」
「それでも、すごくお似合いです。ほんとうに、とっても、かっこいい……です。トレーナー、さん♪」
「そ、そう?それなら、よかったけど……」
目を細めつつ、なんとも恥ずかしげもなくベタ褒めしてくるアルダン。この感じ、ちょっとおふざけも交えつつ、僕に合わせてわざと幼い語録で喋ってるな……?なんて分かっていつつ、新調のジャケットが受け入れてもらえたという安堵と、彼女に褒められたことへの喜悦のおかげで、なんでも有耶無耶になってしまう、都合の良い僕の頭……
「さて、こんなところで立ち話もなんですし、早速美術館に向かいましょう?褒め合いっこのつづきは、歩きながら……♪」
「え、歩いて行くの?電車は?」
「たった二駅分でしょう?今日は心地よいお散歩日和ですし……それに」
「それに?」
「せっかくおろしたてのファッションですもの。街ゆく方々にも、ちょっぴり自慢したい気分なのです♪」
「……ふふっ、それなら仕方ないね?」
「あ、もちろん私のトレーナーさんの事も……ですよ♪」
「い、いやいや、僕はいいけど……じ、じゃ、早速出発しよ?」
「ふふっ、はい♪」
──────────────
「それでですね?このスカートはシチーさんに選んでいただいたのです♪自分ではあまり私服に黒は選ばないので、少し不安でしたが……」
「うんうん、大丈夫。すごくすごく、似合ってるよ?」
「ふふふっ♪あと、この靴ももちろん新調です♪制服以外でローファーを履くのは初めてなのですが……」
「それも……すごく似合ってる、本当に可愛いよ、アルダン」
「ふふ、ふふふふっ♪」
……果たして、僕は今日あと何回『似合ってる』と口にする事になるのだろうか。
というか、あれ?『似合ってる』ってこういう形の字だったっけ?
あまりのボキャブラリーの貧しさに、少しずつゲシュタルト崩壊を起こし始めてきた僕の口元。けれども、それでもやっぱり僕の半歩先を行く彼女のテンションは上げ止まらず……
「お顔のメイクも、リップ以外は全てジョーダンさんのおすすめで新しいものにしてみたのです♪どうでしょう?少し目元にラメが入っているのですが……」
「あ、ああ、それもまた………………」
「…………?」
いや、にしたって流石に可愛過ぎるな?
待ち合わせの駅から、西へ向かって歩き出した僕らが通りすがったのは、オシャレなブティックが立ち並ぶストリート。道行く人々も皆、なんとも垢抜け洒落た出で立ちで堂々と肩で風を切っている、のだが。
「……あれ、見て?あそこにいるウマ娘の子、すっっっごい美人じゃない?」
「え?うわ!?ほんとだ!顔ちっちゃ!羨ましいー!」
「ねー?服もメイクも完璧じゃない?なんか、モデルとかやってんのかなー?」
そんな街並みの中でさえ、飛び抜けて輝きを放ちまくるアルダン。すれ違う人みな彼女に見蕩れこちらに顔を向けてくる様は、まさしく歩く広告塔。殺風景なアスファルトの歩道も、彼女が歩けばまるでレッドカーペットのようであった。
「ふ、ふふ、ふふふ……」
「あらあら、少しからかい過ぎましたでしょうか?トレーナーさーん?聞こえますかー?」
きっと、着ているもの自体は周りとそう変わりは無いのだろうが、やはり彼女は全体的な所作が美し過ぎる。頭からつま先までしゃんと伸びた立ち姿に、緩やかに穏やかに動く指先。
一朝一夕では身につきはしない、その所作の美しさ。これこそが彼女をより一層特別へと押し上げている秘訣なのだろう。まるで自らが世界の中心かのように瞬く彼女の姿は、やはり何よりも……
「それと……隣の人はやっぱり彼氏さんなのかな?」
「どう見てもそうでしょー?あんなに距離近いんだか……ん?あれ……」
「え?どしたの……あー……ははは……」
「……ん!?」
「ひゃっ!ど、どうされました?トレーナーさん?」
……突如、背後から聞こえてきた乾いた笑い声……これは、どう考えても間違いなくアルダンに向けられたもの、ではない。となると、もしかして、まさか……
僕が、笑われている……!?
