メジロアルダン短編集『to the MEJIRO ARDAN』 作:いずさわ
「これは、いる。これは、いらない。これは……まあ、いりませんね?」
「ええと、ねえアルダン?こういう雑誌って燃えるごみで出していいんだっけ?」
「雑誌類は資源ごみ……って、これをお伝えするの、もう三度目ですよトレーナーさん?」
「あ……あはは、ごめんね?もう完璧に覚えた!」
窓の外が桃色に染まって、開け放った先からほのやかなぬるま風が吹き付けた季節。ここトレセン学園でも新学期を明日に控えて、心機一転、僕と彼女は実に丸一年ぶりに、トレーナー室の大掃除を敢行していた。
「ええとこれは、隣町の定食屋さんのクーポンですか。四月末までの期限のようですが……」
「百円引きかぁ、まあ、まだ期限切れてないのなら取っといたほうが……」
「トレーナーさん、この四月の忙しい時期に、わざわざ隣町まで定食を食べに行く事など、果たしてありますかね?」
「……ない、だろうね」
「ではこれは、いらない、と……あとこれは、なんですか?瓶?」
「ああそれ、こないだ買った中山限定ウマサイダーの瓶だね?なんか綺麗だったから、捨てるの勿体なくて……」
綺麗なのは分かりますが、札幌や小倉ならともかく中山ならいつでもすぐに行けますでしょう?」
「……はい、そのとおりです」
やれやれと肩を揺らしながら、彼女は……我が担当ウマ娘メジロアルダンは、半透明の瓶を持って、迷うことなく燃えないゴミの袋を広げる。まあ、確かによく見るとこの瓶、ラベルが綺麗なだけのどこにでもあるただの瓶だな?なんであの時わざわざ取っとこうなんて考えたんだろうな、僕……
「なんかこう、いつかのどこかで役に立つんじゃないかなー?なんて考えたら、なんかどれもこれも、捨てられないんだよねぇ……」
「まったく、貴方がこの調子ではいつまでも散らかったままですよ?このトレーナー室も、トレーナーさんの自室も」
「う、うん、それは分かってるつもりなんだけ……ちょっと待って僕の部屋の様子知ってんのアルダン?????」
「……まあ、そうですね。気持ちは分からなくもないですけど、ね?」
「いやあのDVDは自分で買ったんじゃなくて、そう、同僚!同僚のトレーナーに押し付けられて……アルダン?」
と、件の瓶を袋に突っ込む……手を、少し止めて。彼女は僅かに片側の口角を吊り上げた。その何としても例えようのない、やさしい、やさしい表情に、僕も雑誌類をひとまとめに括り付ける作業を止めて、つい、見蕩れてしまう。
「もう会えない、かもしれないもの。たとえそれが大した価値のないものだったとしても、なんだかそれがすごく愛おしく、名残惜しくなってしまう気持ちは、実によく、分かります」
「……アルダン」
「ふふっ、何もかも取っておくことができるのならば、本当はそれが一番良いのですけどね?」
例えば、僕のデスクに溜まった書類に、くすんだシールが控えめに貼られた湯沸かしポット、一昨日僕がぶつかってちょっぴり凹んでしまったロッカーのドア、そして手元の瓶。この部屋に佇む全てのものを、分け隔てなく愛おしそうに見つめる、アルダン。
思えばきっと、僕なんかより。
彼女の方が、ずっとずっと『さみしさ』の何たるかを、理解しているのだろうな。少しずつ姿を見なくなっていくトレセン学園の先輩や同期、今日明日の無事も分からぬ子供達が暮らす病棟、彼女がこの世に生を受けた瞬間、生を受けられなかった小さな命。
これまでの人生、そんなさみしさを抱え続けて、それでも彼女は情に絆されず過去に惑わず、自らが今必要なものだけを選び取り……それ以外を、ちゃんと手放せる、そんな強さをきちんと持っている。本当に、自慢の担当ウマ娘だ。
……けど、そうだな、そんな彼女にいつまでも甘えてちゃ、やっぱりいけないよな。
「……どうします?この瓶、やはり少し考え」
「いや、大丈夫だよ」
「トレーナーさん?」
彼女がやさしく握る瓶を、僕は横から、覚悟を込めて奪い取る。そうして燃えないゴミの袋の中に、他でもない自らの手で放り込んだのであった。
「うん、そうだね。何もかも取っておけるならそれが一番。けれどこの世界、そう甘くないから……それなら僕は、『今の君に必要なもの』だけを、大切にするよ」
