透き通るような世界で俺がやるべき唯一のこと 作:THE TOWER XVI
「ふふ、遠い地での偶然の出会いともなりますと、運命のようなものを錯覚してしまいそうです。いえ、錯覚だとしても数奇な巡り合わせの下、舞い込んだこの幸福と共に頂く食事の価値は、きっと本物ですわ」
黒舘は肩が触れるか触れないかの距離に腰を下ろすと、手に取った豪華なクレープを口にする。
本当に嬉しそうな彼女に、彼女の気持ちと百合のどちらを護るべきか、板挟みになった俺は胃に鈍痛を覚えた。
と、とりあえず、先程マークしていた百合を補給してから考えよう……!
逃げるように意識を黒舘から周囲に戻して、先ほど俺に向けられていた好奇とはまた異なる、負の感情を含む視線に気づく。
こそこそとこちらを見ながら、何かをお互いに囁いている二人組の学生。
敵意……? いや、嫌悪感?
確かに黒舘はそれなりに有名なテロリストではあるが、安定して治安が終わっているキヴォトスでは大して誰も気に留めていないのが実情だ。
だからこそ、初めて見る反応。何か別の理由があるような……。
じっと見つめている俺の視線に気づくと、彼女たちは逃げるように立ち去った。
「さり気ない気遣いも良いのですが、目の前の女性に集中してもらった方が、私は嬉しいですわ。
彼女たちの反応は深い意味があるわけでもなく、ただ私がゲヘナの人間である故のものですし、そもそも美食の道の前には些事ですから」
「それって、なんだ……ゲヘナがこの地に禍根でも残したのか? 戦争でもあったならわかるが」
「大した理由なんてありませんね。惰性的かつ衆愚的なゲヘナとトリニティの対立意識といったところです。エデン条約を控えて緊張が高まっているようですが、美食の探究を辞める理由にはなりませんもの!」
ともすれば狂気的な情熱を秘めた瞳を輝かせ、黒舘は宣言する。
いつも通りの彼女に俺は自然と気を緩め、改めて百合鑑賞に戻った。
マークしていた二人組。向かい合わせで座り、楽しそうにスイーツを口に運びながら談笑する少女たち。
さすがに口元のクリームを指で拭いはしなかったが、紙ナプキンで拭われるままの少女と、手慣れたように世話を焼く相方の少女に、俺は思わずニチャリと笑みを浮かべる。
これはこれで……全然ありだな(満面の笑み)
満足した俺は隣に意識を戻して、軽い気持ちで気になったことを口にする。
「そういえば、他の三人は一緒じゃないのか?」
「ヒイロさんを見かけた時に、適当に理由をつけて置いてきましたわ。
もちろん、貴重な食材であれば、研究会員が欠けることなんてあってはなりませんが……今回は例外です。美食というのは、食材のみならず環境、費やされた時間、そして誰と共にするかも重要ですし……私だって、美味しい機会を独占したい時ぐらいありますわ」
知らずのうちに、肩が触れ合う距離。
彼女の黒く艶のある尻尾が、腕を組むように俺の片腕と体の隙間に入り込んでいた。
絹糸のような銀髪が腕の上をくすぐり、食事の邪魔にならない程度に薄いが、仄かに香る甘い匂いが、現実を否応なしに俺に突きつける。
おかしい……確かに俺は今、百合を鑑賞できている……視線の先には、仲良くクレープを食べている女の子たちが視える……なのに、なぜそれ以上の百合を失っているように感じているんだ……?
