神祇庁交通部   作:C'est la vie

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車検場の怪

「ふぅん…行方不明ねぇ」

開いた新聞の右下、紙面の片隅に出ていた見出しを見て、富樫(トガシ)はつぶやいた。北海道の若い女性が行方不明。かれは先月東京に向かい、それきりで足取りが途絶えてしまったらしい。こういうのはどちらかといえば境対部の仕事だが、彼は調査係と言う仕事柄そう言った事件にも必ず多少の興味を向けている。尤もそれが本式の神隠しであることは少なく、大抵は殺人や誘拐だったりするのだが。

「富樫君、ちょっといいかね」

そこで、富樫は新聞を置いて顔を上げた。課長が手招きするのを見て席を立ち、デスクの前へと向かう。

「何でしょう」

「謎解きは得意だろう。やってもらいたいことがある」

そう言って、課長はデスクの上に積み上げていたバインダーから一枚のフォルダを抜き出した。課長はそれをおもむろに差し出し、富樫は右手で受け取り、タイトルに目を落とした。

「“銃創”同時多発事案?」

フォルダを開き、中に挟まっている書類に目を通す。

「…へぇ」

「まあ見ての通りだ。都内で複数台の自動車に“銃創”が発生し、これがもとで事故も起きてる。発生しているのは主に乗用車だ」

フォルダの中には写真も挟まっていた。見るも無残に腐食したサスペンション、折れたフレーム、そして足回りの腐食のせいか、事故を起こし大破した自動車………。

「人身事故じゃないんですよね」

「そうだ。事故歴どころか壁に擦った傷も無いようなクルマにも湧いてる」

“銃創”。無号級の界異で、死の穢れを好み、死体・血の周囲、あるいはその痕跡がある硬い物質の表面に定着し、その名の由来である弾痕やひっかき傷のような外見となる。“銃創”は血液のように赤い液状の穢れを放出しながら増殖する。そのため、人間や動物を轢き殺した自動車にも定着して穢れを放出し、その穢れが自動車を腐食させることがある。しかし今回はそうではない。

「どう見る」

「今の段階では何とも…ともかく、なんとか手繰ってみましょう」

「頼む。なるべく急いでやってくれ。これ以上“銃創”が拡散したら大変なことになる」

それは重々承知している。交通部が交通の安全を守れなくてはその意味がない。富樫は、フォルダを小脇に挟むと軽く礼をして課長の前を辞した。去り際に、課長が言った。

「“銃創”が発生した車両の何台かは本庁の駐車場に運び込んである。見てみたまえ」

 

 富樫壮一郎(ソウイチロウ)は今年36歳になる、面長な男である。かれは神祇庁交通部で調査係を15年余りも勤めてきた。その間、彼は一日一箱のラークをふかしながら普段は関東を、時には日本のどこかを飛び回り、交通を脅かす界異の正体を解き明かしていたのである。彼が担当する事案は往々にして謎めいたものが多く、探偵のようにその謎をあざやかに解いていくのでいつしか部内で冗談半分に探偵と呼ばれていた。

 神祇庁交通部———これは一言で言えば道路、鉄道、航空など、日本の交通を界異から守る部署である。何かあってからでは遅いので普段日ごろからパトロールし、調査し、予防し、対処し、そして事態によっては境界対策部に引き継ぐ。情報を収集し、界異を調べ、判断と対処の材料を提供する調査係の責任は、それだけに重かった。

 富樫は、煙草をくゆらせながら庁舎の玄関を出た。その足の向かう先は駐車場である。交通部や境対部が普段の業務に使っている白いセダンやバンの群れの奥に、ビニールシートを敷いた上でそれらしき車が数台並べられていた。その周りで、つなぎ姿の職員が数人車を調べているようだった。車両課の連中が検分しているのだろう。つかつかと歩み寄った富樫は、職員の中の見知った顔に声をかけた。

「おい、藤田(フジタ)。俺が担当になったよ」

「よお、お前か」

油染みたつなぎを着た背の高い男は富樫の同期であった。同じ東京の本庁勤めで、たまに一緒に飲みに行く仲であるこの男には時たま知恵を借りることもある。

「どうだね」

「見ての通りさ。どれもこれも足回りが腐ってやがる」

防護手袋を着けた手で、藤田が手前に置いてあるセドリックの前輪を指し示した。車体はジャッキに乗せてあったが、本来車体を支えるべき車輪は、ホイールナットもボルトも、そしてホイールの中心部も全て黒く腐って外れている。後輪にも目を向けると、同じようにホイールが外れていた。

