メジロアルダン短編集『to the MEJIRO ARDAN』 作:いずさわ
『トレセン学園 期末考査まであと一週間!』
「うわーーーーーっ!」
「ちょあーーーーーっ!」
「まじぴえーーーーーーーんっ!」
「……ああ、もうそんな時期か」
掲示板に張り出された今週の予定と、あちらこちらから聞こえてきた鬼気迫る絶叫に乾いた空気の気配を感じる今日この頃。いくらトゥインクルシリーズで名を馳せるウマ娘達と言えど、学生である以上、本分は学業であることに違いは無い。
「懐かしいなぁ、やっぱ皆焦るよねぇこういうの」
日本を代表する競技ウマ娘育成機関であるトレセン学園。とは言えど、こと単なる教育機関としては、そこらの学校とほとんど同じカリキュラムを有している。学習指導要領も、試験の様式も。そして、勉学を怠った者に待ち受けるもの……地獄のエンドレス追試だって、そう。たとえG1を何勝しようが、三冠を取ろうが、その点に関しては全てのウマ娘達は平等に扱われる。
もちろん最大限学園側も配慮しているとはいえ、余りに追試が長引いてしまえば、日々のトレーニングにだって支障をきたす可能性だって充分に有り得る。故に、この時期はやたらと学園中がひりついた空気に包まれるのが恒例だ。目標としているレースに集中して臨めるよう、この時期だけは、貴重なトレーニングの時間を削ってでも決死の思いで勉学に励む。そんなウマ娘とトレーナー陣も少なくないのである。
「まあ、彼女なら取り立てて騒ぐ程の事でもないだろうけど……一応、一応、聞いておこうかな」
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「期末考査ですか?ええ、特に問題はありません♪」
「ま、そうだよね?」
先にトレーナー室にやって来ていた我が担当ウマ娘、メジロアルダン。備えあれば憂いなし、ということで、彼女自身の期末考査に対する展望について訊ねてみる。と、まあ、予想通りのあっけらかんとした回答が帰ってくるのであった。
「期末前には勉強に集中したかったりするかな?なんて思ったけど、その調子じゃ大丈夫そうだね、安心した」
「ふふふ、あ、ただ前日には少しお時間をいただきたいですね?クラスの皆様との勉強会にお呼ばれしているので……」
「うんうん、もちろん。差し迫ったレースも無いし、休みが欲しい日があれば遠慮せずに言って欲しいな?」
「あらあら、お気遣い感謝いたします♪」
こちらに笑顔を向けながら、両手を合わせてお辞儀するアルダン。そのあまりのお行儀の良さに、思わずこちらも会釈を返す。
「それにしても、凄いなアルダンは……いくら自信がある教科でも、僕だったら『問題ない』とまでは流石に言えないよ?」
「ふふふ……まあ、トレーナーさんには謙遜する必要などありませんからね?全く、問題なし、です♪」
「ほんとにほんと?現代文は?」
「問題なしです♪」
「英語は?」
「No problem♪」
「古文は?」
「ものならず、です♪」
「うん、本当に大丈夫そうだ」
まさしく余裕綽々、なんとも大人っぽくおどけてみせる彼女の様子に、僕はただ、苦笑いを返すことしか出来なかった。まったく、これではどちらが指導者なんだか……
「じゃあさ、逆にいっちばん自身のある教科って言ったら、何になるの?」
「一番ですか?そうですね……やはり、『歴史』でしょうか?」
「ふふふ、やっぱりね?」
「特別『勉強している』という訳でもありませんけどね?ただ、好き好んで触れているうちに、人よりも詳しくなっていた……というだけなのですが」
「好きこそ物の上手なれ、ってやつだね。いいなあ、どうも僕、暗記って苦手で……年代とか用語とか、全然覚えられなくってさ?」
アルダンに導かれるように、ふと、自らの学生時代の思い出が頭の中に流れ込んできた。懐かしいなぁ……高校二年生ぐらいの頃にはトレーナーの養成学校に進学するって決めてたから、あんまり他の勉強には興味が向かなかったけど。今になって、もう少し色々学んで置くべきだったかもなんて、ちょっと後悔しちゃったりして……
「あら、ふふふ、何も暗記するだけが歴史のお勉強ではありませんよ?」
「と、いうと?」
「歴史とは、すなわち人の流れ。その時々に存在していた人々の思いに触れ、その人が何故そのような行動を取ったのか深く考察する。そうすれば、まるで自らが直接その場にいたかのように、自然とすべて頭に入ってくるものなのです」
「えーと……つまり?」
「空想してみましょう、ということです♪」
「空想?」