「あらあら、また何やら大仰に考え過ぎてますねトレーナーさん?まあ、それでお掃除が円滑に進むのなら、何も文句はありませんけど♪」
「よしっ!この調子でどんどん片付けるぞー!」
「おー♪」
そうして持ち場に戻った僕は、手早く手際よく、手元の雑誌を紐で括り付ける。彼女が半年前に買ってきて、これから始まる冬物シーズンの流行りを一緒に予習した……今ではとっくに廃れた着こなしばかりが載ったファッション誌。僕が三ヶ月前に買ってきて、大好きだった作品の最終回を二人咽び泣きながら見届けた……今ではほとんど誰も話題にしなくなった漫画雑誌。そんなもの達を、僕は無理やり乱雑に、ひとまとめにパッキングしていく。全部全部良い思い出だけど、これからの彼女には、もう必要ないものだから。
「さてと……ああ、このマグカップ端が欠けちゃってる、結構お気に入りだったけど、まあ仕方ないな。それと……このハンカチ、少しほつれちゃってるなぁ。新しいのこないだ買ったし、これも……」
「……………………」
「あとは……ああ、いらないものばかりと言えば、本棚の本だな。この辺りの教本は、もうほとんど使ってないし、この辺の資料も、あとそれ……と……」
「……?」
ますます勢いづいて、本棚の中身をどんどん外に放り出す僕の手のひら。あれも、いらない。これも、今の彼女には初歩的過ぎる。そうしてどんどん、どんどん見違えるほどスッキリと纏まってくる本棚。
の、一番端で、僕が数年ぶりに『再開』したもの、それは。
「あら、これは……参考書?それもトレセン学園用のものではなく、一般の高校用のものですか?こんなもの、この部屋にあったのですね?」
「…………………………」
「……トレーナー、さん?」
────果たして、『これ』は?
この思い出は、今の彼女に、いる、いらない、どっちだ?
「……なんのことだか、私にはまるで分かりませんが、ね?」
「あっ……あ、アルダン」
「何も、本当に全て捨ててしまう必要はないと思いますよ?それこそ本当の本当に、もう二度と手に入らないもの、など」
「いや、でも」
「それに、大切にすべきものは『今の私に必要なもの』だけではありませんでしょう?」
「え……?」
思わず、指先に無駄な力がこもって、その明度の高い表紙に僅かに皺が寄ってしまう。
りんごの皮がめくれたように、少し影が落ちたその様。まるで、遠いどこかの誰かが、我慢した、泣き顔のように、思えてしまって。僕は思わず、その手を離そうとしてしまう。
そんな僕の肩口から、彼女はひょっこりと顔を出す。ひょっこりと顔を出して、そうしてやさしく、やさしく僕に語りかけた。
「正しくは『今の私達に必要なもの』です。たとえ私と直接関係がなくとも、それが他ならぬ貴方の原動力になるのならば、翻ってそれは、私の力にだってなるんです。貴方は、私のトレーナーさんなのですから」
「……………………」
「だから、それはまだ、この棚の片隅にしまっておきましょう?いつかのどこかで、役に立つかもしれませんから、ね♪」
そんな彼女にいつまでも甘えてちゃ、いけない。けれど、どんなにそう思っていようと、やっぱり僕は、彼女に『救われてしまう』。
……救いの手を差し伸べて欲しかったのは、僕なんかより、きっと、ずっと『彼女』の方、だったというのに。
「アルダンは、ウマソウルって……知ってたよね、そういえば」
「ええ、覚えておりますよ。ウマ娘は別世界の偉大な存在の名前を受け継いで産まれてきて、その意思に従って走る存在なのだ……という説。たしか貴方と出会ったばかりの頃、同じ話をしましたね?懐かしいです、とっても」
「その通りだね、流石アルダン」
「いかがです?あれから、少しはその正体に迫ることができましたか?」
あまりになんの脈絡もない僕の言葉すら、すくい取るように彼女は耳を傾けた。その期待をなんだか裏切れなくて、無意識に口から溢れ落ちただけの台詞に、僕はなんとか意図を巡らせた。
「……『ラベル』なのかなって」
「ラベル、ですか?」
パチリと目が合ったのは、燃えないゴミの袋の中から恨めしそうに僕を覗いていた、先程の瓶。目を逸らしながら、僕は頭の中無作為に湧いてきた言葉を、淡々と羅列する。
