神祇庁交通部   作:C'est la vie

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片目のセリカ

「ちっきしょ~~~、すっかり遅くなっちまったぜ」

「おいおい二日目で宿無しは困るぜ」

真っ暗な湖畔(こはん)の道路を、一台のハッチバックが飛ばしていた。乗っているのは大学生らしい二人組の男。夏休みにレンタカーで北海道旅行、といった様子だ。

「まあ任せろって。これでも峠で走り込んでるんだぜ」

「事故るなよ…弁償になっても俺は知らねえからな」

腕に自信があると見えて、運転している男は制限速度を軽く20キロは越えて走っていた。速度計の針はほとんど真上を指している。

「そう言えばよォ、走り屋で思い出したんだけどよ」

助手席の男が口を開いた。

「ここ…支笏(しこつ)湖の湖畔道路ってよ、走り屋の幽霊が出るんだとよ」

「幽霊?」

運転手の男が興味なさげに返す。

「ありふれた怪談だろ」

「まあ聞けって。この道路を走ってると後ろから追いついてくる車がある。それが片方しかライトが点いてないセリカなんだとよ」

助手席の男が、怪談めかして語る。

「しきりに煽ってくるから、先に行かせたら追い越していく車の運転席は無人…」

「それだけかよ。よくある話だね」

その時、二人はいきなり後ろから強い光で照らされた。バックミラーを見ると、後ろに車が一台びったり張り付いて来ている。

「走り屋か」

途中でそれらしい車が何台かたむろしていたので、いつの間にか追いつかれたのだろう。いくら軽いコンパクトカーでも、70馬力あまりではスポーツカー相手には勝負にならない。運転手は、窓から手を振って先に行くよう合図した。たちまち、後ろにいた車が勢いよく右に出る。その瞬間、二人とも、サイドミラーに映るヘッドライトの光が一つしかないことに気付いた。

 慌てて振り向くと、後傾したスラントノーズの下半分を包むような、大きなクロームメッキのバンパーが目に飛び込んでくる。それは、古いセリカの特徴だった。

「で、出た!」

セリカは、タイヤを鳴らして急加速し、二人が乗るターセルに並びかけた。そして、真横にやってきたセリカの運転席を見て、二人は一気に血の気が引いた。その車には誰も乗っていなかったのだ。

 

「やや、こんなところで渋滞か」

神原(カンバラ)は、前方に車列があるのを見てブレーキを握った。がくん、と車体が前に沈み込む。腰を浮かせて前方を伺うと、こちら側の車線が規制されて、交互通行になっているようだった。単車(たんしゃ)が止まると同時に、両足を地面に下ろし、ハンドルから手を離して腕を休める。

 神原は、この夏に一週間の休暇を取ってオートバイで北海道を巡る予定だった。フェリーで苫小牧(とまこまい)に降り立ち、ひとまずは北上するつもりで、札幌(さっぽろ)に向かう国道には入らず、観光道路として知られる支笏湖の湖畔道路に立ち寄っていたところであった。行楽シーズンだけあって温泉以外は何も無いような支笏湖の周辺もなかなかに交通量があり、規制区間の手前に伸びた車列はそれなりの長さになっていた。左手に目を向ければ、支笏湖が目の前に広がっている。この湖畔道路は湖岸を埋め立てて作られており、湖岸側はすぐ岸壁になっているので眺めは抜群である。しかし日を遮るものも無いので、車列が動くのを待つ間、神原は真夏の日に直に照らされることになる。いくら北海道でも気温は25度近くまで達し、ほとんど夏日と言って差し支えない。走行中ならば風が当たるのであまり苦にならないが、止まってしまうと鉄の塊である単車の上でじりじり焼かれるのだ。ゆったりと岸壁に打ち付ける波を眺めながら、じわじわとにじみ出る汗が鼻先から落ちた時、前の車が発進した。

