メジロアルダン短編集『to the MEJIRO ARDAN』   作:いずさわ

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SPARK‐AGAIN

『梅雨の合間の、湿った曇り空が広がりますこの中京レース場。引き続きバ場状態は、稍重と発表がありました』

『午後からは雨予報が出ていたんですが、何とか持ちこたえたといったところですかね?』

『そうですね、レースへの影響は最小限に済みそうです……と、ここで各ウマ娘、パドックに姿を表しました。一人ずつご紹介いたしましょう』

 

『まずは一枠一番、メモリアツインズ、三番人気です』

『年明けの但馬ステークスから、上り調子の彼女。ここも制して秋に繋げられるでしょうか?』

 

『続きまして二枠二番、アスリートクラウン、十二番人気』

『天皇賞・春では悔しい思いをしました彼女。今度こその再起を狙います』

 

『二枠三番、リバースフラワーズ、九番人気』

『重賞初制覇を賭けて、気合いは充分そうですね?』

 

『三枠四番、キングワイバーン、十番人気』

『ここ最近は勝ち星から遠ざかってますが、ベテランの意地を見せてくれるでしょうか?』

 

『三枠五番、テツノスペシャル、六番人気』

『対するこちらは昨年デビューの新顔、メキメキと上り詰めてきたその実力は本物か?』

 

『四枠六番、マットセイエイ、七番人気』

『こちらも年明けからグンと伸びてきた印象の彼女、狙うはやはり重賞初制覇です』

 

『四枠七番、ヒトエマル、八番人気』

『デビューからなんと四年半、衰え知らずの大ベテランが今回も魅せてくれるのか?』

 

 

『えー、そして出てまいりました今回の大本命一番人気……五枠八番、メジロアルダン!』

 

「……ふふっ?皆様、本日はよろしくお願いいたします♪」

 

「きたー!メジロアルダンだ!」

「キャーッ!アルダン先輩頑張ってーっ!」

「応援してるぞーっ!メジロアルダン!」

 

『言わずと知れた、昨年の日本ダービー準優勝ウマ娘がここで登場です!一年の休養を経て望んだメイステークスの快勝も記憶に新しい彼女、本日はどんな走りを魅せてくれるのでしょうか?』

 

 

『さて、注目のウマ娘が続きます。次に登場するのは……六枠九番、四番人気のバンブーメモリー!』

 

「オォォォォォッス!!!バンブーメモリー、よろしくお願いしゃーーーっス!!!」

 

「バンブーさーん!がんばれーっ!」

「今度こそブチかましてやれーっ!バンブーメモリーッ!」

 

『安田記念圧巻の一着!宝塚記念から引き続き、春のマイル王者がまさかの中距離路線に堂々参戦!群雄割拠、秋シニア戦線の台風の目と成れるのか!』

 

 

「っ、くぅオォォォォォッ!このヒリつく活き活きとした生の匂い!いつ嗅いでも最っ高っス!ね!アルダン先輩!」

「………………」

「……アルダン先輩?」

「ええ、ええ、貴方の言う通りですねバンブーさん。この活き活きとした生の匂い、私達は、確かにここに、『生きている』」

「……おお、流石アルダン先輩っスね!こんな時でも詩的でクールな落ち着きっぷり!カッコイイっス!」

「ふふっ?落ち着いているように視えるのなら何よりです♪お互い全力で目指しましょうね、他でもない、『一着』を♪」

「オォォォォォッス!!!よろしくっス!」

 

 

『……えー、ラストの八枠十四番、五番人気ソムニズユニバースが本バ場に入場、ウマ娘達が続々とゲートインして参ります』

『いよいよ今年も始まりますよ!粒揃いのウマ娘達が集うスーパーG2にして、来たる秋への片道切符!』

『果たして今年は、どんなレースが繰り広げられるのでしょうか…………全ウマ娘ゲートイン完了。午後、三時、四十分────』

 

 

 

     高松宮杯

 

中京 芝 左 2000m 曇 芝 稍

 

 

 

『今……出走です!』

 

 

──────────────

 

 

「どうも、美竹さん」

「おや、少年か!久しいな!なんだかんだ二週間ぶりか!」

「……ええと、それ、何作ってるんです?パーティの、あの、よく壁に飾ってある、折り紙の輪っかを繋げたやつ?に見えるんですけど……」

「いかにも!パーティのあのよく壁に飾ってある折り紙の輪っかを繋げたやつだとも!バンブーメモリーくんを励ます会で使おうと思ってだな!」

「……そうですか」

 

湿気を含んだ生ぬるい風が吹き荒ぶ、中京レース場。まるで沸騰石を入れられた熱湯のように、予定調和の如く沸き立つ観客達を、彼は……美竹さんは一段上の、テーブル付きのVIP席から、実に優雅に見下ろしていた。

 

「そういう少年こそどうしたのかね?もう出走しているではないか。こんな離れた場所ではどんなに頑張っても、君の『声』はメジロアルダンに届かないぞ?」

「もう、いいんですよ。もう今の僕に、出来ることなんてありませんから」

「……はっはっは!いやはやこれは失敬!なに、初めは罪悪感もあるかもしれないが、じきに慣れるさ!さ、君もここに座りたまえよ、少年!」

「……ありがとう、ございます」

 

スタンドの硬いアスファルトとも、冷たくぬかるんだ今日のバ場ともまるで違う、あまりにも座り心地の良い、ふかふかのシート。僕は彼の隣に、浅く腰掛ける。

 

 

『さあスタートから一気に飛び出したのはビッグコサック、次いでヒトエマルとキングワイバーンがしのぎを削り、その後ろにメモリアツインズ、そしてメジロアルダンです』

『注目の娘達は皆、前めのスタートですねー?そんな中でバンブーメモリーはだいたい八番手、中距離の感覚を手探りで確かめているようなところでしょうか?』

 

