メジロアルダン短編集『to the MEJIRO ARDAN』   作:いずさわ

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書き、続ける。




新宝島

「胡蝶の夢、という話をご存知ですか?」

「胡蝶の、夢?」

 

晴れた窓の外、ふわふわと揺蕩う蝶の群れを何気なく眺めていた僕に向かって、彼女は……我が担当ウマ娘、メジロアルダンは優しく語りかけてきた。

 

「どっかで聞いたことあるんだよなぁ。なんだっけ、思い出せないや」

「荘子……中国の思想家が遺した説話ですね。簡単に言うと『蝶になって飛ぶ夢を見て、その後目が覚めた。しかし果たして、自分は蝶になった夢を見ていたのか、それとも蝶の姿こそが本当の自分で、今の自分こそが夢なのではないか』という話、です」

「ふむ……それはなんとも、難しい話だなぁ……」

 

ぐっと眉間に皺を寄せて、首を傾げる僕の表情を見て、彼女はこんこんと笑い出す。

射し込んでくる春の陽射しに照らされた、その姿こそまさしく夢うつつのようで、僕は思わず、強く目を擦った。

 

「そこから転じて、『どちらが真実の世界か。などと考えた所で答えは出ないのだから、目の前の事象全てを肯定していく方がより充実した生涯を送ることができるのだ』という教えなのです」

「なるほどなぁ……人間の僕と蝶の僕、どちらも僕である。だからどちらも受け入れるべきだ、と。流石アルダン、いい言葉知ってるね?」

 

少し照れくさそうに頬に手を置くアルダンの姿を、そしてなんだか、彼女が纏うムードに包まれた優しげな世界を僕はもう一度、この目に焼き付ける。

 

「先日読んだ小説に、この話に纏わる一説があったのです。それで気になって、少し調べました」

「へえ、やっぱり勤勉だなあ、君は」

「もちろん後学のためでもありますが……なんだか、トレーナーさんのことを思い出してしまって、ですね?」

「僕の事?どうして?」

「それは

 

 

 

 

 

 

 

「うーん……それは……それは……?」

 

寝床にしている足付きマットレスの上、毛布に包まりながら僕は唸り声を上げる。なんとも、思い付かないのだ、彼女の……『メジロアルダン』の、次の台詞が。

 

いよいよ年末の気配も近づいてきたとある日、僕はいつも通り新作の執筆に取り掛かっていた。前作が真っ当な恋愛色の強い話だった分、今回は少々変化球でも……という訳で、どこかで聞きかじった『胡蝶の夢』という話をテーマに据える事にした。の、だが……

 

「どうしよっかな……勢いで書いちゃったけど……」

 

正直、見切り発車感が否めない。こういうことはしょっちゅうあるのだが、どうも『こういうテーマの話が書きたい』という意識が先行しすぎて、肝心の中身が伴っていないのである。『ネタ』はあっても、『オチ』がない。こういう時は大抵、幕切れが中途半端になりがちなのだ。

 

「『胡蝶の夢』……やっぱりテーマが難しすぎるか?ちょっと前衛的というか、メタフィクションに振りすぎるとあんまりウケがよろしくないんだよなあ。僕自身は大好物だけど」

 

こういう時は、一旦ネタ帳で数ヶ月寝かせとくと案外上手くいく。『君じゃなきゃダメみたい』の時も、半分ぐらい書いた段階で一旦寝かせて、二ヶ月ぐらい経ってからまた着手したんだっけ。おかげで結構いい感じに仕上がって、評判も上々だったな。懐かしい。

どうするか、正直、他の『ネタ』は有り余るほど沢山ある。僕とアルダンの日常そのものを小説にしている訳だから、綺麗な『オチ』がつけられるかどうかは別として、『ネタ』に困ったことはないのだ。それなら、この話は一旦寝かせとくのが得策か。『胡蝶の夢』なんて魅力的なテーマ、中途半端に終わらせるのは惜しいからなあ。

 

「………………」

 

 

 

『胡蝶の夢、という話をご存知ですか?』

 

『なんだか、トレーナーさんのことを思い出してしまって、ですね?』

 

 

「……何を、言いたかったんだろうな」

 

今一度、僕は携帯のメモ帳に向き直る。一旦寝かせとくのが得策、けれども、僕はどうしても気になったのだ。彼女の言葉のその続き……そして、彼女がどうして、『胡蝶の夢』なんて言葉を、僕に投げかけたのか、が。

 

