透き通るような世界で俺がやるべき唯一のこと 作:THE TOWER XVI
「……よくよく考えてみれば」
布団の中、俺は難しい顔で呟く。
「俺は百合IQ180だ」
「何を言っているんだ、君は?」
意識の混濁を経て、いつの間にか窓からは夜空と月明かりが覗いていた。
電気も消され、薄暗くなった病室は、数時間前の賑やかさが嘘のような静謐さに満ちていた。
「全ては、魔人が仕組んだ策略のせいで、俺は何も間違ったことはしていなかった。つまり、魔人が諸悪の根源であり、俺自身は依然として百合IQ180であることは疑いようがない。
……良かったぁ。俺は百合IQ180なんだね」
「だ、ダイナミック責任転嫁……」
慄くアルスハリヤを無視して、俺は安堵する。
それに、問題ない。俺にはなんと言っても、聖園と桐藤の百合が残ってるからな。
むしろ、ミカナギという希望があったからこそ、少女に布団の中でサンドイッチされるという地獄も、俺は堪え忍ぶことができたと言っても良い。
数百メートル先から仲直りイベントを観測する。
それが今の俺の、崇高なる目的だ。
今日、聖園も普通にここに来ていたが……おそらくデカグラマトンがきちんと仕事をしてくれたのだろう。
もし、トリニティ襲撃の黒幕なり被疑者として扱われていたら、今頃どこかしらに監禁なり監視下に置かれているはずだ。彼女が自由に動けているということは、無事、今回の襲撃の原因はアリウスに帰されたのだろう。
自称とはいえ、流石は神だ……どこぞの、一緒にいるだけで俺の百合IQが下がり続ける
そもそも聖園があの場に居たことを知っているのは、俺と神とアリウスだけだからな。
代わりに、工作によって電源が切れていたり別の方向を向いていた筈の防犯カメラが、何故か再起動して、そこに映っていた襲撃の一部始終も今頃は各方面に流れているだろう。
本来なら全ての罪は聖園に被せて、自分たちは姿を消して地下にまた潜るつもりだったんだろうが……結果は、聖園は舞台に上がらず、この通りだ。
聖園には悪いが……証拠がない上に、彼女を首長として担ぎ上げているパテル派にとっても都合が悪いとなれば、彼女が後でいくら自分が黒幕だと主張したところで、何処まで真面目に取り合ってくれるかな……?
白洲が言っていたようにアリウスに騙されたのも事実。やろうと思えば、アリウスに手を差し伸べたが裏切られたなんていう、慈愛に満ちた美談にだって出来る。
仮に、百合園セイアの襲撃事件を手引きした事を告白したところで、元から療養中として
クックック……相手が悪かったな。こっちは、百合IQ180とキヴォトス未曾有の災害の最強百合百合コンビだぁ……。
大人しく、桐藤と仲直りしてティータイムでも楽しむんだな……せいぜいお前は、テーブルを囲んで幸せそうに談笑してるのがお似合いだぜ……。
己の手掛けた惚れ惚れする百合包囲網を思い返し、俺があくどい笑みを浮かべていると、アルスハリヤが話しかけてくる。
「ヒーロ君、ヒーロ君」
「なんだよテメェ、俺の大事なお一人様タイム邪魔してんじゃねぇぞ」
「いやはや、案外気づかないものだと思ってね。それもそうか。人間の脳というのは、常に現実ではなくその解釈を見ているからな」
ニヤニヤと口角を上げたアルスハリヤは、浮かんだまま下を指さした。その先を見ようと半分起き上がった俺は、左腕に纏わりつく温かな感触に固まる。
左下。布団に、あからさまな、ふくらみがある。
「……」
俺は無言で捲って、眠そうに目をこする有翼の少女は俺を見つけるとふにゃりと笑う。
「ぅぅん……あは、ヒイロだぁ……おはよ……」
「……(布団を静かに戻す)」
明らかに俺のせいで起こしてしまった彼女の上に布団を戻して、俺は頭を抱えた。
「わぷっ、戻さなくてもいいのに……もう……」
もぞもぞと動いて、顔を出した聖園は窓に視線を移す。
「あれ? まだ夜かぁ……」
俺の左手をロックしたまま、未だ月が支配する薄暗い世界に呟く。
ごく自然に布団に潜り込んでいる彼女に、俺は平静を保ちながら口を開いた。
「あ、あの、なんでここにいるの……? 門限とか無かった……?」
「なんでだろうねぇ……?」
まだ寝ぼけているのか、甘えるように聖園はささやく。
下ろした髪も相まって、どこか幼い雰囲気を纏った彼女は、とろんとした瞳で俺を見つめていた。
脂汗が額を伝って──上体を捻った俺は、彼女に背を向けて視線から逃れた。
震える右手で、垂れ落ちる冷や汗を拭う。
だ、大丈夫だ、まだ慌てる時ではない。俺には、約束されたミカナギが……ミカナギが待っている筈なんだ……だ、だが、待てよ……? 聖園がここにいるってことは、それって、聖園と桐藤の百合に挟まってないか……?