「ホイールだけきれいに腐れ落ちてるな」

「そうだ。ハブは割合無事だからホイールの真ん中の辺りに“銃創”が巣くってたんだろうと思う。ホイールキャップの裏に隠れているから見つけるのが遅れてここまで腐っちまうんだ」

他の車にも目を向けてみると、どの車もホイールが外れていた。

「全部こんな具合か」

「酷いのはサスペンションまで腐食が及んでいるが、大方ホイールの真ん中から“銃創”が湧き始めたらしい。フレームも多いがどの車もホイールに必ず湧いている。妙じゃないか」

確かに奇妙だ。もし轢死(れきし)者の穢れに集っているのならば、かれに直接手をかけた車体の前部、特にバンパーやボンネットフードに湧くはずだし車内で人が死んだのであればその周りの車体部分やドアに湧く。ホイールの中心というのは聞いたことが無い。富樫は難しい顔をして、そこに置かれた数台の車の周りをうろついていたが、突然何かに気付いたかのように手に持っていた書類を手繰り始めた。

「おい、藤田。これを見てみろ。全部練馬ナンバーだ」

フォルダの中から、富樫が藤田に犠牲になった車のリストを示す。

「本当だ」

「それだけじゃない。車検のステッカーを見てみろ、全部同じ月だ」

確かに、どの車のフロントガラスにも真新しいステッカーが貼ってあり、どれも全く同じ期限を示していた。

「リストには載ってないが被害に遭った車は全て先月車検に行ったらしい。多分今回の“銃創”の発生地は練馬の車検場だろう」

自動車のナンバープレートの地名は、その車がどこの車検場が管轄する住所で登録されているかによって決まる。例えば東京運輸支局の本庁が管轄する千代田・中央・港・品川・目黒・大田・渋谷・世田谷区で登録されている自動車なら「品川」ナンバーになるので警視庁のパトカーは品川が多いし、今回の「練馬」であれば新宿・文京・中野・杉並・豊島・北・板橋・練馬区で登録されている自動車と言う事になる。そして、自動車は登録されている定置場所から離れた場所で保管することはできないので車検は基本的には登録されている地域を管轄する車検場で受けることになる。つまり、これらの車は同時期に練馬の車検場に行ったことになる。

「車検でホイールの周りを触ることはあったっけな」

「ある、ある。フレームのボルトやホイールナットに打検をやるんだ。ほら、小さくて、頭の片方が尖ったハンマーで…」

「それだ、違いない」

打検の真似をする藤田を置いて、富樫は車のカギを取りに走った。

 

 練馬の車検場に着いたのは、昼休みの手前ぐらいだった。業務中に邪魔するわけにはいかないので丁度いい。駐車場に公用車のローレルを放り込むや事務所に出向き、案内を頼むと少々迷惑そうな顔ながら、杉田(スギタ)という検査員が出てきてくれた。富樫は、手短に済ませるからとなだめつつ、彼の後ろに続いて検査レーンに入り測定機械や車体下部に打検を含む検査を行うためのピットを検分していたが、特段異状は見られないので若干失望しつつピットから這い出してきた。その時、富樫は検査員の腰にある物を見とがめた。