「『それは、トレーナーさんが私を夢から連れ出してくれた……』うーん、なんか違う。ゴールから遠ざかった気がする。『それは、まるで私とトレーナーさんの関係みたいで……』なんだか余計わけがわからなくなったなぁ……じゃあ、次は……」

 

ピピピピッ……ピピピピッ……

 

「……うおっ、もうそんな時間かぁ」

 

手元で震える携帯の、午前八時を示す文字盤が否が応でも目に入ってくる。当然ながら、僕は小説でご飯を食べている訳では無い。どんなに筆が乗っている時でも、労働の時間は残酷なまでに正確に、毎日毎日巡って来るのである。

慌てて、先日買った地味目のコートを羽織って、暖房を消し、日当たりの悪い、薄暗い暗い部屋から飛び出した。

 

「出来れば、今日の夜辺りには投稿したいんだけどなぁ……」

 

なんて泣き言をこぼしながら、玄関をゆるりと開ける僕。見渡した街並みには、ただの一人の人影も見当たらないのであった。

 

 

──────────────

 

 

「それは……それは……うーん?」

 

憂鬱極まりない午前中の仕事をなんとかこなし、やってきた昼休憩の時間。僕はギイギイと軋む使い古された椅子の上で、相変わらず携帯のメモ帳とにらめっこしていた。

 

コン、コン、コン。

 

「ん?アルダン?どうぞー?」

「ふふふ、お疲れ様です、トレーナーさん♪」

 

聞き馴染みのノックの音に、慌てて眉間の皺を解きほぐす。ふわりふわりとトレーナー室に入ってきたのは、もちろん我が担当ウマ娘、メジロアルダンであった。

 

「どうしたの昼休みに?何か用事?」

「用事という訳ではありませんが、たまにはお昼、こちらでいただこうかな、と♪」

「おおー、お弁当だ!待っててねー、今、お茶入れるから」

「ふふふ、お気遣いありがとうございます……あら?」

 

画面もそのままに、携帯を置いて慌てて立ち上がる僕。その携帯の画面を、彼女は思わず、といった面持ちで視界に入れる。

 

「新作、もう書いているんですね?」

「ああ、もうって言うか、なんだかんだで一週間くらいは経っちゃいそうだからね、前回から」

「ふふふ、前回のお話、結構伸びていましたものね?」

「ちょ……っとだけ、恥ずかしいけどね?」

「今回は、どんなお話なのでしょう?どこかへお出かけでもしますか?」

「それもいいんだけど、お出かけする話は最近『リテラチュア』でガッツリやったからなあ」

「ああ、自然公園の。あの日はとっても楽しかったですねぇ。滑り台で怖がるトレーナーさんなんて、思い出すだけで……ふふふっ♪」

「よりによって、そこ?」

「ふふふ、冗談ですよ♪それで、今回は?」

「ああ、今考えてるのはね……そうだな……」

 

湯沸かしポットに水を入れながら、ぼんやりと考える。今回の話は……うーん、説明が難しいなぁ……

 

「胡蝶の夢、って話、知ってる?」

「胡蝶の、夢?」

 

晴れた窓の外、ふわふわと揺蕩う蝶の群れを何気なく眺めている彼女に向かって、僕は優しく語りかける。

 

「どこかで聞いたことがありますが……なんでしょう、思い出せないですね?」

「荘子……中国の思想家が遺した説話だね。簡単に言うと『蝶になって飛ぶ夢を見て、その後目が覚めた。しかし果たして、自分は蝶になった夢を見ていたのか、それとも蝶の姿こそが本当の自分で、今の自分こそが夢なのではないか』って話、だよ」

「ふむ……それはなんとも、難しい話ですね……」

 

ぐっと眉間に皺を寄せて、首を傾げる彼女の表情を見て、僕は思わず、笑みをこぼしてしまう。

射し込んでくる春の陽射しに照らされた、その姿こそまさしく夢うつつのようで、僕は思わず、強く目を擦った。

 

「そこから転じて、『どちらが真実の世界か。などと考えた所で答えは出ないのだから、目の前の事象全てを肯定していく方がより充実した生涯を送ることができるのだ』という教えなんだよ」

「なるほど……ウマ娘の私と蝶の私、どちらも私である。だからどちらも受け入れるべきだ、と。流石トレーナーさん、良い言葉を知っていますね?」

 

なんだか誇らしげにゆるく手を合わせるアルダンの姿を、そしてなんだか、彼女が纏うムードに包まれた優しげな世界を僕はもう一度、この目に焼き付ける。

 