 規制区間に差し掛かると、神原は少しぎょっとした。というのも、ガードレールが突き破られて、岸壁から一台のハッチバックが湖に落ちていたのだ。パトカーやレッカー車が落ちた箇所の前後に停まって、まさに引き揚げにかかっているところであった。

「ありゃ助からないな」

その車はさかさまに落ちていた。乗っていた人間はまず潰されるか、さもなくばすぐに溺死(できし)するであろう。そしてここまで消防が来るのにどれほどかかることか。落ちてすぐに通報したとしても助かるか怪しい。心の中でそっと合掌しつつ、神原はその場を見送った。

 そこから先の道は空いていた。気持ちよく飛ばしていると、やがて湖岸沿いの左手に小さな食堂のようなものが建っているのが見えた。昼食を摂るにはまだ少々早いように思われたが、遮るものの無い暑さをしのぐべく、神原は湖畔道路から左に逸れて行った。入って行った駐車場の、オートバイが並んでいる辺りに自身の単車を停め、ヘルメットを取るとメガネをかけた短髪の顔が出てきた。ヘルメットを置いて、鍵を抜き、“ポロピナイ”と看板を掲げた食堂の建物へ入る。昼前だというのにすでに満席に近く、神原はこれも単車乗りらしい男の二人組と相席に案内された。

「や、どうも。おひとりですか」

同類とみてか、席に着くなり二人組の片方が話しかけてきた。

「ええ」

「女性の方とは珍しい。何に乗っておいでです」

「FJ1200に…」

「FJ…ヤマハでしたっけか。今年国内でも発売されたばかりでしたよね」

「1200って、大型免許持ってるんですか。すごいですね」

もう一人も口をはさむ。一度口を開けばそこは単車好き同志、オートバイの話やツーリングの話で盛り上がって行った。そのうち、最初に話しかけた男が思い出したように訊ねた。

「そういえば、これからどちらにおいでになるんです」

「札幌の方に行く途中なんです」

「じゃ、僕らとは逆ですね」

「本当ですね。今湖岸道路は一車線規制してるので大変ですよ」

「へえ、そりゃどうして…」

「車が一台湖にはまっているんですよ。その片付けで…」

「そりゃ大変だ」

訊いた男が少々困ったような顔をする。もう片方の男が口を開いた。

「片目のセリカかな」

「片目のセリカ…」

どこかでそのような(うわさ)を聞いた覚えがあった。すぐに訊き返す。

「何です、それって」

「聞いたことありませんか。夜中に湖畔道路を走っているとヘッドランプが片方しか点いてないセリカが音も無く後ろから現れて、追い越されるときに運転席を見ると誰もいない、と言う話で……これに出くわすと例外なく事故に遭うと言われているんです」

「へえ…」

仕事柄、こうした怪談には気を付けていた。というのも、神原が神祇(じんぎ)庁に勤めているからで、こうした怪談からどんな掘り出し物が出るか分からないからであった。とはいえ、ある程度人口に膾炙(かいしゃ)している噂のようだからこれぐらいは地元の神祇局も把握しているであろう。自分が係り合いになるべきではないとは思いつつ、一方で単純な興味から片目のセリカの正体を見届けてみたいとも思った。今は休暇中なので、それは戻ってからどうにか手を回そう。知り合いが北海道神祇局にいたはずだから、彼女に片目のセリカについて聞いてみるのも良いかもしれない。ひとまず、最初の予定通り札幌に向かおう。そこまで考えたところで、注文した料理が運ばれてきた。

 山奥の辺鄙(へんぴ)なところにある食堂だが、注文した海鮮料理は三崎で食べられるものにも劣らぬ味だった。神原は、昼食を食べてしまうと、南へ向かう二人組に分かれて一路札幌へと走り出した。

 