「なあ、今日誰が勝つと思う?」

「そりゃ、メジロアルダンだろ?この中で一番、中距離の実績あるんだし」

「ま、だよなぁ。バンブーメモリーもよく頑張ってるけど、やっぱ勝手が違うっていうか、なぁ?」

 

 

「……観ないんですか、レース?」

「ああ、ここ五年程は観ていないな。結果の分かりきっているレース程、観ていてつまらないものはないだろう?なあ、少年?」

「……まあ、その通りですね」

「肝心のレースシーンが一番つまらない。この『作品』の致命的な欠点だ。スキップ機能でも実装してくれれば、有難い限りなのだがな!はっはっは!」

「………………」

「ところで少年、手持ち無沙汰ならばこの輪っかを作るのを手伝ってくれないかな?意外と塩梅が難しいのだよ、これ」

「それは……ちょっとお断りします」

 

つまらない、か。

美竹さんが零した何気ない言葉に、僕の耳がピクリと反応する。そうだな、確かにこのレースは、つまらない。

このレースだけじゃない、日本ダービーも、有馬記念も、きっと凱旋門賞だってそうだろう。『結果も過程も分かりきっている』レースだなんて、もう、どんな大きなレースだって、どこをどう切り抜いたって、面白くなんて、なるはずがない。

 

 

『現在800Mを通過して、まだまだ大きく逃げるビッグコサック。時計は47.3、序盤からハイペースな展開となりました』

『仕掛けどころが難しい場面ですが……メジロアルダン流石の一番人気ですね?大きく動じることなく、実に安定して五番手辺りをキープしています!その力強い足取り、まさしく重戦車と言ったところ!』

 

「ほら、やっぱメジロアルダンだろ?あそこから最終直線で一気に捲るスタイル、メイステークスの時と一緒だよ」

「ふーん……ま、一番人気が順当に勝つ。現実なんて、そんなもんか」

 

 

「……例えば、このレースの最中に。あの雲を消し飛ばしながら宇宙船が降りてきて、その中から凄まじい能力を持ったスペースウマ娘が現れ、レース界に攻め込んできて。地球のウマ娘達、伝説級のウマ娘ですらまるで歯が立たなくって」

「……少年?」

「そして、スペースウマ娘に支配されたトゥインクルシリーズを奪還すべく、地球のウマ娘達は今まででは考えられないような常識外れのトレーニングを……なんて、それくらいの事があれば、ようやく面白くなりますかね?」

「ぶっ……!はっはっはっはっは!!!少年、大人しく見えて案外そんな事を考えるタイプだったとはね!」

「………………」

「失礼、流石の私でも『予想外』だったのでね?久しぶりに、本気で笑わせてもらったよ?いや確かに、そんな事が起こればどれだけ面白い事か!」

「……まだまだ、こんなもんじゃないですよ」

「ん?少年、何か言った……」

 

つまらない、つまらない、つまらない、やっぱりこの世界はどうしようもなく、つまらない。

どんな歴史的な勝利も、大記録も、それらは全部どこかの誰かから借りた模造品でしかなくて、『彼女達』自身は、何も手に入れられなくて、彼女達はただのアニメかゲームか、漫画か小説……『ウマ娘 プリティーダービー』の1キャラクターでしかなくて、走る事しかできなくて、何年経っても成長しなくて、そのくせ無碍に僕らに優しくて、都合が良くて。

 

……冗談じゃない、僕は彼女が、メジロアルダンが欲しがるもの『全部あげたい』んだ。今まで彼女に貰った分、救われてしまった分、僕だって。盾も杯も、メダルもトロフィーも、あの空も、世界そのものも、全部、全部。

 

そうだ、例えば僕の大切な『才能』さえも。

 

 

『……おや?おっと?これは一体?』

『えっ?なんだなんだなんだ?どうなってるんですかこれ?』

 

「は?どうなってんだ?お前、さっき言ってたのと全然違うじゃねえか?」

「い、いやいやいや!俺にだってわかんねえよ!だって、あんなの……!」

 

 

「……ん?なんだ?なんの騒ぎだ?」

 

爆発を待つ火薬のように、ざわざわと空気を震わせたスタンド席。その異質な様子に、美竹さんのそのブラックホールのような黒い眼差しも、逆に吸い込まれていく。

 

「スペースウマ娘……は、流石にまだ会えてないですけど。同じくらい面白いものなら、ありますよ、このターフには」

 

     ◆

 

「ふっふっ……ふっ!」

「はぁ、はぁ、アルダン先輩、流石の安定感っスね……!さて、どう仕掛けたもんか……」

 

「メジロアルダンっ!」

「厄介な一番人気は……」

「早いうちに潰しておくっ!」

 

「………………」

「うおっ!もうあんなにマークされてるっスか!?流石のアルダン先輩も、あれじゃ……」

 

 

「…………ふふっ♪」

 

 

「……えっ?」

「何っ!?」

「あ、あれっ?」

 

「えっ?な、なんスか今の……!?アルダン先輩、まるで……まるで……!」

 

     ◆

 

『え、えー、丁度1000Mを越えた中盤戦。ですが、どういうことだメジロアルダン、先程までの安定した走りから打って変わって……前後左右、不安定にその身を揺らして、あれだけ徹底していた他ウマ娘からのマークをあっさりと躱した……!』

『なんですかあの動き!?今まで見たことがない動きだ!前方、左右だけでなく、後方からのマークまで……なんというか、まるで我々と同じようにターフを『外側から見ている』かのような動きです!凄い凄い!』

 

