メジロアルダン短編集『to the MEJIRO ARDAN』   作:いずさわ

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せいいっぱい、君を愛する。




Bitter

「トレーナーさん、ハッピーバレンタイン♪」

「えっ」

 

何の変哲もない、憂鬱な金曜日の朝……に、突然飛び込んで来た、甘い甘い、蕩けそうなほど甘い、声。

 

「えっ、と……あ、あーっ!そういえばそうか、『2月14日』か、今日!」

「ふふふ、そんなことだろうとは思っていました♪」

 

慌てて覗き込んだ、パソコンの中のカレンダー。指し示されたその日の意味合いぐらい、流石の僕にだって理解できたのだった。

 

「あー、ごめんね気が効かないトレーナーで……僕もチョコのひとつぐらい、用意しとくべきだったね」

「……もう、トレーナーさんはどうしていつも、なんでも、『あげる側』の思考なのですか?」

「えっ?え、ええと?」

 

思わぬ返答に言葉を詰まらせる僕を、呆れ混じりの苦笑いで見詰めてくる彼女……我が担当ウマ娘、メジロアルダン。

ひとしきり僕の反応を伺いつつ、再び彼女は、口を開いた。

 

「トレーナーさんも、殿方なのですから。あげる方ではなく『貰う方』を意識するべき、でしょう?」

「あっ、ああー……まあ、確かにそうか……」

「お返事は?」

「は、はいっ!」

 

しゃっきり背筋を伸ばして大袈裟に反応する僕に、思わずといった雰囲気で笑みをこぼすアルダン。その愛らしい輪郭の丸みに、思わず僕も、見蕩れてしまうのだった。

 

「ふふ、よろしい♪では……こちらをどうぞ、トレーナー、さん?」

「……ん?え、ええっ!?」

 

そのままぼんやりと、惚け面を晒していた僕に向けて差し出された、小さな箱。ワンテンポ遅れて受け取ったその、なんだかオシャレで可愛らしい箱を、僕は人目も忍ばずまじまじと見つめる。

 

「こ、これって……もしかして……」

「ふふ、開けてもいいですよ?」

「じゃ、じゃあ失礼して……!」

 

結ばれていた小さなリボンを解き放ち、蓋を開けた瞬間……漂ってきた、柔らかな、甘い香り。話の流れ的に、その中身の正体については最早言うまでもないだろうが、それでも無意識に、上ずった声で僕は口を開いた。

 

「チョコレート、だ……!」

「ええ、改めまして……ハッピーバレンタイン、トレーナーさん♪」

 

9ピース、お行儀よく並べられた色とりどりのチョコレート達に、思わず口を開けたまま目を奪われてしまう僕。カカオの滑らかな甘い香りだけではない。レモンやオレンジの甘酸っぱさや、ココアパウダーのほろ苦さ……まるで彼女自身を彷彿とさせるような、幾重にも重なり合ったアンサンブルのような香りが、僕の嗅覚を超えて、脳髄の奥底深くまで、掴まれてしまう。

 

「いいの?こんないいものを、僕に?」

「ふふふ、もちろん。心を込めて、丁寧に作りましたので……お口に合うと、良いのですが……」

「……え?今、『作った』って言った?」

「あら?ふふふ、内緒にするつもりが、口が滑ってしまいましたね?そうです、全て私の……てづくり、ですよ♪」

「うわーっ!さすがに凄すぎる!」

 

思わず、仰け反りながら声を上げる僕。どこぞの百貨店に並ぶハイブランド品か何かだと思っていたこのチョコレートが、まさか、アルダンお手製の逸品だった、とは……

 

「いや、ほんと……ほんと、やばいな、これ……すごく、すごくすごいぞ、ほんとに……」

「ふふふ、語彙力が大変なことになっていますよ?トレーナーさん?」

「ここっ、これっ、ほんとに僕が食べちゃって、い、いいの?」

「あら、別の誰かに食べられてしまって……よろしいのですか?」

「やだ!僕が全部食べる!」

「ふふ、ではでは、早速おひとつ、どうぞ♪オススメの食べ方もありますが、まずは一粒、そのままで……♪」

「えぇー……どれから行こうかなぁ……」

 