 札幌に着いても、夏の日はまだ高く輝いていた。ひとまず公衆電話を見つけて、北海道神祇局に電話を入れて名前を告げると、数分待たされた後に当人が電話に出た。

雉本(キジモト)ちゃん?私よ、神原よ。今北海道に来てるの」

雉本は、北海道に転勤するまでは同じ部署の後輩だった丸顔で目がくりくりしたかわいらしい娘で、神原とは対照的にエンジンがついた乗り物にはあまり興味がなくて鉄道で旅行するのが好きだった。

「本当ですか?今どこにいるんです?」

「札幌」

「わ、もうここまで来たんですか。今日五時上がりだからちょっと待てます?」

「いいよ。どこで待ち合せようか」

場所と時間を決めて、電話を切るとそのまま札幌観光に繰り出した。あらかじめ調べておいた名所を単車で巡り、早めに待ち合わせの場所に行くと少し遅れて雉本がやってきた。

「うわ、バイクで来たんですか。相変わらずですね」

「へへーん、先月買った新車よ。いいでしょ」

単車を適当に停めておいて、知っている店があると言うので彼女について行く。案内されたのは、盛り場から少し離れた居酒屋のような店だった。

「大将、久しぶりっ!」

常連と見えて、店主に挨拶しつつ慣れた様子で奥の席に陣取る。やってきたおかみさんに料理を2,3注文して、彼女は飲み物のメニューを開いた。

「先輩、ビールでいいですか」

「飲んじゃったらバイクはどうするのよ」

「あ、そうか」

「私はウーロン茶でお願いね」

注文してしまうと、お互いに近況を話す。彼女は北海道は広いから毎度の出張が旅行のようだと喜んでいた。やがて、注文した料理が運ばれてきた。

「やや、サカナは昼に食べてきちゃったよ」

「ありゃ。お昼に何食べたか聞いておけばよかったですね。でも本当においしいんですよ」

彼女は割り箸を割った。神原も、自分の箸を取る。

「まあいいよ。飽きるものでもないし」

「お昼はどちらで食べたんですか?」

「ポロピナイ」

「へー、私も行ったことありますよ。おいしいですよね」

「ふーん…仕事?」

「そうです、国道453号線で用事があって」

「湖岸道路ね…」

そこで、神原は思い出したように訊ねた。

「片目のセリカって、知ってる?」

雉本は、ちょっと驚いたように返した。

「あれ、ご存じなんですか。丁度それで行ったんですよ」

「まあね。有名らしいじゃない」

「有名ですよ。ダルマセリカ…でしたっけ?ヘルメットを被った骸骨(がいこつ)のドライバーが乗った車が、夜中にドライバーを嚇かすって…」

「そうなの?私が聞いた噂では、セリカなのは確かなんだけど運転席は無人だったって」

「この目で見たから間違いないですよ。だって駆除作業の応援で行ったんですもん」

「へえ」

神原が、意外そうに訊き返す

「じゃあ、もう駆除されてるんだ」

「そうですよ。遊びに行ったわけじゃないですから」

では、あのハッチバックは無関係な自損事故か。神原は、とりあえずこのことは脇にやって、目の前の料理にかかることにした。

 

「んも~~~っ、私のばかっ」

神原は、灯りの一つもない夜の山道を飛ばしていた。月明りに照らされて正面にうっすら見えるシルエットは恵庭(えにわ)岳、こちらから見て反対側の麓にあるのは支笏湖である。彼女は、昼に通った道を戻っていた。