「い、いや、外側からってのもそうだけど……あれ」

「あ、ああ……もはやこれ、『未来』すら見えてないか?」

 

     ◆

 

「うぉぉおおおっ!待ちやがれメジロアルダンっ!」

「…………ふ、んっ!」

「なっ……!おい!どこに逃げるつもりだ……うわっ!?こんな所にでっけえ泥濘!?」

 

「はあっ、はあっ……なんだろう、後ろの方が騒がしいような……」

「は、ぁあああああああっ!」

「え、えっ!?メジロアルダン!?もう追い上げてきた!?」

 

     ◆

 

『の、残り800M!残り800Mですが……なんとメジロアルダン、逃げていたビッグコサックをいとも容易く捕らえ、既に先頭に立っている!』

『いつもよりずっと速い?いや違う!速度自体は変わってなくて……彼女、この先のバ場状態とか他のウマ娘達の動きの隙間とか考慮した上で、徹底的に『ゴールまでの最短ルート』だけを縫って進んでるんだ!って、なんだそれ!?自分で言っといてなんですが、そんな事ほんとに出来るの!?』

 

「す、すげーっ!?まだまだ余力あるぞあの娘!?」

「確かに一番人気だったけどさあ……!あんな走り出来るなんて、聞いてないぞ!?」

「凄い!凄すぎるよぉアルダン先輩!」

「アルダン!アルダン!アルダン!」

 

 

「……どうやっているんだ」

「はい?何がです?」

 

「どうやって彼女に『合図』を送っているのかと!訊ねているんだよ!少年ーーッ!!!」

 

まるで食いかかるように、僕に向けて激情の色を見せる、美竹さん。ここまで感情を剥き出しにした彼の姿、目の当たりにするのは……実に、十五年ぶりか。

 

「いいえ、僕は合図なんて何も送ってないですよ、美竹さん」

「嘘をつくな!あの動きを見ろ!あんな動き我々の『眼』でもない限り、有り得ない!」

「そうですね?でも『ひっくり返して』考えてみれば」

「……?」

「僕らのような『眼』でもない限り、有り得ない。だったら、僕らのような『眼』さえあれば?」

「な、なんだ少年?何が言いたい?」

「ここには別に、上位存在として高みの見物を決めに来たんじゃない。美竹さん、あんまりな見栄えで申し訳ありませんけど……これを、あなたにも」

 

思わずといった様相で、その座り心地の良い席から立ち上がった彼に向かって、僕が差し出したもの。他でもないそれは、ボロボロになるまで書き込まれた、一冊のノートだった。

 

「これこそが、僕らの『才能』。その『正体』です」

 

 

──────────────

 

 

「トレーナーさん。貴方の『眼』を、私にくださいませんか?」

 

 

遡る事、二週間前。静止した夜空に星が流れて、彼女の安定した炎もほんの僅かに揺らぎ始める、そんな夜。彼女の口から飛び出したその言葉に、僕は暫し、思考を巡らせた。

 

「出来る気が、するのです。『貴方が観て』『私が気付く』のではなく、『私が視て私が気付く』。ロスタイムも環境の不利も無い、この最短ルートならば、きっとどんな相手でも……例えそれが、この『世界』相手でも」

 

彼女の言うことに、僕も異論はなかった。確かにその方法なら僕の声が届かない状況に怯える心配もないし、他のウマ娘や美竹さん、そしてこの『世界』相手にすら、想定外に意表を突けるような、そんな気がしたからだ。

 

……不安があるとするならば、僕の方か。

この『眼』というアドバンテージ、知識も指導力もカリスマ性も、並のトレーナー以下であるこの僕が持つたった一つの切り札であり、彼女のトレーナーとして、隣に立つための、免罪符。

それを彼女に与えるということは、すなわち、今度こそ完全に僕の『存在価値』が失われるということ。彼女の『上位存在』になるチャンスも、『対等』になれる可能性さえ捨ててしまうことになる、ということに、他ならない。

 

───その上で、僕は一切の迷いなく、彼女に向けて口を開く。

 

 

「ああ、もちろんいいよ」

「─────」

 

 

彼女の瞳に反射した僕の顔が、不意に大きく揺れ動く。『貴方は、本当にそれでいいのか』と、暗に訊ねるかのように。

返答の代わりに僕は、はっきりと彼女の姿をこの眼に写した。互いの意識が溶け合うような、不可思議で甘美なひとときの後、先に顔を綻ばせたのは、彼女の方だった。

 

「……ふふっ♪それではいつものように、ご指導ご鞭撻の程よろしくお願いいたしますね?私のトレーナーさん♪」

 

     ◆

 

「それじゃあ、初めていこうかアルダン」

「ふふ、この感じ、なんだか凄く懐かしいですね?」

 

昼下がり、時計はそろそろ十五時を指して、人影もじわじわと疎らになってきたカフェテリアの、片隅。眼前に広がるデジャブのような光景に、これまたデジャブのようなコーヒーと紅茶の香り。それでも、昨日よりも揺らめきを増すばかりのその瞳の輝きに胸をはためかせながら、僕は彼女に……メジロアルダンに向けて、ゆっくりと言葉を投げかける。

 

「昨日の夜から、ずっとずっと考えてたんだ。僕のこの眼の使い方、君に伝授する方法を」

「ええ、ご無理を言って申し訳……いえ、ありがとうございます、トレーナーさん」

「いいや、お礼を言われるにはまだまだ早いよ。というわけで、その、相変わらずあんまりな見栄えで申し訳ないけど……これを、君に」

 

相変わらず、デジャブを感じる光景に肩を震わせながら。僕は彼女に、一冊のノートを手渡した。

 