途轍もない名残惜しさをなんとか押さえつけ、僕は目の前のチョコレートをひとつひとつ見定める。どうするか……レモンピールが乗った爽やかな見た目のものも美味しそうだし、クリームが混ざったマーブル模様のもいいなぁ……

 

「……でもやっぱり、一番はこの真ん中のシンプルそうなやつ、かな?」

「あら、流石トレーナーさんお目が高い。そのチョコが、まさしく一番の自信作なのです♪」

「そうなの?そう言われると、もう我慢できなくなっちゃうなあ……」

「ぜひぜひ、一気に行ってしまってくださいな♪」

「ではでは……いただき、ます……っ!」

 

つまみとったチョコレートをひとつ、思い切りよく口に放り込んだ……瞬間。

 

「………………!?」

「いかが……ですか?」

 

口の中に広がる、豊かで滑らかな甘み。けれども、ただ甘いだけなどでは、無い。

まるで物語を紡ぐような、そんな一粒。表面にコーティングされたクラシカルで優しいカカオの甘みが、ふわりと僕の舌を向こう側の世界に誘う。と、間髪入れずに中から現れた、糖度の高い、濃縮されたミルクチョコレートの滝。目が回るような、刺激的な甘さにぐるぐると落とされていくと、その底に待ち構えていたのは、ねっとりとしたキャラメル風味の滝壺。もがいても逃れようのない沼底のような多幸感が、僕の脊椎まで染み渡って、五臓六腑を駆け巡り、やがて全身を包み込む。すなわち、つまり。

 

「おいし……過ぎる……絶対に、今まで食べてきたどんなものよりも、美味しいよ、アルダン……」

「っ……ほんとに、ほんと、ですか?」

 

束の間、浮かべていた不安げな表情も吹き飛ばし、満面の笑みで身を乗り出してくるアルダン。その柔い髪から香ってくる同じ甘い匂いにくらつく頭を叩き直し、まだまだ僕は、言葉を繋ぐ。

 

「ほんとに、ほんとうに……感動しちゃうくらい、美味しい……」

「よかった……実は少しだけ不安だったのです、ここまで凝ったものを作ってみるのは、流石に初めて……だったので……」

「いや、本当に凄い……『僕なんかにも』こんな素敵なチョコをくれるなんて……君みたいな『教え子』を持てて、僕は本当に幸せだよ」

「…………!」

 

口内に、そして脳にこびり付いたチョコレートの余韻を、しばし目を閉じ堪能する僕……

いや、本当に、本当に僕は幸せ者である。こんな、僕なんて奴にもここまで優しくしてくれる、そんな教え子ができるなんて、考えもしてなかった、な。

 

「うーん、あんまり一気に食べ過ぎるのも……でも正直、我慢できな……」

「……………………」

「……アルダン?」

「トレーナー、さんは」

 

……僕が、ひたすら浮かれ騒いでるうちに。

いつの間にか彼女は、アルダンは。ほんの少しだけ神妙そうな表情で、こちらを見つめていた。

 

「トレーナーさんは、今日、誰か別の人からチョコレートを貰ったり、していませんか?」

「えっ、いや……もちろん貰ってないよ?アルダンに言われて、初めて今日がバレンタインだって、気がついたぐらいなんだから」

「……では、これからはどうですか?誰かからチョコを貰うような予定などは……あったり、しますか?」

「えっ、これから……うーん、少なくとも予定は無いけど、もしかしたら誰か優しい同僚とか……ああ、それこそ理事長とかたづなさんとかが、義理でくれるかもしれないね?あの人たち、なんでもないような時にまで色々くれたりするし」

「……………………」

「……ええと、ど、どうしたの、アルダン?」

 

なんだか、意図が読み切れない彼女の質問に、馬鹿正直に答える僕。何が何だか分からないまま僕は、顎に手を置き何やら物思いにふける彼女の姿を、じっと見つめていた。

 

「……ダメです」

「えっ」

「ダメです、貴方は……今日は誰からも、チョコを貰っちゃ、ダメ、です」

「えっ?ダメ?」

「ダメです、義理でも、本命でも。ダメですよ?トレーナー、さん?」

「え、ええと……」

「お返事は?」

「は、はいっ!」

「……ふふ、よろしい♪」

 

