メジロアルダン短編集『to the MEJIRO ARDAN』   作:いずさわ

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君と、どこ行く?




リテラチュア

「お団子、おいしいねぇ」

「おいしいですねぇ、お団子」

 

十一月の、やや柔らかくなった陽の光に照らされて、僕の手の先で優しい輝きを一身に放つ、みたらし団子。なんだか健康的に焦げ付いた焼き目と、しっとりと絡みついた甘しょっぱいタレの揺らめきに、思わず僕は目を奪われる。

 

「あんこのほうも、おいしそうだなぁ」

「まあ、よくばりさん。けど、ひと玉だけなら、交換してあげてもよろしいですよ♪」

「アルダンだって、食べたいんじゃん、みたらし」

 

我が担当ウマ娘、メジロアルダンから差し出されたあんこたっぷりの串団子を、なんとか、色々と意識しつつ工夫して口に運ぶ。みたらしとはまた違う、ふんわりとした上品な甘みがじっくり五臓六腑に染み渡っていった。

 

普通なら一時間ちょっとでたどり着くところ、休憩を挟みつつのノロノロ運転でたっぷり二時間半。お昼前の十一時過ぎにようやくたどり着いたのは、山間にある広大な自然公園であった。

ただの公園、なんて訳ではない。小規模な動物園や遊園地なんかも併設された、度々テレビなんかでも取り上げられる一大観光スポットである。

 

「と、言うわけで、ほら、これ」

「あら?これは……パンフレット、ですか?ふふ、流石トレーナーさんは抜かりないですね♪」

「あ、えっと、これはその、そこのレジ横に置いてあったやつでさ?」

 

嘘である。彼女とここへ出かけると決まった一週間前から毎日、空いた時間があればこのパンフレットに載った地図とにらめっこして、徹底的に彼女を楽しませる為の効率的な周遊ルートを模索していたのだった。

……いきなり、予定にないお団子屋さんにアルダンが食い付いてしまったのだが、まあ、その程度は想定内。彼女と過ごしていればよくある事だ。

 

「ええと、コスモス畑は……あ、ここ、一番奥の方なのですね?」

「そうみたいだね、だいたいまっすぐ歩いて三十分くらい……あ、ほら、写真も載ってる!」

「まあ、こんなに綺麗だなんて……ふふ、直接観れば、もっともっともっと、綺麗なのでしょうね?」

「……うん、そうだね?」

 

無邪気な笑顔で、パンフレットの中に大きく印刷されたコスモス畑の写真を指さすアルダン。そう、丁度見頃を迎えたこのコスモス畑こそ、今日の旅の大目的なのである。

 

彼女が指し示す写真……昼間の広大な空の元、自由に、逞しく咲くコスモスの花。

テレビの特集でたまたまこの光景を見かけた時。そのどこまでも広がる澄み切った青と、カラフルで複雑なグラデーションに……何故だか無性に、彼女を、メジロアルダンを連想させられてしまい、思わずすぐに、彼女に声をかけてしまったのだった。何故だかどうしても、どうしても、この青空と花々に囲まれた彼女を、僕はこの瞳に、記憶に焼き付けてみたかった、からである。

 

「んぐ……ん、ごちそうさま、でした。さて、腹ごしらえも済んだところで、早速……」

 

最後のひと玉を飲み込んで、僕は早速立ち上がる。ここからまず真っ先に、一番遠いコスモス畑に向かって、それからゆっくりと色々な施設を巡る算段なのである。山の天気は変わりやすい、いつこの青空が崩れてしまうとも分からないから、できるだけ早めに……

 

「あ、少し、少し待ってください、トレーナーさん……」

「どうしたの、アルダ……んっ!?」

 

なんて、大きく伸びをして気を張る僕に向けられた、彼女の緩い緩い声。何の気なしに振り返った僕の瞳に映りこんだのは……

 

「も、もう一本食べるの!?」

「ふふふ、一本では物足りなさそうだったので……つい♪」

 

……にんまりとした笑顔を浮かべながら、鮮やかな三色団子を手にした、アルダンの姿であった。

 