なんとも安らかな、まるで旧友を想うかのような笑顔を浮かべながら。彼女は不意に、こちらへ手を差し出した。やや困惑しつつも、思わず伸ばしてしまった僕の左手を優しく掴みながら、再び彼女は、言葉を繋いでいく。
「普通に暗記をするよりも、ずっとずっと遠回りなのかもしれませんが……けれども、普通に暗記をするよりも、ずっとずっと楽しいのです♪例えば、そうですねぇ……」
「う、うん、うん」
「……では、まずはこのようなお話を。少し、目を瞑って、私に着いてきて下さい、トレーナーさん?」
「えっ?こ、こう?」
なんだか分からないまま、とりあえず僕は彼女の言う通り、両の瞳を閉じる。ウマ娘にしては少しひんやりとした彼女の体温。なんだか先程よりも近く感じて、思わず高鳴ってしまいそうになる心臓を、これまた落ち着かない右手でなんとか押さえつけた。
「いいですか?『空想』してみてください。ここは、とある島……遠くから潮風の匂いと、カモメの鳴き声が、聴こえてきました……」
「島……潮風に、カモメ……」
優しく、ふわりと、まるで撫でるように僕の鼓膜を揺らした、彼女の優しい声。と、共に。確かに聴こえてきたカモメの声と、匂ってきた潮風の香りと、足元を流れていく、冷たい波の感触。
「……ここは、一体……?」
「いいですか?ここは、ですね……」
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西暦1612年
日本・船島
「……と、言うわけで。やってきましたのは江戸時代。日本の豊前小倉藩領、現代で言う福岡県と山口県の間にある、船島という小さな島、です♪」
「船島……?」
「別名、『巌流島』……と言えば、トレーナーさんなら分かりますよね?」
「巌流島!って言うとあの、『巌流島の戦い』の?」
「正解、です♪」
彼女の呼びかけに応え、ゆっくりと目を開くと……いつの間にやらそこには、自然豊かな砂浜に、青白く輝く、海が広がっていた……まあ、もちろん我々の空想の産物なのだけれど、それはこの際、置いておこう。
「……ん!?って言うと、今ここに僕が居るってことは……今の僕ってもしかして、宮本むさ……」
「うーむ、残念。貴方は私の弟子にして養子である、『宮本伊織』。そして私こそが、かの二天一流の使い手『宮本武蔵』なのです♪」
「あ、そうなんだ……」
腰に差した二振りの刀をふりふりと見せびらかし、ご機嫌にはにかんでみせるアルダ……宮本武蔵。大剣豪らしからぬ隙だらけの笑顔になんとも腰が砕けてしまうが、まあ、それも彼女が楽しんでいるなら、良しとしよう。
「と、言うわけで、早速行きましょうか……あ、忘れるところでした、私の事はちゃんと『お師匠』と呼んでくださいね?伊織さん?」
「はいはい。しかしお師匠、行くったって一体どこに?」
「もちろん、この天下の大剣豪宮本武蔵が巌流島に来たということは……やる事は一つ、でしょう?」
「あ、あれ、もしかして?」
うだうだと話しながら、二人で砂浜を歩いていると……なんだか、遠く向こうの方。長い刀を持ち、几帳面な和服姿に身を包んだ人影が、たった一人で海に背を向け佇んでいるのが見えてきた。あれって、もしや、まさか……
「さて、ここで問題です♪この巌流島で、私、宮本武蔵と決闘を演じた剣客の名前は、なんでしょうか?」
「もちろん、『佐々木小次郎』でしょ?」
「正解です♪流石に簡単過ぎましたかね?」
「ふふん、ま、これくらいはね?」
「まあ、正確に言えば。佐々木という姓が付けられたのは後年の創作からと言われていたり、そもそも出生地も定かではないため、度々実在性を疑われていたりはするのですが……まあ、そんなこと貴方ならきっと百も承知でしょう♪」
「………………そだね!」
「と、前置きはそれくらいにして……小次郎さーん?お待たせしました、武蔵ですよー♪」
「えっ、軽っ!?」
「…………!!」
あんまりにも軽々しい武蔵の呼びかけを耳にして、彼は轟々と砂浜を抉りながら、凄まじい速さでこちらへと駆けてきた。ううむ、流石は大剣豪。その人間離れした脚力、さながらまるで、ウマ娘のような……
「……いや、というか普通にウマ娘じゃない?」
「武蔵ぃぃぃぃぃぃぃぃいいい!!!!」
こちらに駆け寄ってきた彼……もとい、彼女。よく見ればしっかりと頭の上に二対の耳が生えた、立派な立派な……例えるなら、皐月賞辺りを勝ってそうなくらい立派な栗毛のウマ娘なのであった。
「佐々木小次郎って、実はウマ娘だったの?」
「あら、見ての通りこの私、宮本武蔵だってウマ娘でしょう?」
「いや、まあ、今はそうだけど……」
「何をしていたのです!?もう約束の時間はとっくに過ぎていますよ!」
