メジロアルダン短編集『to the MEJIRO ARDAN』 作:いずさわ
「スロー、クイック、クイック……スロー、クイック、クイック……!」
「アン・ドゥ・トロワ……アン・ドゥ・トロワ……」
「おお……すごい……!」
南南西からの風が暖かさを超え、確かな熱を帯びてきた三月の後半。いつもより少し色めきたつトレセン学園のダンススタジオで僕が目の当たりにしていたのは、そんな春の陽気に勝るとも劣らない、更に凄まじい熱気であった。
「っ……ターン!」
「ふっ!」
「えっ!うわっ!なに今の!?」
ふわりふわりと、まるで重量を無視したかのように僕の目の前で跳ね回るのは、他でもなく我が担当ウマ娘、メジロアルダン……それと、その大親友にして宿命のライバルでもあるウマ娘、サクラチヨノオー。
二人の息を呑むような、優雅で、それでいて鋭いステップのダンス。ほんの数日前よりも更に数段研ぎ澄まされたそのダンスは、まるで素人の僕ですら圧倒されるほどの輝きを放っていた。
「っ……!」
「はいっ……!」
「…………うおおおっ!すごいすごい!完璧だ!」
「ふぅ……ふふふ、お褒めいただき光栄です♪」
「はぁ……はぁ……へへへ、何とか最後まで踊りきれるようになりました!アルダンさんのおかげですね?」
「いえいえ、私はなにも……」
「そんなことないです!アルダンさんが教えてくれた呼吸法、すっごく身体が楽に動かせるようになるんです!」
「ふふふ、ですって、トレーナーさん♪」
「塩、送っちゃったかなぁ……?」
糸を張ったような緊張感ある舞踏から一転、いつも通りのやわらかな笑顔をこちらに向けてくる二人に、思わずこちらの頬も緩んでしまう。
『リーニュ・ドロワット』……ウマ娘の、ウマ娘による、ウマ娘のためのダンスパーティまで、指折り数えられる程の日数に迫ってきた今日という日。なかなか合わなかった二人の息も、今ではまるで一心同体と呼べるほどに、ピタリと合致していたのだった。
「ま、とにもかくにもここまで仕上がれば……」
「おーっ!最高だったぞチヨ!」
「あら、この声は……」
「げっ、この声は……」
突如背後から聞こえてきた、無駄にけたたましい声に思わず耳を塞ぐ僕。全くほんとに、毎度毎度面倒なタイミングに現れやがって……
「トレーナーさんっ!来てたんですね!」
「おう!さっきのダンスは最初から見てたぞ!ほんっっとに頑張ったな!よーしよし!」
「むっ!また子供扱いしてー!」
「ふふふっ、あの二人のやり取りはいつも賑やかですね?」
「賑やか……まあ……」
今更ノコノコと現れたのは、他でもない、サクラチヨノオーのトレーナーである。なんとも呑気そうな面を晒しながらチヨノオーに駆け寄り、こっちのことなど眼中にもなさそうな様子で話している姿……本当に。
「いつ見ても、ムカつくだけなんだけどなあ……」
「んだと?聞こえてんぞコラ」
「聞こえるように言ってんですー。というか何してんだよ、毎度毎度ちょっと遅れて登場しやがって。重役か?」
「来年度の予算申請作ってたんだよ。お前こそこんなとこで油売ってる暇あんのか?提出明日だぞ?」
「残念でしたー、一週間前には提出してますー」
「申請用紙貰った次の日じゃねーか!もっと考えて作れよ夏休みの宿題じゃねーんだぞ!」
「はいはいお二人とも、ストップストップです!」
「お二人とも見てくださったのであれば、是非ともご意見をいただけませんか?」
「……ん、あ、ああ、うんうん」
「お、おう、そうだな」
二人に促されて、じっと顎に手を置き考える。ご意見、ご意見と言ってもなあ……
「……いや、ほんと。ただただ圧倒されててさ。身のこなしもダイナミックで目を引くし、それでいて細かい動きも本当に繊細で……」
「ああ、とにかく凄かった。互いの息もピッタリ合ってたし……まあ、とりわけ完成度が高かったのは……」
「アルダンのステップ!」
「チヨのターン!」
「は?」
「あ?」
「へへへ……もー、二人とも褒めるばっかりじゃ何の参考にもなりませんよー?」
「ははは、悪い悪い。けど本当に完璧だったからな?」
奴に同調するのは癪に障るが、まあ、確かに僕らからしてみれば完璧としか言いようがない出来栄え、だが……
「……しかし、個人的には終盤息が上がってしまって、ステップのコンビが合わなかったような気がします」
