メジロアルダン短編集『to the MEJIRO ARDAN』   作:いずさわ

67 / 137




Buddy

「ふっ……はあっ……!」

 

「……よし、よし、いいぞ……!」

 

じわじわと、このトレセン学園にも春の気配が近づいてきた頃。日に日に青みを増してきた学園内のターフを力強く踏み鳴らしていたのは、もちろん我が担当ウマ娘、メジロアルダンである。

厳しい冬を乗り越え、復帰戦に臨む為の調整を繰り返す彼女。その脚は間違いなく、これまでで一番の切れ味を誇っていた。

 

「ラップタイムも……うん、上々だ……!」

 

当然言うまでもなく、これから彼女が飛び込んで行くシニア級戦線は言わば『無差別級』の世界。名だたるベテランウマ娘達が本気でこちらを叩き潰しにかかってくる、まさに、人外魔境の地。

故に今は、四方八方どんなウマ娘に挑みかかられても迎え撃てるような、穴の無い総合的な実力を培うべき時期である。が、その辺りももちろん抜かりは無い。自信を持ってそう答えられる程、彼女のコンディションだって今、最高潮に高まっていると言えよう。

 

「……さて、あとは、何が足りない?」

 

……しかしまあ、そんな理屈は一旦置いておいて。

僕の頭の中にも、おそらく彼女の頭の中にも、深く深くこびり付いている、光景。名だたるベテランウマ娘達の姿よりも鮮明に思い出すことが出来る、目には見えない、けれども途方もなく高く分厚い、『壁』。

 

すなわち、『オグリキャップ』の姿。

 

「はっ、はあっ……ふんっ!」

 

「……オグリキャップが今、7バ身後ろからスパートをかけたとして。今のままだと追いつかれるまで大体……なんとか直線入るまで凌ぎきれば……その為には、どうするか……」

 

オグリキャップを、どう倒すか。

それこそが、今の僕らの最大の課題。いつかの模擬レースのターフ上で、そして、昨年末の有馬記念の観客席で見た、あの人知を超えたかのような走りを、『攻略』する。

傲慢に聴こえるかもしれないが、やはりそれが、メジロアルダンこそが『最強のウマ娘』であることを証明する、唯一無二の方法であろう。

 

「……そもそも、追い込みをかけられる前に何かしらブラフを撒いて……でも前の模擬レースの時は何やっても全然動じてなかったからなぁ……となると……ああ、データが足りない……!」

 

ターフの最終直線になだれ込むアルダンの姿を見つめながら、顎に手を置き、オグリキャップの姿を幻視する。とうとうG1タイトルまで獲得し、名実ともに『世代最強』の称号を欲しいがままにする彼女に、かつて付けられた土を、ぶつけ返す為には……

 

 

「っ……やぁああああああっ!はぁああああああああああっ!」

 

 

「……!」

 

「っ、うおっ!?」

 

アルダンの後ろから迫る、オグリキャップの虚像。を、突き破って。

まるで桜前線の如く、うんうんと唸り声を上げながらひたむきに位置取りを上げてきた、一人のウマ娘。そうだったな、僕らが土を付けられた相手は、オグリキャップ、だけではない。

 

「来たな……チヨノオー……!」

 

「はぁああああっ!ふん……ぬぅううっ!」

「……っ!はぁあああああっ!」

 

今日の併走相手にして、メジロアルダンの最高で最大のライバル……サクラチヨノオー。

息を切らしながら必死で横につけてきた彼女を一目見て、アルダンは更に熱量の籠った唸り声を上げる。2000メートルを駆け抜けた末の壮絶な鍔迫り合い、食いしばる奥歯の先に、互いに覗かせる、不敵な笑み。

ウマ娘同士にしか分からない『何か』をそこに見て、思わず僕は、眉間に皺を寄せる。

 

サクラチヨノオー。『あの』日本ダービーの直後に骨折が判明し、長らく入退院を繰り返していた彼女も、今年に入ってようやく本格的な復帰の目処が立ってきたらしい。というわけで早速、アルダンに急かされ申し込んだ合同トレーニング、であるのだが……

 

「……しかしまあ、『軽い』併走って言ったの、忘れてるな、これは」

 