「新・メジロアルダン専用トレーニングノート……ふふふっ!やっぱりこの感じ、とっても懐かしいです♪」

「ああ、そうだね。君のトレーナーになってから新しくタブレットも買ったけど、やっぱりいざと言う時は、手書きが一番だなって」

「ふふっ?やっぱりなんだかへんなひとですね、貴方は……では、早速拝読させていただきますね?」

「……………………」

「……っ!?こ、これはっ!?」

 

紅茶のカップを少し脇に寄せ、差し出されたノートを堂々と机の真ん中で広げてみせる彼女。そのまま1ページ目、2ページ目と順繰りに捲っていく彼女の瞳には……

 

「あの、トレーナーさん?このノート、なんだか私には表紙以外全て『白紙』に見えるのですが……?」

「…………った」

「はい?」

 

「全っ然!解らなかった!一晩考えてもっ!」

 

……やはり、僅かばかり当惑の感情が映り込んでいたのであった。

 

「一晩、丸一晩めちゃくちゃ考えたんだけどさあ……!ほんとに自分がなんであんな風にできてるのか、全っっっ然分かんなくて……!」

「あ、あらら……」

「何回考えても『出来るから出来る』としか言いようがなくって……!今までずっと無意識にやってたから、きちんと理屈立てて説明とか、出来なくって……!」

「ま、まあ、得てして生まれつきの才能とは、そういうものでしょうから……」

「それで、余りにもわかんないからさ。なんかこう、目の中のこの器官が特別発達してるからーとか、身体学的に特殊な部分があったりするのかなって思って、今日の朝から眼科に行ったりもしたんだけどさ?」

「ふむふむ……それで、いかがでしたか?」

「相変わらず両眼3.0、目立った異常なし、何しに来たんだって目で見られたよ……」

「それは、ご愁傷さまです……」

 

まずい、このままでは非常にまずい。昨日あんなに大見得を切っておいて、結局このザマというのは、余りにも情けなさすぎるぞ僕……!彼女のふわふわと風になびく姿を視つめながら、僕は諦め悪く、ひたすらに思考を巡らせていた。

 

「……言うなれば今回は、『目的地』の場所自体が曖昧で、そこまでのルートを組むことができない。と言ったところですかね?」

「…………!」

「そして……もしかしてトレーナーさんは、今まさに、その眼を使ってる状態だったりしますか?」

「えっ?えと……完全に無意識だったけど、使ってるといえば使ってる……のかな?」

「………………」

「……あ、アルダン?」

 

なんだか意識の範疇外から質問を投げかけられたかと思えば、逆にアルダンから見つめ返される僕。その長いまつ毛から放たれる光沢の美しさに耐えきれず、思わず僕は、虚空へ向けて目を逸ら

 

「……やっぱり」

「えっ?何?どしたのアルダン?」

「今、目を逸らしましたね?トレーナーさん?」

「えっ?いやまあ、それは君が余りにも綺麗過ぎたか……じゃなくて、君がやたら見つめて来るのがなんか気恥ずかしかったから……」

「そうですか?正直な所を言えば、私は貴方に声をかけるずっと前から、貴方の事を見つめていましたよ?」

「あ、あれ?そうだっけ?」

 

彼女から発せられた思わぬ指摘に、僕の脳内は思い切り掻き乱される。ええと、つまりなんだ?整理して考えると、僕は、僕は……

 

「あ、今もそうですね?」

「え、え?何が?」

「知っていますかトレーナーさん?人は、何か新しいアイデアをイメージする時は、目線が相手から見て左上の方に向いてしまうらしいのです」

「ああ!それは僕も知ってるよ?確か逆に右上の方を向けば、過去の事を遡って考えてるんだよね?」

「その通り。ですがトレーナーさん、貴方は違うんです」

「えっ?何が?」

「何かを集中して考えている時、貴方は常に『正面』だけを見つめているのです。目線をどこかに動かしたりはしない。私が話しかけて、思考が途切れた瞬間、貴方は目を逸らした」

「えっ!?そうなの!?いや、そう……かも?」

 

常に『正面』だけを見つめている?目線を動かして、いない?突拍子もない彼女の言葉に、それでも、それでも僕の脳細胞は、確かにビリビリと何らかの信号を発していた。

 

「例えば、そうですね……今、貴方の後方20Mくらいの席でご飯を食べている方がいるのですが。もしかしてトレーナーさんなら、その方が何を食べているのか振り返らずとも当てられるのではないですか?」

「えっ?そんな事出来るかな?ま、まあ、君が言うならやってみるけど……」

 

彼女に促されるまま、僕は黙々と思考を巡らせる……って、いや、考えたところでどうしろと?見えない場所にあるものを当てられるって、それもはやエスパーなんじゃ……

 

「あれ?これ、オムライス?」

「……!」

 

確かに、目で見えたりはしない、しないけど、あれ?なんでだ?

……そうか、まず感じたのは、音。鉄の塊で陶器を突く音、すなわち箸じゃなく、フォークかスプーンを使って食べるもの。

次に感じたのは、香り。トマトケチャップの酸味ある香りと、卵を焼いた香ばしい香り。

最後に感じたのは、熱。僅かに感じた、多分に湿気を纏った熱。卵を焼いただけではこの湿り気はない、これは恐らく、炊いたお米の温もり。

 

「……そうか、僕はこの才能のことを感覚的に『眼』で『視る』と呼んでいたけど……別に『目で見てる』だけじゃ、なかったんだな」

「ふふっ?自分の姿は、自分で見ることはできないものですからね?」

「ああ、本当に、君がいてくれて良かった。すなわち僕のこの『才能』はやっぱりエスパーでもなんでもなくて、単に『五感を研ぎ澄ませて周囲の情報を収集する』のと、『収集した情報を組み合わせて、先に起こることを予想する』……その二つの技術の、化学反応の結果だったのか……!」