「ええ、私も……実はほんとにやろうとしてたターンから、一回転少なかったんですよね……それ以外も、まだまだ詰められる所は沢山ですね?」
「だってさ?ほんと、完璧だなんて言葉そんな無責任に言うもんじゃないよ?」
「お前もさっき言ってただろ!」
未だ、更なる高みを渇望するかのような二人の熱い眼差しに、網膜を焼かれそうになる。ドロワまで本当にあと少しだけど、これはまだまだ、気を抜いてる場合じゃないな……
「では、トレーナーさん?今日はまだまだまだまだ、許容範囲内ですよね?」
「ああ、もちろんだよ。僕も付き合うから、まだまだもっともっと……」
「ハァーイ♡そこのかわい子チャン達〜?」
「あら、この声は……」
「も、もしかして……!」
突如背後から聞こえてきた、なんともトレンディでアダルティな声。なんか、今日はやたら後ろから話しかけられるなぁ……なんて思いながら振り返る、そこに立っていたのは……
「ま、まま、マルゼンさん!?」
「まあ……ご無沙汰しております♪」
「いぇーい!精が出るわねチヨちゃんにアルダンちゃーん?二人がドロワの練習頑張ってるって聞いて、お姉さん、いても立ってもいられなくなっちゃった♡」
言わずと知れたスーパーカーウマ娘、マルゼンスキーである。チヨノオーが彼女の事を慕っているのはもちろん知っているが、そういやアルダンだって昨年末、彼女に連れられて温泉旅行へと赴いたんだったか。袖振り合うもなんとやら、とはよく言ったものである。
「という訳で、はいこれ!沢山飲み物買ってきたから、ちゃんとこまめに水分補給するのよ?」
「わぁ!こんなに沢山!?」
「あらあら、お気遣い感謝いたしま……えっと、これは……?」
「モチのロン!ナタデココジュースよ!こっちがマンゴー味で、こっちがパイン味、あとこれがブルーハワイで……」
「それは……あまり運動中には向かないような……」
「あら!確かに言われて見ればそうね?許してチョンマゲ!」
「ふふふっ!では、終わってからいただきますね!」
「……なんか、俺たち蚊帳の外だな」
「うるさいな、分かりきってる事言うんじゃないよ」
どっさりと抱えたレジ袋を降ろしながら、なんともマイペースに二人に笑いかけるマルゼンスキー。そして彼女に釣られて朗らかに笑みを浮かべるアルダンにチヨノオー……と、そんな華やかな香り漂う空間を遠巻きに見る湿気た成人男性二人。なんだ、なんだこの構図……
「それにしても……懐かしいわね〜ドロワ!ちょっと昔のコト、思い出しちゃったわ?」
「あ!会長さんとベストデートになった時の事ですか?あのダンスの映像、何度も何度も観ました!」
「まあっ!ちょっぴり恥ずかしいわね?あの年はほんとみんなレベル高くて、本番ギリギリまでルドルフと構成を練っていたのよ?」
「そうだったんですか!?それであんなに完璧に踊ってしまうなんて……やっぱりマルゼンさんは凄いです!」
「ふふふ、ありがと♡そういえば、あの年と言えばラモーヌちゃんのアレにもビックリしちゃったわね?」
「姉様の……そういえば、あれはマルゼンさん達と同じ年のお話でしたね?」
「え?え?なんのお話ですか?」
「メジロラモーヌ……私の姉様がペアを連れずにドロワの会場に突如現れ、ソロダンスで会場を魅了してしまった……なんて、メジロ家の間で語り部になっている話があるのです」
「ソロダンスだったからベストデートの選評からは外れたけれど……あれでもしペアが居れば、私達も危なかったかもしれないわね?」
「そ、そんなことが……!?本当に凄い年だったんですね……」
「レッドキング」
「ぐ……グリーザ」
「ザゴラス」
「す……す……す、スーパーグランドキング!」
「グラナダス」
「嘘だろ!?す、す……す……?」
「それにしても……アタシの後輩のチヨちゃんに、ラモーヌちゃんの妹のアルダンちゃん。二人がドロワに参加するだなんて……なんだかとってもエモーショナルね〜♡」
「エモーショナル、ですか?」
「ええ!ええ!なんだかあの頃の私たちの想いが、今もきちんと『繋がって』いってくれてるって、凄く実感しちゃって……お姉さん、そういうのにとっても弱いのよ〜!」
「………………」
「………………」
「す……!スピットル!おらどうだ!?ルだぞル!」
「……アルダン」
「おい、聞いてんの……ん?」
……想いが、繋がって、か。