しゃっきり背筋を伸ばして大袈裟に反応する僕に、思わずといった雰囲気で笑みが帰ってくるアルダン。なんだか先程よりも丸みを帯びた、子供っぽい愛らしい輪郭に……やっぱり僕は、しばし思考を止めて、見蕩れて、しまう。

 

「……あら、もうこんな時間ですか。もうすぐ授業が始まってしまうので、そろそろ行きますね?」

「ああ、うんうん。改めてだけど、こんな素敵なチョコレートくれて、本当に本当にありがとう、アルダン」

「ふふふ、よーく味わって食べて下さいね?後でたっぷり、感想聞かせてもらいますから、ね?」

「もちろん、一粒一粒大切にいただくよ」

「ええ、それでは、また……」

 

ひらひらと緩く手を振ってから、彼女はトレーナー室を後にする。始業時間にはまだ少し早いはずだが……まあ、色々あるのだろう、彼女なら。

 

「さてさて……どう断ればいいものか……」

 

貰ったチョコレートを、一度テーブルに置いて。僕は大きく息を吸い込んでから深く椅子に腰掛けた。

まず、僕なんかにわざわざ義理でもチョコをくれるような同僚などそうそういないだろうから、そこはそれほど心配する必要はないとして。たづなさんは……まあ、考えてもなかなか読めない人だから、一旦置いておこう。

問題は理事長か……あの人、平気で生徒全員分とか、トレーナー全員分とかの単位で色々用意したりするからなぁ……普段はめちゃくちゃありがたいんだけど、しかし、アルダンと約束した以上、今日だけは絶対に、受け取る訳には……

 

「……なんで?」

 

ふと、冷静になって考える。何故に彼女は、僕に向けてあんなことを言ってきたのか、その意図が、僕の中で未だ釈然としていなかった。

当然、こんな素晴らしいチョコレートを受け取っておきながら彼女の事を無下にする事など出来はしないし、一度約束した以上、それを違えることだって、絶対に……

 

 

『ダメです、義理でも、本命でも。ダメですよ?トレーナー、さん?』

 

 

「………………」

 

ふと、頭の中蘇ってきた、先程の彼女の声。その声が反響して、反響して……とある疑問が頭をよぎって、無意識に、僕の口から零れ落ちる。

 

「これは、『どっち』だ?」

 

8ピース、お行儀よく並べられた色とりどりのチョコレート達に、思わず口を開けたまま目を奪われてしまう僕。全対比が変わったからだろうか、先程よりも強く感じたのは、ココアパウダーのほろ苦い香りであった。

 

「……ちょ、ちょっと、頭冷やして、こようかな?」

 

明後日の方向に吹っ飛んでいきそうな思考をまとめるため、僕はぶつぶつ独り言を呟きながら、椅子から立ち上がった。そうだな、こういう時は屋上で涼しい風を浴びるのが一番だ。目の前のチョコレート達に丁寧に蓋をかぶせてから、僕はスタスタと、早歩きでトレーナー室から抜け出し……

 

「……どわぁ!?あれっ?あ、アルダン?」

「……へっ?と、トレーナーさん?」

 

……たところで、僕の瞳に入り込んできたのは、何故だか廊下に小さくなってうずくまる、我が担当ウマ娘……メジロアルダンの姿だった。

 

「えっ?え、ええと?どうしたの?大丈夫?」

「………………」

「あ、アルダン?」

「あっ!え、ええと、わた、私なら、だ、大丈夫っ!大丈夫なのでっ……!お、お気に、お気になさらずっ……!」

「………………」

 

頑なに丸まったまま、顔をこちらに向けてくれないアルダン……けれども、どうやっても隠すことの出来ない、ピコンと立ったウマ娘の耳……

そのツヤツヤと綺麗な水色の耳が、先の方まで淡いピンク色に染まってしまっているのを目撃してしまい、僕は……僕は、不均等に脈打つ胸元を押さえつけながら、言葉を紡いだ。

 

「その、気にしてるの、かな?さっき言ったこと……?」

「……!」

「だ、大丈夫だよ心配しなくて。ちゃんと僕、約束は守るから、さ」

 

なんとなく、的外れな事を言っているのは理解している、が、なんとも……何か場を持たせようと、次の一手を僕は探す、が。

 