「ポロピナイに財布忘れるなんて!」

雉本に連れられて行った店で、全額払おうとする彼女を無理に押しとどめて自分の分を出そうとしたら財布が無いのに気が付いた。最後にお金を出したのはポロピナイなので、慌てて電話をかけたらもう駐在所に届けたとのことだった。店を出た時にはすっかり日は暮れ、夜の道は空いているとはいえ、急いでも財布を受け取ってから札幌に戻ってホテルを探すのは遅くなりすぎることが見えていた。駆け込みで空き部屋があるかは分からないが、今日は支笏湖で泊まった方が良いだろう。一度下り坂になった道は再び登りとなってサミット(峠の頂上)に達し、ヘッドライトが照らし出す先が真っ暗闇になる。そしてサミットを越えると、ハイビームの光で長い下り坂が照らし出された。この先で、道路はヘアピンで折り返して湖畔へと降りる。ギヤを一速落とし、エンジンブレーキで減速していく。有料道路だった頃に料金所が置かれていたのであろう駐車場を過ぎて道路は左旋回し、右左のS字を抜けて若干きつめの左カーブが見えるとその先が展望台沿いのヘアピンなので、ブレーキを軽く握る。車体を思いっきり傾け、膝は擦らずに緩やかにクリア。その先にある、道道と合流している丁字路を左に折れるとまもなくポロピナイに入る道がある。これを右手に見送って、長い湖岸沿いの道へ。徐々にスロットルを開き、速度を上げていくと、いきなりサイドミラーに眩しいヘッドライトの光が映った。右のミラーに目を向けてみると、光はぴったりとすぐ後ろにくっついて、左右に蛇行する。かすかに見える影からして、どうやら四輪車がこちらを煽ってきているらしい。

「私に追いつくとはやるじゃないのっ」

こうなれば遠慮は不要だ。スロットルを目いっぱい開き、後輪が力強く地面を蹴る。国内メーカーの自主規制で97馬力しか出ず、そのうえ車重が250㎏近くあるとはいえ四輪が相手ならば大抵の車よりもパワフルで、遥かに軽い。まず加速でついて来れる車があるはずがなかった。だが。

「どうなってんの!?」

後ろの車は、こちらの加速に合わせてぴったりついてくる。速度計の針はどんどん回っていき、あっという間に高速道路の最高速度を超えてしまう。ミラーを睨んで後ろの車との距離を推し量るも、全く離れる様子が無い。ふと、前方に視線を戻すと、道路が左に旋回して、進む先には黒々とした湖面が広がっていた。

「ヤバい!」

本能的な恐怖に従い、目いっぱいブレーキを掛けた。ABSが働き、ブレーキレバーがガタガタと震える。ABS付きでなければ確実にスリップしてハイサイドで湖に投げ込まれていただろう。後ろの車は、ブレーキランプが点いたのを見てか右に出て追い越しにかかるようだった。その時、神原はミラーの中に映るその車のヘッドライトが片方しか点いてない事に気付いた。

「まさか」

その車は、目の前がカーブになっているのにもかまわずタイヤを鳴らして猛加速する。そして、あり得ない速度で神原の乗る単車をかすめるように追い越して行った。道路に合わせて左旋回しつつあった神原は、ぶつけんばかりに追い越されたので思わず左に避けようと車体を傾けて、敢え無く単車を路面にぶつけた。タイヤにかかっていた荷重が抜けてグリップが失われ、道路上を単車が滑って行く。神原はとっさにハンドルを放し、顎を引いて身を丸めた。こうして、道路外に滑り落ちる単車に身体を持っていかれたり、頭や手足をぶつけるのを防ぐのだ。幸い、神原も単車も湖には落ちず道路上で止まった。なんとかどこも折らずに済んだようなので、痛む体に鞭うって立ち上がる。神原は、あの車が消えて行った先を睨んだ。あのとき、すぐそばを通って行ったのではっきり見たが、あれはたしかに真っ白なダルマセリカだった。そして、その運転席には、誰も乗っていなかったのである。

「よくもやってくれたわね」

 

 幸いにも、カウルは滅茶苦茶になったがオートバイ自体に深刻な損傷は無さそうだった。まだ新車だったのにもったいない。これをきれいに直すとしたらいくらかかることやら。一先ず、神原は倒れた単車を起こして支笏湖の駐在所まで行った。ボロボロの風体で現れたので駐在の警察官に心配されたが自分でコケたのだと話して財布を受け取った。それから神原は、周囲の旅館を回ってどうにか一晩の宿を得ると、もう遅い時間であるのでさっさと風呂に入って寝てしまった。

