「……なんの用。こっちは顔も見たくないんだけど」
「クックックッ……これはこれは、相当嫌われているようですね」
既に日も暮れた時間帯。昼間の熱い日差しの跡は既になく、砂を伴った冷たい風だけが、街全体を覆っている。
そんな時間帯に今、アビドスの騒動の黒幕とも呼ぶべき人物がホシノの目の前に現れた。
「そう邪険に扱わないでください。あの契約は両者合意の上で結ばれたものです。こちらには何の非もないかと」
「黙れ。お前のせいで私の先生と後輩たちは危ない目に遭ったんだ」
「その責任を私に押し付けられても困ります」
そう黒服が話した直後、彼の頭部の横すれすれをホシノの持つショットガンに装填されたスラッグ弾が通り過ぎた。
「次は当てる」
「クックック……怖いものですね。ですが、承知しました。なるべくホシノさんの気分を損ねないよう注意を払いましょう」
「……なんの用」
「そうですね。早速ですが、本題について話しましょう。お話したいことは2点ほど……まずはこちらの契約書についてです」
その言葉の後に、一体いつからあったのか黒いレザーバックから一枚の書類を取り出した。
「……その契約書は先生が既に解決したはず。今更持ち出されるものでもない」
「存じております。いやはや、あそこからこの契約書を覆されるとは……さすがはシャーレの先生。恐れ入ったと言ったところでしょうか」
「…………」
「そう睨まれずとも、あなたに危害を加えるつもりはありませんので、ご安心を。───確かに、こちらの契約書については、シャーレの先生によってその不備を指摘されたことで、契約書本来の効力を失っております。ですが、その契約書自体が無くなった訳ではありません」
「……だから?」
「はい。つきましては、こちらの契約書を正式に破棄したいと思いまして。少々お力を貸して頂けないでしょうか?」
「……破棄?内容の改定じゃなくて?」
「はい。私とホシノさんの間で結んだ契約を破棄───無かったことにしたいのです」
「…………」
「これについては嘘偽りない本心でございます。こちらも色々と事情がありまして、効力を無くしたとはいえ、一度結ばれた契約書がそのままでは私とホシノ様の両方に不必要な問題が発生する可能性がありますので」*1
「───断ると言ったら?」
「その場合は仕方ありません。私としては大人しく引き下がるほかありません……ですが、その場合はこの契約の破棄に関する問題をシャーレの先生に頼らせていただこうかと」
「……脅してるの?」
「まさか、そのような意図は全くありません。先程申し上げた通り、これはホシノさんだけではなく私も含め、契約を結んだ両者に不利益が発生するのです。そのためホシノさんがこの提案を断られたとしても、私としてはその不利益を回避したいのです」
「……チッ」
黒服から説明された内容にホシノが理解すると、その悪態を隠すことなく表情に出した。
先生は生徒の味方だ。それは控えめに言って異常と言えるほどに。今この状況だって先生が知れば瞬く間にやってくるだろう。
なんだって今、この場でアビドスの騒動の黒幕とその被害者が再び、一対一の状況で対面しているのだから。
そんな状況を先生が見逃すはずがない。もしもホシノがこの提案を断ると、目の前の黒服は先生の下を訪ねるだろう。そして先生もまた黒服の提案を拒むことはないはずだと考えた。先生の生徒が関わっている契約書をそのままにする訳にはいかない為に。
それはホシノとしても避けたい状況だ。あれだけアビドス対策委員会が先生の世話になって、ホシノの後輩たちを支えてくれて、そしてホシノ自身を助け出してくれて、更には廃墟寸前の学校を直してくれたのだ。散々迷惑を掛けて何一つ返すことが出来ていないこの状況から更に問題を追加するわけにはいかない。
「…………私は何をすればいいの」
そう考えたホシノは嫌々ながらも黒服からの提案に応じた。
「賢明な選択に感謝します」
「でも、明らかに怪しいと思ったら───その頭を吹き飛ばす」
「クックックッ……それはなんとしても避けたいですね」
そんなことなど1mmたりとも思ってないであろう声にホシノはあからさまな悪態をついた。
「とはいえ、ホシノさんにやって頂くことは簡単なものです。───私、小鳥遊ホシノはこの契約書を破棄することに同意する───これを復唱して頂きたい」
「……それだけ?」
