メジロアルダン短編集『to the MEJIRO ARDAN』 作:いずさわ
「お待たせしました、ピッツァ・マルゲリータ、おふたつです」
目の前に運ばれてきた、僕の顔よりもふた周りほど大きなマルゲリータ。顔面をなぞり過ぎていく刺激的な香りに思わず唾を飲み、ぼこりぼこりと未だ脈打つチーズから目が離せなくなる、腹ペコ模様の午後三時。
「ふふふ、このお店はパスタも美味しかったですけれども……ピッツァもまた、凄く美味しそうですねぇ……」
「ね……本当に、美味しそうだなぁ……」
テーブルの向かいに座るのは、おなじみメジロアルダン。僕の担当ウマ娘である。鼻歌が聞こえてきそうな程の笑みを浮かべたその麗し顔をこちらに向けつつも、やっぱり目線は僕と同じ。目の前の熱々のマルゲリータへとばっちり向けられていた。
「イタリアのピッツァは、一人一枚が当たり前なんだっけ?なんだかそういうもんだって分かってても、ちょっと罪悪感あるなぁ……」
「あら、そうですか?こんな大きなピッツァを独り占めだなんて、私はむしろワクワクしてしまいます♪」
「ふふ、さすが欲張りだね?」
「そう教えこんできたのは、トレーナーさんでしょう?」
なんとも反応に困る返答を返され縮こまる僕に向けて、くすくすと弄ぶような、いたずらな顔を浮かべるアルダン。そんな蠱惑的な表情を教えこんだ記憶はないのだが、まあ、いいか。
「さあさあ、冷めちゃわないうちに食べよ?やっぱりこういうのは熱々が一番美味しいんだから」
「ふふ、その通りですね♪それでは、いただきます♪」
「いただき、ます」
二人揃って手を合わせ、少しだけおしゃれなグラスに注がれた水で口を湿らせてから。僕はまず真っ先に……フォークとナイフに手をかけた。
そう、フォークとナイフである。こんなこともあろうかと、イタリアンのマナーはバッチリ予習済みなのだ。宅配ピザみたいに豪快に手掴みで食べるのではなく、丁寧に切り分けながら、少しずつ頂くのがイタリアンピッツァのマナーなのである。
別に他の誰かに見せつける訳でもないが、それでもやはり、『メジロアルダン』のトレーナーとして相応しく振る舞わなければならない。そんな自覚は僕にだってあった。清廉潔白容姿端麗、完璧を体現したかのような彼女の隣に立つものとしての、自覚が。今まではそんな彼女自身に逆にフォローされてばかりだった僕だが、ようやくひとつ、スマートにかっこいい所を見せることが……
「………………」
「……トレーナーさん?食べないのですか?」
「あ、ああ、いやいや、食べる、よ?」
「?」
……そういえば、単純に切り分けると言っても、色々な切り分け方があるわけで。
ピザと言えばお馴染みなのは、やっぱり八等分にした扇形。でも切り分けた後もフォークで食べないといけないことを考えると、なんだか凄く食べづらそうな気配がある。
であれば、どうせ一人一枚なのだから、シンプルに端から切り分けていくのが正解なのだろうか。いやしかし、そうするとせっかくの一口目が、ほとんど耳の部分になってしまう。それにこれだけのサイズだ、チーズがたっぷり乗った真ん中の部分に到達する頃にはかなり冷めてしまっていそうである。それはきっと、シェフ的にも本意では無いだろう。
となると、お好み焼きみたいに、先に全部四角く一口大に切り分けるか?なんかそれは、シンプルに見栄えがよろしくなさそうだ。
「えっ……と……」
「……ふふっ♪」
うんうんと、この期に及んでまだ頭を働かせる僕。果たして何が正解なのか、なんだか考えれば考える程それから離れていくような感覚に苛まれていく。熱々のうちが一番美味しい、のは承知の上なのだが……目の前のマルゲリータと一緒に、僕の顔面も青ざめていく。
「では、私から先にいただきますね?」
「あ、う、うん……」
空腹に耐えかねたのか、はたまた僕の脳内の状況を察してしまったのか。アルダンの方が先に、自らのマルゲリータにナイフを入れ始める。
「ふん♪ふふん♪ふふふん♪」
「………………」
子気味良いリズムを口ずさみながら、迷いなく大胆にマルゲリータを切り分けていくアルダン。カリカリに焼き色がついた生地が綺麗に分断されて、チーズとトマトソースの混ざった香ばしい匂いが、テーブルの上に蒸気と共に立ち込めていく。
「……ああ、これで良かったのか」
「はい?何かおっしゃいました?」
「あ、いやいや!なんでもないよ!」
真っ直ぐに四度、ナイフとフォークを器用に使って切れ込みを入れたアルダン。綺麗な8ピースの扇形に分かれたピッツァを見て、なんだ、と胸を撫で下ろす。そうだよな、いくら本格的なピッツァだからって、この形以外ありえないよな……それに、あのアルダンのことだ、万の一つにも間違えてるなんてことは……
「トレーナー、さん」
「んっ?な、何かな?」
「ええと、その、お願いが一つありまして。これから私がやることは、他の人に、特にメジロ家の関係者には、内緒……で、お願いします」
「えっ?えと、もちろん。なんだかよく分からないけど、絶対言ったりはしないよ?」
「ふふ、ありがとうございます♪」
彼女の、なんとも抽象的なお願いに、これまたなんともたどたどしく応える僕。よく理解しないまま返事をしてしまう癖。悪い癖なのは理解しているのだが……
