透き通るような世界で俺がやるべき唯一のこと 作:THE TOWER XVI
朝。目覚めるといつものボロ屋根ではなく、綺麗な天井が目に入る。
「知らない天井だ……って待てい!」
叫んで、体の上にかかっていた毛布を跳ね除ける。
「あ、起きた?」
机の向こう、書類の山の横から顔を出す先生と目が合う。
どうやら、俺はソファーに寝ていたらしい。
「えっと、ここどこ?」
「あれ、憶えてないの? シャーレの部室だよ。昨日の夜一時とかに、ヒイロから緊急のメールがあって」
「あー、理解しました。ご迷惑をおかけして大変申し訳ございません。その件、心当たりがあります……アルスハリヤァァァアアアア!!」
天に向かって、俺は吠える。
ひっくり返る先生をよそに、呼ばれて出てきた戦犯の頭をむんずと掴んだ。
「なんだい、ヒーロ君。僕の国宝級の顔が恋しくなったのかい?」
「黙れ。そのムカつく顔面、ピカソみたいに変形させるぞ。なぁ、俺が寝てるはずの時間に、何故かメールが送信されたみたいだけど、どう考えても、お前しかいないよな」
片手で端末を操作した俺は、メールアプリを開き、送信済みに分類されている件のメールを見つけ出す。
「おいおい、検察気取りで脅すつもりかい? 単に君が寝ぼけてメールを送って、忘れただけかもしれないだろ?」
「いやだって、他にもこれ、おかしいじゃん」
夜更かししてないで寝なさい、やら、そんな情熱的な文章を書かれるんですね、など、モモトーク上でも各方面から返信が来ており……確認すると、身に覚えのない歯の浮くような台詞が並んでいる。
「お前以外の、誰がいるんだよ。こんなふざけた真似して喜ぶ奴が、何処に」
「だが、証拠でもあるのかい? 推定無罪の原則というだろう。あくまで動機に基づく、推理に過ぎない」
「意識が無い時にメール程度なら送れるって、言ってたよな? お前は動機も機会も十分過ぎるんだよ。ごちゃごちゃ言ってないで、罪を認めて謝れ。額を地面にこすり付けて、俺に、土下座しろ」
飄々として罪を認めない魔人を問い詰めていると、肩を叩かれる。
「だ、大丈夫? その、家が吹き飛んでショックなのは分かるけど──」
「吹き飛んだぁ?!」
「うわ、びっくりした。え? それも忘れちゃったの?! ゲヘナの温泉開発部に爆破されて家が無くなったって話だったけど……」
理解できず、ぽかんと口を開けて虚空を見つめる。
開発に巻き込まれた? だが、それなら俺も起きるはずだ。まさか、本当に忘れている? アルスハリヤの悪戯も寝ている時ではなく、何らかの原因で気絶している時に行われた……? いや、そもそも巻き込まれておらず、単に退避後に破壊されたか、もしくは偶然の可能性も高い。ただ、仮にこれが意図的なものだとして……態々、俺の帰る場所を吹き飛ばす理由が分からない。
忙しなく俺は頭を回し、ふと気づく。
まだ明らかになっていないだけで、関連するアルスハリヤの悪事があるのでは……? そもそも、メールとモモトークの件で全てなんて、誰が言った。
怖気が走り、宙に浮く魔人に視線を向ける。
紫煙の向こう。ニタリと口を三日月に歪め、アルスハリヤは嗤った。
「ご明察。人間というのは、それが事後だと誤認した時点で思考にロックがかかり、『これ以上はない』と思い込んでしまう……。だが、僕の本当の目的はそんな恋文ではない。
そして、それに気づいた賢いヒイロ君なら、犯人が計画を明かす瞬間がどういうタイミングか分かるだろう?」
捕まって、罪を告白するときか──
「そう、既に勝利を確信しているときだ」
空気が抜けるような音が背後で鳴り、扉が開く。
「先生、失礼します。ヒイロは……ちゃんと居るわね。メールで送ってもらった分で手続きは完了したから。はい、これがあなたの学生証よ」
ツカツカと近づいてくると、わざわざ俺の手を取って、持たせてくる早瀬。
そのシミ一つない肌を見ながら、俺はアルスハリヤの手口を悟る。
そもそも、送信済みメールを消せば証拠隠滅出来るのに、先生に送ったメールだけ残したのは、他にもあるという可能性から意識を逸らすためか……! 姑息にも程がある!