「はい、これだけです。ホシノさん自身が何かしらの書類にサインしていただいたり、同意する必要はございません」
「…………」
「ホシノさんの疑う気持ちも理解できます。ですが、これは契約の破棄。これによってホシノさん自身とその周りに不利益が及ばないことは保証しましょう」
「…………」
「…………」
ホシノが言葉を発さないことに合わせて、黒服もまた沈黙する。言葉を交わさない、両者の視線だけが交差する空間はどこか居心地の悪いものであった。
「…………」
「…………」
数秒……否、数十秒は経った空間にて、突如。ホシノが口を開いた。
「…………私、小鳥遊ホシノはこの契約書を破棄することに同意する────これでいい?」
「ありがとうございますホシノさん。こちらの契約書は正式に破棄されました。これで私も安心して夜を過ごせるというわけです」
「…………」
「後日、この契約書の破棄に関する書類についてはアビドス高校にお送りすればよろしいでしょうか?」
「いらない。そっちで勝手に捨てて」
「かしこまりました。書類に関してはこちらの方で責任をもって処分いたしましょう」
「…………」
「クックックッ……かなり怪しまれているご様子」
「……自覚があるなら、さっさと次の要件を言って」
「かしこまりました。続きまして2点目ですが、あの日。ホシノさんとの契約を結んだ日に頂いたものを返却させていただこうかと思いまして」
いつの間に用意されていたのは、黒いトレー。シンプルなつくりのソレには見覚えのある物が乗せられている。
「……これって」
「はい。あの日ホシノさんから頂いたハンドガンと学生証。そしてこちらはAid Ladyのカードです。正式に契約を破棄しましたので、これらもまたホシノさんへと返却させていただきます」
「……意外だね。捨てられたと思ってたよ」
「なにをおっしゃいますか。これもまたホシノさんが普段から身に付けていた物。研究対象のサンプルとしてはこれ以上ない物かと」
「……本当に気持ち悪い」
「クックック……否定はしません。ですが、ご安心を。こちら
「その言葉を信じると思ってるの?」
「それについては信じていただかなくても構いません。ホシノさんの方で新調するなり再発行するなり、お好きにすればよろしいかと」
「…………」
「しかしながら、こちらAid Ladyのカードについては破棄するのは避けたほうがよろしいかと。こういったカードをお配りしている企業の多くは、あくまでもその利用者に貸し出している状態であって、その所有権が当人に移るわけではございません。手放したいのであれば────そうですね、Aid Ladyに返却するか、もしくは第三者にお譲りすると言ったところでしょうか」
「……ふーん」
「はい。あぁ、ですが一つ補足を。先程第三者にお譲りすると申し上げましたが、それはあくまでも私個人での推測ですので、それによって問題が生じた場合の責任については負いかねますので悪しからず」
「……律儀だね」
ホシノはそう言って目の前に差し出されたトレーに置かれた学生証とAid Ladyのカードを制服の内側に仕舞い、ハンドガンを盾の内側にあるホルダーに収めた。
「これもまた契約を結んだ者、
直後、銃声が響いた。
「……私の前で二度とその言葉を言わないで。次にその言葉を聞いたら───殺す」
ホシノの手に握られたのは先程受け取ったハンドガン。盾にしまったのを見届けたはずの黒服は、それを抜き取る瞬間が確認出来なかった。
「……ふむ、なにかホシノさんの気に障ってしまいましたか?必要であれば謝罪を───」
「いらない。さっさと消えて、私の前から」
「───かしこまりました。私の要件も済みましたのでこれで失礼します。機会があればまたお会いしましょう」
そういって黒服は足元に置かれたレザーバックにトレーを仕舞い手に取ると、そのまま反対方向へと振り向き去っていった。
「…………っ!」
黒服が見えなくなったその後、ホシノはどこか思いやれない気持ちをそのハンドガンに込めて、砂で覆われた地面へと強く叩きつけた。
砂に覆われたアビドスの市街地。時間帯が夜ということもあってか、辺りの人の気配はなく目立った銃声も聞こえない。
側近の出来事として、例のアビドス騒動のこともあってか住んでいる住人はおろか訪れるものすら、ごくわずかというのがアビドス自治区の現状である。