「この世界を作ってる、神様みたいなものがいたとして。毎日毎日、その神様がウマ娘という存在を沢山製造しているとして」
「ええ、はい」
「そんで時折、限定ラベルみたいな、他と違うオンリーワンな形で製造されるウマ娘がいる。そのラベルは物珍しいから、みんなに大事にされて、ずっと、飲み終わった後もその姿は永遠に綺麗なまま保存されていく……ウマソウルって、そういうものなのかもしれないな、って」
「……なるほど?」
例えば、あの瓶だって。他と同じラベルを貼られた量産品だったとしたら、わざわざ僕も、持ち帰って取っておこうだなんて一ミリも考えなかったはず、なのと、同じように。
今、目の前で僕の話を聞いてくれている彼女だって。あの日、自らの意思で掴み取った……と、思い込んでいる彼女の手だって。それがたまたま『メジロアルダン』というラベルを貼られていたウマ娘だから僕はそうしたのであって、これがもし、そのラベルが貼られていないまっさらな状態のものであったとしたら、果たして僕は、同じようにそれを掴み取っていたのだろうか。
背筋か、凍る。もし、そうだとしたら、果たして今の僕がやろうとしていることとは、その、意味とは。
「では、その参考書はもしかして。貴方がそんな誰かに用意した『新しいラベル』といったところ、でしょうかね?」
手放しかけたその『本』に、再び、僕の指先の力が篭もる。ああ、やっぱり僕はどうしても、どこまでいっても君に『救われてしまう』のか。
「本当に、ウマソウルなんてものがあって。本当に、ウマ娘が走る為に生まれた……生み出されたものであるならば。この場所に『一般の高校用の参考書』なんて、絶対に存在しないはずです。だって、ウマ娘が走るのに参考書なんて、関係ありませんから」
「………………」
「けれども貴方は、この場所にそれを置いていた。それはすごく、すごく意味のある事だと、私は思います。走るために生まれただけの私達に、なにか、別の意味を貴方は与えようとしてくれていた」
「……結局、何も出来なかったけど、ね」
「それでも、貴方はまだここで生きているでしょう?」
ああ、くそ、何を絆されようとしてるんだ、僕は。やめてくれ、僕なんかを救わないでいい、アルダン。頼むから、それを『良い思い出』になんて、しないでくれ。
きっと『彼女』は、まだ、どこか
「そして、私も、です」
「……?」
「私だって、貴方と同じです。それも、『悪い』意味で」
今度は物理的に伸ばされた、彼女の可憐で、けれども逞しい手のひら。けれどもそれは僕の手でも、頭でもなく、僕が手にしていたその『本』に、差し伸べられていたのだった。
「私だって、誰かを救えるほど、強くなどありませんよ。私がここで生きているのは、他の誰かの命を賭した救いがあったからで……それら全て、本当は私も、取っておきたいんです。貴方と、同じで」
「……アルダン」
「……どうです?お掃除はこの辺りで切り上げて、二人でお茶でもしませんか?お互いの、まだまだ伝えていなかった昔話でも交えながら……ふふ、私の方なら、話のネタは沢山ありますよ?」
「でも、それじゃこの部屋、結局片付かないままじゃない?」
「もう、いいですよ?どうせお互い、最終的には何一つ捨てられずに終わるんでしょうから、時間の無駄です♪」
「……それは、まあ、確かにそうかもね?」
「それに……一人分の手では溢れ落ちてしまったとしても。二人分の手ならほんの少しくらい、すくい取れるものも増えるはず、でしょう?」
……そう、だな。決して、絶対に決して、あの日の『彼女』の事は、『良い思い出』になんてしやしないけど。
けれども、だからってこんな所で立ち止まってちゃ、それこそ、もう君に会えない、から。
だから今日の所は、この哀しみを見つめるのは、ここでおしまい。また、いつか
「そうです、丁度先日自作した、アップルティーのパックがあるんです♪りんごの皮をじっくりと干して、甘味をたっぷりと熟成させた、とっておき♪」
「ふふっ、それはいいね?じゃあ僕はこの部屋で取り出したもの全部戻しとくから、準備はお願い、できるかな?」
「ええ、かしこまりました♪」
彼女の背中をはたと見送ってから、僕はその本を、棚に戻す。押しだしたその背表紙は、さっきよりもずっとずっと、重く感じた。