「ふんっ……ぬうぅうっ!」

「っ……はあああああっ!」

 

「!」

なんて、僕が軽くぼやいている間に、二人ほぼ同時にゴール板を踏み抜く。どことなーく、ややチヨノオーの方が体勢有利だった気もしなくは無いが……

 

「う……げほっ……げほっ……はあっ……はあっ……」

「ふうっ……いかがでしたか、トレーナーさん?」

「うーーーーん……」

 

……いや、しかし、やっぱりアルダンの方がハナ差前だったような気がするな。うん、気がするっていうか、もう、ほとんど、十中八九そうだった。そうに違いない、うんうん。

 

「うん!アルダンの勝……」

 

 

「嘘は良くないぞー?なあ、おい?」

 

 

「げっ……」

「あら、あの方は……」

 

突然、背後から聞こえてきた無駄に暑苦しい声……そうだった、ターフに夢中になり過ぎて……『コイツ』が来るのを、忘れてた……

 

「よお!悪いな『チヨ』!遅くなった!」

「はぁ……はぁ……ふぅ……もー……遅いですよぉ……『トレーナーさん』……」

 

「ふふふ、チヨノオーさんのトレーナーさん、今日も元気ですね?」

「……ははは、ま、そだねぇ」

 

腰に手を起きながらノコノコと現れたこの男……他でもない、サクラチヨノオーのトレーナーである……まあ、それだけだ、特に言うこともないだろう。

 

「しかし、こんな時期に半袖とは……寒くはないのでしょうか?」

「まあ、なんとかは風邪をひかないって言うからね。そんな事よりも、さっきの走り!めちゃくちゃ良かったよ、アルダン!特に最後のスパートが……」

 

「おいコラ、サラッと流してんじゃねえ。さっきのレース、どう見てもチヨが先着だっただろうが」

「…………アルダン、ちょっと疲れたよね?向こうの方でチヨノオーと、軽くストレッチしながらお互いの走りのフィードバック、しててくれる、かな?」

「……ふふっ、はい、了解です♪」

 

鼻歌混じりで歩き去るアルダンの背を見送って、僕は渋々、奴の方へ向き直る……ほんっと、いつ見ても……

 

「……相変わらずムカつく面だな、ほんと」

「開口一番にそれかよ!?」

「適当な言いがかり付けてきてんじゃないよ?どう考えても僕の方が近くに居ただろ。主審判断に従えよ、レッドカード叩きつけるぞ」

「アホか、俺はあの上の方から観てたんだぞ?お前より全体見渡せるんだよ。てかお前も見ただろ、どう考えてもチヨの方が体勢有利だったからな?」

「なんだよ、それで言うとあれか?僕が我が担当可愛さに悪事に手を染めると?そんなトレーナーに見えると言いたいのか?」

「いや見えるだろ。お前は絶対やる奴だと思ってましたよ俺は。普段は大人しい子なんですけど、メジロアルダンの事になるといつも突然暴れだして……だろ、お前は」

「それは世界の方がおかしいだろ!あんなに健気で可愛いんだぞ!もっとアルダンに本気になれよ全人類!」

「そういう所だよ!」

 

 

「……ふふふっ!お二人とも、いつも本当に仲良しですね?」

「ふふ、本当に……少し、妬けてしまいますね?」

「ええと、確か子供の頃からの幼馴染……なんでしたっけ?」

「ええ、トレーナー養成学校でも同期だそうですよ?私とチヨノオーさんみたいなもの、だったのかしら?」

 

 

「第一、なんで俺が来る前にガチで始めてんだよ?チヨのトレーナーはこの俺だぞ?」

「うるさいな、それはあれだよ、成り行きっていうか、目と目があったらバトルするのがルールだろ」

「別のトレーナーだろそれは!図鑑でもなんでも勝手に埋めてろ!」

「そもそもお前こそ、可愛い可愛い担当を置いて、何遅れてノコノコやって来てんだよ」

「それはお前あれだよあれ、カシモト博士にモンスター貰いに行ってたんだよ」

「始末書、顛末書、反省文。好きなモンスターを連れていきなさい」

「全部同じじゃねーか!その通りだけど!」

「おめでとう!始末書は解雇通知書に進化した!」

「シャレにならねえからやめろ!」

 

