メジロアルダン短編集『to the MEJIRO ARDAN』 作:いずさわ
「…………………………………」
………………………………………………………………………………………………………………。
「…………………………………」
……………………っと、いけない、いけない。
見慣れに見慣れて、見慣れすぎたトレーナー室の殺風景な天井から、おっかなびっくり目線を動かす。そうして、これまた殺風景な壁紙をぼんやりと見つめながら、なんとか頭を働かせ、ようと……する……僕……
「…………………………はぁ、つかれた」
……で、あったが。やたら我が身にくい込んでくる重力に押し負けて、今度は殺風景な床板とにらめっこすることになったのだった。
爽やかな春めいた陽気もどこへやら、梅雨を先取りしたようなどんよりとした曇り空が一面に広がる今日という日。だからなのかなんなのかは自分でも分からないが、そうだ、なんだか今日は途方もなく『疲れている』。そうとしか言いようがないし、それ以外に例える気力すらなく、ただただ僕は、『疲れ果てて』いた。
「ダメだ……よろしくない……トレーニングメニューの調整に……データ収集……あぁー……面談で提出する報告書も……途中なんだった……あぁぁ……」
などとうわ言のように繰り返しながら、既に過ぎ去ってしまった午前中。たっぷりと時間を無駄にしてしまった後悔と、それでも物理的に動かない肉体との板挟みで押しつぶされそうになる精神を、ギリギリで繋ぎ止め……ることすら、億劫になってきた……
思えば、ここ最近は通常業務に加え、新年度に向けた準備やらドロワの準備やらで、ろくに気を休める時間もなかったか。と、ようやく今更になって思い至る。おかげで何事も大きなトラブルなく進行することが出来たのだが、それはそれ。無理をしすぎた代償というのは、否が応でも巡ってくるものなのであ……
ガラガラガラ……
「お疲れ様です……トレーナーさん……」
「うおっ!?お、お疲れ様、アルダ……」
……薄ぼんやりとモヤのかかった僕の脳に突然入り込んできたのは、他でもない、我が担当ウマ娘、メジロアルダンの声であった……あった、が。
「……大丈夫?体調あんまり良くなかったりする?」
「えっ?どうして……ですか?」
「声、少しだけ普段よりトーンが低かったからさ。あと、ちょっとだけ重心のバランスも悪いかな?それにその、手をグーに握りしめてるの。集中出来てない時の君の癖、だよね?」
「ふふっ、本当によく見ているのですね?ここまで来ると、もはや変態的というか……」
「へっ……!?」
「ふふふ、もちろん良い意味で、ですよ♪」
果たしてその言葉に良い意味があるのだろうか……なんて問いただしたい気持ちを抑えて。突っ伏していた席から颯爽立ち上がり、改めて彼女の観察に努める。誰に何と言われようと、彼女の体調に関することだけは絶対に見逃す訳にはいかないのである。
「体調が悪いという訳ではないですが……そうですね、少しばかり疲れが溜まっているのかもしれません。新年度に向けた準備に、ドロワの準備にと、あまり気を休める時間もありませんでしたからね?」
「そうだよねそうだよね?ひとまず今日のトレーニングはお休みにしよっか。走りの方はここ最近いい調子だし、無理して本当に体調を崩してしまうより、ずっといいからね」
「ふふっ、ありがとうございます♪」
「それと……疲労回復、疲労回復……あ、マッサージ予約する?あといつもの薬膳料理も用意して……ああ、それともメジロの保養所で温泉浸かりたいかな?まあなんにせよ、まずは車を用意しないと……」
「……………………」
とりあえず大事はないようで、ひとまず胸を撫で下ろす僕……だが、やはりこういった小さな疲労が大きな不調に繋がってしまうことだって充分有り得る。やりすぎかもしれないが、念には念。早速僕は携帯を片手に走り出し、レンタカーの手配に……
「トレーナー、さん」
「う、うん?」
「……まず、まずそこに、お座りください?」
「えっ?」