そんな人気のない市街地を歩く黒服は、突如として足を止めると姿勢と正した後、おもむろに頭を下げた。
「夜分遅くに足を運んでいただき、ありがとうございます、レディ」
そう黒服が話す先には誰もいない。───が、突如として足音が聞こえてきた。
コツコツと革靴の心地よい音を鳴らしながら、視界の冴えない暗闇の中から現れたのは黒を基本とした服装に白いエプロンを身に付けた人物。ヴィクトリアンメイドとも呼ばれる装いに、腰まで届くかのような艶のある長い髪をその後ろで纏めた髪型の女性。Aid Ladyのメイドであった。
「クックックッ……やはりいつ見ても美しいその顔立ち。あなたのような女性に再びお会いできることを光栄に思います」
美術館でしかお目にかかれないような彫刻作品を思わせるほどに白い肌と整った顔立ち。現代のモデル顔負けのスタイルも併せ持った人物が今、黒服の前へと現れた。
「
「……ふむ。一理ありますが、本心からの賞賛ですので受け取って頂けたらと」
「左様ですか」
「はい。では、先程
「確かに、先程のやり取りを直接確認させていただいた限りでは問題はないかと」
「ありがとうございます」
「つきましては先日、当社より申し上げました通り、請求書をお渡しさせていただきます。記載された日時までにお支払いいただきますよう、お願い申し上げます」
「拝見いたします」
そうしてメイド服の内側から取り出した一枚の紙を黒服へと差し出した。黒服もまた、差し出された紙を受け取り、二つ折りにされた紙を開く。
「おぉ……これはまた、随分な額に────」
「ご不満ですか?」
「いいえ、滅相もありません。私自身がAid Ladyの皆様にお掛けした迷惑料や先日のご依頼料を含みますと妥当な金額かと。もし立場が逆だったとしても同じほどの額を請求しておりますので」
「ご納得していただいているようでなによりです。では、請求書をお渡しさせていただきました。期日までに振込が確認されなかった場合は、相応の対処を取らせていただきますのでご了承ください」
「かしこまりました。確かにこちらの請求書を受領いたしました。後日お振込みをさせていただきます。その際にご連絡の方を差し上げたほうがよろしいでしょうか?」
「いえ、結構です。口座等の金額については逐一管理しているものがおりますので」
「左様ですか」
「はい。それとこちらをお渡ししておきます。私どもは現在、当社をご利用して頂いたお客様全てにこちらをお渡ししておりますので、貴方も例外なく。当社の会員カードについての事態は片付きましたので、次回からはお気軽にご連絡ください」
そういって先程請求書を渡した際と同様に白いカードを差し出した。
「おぉ、これはこれは。ありがたく頂戴させていただきます。────先日に対応して頂いた代表はなんと?」
「特にこれといったことはありません。カードの不正利用につきましては、今回キヴォトスで初めての事例だった為に当社の責任者が対応しましたが、今後はわたしどもの方で対応させていただく予定です。黒服様が特別であったというわけではございませんので、誤解のなさらないように」
「その点につきましては重々承知しております」
「では要件もすみましたので私はこれで。今後とも当社Aid Ladyをよろしくお願い致します」
「はい。レディの貴重なお時間を頂けたこと、心より感謝を申し上げます」
そうしてメイドの一礼に合わせて黒服が頭を下げた後、頭を上げるとメイドは姿を消していた。
「クックックッ……何時何度見ても興味を惹かれる方々だ」
静まり返った街中に1人、黒服の声が響いていた。
先日、カイザーPMCが黒服の元を訪れた後、黒服はAid Ladyの代表に手渡されたカードを使用していた。たった今起きた状況を説明するために。
理由はどうあれAid Ladyからの警告を受けた直後に、言及され会員カードを紛失したなど言えば、それはまさしく喧嘩を売っているに相応しい行為だった。
黙っていたとしても、後々に事態が発覚すればどうなるかなど、考える必要すらない。運が良かったとしても黒服の身に纏っているスーツの繊維が残るかどうか。
ならばどうするか。答えは1つ、こちらからAid Ladyに説明すればいいのだ。だが、ここで馬鹿正直に紛失したというのはAid Ladyからの心象はよろしくない。
そこで黒服は考えた。不可抗力ゆえにカードが手元から離れてしまった説明するのだと。