 

──────────────

 

 

「本当に、羨ましいですね?」

「えっ、何が?」

「トレーナーさんと、チヨノオーさんのトレーナーさんですよ。あんなになんでも言い合えるくらい仲良しな相手がいるなんて、とっても羨ましいです♪」

「仲良……?」

 

次のトレーニングメニューのため、黙々とステップハードルを並べる僕の頭上から降り注ぐ、なんとも朗らかな声。あれのどこが『仲良し』に見えるのか、詳しく問いただしたい気持ちを堪えて、僕は彼女の言葉に耳を傾ける。

 

「贅沢な悩みかもしれませんが……今まで生きてきてずっと、私に向かってあれ程遠慮なくものを言って下さる人は、誰もいませんでしたから」

「まあ、それはそうだろうけど……別に楽しいものじゃないよ。いっつも無駄に張り合ってくるし、一言多いし」

「どうでしょう、トレーナーさん?私に対しても、あのような気楽な口調でお話してみてくださいませんか?」

「いやいや無理無理!というか別に、アルダンには無理して丁寧に話してるわけじゃないからね?これも素だから、ほんとに!」

 

目の前の作業の手を止めながら、大袈裟に首を横に振る僕。けれども、そうだな。

 

「……でもまあ、あいつの事は置いておいて。確かに本音をぶつけ合えるような相手に憧れるって気持ちは、分からなくもないかな。あいつの事は置いておいて」

「そうでしょう?もちろん一人で消化する術もあるのでしょうが……やはり気持ちというのは、誰かにぶつけてこそですもの♪」

「チヨノオーは?君たちこそ、いつも仲良しじゃない?」

「ええ、とっても仲良しです♪……けれども、そうですね、何もかもぶつけ合えているかと言えば……」

「……まあ、親友であると同時に、たった一つの冠を取り合う敵同士でもあるわけだからね。ほんと、複雑なものだよ、トレセン学園って」

「……私としては、もっと、なんだってぶつけて欲しいのですけれどもね、彼女には。綺麗な感情、だけでなくても、いい」

「…………」

 

目線を上げると、そこに映っていたのは、少しだけ物憂げな表情を浮かべたアルダンの大人びた顔。思えば、そうか。

自らの信念も、矜恃も何もかも賭けて争いあった相手と、帰ればまた共に生活していかなければならない、なんて。一体全体、果たしてどんな気持ち、なのだろう。

 

「我儘な事だとは、分かっていますが……本当はダービーの後。チヨノオーさんにはもっと、もっと私に対して『勝ち誇って』欲しかったな。なんて、時々思います」

「……なる、ほど」

「『勝ったのは、私だ』『悔しければここまで登って来てみせろ』なんて、本当はそんな言葉を、私は望んでいたのです。そうして……私は思い切り彼女を、チヨノオーさんを、憎みたかった」

「あれから、彼女とダービーの話は?」

「……時期を逃した。と、言ったところですかね。ダービーの後は、すぐにお互い入院になってしまいましたし、次に顔を合わせたのは、夏合宿の後ですから」

 

不意にしゃがみこんで、均一に並べられたステップハードル達を眺めながら。ひとつ、寂しさを抱えたような吐息を吐いて彼女は呟く。

 

「気持ちの整理は出来ている、と思っていたのですけどね。やはりまだ、私の中では終わった気がしていないのです。あの日の『ダービー』は」

「……!」

「だからまだ、先に進めていない気がする。私も、きっとチヨノオーさんも……『勝った』『負けた』と、互いにきちんと言葉にしていないから。だから、今の私達は、憎しみ合うこと『すら』、未だ出来ずにいるのです」

「……そっか」

「……なんて、他力本願になんてしないで、私から言葉にしてしまえばそれで済む話。なのですけどね?ただ、やはりどうにも……」

 

メジロの令嬢、硝子の少女、強い、ウマ娘。彼女を評する言葉は、本当に、数え切れない程あるけれども。

やっぱり彼女は、メジロアルダンは、『普通の女の子』なのだ。優しくて友達思いな、『今』という青春を楽しむ、そして……人間関係にだって悩んだりする、どこにでもいる普通の女の子。『ウマ娘』かどうかなんて、特に関係はない。