さらに質が悪いのは、現時点で、他にも削除された送信履歴が存在する可能性が浮上したことだ。
あの野郎、一体幾つ仕掛けやがった……!
正直、ミレニアムに入学する程度なら、大きな問題じゃない。単に、今後俺が挟まらないように気をつければ良いだけ……しかし、誠に遺憾だが、この魔人とも長い付き合いだ。この程度であのクソが満足するとは思えない……!
奴の次の手を見破るべく思考を巡らせる俺をよそに、時計の針は進む。
「そうだ、二人ともシャーレの部員として登録しておいたよ。このビルに入る時に使うから、一緒にこれも持っておいて」
そう言って、先生からカードのようなものを手渡される。
「あと、これはヒイロに割り当てた部屋の鍵にもなるから」
「ん? 部屋?」
「シャーレの居住区に移るって話だったでしょ? あの子にも渡しておいたから。とはいえ、その、程々にね? いくら恋人同士でも──」
「恋人ぉぉおおお?!」
「うるさっ……って、どういうことよ! 私、そんな話聞いてないんだけど!」
「あ、あれ違った? ヒイロからの事前連絡もあったし、本人も喜んでたから……」
「とにかく、まずは確認しに行くわよ。先生、また後程お伺いしますから、今は失礼します!」
「場所は……」
「シャーレの構造は把握済みなので、鍵の番号が分かれば十分です!」
何が何だか分からない俺を置いて、慌ただしく事態が動く。
早瀬に引っ張られ、到着した部屋の扉が開いて──
「お帰りなさいませ、あなた様♡」
──俺の新しい住居に、エプロンを着た狐面の少女が居た。
「な、なんで災厄の狐が!」
「あらあら、あなたは……あの時の連邦生徒会の子犬ちゃんですか。この先はヒイロ様と私の部屋。部外者はお引き取りください」
「ふ、ふざけないで! 今にでもヴァルキューレに突き出してやってもいいのよ! だいたい、何の権利があってそんなことを言ってるのよ!」
「ヒイロ様から連絡がありまして……あぁ、どうにか直接、この溢れる想いをお伝えしたいと思っていましたが……まさか、あなた様から私を受け入れてくださるなんて、夢のようです……!」
ぎょっとした顔で、俺に振り向く早瀬。
狼狽えながら、俺は無実を主張する。
「知らない知らない! 俺は知らないぞ……!」
「そんな、お戯れだったというのですか!」
「いや、そ、そういうわけじゃなくて……」
悲痛な声に、思わず呻く。
俺は百合の守護者だ。ゆえに自身を男だと認識しながら、恋人紛いの同棲など許せる訳がない。しかし、己の信条を優先し女の子を悲しませるのも、間違いだ。
彼女を否定して百合を押し付けたところで、それは偽りでしかない。
だから、俺は彼女の想いを否定できない。
だが、受け入れれば、俺の脳は破壊される。
「……」
「……」
「……」
おかしくないか。なんで俺は新たな百合世界に来たはずなのに、脳を破壊されそうになっているんだ?
「何、簡単な話だ。この世界でも婚約者ごっこを始めれば良い。むしろ、百合の可能性がある早瀬ユウカに恋人の関係を見せつけつつ、そもそも君しか見えていなさそうなそこの少女を取るほうが、合理的だとは思わないかい?」
背後から俺の首に手を回して、諸悪の根源たるアルスハリヤが耳朶に囁く。
この窮地に追い込んだ仇敵にも関わらず、一理あると思ってしまう。
しかし、自己本位的な判断抜きに、狐面越しに伝わってくる縋るような想いを、そもそも俺は断れるだろうか。
「あーもう! ヒイロが知らないなら、只のあなたの思い違いでしょ。さっさと──」
「思い出したぁ! そういえば、身の回りのお世話をしてくれるメイドの代わりが欲しくて、丁度都合が良かったんだよね! 俺って、元三条家の御曹司だからさ!」
「な、何を……?」
「ふふっ……お任せください。不束者ですが、よろしくお願いしますね。ささ、ではどうぞ中へ」