「……ごめんなさい、ごめんなさい。その、あんなおかしな言いつけをしてしまって」

「あ……アルダン……」

「トレーナーさんを、束縛するようなつもりは無いんです、本当に。でも、その……気がついたら口から零れ落ちていて……」

「…………」

「ふ、ふふ、本当に、困った『教え子』ですよね?あんな子供のわがまま、無視していただいて、大丈夫、ですから」

 

顔を背けながら、小さく小さく、けれども丁寧に……まるでこれ以上傷口を広げないように言葉を紡いでいくアルダン。

その言葉の意味、約束の意図、チョコレートの正体。抱え込んだままの彼女の真意をそっと汲み取るように、慎重に僕も、言葉を繋いでいく。

 

「……いいや、約束は守るよ、アルダン」

「トレーナー、さん?」

「改めて、ありがとう。すごく、すごく嬉しかったよ。『教え子』じゃなくて、君が……『メジロアルダン』が作ってくれた、チョコレートだからね」

「……!」

 

噛み締めた奥歯に残った、風味。教え子が恩師に送る感謝の味……とは、少しだけ違う、一人の少女『メジロアルダン』の紡ぎ出した人生そのものの、甘くほろ苦い、味。

 

「だから、守る、今日だけじゃなくて、一生。僕が受け取るのは、君のチョコレートだけだ」

「……え、えっ?そ、そんなことを、言ってしまって……その、本当に、大丈夫なの、ですか?」

「いいんだよ、これは君のわがままじゃない、僕が、僕自身が、そういう自分でありたいから」

「…………」

「……だ、だからその、君が嫌なら別に、大丈夫!一生チョコレート食べられなくなるだけだし!」

「……っ、ふふっ……!それのどこが、大丈夫なのですか?ふふふっ!」

 

突然すくりと立ち上がって、紅潮したままの顔でとびきり大きなはにかみを僕に見せてくれる、アルダン。気を取り直してくれた安堵と、何故だか早くなる動悸で、僕はしっかりと胸元をにぎりしめながらその様子を見つめる。本当に、よかった。これが、『今』の僕で、僕の立場で、伝えることが出来る、せいいっぱい、だから。

 

「……あのチョコレートは、貴方だけのものです、トレーナーさん」

「!」

「お伝えして、いませんでしたね?あのチョコレートは……貴方の大好きな、コーヒーと一緒に食べるのが、一番美味しいのですよ?」

「……それが、オススメの食べ方ってやつ?」

「ええ、そのように作ったのです、私が。決して、決して『貴方なんかにも』ではありません。私が、貴方の為だけに作った、チョコなのです」

「……うん、うん、そうだね。ごめんね、アルダン」

 

ずずいと、僕の胸元まで急接近してきたアルダン。思わずぼやけてしまう視界でも、彼女の手先……華奢で可憐な肌に、ほんの少しだけ切り傷や火傷跡を残した、美しい指先がはっきりと映り込んできた。他でもない、僕のせいで傷ついた、僕らだけの、傷跡が。

 

「本当は、食べ比べをして貰いたかったのですよ?コーヒーがないのとあるのとで、どれくらい違うのか……私のお手製の、コーヒーも淹れながら……」

「えっ?何それ!絶対やりたいやりたい!」

「ふふふ、もう本当に授業が始まってしまうので、それはまた、放課後に……」

「う、うん……!本当は今すぐ食べちゃいたいけど……もう、めちゃくちゃ、我慢する、から……!」

「ふふふ……あと、それと、ですね……」

「?」

 

二歩、三歩と遠ざかって、一呼吸置いて。彼女が発した、とびきりの甘さと、少しずつの苦みと渋みが混ざった、蕩けそうな、声。

 

「『義理チョコ』までなら、許してあげましょう。全部、私に報告してくれるなら、ですけどね?」

「……ふふっ!うん、うん、ありがと、アルダン!」

「では、また放課後……楽しみに、していますよ?」

 

そう言い残して、今度こそ彼女は足早に去っていった。きっと、これが『今』の彼女の、せいいっぱい、なのだろう。相変わらず染まった耳先と、一欠片残ったとびきりの甘みが、それを、証明していたのだった。

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