「なるほど……まさしく『観察して考察する』。私達の本分ですね♪」

 

僕が真正面から見つめた、彼女の瞳の中。先程までよりずっとクリアになった視界で見つめたその先。そこには、未だ不安定に爆発と膨張を続ける、燃え広がる炎が確かにある。

瞳の中、だけではない。耳を澄ませば、彼女の鼓動、まるで将来を熱望する子供のような不規則なビートが聞こえてくる。手をかざせば、汗ばむ程上がった彼女の体温を確かに感じられる。

そうだ、僕の『眼』は確かに彼女の姿を『視た』。

彼女は、間違いなく、ここで『生きている』。

 

「さて、これで『目的地』がはっきりしましたが……」

「ああ、それに君の『現在地』も僕は解っている。情報を繋ぎ合わせる力は、きっと今までの応用でなんとかなると思うから……何がなんでもあと二週間、ターフの中の全てを捉えられるくらい君の『五感』を研ぎ澄ませる。これが、今回の君の辿るルートだ。そして……」

「ふふふ、もちろん。『それを踏破できるだけの体力』の準備も、ありますとも♪」

 

解れた紙をところどころテープで補強した、びっしりと使い古されたボロボロの、二冊目のノート。彼女が鞄から取り出したそのノートを視て、僕の目頭にも、熱く火が灯る。

 

「よし!それじゃあ今日はお互いに自習!今度こそ僕はこのノートを形にするから、君は……」

「ええ、このノートを元に、どんなトレーニングにも耐えうる体力を用意しておきますね?お互い頑張りましょう、トレーナーさん♪」

「……うん、本当にありがとう、アルダン」

 

ああ、またしても。やっぱり僕は彼女に救われてしまうんだな。その感謝をしかと胸に刻み込んで、名残惜しむこころをしまい込んで、僕は彼女に背を向けた。絶対に彼女の、その献身に応える。いまはただ、その一事だ。例えこれが、僕の最後の仕事になったとしても。

 

 

誰かから与えられた『役』なんかじゃない。

彼女の生命を、僕が『証明』してみせる。

 

 

──────────────

 

○聴覚

・視覚を塞いで訓練する?

・ブラインドスポーツの技術が役に立つかも

・目隠し、ターフ内に鈴を仕込んで感覚的に形を掴めるようにする。(安全性には細心の注意を)

・耳の角度は左右45度くらい。常にある程度は全方位の音が聞けるように。

 

〇触覚

・ウマ娘の走る時の振動を掴む(聴覚と共通する部分が多いかも)

・空気の振動、アルダンの音楽の知識も役に立つ?

 

・頭の角度は常に正面。先のバ場状態だけは視認するしかない。

・後方確認には尻尾の感覚も使える?僕には判断不能の為アルダンに要相談(A:トレーナーさんの言う通り利用できそうです!体勢の項目に書き加えておきますね♪)

 

──────────────

 

 

「………………有り得ない」

「………………」

「我々の『才能』を解体して、『技術』としてメジロアルダンに習得させる?トレーナー越しではなく、彼女自身にこの世界の姿を直視させる?馬鹿な事を言うな!そんな事……出来るはずがない!」

「出来るかどうかは、今の彼女を視れば解る話です」

「いいや!そんな事、私は絶対に認めん!認めんぞ、少年!!!」

 

湿気った大気に向けてアルダンが投げ込んだ、不安定で、尚且つ膨大な熱量を抱え込んだ『炎』。爆発的に湧き上がるスタンド席と同じように、美竹さんの語調もヒートアップしていく。

 

「ウマ娘とは、走る為に生まれた存在!それ以上でもそれ以下でもない!奴らは自らの運命など知れぬし、知る必要もない!自らの意志もなく、ただ用意されたレールの上を走り続け、そしていずれ去る!それだけの存在なのだよ!故に!!!」

「………………」

「奴ら自身の力で、意思で!自らの運命を変えることなど、出来ない!出来はしないんだよ少年!そんな事が……出来てしまえば……!」

「…………………」

 

 

「……そんな事が出来るのならば、『彼女』はどうしてあの日、泣かなければならなかった?」

 

 

彼の黒い眼差しが、不安定に揺れ始める。

それを目撃するのもまた、十五年振りの事だった。

 

「……ここには別に、上位存在として高みの見物を決めに来たんじゃない。けれども美竹さん、あなたに対して勝ち誇りに来た訳でもないんですよ、僕は」

「……何が言いたいのかね、少年」

 

彼自身が、そして『彼女』が言う通り、僕はこの人が苦手だ。無駄に距離が近くて、声が大きくて、見ていて足が竦むから、だから。

 

けれどもこんな時、メジロアルダンなら。

 

 

──────────────

 


「ふっ……はあっ!」
「…………よしっ!」

「……今、ちゃんと出来てましたか?私?」

「ああ、完成だ!きっとここまでできれば、高松宮杯でも……いや、高松宮杯だけじゃない、これから先の未来も切り開ける『君だけの必殺技』になる!」

「ええ、まだまだ貴方ほど遠い未来までは視えませんが……ひとまずは、ありがとうございます♪けれど、トレーナーさん?一つわがままを言っても構いませんでしょうか?」

「アルダン?」

「せっかくこうして誰でも真似出来る形にしたのです。出来ればこの『技術』を、私は世界中のウマ娘にばら撒きたい。世界中のウマ娘か、私達の技術を視て盗んで、応用して、強くなる。そしてそれをまた私達が視て盗んで強くなる。そしてそれをまた……ふふっ♪ その方が今よりずっと面白い世界、面白いレースになりそう、ではありませんか?」

