メジロアルダン短編集『to the MEJIRO ARDAN』 作:いずさわ
「ふっ!はぁっ!」
「っ……うおぉ……!」
「やあっ!せぇーーいっ!」
僕の目の前で、轟音を響かせながら力強く舞い上がる、大筆。と、身の丈ほどあるそれを、まるで我が身体の一部であるかのように優雅に振りかざす、彼女……メジロアルダン。
しんしんと積もった雪氷のように穏やかなその青白いロングヘアも、彼女がその身を振りかざすたび、まるで激流を渡る錦鯉のように力強く跳ね上がっている。本当に、惚れ惚れするほど美しい光景であった。
「……ふう、いかがでしょう、トレーナーさん?」
「……凄い、本当に、凄いよ、アルダン」
床一面に貼られた巨大な半紙、そこに描かれた彼女の書、『十全十美』の文字。まさしく彼女自身を体現したかのような、非の打ち所もないほど完璧な一筆だった。
「ふふふ、姉様の代役を務める事に決まった時はどうなるものかと思いましたが……とにかく一つ、形になってよかったです」
「ま、君なら絶対に大丈夫だろうと、僕は最初から分かってたけどね?」
「あらあら、そういえばトレーナーさん、そろそろ道は覚えましたか?最近は何度もトレーナー室に行こうとして、私たちの練習している体育館に迷い込んでいましたよね?」
「あっ、あははは……そうだね、もうちゃんと覚えたから、大丈夫大丈夫……」
「それならば、よかったです♪」
『新春・大書道パフォーマンス』……某大企業がスポンサーとなり、各界の著名人が新年の抱負を大筆でしたためる、十年以上の歴史を誇る、新春恒例の企画である。
その模様は毎年新春特番の番組中で生中継されており、前年度はアメリカで活躍する野球選手が来日し、愛犬と共に大きな注目を集めたのも記憶に新しい。
そしてそんな企画で、今年度はトレセン学園にオファーが届いたらしい。と、聞いた時にも驚いたものだが……そのメンバーの一人が他でもない、我が担当ウマ娘、メジロアルダンであると聞かされた時には……もう夜の九時を回っている時刻だと言うのに、一人部屋で叫び散らかしたのを鮮明に覚えている。
「もうあと一週間もないんだもんなあ。ほんと、未だに実感ないなあ、僕……」
「あら、実は私もです。当日の事を思うと、胸がドキドキしてしまって……♪」
「にしては、随分と楽しそうじゃない?」
「ふふふ、どうしてでしょうね?」
道具への感謝を込めて、丁寧に両手を添えながら足元に大筆を置くアルダン。その瞳には、既に揺るぎのない『自信』が宿っているように見えた。
『たまたま道を間違えて』僕も目撃していた、練習しはじめの頃の彼女の書。当然ながら、その文字は既に正確無比、まるでお手本のような美しさではあったのだか……しかし、やはりまだ、今のような絶対的な前向きさは、宿っていなかったように思える。
過去の彼女と、今の彼女。ひとつ、ブレイクスルーとなる出来事があったのだとしたら、それは恐らく。
「そういえばさ、温泉旅行行ったんだよね。今回のメンバーみんなでさ」
「ええ、マルゼンさんが突然言い出した時は驚きましたが……」
「リラックス出来たんなら、上々。だけど……なんだか、それ『以上』のものを、得て帰ってきたみたいだね?」
「……流石はトレーナーさん、ですね?」
そっと胸に手を置き、瞳を閉じて想いを馳せる、アルダン。思えば、そうか、マルゼンスキーにシンボリルドルフ、ミスターシービーに、カツラギエース。と……今回のメンバーは皆、アルダンとかなり世代が離れた、言わば偉大なる大先輩方。
そんなウマ娘達に囲まれ、謙遜ない程のパフォーマンスを求められる、というのは。アルダン程のウマ娘だろうときっと、徹底的に打ちのめされる程の苦痛を伴ったのだろう。
しかし。
『観察』し『考察』することこそが、『メジロアルダン』の本分。
「根を詰めすぎている私を気遣っての旅行、だったのでしょうが……それでもなお練習を続けようとする私を、エースさんが連れ出してくれたのです」
「カツラギエース、か」
「『すげえヤツらが、どんだけすげえからって──お前がすごくない理由にはならねえ』なんて……当たり前、けれども、教えて頂いたんです。『姉様の代役』という与えられた場所で思い悩む私に……」
「……なるほど、ね?」
カツラギエース、今でこそ『トレセン学園の生きた伝説』の一人に数えられる程の実力を持ったウマ娘。であるが、その歩みは決して順風満帆ではなかったらしい。