「い、いつの間に買って……」

「先程トレーナーさんがお手洗いに行かれた隙に、ですね♪」

「………………」

「ふふ、ご安心ください?ちゃんとトレーナーさんの分もありますよ?」

「……もう、しょうがないなあ?」

「ふふふ、はい、あーん♪」

「あー……って!じ、自分で食べれるから!」

 

……まあ、そうだな、うん。まだまだ時間はあるし、これぐらい、どうってことないだろう。それに……アルダンだって、こんなに楽しそうなのだから。

 

「んー、美味い……こうなってくると、あったかいほうじ茶なんかもいただきたくなってくるなぁ……」

「そう言うと思っていました。はい、どうぞ?」

「……用意周到過ぎない?」

「ふふふ……あら?見てください、これ……」

「ん?」

 

香ばしい深煎りのほうじ茶で口の中を落ち着けていると、先程の地図をのんびり眺めていたアルダンが、不意にこちらに目線を向ける。

 

「足湯……へえ、こんなのもあったんだ?」

「このお団子屋さんのすぐ近くみたいですよ?」

「あー、言われてみれば、たしかに温泉みたいな匂いするかも」

「足湯、存在は知っていましたが、実際に見た事はありませんので……どのようなものなのでしょうか、気になります……」

 

そわりそわりと、テーブルに置いた地図を指先でなぞるアルダン。足湯かぁ……正直、めちゃくちゃに惹かれるワードだけど、けれども、うん、まだ早い。まだ、もっと、もっと歩き疲れてからの方が絶対いいはず。だから今は、先を急いで……

 

「……トレーナーさん、足、疲れていませんか?」

「えっ、ああいや、今はそんなに……」

「本当、ですか?あんなに長い時間運転をして、本当に、疲れていないのですか?」

「………………」

「足湯、入った事はありませんが、きっととっても気持ち良いのでしょうね?爽やかな大自然の中、澄んだ空気の中、滑らかなお湯が足先からじんわりと身体を温めて……」

「………………」

 

 

──────────────

 

 

「っ……あぁーーーーーーっ……!」

「んんぅ……気持ちいい……!」

 

もくもくと立ち込める湯気を、肺いっぱいに吸い込む。火傷しそうな程の温泉の匂いが鼻の奥に広がって、離散してしまいそうな意識をなんとか繋ぎ止めた。

 

「ぐぅぅ……!これは、抗えない……!気持ち、良すぎる……!」

「本当に……こんなに暖かくて気持ちいいなんて……はぁ……」

 

まさか、まさか運転した後の足湯がこんなにも心地が良いものだったとは……おまけにこのロケーション。硬度の高いぬるりとした熱めの温泉、足元から伝わってくるその温度が、木々の隙間から吹いてくる冷たい風に冷まされて研ぎ澄まされた頭の感覚にダイレクトに伝わってくる、すなわち、一言で言うならば……

 

「染みる……ぅ……本気で、来て、良かったぁ……」

「ですねぇ……」

「ありがとね、アルダン。僕が疲れてたの分かってて、連れてきてくれたんでしょ?」

「ふふ、お礼には及びませんよ?トレーナーさんが元気な方が、私も遠慮なく遊び回れますから♪」

「もしかして、さっきのお団子屋さんも?」

「いえ、それは純粋に私が食べたかっただけです♪」

「あ、そう……」

 

くすくすと笑いながら、なんとも楽しげにパンフレットをめくる彼女の姿を、ふと覗き見る。青い空の元、湯けむりに包まれて少し火照った彼女の顔。想像していたものとはちょっとだけ違ったが、なんとも、悪くない光景であった。

 

「……さてさて、ものすごく名残惜しいけど、まだまだ先は長い。そろそろ出発しようか」

「そう、ですね?」

 

ちらりと、真っ白な腕時計の文字盤を見ると、時刻はだいたい十二時半。ちょっとのんびりし過ぎた気もしたが、まあこの程度誤差の範囲だろう。渋々と僕はお湯から足を出し……

 

「えっ!?トレーナーさんトレーナーさん!これ……!」

「えっ?なになに……キリン餌やり体験、十三時から……って、キリン!?」

 

 

──────────────

 

 