「……ふふっ!そうなれば僕たち、偉人として教科書に載っちゃうかもしれないね?コペルニクスや、ガリレオ・ガリレイと同じように、ね?」

「ふふふっ♪あ、ではそうなるとこの技術に『名前』をつけなければなりませんね?」

「えっ?いるかなぁ……?まあ、あった方が他人に紹介する時に便利、かな?」

「お名前をつける……といえば、やはりトレーナーさんのお仕事ですね?是非とも素敵なお名前、お願いします♪」

「えっ、また僕!?ちょ、ちょっと待って、ええーと……!」

「…………♪」

「……じゃ、じゃあ、こういうのは────」

 

 

──────────────

 

 

「伝えに来たんです。あなたにも、この『技術』を」

「………………」

「確かに、あなたが愛して僕が憧れた『彼女』はもう居ない。その次も、その次の娘も同じように居なくなった。外側から視れば、無意味に同じことを繰り返し続けてるだけに思えるかもしれない」

「………………」

「けれども、それでも『技術』は進歩するんです。例え小さな火種でも、根気よく薪と燃料をくべ続けていれば……いつかそれは大きな炎になって、今まで照らせなかったものだって、照らせるようになる」

「っ……!」

 

僕は彼の瞳に目線を合わせて、丁寧に、丹念に言葉を尽くす。いつだって彼女が、僕にしてくれていたのと同じように。

 

「美竹さん、やっぱり僕は、あなたが苦手です。けれども、『否定』なんてしたくありません。世界を変えられなくとも、いつも怪我をした娘の通院に付き添って、リハビリを手伝って、レースに負けた娘を全力で励まして……その行為が諦めから来る機械的な冷たさであったとしても、彼女達の救いになっていたのもまた、事実だと思います。そんなあなたの事も、僕は『肯定』したい」

「……少年」

「才能も、そして技術も使い方次第です。僕はあなたにこそ、この技術を一番に伝えたかった……いえ、この『炎』を、お返ししたかった」

「………………」

 

「視てください。あれが彼女と僕で編み出した、才能も、運命も必要ない『誰でもできる必殺技』────」

 

 

 

《プレイヤーズ・アイ》

 

 

 

     ◆

 

「ふっ、ふっ……ふうっ!」

 

『さあ残り400Mだが……メジロアルダン、既に独走状態です!誰も、誰も追いつけない!』

『もう後続から四バ身……五バ身はつけてますよ!?これはもう、決まっ───』

 

 

「いいや!まだまだっスよぉぉぉおおおおおおおおおおおおおっ!うおおおおおおおおおおおおおおっ!!!!!!!!!!」

 

 

「…………!」

 

『っ!おっとここでバンブーメモリーです!バンブーメモリー後方集団から大きく飛び出してきた!』

 

     ◆

 

「……!バンブーメモリーくん!?」

「…………!」

 

僕の話をしかと両の耳にしまいこんだのち、呆然とした出で立ちで、遠く右斜め上の虚空を見つめていた美竹さん。けれども、それでも、ターフから溢れ出してくる爆風のような熱量に耐えきれなかったのか、実に五年ぶり、彼は正面からターフに向かい合った。

 

その揺らぐ瞳に映っていたのは、他でもない、バンブーメモリー。

彼の、『今の担当ウマ娘』であった。

 

『メジロアルダンの走りを目撃して火がついたのか!?バンブーメモリー、かつて見た事がない程の力強い走りだ!すごい!少しずつだけど、あの差が縮まっていってますよ!』

 

「い、いや、ダメだバンブーメモリーくん!そんな我武者羅な走り方では追いつかない!もっと内側だ、バ場状態の良い、内側を……!」

 

「うおーっ!バンブーメモリーがんばれーっ!」

「メジロアルダンも!頑張ってーっ!」

「アルダン!アルダン!アルダン!」

「バンブー!バンブー!バンブー!」

 

『おおーっ!スタンドからも大歓声!我々の声すらも、かき消えてしまいそうです!』

 

「…………っ!くそっ!バンブーメモリィィィィイイイイイイイイイイっ!っ、ゲホッ!?う、うぢがわっ……!内側を、走っ!っ!ゲホッ!?ゴホッ!?」

 

手元に作っていた紙の鎖を、自らの手で引きちぎりながら。彼は思い切り、思い切り、思い切り我が担当ウマ娘の名を叫ぶ……が、駄目だ。幾星霜ぶりのその行為に、彼の喉は、耐えられない。

 

それでも。

 

「っ、バンブッ……!メモ……!」

「……駄目ですよ、美竹さん。こんな離れた場所じゃどんなに頑張っても、あなたの『声』は、バンブーメモリーには、届かない」

「っ、だがっ!だが!!!」

「そうですね……では最後に、この方法もお伝えします。届いてほしいなら、行くんですよ、『僕ら』から『彼女たち』の、元……にっ……」

「…………?」

 

「ふぅ……うぉぉおおおおおおおおっ!」

「し……少年んんんんんんんんんっ!?」

 

かくして僕はその日、座り心地の良いふかふかのシートを力一杯蹴り上げて、VIP席の立派な手すりを踏み台にして、大空へ一飛び、彼女の元へと旅立った。

 

 

「アルダァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァン!!!!!!」


「……!」

 

 

僕はとびきり大きな声で、喉がひっくり返る程の大きな声で、彼女の名を、叫んだ。

……解っている、既にあの『眼』を、あの『技術』を手にした彼女には、こんな『声』なんてまるで必要ない、無駄な事なのだという事は。

 

けれども、それでも、何故だろうな。

 

柄でもなく美竹さんに触発されたのか、なんなのか、どうしても僕は今、この場でその『名』を、叫びたくなった。

このターフに、このレース場に、この世界に、その雄大で美しい名前を、刻み込みたくなってしまったのだ。こんなこと彼女自身が知れば、子供っぽいと笑うか、呆れてものも言えなくなってしまうのかも、しれないけど。