だから、きっと僕だって。歩幅が違うとしても、一歩ずつ君に寄り添える、はずだ。

 

「……どうしても、『言葉』で伝えないといけない。って訳でも、ないんじゃないかな?」

「トレーナー、さん?」

 

なんて言いつつ、一言一言丁寧に言葉を選び話す僕。なんだか矛盾している気もするが、まあいいだろう。

 

「あいつ……『チヨノオーのトレーナー』ってさ。あんなんでも、養成学校じゃずっと全科目一位の超優等生だったんだよ。信じられる?」

「えっ?ええ、まあ、特に疑いはしませんが……芯の部分は、真面目そうな方ですものね?」

「あっ、ああ、そう……まあいいや、それでさ、僕はそんなあいつの下、どの科目でも万年二位、だったんだ」

「……!」

「ま、学校の成績なんて、今になったら心底どうでもいい事なんだけどさ。だけどまあ、当時はやっぱり、悔しかった」

 

着地点を考えつつ、虚空を見つめながら言葉を繋ぐ、僕。正直、思い出したくもないような昔話だが、それでも口を開くのは。

暗礁に乗り上げた彼女の心を、何としても掬い上げてあげたかった……のと、それと。口調はともかくとして、僕だって彼女にとっての『本音をぶつけ合える相手』になりたいと、そう思ったから。

 

「それで……トレーナーさんは、どうなされたのですか?」

「言葉には、しなかったよ、余計悔しくなるからさ。あいつの前じゃ精一杯強がってみせながら、裏では一体どう寝首をかいてやろうか……なんて、ずーっと考えてた」

「寝首を……?ふふっ♪こんなに優しいトレーナーさんにも、やんちゃだった頃があったのですね?」

「ほんと、今思うと馬鹿げてるけどね?とにかくあいつに勝ちたくてさ……レース戦術学や実技指導分野はどうしても勝てる見込みがなかったけど、唯一。『ウマ娘身体学』の分野なら付け入る隙があると感じて、それをひたすら、あいつにも、誰にも負けないぐらいにまで極めてやったんだ」

「ウマ娘身体学?」

「簡単に言えば、ウマ娘の身体構造を理解し、レースに耐えうる身体の形成と、怪我を未然に防ぐ為の指導方法を学ぶ、みたいな科目かな?」

「まあ……!まさしく、トレーナーさんの得意分野、ですね?」

「さっき言った通り、別に最初は好きで取り組み始めた科目じゃなかったけどね。とにかく人気もないんだよ、戦術とか走法とか関係ない、すなわち直接『勝ち』に繋がる勉強じゃないしさ?」

「確かに、言われて見ればそう、ですね?」

「あいつに勝てそうな科目を見繕っただけで、好きでもなんでもなかった。けど……そうだな。今考えれば、間違いなく他のどんな科目より一番学んでて良かったと思う。君の、『メジロアルダン』のトレーナーとしてやっていく中、あの日学んだ知識に、数え切れないほど助けられたから」

「……!」

 

じっと、彼女の瞳を見つめつつ浮かべた微笑みを、彼女もまた、とびきりの笑顔で返してくれた。よかった、ちゃんと『通じてる』。ささやかな喜びに高鳴る胸を、僕は軽く、軽く押さえつけた。

 

「だからさ、だから、君だってそう。綺麗な感情じゃなくても、ぐずついたままの心模様でも、やりたいこと、やれることを必死にやってたら、いつの間にかそれが正解になってるよ」

「……ふふっ、そんなもん、ですかね?」

「そんなもん、だよ。『ダービー』、君の中じゃまだ終わってないっていうのなら……つまり今からでも、逆転できるってことだろう。君がこれからも永く永く、走り続けてさえいればね?」

「ふふふっ!ではそのためには……これからも、レースに耐えうる身体を形成するのと、怪我を未然に防ぐこと……が、大切ですね♪」

「任せて?それが僕の『得意分野』だからさ?」

「流石です、トレーナーさん♪それではこれからも……ご指導ご鞭撻の程、よろしくお願いいたします、ね?」

 