実際に黒服がAid Ladyに連絡を取った際にこう説明していた。
厳重に保管していたカードが
嘘はついていない。Aid Ladyがあえてこの場に残していったカードは、その高級感ある包装紙に包んでいたことは事実であり、カイザー理事がそのカードを手に取った際も黒服自身が返すように警告していたことも。
だが、カイザー理事はカードを包んでいた包装紙から勝手に取り出し、更には黒服の静止を気にも留めずに持ち出したのだ。
黒服は説明した。
これは立派な盗難だと。
故に黒服は再度口を開く。Aid Ladyへの状況説明と同時に、依頼をしたいと。
依頼内容は、カイザー理事が持ち出したAid Ladyの会員カードの回収。費用は半額分を前払いすると共に。
Aid Ladyは状況が状況の為、黒服に返さずそのままカードの所有者本人に直接返すと話したが、それについては黒服側から断っている。
Aid Ladyの代表からつい先程指示を受けたために、黒服が責任を持って小鳥遊ホシノへと返却したいと説明し、黒服自身もまた小鳥遊ホシノと結んだ契約を破棄するためにもその方が都合がいいと。*2
その後Aid Ladyは納得を示し、黒服からの依頼を了承した。
依頼内容は紛失した会員カードの捜索。期間はなるべく早くであり、場所はここアビドス自治区。依頼料は半額分を前払いで支払い、残り半額分は会員カードが手元に戻ったあとに小鳥遊ホシノとの契約を廃棄して、そのカードを含めた所持品を返却した後に支払うと。*3
そうして
ミレニアム自治区にそびえる大きなビル。
その最上階に位置する部屋に2人。その者たちはいた。
「……それで。報告に来たというのだから招きいれたのだけど────なにかしら、これは」
そういって自身の机の上に置かれた謎のオブジェクトに疑問の声を浮かべるのは、ミレニアムサイエンススクールの生徒会長。調月リオだ。
「あ?何って、見ればわかんだろ。腕だよ、腕」
「……なぜ、腕なのかしら」
「ん?そりゃ、この前任務にいった廃墟のところにいたやつから捥ぎ取ってきたからな」
「……理解できないわ」
机の上に置かれた腕の説明をする人物、美甘ネルの説明が全く理解できない様子のリオは深くため息をつく。
「……なんだよその顔は」
「それは此方が言いたいわ。私はあの廃墟と呼ばれる禁則地の調査を命じたのよ。その報告がありふれた無人兵器の腕だけなんて……」
「いや、ただの腕じゃねぇ。あたしらC&C全員でも苦戦したやつの腕だ」
「……これが?」
「あぁ、今までは他のやつなんかは雑魚同然だったが、そいつだけは別格だ。────なんかあの廃墟で得体の知れねぇやつがいて、その影響を受けたってとこじゃねぇか?」
「……それはあなたの推測かしら」
「まぁそうだな。詳しいことは、その専門家にでも投げといてくれ。あたしらの仕事じゃねぇな」
「……腕だけじゃなくて、全身を持ち帰ってくることは出来なかったのかしら?」
「あ?そんなもん、その腕を持ち上げたら分かるだろ。馬鹿みてぇに重い鉄の塊をあそこからここまで引っ張ってこいって言いたいのか」
「…………」
「ま、その辺はまた今度だな。とにかく報告はこんなところか。じゃ、あたしは帰るぜ」
「……そうね、お疲れ様。また近いうちに仕事を任せるかもしれないわ」
「そんときになったら連絡してくれ」
そういってネルは部屋から去っていった。
「…………」
リオは口を閉ざしたまま、目の前に置かれた腕部にただ視線を向けていた。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました!
ひとまず1章はこれで終わりです。一週間毎日投稿は流石にしんどかったですが、それでも書いていてとても楽しかったです!
感想や誤字報告が何よりの励みとなっております。頂いた感想に返信するのが非常に楽しいので、沢山いただけたら幸いです!
登場するメイドさん達の名前ってあったほうがいい?
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いる
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いらない
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そんなこといいからはよ続き書け