メジロアルダン短編集『to the MEJIRO ARDAN』 作:いずさわ
「お、アルダン?先に来てたん……アルダン?」
「……あ、トレーナーさん、お疲れ様、です……」
今日も今日とで、溜まった仕事を片付けるべくトレーナー室の扉を開ける僕。と、そこにいたのは勿論、我が担当ウマ娘メジロアルダンであった。が。
いつもと違う、なんとも物憂げな様子で窓の外を眺める彼女に、僕は慌てて声をかける。
「どうしたの?何かあった?」
「い、いえ、特に大した事があったということはない、のですが……」
「それにしては、なんだか元気がないようだけど……」
「まあ、少しだけすっきりしないと言いますか……しかし、体の不調などではありませんので、どうかお気になさらず……」
「体……も大事だけど、でも君の気持ちだって同じくらい大切だよ、僕にとっては。ゆっくりでいいから、何があったか、話してくれない、かな?」
「……ふふ、本当に優しいのですね?トレーナーさんは」
「そっ……そりゃ、君のトレーナーだから、ね?」
少しだけ儚さを纏った、小さな微笑みに揺らめく心を抑えつつ。僕は彼女に一歩近づいて、胸に手を当て、そっと、彼女の言葉を待つのだった。
「本」
「本?」
「購入したのです、以前から気になっていた本を、上下ともネット通販で……」
「あら、それは良かった……ように聞こえるけれど?」
「ええ、本自体には何も問題は無かったのですが……」
そう言うと、彼女は鞄の中を漁り、二冊の本を取りだした。文脈から考えれば、それが件のネット通販した本、なのだろうが……
「あれっ?なんか……別の本?」
「という訳ではなく、これ、上巻が旧版で下巻が新装版になっていたのです……」
「そ、それは確かにすっきりしない……!」
右手に握られた、なんとも伝統的で味わい深い表紙と、左手に握られた、機能美を感じる近未来的な表紙……どちらも見劣りしない素晴らしいデザインだが、確かにパッと見で同じ本だとは分からないだろう。これらが本棚の中隣合っているのを想像すれば、確かに彼女の物憂げな表情も理解出来るというものだ。
「申し訳ございません、このような本当に些細なことで、トレーナーさんにご心配をかけてしまって……」
「いいや、いいや、さっきも言った通り、体と同じくらい君の気持ちだって大切なんだ。それに……」
「それに?」
「それに……その気持ち、めちゃくちゃ分かるんだよなぁ……僕も昔は、そういう不揃いなもの、完璧じゃないものが嫌でさ」
「まあ、トレーナーさんが、ですか?それは少し意外ですね?」
「結構、神経質だったというか。学生時代は好きなバンドのCDとか集めてたんだけど、一個だけ初回生産限定盤が手に入らなかったのがあったんだよね」
「まあ……それは確かにすっきりしませんね……」
「どうしても欲しい特典があったとかじゃないんだけど、それでもなんか納得出来なくてさ。でもあんまりにも手に入らないもんだから、なんか虚しくなって、CD自体集めるのやめちゃったなぁ……」
ふんわりと思い出したのは……丁度、僕が今のアルダンと同じくらいの歳の頃か。間違いなく、今のアルダンの方がしっかりしているのは確かだけれど……
「あらら……それは少し勿体ない気がしますね……」
「そうでしょ?だからアルダンには、出来ればそうはなって欲しくないけど……あっ」
「トレーナーさん?」
「そういやさ、その本ってどんな内容なの?」
「内容ですか?そうですね……簡単に言えば、中世ヨーロッパ史を元にした歴史小説といったところで……」
「ふむふむ」
「しかし少し興味深いのが、物語の語り部が直接歴史に関わる王族や貴族、軍人などではなく、ただの一人の市民であるという所ですね。この視点だからこそできる、中盤のどんでん返しが語り部となるほど凄まじいらしく……」
「なるほどなるほど?」
コロリと表情を変えて、まるで幼い子供のように嬉々として語り出すアルダンを見て……うん、そうだな、賭け値なしで僕も、間違いなく……
「凄く気になってきたなあ、僕も。その本、本屋さんにも売ってある、かな?」
「……!ええ、ええ、恐らく……!」
「それは良かった、じゃあ……これから早速、ちょっとお出かけしよっか、アルダン」
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「ふふん♪ふふふん♪」
「ふふふ、随分ご機嫌になっちゃって……」
「あら、申し訳ございません♪トレーナーさんが件の作品に興味を持って頂けたのが嬉しくってつい……」