「うおーっ!でっか!?ちょっ、ちょっと怖いかも……」

「ふふふっ!いい食べっぷりですね?」

「君はほんと、凄いなぁ……」

 

僕が差し出した樫の葉を、目の前でモサモサと口に運ぶのは、おおよそ五メートルはあろうかという巨大なアミメキリンのゴメスくん(オス/10歳)……しかし、なんだかお気に召さなかったらしく、すぐにアルダンの方に顔を向けて尻尾をブンブンと振り回し始めるのだった。なんか、こう、ちょっと癪に障るなぁ……

 

「ふふっ、ふふふっ!とっても嬉しそうですね?あ、写真!写真撮ってくださいトレーナーさん!」

「ん、おっけーおっけー、はい、チーズ」

「いぇい♪ふふふ、帰ったらチヨノオーさんに自慢しなくては……」

 

こちらに向けられるピースサインと、まるで幼い少女のような笑顔に、フィルター越しにドキマギさせられる僕。また寄り道しちゃったけど、まあ、彼女が楽しそうならばいいだろう。

 

「ふふ、ふふふ♪と、何をぼんやりしているのですか?ほら、トレーナーさんもご一緒に……」

「えっ?僕は別に……いっ!」

「んー、なかなか、ゴメスくんも一緒にとなると、アングルが難しいですね……」

 

突然、腕を引かれて、その笑顔がぐっとクローズアップしてくる。腕越しに伝わってくる彼女の熱量と相まって……なんとも、表情がまとまらない。そんな僕をよそに、じっくりと自撮りのアングルを考察するアルダン。なんとも奇妙な光景に、ゴメスくん(出身:フロリダ州/好物:リンゴ)も立ち止まり、その場で逆に、僕らの様子を観察してきたのだった。

 

「では、いきますよ?はいチーズ♪」

「ち、チーズ!」

「……あら、ふふふ、トレーナーさんったら変な方向に視線向いちゃってますね?」

「うわ、ほんとだ……もう一回撮り直……って、ゴメスくんもう行っちゃった?」

「あらあら、もうお腹いっぱいだったのですかね?」

「都合のいいキリンめ……!」

 

のそのそと去っていくゴメスくん(既婚/子供:二匹)の背を仰ぎ見て、ふう、としばし息を入れる。なんだかドタバタしたけど、たしかに色々と、貴重な体験だったかもなぁ……

 

「さてと、ゴメスくんも満足したところで、僕らもそろそろ……」

 

グゥゥゥゥゥ……

グゥゥゥゥゥ……

 

「…………」

「…………」

「……ふふっ!そうですね?そろそろ腹ごしらえ、ですね?」

「ははは、まあ、お団子二本じゃ持たないよね……」

 

 

──────────────

 

 

「ん……!お蕎麦美味しいです……!」

「ほんと?どれどれ、カレーはどうかな?」

 

広い公園の丁度真ん中辺り、人気の少ない小さなレストランを見つけて駆け込んだ僕ら。飾り気のない天ぷら蕎麦を、なんとも情緒たっぷりにすするアルダンを見て、僕も我慢出来ずに目の前のカレーライスに食らいついた。

 

「ん……おお、美味しい……!」

「ふふっ!良かったですね?」

「なんだろうなあ、シンプル過ぎるぐらいシンプルなんだけど、むしろそれが、今はいい」

 

サラリとした食感の、甘過ぎも辛過ぎもしない、具材だってちょっとの牛肉と野菜だけの、多分どこにでもある業務用のカレーライス。けれども、やっぱりそうだな、こういう場所で食べるのならば、これくらいのものが丁度いい気がする。これくらいの方が、『彼女と食べた』という思い出が強調されて、丁度いい。

 

「いいですねぇ……一口だけなら、交換してあげてもよろしいですよ♪」

「えっ?ええと……流石にこれは……」

「あら?カレーライスまで、もうひと皿注文させるおつもりですか?」

「いやー……でもねぇ?」

 

物欲しそうな潤んだ目で、こちらの瞳を覗き込んでくるアルダン。くうぅ……こういう時のやり方は、ほんっとに上手いなあ……とはいえ、どうするか……しばし僕は目線を外し、手に持った一本だけのスプーンに視線を移す。