「っ……!っ……!」
「と、トレーナーさん……?大丈夫ですか?お腹?お腹が痛いのですか?」
そうだ、何故気が付かなかったんだ……アルダンが注目を集めるということは、自ずと隣を歩く、僕にだって注目が集まるということ……
そして……まあ、じ、実態はどうあれ。おそらく僕らくらいの年頃の男女二人がこんなストリートを並んで歩いている姿は、まず間違いなく、恋人同士……か、まあ何かしらそれに準ずるような関係に思われてしまう訳で。つまり、すなわち。
僕のせいで、僕がきっちりしていないせいで……こんなにもオシャレで完璧なアルダンが、男性の趣味だけはとびきり悪い娘だと誤解されてしまう可能性があるのでは?
ぐうっ……!それは耐えられない……!僕自身が笑われることなんて心底どうでもいいが、アルダンが誤解されることだけは……それだけは、耐えられない……!
何だ?さっきの人は今、僕の何を笑ったんだ?髪型か、ファッションか……ファッション?このジャケットでもダメなのか?三万五千円もしたんだぞ?
「……はっ!?」
……いや、違う。そうだ、着ているものがいいからって、それで良く見られるとは限らない。いつの間にやら、自らの背筋が自信なさげに丸まってしまっているのを、その時僕はようやく気付いてしまったのであった。
「……ふんっ!」
「えっ?トレーナーさん、何故急にそんなに胸を張ったのですか?」
「あ、いやいや、これは別に……『いいや、なんでもないよ、さあ行こうか、アルダン……』」
「ああ、なるほど♪また何か考え過ぎてしまっているんですね?ふふっ、本当に仕方の無い人♪」
僕は慌てて背筋をピンと伸ばして、足を揃えて胸を大きく張り、おまけにちょっとだけ声も渋くして……彼女にそっと手を差し出した。そうだ、じ、実態はどうあれ、今の僕はアルダンと一蓮托生の恋人同士……の、ようなものなのだ。彼女の隣に立つに相応しい所作、風格を醸し出さなければ……
「で、ええと、何の話してたんだっけ……そうだ、あ……『改めてだけど、本当によく似合っているね、その、ファッション』」
「ふふ、ありがとうございます♪トレーナーさんこそ、やっぱりそのジャケットとってもお似合いですよ?すごく大人っぽくて、けれどもカジュアルな雰囲気もあって……」
「えっ?そ、そうかなぁ……じゃなくて、あ、『ありがとう、そう言って貰えて、嬉しいよ』」
「ふふっ♪」
ピンと伸びた背で、今までより少し高い視点で、僕の手を優しく取ってくれた彼女を見下ろしてみる……と、なんだろう、不思議と今までより世界が広く、鮮明に見えた。ストリートから流れてくる流行りの音楽の音色も、飲食店から漂ってくるこないだバズったスイーツの香りも。
「本当に、本当にお似合いですよ?トレーナーさんはお顔が優しい雰囲気ですから。そのようなパリッとした黒のジャケットを着ると、とてもギャップがあって、素敵です♪」
「へ、へへ、いやあ、それほどでも……じゃなくて、ええと、ええと……」
「ふふ、本当にトレーナーさんはかわ……ではなく、かっこいい、ですね♪」
そして彼女の、普段より血色の良い耳先の色も、いつもより少し砂糖多めの甘い声も……
全てが、普段より一層鮮明に感じた気がした。遥か高みにいる彼女に、ほんの少しだけ背伸びで近づけたみたいな、そんな高揚感が確かに僕の中に湧き出してくる。本当にほんの少しだけ、彼女に相応しい姿、に……なれた……みたいな……
「ええと……はぁ……ええっと……ふぅ……ふぅ……」
「……トレーナーさん?」
……いや、にしたってこの姿勢キープするの、異常に疲れるな!?
背筋を伸ばしたことによって腰が、胸を張れば肩が……まるで噛み合っていない歯車のように、ギシギシと悲鳴を上げる。歩幅を一定に保とうとすると、今度は腕の振りもぎこちなくなって……それらを両立しようとすると、今度は脳のリソースを持っていかれて上手い言葉が出てこなくなる。一つを正せば一つ狂って、狂いを直せば、また一つボロが出る……こんな姿勢をキープするなんて、持って三分が……
「あはは……彼氏さん、まだ気付いてないのかな?」
「声掛ける?でも私達が邪魔するのもねぇ……ははは……」
「…………!」
相変わらず背後から聞こえてくる、乾いた笑い……こ、これでも、これでもダメなのか?