カチリと、声色をスイッチさせたアルダンが僕を呼び止めた。その様子になんだか逆らう気も起きず、言われた通り彼女の目の前に腰掛け、どことなく不服を抱えたような彼女の、次の言葉を待つ。
「……色々と言いたいことはありますが、まず、一つ」
「は、はい」
「騒々しいです。先程から私の周りをウロウロウロウロと。貴方がその調子では、私だって休まるものも休まりません」
「んなっ……!?」
「……ふふ、それと、ふたつめ。貴方こそ目の下のクマが酷いですよ?気を休める時間もなかったのは、貴方も一緒でしょう?」
「あ……ええと、それはその」
「最後、みっつめ。ですので今日は、マッサージも温泉もいりません。この部屋で、二人でなんにもせずに、のんびりしませんか?」
「……あ、アルダン」
時に睨みを効かせて、時に慈しみを持って、そして時に、とびきり笑って。コロコロ表情を変えながら話す彼女の姿に、思わず携帯を手放して、まじまじと見蕩れてしまう僕。忘れかけていた、両肩にゆるりとのしかかる重力をふと思い出して、僕はその場で気の抜けたような大きなため息をこぼした。
「……ははは、ほんと君には敵わないなぁ……うん、実は僕も一緒。今日はなんだかものすんごく、疲れてたんだ」
「ふふふ♪それでは決まり、ですね?さ、その携帯も置いてきて、パソコンも電源を落として♪」
「はーい、仰せのままに……」
ぽろりと、履いていたローファーを脱ぎ捨てた彼女を見て、僕もきつく結いつけていたシャツの第一ボタンを解き放つ。パソコンのリセットボタンを押してから見渡したいつものトレーナー室は、なぜだか壁も天井も、いつもより突き抜けて広がっていたのだった。
「……とはいえ、なんにもしないっていうのも暇なもんだよなぁ……なにか、暇つぶしに遊べるものとかあったかな……?」
「ふふふ、そんなこともあろうかと……」
「ん、それは……タブレット?」
「最近見たぱかチューブの動画で面白かったもの……いつかトレーナーさんにご紹介しようと思ってまとめていたものがあるのです。ですので……」
「……ふふっ!いいねそれ?最高だ!」
──────────────
「っ……ふふっ……か、可愛い……」
「でしょう?可愛いでしょう?パンダの赤ちゃんの一日♪」
「中国の動物園かぁ……いいなあ、抱っことかできるのかな?」
「どうでしょうね?というより、トレーナーさんパンダ触れます?」
「ね、猫がいけたんだから大丈夫だよ!多分!」
「ふふふ、あ、ちなみに親パンダの様子がこちらです。牙とか爪とか、結構鋭いのですね?」
「おお……うん、やっぱ無理かも……」
──────────────
「あ、見てくださいこのスカート。先日ウマスタで見かけて、購入するかどうか悩んでいてですね……」
「え?どれどれ……うわ、めちゃくちゃ可愛い!」
「ふふふ、どうでしょう、私に合いますかね?少し可愛い過ぎはしませんか?」
「むしろ、可愛い過ぎるからこそ似合うと思うよ?たまにはイメチェン、いいじゃない?」
「……ふふっ♪そうですね?では早速……そうだ、それならこの靴も合わせて買っちゃいましょう♪あ、このハットも合わせると可愛いかもしれませんね?」
「おお……思い切るねぇ……流石……」
──────────────
「パズル……ゲーム?」
「ええ、最近夜に、チヨノオーさんと一緒にプレイしているんです。どうです?キャラクター可愛いでしょう?」
「ほんとだ可愛いー!え、それ僕のスマホでもできるかな?」
「おそらく問題ないと思います……あっ、招待コード送りますので、ちゃんと入れてから初めてくださいね♪」
「ん、おっけーおっけー」
「あ、あと初回に選べるキャラは皆強いのですが、ええと、私のキャラと相性がいいのは……」
「う、うん、うん?」
──────────────
「……やっぱり、凄いなあ、アルダンは」
「え?ああ、ゲームのお話ですか?私なんてまだまだですよ。タイシンさんなんて本当に凄くって……」
「ああ、いや、それもそうだけどさ?」
「?」
携帯を片手に、饒舌に語り出すアルダンを手のひらでしばし制する僕。確かにプレイスキルもかなりのものだが、それはそれとして。