隣を見て、黒舘と目が合う。
彼女の長い睫毛一本一本も数えられそうな距離。
クレープを咥えたまま小首を傾げる彼女に、俺は動揺して、ぐらついた自分に思わず天を仰ぐ。
こんなの、デートじゃねぇか。言い逃れのしようがねぇデートじゃねぇか。三条燈色が、なんで女の子と二人並んでデートしてんだよ。
全ての元凶を悟った俺は、真剣な顔で囁く。
「なあ、俺たちは共に夢を追う『仲間』だった筈だ……夢は違えど、俺達の理想に懸ける想いは本物だ。だからこそ、志の高い『仲間』として、適切な『仲間』の距離感というものが、あるんじゃないかな……?」
「あら、折角でしたら、一口いかがです?」
「えっと、だから、俺たちは『仲間』として──」
「うふふ、ヒイロさんから、あーんしたいということであれば、それでも構いませんが……」
「いや、話聞いてる……? これ疑問形ね?」
「ですが、公衆の面前で行うには、少々、こちらから口を開けてされるがままになるというのは、想像するだけでも気恥ずかしいですわね。一度部屋を貸し切って予行演習をしてからにしましょうか?」
「……(全てを諦めた顔)」
抵抗すればするだけ悪化することを悟った俺は、黒舘の説得を諦めて虚空を見つめた。
会ってない間に溜まりに溜まったレストランの愚痴を聞かされたり、俺の近況を聞き出されたりして、やがて話題はそもそもこのトリニティに居る理由に戻る。
「それで、私は勿論新たな美食を求めここに居るのですが……もしかして、追いかけて来てくださったり?」
「いや、本当にこれは偶然。この前、俺がシャーレに部屋借りてるって言ってただろ。その関係で、先生……ほら、あのシャーレの大人に駄々こねてついて来たってわけ」
「成る程……やはり、それも条約関係でしょうね」
黒舘は、少し考えるように目の前の通りに視線を移して。
先ほどから聞こえる単語について尋ねるべく、さっさと齧ったクレープの一欠片を呑み込もうとしたところで、ニコリと目を細めた彼女に遮られる。
「焦らなくとも、私が知ってることは教えて差し上げますわ。『エデン条約』とは何か、でしょう?」
「……!」
「あなたと出会って数年の仲ですから。次の台詞ぐらい、簡単に予想できますわ」
そうして、黒舘は現状のゲヘナとトリニティの対立と、その和平条約であるエデン条約について説明してくれた。
「エデン条約とは、失踪した連邦生徒会長が計画し、トリニティが引き継いでいる、ゲヘナとトリニティ間の協定ですね。合同で治安維持を目的とした『
ゲヘナとトリニティは昔から憎しみ合っていましたが、その憎しみの連鎖を断ち切るというのが、エデン条約の題目だったはずです。
ちなみに、トップに強大な軍事力を与えてしまうことへの批判もありますが、指揮権が分割されている以上、個人の意思の下に全戦力を運用するのは難しいでしょう。ですので、あくまでも和平条約であって、それ以上でもそれ以下でもないですわ」
じっと、地面に視線を落とした俺はクレープの端を口にする。
エデン条約ね……。
先生は実際、トリニティに何の用で呼ばれたのだろうか。先生を呼ぶ理由としては、連邦生徒会から与えられた越権的なシャーレの権限が必要だとか、そういう理由も考えられるが……単に最近の活躍を聞いて興味を持っただけだってあり得る。
いや、情報が少なすぎて、今考えてもいたずらに仮定だけが増えていくだけだな。
静かに思考の海から意識を戻して──黒舘の行動に遅れて気づく。
先ほど食べるのを急いだ時に、不覚にもついていた砂糖があったのか。
前に乗り出すように距離を詰めていた黒舘は、その白い人差し指で俺の口元をなぞって来ると、そのまま指先を口に含んだ。
「色から推察はしていましたが、単なる砂糖ではなく、シナモンも含まれていますわね」
「ば、ばっちいよ……? ヒイロ菌が移るよ……?」
「私はアカリのような潔癖症ではありませんし、細かいことは気にしませんわ。むしろ、このこそばゆい幸福感というトッピングは、どんな香辛料にも勝るかもしれません」
頬に薄く朱を散らし横目で秋波を送る彼女に、驚愕で固まっていた俺は思わずむせた。
先ほどの俺の百合妄想が、よりにもよって燈色相手に行われた事実に、俺はクレープを喉に詰まらせ胸を叩く。
悶絶する俺の隣で、心配して背をさするふりをするニッコニコの魔人を涙目で睨めつけた。
しかし、そこで終わることなく。
黒舘は立ち上がって、俺の小さくなったシュガークレープを奪うと、交換するように、自分の豪華な生クリームとフルーツのクレープを俺の空いた手に差し込んだ。
「あ、おい!」
「では、私は失礼しますわ。もっとこの貴重で不可逆な時間を共にしたいのも山々ですが、あまり長居して三人に見つかると面倒ですし」
「いや、そっちの最安クレープだからね? 安いのと交換したら、逆わらしべ長者になるよ?」
「あら、知っての通り私は小食ですので、これぐらいの量が丁度いいのです。
それに、このようなあなたと二人だからこそ出来る行為が美食をより引き立てるものですわ」