というか……も……もう限界……
「ううむ、そろそろ潮時ですかね?トレーナーさん?」
「なっ……『何、かな?アルダ……」
「……つんっ♪」
「ひゃぁんっ!?」
頭からつま先までカッチカチに強ばらせていた筋肉が……彼女の、僕の脇腹に向けて放った指先の柔い一撃で、まるでドミノ倒しのように緩んでいく。我ながら気色悪い猫撫で声を発しながら、僕の身体はぐにゃりと、まごついた午前中の猫のように丸まって行くのだった。
「ふふ、今日はどんな悪い想像をしたのかは知りませんが、そのあたりにしておかないと、身体がつってしまいますよ?」
「あ、う、うん……ごめ……じゃなくて、ええと……」
「それと、これは私の好みの問題ですが。やっぱりトレーナーさんはいつもの優しい雰囲気のお声の方が、良いと思いますね?」
「えっ?そうなの?」
「ええ、トレーナーさんのお声、マイルドで聞き取りやすくて、大好きです♪」
全身の筋肉と同時に肋骨と横隔膜も緩んで、新鮮な空気が一気に肺に流れ込んでくる。そうか、さっきまで僕、ろくに空気も吸えてなかったんだな。余計なノイズが聞こえなくなって、はっきりクリアに僕の中に響いた彼女の声は、やっぱり世界中のどんな流行りの音楽より、愛らしく、美しかった。
「……は、はは、ごめんねアルダン。なんだかやっぱり今日の君が眩しすぎて、無理してでも釣り合うような人間にならないと!って思っちゃって、さ?」
「ふふふ……まあ、おおよそそんな事だろうとは、思っていましたよ?それにしたって極端過ぎますが……♪」
「いやはや……姿勢よく過ごすって大変だね……ほんと、凄いな君は……」
「そんなことありませんよ?コツを掴めば、姿勢を良くするのにそう筋力は使いません。腰は反るのではなく、骨盤で持ち上げるイメージで。顎は引くのではなく、首で支えるように……走りと同じで、身体の軸を使うんです」
「え?ええーと、骨盤と、首を……えっと?」
「ふふふっ♪」
彼女の話を忘れないように、手帳とペンを胸ポケットから……ああ、このジャケット胸ポケットないんだった……というか、プライベートなんだから手帳なんて持ってすらいないのか……
「まあまあ、今日はこんなところで良しとしましょう?そのジャケットもそうですが……貴方が私に歩み寄ろうとしてくれた。それだけで、私は飛び上がる程嬉しいのですから♪」
「うっ……ジャケットもバレてたんだ……」
「ふふ、貴方だって黒はなかなか選ばないでしょう?そうやって冒険してみるのは、『誰かに見てもらいたい』証拠なのですよ♪」
「……それで言うと……いや、そうだね?間違いなく君のために、選んだんだ」
そうだな、本当に、彼女の言う通り。今日はちょっと失敗しちゃったけど、けれども僕のやっていること、考えていることはきっと、絶対に間違いなんかじゃ、ない。
まだまだ未完成で、未熟だけど、『君に見てもらいたい』『君の世界の一部でいたい』。そんな気持ちを忘れずに行動しつづければ、いつかは僕だって君に釣り合う、立派な男になれるはず……
いつもと少しだけ違う、その黒くて愛らしいスカート姿の君に相変わらず見蕩れながら、ぼんやりと、そんなことを考えたのだった。
「ふふ……それにしても本当に素敵なジャケット……生地の肌触りも、とっても……」
「あ、ちょっと、アルダン……」
なんだか、少しだけしっとりした視線を注ぎながら、僕の肩口に指先触れるアルダン。目と鼻の先まで近寄ってきた彼女の吐息に、僕もしばし、身を震わせ……
「……えっ?」
「えっ?」
「あの、トレーナーさん、これ……」
[¥35,000+TAX]
「あっ!やっと気付いた!」
「よかった〜……自分達で気付けて……」
「ねー?あと一分ぐらい気付かなかったら、流石に指摘しようと思ってたよ〜?」
「あはは、ちょっとドジな彼氏としっかり者の彼女かぁー?なんというか、めちゃくちゃ『お似合い』だねー?」
「ねー?」
「あ、ね、値札……つきっぱなしだったのか……はは、ははは……」
「ふふふ、やっぱりトレーナーさんは……可愛過ぎます、ね♪」
「うっ……かっこいい、じゃなくて……?」
「ふふ、どっちもですよ♪どっちも、素敵です♪」