確かに、あのメジロラモーヌの妹が、今度はデート相手を伴ってドロワの舞台に舞い降りる。なんて、なんとも出来たドラマ、のように思われるのかもしれないな。もしかすると、姉がなし得なかったベストデートの冠を、妹が……なんて。
「……あの、マルゼンさ」
「まっ、マルゼンさんっ!」
「っ……チヨノオーさん……」
「あら、どうしたのチヨちゃん?そんな怖い顔して……」
「……『私たち』は、『私たち』ですっ!」
「……!」
思わず、口を開いてしまうアルダン……の上から、言葉を被せるチヨノオー。その力強い声色に、マルゼンスキーの表情もピクリと動く。
「あ、その、マルゼンさん達の事を軽く見ているわけじゃなくて!そのっ!」
「……ええ、分かってるわ?それで?」
「その……少し前までは、『私』は『あなた』になろうとしていました。誰に頼らなくとも強く輝く、あなたみたいに……いえ、あなたそのものに」
「うん、うん」
「でも、そうじゃないって分かった。私は弱い。貴方には、なれそうもない」
「……!」
「それでも、いえ、それだからこそ、私の事助けてくれる人が沢山いて、私の至らない所を埋めてくれる人がいてくれるんです。その、みんな分の力を合わせたら、きっと、『繋ぐ』んじゃなくて……ええと、違うなぁ……そうじゃなくて……私は、私が……!」
何やら目を泳がせながら、唇を噛み締めるチヨノオー。きっと、『言いたいこと』は自分でも分かっている。分かってはいるけど……もう一歩、踏み込む勇気が……
「っ…………ファイッ……オーーーーーーッ!」
「っ、チヨノ……オーーーーーーーッ……!」
「……チヨノオーさん」
「……うふふっ♡」
「………………」
……全く、どこまでも暑苦しくてうるさい奴だこと。真隣から発せられた無駄にけたたましい声に思わず耳を塞ぐ、僕。
「勝ちますっ!マルゼンさんにも、会長さんにもラモーヌさんにも……過去のウマ娘の皆さん、全員にっ!『私たち』でっ!」
「……ふふっ、『私たち』と来たわね……?」
「ええ!私と、アルダンさん!二人揃えば誰にも負けません!私たちがなるんですっ!歴代最高の『ベストデート』にっ……!」
両手を握りしめながら、強く、強く言い放ったチヨノオー。冬の気配が残るカラリとした空気が部屋中を包んで、僕はほんの少しだけ、身震いをした。
「……そう、いいじゃない?後ろから必死に追いかけてくる娘は大好き……よ?」
「っ……!?」
「なーんちゃって♡それじゃこれ以上お邪魔しちゃったら悪いわね?お姉さんはこの辺でおいとまするわ!そんじゃ、バイビー♡」
一瞬、マルゼンスキーがほんの一瞬だけ見せた鋭い眼光に、その場にいた全員の顔が凍りつく。そんな様子に構いもせずに、すぐにいつもの調子で彼女は僕らに、無防備に背中を向けるのだった。
「ああ、あと、チヨちゃんに一つだけ忠告!」
「忠告……ですか?」
「……敵はなにも『過去』にしかいないわけじゃない。私たちの前にラモーヌちゃんが現れたように……『今』、目の前をちゃんと見ないと、足元を掬われちゃうかも……ネ?」
「……?」
「さーて、せっかくの春一番だし、タッちゃんとひとっ走りデートでもしちゃおっかな♡」
一方的に言葉を紡いで、そのままスタジオから立ち去ったマルゼンスキー。彼女が残していった張り詰めたような乾いた空気を入れ替えるべく、僕も言葉を探すが……
「……あの、チヨノオーさん」
「………………」
「……チヨノオーさん?」
「……ふ、へぇぇぇぇ……!緊張、したぁぁ……!」
「どわぁぁぁ!危ねぇっ!だ、大丈夫かチヨ!?」
まるで糸が切れたように崩れ落ち、自らのトレーナーに支えられるチヨノオー。その今にも溶けだしそうな顔に、思わず僕らも表情が緩んでしまう。
「ふふふ、なかなかの迫力でしたよ?チヨノオーさん?」
「ああ、ああ!立派だったぞ!ほんっとに、ほんっっっとに、頑張ったな!よーしよし!」
「も、もう……子供扱いしないでって、言ってるじゃないですかぁ……それに今のは、トレーナーさんのおかげですし……」
よろよろと起き上がりながら、一つ一つ丁寧に言葉を紡ぐチヨノオー。表情はヘロヘロだが、その顔にはひとつ、確かな揺るがぬ自信が宿っているように、そう思えた。
「……ふんっ!こうしてはいられないです!」
「うおっ!?チヨ!?」
「だ、大丈夫ですか?」
「マルゼンさんにあんな事を宣誓してしまったんです!絶対に絶対に……ぜーーーったいに下手なダンスは見せられません!ですよね?アルダンさん!」