僕らの目の前で急停止した彼女は、バスンバスンと拳を手のひらに打ち付けながら烈火の如き勢いで話し始めた。激情に身を任せたようなその様子……に、一切怯む様子もなく、マイペースに、いつも通りに武蔵は口を開く。
「あら、申し訳ございません♪海が綺麗だったもので、ついのんびりと♪」
「全く、よりにもよって今日という日に遅刻など……!私が今日の為にどれだけ、血の滲むような鍛錬を行ってきたとお思いで!?」
「ふふ、ふふふ♪」
「……遅刻、遅刻?ああー、なんかそんな感じの逸話、聞いたことある、かも?」
「あら、今度こそ流石ですね?流石は私の一番弟子♪」
確か……文献では巌流島の戦い、宮本武蔵は二時間ほど遅刻して現れた、んだったかな?命懸けの決闘に遅刻するなんて、なんともおかしな話だけれども……
「……まあ、そんなことはこの際どうだっていいでしょう。遅かれ早かれ、貴方はこの無敵の名刀、物干し竿の錆となるのですから。さあ、武蔵殿。お覚悟は……」
「では、ここで次の問題です♪」
「今!?」
「ご覧の通り、巌流島の戦いに遅刻してきた宮本武蔵ですが……はたして、どうして武蔵は遅刻してしまったのでしょうか?」
「えっ?えーと。それは、流石に聞いたこと無いなあ……」
「そうですね?私も聞いたことがありません♪」
「ええ?それじゃ問題の意味が……」
「聞いたことはありませんが……それでも、『空想』してみることなら、できるでしょう?」
「……空想、空想?」
真剣な面持ちで、名刀、物干し竿を構える佐々木小次郎……には目もくれず、こちらにぱちくりと愛らしいウインクを飛ばしてくる宮本武蔵。思わず一刀両断されそうな心を何とか繋ぎ止めて、僕は頭を捻り倒す……が……
「うーーーん?いや、さっぱりだ……アルダ、じゃなくて。お師匠はどう思うの?」
「ふふ、そうですねぇ。では、こういうのはどうでしょう?『宮本武蔵は、本当は佐々木小次郎と戦いたくなかった』」
「戦いたく、なかった?」
「同じ時代に生まれた大剣豪同士、本当は武蔵は小次郎と仲良しになりたかった。けれども、運命の巡り合わせで決闘をすることになってしまい、その事が、武蔵は嫌だった。だから、巌流島に向かうのを渋った……なんて、いかがです?そうだったら、『面白い』と思いませんか?」
「面白いって……そんなんでいいの?」
なんとも微妙に、彼女らしからぬふわふわしたことを語り始めるアルダ……いや、宮本……お師匠?まあ、なんでもいいや。
今ひとつ釈然としない僕に大して、まだまだ彼女は、言葉を紡いでいく。
「もちろん教科書や歴史書に載せる内容であれば、正しさ、正確さが求められるでしょうね。けれども、本には載せることが出来ない部分……そこに至る人々の感情は、我々自身が空想するしか、ありませんから」
「……うん、確かに、それはそうかもね?」
「であれば、どうせ真相が分からないのであれば、より面白くて、平和で、楽しい気持ちになれるような空想を描いた方が……きっと悲しい想像をするよりも、ずっとずっと良いのではないかと、私はそう、思います」
「……なるほど、ね」
確かに、そうだな。実際に起きた事象はともかく、そこに至る過程を後からぐるぐるとマイナスに考えこんだって、世の中仕方の無い事ばかりだろう。なんだか余りにも心当たりがあり過ぎて胸焼けがしそうだけれども……
前言撤回、その言葉は、とても彼女らしい……過去よりも未来よりも、『今』の幸せを求める、『メジロアルダン』らしい、言葉であった。
「……ええぇい!もうお喋りは充分でしょう!佐々木小次郎!いざ!参るぅぅ!!」
「……って!そんな事言ったって、向こうはめちゃくちゃやる気だけど!?」
「仕方がありませんね……では、こちらもお見せいたしましょう……!二天一流、奥義!」
ギラリと鈍く輝くその切っ先を向けて、こちらへ突進してくる小次郎。鬼気迫るその表情に、流石の武蔵も眉をしかめる。
望まぬ勝負とは言え、決闘は決闘。果たしてこの勝負、どちらに軍配が……!
「うおぉぉ!!奥義、『燕返し』!!」
「必殺!『二天さつま芋剣』!!」
「は?」
「えっ?」
「うふふ♪」
……アルダン武蔵お師匠が取り出したのは、ながーい二本の、さつま芋。あんまりにもあんまりな予想外に、小次郎も、そして僕も、両の瞳をくりくりと丸くする。
「……あのー、お師匠?いくら戦いたくないからって、流石に、今ふざけるのは……」
「ふふふ、我が愛弟子もまだまだですね?見ていてください、これが、お師匠の本気です♪そーれ、ふりふり〜♪」
ドドドドドドドド…………!