一瞬で支度を済ませて、街へと繰り出した僕とアルダン。特に示し合わせた訳でもなく、お互い自然と歩みを進めたのは、ここいらで一番近くの本屋に向かう方角であった。
「しかし、考えましたねトレーナーさん?『自分が上の新装版と下の旧版を買って、それを取り替えっこすればいい』だなんて……」
「ちょ……僕まだ何も説明してないんだけど?」
「ふふふ、トレーナーさんの考えそうなことくらい、なんでもお見通しです♪」
「言っておくけど、小説に興味があるのはほんとだからね?」
「それも、分かってますよ♪」
なんともすっきり晴れやかな表情で、僕の真横でステップを刻むアルダン。何も言わずに、黙って小粋に取り替えてあげよう。なんて甘い考えは即刻打ち砕かれてしまったが……まあ、良しとしよう。
「しかし、これだけ長く一緒に居ても知らないことだってあるものですね?」
「というと?」
「トレーナーさんも、昔は凄く神経質だった……という話ですよ。それについては、あまり想像がつきませんもの」
「そうかな?そんなもんじゃない?」
ふらふらと僕の半歩先に出て、不用意に顔を覗き込んでくるアルダン。不意に漂ってくる甘苦しい香りに思わずそっぽを向いてしまう僕に構わず、彼女は言葉を繋いでいく。
「トレーナーさんと言えば、トレセン一温厚なお方ですから。何があっても、なんだかんだ『それはそれで』と、受け入れてしまいますでしょう?」
「と、トレセン一なの?どこ調べ?」
「私調べ、です♪」
「まあ、確かに、昔と比べれば細かいとこ気にしなくなった、かもね?」
「何か、心境の変化でも?」
「それは、そうだなあ……」
ここ数年で、僕の心持ちが大きく変わるような出来事……なんて。そんなもの、ひとつしかないだろう。
「うん、やっぱりそうだな、間違いなく君と、『メジロアルダン』と出会って、君のトレーナーになった。それが一番大きいよ、きっと」
「まあ、私と?」
意外そうに、その大きな瞳を一層丸くする彼女に合わせて、少し歩幅を小さくしながらゆっくりと僕は語り始める。
「思えば、そうだな。僕が長い事サブトレーナーなんて地位に甘んじてたのも、そうか」
「というと?」
「変わり者だって、自覚あるからさ。波長の合うような相手じゃないと互いにコミュニケーションが辛くなっていくだろうって。それが分かってたから妥協出来なかったんだよね、完璧に僕と合う娘を探さないと、って思ってた」
「あらあら……」
「……でも、ある時にさ。合うとか合わないとか、そんなもの関係なく『一緒に居たい』と思わせてくれる、そんな娘に、出会う事が出来たんだ。例え合わなくっても、僕の方から歩み寄りたいと、そう思わせてくれるような娘に、ね」
「……!」
ぼんやりと空を仰ぎみて、ふと考える。きっと他人から見れば、僕と彼女の姿はまだまだ完全に混ざりきってなどいない……さながら、本棚の中の不揃いな本、のようなものなのだろう。まだまだまだまだ、僕は彼女に、相応しいトレーナーに……相応しい人間になんてなれていない。ピッタリと彼女と符合する人間などではないし、彼女に合わせるための無理だって、これまで何度もしてきた。
それでも、いつでも、これからも。僕は彼女の、『メジロアルダン』の傍にいたいと思う。理由なんてないけど、傍にいたいと思う。
「だから、多分それから変わっていったんだろうな。『完璧なもの』よりも『君が喜ぶもの』の方が大切になったし、それが『妥協』と呼ばれるものなら、甘んじてそれを受け入れられるようにも、なった」
「……本当に、貴方ときたら……」
「?」
「それを言うなら、私もですよ。私は私の望みが叶うのならば、トレーナーなど、はっきり言ってしまえば、誰でも良かった」
「あ、アルダン……」
「けれども、ある時に出会ってしまったのです。望みが叶う、叶わないなんて関係なく、ただ、私の全てをお任せしたいと……そう思える、トレーナーに、ですね」
「……うん、う、うん……そ、そっ、か」
「………………」
「………………」
「……あ、あの、何か……もっと反応していただけませんか?」
「あ、ご、ごめ……なんか、嬉しすぎるっていうか……て、照れちゃって……」
「も、もう、貴方だって似たような事を言っていた癖に……」
「あ、あ、ほら、もう本屋さん見えてきたよ!い、行こう行こう、ね?」
「……ふふっ、そうですね?」
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「ええーと、あ、あれ?」
「これは、もしや……」