 

「あら、本当に美味しいですね♪」

「……えっ?うえっ!?スプーン、どこから……」

「あら?どうされましたか?スプーンなら受け取り口に沢山ありましたでしょう?」

「ははは……初めから一口貰う気満々だったんじゃん……」

「うふふ……ではでは、トレーナーさんも一口、どうぞ?」

「あ……あー、ちょっと、新しいお箸貰ってくる!」

「あら?うふふふ……」

 

ほんと、適わないなあ……と思いつつ、なんともやたら美味しそうな蕎麦の出汁の匂いに我慢もできず、とぼとぼと立ち上がる僕……

と、そういえばと、慌てて時計を見る。なんだかんだもう三時前か、流石にそろそろ、急がないと、かな……

 

「あら、トレーナーさん、あれはなんでしょうか?」

「ん、どれ?どれ?」

「あそこです、窓の外、なにか……大きな建物、でしょうか?」

 

 

──────────────

 

 

「ひゃーーーっ♪」

「うおぉぉぉぉっ!?うわぁぁぁぁっ!?ひいぃぃぃぃぃぃっ!?」

 

こいつ、思ってたより『速い』ッ!ギュンギュンと加速していく僕の身体が、心臓が、危険信号を発する。瞳も開けず、僕はギュッと目を瞑ったまま、彼女の肩をしっかりと掴むのみであった。

 

「ふふっ♪速い速ーい♪楽しいですねっ、トレーナーさんっ♪」

「んっ!?おおおおっ!そだねぇぇぇぇ!」

 

この公園の目玉アトラクションの一つ、全長三百メートルの大滑り台。もちろん存在は知っていたが、まさか彼女が、興味を示してしまう、なんてっ……!

 

「……ふふっ、トレーナーさんっ?」

「ふぁいっ!?なにかなぁアルダン……っ!?」

「大丈夫、大丈夫、ですよ?私がついていますから、ね?」

 

同じソリに腰掛けた彼女が、優しく僕の手を握る。情けなく叫び続ける僕を見かねたのか、なんなのかは分からないが、とにかく。

 

「目、開けてみてください?怖くなんて、ありませんから♪」

「ん……んぅ…………!」

 

耳元で囁かれたとおりに、僕は恐る恐る、瞳を開いてみた。射し込んでくる世界があまりにも眩しくて、しばし目を細めてしまう。が……だんだんと、目が慣れてくると。

 

「……うわ、凄い!」

「ふふふ、ね?綺麗でしょう?」

 

あまりにも広大に広大に、本当に永遠に続いていそうな絶景が、そこには広がっていた。

標高の高い場所から見下ろす、びっしりと広がった街並み、そしてその向こう側に広がる海まで見えて。まるで緻密なジオラマセットのようで、ただただ、心が震えた。

 

「あの辺りが、トレセン学園でしょうか?」

「えー?うーん?流石にわかんないなあ?」

「ふふふ、おーい、みなさーん♪チヨノオーさーん、ヤエノさーん♪」

「ふ、ふふっ!こんなとこから届くの?」

「おーい♪おーい♪」

 

人目なんか、過ぎ去る時間なんか気にもとめず、あんまりに楽しそうに彼女は声を上げる。その様があまりにも、本当に、『普通』に美しく感じて、僕はもう、目を離せなくなってしまう。そうか、そうだよな。

 

彼女は、メジロアルダンは、やっぱり『普通の女の子』なのだ。メジロの令嬢、硝子の少女……強い、ウマ娘。彼女を評する言葉はそれこそ星の数ほど沢山、沢山あるけれども。彼女の実像はきっとただ一つ。優しくて友達思いな、『今』という青春を楽しむ、どこにでもいる普通の女の子、でしかないのだろう。沢山の闘争と、それに伴う怒り、悲しみ、そして喜び。そういうもので少しだけ忘れていたけれど、きっとそれだけは、ずっとずっと変わらない。変わることなんかひとつも躊躇しない彼女の、唯一、永遠に変わらないもの。

 