「ん?この足音は……?」
ポーン!
ポンポーン!
ポンポンポーン!
「えっ!?」
「ん……なあっ!?」
「ふふふ、おいでおいで〜♪」
彼女が思い切り、四方八方に向けてさつま芋を振りまくると……なんと、どこからともなく大量のタヌキの群れが、僕らの足元を埋め尽くすほどの勢いで駆け寄ってきたのだった……!
「ここ、巌流島には、いつの間にやらタヌキが住み着くようになったそうです。巌流島の戦いにあやかって、『必勝タヌキ』なんて呼ばれ方もしているらしいですよ?」
「多分ね、タヌキは『ポーン』って鳴かないと思うんだ」
「ふふふ、という訳で、そんなタヌキさんの大好物であるさつま芋を使って、今日は呼びに呼んでみました♪」
「いや、という訳も何も……タヌキなんか呼んだって何の役にも……」
「……ま、ま、ままま……」
「……?」
「守 り た い っ ! ! !」
「!?」
「ぐぅぅぅぅ……!タヌキ!タヌキ!なんという愛らしさ……!ああぁ、まん丸な身体にもふもふの尻尾……!可愛い、可愛過ぎるっ……!すべて私が、守りたいっ……!」
突如として我々に背を向けて、地面に膝をついた小次郎……なんとも、なんとも幸せそうな顔でわらわらと寄ってくるタヌキを一匹ずつ、優しく抱きしめる……あまりの珍妙な絵面に、僕はただ、その場に立ち尽くすのみであった。
「……こうして、タヌキの愛らしさに絆された佐々木小次郎はすっかり武蔵と仲直り。巌流島に残った彼はその剣の腕でタヌキ達の平穏な暮らしを守りながら、幸せに暮らしましたとさ……めでたしめでたし♪」
「オチてるかな?これ、オチてるのかな?」
──────────────
「……さて、いかがだったでしょうか?」
「なんだったんだ、今の……」
ぱちりと目を開くと、いつも通りのトレーナー室、いつも通りの窓の外。そして、いつも通りの、彼女の満面の笑みが瞳に飛び込んできた。
「どうです?楽しかったでしょう?」
「……まあ、うん、そうだね?すごくすごく、楽しかった、かな?」
すっかりいつも通りの日常に帰ってきた僕ら二人。けれども、そうだな。
何故だか耳に残ったカモメとタヌキの鳴き声が証明する、僕らの足跡。確かに僕たちはあの日、あの島に居たのだ、空想かどうかなど、そう大した問題ではない。
「そうか、君はいつもこんな世界に暮らしてるんだなぁ……なんだか、すごく羨ましいや」
「ふふふ、まあ、ただごっこ遊びが得意なだけなのですけれどもね?けれども……」
「?」
するりと離れていく彼女の手に名残り惜しさを覚えつつ。それでも、確かに目の前に存在する彼女のきめ細かい肌の白さに、僕はつい目を奪われた。
「ずっとずっと、私は一人で旅をしてきたのです。どんな国でも、どんな時代でも……この空想は、誰とも分かち合う事など出来ない私だけのものだと、そう思っていました」
「……アルダン」
「けれども、ええ、やっぱり旅というものは、誰かと一緒が楽しいのです。ね?可愛い愛弟子さん♪」
「……ふふ、それは間違いないね?お師匠?」
腰に差した二振りの刀をふりふりと見せびらかし、ご機嫌にはにかんでみせる、アルダン。つられて笑った僕の足元には、冷たい波が、押し寄せてきていた。
「さてさて、お次はどの時代のお勉強をしましょうか?平安時代?鎌倉時代?あ、世界史のお勉強もいいですね♪」
「どこにでもついて行くよ?君の、行きたい所なら、ね?」
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二週間後……
「そういえば、どうなったの期末考査?」
「ふふん、もちろん問題なし、です♪」
「……おお、流石の成績……あ!歴史100点だ!凄い!」
「ふふふ、まあまあこれくらいは、ですね?直前の勉強会も有意義なものになりましたので、きっと皆さん、良い成績に……」
ドドドドドドドド……
ガラガラガラッ!
「アルダンさぁぁぁぁぁぁぁん!?!?」
「うおっ!?うお!?何っ!?」
「まあ、ヤエノさん?」
「どういうことです!?直前の勉強会で貴方に習った部分、間違えているではありませんか!?」
「えっ?そ、そんなはずは……一体、どこが……」
「『宮本武蔵の弟子にして、養子である人物の名前』……全く『宮本たぬき』ではありませんでしたよ!?」
「……あ、ふ、ふふふ……」
「……みんなは、ちゃんと教科書の内容も覚えようね?」