厳しい冬を乗り越えて青々と茂る草木のような、力強い彼女の姿。互いに思わず取り合った指先はほのかな熱を帯びていて、少しだけ、むず痒かった。

 

「おーい!何モタモタしてんだー!こっちはとっくに、並べ終わってんぞー!」

 

「ふふふ、ね?アルダン?」

「ふふふ、ええ、トレーナーさん?」

 

「おいコラァ!なに二人だけの世界に入り込んでんだ!とっとと戻ってこいや!」

 

 

──────────────

 

 

「いち、に、いち、に……」

「はっ、はっ、はっ、はっ……」

 

ステップハードルの間を、小気味良く駆け抜けていくアルダンとチヨノオー。基礎的な歩幅矯正トレーニングだが、それでも互いに浮かべる真剣な表情に、ただただ、圧倒されてしまう。

特に、アルダン……贔屓目混じりなのかもしれない。けれどもやはり、彼女は本当に素晴らしいウマ娘だと、月並みだが心からそう思う。つま先から腰、胸、頭まで、ピンと一本の軸で支えられているかのような美しいフォームに、無駄はないがキレのある重心移動。一長一短では身につかない走りの型が、全身くまなく刷り込まれている。間違いなく彼女が、人並外れた努力を重ねてきた証。

そして、それは走りだけではない。毛先まで、一切の妥協なく整えられた艶のある青空のような髪に、端正なように見えて、少しだけ幼い丸みを残した横顔……彼女の姿は、やはりどこからどう見ようと……いつまでも、どこまでも、美しかった。

 

「うるせーなさっきから、走りだけ見ろ走りだけ。あと一番可愛いのはチヨだからな」

「うるさいのはお前だお前、ナチュラルに人の思考に入り込んでくるんじゃない。あと一番綺麗なのも一番可愛いのもアルダンだから」

 

小煩いノイズに思考を邪魔されて、渋々現実の、僕の隣にふてぶてしく鎮座する辛気臭い顔に目線を戻す。

 

「……お前さ、今のチヨの事どう思う?」

「えっ?いいんじゃない?アルダン程じゃないけど」

「いちいち一言多いなお前……」

「……あれだけのブランクがあるとは思えない整った走法に、仕掛けのタイミングも、いい。『実技分野』は申し分なし……だけど」

「だけど?」

「……根本的な、スタミナ、か」

「……よく見えてんじゃねえか、ムカつくぜ」

 

思い浮かべたのは、先程の並走トレーニング。競り合われて多少熱くなっていたとはいえ、かなりの余力を残したままゴール板を踏み抜いたアルダンと、まるで本番のレース後のように、息も絶え絶えで膝をついていた、チヨノオーの姿。最終的にはハナ差程度だったが、そうだな。直接口にはしないが、アルダンが同じくらいの全力を出してしまえば、その差は……

 

「ま、ついこの間通常トレーニングに復帰したばっかりだしね。身体に染み付いた技術は消えないにしても、筋肉量や柔軟性を維持するのはまず不可能だろうし、それに、だからこそ。『以前出来ていたこと』と『今出来ること』のギャップにも苦しむことになる。チヨノオー程のウマ娘ならば、尚更だ」

「……俺も、もっと真面目にやっときゃよかったな、『ウマ娘身体学』」

「……そうかよ」

 

そう言って、僕らは二人揃って目線を逸らす。向けた視線の先には……

 

「はっ、はっ、は……あっ……はぁ……はぁ……」

「いち、に、いち……っ、だ、大丈夫ですか?チヨノオーさん?」

「……あっ、だ、大丈夫!大丈夫ですアルダンさんっ!」

「…………」

 

歯を強く食いしばって、眉間に皺を寄せたサクラチヨノオーの表情。どんな気持ちなのか、なんて僕なんかには分からないけど、少なくともかつての……ダービー以前の彼女では、まず見ることはできなかった表情であった。

 