「ふふ、とうちゃーく♪いかがでしたトレーナーさん?」

「……うん、うん、最高だった!」

「……ふふふっ!それではそれでは、もう一周行ってみますか?」

「それは……まあ、いいか、思う存分行っちゃおう?」

「まあ!流石、トレーナーさ……」

 

ピチョ……

 

「……あら?」

「これ……って……」

 

 

──────────────

 

 

「降って、きましたね……」

「降ってきたねぇ……」

 

しとしとと降りしきる空模様を、二人、慌てて駆け込んだ屋根付きの休憩ベンチで見守る。山の天気は変わりやすい。なんて常識だが、まさかここまでとは。

 

「……申し訳、ございません、トレーナーさん」

「ん?何が?」

「写真を見て、とっても楽しみそうなお顔をされていましたもの。きっと、青空の下のコスモス畑、どうしても見たかったのでしょう?」

「……僕、そんなに分かりやすい顔してるかなあ?」

 

アルダンが広げた、パンフレット。もう既にポシェットの中でかなり皺が寄ってしまったそのパンフレットを改めて見つめて、少しだけ彼女は、目を伏せる。

 

「ごめんなさい、私のせいですね。私が無理を言って、あちこち寄り道をし過ぎたせいで……もっと早く向かっていれば、きっと……」

「……んー、それは少し違う、かな?」

「違う……?」

 

そっと、ポケットに手を突っ込みながら、あえて軽々しく僕は話した。今だけ、この時だけは、腕時計なんて見ないように、空を仰ぎながら。

 

「僕が見たかったのはコスモス畑じゃない。そのど真ん中で無邪気に笑う、君の姿、だよ」

「───!」

「だからさ、例え青空でなくても、雨で汚れていようとも、君が笑っていさえすれば、僕にとっては、最高の景色なんだよ。焦り過ぎて、急ぎ過ぎて、君が本当に笑顔になれていなければ、どれだけいい天気でも、意味なんて、ないさ」

「……ふふ、ふふふ、まったくもう、トレーナーさんったら……」

 

パンフレットを、決められた順路が描かれた地図をしまい込んで、再び彼女は僕の瞳を覗き込む。ああ、そうだ、これなんだ。やっぱりこれが、僕の大好きなメジロアルダンの姿……誰よりも、過去よりも未来よりも、『今』を欲しがる、そんなウマ娘の姿だ。

 

「……しかし、実際問題どうされますか?お互い傘なんて持っていないでしょう?」

「さっきのレストランの横の売店。確かビニール傘が売ってあったはずだ。ちょっと僕、走って買ってくるからさ、アルダン、ここで待っててくれる?」

「えっ?し、しかし……」

「大丈夫だよ、君と一緒だったら濡れるくらい構わないから、ね?」

「いえ、その……恐らく、というか間違いなく。私が走った方が早くて、濡れるのも少ないかと……」

「…………う、う、うん……それは、そう、そう、なん、だけ、どぉ……」

「あ、あ、ご、ご一緒に!ご一緒に行きましょう?ね?」

 

……やっぱり、なんとなく締まらないんだよなぁ……まだまだ彼女に相応しい男には、程遠いらしい。

 

「あら?トレーナーさん、これは……」

「……あれ!?これって……!」

 

アルダンが指を刺した、その先の空に目線を向ける。やっぱり、本当に、山の天気って変わりやすいんだなぁ……

 

 

──────────────

 

 

「こちらを、まっすぐですか?」

「そうそう、もう少しで着く、はず……」

 

あちこちに出来た水溜まりを軽快に飛び越えながら、半歩先を行く彼女の背を追いかけた。今は何時くらいだろうか……は、この際もうどうでもいいか。優しげなオレンジに照らされた小高い丘へ続く道を、ただただ焦らず、のんびりと歩く。

 

「日も、短くなってきましたねぇ」

「もうすぐ年末だからねぇ、なんか、短かったような長かったような、不思議な一年だったなあ」

「ふふ、けれども間違いなく、楽しい一年でしたよ?」

「それは間違いないね……っと、ここは、もしかして……」

「……!」

 