間違いなく確かな実力を持ちながら、ここぞの大舞台でその力を発揮しきれない。名だたる三冠ウマ娘に引けを取らない強さを持ちながら、その『証明』が出来ない。そんなもどかしさ、なんだか僕自身にも、確かに覚えがあった。
「言葉、だけではありませんね。その時のエースさんの、堂々とした雰囲気……相手に大切なことを伝える時の、声の出し方、音の強弱の付け方、視線の向け方に身振り手振り……じっくりと『観察』させて頂いて、そして、気付いたのです、彼女なりの『自信』の『魅せ方』に」
「『自信』の『魅せ方』?」
「ええ、私か言うのも烏滸がましい限りですが……きっとエースさんは、皆が思っている以上に繊細な方です。シービーさんやルドルフさんに対するコンプレックスを、今でもその胸に持ち続けているのではないかと、そう、思います。けれども」
「……けれども、それは表に出さない」
「ええ、人前……特に私のような後輩の前では常に、絶大な『自信』に満ち溢れた反逆者『カツラギエース』として、自らを律し、『魅せ』続けているのです。きっと、自らと同じような境遇に苦しむ、未来を走るウマ娘に希望を見せる為に」
「…………」
『全てのウマ娘を、幸せにしたい』
ふと、かつてシンボリルドルフがテレビ取材にて語っていた言葉を思い出した。きっと、もう既に彼女達は『そういう次元』で生きているのだろう。
遠い未来に、自分達が何を残せるのか。自分を見て、何が育つのか。それを見守る側の立場で、彼女達は生きている。『今』よりも『未来』を、遠く遠く見渡せる目で……
アルダンに向ける瞳だって、そう。なんとも、なんとも言葉にならない程に、偉大なウマ娘達である。
「……エースさんだけではないですね。ルドルフさんには『威厳』の、マルゼンさんには『憧憬』の、シービーさんには『自由』の……まあ、シービーさんにはその自覚があるのかどうかは分かりませんが……とにかく」
「彼女達の、彼女達なりの自分の『魅せ方』……それを、この度で沢山『観察』できたんだね。それで……」
「ええ、それを我が身に取り込んで、私はここまで登り詰める事が出来たのです」
改めて、彼女のしたためた書に目を落とす。間違いなく、揺るぎのない自信と、威厳と、憧憬と、自由が込められた、過去の彼女では考えられないような一筆。
偉大なる先人達が差し伸べてくれた手を頼りに、とうとうその『次元』に指先、タッチしたアルダン。そうか、これが彼女達ウマ娘の崇高なる理想……過去から未来へ受け継がれていく、美しい歴史の輪廻。
「しかし……まだ、なのです」
「……!」
「まだ、このままでは『足りない』。姉様の代わりは務まっても、姉様を超えることなど、出来はしない」
けれども、それでも。
彼女は、メジロアルダンは憎々しい眼差しで、自らの書を、『十全十美』の文字を見つめていた。まるで、誰かから受け継いだ『完璧』から必死に抜け出そうと、もがき苦しむかのように。
「エースさんもルドルフさんも、マルゼンさんもシービーさんも、沢山の事を私に教えてくれました。けれども、それでも足りないのです、これだけの方々の教えが揃っていても、一つ、ピースが足りない」
「…………」
「それで、気付いたのです。私を完成させる最後のピース、それは……トレーナーさん。貴方以外に、いないのだと」
「……うん」
「教えてください、トレーナーさん。私はあと、何をすればよろしいのですか?何をすれば私はあの人を……姉様を、超えられますか?」
ただひたすら、貪欲に、強欲に、目の前の高い壁に爪を立てるアルダン。
そんな彼女の姿を見て……僕は思わず、胸を撫で下ろす。
「……君は、この数週間で沢山の試練を乗り越えたはずだ。あの、伝説のウマ娘たち四人分の人生をその身に浴びせられて、それでも、それを学びに変えて、君はここに立っている」
「……ええ、それは、それだけは自信を持っています。私は『今』ここに立っている。ここに立っているのは、『私』なのです」
「うん、それならば。僕から教えられる事は、たった一つだけ……」
「はい……!」
「この数週間、彼女達から受けとった学び、想い、願い……それらを、全部、全部、全部……」
「全部、無視するんだ」
「えっ?」
「全部だ、全部もれなく、無視するんだ。自信も威厳も憧憬も自由も、教わった事、何もかも『ぶっ壊す』方法を、考えるんだよ」
「……ぶっ、壊す」
「君の敵は、『メジロラモーヌ』だけじゃない。そうだろう、アルダン。君の敵は……この世界に存在する『ウマ娘全て』だ」
「……!」
ウマ娘の崇高なる理想……過去から未来へ受け継がれていく、美しい歴史の輪廻……?