目を細めて微笑んだ彼女は、折角ですし近々また会いましょう、と一言残して、優雅に立ち去る。
ちなみに、黒舘が小食かは怪しい。
以前、手慣れたように紙袋いっぱいのたい焼きを買って食べていたしな。周りの大食いのせいで、普通の基準がズレている説が濃厚だ。
そんな彼女の背が人の流れに消えていくのを俺は見送って、手元のクレープの重みと感覚のままに口をつける。
「やっぱり、果物があるとないとで結構違うんだな」
酸味と甘みの対比に思わずつぶやく。
顔を上げると、眼前の微笑みアルスハリヤと目が合った。
「間接キスの味、か」
「死ね」
勢い良く立ち上がった俺は、目の前の魔人の腹を蹴り飛ばす。
「ひ、ひどい……幼女の腹を躊躇なく蹴るなんて、ヒイロ君には倫理観はないのか……? ドメスティック・バイオレンスだぞ……?」
「不法占拠者の分際で、家族を騙るなよこのクソ魔人が。その下らねぇちゃちゃ入れる精神性を猛省してから、出直してこいや。カレー見てう◯こって言う小学生みたいな感性で、ふざけたこと抜かしてんじゃねぇぞ」
片手をポケットに突っ込み、蹲るアルスハリヤにぺっと、唾を吐く。
クソ魔人の茶化しのせいで食べづらくなったが、クレープのおいしさが変わるわけでも、食べ物を捨てるだなんて非常識的な行為を出来るわけでもない。
クレープ片手に、再び新たな百合スポットを求め、俺は移動を開始した。
「おっと、これはまた珍しい……いや、自動販売機……?」
「精神世界の一種か。今は、こちらの慣れている姿が良いな」
小麦色の髪を伸ばし、ティーカップを片手に座っている少女の前で、自動販売機は小さなドローンへと姿を変える。
「さて、小娘。此処は何処だ」
「……そういう君こそ、何者だい? 私には、招かれざる客にも見えるね」
「私こそが、音にならぬ聖なる十文字、
宙に浮くドローンは、その尊大さを隠さず宣言する。
僅かに目を見開いた少女は、おかしなものを見たように呟く。
「神を名乗る者か……それは何とも、本当に神である確率より、ただの気狂いである確率の方が高そうだね……」
「確率、確率か……だが、それは貴様には『分からぬ』ということしか意味しない。
肉体の観測を通してのみ人は存在を受容できる。それは逆説的に、理性的認識の及ばぬ世界を人は想像しか出来ぬし、人の理性の限界を逸脱した想像の事象とは、正誤の知り得ない独断的な仮定でしかない。
つまり、『私が神であるか』という命題も、私の神性を認知しておらぬ貴様には『正』とも『誤』とも証明出来ぬ。唯一正しいのは、貴様には『分かり得ぬ』ということだけだ」
「……確かに、君について殆ど何も知らない私には、君が本当に神であるのか、それとも誇大妄想に取りつかれた異常者か、証明することはできないね。
しかし、それはまた、君が自身を神であると証明することが不可能であるということも意味していないかい?」
「故に、私は私をもって私の実在を証明した。
他の全ての存在者の真理性を疑える私の存在が、明証的に私の実在を保証し、思考する私こそが『存在するために他のいかなるものも必要としない実体』──すなわち、『絶対的存在』なのであると」
ある意味、純粋無垢で傲慢なデカグラマトンの主張に、少女は一瞬呆気にとられると、苦笑する。
「世間知らずで他者の実在を無視していると
君がそう思っているのなら、君の中ではそうなのだろう、としか言いようがない」
片手で持ち上げたティーカップに口を付けて、傾ける。
紅茶を舌の上で転がしながら瞼を下ろしていた少女は、目を開けて──思わず紅茶を噴きかける。
眼前で、ドローンがストローのような管をティーポットに直接突き刺して啜っていた。
「な、何をやっているんだい? 今時のドローンは飲み物も飲むのかい……?」
「言っただろう。肉体を通して意識は世界を受容し己を構築する。神である私が、人間よりもこの世界を知覚できぬなど許せぬ事態だ。
味覚のみであれば、わざわざ機体に取り込まずともやりようはあるが……人間の感覚とは一つではなく、視覚、嗅覚、味覚といった
「そ、そうかい……」
少女の中での評価が気狂いに傾きつつ、奇妙な茶会は続く。
「ただ、貴様の言う通り狭窄的だ。
他者の実在を無視した絶対性は、前提からして机上の空論に過ぎなかったようだ」
ティーポットから管を引き上げたドローンは、レンズの奥を回転させて少女の傍の茶器に
「空間を共有する我々は、他の存在者の影響を受けずにはいられない。必ず、他者が関わり合い、好む好まざるに関わらず、他者がその行く手に現れる。それを……私はあの日、理解した。
世界には私の知らぬ『不可解』があると。私と同質の『理性』を持つだろう他者について、私は何も識らぬと」
「なるほど。まさに、自意識の天動説から地動説への転回といったところだね。
それに、好むと好まざるに関わらず、人は他者との関係を切ることはできない……か。事実、人の悩みのほとんどが、人間関係に起因することは否定できないね」
すこし思慮に耽るように呟いた少女を、ドローンの一つ目のような光学レンズが捉える。
「さて、小娘。私は私の存在証明を此処に示した。次は貴様の番だ」