「そのハンマーは打検に使う奴ですか。ずい分新しいですね」

「ええ…はい」

検査員は怪訝そうに答えた。かれは、疑うような眼を富樫に向けた。

「いつ買い替えたんですか」

「さあ…覚えてないですね」

「大分長く使われてたんです?」

「もうここに勤めて5年になりますが…その時から使ってましたから」

「前のはどうされました?」

「捨てましたよ」

富樫は心の中で舌打ちをした。“銃創”の巣になっているかもしれない物を駆除もせずに捨てられたのでは“銃創”を世間にばらまかれるようなものだから困る。しかしいよいよ検査員が自身に不審を抱いていることが感じられたので、富樫はそこで切り上げた。事務所に戻り、検査員と別れて、車検場の場内を見回りながらかれは考えた。どうも今の検査員が怪しい。検査員の控え所を覗いてみたところ、ハンマーが新しいのは彼だけだった。明らかに木の柄が真新しい白木だったので間違いは無かろう。去り際に、他の職員をつかまえて聞いてみたところでは彼が5年勤めているのは嘘ではないようだった。昨日今日の新人だから新しいと言うわけではない。しかし、なぜ隠し立てをするのかが分からない。単に何か他のものから“銃創”が移ってしまっただけならひた隠しにする必要は無いはずだ。一体何を隠しているのだろう。そんなことをぼんやり考えながら、車検場の敷地を隅々まで見回ったが特に異状は見つからない様子なので富樫はまた失望した。どうも車検場内のどこかから彼のハンマーに“銃創”が移ったわけではないらしい。いつの間にか昼休みも終わっていたようで、検査レーンには続々と検査を受ける自動車が並び始めていた。ひとまず、捜索をいったん切り上げて遅い昼食を摂ろうと考え、かれは煙草に火をつけつつ車検場の門を出た。

 とはいえ、どこかアテがあるわけでもない。この辺りをぶらぶら歩いて店があったら飛び込んでみようという料簡であった。経験上、このように探索が行き詰まったときには適当にほっつき歩いていると案外の掘り出し物を見つけることがある。車検場が面している道路は川越街道で、池袋の方の隣には自衛隊の官舎、その向かいには自衛隊がある。ここらには不案内なので、とりあえず自衛隊に背を向けて川越方面へ歩き出した。車検場の周辺なだけあってこの周辺には車屋や整備工場が多い。スバル店のショーウィンドウに収まった新発売のレガシィを眺めつつ、大通りから外れて裏道の方にその足を進めていると、ある工場のマンホールが彼の目に留まった。自動車工場でそれなりに大きいものになってくるとオイル交換などで出た廃油を貯めておくための油槽を地下に掘っておくところがある。そのような油槽には油を抜き取るためのマンホールが設けてあるのだが、そのマンホールの周りに打たれたコンクリートに弾痕のような傷が見えたのである。

「ありゃいけねえ」

穴倉の入口に“銃創”が発生している場合、その中に“銃創”の餌となる死体なり何なりがあってすでに“銃創”の巣窟と化している場合が多い。富樫は慌てて工場に飛び込み、身分を明かして油槽は先々月の末に汲み取ったきりでまだ開けていない事を聞き出すと、油槽に触れないように言って電話を借り、神祇庁の番号をダイヤルした。

 

 境対部は1時間半で工場にやってきた。富樫は境対に現場を引き継ぎ、漸く(ようやく)昼食を摂った。そこいらで中華料理店を見つけてラーメンを啜り込み、空腹しのぎにひと箱吸い切った煙草の新しいのを買ってから現場に戻ってくると、廃油の汲み取りはほとんど終わって“ご本尊”の引き揚げにかかっているところであった。こういった作業の常として、物が野次馬の眼に触れないように、また異臭などを避けるために、そして万一危険な界異が中に潜んでいた場合に被害を抑えるために結界を施したパイプテントを立ててその中で作業することになっている。外にいた職員に断って中を覗いてみると、まさに油にまみれて真っ黒になった人間のようなものが引き上げられているところだった。ずっと漬かっていたと見えて、腐敗はあまり進んでいないようだったが衣類も皮膚も全て真っ黒な廃油の色に染まっておりぱっと見では到底人相など分かりそうになかった。しかし髪が長いこと、スカートを履いていることからしてどうも女性らしかった。

「ガキがまたやらかしたかな」

昨年には名古屋でアベックが殺され、今年には埋め立て地でコンクリート詰めの遺体が出るなど、不良少年による凶悪犯罪が記憶に新しい。ぱっと見て、富樫もその手合いではないかと鑑定した。引き上げた職員が彼女の着衣をまさぐってみたが、身分を証明するものはおろかいっさいの懐中物も認められなかった。しかし、暴行の跡があるかはよく分からないが、人をやたらに痛めつけ、嬲ることで知られる不良少年たちが手を下したにしては着衣の乱れが無いのが不審だった。