「……ふふふ、そうですね?」
「早速練習を再開しましょう!絶対に、『私たち』で勝つために!」
「……ふふ♪」
「……アルダン?」
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「ん!久しぶりに飲んだけど、ナタデココ結構いけるね?美味しい!」
「んぐ……んぐ……ええと……これは、いつ飲み込めは……」
「あ、ある程度柔らかくなったとこで大丈夫だよ……多分……」
丸一日、練習に明けに明け暮れた、夕暮れ時。チヨノオーたちと別れて僕ら二人、優しげな夕陽に照らされる学園内のプロムナードをのんびりと散歩していた。
「しかし、マルゼンスキー凄かったなあ……ほんと、あれが『伝説』のウマ娘ってやつかあ……」
「ふふふ、どうです?『倒す』算段はつきそうですか?」
「今んとこ、ぜんっぜんだね!……でもいずれ絶対に見出してあげるよ、ダンスでも、レースでもね?」
「流石トレーナーさん♪」
夕陽を反射させた、煌めきに満ちた彼女の瞳が僕を捉えた。少しだけ汗に塗れた、髪だってボサついた、何にも例えようがないほど美しい姿に、僕も目を奪われる。
「……あの、トレーナーさん?」
「アルダン?」
「もし私が、今までの私と正反対の、遠く逸脱したような事をし始めたら……貴方は、私の事を嫌いになってしまいますか?」
「ならないよ」
「……!」
「あっ、いや、それが例えば自分を傷つけるようなことだったら、全力で止めるけどさ?でも、だとしても、『嫌い』にだけはならないさ、絶対に」
「……ふふっ、なんだか聞いた私の方が馬鹿みたいですね?」
なんでまた、彼女がそんなことを聞いてきたのかは分からないけど、そうだな。
いつも穏やかな笑顔を浮かべる彼女の泣き顔や怒る姿を見ても、これっぽっちも幻滅なんてしなかったし、いつも柔らかなスカート姿の彼女がきっちりとした勇ましいパンツスタイルで現れた時も、むしろますます大好きになったし。
うん、間違いない、絶対に僕は彼女の事を嫌いになったりしない。その『根拠』も『実績』も、『自信』も、確かに僕の中にある。だから、大丈夫。
「昔は私、別に誰に嫌われてもいいと思っていました……いえ、今もかしら?」
「あら、そうなの?」
「もちろん、いたずらに嫌われるような事なんてしませんよ?けれども……ええ、やっぱり私は、自分自身のやりたいことが一番大切なので、ですね♪」
「ふふ、そりゃ当然ね?」
「でも最近は……トレーナーさん。貴方だけには、嫌われたくないと、そう考えてしまうのです。貴方に嫌われたくなくって、少しだけ、臆病になってしまったな……なんて」
「んっ……!そ、そっか、そっか」
なんだか不意打ちで囁いてくる彼女の言葉に、思わず大きく目を逸らす僕。ギラギラと照りつける太陽が、じんわりと僕の瞳を焦げ付かせる。
「でも、その様子なら本当に何をやっても心配いらなさそうですね?貴方と出会えて本当に本当に幸せです、ありがとうございます、トレーナーさん♪」
「う、うんうん……ええと……何の話なんだろうこれ……そんな嬉しいこと言われ慣れてないから、僕……」
「……ふふ、『ドロワ』頑張ります。ということですよ?絶対に絶対に、『誰よりも』輝いてみせます……ということ、です♪」
「う、うん?それなら、頑張って、ね?」
「ふふふ、あら、もう寮についてしまいましたか。少し名残惜しいですが……」
「明日もたっぷり練習なんだから、ちゃんと身体休めないと、でしょ?」
「はーい♪それではトレーナーさん、また明日……♪」
「う、うん、また明日」
満面の笑みで大きく手を振る彼女に、やや控えめに手を振り返してから、一人帰路につく。ほんと、彼女には敵わないなぁ……
「……『私たち』、かあ」
もう一口ナタデココを口に含みながら、ふわりと思い返したのは、マルゼンスキーと相対した時の彼女の表情。その真意は……やっぱり分からないけれども。
「勝つ、マルゼンスキーにもメジロラモーヌにも……どんな、ウマ娘にも。僕だってうかうか、してられないな」
そうだな、今の僕にできることはただ一つ、彼女の望みを叶えてあげること。彼女が勝ちたいと願うのなら、例え相手が『誰』であろうと、僕はその手助けをする。それが、それこそが僕の仕事なのだ。決意を新たに見つめた空には、鮮烈で暴力的なオレンジが、僕の目を貫くように輝いていた。
そして、数日の時が過ぎて……