先程まで悲しそうだったのが嘘のように、明るい声で俺を部屋の中へ招く。
俺はそのまま連れられて部屋に入り、振り返って部屋の中から頭を下げる。
「すまん、ユウカ、すまん! 埋め合わせは今度するから!」
「ちょっと、相手は指名手配犯よ! 納得できるわけないでしょ! それに、私にはあなたの監督責任が!」
「頼むユウカ、そこを何とか。先生は許可してるみたいだし、俺も大丈夫だから。それに、こんなことを頼めるのはユウカだけなんだ!」
「うぐぅ……わ、わかったから! 頭を上げて! その代わり、何かあったら直ぐに連絡するのよ。あと今度、付き合ってもらうわ。それでいい?」
「ありがとうございます!」
「ほんと、こんなお願いを聞いてあげられるのは、私ぐらいなんだから……感謝しなさいよね」
「感謝してます! ユウカたん、マジ天使! 女神! 結婚して!」
「けっ、結婚っ……ふ、ふざけてないで、さっさと行きなさい!」
「あざーっす! 失礼しまーす!」
扉を閉じて、ずんずんと足音が離れていく。
どっと疲れが出て、ため息を吐くと、背後から耳元に声を掛けられる。
「最後までキャンキャンと煩い子犬ちゃんでしたね。あれではあなた様も迷惑でしょうに」
「心配してくれただけだ。悪く言うのはやめてくれ」
「も、申し訳ありません!」
振り向いて、至近距離にあった琥珀色の瞳に驚く。
「えっ、お面は……?」
「今はあなた様と二人っきり。私たちの関係に、遮るものなど必要ないでしょう」
彼女は妖艶に微笑んで──
至れり尽くせり。
「塩加減は大丈夫でしょうか?」
「大丈夫です。とても美味しいです。泣きたくなるぐらい」
「それは良かったです!」
愛情の籠もった食事に、俺は悲喜交交に涙を流し。
「シャワーですよね。お風呂も入れておきました」
「あ、ありがとう」
剣を振った後、いつも通り浴室に足を向けると、要領よく準備されていたり。
「お背中流しましょうか」
「うぉおおおお! 待てぇぇええ! 俺は自分で体を洗いたい! 俺を想うなら、俺に俺を洗わせろぉぉぉおおおお!!」
「そうですか? では失礼しますね」
脱衣所からの声に全力で叫んだり。
「なあ、狐坂は──」
「ワカモ、とお呼びください。あなた様との間であれば、名前の距離すらもどかしいのです」
「お、おう」
名前呼びになったり。
そのまま就寝の刻まで辿り着き、俺は恐怖する。
何の不満も漏らさず、甲斐甲斐しく世話を焼く狐坂に、今更、脂汗が全身から噴き出る。
これが毎日続いたら、俺はダメ人間になって死ぬ……!
前の世界で同棲していた、偽装婚約者のメイドも大概気が利いた。
しかし、主人を敬う気がゼロな上、ジュラ紀に生まれ持った暴力性を備えていたため、脳には優しかったのだ。最早あの暴言が懐かしい。
現実逃避のように過去に耽る間に、仲良く2つ並べられた布団の上。
素の身体能力の差と魔人の妨害により、俺はろくな抵抗もできぬまま、頭を太腿の上に固定されてしまう。
「ふふっ、私、今日はあなた様と居られて、とても素敵な一日と成りました」
垂れ落ちた黒髪が頬を擽る。
腹筋を使い平行移動を試みるも、追尾式膝枕に完全敗北した俺は、内心泣きながら、後頭部の柔らかな誘惑と戦う。
「この胸を焦がす熱い思いも、今は穏やかに染み渡るような幸福感となり、それを知った今はもう、破壊だけでは満足できないと、そう、確信を持って言えるのです」
たおやかな笑みを浮かべ、上から覗き込んでくる彼女の色香に、頭が朦朧としてくる。
艷やかな唇を震わせて、彼女は続けた。
「改めて、これからもお傍で控えることを、許してはいただけないでしょうか……?」
その瞳に映る三条燈色を見て、百合の欠片もない現実に、俺の視界が歪む。
このままでは、いつ俺が耐えきれなくなり、本当に百合の芽を潰してしまうかも分からない。
だが、この空気で明日から来るなって、言えるか……?