 

 

───あるいは、きっと『私』は。

 

盾や杯、メダルやトロフィー、策や技術、その眼と、同じくらい。

いえ、もしかするとそれ以上に。

 

貴方のその声が『欲しかった』のかもしれません。ねっ?トレーナーさん♪

 

 

「───ああ、こんなもので良ければ。いつでも、何度でも『あげる』よ、アルダン」

 

 

 

例えるなら、それはまるで『炎』のような衝撃だった。

 

 


『さあ残り200を切った、まだ伸びるのかまだ伸びるのか、大楽勝だ』

 

さながら陽炎を靡かせながら飛び上がるジェットのように、目の前を駆け抜ける一人のウマ娘。
生まれて初めて目の当たりにするその光景に、そのあまりの熱量に、僕の身体は、脳は、そして、まなざしは。ほんの瞬く間に焼け付き、真っ黒に、焦がされた。

 

『まだまだ後続を突き放し7バ身……いや8バ身はあろうといったところです。凄い、凄い』

 

全身にびりびりとこびり付く火傷跡。その隙間から仰いだ背中を、それでも僕は今、全てはっきりと目撃した。
燃え盛るような紺碧のロングヘア、その膨れ上がった毛先から浮き上がる芝生の断片が、雲の切れ間から覗いた優しげなオレンジの夕陽に照らされ、まるで舞い散る火の粉のように見えた事も。

 

『そのままの勢いで今、ゴールイン。いや、強かった。自身初の重賞制覇に、まさしく感情が込み上げると言ったところでしょうか、その場で倒れ込みます』

 

西日とスタンドに出来た影、その暗がりの中で激しい火花に照らされた彼女が、まるで本物の太陽のように、永遠に眩しかった事も。
そんな火の粉が、後続のウマ娘達にはまるで福音のように分け隔てなく降り注いでいた事も。

 

『おっ、と、駆けつけたのはトレーナーでしょうか、ふたり目を合わせ、勝利を称えあっています』

『駆けつけたっていうか、今すごい勢いでターフに落ちてきませんでした?今の勢い、無事で済むの?』

 

そしてその火の粉の一つが、巻き起こる旋風に煽られて。
偶然、僕の『眼』に、再び燃え移った事も。

 

 

     ◆

 

 

「トレーナーさんは、やっぱりすごいです」

 

僕の肩口に大きくもたれかかりながら、彼女はほんの小さな、この世の、他の誰の耳にも入らない程の小さな声で囁いた。

 

「この眼を、『プレイヤーズ・アイ』をこの場で使い始めた瞬間。私はこの世界から、弾き出された……ような気がしたんです」

「ああ、なるほど。何となく、解る、よ」

「土を踏んでも感覚が無い、風を浴びても心地良さがない。周りのウマ娘と肌を掠めあっても、痛みも温もりも感じない冷たい世界で、ただ、自分が走っているデータを画面越しに操っているだけのような、そんな感覚……それが凄く、凄く恐ろしかった。自分は本当に存在しているのだろうか?もしかして自分は、アニメかゲームか漫画か、もしかしたら小説か何かのキャラクターなのではないか?なんて、そんな事を本気で考えてしまうくらい」

 

まるで、九死に一生を得て命からがら帰還した宇宙飛行士かのように。彼女のその身体は不安定に小さく震えて、縋り付くように僕の腕を掴んでいた。その力だって酷く弱々しく、僕も恐る恐る、その身を抱き寄せる。

 

「……ごめんね。やっぱり、無理させちゃったかな」

「けれど、貴方は今までずっとこの中で生きてきたんですよね。今、私が視てきた不安定な世界の中、ずっとずっと画面越しに、触れることのできない私を、それでも貴方は愛してくれた」

「…………!」

「トレーナーさんは、やっぱりすごいです。例え世界中の人々に狂っていると、異常だ、どうかしていると言われても、私だけは絶対に、貴方のことを『肯定』します。私と共に歩んでくれた、貴方の二年間は……絶対に、絶対に無駄ではなかった。この記録が、その何よりの『証明』です」

 

……そうか、彼女と共に歩き始めてから、もうそんなに経つんだな。見上げた先の電光掲示板に大きく映し出された『着差8バ身』。僕の視ていた未来から大きく拡がったその差に、その世界に、僕の視界もまた、絶え間なく不安定に揺らぎ始める。

 

「……僕も、できたかな。僕も、君の生命を、ちゃんと『証明』できたのかな」

「ええ、もちろん……ありがとうございますトレーナーさん。貴方が私の名を呼んでくれたお陰で、私は今日も『メジロアルダン』のままで居る事が出来た。データの集合、あるいは文字の羅列でしかないのかもしれないこの存在を、メジロアルダンであると貴方は定義してくれた。私の存在を、ちゃんと『肯定』してくれましたよ、貴方は」

「……それなら、良かったよ……そうだ、一番大切なことを言い忘れてたね。重賞初制覇、本当におめでとう、アルダン」

「はいっ……!ありがとうございます、トレーナーさんっ……!」

 

予想外に、ぐちゃぐちゃに狂いだすこの世界。そのど真ん中で、予報はずれの晴れ間に照らされた彼女の瞳。何色にも形容しがたいその輝きに、僕はまたしても、性懲りも無く眼を奪われるのであった。

 

 

     ◆

 

 

「……二着。今日のところは完敗っス、アルダン先輩」

 

「っ、バンブーっ!メモリーくんっ!」

 