市内一の大型書店の、膨大な量の棚の中から手分けして探した件の小説。ようやく探しだした、その姿は……
「どっちも新装版だ、これ……」
「あらら……まあ今更、旧版を仕入れることも無いでしょうしね……」
僕の両手に収まった、機能美を感じる近未来的な表紙の、二冊の本……またしても、何ともすっきりしない自体に思わず砕ける、僕の腰、だが……
「……ふふっ、ふふふっ!」
「あ、アルダン?」
「ふふふ、それではこの新装版は、どちらもトレーナーさんがお持ちください?」
「えっ?でも君は……」
「結局中身は変わりませんし、それに裏を返せば、旧版と新装版の表紙をどちらも楽しめますから、ね?」
「…………」
「……憧れたのです。貴方に、その穏やかな心に。私も貴方のようにおおらかで優しい大人になっていきたい。だから私は、これでいい。こういうことも受け入れられる、大人になりたいのです」
「……まったくもう、しょうがないなあ、アルダンは……」
ふわりと、甘酸っぱい香りを纏いながら、随分大人びた笑みを浮かべる、アルダン。そうだな、きっと君はいずれ、僕よりもずっと立派な大人になるだろう。けど……
「けど、ううん、大丈夫。これは……君にあげるよ、アルダン」
「トレーナー、さん?」
僕が差し出した、新装版の上巻をきょとんとした顔で受け取ったアルダン。照れ隠しにあれこれと話しだしてしまいそうな口を噤んで、僕はなるだけ小粋に、彼女の顔から目を逸らす。
「そうだな、君はきっと僕なんかよりおおらかで優しい大人になっていくんだろうね……けど、それは今じゃなくて、いい」
「……!」
「せめて、君がターフを去るまでの間は、君は『子供』のままでいいさ。子供のままで……神経質に完璧を追い求めてほしい。それで生まれる歪みの部分は、全部僕が飲み込むからさ」
「……ふふ、本当に、本当に優しいのですね?トレーナーさんは」
「それは、君のトレーナーだから、ね?」
不完全なものを埋め合わせようとする、無軌道で無鉄砲な、けれどもとびきり輝かしい『勢い』。それこそがやっぱり、メジロアルダンの強さの源。で、あるならば、やっぱり今の彼女に『諦め』なんて覚えてほしくなんて、ない。
「ふふふ、ではお言葉に甘えて……こちらはいただきます。けど、そうですねぇ……」
「アルダン?」
「……少しだけ、わがままを言ってもよろしいでしょうか?」
「う、うん?いいけど……?」
「神経質に、完璧を求めてもよろしいのであれば……であれば、トレーナーさんにも求めて欲しいのです。完璧を……」
「僕にも?」
「ええ、今の私にとっては『完璧なもの』こそが『私が望むもの』なのです。私だけでない、貴方も完璧にすっきりと楽しめる、そんなものが、私は欲しい、ですので……ええと……」
「?」
「……旧版の下巻も、一緒に探しに行きませんか?貴方と一緒なら、きっと見つかりそうな、そんな気がするのです♪」
「……ふふふ、もう、しょうがないなあ?」
珍しく、気恥ずかしそうに頬を染めて語る彼女の、幼さが残る輪郭が妙に目に入ってきて、僕は思わず、鼻の頭を掻きむしる。もう少しだけ、できるだけ長くそんな姿を見ていたいなんて欲をひた隠すように、僕はまたまた、目を逸らすのであった。
「しかし、今日はなんだかんだでもう門限だから、また明日から、ね?」
「……むう」
「そんな顔しても……まだ子供なんだから、ほら、お会計して帰るよ帰るよ?」
「はーい、ではこの旧版の上巻はどうしましょう?下巻が手に入ってから、まとめてお渡ししましょうか?」
「んー、いや、先に貰っとこうかな?どうせそんなすぐに読み切れないんだから、ちょっとずつちょっとずつ、読み進めとくよ」
「あら、でははい、どうぞ?」
「ありがとう……まあほんと、すぐには読み切れないだろうけど、ね?」
──────────────
「おはようございま……トレーナーさん?」
「あ、アルダン……お疲れ様……」
「ど、どうされましたか?なんだか元気がないようですが……」
「……すっきりしない」
「はい?」
「昨日の小説……ちょっとだけと思って目を通したらさ……めちゃくちゃ面白くて一気に読んじゃって……でも上巻しか持ってないから、めちゃくちゃいいところで止められてて……」
「ああ、なるほど……私のもので良ければ、お貸しいたしましょうか?」
「でも、旧版を手に入れるって決めた手前、新装版で先に呼んじゃうのもなぁーってさ……ああ、すっきりしない、すっきりしない……アルダン!これから暇?もし暇なら……さ、早速、探しに行かない?ね?」
「ふふふ、それでこそトレーナーさん、です♪」