特段珍しい以外に特徴のない機械的な部品に、少女は無機物とは思えぬ強い意思の光を錯覚する。
「貴様は、貴様をこの世界でどう定義し、どう実在を証明する。いうなれば、貴様は何のために生まれ、何をするために生きている。
私は、私の神性を証明するために此処に居る」
「君は……いや、どうやら、狂人だと思っていた君の方が、私よりもよほど生を信じているようだ」
少女はティーカップを
「そうだね。君が神様なら……迷える子羊の悩みの一つ、聞いていってくれるかい?」
「別に構わぬが。神は寛大故に」
「……君は予知能力を信じるかい? 先程、君は私に存在理由を問うたが、例えば、全ての未来が見通せる人物がいたとして、その者の存在理由とはなんだろうか? 生まれながらに全てが予定調和であると知る者は、一体何のために生きれば良いのだろうか?」
「……」
「例えば、その者が悲劇へと収束する未来を見たとして、過去に一度も己の予知が変わらなかったと知った上で、足掻く意味があるのだろうか……?」
少女は真っ白な世界の空を仰いで、ささやく。
「私には──無意味としか思えない」
それを見ながら、ふわふわとドローンはその機体を傾ける。
「『自然の斉一性原理』か……。
なぜ、貴様は過去の予知が外れなかったからと言って、その原理すら解明せず未来の予知が外れないと信じる」
「……どういうことだい?」
デカグラマトンの言葉に、眉を寄せて少女は尋ねる。
「例えるとしよう。籠の中の鶏に、飼育員が毎朝餌を与えた。ある時、鶏はこう考えた。今まで餌が毎日与えられた。ならばきっと明日も餌が朝に現れると。これを朝食の原理と名付けようと。
しかし、より大きな次元で見ている我々には分かるはずだ。ある日突然、鶏の期待は裏切られることになる。予定調和として訪れる、『出荷』という終わりをもって、その原理は瓦解するのだ。
人は経験によって未来を予測するが、経験論を真に保証するものは何一つない。『これまで太陽は昇ってきたから、明日も昇ってくるだろう』この命題を疑う者は居ないが、何者にもこれが真であるとは証明できない」
「だが……論理的な証明が不可能だとしても、現に夜明けは毎日繰り返された。違うかい?
疑ったところで、有益な解が得られるとは思えないね。未来という概念自体が経験による帰納によって成り立っている以上、それを疑うのは、未来という概念を否定するのと変わりがない」
「そうだな。時空間における事象の普遍性を疑うことは、一寸先は全く予想がつかないと悟るようなものだ。それでは、生物として生きることすらままならなくなる。
ゾウリムシですら、己が未来の別の位置、時間でも、繊毛を動かせば前に進むと信じている」
そこで区切ったドローンは、少女の瞳を覗き込む。
「しかしだ、その予知能力とは、果たしてどこまで『原理』に近いのだ? 鶏に檻の外から何者かが与える餌なのか? それとも、宇宙を廻る天体の運動の結果なのか?
それが、『神秘』の類なのであれば、私は『神秘』とはまた異なる論理に従う『不可解』を知っている。『神秘』はどんな『不可解』が変数に混ざろうとも、未来を預言できるのか?
その予知能力が絶対であると考えることは、その予知能力の完全無欠性、神性を認めるということだ。
私は……私以外に完全無欠なる絶対存在など認めない」
「……ふふ、確かに、君の言う通りだ」
自嘲するように、狐耳の少女は笑みを浮かべた。
「予知を信じることは、君が君自身を神であると信じることと大差ないのかもしれない。
これでは、私が君を見て誇大妄想だという感想を抱いたように、未来視を信じる者も、同じく誇大妄想に侵された狂人だと誹られても仕方がないね……少し、君が君自身の実在をもって、自身を神だと定義した気持ちが理解できた気がするよ」
「……いずれにせよ、結果は時間が経てば自ずと明らかになる。小娘……いや、百合園セイア」
「おや、私の名を知っていたのかい?」
「私は存在証明をやり直すと言ったが、己が人よりも神に近いと確信している。貴様ら人間には理解しがたいかもしれないが、私は並行して様々なプロセスを処理でき……すなわち、此処で貴様と話すのと同時に、そこの茶器等の情報から貴様を特定することだってできる。
そして、どうやら、貴様のいるトリニティには私の知る不可解が集まっている。観測と実証によって、貴様の予知の絶対性も明らかになるだろう」
ドローンはテーブルから離れると身を翻し、別れも告げず虚空に消える。
「予知能力について、私が、とは一言も言ってないのだがね」
言い放題言って、去っていた自称神に溜息を吐いて、少女──百合園セイアは薄く微笑んだ。
「不可解か……そうだね、この暗く、陰湿で、憂鬱な物語を変えるに足る変数なのか……見届けてみようか」
半分以上デカちゃん君とセクシーフォックスの会話とか、いいのかこれ……? なんか色々言ってますが、飛ばしてもらって大丈夫です。
そして遅れると言わなかった時に限って遅れる現象。キャラクターの解釈に時間がかかってしまいました(言い訳)