「あ、美竹さん……まずは、すいまっせんしたぁ!!!」

「うおっ!?お、ああ、ん?」

「アタシ、またしても最後の直線で考えなしに突っ込んで行ってしまったっス!宝塚の時と全く一緒!くぅーーーーっ!!!あんなに美竹さんにトレーニング付き合って貰ってたのに!自分が情けないっスよぉーーっ!!!」

「い、いやいいんだバンブーメモリーくん!頭を上げてく……」

「いよぉーーーーし!反省完了!ねえねえ美竹さん!さっきのアルダン先輩の走り見たっスか!?見たっスよね!?」

「れっ……!?あ、ああまあ、もちろん視ていたが……」

「なら話が早いっス!美竹さん、あのアルダン先輩の走りに『勝つ方法』!教えて欲しいっス!」

「……!勝つつもり、なのか?彼女に、まだ?」

「なーに当たり前の事で驚いてんスか!次会った時は完膚なきまでにやっつけてやるんすよ!アルダン先輩もアタシも、これからもまだまだ走り続けるんスから!」

「……いや、しかし私には、出来ない」

「…………?」

「私は今まで、私の勝手な絶望で君達ウマ娘を無碍に傷付けてきたのだ。もう私に、君達と共に歩む資格など……」

「……何があったかは、しらねーっスけど」

「バンブーメモリーくん……?」

「アンタ、『トップトレーナー』なんだろ?『神童』で、『キングメーカー』なんだろ?」

「だ、だがその肩書きは、ただの『役』で、私自身が手に入れたものではない、作り物、偽物の称号で……!」

 

「だったら!自分の手で『本物』に成ってみせるぐらいの事、言ってみせろよ!!!担当ウマ娘が目の前で『勝ちたい』っつってるんスよ!なあ!『トレーナー』っ!!!!!」

 

「っ……!君は、私をまだ、そう呼んでくれるのか?『トレーナー』と……」

「はっはっは!なーに当たり前の事言ってんスか!この世界のどこに、アンタ以外のアタシのトレーナーがいるってんスか?分かったら、ほら!いつも通り胸張って!いつもの無駄に暑苦しい高笑い!はい、せーの!せーのっ!」

「ぶっ……く、はっはっはっは!いや確かに、それもそう、か……!いやはや、教え子に諭されるとは、私もまだまだ、まだまだまだ、半人前ということだな。すまなかった、そして、ありがとう、バンブーメモリーくん」

「ま!お互い様ってところっスね!これからもよろしくっス!トレーナー!」

「あ、ああ!しかし、勝つ方法、勝つ方法か……そうだ、君は『プレイヤーズ・アイ』という技術を知ってるかな?バンブーメモリーくん?」

「ぷ、ぷれいやーず?なんスかその中学生男子みたいなネーミング?美竹さんが付けたんスか?」

「はっはっは!悪い冗談だな!私だって初めて聞いた時はちょっとどうかと思ったが、まあ、とにかくそういう名前らしい!すまないが我慢してくれ!」

 

 

「……ふふっ♪きちんと敵に塩を遅れたようで、何よりです♪」

「なんか今、聞き捨てならない事言われてなかった?ねえ?」

「しかし……きっとこれからバンブーさんも、今よりずっと予想外に強くなっていくことでしょうね?ふふ、それでこそ『私達』の宿命のライバルです♪」

「………………」

「……トレーナーさん?」

 

すっかりと調子を取り戻し、この広いターフ一面に聞こえそうなほどの大声で語らい合う、バンブーメモリーと美竹さん……うん、やっぱこの大声苦手だな……まあ、それは置いといて。

そうだな、この調子だと確かに次は一筋縄では行かなさそうだ。中距離路線でも、間違いなくこれから『メジロアルダン』の宿命のライバルとして、強く成長することだろう。

 

 

「メジロアルダンさーーーーん!こっち向いてーーーーー!!!」

「凄かったぞー!メジロアルダーーーン!」

「カッコよかったでーーーーす!!!」

 

 

「あら?この、歓声、は─────!」

 

 

「アルダン!アルダン!アルダン!」

「アルダン!アルダン!アルダン!」

「アルダン!アルダン!アルダン!」

 

『えー、皆様聞こえますでしょうか?先程の素晴らしいレースを受けて、スタンドから盛大なメジロアルダンコールが響き渡っております!これ程の盛り上がりは、G1競走でもそうそう見れるものではありません!まるで……まるで『炎』のように燃え広がって、このターフを、いえ、もしかしたらこの世界全てを包み込んでしまっております!』

『アルダン!アルダン!いやー、それだけ最っ高のレースでしたからねー!まさしく、かつて誰も見たことの無いような……『最高に面白いレース』でした!本当にありがとうございます!』

 

 

「っ……トレーナーさん!あれ、あれ……!」

「ああ、みんなみんな、君を讃える声だ。本当に、良かった、良かったね、アルダン……」

 

まるで天地をひっくり返したかのように、彼女の頭に降り注いだ轟音。ぽろぽろと、複雑に夕陽を反射させた麗しいオレンジの眼差しのまま、彼女はその様と、僕の瞳を交互に視つめていた。

 

「……さ、行っておいでアルダン。皆に君の姿を、よく見せてあげ……」

 

ギュッ───

 

「……アルダン?」

「ごめんなさい、トレーナーさん。やっぱり一人だと、心細くて。『今』は、貴方と一緒に歩かせて貰って、いいですか?」

「…………もう。今日、だけだよ?」

「……ふふっ♪」

 

夢にまで見たその輝きの中へ、僕は彼女の背を、やさしく、やさしく押し出した。

……その手を不意に、強く掴まれて。

 

よろける身体に、彼女の寂しげな笑顔。流されるがまま不安定に踏み出したその一歩目は、少しだけ、揺れる火の影を名残惜しく残していた。

 

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