「……俺としては、もっとなんだって話して欲しいんだけどな、チヨには」

「……!」

「はっきり言って、今のチヨが本当に『走りたがってる』のかどうかすら、俺には分からねえんだ。ターフに向かう、その意思があるのかどうかが、な」

「……お前のその口は、一体何の為に付いてるんだ?」

「わかってんだよ。俺からはっきり聞けばいいって事ぐらい。分かってんだが……」

「は?何一人で分かってる感出してんだ。口は呼吸する為に付いてるに決まってるだろ」

「お前……人が真面目に話してんのに…………『呼吸』?」

「……吸う息と吐く息が均一じゃない。感覚も短い。どんどん酸欠になっていって視野も狭まる。思考が鈍り、ペース配分も出来ずに、スパートで全力を出し過ぎて身体が追いつかなくなる。で、余計に体力を消耗する、思った通り身体が動かなくなってくる。楽しくも、なくなってくる」

「……はは、やっぱすげえな、お前は」

 

凄くなんてない。僕だって他でもない、アルダンの身をもって、思い知らされた事だと。たまたま、僕の方が少し知るのが早かっただけだと。言いかけて、やっぱり、やめた。

 

「お前の悩みは、正しいと思う。ウマ娘だって生物だ、『走るために生まれてきた』なんて、そんなことある訳がないし、それを理解せずに、望まないウマ娘をターフに立たせ続けるトレーナーなんて、『トレーナー』を名乗る資格はない。僕達は常に、彼女達自身がどう思っているかを探り続ける、責任と義務があるんだ」

「…………」

「……が、それはそれとして。『走る楽しみ』『勝つ喜び』を教えてあげるのもまた、トレーナーの義務だ。義務だし……純粋に、まだ楽しめる余地があるのに、辞めるのは勿体ない、だろ」

「……礼は言わねえぞ」

「そりゃ、どーも」

 

優しさや情けなどではない、これは『打算』だ。

日本ダービー、最終直線で見せつけられたサクラチヨノオーの『再加速』。思えばあの光景、ほぼ全てを振り絞ったと思った、そこからの、一歩……先日の模擬レースで見た『オグリキャップ』のラスト50メートル、人智を超えた加速に、よく似ていた気がする。すなわち。

『ピース』になり得ると、そう思ったのだ。メジロアルダンがオグリキャップに、勝つ。その為には、絶対に『サクラチヨノオー』というピースが必要だと、そう、僕の頭脳は判断した。

だから、まだ、まだ生きていて貰わなければ困る。生きていて貰って、またあの加速を観察し、考察し尽くしたいと、そう思ったのだ。

 

「……オグリキャップ、か」

「だから、ナチュラルに人の思考に入り込んでくるなって」

「……俺たちが養成学校で学んできたこと、一体何%ぐらいあの『怪物』に通用するんだろうな」

「さあね、あんなとんでもないウマ娘がいるなんて、教本のどこにも書いてなかったからな。だけど……」

「?」

「……絶対に、付け入る隙はある。僕はそれを何としてでも見つけ出して、延々と、相手がぶっ倒れるまでつつき回す。それだけだ」

「……本当、お前は昔から変わらねぇな?」

「は?」

「ま、そんな悠長なことしてる間に、先に俺とチヨが頂いとくけどな、『怪物の首』をよ?」

「あ?ふざけんな、僕とアルダンが先に決まってんだろ。あんなに可愛いんだぞアルダンは」

「可愛さ関係ねーし!そもそもチヨの方が可愛いだろ!」

「なんだと?アルダンの可愛さ舐めるなよ?こないだのバレンタインなんて、わざわざ手作りしてくれたんだぞ?あまりにも愛おし過ぎるだろ、なあ?」

「んだよ、それを言うならチヨだって作ってくれたし!おら、この写真見ろ!チョコペンでこんなメッセージまでつけてくれたんだからな!」

「お前こそ見ろこのチョコ!そこいらの高級チョコなんて目じゃないクオリティだぞ!凄すぎるだろアルダン!めちゃくちゃ手間暇かかってるだろ!」

「何をぉ……!それならチヨだって!」

「何だとぉ……?うちのアルダンはなあ!」

 

 

「……ふふっ、アルダンさんアルダンさん?またやってますよあの二人、本当に本当に、仲良しですねぇ?」

「ふふふ、本当に、本当に……羨ましい限り、ですね?」

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。