そんなもの、僕はいらない。僕は彼女さえ、『メジロアルダン』さえ輝いていれば、それでいい。
「このステージは、絶対に絶対に、君が主役のステージだ、誰にもセンターを譲り渡すな。マルゼンスキーもシンボリルドルフも、ただの脇役だ、カツラギエースもミスターシービーだって、ただの君の、バックダンサーに過ぎないんだ」
「……ふふふっ、もう、トレーナーさんは本当に、とんでもない『エゴイスト』ですね?」
「当たり前だよ、凄い人たちがどれだけ凄くたって──どうせ君が、『メジロアルダン』が一番凄いんだから」
「ふふふっ!ふふ、もう……本当に、貴方は私の、想像の斜め上をいきますね?そういうところ、大好きですよ?」
「ふふふ、どういたしまして?」
彼女の顔が、また一つ美しさを増していく。何かがツボに入ったようで、人目も忍ばず笑い声を上げる、完璧には程遠い破顔。足元に広がる半紙に刻まれた、完璧な文字なんかよりもずっと、ずっと美しい光景であった。
「お優しい先輩方は、なんだかんだと気を回して自分達の『魅せ方』を教えてくださった。それってさ、センターを狙うアルダンにとっては、最高のアドバンテージ、じゃない?」
「確かに、相手の出方が分かっているのであれば……それを潰して、自分の得意な盤面に持ち込む……というのが、セオリーですものね♪」
「そうだよ、そうだ、アルダン。差し出された手なんて、噛みちぎってやりなよ?凝り固まった先輩方に、逆に『幕引き』を押し付けてやろう。君になら……いや、きっと全員から『舐められている』君だけに、できることだ」
それに、そうだ、彼女のトレーナーはただ一人……この、僕だ。
何人足りとも、彼女に『教え』を与えられると思うな。三冠ウマ娘だろうと、無敗ウマ娘だろうと関係ない。彼女を教え導けるのは……僕だけの、特権なのだ。
「はぁーあ……せっかく完成まであと一歩だと思ったというのに……トレーナーさんのせいで、また一から、考え直し……ですっ!」
ビリリッ……!ビリビリッ……!
「ふっ……あははっ!ごめんね?でも、後悔はしてないよ?」
「それなら、ご一緒に考えて下さいね?あの四人に打ち勝つ方法なんて……ふふっ、クラシック三冠よりもずっと難しそうですけど♪」
「もちろん、めちゃくちゃ難しそうだけど……めちゃくちゃ、面白そう、だっ!」
『十全十美』、なんとも完璧な言葉が刻まれた半紙をビリビリに破り散らかし、空に向かって放り投げる僕ら二人。破天荒に、滅茶苦茶に降り注ぐ紙吹雪は、まるで僕らの行く道を試す冷たい吹雪のように、しんしんと降り注いでいた。
「……雪かあ」
「……?どうされました?トレーナーさん?」
「いや、そういえば当日の天気、雪が降るって予報だったなあって……」
「まあ、そういえばそうでしたね?」
「……君の青白い綺麗な髪、雪原の上じゃ誰よりも目立って美しいだろうけど……でも流石に雪の中書道なんて出来ないよなぁ……」
「まあ、普通に会場は室内ですし、雪を生かすのは流石に……あっ」
「……アルダン?」
「ふふ、ふふふっ……少し、突拍子もないアイディアなのですが……お聞きいただけますか?」
「……もちろん、僕は君の、『トレーナー』だからね?」