「……えいっ♪」
「んっ!?」
……なんて、またもやぐるぐる考えている僕の目の前で、彼女は……メジロアルダンは動き出す。あまりの不意打ちに思わず鳴ってしまう喉の音を抑えることも出来ずに、呆然と、僕はその様を見つめていた。
「んん……ふ、ほいひい、へす♪」
綺麗にカットされた8ピースのおしゃれなピッツァ、そのひとつを彼女は……おもむろにその繊細で美しい指先で、けれども豪快に掴み取り、大きく開いたその口で思い切りよく、かぶりついたのだった。
「えっ」
「んぐ、んぐ、んぐ……」
散々悩んで、悩んで、ただひとつの正解を見つけ出そうとした僕の大真面目な苦労を、勢いよく、行儀悪く蹴り飛ばすような彼女の行動……けれども、何故だろう、そんな彼女の姿がひどく可笑しく、心地よく見えて、思わず僕の口角も彼女と同じように大きく吊りあがってしまう。
「あ、はは、いいの?こんな所で手掴み、だなんて……」
「ん、ふふ、確かに、お行儀はよろしくないのかもしれませんね?けれども……」
「けれども?」
「思いっきり、大きな一口でいただく方が、何故だか美味しそうに思えましたので♪ですので、みんなには内緒ですよ?トレーナーさん?」
「みんなには、って、僕にはバレてもいいの?」
「今更、こんなことで幻滅したりはしないでしょう?そういう風に、教え込んできましたもの♪」
「は、はは……その通りです……」
ものの三十秒程で一切れ平らげて、もう既に二切れ目に手を付けようとしているアルダンと、なんとも間抜けな面構えでそれを見つめる僕。何か言い返そうかとも思ったが……なんにも思いつきはしなかったので、とりあえずもう一回、乾いた口を、おしゃれなグラスに注がれた水で潤した。
「ほんと、自由だなぁ……君は……」
「良いでしょう?おなか、ペコペコなんですもの?」
「ふっ、あはは!しょうがないなあ、ほんと……!」
「と、言うわけで……ふふふ♪」
ようやくやっと、この状況を思い切り笑い飛ばせた僕。大きく空気を吸えたからだろうか、心做しか視界がクリアになって、薄ぼやけてた彼女の顔も、さっきよりもずっと綺麗に見え……
さっきよりも……
「あー……ん、っ……」
「…………」
……なんだか、僕の中に芽生えつつある、奇妙な高揚感、というか、なんと言うか。
いけないことをしている、という状況からだろうか。何故だか先程までよりもずっと、彼女の一挙手一投足が、僕の脳髄に五感を通して鋭く突き刺さってくる。ような……
そんな僕を気にも止めずに、彼女はその細くしなやかな指先で、未だ刺激的に香るマルゲリータを丁寧に持ち上げ、淡く色付いた口元にゆっくりと運ぶ。途中、零れ落ちそうになるチーズを、思わずといった雰囲気で出した舌先でとろりと受け止めた。伸びるチーズをくるくると舌で絡めとって、そのまま、もんもんと溢れ出る熱を気にしながらトマトソース溢れる生地を口内へ頬張り始めたアルダン。唇の端からじんわりと染みだしてくる蒸気をその真っ白で小さな顔面に受け止めながら、それも構わず、静かに歯を立てていく。ふう、とひとつ、大きく息をはいてから。器用に唇を使ってすりすりと口内の奥の方へ柔らかな生地を運び込む。彼女がひとかみする度に、香り付けに置かれた新鮮な生のトマトがつぷりと潰れる音がして、なんとも魅惑的な耳触りに思わず生唾を飲み込んだ。まるで流し込まれる流動食のようにみるみる消えていくマルゲリータ。さすがに欲張り過ぎたのか、頬を膨らませ、眉をしかめて頬張り過ぎたものをゆっくりと咀嚼する彼女。少しずつ馴染んできたのか、ごくりと小さな音をたてながら、彼女の喉が少しだけ隆起する。それを二、三回ほど繰り返したあと、満足げに紅く染まるしたり顔を浮かべながら、余った耳をはむはむと、すぼめた口にほおりこんでいった。
「おいしそう、だなぁ」
「?」
唇に沿って指先を這わせ、貼り付いたチーズを舌先で舐めとるアルダンに、思わず零れ落ちた言葉。そんな僕のことを彼女は、これまた甘めの怪訝な顔で見つめ返してきた。
「ええと、その、そんなに物欲しそうな目で見つめられても……ご自分のものが、ありますでしょう?」
「えっ?あっ、あ、そ、そうだよね?あはは、あはは……」
「……ふふっ♪」
全く、思考を止めていた僕の頭に流れ込んできた、彼女のやわらかな声。ノーガードで受け止めきれず、ただただ目を泳がせる僕に向けて、彼女はずいっと顔を近づけて、そうして……
「人のことばかり言って、トレーナーさんだって『よくばり』じゃ、ないですか?」
「……っ!?」
甘くとろける吐息と共に、漂ってくるチーズとトマトソースと、そんなものよりもっとずっと刺激的で危険な、香り。
「ふふ、もしも物足りなかったなら、いくらでもおかわりすればいいのですよ?ピッツァだけじゃなく、パスタもリゾットも、カプレーゼやティラミスだってありますから♪」
「あはは……僕はその、そんなには、いらないかな?」
「あら?そうですか?」
「これだけでいいよ、僕は……うん、これだけで、いい」
なんとかうまく誤魔化しつつ、彼女を真似て、乱暴にナイフを入れたマルゲリータ。少し歪んだ形になってしまったけど、そんな姿もまたひどく可笑しく、心地よく見えた。