「昔見たテレビ番組に、この話に纏わる話があってさ。それで気になって、少し調べたんだ」

「あら、やはり勤勉ですねぇ、トレーナーさんは」

「もちろん後学のためでもあるけどさ……なんだか、アルダンのことを思い出してしまって、ね?」

「私の事?どうしてです?」

「それは、君が『ウマ娘』だから、かな。『ウマ娘メジロアルダン』と『競走馬メジロアルダン』の関係って、なんだか少し、『胡蝶の夢』みたいじゃない?」

 

ピクリと、僕はしばし文字入力の指を止めた。彼女と話して、ようやく合点が行った、そうか、なるほど、『ウマ娘』と『競走馬』。彼女が突然、『胡蝶の夢』の話を紡ぎ出した理由は、これ、だったんだな。

 

「ふふふ、本当にお好きですね?『メタフィクション』」

「まあ、こういう話はなかなか伸びないんだけどね?僕自身は大好物なんだけど」

「して?続きをお聞かせ願えますか?」

「ああ、うん。もちろんさ、『ウマ娘』って企画の成り立ち的に、まず競走馬がいて、それを元にウマ娘というキャラクターが生み出された……って、当然そういう順序なわけじゃない?」

「それはもちろん、当然ですね?」

「でもさ、それこそ『胡蝶の夢』じゃない?本当は『ウマ娘』こそが本来の姿で、『競走馬』の方が空想の存在……なんて可能性だって、あるんじゃないのかな、って」

「……ふふっ、それは確かに、そうであれば面白い、ですね?」

 

ピコピコと、その両の耳を立ち上げながら。ふわふわと、その尻尾を振り回しながら。彼女は少しも漏らすことなく、僕の話を丁寧に、丁寧に聴いてくれた。そんな様子に、少しだけ僕の吐息にも熱が籠る。

 

「だからさ、どちらも大切にしないといけないんだよ、どちらも。もちろん競走馬って、凄いよ。一頭に何千万、何億ってお金をかけて、何百人って人が関わって、そんな馬が何頭も集まって生きるか死ぬかの勝負をしてる。ほんとうに、想像も出来ないくらい、凄い世界だ。絶対に侮辱なんて、出来やしない」

「ええ、それは、もちろんです」

「でも、それはウマ娘だってそうだ。一人の女の子が、自分の人生全部かけて、生涯に一度きりしか出走できないレースに挑む。なんてさ。それだってほんとうに、想像も出来ないくらい凄い世界、なんだよ。ウマ娘と競走馬、姿かたちは違っても、その『価値』には一ミリたりとも、差は無いんだ」

「……!」

 

少しずつ、少しずつ、フリック入力の指が加速していく。やっぱり、そうだな。僕が迷った時、悩んだ時、一歩が踏み出せない時。いつもそれを打破するヒントをくれたのは『彼女』だった。人と話すのが前より辛くなくなったのも、ブラックコーヒーが昔より好きになったのも、全て、全て彼女のおかげだった。

 

「また、そんなにスケールの大きな事を言って……要するに、『ウマ娘 メジロアルダン』を、皆もっと注目しろ……と、いうことでしょう?」

「うっ……まあ、それはそう、なんだけどさ……」

「ふふふ、本当に仕方の無い人……」

「……価値は、一ミリも変わらない。どちらかが偽物、なんてこともない。絶対に絶対に、君だって、僕の愛した君だって、『オリジナル』の『メジロアルダン』なんだ。独りよがりかもしれないけど、僕は今の世界に対して、それをもっと知らしめたい、そんな小説を、『書き続け』たいんだ」

 

そうだ、『メジロアルダン』は『メジロアルダン』なのだ。

誰かのコピーでも、物真似でも、二次創作でもない。今、僕の目の前にいる、間違いなく僕の瞳に映っている彼女は、本物の『メジロアルダン』で、僕は本物の『彼女のトレーナー』である。

一本の小説で世の中がひっくり返るなんて思っちゃいないけど、一本でダメなら百本、一年でダメなら、五年十年、書き、続ける。『空想』も『現実』もない、誰の夢も理想も無念も押し付けられることもない、『メジロアルダン』が『メジロアルダン』らしくいられる、そんな場所を、目指す為に。

 

……が……

 

「しかし、実際問題どうされるのですか?『歴史』や『アイドル』ならまだしも、『胡蝶の夢』なんてテーマで小説を書くこと自体難しそうですし。その上、そんなメッセージまで盛り込むなんて……」

「うっ……それは、そうなんだよねぇ……」

 

熱々の、淹れたての緑茶を両手に彼女の隣に座り込む僕。覗き込んだ彼女の手の中には僕の携帯が……朝、書きかけていたままの次回作の姿が、現実を突き付けるように浮かんでいた。