 翌朝、彼女は単車に跨りながら支笏湖の朝靄を眺めていた。一度駆除されたはずの“片目のセリカ”が、またどうして復活しているのだろうか。そして今度は元の噂にあった骸骨の運転手がいなくなっている。しかし、それを解き明かす前に、あのセリカにリベンジしなければならない。命はとられずに済んだとはいえ、交通部の祓魔師が道を走る界異にコカされておめおめと帰るわけにはいかない。何より、交通部随一の速さで名を売った神原美紀という一個の人間として、片目のセリカをこのままにしておくわけにはいかなかった。

 まず、峠を攻めるつもりで北海道に来たわけではないのでスポーツ走行用のツナギは持ってきていなかった。これでは膝を擦るような本気の走りはできないので、朝から札幌まで飛ばしてバイク用品店でプロテクターを買ってきた。店の駐車場で早速身につけてしまうと、山道を到底ここでは言えないような速度で飛ばして普通に走るのに比べて半分の時間で支笏湖まで戻ってきた。今乗っているFJ1200は、サーキットや峠でスポーツ走行を楽しむと言うよりはどっしりした車格と余裕のある大きなエンジンで長距離移動を楽しむバイクである。しかしヤマハがスポーツツアラーと銘打ったFJは、確かにスーパースポーツにも劣らないスポーツ性を持っていた。本当なら東京に帰ってFZRを持って来たいところだが、FJでも彼女にとっては十分だった。しかし、先月買ったばかりの新車なのでまだ少々慣れないところがある。戻ってきて遅い朝食を食べると、肩慣らしとばかりにFJに跨って国道へ飛び出して行った。

 しばらく湖の周りを走り回っていると、地元の走り屋らしいオートバイを見つけた。丁度良い、腕試しだ。速度を上げ、すぐ後ろに飛びつく。相手が気付いたようにちらりとこちらを振り向くと、受けて立ったとばかりにエンジン音が甲高く響き、マフラーから白煙が吹きだす。2ストロークエンジン特有の、オイルを燃やした臭いが鼻をついた。

「NSRか」

相手はホンダのレーサーレプリカ。向こうは2スト250cc、こちらは4スト1200cc。排気量の差は5倍近いとはいえ向こうは150㎏ほどの車重で45馬力を発揮する。というのも、4ストロークエンジンは吸気・圧縮、膨張・排気と、ピストンが2往復して1回のサイクルが完了するのに対し、2ストロークエンジンは吸気と排気が一度に済んでしまうので1往復で1サイクルが完了する。つまり、2ストは4ストの2倍燃焼が起きているのだ。2ストは吸気と排気が混ざってしまうので単純に出力も2倍とはいかないが、4ストよりもパワーを出しやすい。そのうえ、2ストロークエンジンは4ストよりも回転の上がりが早いという特性がある。向こうの方が重量自体も軽いのでコーナーが多いコースでは幾分か向こうに利がある。こちらはなるべく速度を殺さずに曲がらねばならない。早速左カーブが現れ、先を行くNSRはぱたりと左に車体を倒して突っ込む。さすがにレーサーレプリカだけあって速い。ヤマハ特有のもったりしたハンドリングが恨めしくなる。だが。

「大した事ないな」

あれはレプリカのハンドリングの良さで自分が上手いと勘違いしているだけだ。乗り慣れているだけに下手ではないがまだまだと言ったところ。自分なら倍とは言わなくてももう少しは速い。コーナーが速ければいい勝負になったかもしれないがこれでは面白くない。さっさとケリをつけよう。ゼロヨン2秒差でちぎってやるのは大人気ないのでコーナーで勝負することにしてじわじわと距離を詰める。この先に180度カーブがあったはずだ。

