メジロアルダン短編集『to the MEJIRO ARDAN』 作:いずさわ
「お疲れ様です、トレーナーさん」
「ん、お疲れ様……アルダン?」
いつも通りの昼下がり、いつも通りトレーナー室にやってきた我が担当ウマ娘、メジロアルダン。けれども……真っ先に気が付いたのは、その少し乾いたような声色と表情であった。
「……どうしたの?何かあった?」
「えっ?あ、ああ、この荷物のことですか?」
「ん?荷物……えっ?何その大荷物?」
なんとなく噛み合っていないような、彼女の返答……を聞いて、ようやく気が付いた、彼女が抱える大きなダンボール箱の存在。大袈裟な二度見の後、慌てて駆け寄る僕に向かって……ほんの少しだけ瑞々しさを取り戻したような笑みを浮かべて、彼女は口を開く。
「……ふふっ、これはですね、お母様からの贈り物なのです」
「あら、お母さんから?」
彼女から受け取った、実に僕の両腕ほどの大きさのダンボール箱。見た目以上のずっしりとした重みに、僕は思わず、小さく息を漏らす。
「ん?この香り……もしかして?」
「ふふふ、どうぞ、開けてみてください?」
不意に箱の隙間から漂ってきた、なんとも爽やかで目が冴えるような香りに、ついつい僕は夏の虫のように釣られてしまう。彼女の手信号を合図に勢いよく開いた、その中には……
「やっぱり!果物だ!それも……こんなに、いっぱい!?」
リンゴ、イチゴ、バナナにブドウ、キウイにオレンジ、パイナップルまで。瑞々しくて色鮮やかな果物が、まるで宝石箱のようにぎっしりと敷き詰められていたのであった。
「……えっ?ええっ!?これ……メロンだよ!メロンまで入ってる!すごいすごい!」
「っ……ふふっ!ふふふっ!もう……そんなにはしゃぐようなことですか?」
「えっ、だって、その……果物なんて最近全然食べてなかったし……ましてやメロンなんて……ね?」
彼女の生暖かい視線に気が付いて、そっと掲げていたダンボール箱を机に置いた僕。くそう……これではまさしく貧乏人丸出しか……でもこんな果物の詰め合わせ、本当に久しぶりに見たし……
「自慢ではありませんが、北海道のメジロの本邸では毎日のように出てきていましたので……メロン、そんなに気分が上がるものなのですね?」
「ぐう……自慢じゃないのは分かってるけど、羨ましすぎる……!」
「あらあら……では早速メロンから切り分けましょうか?そこまで言うのなら、トレーナーさんに多めに差し上げますよ?」
「ほんと!?……じゃなくて、それ、僕も食べていいの?お母さんが、アルダンの為に贈ってくれたものでしょ?」
思わず飛び出してしまった歓喜の声……を、慌ててしまい込んで、僕は彼女に問いただす。いくらメジロ家とはいえ、これ程の果物の詰め合わせを贈るなんて、そう簡単な事では無いはずだ。
「…………」
「……アルダン?」
「ああ、いえ、問題ございませんよ?どうせ……一人では、食べきれませんから」
「……そう?」
少しだけ、また乾いてしまった彼女の口調。それとダンボールの中、何かを剥がしたような跡。
確かに僕は気が付いた。けれども今は少し、気付かないふりをした。せっかくの高級フルーツだ、細かい事を考えるのは、美味しく堪能してからでもいいだろう。きっと、彼女だって。
「じゃあ、早速メロン……は、なんかもったいないなぁ。あ、このリンゴもめちゃくちゃ美味しそう!青森産って書いてあるし!」
「あら、確かに美味しそうですね?ではお待ちください、すぐに剥いて差し上げますので……」
「ああ、大丈夫大丈夫。僕が剥くから、アルダンは座ってて?」
「あ……ええと、申し訳ございません……」