 

「なんとも続きが見えないんだよねぇ……別にこれに固執しなくても他のネタはいっぱいあるんだけどさ。というかこうして、君と喋ったり、食べたり、出かけたりしたことがそのまんまネタになる訳だから、尽きるなんてことないんだけど」

「あら?それなら今回も、こうして私と話した事を『そのまんま』ネタにしてしまえば良いのではないですか?」

「と、いうと?」

「トレーナーさんも、私と一緒に曖昧になってしまえば良いのです♪小説を書いているトレーナーさんと、ウマ娘のトレーナーをやっているトレーナーさんの壁を、ぶっ壊してしまったり、なんて♪」

「え、ええ……?なんかアバンギャルド過ぎない?」

「ふふふ、良いでは無いですか?どうせ五年十年と描き続けるのです、一本くらいそんな話があったって、誰も怒ったりしませんよ♪」

「そうかなぁ……まあ、それならそれでいいけど……『オチ』をどうするかなんだよ、いつも苦労するのは……」

「あら、ではこういうオチはいかがです?」

「おっ?いい案あるの?」

「ふふふ……なんと

 

 

 

 

 

 

 

「うーん……なんと……なんと……?」

 

寝床にしている足付きマットレスの上、毛布に包まりながら僕は唸り声を上げる。なんとも、思い付かないのだ、この話の、『オチ』が……

 

というか、『胡蝶の夢』ってなんだ。こんな小説を描き始めて一年も経って居ないような素人に扱える内容なのか?よしんば扱えたとして、他の人に分かって貰えるのか?

……ううむ、なんとも不安になってきた。やはりここは、別のネタで……

 

「………………」

 

 

『胡蝶の夢、という話をご存知ですか?』

 

『なんだか、トレーナーさんのことを思い出してしまって、ですね?』

 

『トレーナーさんも、私と一緒に曖昧になってしまえば良いのです♪』

 

 

「ほんと、いつも勝手なこと言うんだから……しょうがないなぁ、アルダンは……」

 

今一度、僕は携帯のメモ帳に向き直る。一旦寝かせとくのが得策、けれども……

 

「今日は、その話がしたいんだよね。ほんと、しょうがないなぁ、ほんと」

 

性懲りも無く、僕は頭を捻らせた。なんとも思い通りにいかない、とんだじゃじゃウマ娘。けれども、やっぱりどうしようもなく。そんな彼女が、僕は好きなのだった。

 

「……あー!ダメダメ!こういう時は一旦寝るに限る!よろしく未来の僕!おやすみ!」

 

誰に聞かせる訳でもない捨て台詞を吐いてから、僕は携帯を放り投げて寝転がる。ほんと、夢の中でもいいから、彼女に直接、会いに行けたら……いいん……だけど……なぁ……

 

 

 

──────────────

 

 

 

「……ナーさん……レーナーさん?……トレーナーさん?」

 

「……うおっ!?おはようっ!?」

「ふふふ、おはようございます♪よーくお眠りでしたね♪」

 

いつも通りのトレーナー室、いつも通りの、彼女の優しい声に揺り起こされる、僕。なんだろう……随分長い間寝てしまっていたような……

 

「……ええと、ここは……本当にトレーナー室でいいん、だよね?」

「ふふ、もう、寝ぼけ過ぎですね?見てください、せっかく淹れたお茶が、冷めてしまってますよ?」

「あ、あれ?そのお茶、アルダンが淹れたの?」

「あら?トレーナーさんが淹れたのではないのですか?」

「…………?」

「……あの、どうかされましたか?トレーナーさん?」

 

ふわふわと浮かび上がっていた魂が、ゆっくりと僕の身体に戻ってきた……ような、不思議な感覚。そうだ、そういえば……

 

「あ、ああ、ごめんね?なんか変な夢見ちゃってさ?」

「変な夢、ですか?」

「なんかね、夢の中の僕は……小説家?なのかな?アルダンをテーマにした小説を沢山書いてて……いやぁ、なんだかよくわかんない、アバンギャルドな話だったなあ……」

「あら、ふふふ、果たしてそれはほんとうに、ただの夢……なのでしょうかね?」

「と、いうと?」

 

ぐっと眉間に皺を寄せて、首を傾げる僕の表情を見て、彼女はこんこんと笑い出す。

射し込んでくる春の陽射しに照らされた、その姿……なんだか凄く見覚えがあって、僕は思わず、強く目を擦った。

 

 

「胡蝶の夢、という話をご存知ですか?」

「胡蝶の、夢?」

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