 前を行く相手がチラチラとミラーを見ているのが手に取るように見える。こちらが減速するタイミングを伺っているのだろう。チキンレースだ。こちらを前に出させたくないだろうがそれで崖にでも突っ込まれるのも気持ちが良くない。幸い、コーナーに入った途端に諦めたようにNSRのブレーキランプが灯る。これをノーブレーキでやや強引に追い越し、速度を保ったまま思いっきり車体を寝かせて曲がる。ほとんど膝を路面で擦る角度だ。上り坂になっているのもあってNSRがみるみる置いて行かれる。その先のぐねぐねした道を抜けるとNSRは影も形も見えなくなっていた。さすがに相当の排気量差があるとはいえ面白くない奴だ。なかなか調子が良いので、勝負を仕掛けたそのままの勢いでこの道を攻めていくことにする。

 周りが開けてきたので国道沿いの商店で単車を停めてコーラを買った。結構速かったのでタイムを計っておけばよかったと悔やむ。コーラを飲みながら次はどこに行こうかと考えていると、2ストロークの甲高い音が聞こえてきた。さっきのNSRだ。向こうもこちらに気付いたようで、こちらに寄ってきて止まる。ヘルメットを取ると、乗っていたのは長髪の若い男だった。

「おねーさん速いっスね。それってもしかして大型スか?」

「ええ。FJ1200よ」

「大型なのにとんでもない速さで曲がって行くんですもん。もしかしてプロっスか?」

「そんな。あなたと同じ、走り屋よ」

ふと思いついて、男に訊ねてみる。

「あの辺はよく走るの?」

「地元っスから」

「じゃ、片目のセリカって知ってる?」

「知ってますよ。赤いセリカが追っかけてくるってヤツっスよね」

赤?昨晩見たのは確かに白いセリカだ。

「白じゃなかったかしら」

「白だったかな…分かんねえっス。先輩は赤って言ってましたけど」

もしかして。ある考えが脳裏に浮かぶ。

「その先輩を…いや、あなたのお仲間を紹介してくれないかしら?」

 

 この辺りの走り屋に聞き込んでみて分かった。この噂にはバリエーションが多い。骸骨のセリカと無人のセリカの2通りあるのは知れたことだが、そのセリカは単にセリカと言うだけで具体的な特徴が分からない噂も多い一方、色は主に白と赤…そして初代のダルマセリカから現行の五代目まで、色の組み合わせと合わせれば少なくとも10種類のセリカが存在する。最近流行りのターボババアの噂さえ聞き出せた。セリカの噂自体は有料道路だった頃からあったようなのですくなくとも7年前から存在しているが、どうも最近になってターボババアの出現も含めてバリエーションが急増したらしい。実際に見たと言う人間は見つからなかった(おそらくほぼ事故で死んでいるのであろう)が、ここから考えられることは一つ………片目のセリカは、噂の数だけ存在する。

 界異は、もともと幽世(かくりよ)の存在である。現世との境界を破ってこちらにやってくるので境界異常と呼ばれている。これらはいわゆる亡霊とか怪異とか、形を持ってこちらにやってくるものも多いが形を持たずにやってくるものもある。しかし形を持たないままではまだ幽世の存在であるので現世に干渉できない。それらに形を与えてやるのが、こうした噂である。この言葉が持つ影響力が言霊(コトダマ)であり、界異は言霊の通りに姿を現すようになる。すなわち、支笏湖の湖畔に片目のセリカが出ると言う噂が人口に膾炙すればその通りに化けた界異が現れるようになり、そして噂が伝播(でんぱ)する過程で尾ひれがついて赤色のセリカというバリエーションが増えると、また新しく赤いセリカが化けて出ると言う具合だ。