真っ赤に熟れた、ずっしりと重たいリンゴを片手に、僕は棚の中からナイフとまな板を取り出した。いつだったかこの部屋でキャロットスムージーを作った時に、アルダンが用意してくれたペティナイフとまな板シートのセット。なんだかんだ使い勝手がよく、あれからずっと、ここに常備しているのだった。少々切れ味が落ちてきたような気もするが、それもまた、少し愛おしく感じたり。
「……なんとなくだけど、果物の皮剥くの、結構好きなんだよね、僕」
「あら、そうなのですか?」
くるくると手元でリンゴを回しながら、チラリと、未だバツの悪そうな顔でソファに腰掛けるアルダンの様子を伺う。どうしたって彼女の心は、果物みたいにくるくると剥いて見ることなんて、できはしないけど。
「昔はそんなこと思わなかったけど……なんて言うのかな、歳を重ねるにつれて、そういう手間がなんだか愛おしく思えてくるようになったなぁ。なんて、こんな若造が何を言ってんだって話だけどね?」
「手間が……愛おしい、ですか」
ふと、改めて覗き込んでみたダンボールの中身。北海道産のメロンに、山梨産のブドウ。イチゴは福岡で、パインは沖縄……と、なんとも産地を聞くだけで涎が出そうなラインナップだが、これだけ全国各地様々な場所から果物を取り寄せるなんて、一体どれだけの手間がかかっているんだろうか。僕なんかじゃ、想像もつかないな。
「…………」
「……ん、はい、できたよ?」
「あ、ありがとう、ございます……」
くるりと皮を剥いたリンゴを、綺麗に八等分。我ながらなかなか綺麗に剥けた自信作を、フォークと共に彼女の前に差し出した。
「……トレーナーさんは、食べないのですか?」
「もちろんいただくよ。でも……やっぱりこれは、一番に君が食べるべきだと、思う」
「そう、ですかね?」
「そうだよ、きっとそう」
「…………では、いただき、ます」
僅かばかりの躊躇を見せながら、彼女はゆっくりと、一番小さな一切れに口をつける。しゃくっと、瑞々しい音が部屋に響き渡って、二、三度咀嚼を繰り返してから、彼女はゆっくりとそれを、少し苦しそうに飲み込んだ。
「……ええ、やっぱりこのリンゴは、とても美味しいですね」
「…………」
「とても新鮮で、驚く程甘みがあって、歯応えも良くって……とっても美味しくって、でも、やっぱり、苦手、です」
「……やっぱり?」
「……んぐ……ん」
そっとフォークを置いた彼女は、そのまま箱の中に手を入れて、イチゴとブドウを一粒ずつ取り出した。そうして人目もはばからず、それらもまた、勢いよく口の中に放り込んでいく。
「ん……これも、これも……やっぱり、とっても美味しい。美味しくって……やっぱり、あの頃のまま」
「あの頃、か」
「……ええ、あの頃……幼い頃、入退院を繰り返していた頃。お母様が、お父様が、ばあやが、メジロ家の皆がお見舞いに持ってきてくれた果物。あの頃と、まったく、まったくおんなじ味、なのです」
「…………」
「ふふ、本当にまったく、どういうつもりなのでしょうね?今更、あの頃のことを思い出させるなんて、お母様は」
斜め上に目線を放り投げながら、少しぶっきらぼうに呟くアルダン。そんな彼女の様子を眺めながら、僕もひと切れ、リンゴを口に放り込んでみる。
確かに、これは間違いなく最高級。噛み締める度に甘い蜜の味が口中に広がっていく、今まで経験したことの無い果実感……けれども、確かにこのシャリシャリした食感に、舌に触れる冷たい感触は……
「……確かに、これは懐かしい味だなぁ」
「……?トレーナーさんも、このリンゴ、食べた事があるのですか?」
「いいや、こんなに高級なリンゴは初めて。だけど確かに、うちでも風邪引いた時は、リンゴ食べさせてもらってたなぁ、って」
彼女と共鳴するかのように、引きずり出された幼い記憶。あの時の母さんの気持ちだって、やっぱり剥いて見る事なんて出来ないけど。