言えるわけねぇだろ(絶望)
「イイヨ」
「あぁ、あなた様……! 感謝いたします!」
雰囲気を台無しにする魔人の笑声が響き渡り、俺は心頭滅却を合言葉に、心を無に帰する。
布団の中。二つあるのに、片方しか使われない不条理が横行し、そっと寄り添われて、俺はやはり見慣れない天井を仰ぐ。
どうすれば回避できたのか、そもそも回避できなかったのでは。とりあえず、アルスハリヤは後で◯す。
そんな事をぐるぐる考えながら、俺は夜を明かして。
日課の朝の鍛錬を終わらせてシャワーを浴びた俺は、濡れた髪を乾かさずに出歩くところを丁寧に拭かれる。
そのまま用意された朝食を囲んでいると、扉がノックされた。
目にも留まらぬ速度でお面を装着する彼女を脇目に、俺は来客に扉を開けて──
「ユウカか。おはよう。なんか用?」
「なんか用ですって? 今日からセミナー所属なんだから、私が色々教えてあげる必要があるでしょ。さっさと準備して行くわよ」
早瀬が部屋に踏み込もうとして、音もなく現れた狐坂がブロックする。
「あら、プライベートを覗こうとするなんて、常識がなっていませんね」
「……ふーん、早速身内気取りでいるみたいだけど、単にヒイロの優しさに付け込んでるだけでしょ」
「負け犬の嫉妬は見苦しいですね。ヒイロ様は私がお見送りしますから、あなたは外で独りお待ちになれば宜しいかと」
「なっ、嫉妬とかじゃなくて、心配なだけよ! 私には監督する責任があって、ペットの躾がなってないから、忠告しているの!」
「そうですか。でしたら、単なる同僚でしかないあなたに、尚更口を出す権利はないのでは?」
「そ、それは……!」
「ユウカ、行こう! 俺このまま行けるから! だから、行こう!」
顔を赤くして反論する早瀬の前に慌てて割り込む。
長年の勘が叫んでいる! このまま放置すれば、俺にとっても良くない展開に引きずり込まれる……!
口論を止めた俺は、甲斐甲斐しくお弁当やらを持たされて、見送られる。
そして、不機嫌さを隠しきれていない早瀬の一歩後ろを付いて行った。
「ちょっと、何遠慮してるのよ。別にあなたに怒ってるわけじゃないから、昨日みたいに隣に来なさいよ」
「そ、そう……じゃあ失礼して」
そんなやり取りを挟みつつ、ミレニアムサイエンススクールへ二人で向かい、到着する。
俺は正面にガラス張りの自動ドアを捉え、天へ伸び、鏡のようにその側面に青空を映す摩天楼を見上げた。
結局のところ、アビドスには三人しか居なかった。学園生活といってもかなり特殊なパターンだったと言える。
しかし、今日からは、キヴォトスの三大学園の一つであるミレニアムでの生活が始まる。鳳嬢学園も巨大だったが、目の前のビル群は学園というよりも都市に近い。
立ち止まった俺はまだ見ぬ百合に思いを馳せて、笑う。
ココから──学園編、スタートだ。
一人の百合好きが膝枕の上で絶望していた頃。
「彼が新しくセミナーに入った生徒ね」
ごく一部の人のみ知る部屋で、長い黒髪の少女がタブレットのデータを確認していた。
調月リオ──ミレニアムの生徒会長にして、ビッグシスターとも呼ばれる彼女は、その傍に控えるメイド姿の金髪の少女、飛鳥馬トキから調査結果を聞く。
「早瀬ユウカが手を回したようです。賞金稼ぎとして過去行動しており、美食研究会や便利屋68とも関係を持っています。アビドス以前の経歴は完全な空白。特筆すべきは、銃を扱わず不可解な術を用いること。キヴォトスの外から来たとの信憑性も高いでしょう」
「そう、不可解な術というのが気になるけれど、見たところ企業や学園の関係者でもなく、あくまで個人。注意するような相手ではなさそうね。暫くは定期的な監視だけでいいわ」
「了解しました。次に、昨日誰もいない廊下で、這いずり回るような音や『ンフッ』という人の声を多くの人が聞いたと噂が流れていますが」
表情を変えずに告げられた、謎の怪奇現象にリオは眉を僅かに曲げる。
既に大人のような貫禄を身に纏う彼女は一瞬思考して、特に重要でもない情報と判断し、頭から追い出した。
「……本当かもわからない幽霊はヒマリに任せなさい。それよりも、彼女の様子はどう?」
「ゲーム開発部で夜を明かした後、シャーレの先生と共に廃墟に再び向かったようです」
「連邦生徒会長が指名した大人……考えが読めないわね」
手元でタブレットを操作し、廃虚の中でオートマタと戦闘しているらしき集団が映る。
その中でも、透明感のある黒髪を揺らし体躯を超えるレールガンを放つ少女と、頭一つ背が高く目立つ大人の女性を見つめて、彼女は目を細めた。