 そこまで分かればやるべきことはあと一つ。噂通りに白いダルマセリカ以外が出ることを確かめるのみ。それは同時に、昨晩のリベンジも兼ねている。そう言うわけで、神原は日が暮れてからずっと支笏湖の周りをぐるぐると走っていた。二晩続けて現れてくれる保証はない。しかし、神原の勘は、来ると告げていた。湖の周りを何周しただろうか。腕時計を見るともうすぐ21時を指そうとしていた。湖岸道路の札幌側から、峠を降りる坂を延々と下って行く。昨日セリカが現れたのもこの時間のこの辺りのはずだ。そう思いながらポロピナイに入る脇道を通り過ぎた途端、後ろから眩いばかりの光が浴びせられた。左のミラーは暗く、右のミラーは明るい。暗い方にはうっすらとクルマの輪郭。間違いない。出た。

「さあ、かかってきなさい」

向こうは物理法則では計れない存在である。まともにレースしたのでは勝負にならない。しかし片目のセリカは典型的な“激突(げきとつ)”型…もとい、人を襲う界異のうち自動車の形態をとるものである。大方その目的は相手を事故死させて死の穢れを喰らう事。相手の目的を達成させなければ…つまり、最後まで事故らずに逃げ切れば勝ちと言えるだろう。相手はこちらにぴっちりと車間を詰めてきて今にも追突しそうだが、焦ってはならない。相手のペースに乗せられず、落ち着いて走り切ればよい。自分で湖に突っ込んでしまったのでは元も子もない。神原は、スロットルを目いっぱいに開いた。

 昨日は焦ってコケてしまったが、この道路の線形は割合緩やかなので落ち着いていればどうと言うことは無い。地元の走り屋に聞いてみれば、ここを走る時の最高速度は200キロを超えることさえあるそうだ。体が置いて行かれそうな加速と共に、速度計の針は270㎞/hまである目盛りの半分をあっさり超える。対向車が来る気配も無いのでカーブで対向車に突っ込む心配も無いだろう。まず早速、昨晩転倒した左カーブ。ここも落ち着いていれば大概緩やかなものである。速度計の半分を越したままクリア。続いて右カーブ。迫る気配に気づいて振り返ると、セリカがこちらをカーブの外側に押しやるように幅寄(はばよ)せしてきていた。

「させるかっ」

カーブで抑えていたスロットルを開く。ぐん、と小気味良い加速と共に、FJが前に飛び出した。加速で若干外に膨らんだがこのカーブもクリア。ロックシェッドに排気音が反響し、爆音となる。その先の路肩が広くなった駐車スペースに走り屋らしき車が一台。その脇をセリカともつれ合いながら走り抜ける。

「見られちゃったかな」

つづいて緩やかにくねった道になっているが、全開で突っ込む。まず左カーブを抜けてから右カーブへ。ここで振り返ると案の定またセリカが右から幅寄せしてきている。

「同じ手は食うかっ」

全力でブレーキ。セリカがブレーキランプを灯らせながら思いっきり前へとすっ飛んでいく。すかさずシフトダウンしてスロットルを全開、対向車線に出てセリカの右手から追い抜く。片目だけの前照灯がみるみる小さくなっていった。

「このままちぎったるっ」

全開のまま飛んでいく。これで幾分(いくぶん)か距離を稼いだ。セリカとの距離がだんだん開いて行く。少々きつめの左カーブを抜けると、山肌に隠れて姿が見えなくなってしまった。

「追ってこないのかしら」

後ろを見やりながら減速する。5秒経っても追ってこない。5,60キロぐらいまで落として振り返った途端、山の影から光が飛び出してきた。

「やっぱ来た!」

すかさず全開。だが向こうはとんでもないスピードで迫ってくる。こちらから見えていない間に急加速して、振り切ったと油断させて突っ込む気らしい。思ったよりも早い。加速で振り切れるかどうか…振り切れなければ突っ込まれる直前に横に避けるしかないだろう。しかしこの速度では右に避ければ湖に、左に避ければ山に突っ込みかねない。山に突っ込む方がまだマシだろうと踏んで、右に寄ったその時だった。