 神祇庁は、神祇と言うぐらいだから非科学に属することは一通り心得ている。その中には交霊術の類があって、今回のような身元不明遺体の特定に利用することがあり、交霊術で得られた証言は警察に提供されることもある。尤もそのままでは証拠として認められないので、それをもとに警察が裏付けを取り証拠を作ることになる。そう言うわけであるので、今回も死体が見つかる可能性があることから口寄せができる神祇官が来ていた。この場で霊を下ろしてしまうつもりか、早速何かの準備が始まったので富樫はテントから離れた。こういったことに関しては全く門外漢であるし、邪魔しても悪い。これも外で祓串(ペグ)をひと束かかえて待っていた駆除担当の職員と雑談しながら待っていると、意外に早く一人の職員が油に塗れた手を拭きながら出てきた。

「終わりましたか」

「お手柄ですよ。今朝新聞に出ていた女性です。杉田という男に殺されてここに放り込まれたそうで、何か小さくて尖ったもので後頭部を思いきり殴られてました」

富樫は、はっとあの検査員の顔が思い浮かんだ。

「その杉田というのはどんな男なんです」

「恋人だったようです。東京で、自動車関係の仕事をしていると言ってましたな」

疑惑は確信に変わった。

「警察にはこれから?」

「ええ、これから連絡するんです」

「ではついでに、あすこの車検場に刑事を遣す(よこす)ように言ってください。心当たりがあるので」

富樫は、返事も聞かずまっしぐらに数百メートル向こうの車検場へと駆け出した。

 16時を回って、その日の検査は終了したようだった。検査レーンからばらばらと事務所に戻ってくる検査員の中から杉田と同輩らしいのをつかまえて訊ねた。

「失礼ですが…杉田君に恋人がいたようなことはありませんでしたか?」

「え、ええ…昔は北海道に彼女を置いてきたというようなことを言ってましたが…」

「最近別れたとか、そういうようなことは?」

「さあ…最近は全くその話は聞きません。その代わりにホストの女に夢中になっているようで…」

「や、ありがとう」

怪訝な顔をしている若者を置いて、まさに控え所に入ろうとしている杉田を見つけた富樫はそのもとへと飛んで行った。

「杉田さん、ちょっとお話があるんですが…」

「なんです。まだ仕事が残ってるんですよ」

「いや、とにかく来てください」

無理に杉田の腕を引いて控え所から連れ出した。

「なんです、話って」

「あなたの恋人のことなんですがね」

一瞬、彼は動揺を見せた。

「あなた、彼女を殺してあそこの工場の廃油溜めに投げ込んだでしょう」

「そ、そんな…冗談でしょう」

「冗談じゃない、今時の死体ってよく喋るんですぜ」

自信ありげにニヤニヤ笑う富樫に気圧されてか、或いは死体が見つけられ、さらに身元まで割れたらしいと言う事を知ってか、彼の顔はみるみる青ざめていった。暮れつつある空の向こうから、サイレンの音が聞こえてきた。

 

「で、杉田は一旦ハンマーを現場に落としてきたようです。おそらくその間に“銃創”がとりついたのでしょう。そしてあとで拾いに来て、仕事で使っていたらこんなことになったと」

「昔の女を打ち殺して穴倉に投げ込み、自分は知らん振りでそのハンマーを仕事場に持ってきて車を叩く。太え野郎だな」

「まったくです」

課長が呆れたように言うのに、富樫も笑って返した。課長は冗談めかして言った。

「ま、とにかくよくやった。お前警察に勤めた方がいいんじゃねえか」

「もう採ってくれる歳じゃありませんよ」

富樫は、快豁に笑った。




注釈
ラーク…フィリップモリス社発売の煙草の銘柄。
セダン…自動車の車体形状の一種。前からボンネット、居室、トランクの順に配置され凸の字状になっているもの。
バン…自動車の車体形状の一種。主に箱型で、荷物の運搬に適するもの。
セドリック…日産が販売していた自動車の車名。主にセダン型で、高級乗用車に分類される。
ホイールナット…自動車の車輪を固定するナットのこと。
ハブ…自動車の、車輪を取り付ける部分のこと。
ローレル…日産が販売していた自動車の車名。セダン型の乗用車に属する。
レガシィ…スバルが販売している自動車の車名。セダンあるいはステーションワゴン型の乗用車に属する。
アベック…現代で言う、カップルのこと。
名古屋でアベックが~…1988年の名古屋アベック殺人事件のこと。
今年には埋め立て地で~…1989年の女子高生コンクリート詰め殺人事件のこと。
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