「ほんと、君といると飽きないなって。こんなに沢山息抜きの方法を知ってるっていうの、なんというか、凄く羨ましいな、ってさ」
「……ふふふ、羨ましい、ですか」
壁にかけられた真っ白な時計の文字盤。いつの間にやら一時間近く立っていたその針を見つめて、しみじみと考える。
「さっきも見せちゃった通り、ほんと僕、休むのが苦手っていうかさ。一人だと延々何かしら考えちゃって、休まるものも休まらないんだよ」
「ええ、もちろん、この世の誰よりも存じ上げておりますとも♪」
「だから、ほんと、君がいてくれて良かったよ。安心するんだ、君がいると安心して気持ちをリセットできる。君っていう確かなものがあるから、なにか取りこぼしがないか気になって仕方ない気持ちを、一度全部、捨てちゃうことが、できる」
「…………」
「……あ、な、なんちゃって……あはは、のんびりしようって言ってたのに、またなんか重くなっちゃったね?ほんと、良くないって分かってんだけとさ?」
「……ふふっ、羨ましいだなんてご冗談を。私をこうしてくれたのは、トレーナーさんでしょう?」
「えっ?」
キョトン、と思わず口に出してしまいそうなほど目を丸くする僕に対して、優しく微笑みながら、けれどもきっちりと胸に手を置いて語り始めるアルダン。まるで淡い色彩の水彩画のようなその情景に、思わず目を奪われる。
「『自らの生きた証を、ターフに遺す』……かつての私は、それ『だけ』の為に、生きていました」
「……ああ、そうだったね」
「だから、『走る事以外、興味を持てない。ぱかチューブもウマスタも、同年代の娘たちが夢中になるようなことも、私には関わりがないものだ』と。そう、思い込んでいたのです、私は」
言われるがまま思い出した、出会ったばかりの頃の彼女の姿。その頃から彼女は聡明で、美しくて、優雅で耽美で。
けれども、どうしようもない『飢え』を、何が欲しいのかすら分からなくなる程の渇望を、その身に抱えてしまっていた事を、よく覚えている。
「……でも、そうじゃないと。『走る事だけがウマ娘じゃない』と、私に教えてくれた人がいた。狭まっていた私の視界を、一度『リセット』してくれて、この世界の本当の広さを教えてくれた人が……貴方が、いてくれたのです」
「……!」
「……ふふ、なんちゃって。重たさのお返しです♪まあすなわち、こうして沢山息抜きの方法を覚えることができたのも、全てトレーナーさんのおかげだ、というお話なのでした……♪」
「……ふふっ、お返し、お返しかぁ」
ちょうど心地よい重みでのしかかってきた彼女の思いを、ほどよくもたれかかって聞き流す僕。互いに強い重力で引かれ合い、茶化し合うこのゆるさが、今はなんとも、心地よい。そうだな、きっとこれこそがあの頃の僕らが求めていたもの、なのだろう。
「アルダン、なんというか……その」
「はい?」
「……これからも、よろしくね?これからも、君がもっと一人のウマ娘として成長できるように……そして、僕がもっと一人の人間として立派になれるように、頑張るから。だから、時たまにはこうやって、一緒に休んでくれる、かな?」
「……ふふっ!ええ、ええ、もちろん!まだまだ先は長いのですから、これからも末永く、よろしくお願いいたします……ね?トレーナーさん?」
「っ、う、うん!よろしく、アルダン!」
お互いの醸し出す重力に押し負けて、相変わらず殺風景な床板にペコペコと目線を向ける僕ら二人。昼下がり、時計はそろそろ十三時を指して、穏やかな風がなんとも心地よい春のこと、だった。
グゥゥゥゥゥゥ……
グゥゥゥゥゥゥ……
「……………………」
「…………ふふっ、そういえばお昼、まだでしたね?」
「ははは、そうだった……とはいえ、流石に食べるものはどこかに調達しに行かないとかな?やっぱりちょっとめんどくさいけど……」
「あら?食べ物ならあそこの棚の中、沢山ありましたでしょう?」
「……えっ!?ぼ、僕の夜食用に買い込んでたカップ麺の隠し場所、なんで知って……」
「ふふふ♪私、シーフード味がいいです♪」