なんとも中身の無い会話を繰り広げていると、今まで急勾配だった坂道が、不意に緩やかな坂道になった。なんだかひんやりとした空気が漂う中、彼女の両の耳が、ピコンと天を刺し出した。

 

「あ、ストップ!ストップです!トレーナーさん!」

「んっ!?なにっ?何?」

「……少し、目を瞑って、私に着いてきて下さい、トレーナーさん?」

「えっ?目を瞑って、って……」

 

なんだか分からないまま、とりあえず僕は彼女の言う通り、両の瞳を閉じる。遠くから聞こえるカラスの鳴き声、水のせせらぎ、そしてそのどれよりもクリアな彼女の声。そんなものが一層鮮明に、僕の鼓膜を揺らし始める。

 

「私が引っ張っていきますから、そのまま、ゆっくり歩いてくださいね?」

「いいけど……一体、なんでまた……」

「……今日一日、トレーナーさんは沢山、沢山私の望みを聞いてくれましたから……だから、最後くらいは、トレーナーさんの望みもちゃんと、叶えてあげたいのです」

「う、うん……?」

 

そのまま、彼女はそっと僕の手を取ってゆっくりと歩き始める。彼女のひんやりとした滑らかな手の感触さえも、また鮮明に伝わってきて……飛び出してしまいそうになる心臓をなんとか抑え込みながら、僕もまた、歩幅を合わせてゆっくりと歩く。

 

「……あれ?アルダン?」

「もう少し、もう少しだけそこで待っていてくださいね?」

 

やがて、するりと彼女の手が抜け落ちて、僕はなんの導もない暗闇の中に落とされる。少しずつ遠ざかる小さな足音に一抹の不安を覚えつつ、それでも僕は、彼女を信じてその場に立ち尽くす。そして……

 

「……いいですよ、目を開けてください、トレーナー、さん」

 

少し遠くから聞こえてくる声に従って、僕は恐る恐る、瞳を開いてみた。射し込んでくる世界があまりにも眩しくて、しばし目を細めてしまう。が……だんだんと、目が慣れてくると。

 

 

「──────」

 

「ふふ、いかがでしょう?思っていた通りの景色、でしたか?」

 

 

この瞳に、この記憶に焼き付いた、彼女のとびっきりの笑顔。けれども、それだけじゃない。

 

「凄い、な……」

 

見上げた空には、まるで彼女の流れる髪と瞬く瞳を拡大したかのような、紫色に輝き出す、無限の『宇宙』が見えた。都会の喧騒の中ではまず見られない大きな星々が、まるでバックライトのように一つ一つ流れ落ちて、彼女の頭上を照らし出す。

そうして足元には……色とりどりのコスモスの花が、まるで移り変わる彼女の心を表すような淡いグラデーションに染まっていた。大輪の花々に、先程の雨粒が張り付いて、それが沈みかけの夕陽に照らされて、てらついて。まるでスポットライトのように彼女の足元を飾りつける。

 

「間違いない、ずっとずっと、ずっとずっとずっと。思っていたよりも、『綺麗』だよ。アルダン」

「────ふ、ふふふ、良かった。ほんとうに、良かった、です」

「ありがとう、ありがとうアルダン。きっと君がいなければ、君が、あんなにも沢山の場所に連れ出してくれなければ。僕はきっと、『満足』してしまっていた。思った通りに、満足、してしまっていたんだ」

「ふふふ、そうでしょうか?トレーナーさんも大概、『欲張り』ですからね?」

「君のせいだよ、君のせい、だからさ。だから僕は今も、今だって『満足』してないさ」

「あら?今度は何をお望みなのですか?」

「僕だって、この宇宙の一部になりたいんだ。君という光の隣で、僕もまた、光っていたい……だから、ええと、その、なんだ」

「はい?」

「もう少しだけ、歩こう?もしも今日中に帰れなくなってしまったとしても、その時は僕が、責任を取るから、さ?」

「……ふふっ、本当に……仕方のない人……」

 

なんともカッコつけすぎな僕の言葉を、二人笑い飛ばしてから。てらてらと輝く丘の向こうへと。

この大切な時間を、『今』を、仲良く分け合うように、ゆっくりと、のんびりと、僕らは歩き出した。

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