「しめた!」

左手に、路肩が広くなった駐車スペースが見える。あれなら山に突っ込まずに済むかもしれない。左ミラーを注視するとすでに相手は真後ろに迫っていた。早すぎるとついて来られるし遅すぎると避けきれない。ギリギリのタイミングを見計らって、思いっきり左に逸れる。テールに何かぶつかる衝撃。すぐさま右に切り返しつつブレーキ。セリカが右手をすっ飛んで行って、そのまま曲がった道の向こうへと姿を消して行った。

「リベンジ成功…かしら」

単車を停め、ヘルメットを取って深呼吸する。一気に緊張が解けた。にしても。

「誰よ、GT-FOURのラリー仕様って言ってる奴は!」

まさか赤でも白でもなくステッカーで全身を飾った競技車両が出て来るとは思わなかった。いくら走り屋でも話を盛り過ぎだろう。

 

 休暇明けに登庁すると、始業時間になるや否や自分のデスクの電話が鳴った。取った途端に雉本の声が耳に飛び込んでくる。

「先輩っ!北海道どうでしたか?」

「楽しかったわよ。でもまさかそんなことで朝から———」

「先輩、支笏湖のセリカの話をしてましたよね。最近こんな噂を聞いたんですけど」

なんだかヤな予感がする。

「夜中に事故の跡があるバイクに乗った走り屋の亡霊があの片目のセリカとバトルしていると…こんな話が広まってるんですよ。これ、先輩ですよね」

あちゃー。しっかり見られていたか。カウルの傷まで見られていたとは。まさか自分が支笏湖の怪異の仲間入りをしようとは思わなかった。人の噂も七十五日と言うので、この話が忘れ去られることを願うしかない。神原は、ただただ苦笑した。

 




注釈
・ハッチバック…自動車の車体形状の一種で、居室と荷室が一体化し後部に跳ね上げドア(リヤハッチ)を備えたもの。小型車に多い。
・コンパクトカー…小型車のこと
・スラントノーズ…自動車の前頭部で、後ろに傾いて◢のような形状になっているもの。
・セリカ…トヨタが販売していたスポーツカーの車名。
・ターセル…トヨタが販売していた小型乗用車の車名。
・単車…オートバイのこと。
・FJ1200…ヤマハ発動機が販売していた大型オートバイの車名。1991年まで自主規制のため国内で販売されていなかった。
・国道453号…支笏湖湖岸道路に同じ
・ダルマセリカ…1970年発売の初代セリカのこと。
・サミット…峠の最高地点のこと。
・ABS…アンチ・ブレーキロック・システムのこと。ブレーキによって車輪がスリップしてロック(固定)するのを防ぐ装置。ブレーキを自動で緩めるため、作動時はブレーキ液の圧力変化によりレバーなどに振動が発生する。
・ハイサイド…スリップを起こしたオートバイが、速度の低下によるグリップの急な回復で転倒する現象。ライダーが地面にたたきつけられるため非常に危険である。
・カウル…主に空力を改善するために車体前半を覆うように取り付けられる、オートバイの外装のこと。
・FZR…ヤマハ発動機が販売していたスポーツバイクの車名。
・NSR…ホンダが販売していたレーサーレプリカの車名。レーサーレプリカとはレース用オートバイを模した市販のスポーツバイクのことである。
・ゼロヨン…0-400m加速。発進してから400メートル(1/4マイル)先に到達する時間のこと。当然ながら加速が速い方が短い。
・ターボババア…100キロババアとも。この種の都市伝説は1990年代から出現し始めており、作中はその流行の最初期にあたる。
・有料道路だった頃…1984年まで支笏湖畔の国道453号線は有料道路だった。
・ロックシェッド…岩石が崩落し道路を障害することを防ぐために設けられるトンネル状の構造物。トンネルとは違って一方の壁が開放されている。洞門とも。
・シフトダウン…ギヤをより低いものに切り替えること。作中では加速力を得るためにこの操作を行っている。
・GT-FOUR…四輪駆動仕様のセリカに与えられるグレード名。
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