「リンゴ、だけじゃないな。なんだか昔は今よりも、もっとたくさん、果物を食べてた気がするんだ」
「……そう、ですね?私も今より、昔の方がたくさん、食べる機会があったような気がします」
「ま、メジロ家程おっきな家じゃないけどさ。うちだって毎日朝ごはんにはバナナがあったし、誕生日やクリスマスのケーキには絶対イチゴが乗ってたし……ほんと、一年に一度ぐらいなら、メロンだって食べさせてもらってた。それって今思うと、凄いことだったんだな。って」
「凄いこと、ですか?」
パチリと、浮かせていた目線をこちらに向けたアルダン。その瑞々しい果実のような瞳が、僕の甘酸っぱい気持ちを駆り立てる。
「果物ってなんというか、主食じゃない上に、食べるのめちゃくちゃ手間がかかるでしょ?皮も剥かなきゃいけない、生ゴミも増える、そもそも普通のお菓子なんかより値段も高い……なのに僕の子供の頃の記憶には、いい思い出にも悪い思い出にも、いつもどこかしらに果物が、あった」
「…………」
「……それってさ、月並みな言い方だけど、やっぱり『愛情』なんじゃないかな、なんて。子供の頃たくさん果物を食べたって記憶は、間違いなく『愛情』を受けて育ったんだっていう、証なのかな、なんて思うんだ」
なんとなく、思ったままの言葉を吐き出し終えてから、空いたお腹にもう一切れリンゴを流し込む。咀嚼され、消化され、いずれは排出されるただの食べ物、けれども何故だか、なんとなくそれだけじゃない気がした。
「そして、そのころ食べた果物は、それぞれの心の中のどこかに根付いて、芽を出して、立派な木になって、そしてまた、たくさんの実をつけていく。『心の果物』……みたいなもの、かな」
「心の、果物……」
「そうして実った心の果物を、今度は自分が誰かに分け与える。形を変えたり、行動に示してみたり、はたまた……こんな風に、本物の果物にしたりして、ね?」
「…………!」
勢いに任せて、もう一切れ、また一切れ、僕はその甘く瑞々しい果実を口に運んだ。アルダンのお母さんが……そして、アルダン自身が分け与えてくれた、これ以上ないほど、とびきり美味しい果物を。
「……ふふっ、本当に貴方の言う事は、いつもいつも私の考えの斜め上を行きますね?」
「あはは……まあ、訳分かんなかったら聞き流してもいいよ。代わりにもう一切れ、どう?」
「ええ、いただきます♪」
今度こそ真っ赤に染まった、とびきり甘い笑顔でリンゴを頬張る彼女。瑞々しくて色鮮やかなその姿は、まるでまさしく、宝石箱のようであった。
「あのですね、トレーナー、さん」
「ん、アルダン?」
「……これから少し、お母様に電話をしてこようと思います。こんなに素敵な物を贈ってくれたお礼と……謝ることが、少しだけ」
「うん、うん、ゆっくりでいいよ。僕はここで待ってるから」
「ふふ、それが終わったら……そろそろメロンをいただきませんか?もちろん、ちゃんときっちり半分こ、ですが♪」
「おおー!もちろん!切り分けて待ってるよ!」
「ふふふ……それでは、行ってまいりますね、トレーナーさん?」
ひらりと手を振って、優雅なステップを踏むようにトレーナー室を後にするアルダン。なんだか昔より大人っぽくなってしまったその背中に一抹の切なさを覚えながら、僕は余ったリンゴ一欠片、しゃくっと子気味よく齧り付く。
「……さてさて、メロンかあ。美味しそうだけど……リンゴと同じ切り方でいいのか?うーん、なんか味気ないよなぁ……ふふ、なんか綺麗な切り方とか、あるかな?」
なんて、そんな切なさをリンゴと一緒に飲み込んで、僕はぶつくさと呟きながら、美しいメロンの切り分け方を頭の中模索してみる。
ただ二人きりで食べるだけだと言うのに、なんとも無駄な手間暇……けれども、そんなものでさえ、僕にとってはやっぱり何よりも愛おしく感じるのであった。