心臓に鋭い痛みが走り、呼吸を荒げた俺は、ガクガクと震える体を落ち着かせようと必死で呼吸を整える。
そんな俺の様子に、聖園は無視されていると思ったのか、頭を俺の背中にぐりぐりと押し付けてきた。
じゃれついてくる彼女に俺は苦悶の表情を浮かべて、耐え忍ぶ俺に効果が薄いと見たのか、今度は背後から抱き着いて来る。
「ほら、ヒイロが逃げるから悪いんだよ……? あっ、ヒイロの匂いだぁ……」
月明かりと近くの街灯だけが頼りの、薄暗い部屋で。
器用に翼も使って抱き締められた俺は、布越しにも伝わってくる柔らかな肌の感触と背中をくすぐる吐息に、思わず呻く。
脳裏を恐ろしい疑念がチラついて、恐怖に取り憑かれた俺は、己の手で百合を破壊してしまった可能性から必死に目を背ける。
「ぐ……ぐぉぉぉ……!」
ケラケラと笑うアルスハリヤの声を聞かされながら、百合が既に失われている可能性という恐怖と戦った。
こ、こうなったら、
俺はチャンスを伺いながら、耐え続けて、聖園が口を開く。
「……ねぇ、ヒイロ」
「ど、どうかしました……?」
「ありがとね……こんな私にも、何度も手を差し伸べてくれて……」
しみじみと呟く彼女に、すかさず俺は桐藤との仲直りについての話題を出した。
「気にすんな。桐藤とちゃんと話してくれたら、それで俺は満足だ」
「ふふっ、ヒイロは心配性だね……。もちろん、ナギちゃんとも話してみる。元通りの関係には戻れないかもしれないけど……」
「それなら、きっと大丈夫さ。俺だって幾らでも協力する。幸せにしてやるって言ったしな」
「そ、そっか。言ってたもんね……。うん……」
俺を抱き締める力が少し強くなって、聖園は顔を俺の背に埋める。
「でも、いいのかな……?」
不安に消えそうな声で、聖園は囁く。
「こんなに、私が幸せになって……だって、私は……私のせいで、セイアちゃんは……」
俺は、百合の守護者だ。だから、百合を信じてここまで耐えてきた。
当然、この先の百合を思えば、ここで感情のままに動くのは愚かな行為だが……それでも、その泣きそうな声を無視することは、俺には出来なかった。
俺は上体を起こして、回されていた手と翼を優しく退ける。
「ぁ……」
一瞬切なげな声が背後で漏れて、今度は向かい合うような姿勢で俺は再び寝転がった。
「そのセイアちゃんは、お前の不幸を願うような奴だったのか?」
驚くようにこちらを見る少女に、俺は問いかける。
「それは……」
彼女の揺れる琥珀色の瞳をまっすぐ見つめて、俺はあの時の言葉を口にする。
「どっちにしろ、言ったろ? 不運を自分の責任と勘違いして、自ら不幸になる気なら、何度だって俺が止めてやるって」
「……」
微笑んだ俺はそう断言すると、ただ黙って彼女は目を伏せた。
身を寄せてくる彼女を俺は抵抗せず受け入れて、静かに見守る。
理屈ではなく感情の問題だ。本当の意味で、彼女が自分を許せる日はまだ先の話だろう。
だが、そう遠くない未来の話だとも、俺は信じている。
──アリウスと和解がしたかったの。
例えば、彼女が全ての始まりの願いを叶えて、清算した時。
「なあ、お前が白洲を入れた理由、アリウスとの和解の為だったんだよな」
思いついたように口にする俺に、聖園が顔を上げる。
「そ、それは……でも、結局、夢物語で……」
「届かない夢だからこそ、人は手を伸ばすもんだろ? ミカなら大丈夫さ。桐藤や先生だってきっと協力してくれる。勿論、俺もな。未来の百合のためなら、いくらでも手伝ってやるよ」
目を見開く彼女に、俺は笑いかける。
「もう一回最初からやり直してみようぜ。今度はちゃんと、俺もお前の傍にいるからさ」
唖然と俺を見つめる聖園は、すぐには反応を返すことは無く……気づいたように顔を伏せると、俺の胸元に額を当てて頭を預けて来た。
長い沈黙の末、鼻をすすりながら彼女は何度も頷く。
「うん……うん……」
俺は穏やかに微笑んで、彼女のつむじから視線を外すと、病室の壁を見たまま胸を貸した。
「……どうして、あんなことしちゃったんだろう……ごめん、セイアちゃん……。ごめん……ごめんね。バカでごめんね……」
小声ですすり泣く彼女に、俺は聞こえないふりをしたまま目を瞑った。
いつの間にか、また夢の世界に案内されていたらしい。
習慣通り、朝日が昇りきる前に起きてしまった俺は、窓の外に赤紫の空を確認した。
掛け布団を弾き飛ばし、俺は起き上がろうとして──服の胸元に何かが引っかかっている。
視線を移して、俺の寝ぼけた
絹のような桜色の長髪に、きめ細やかな白磁の肌。小さな口と鼻を通して呼吸し上下する胸元が、彼女の確かな実在を主張していた。
輪郭を取り戻す思考。瞬間、脳裡を電流が走る。
愕然とした俺は勢いよくベッドの上を後退って、服を掴んで眠りこけていた聖園も思いっきり引きずられ、半分瞼を開く。
「あれぇ、ヒイロ……? あ、そっかぁ……一緒だったもんね……」
嬉しそうに表情を綻ばせる彼女を見て、俺を激しい動悸が襲う。
そ、そうだった! 俺としたことが、あの場で目を閉じたのを最後に、ぐっすり寝てしまったんだった……! 百合の守護者として恥ずべき、迂闊さ……!
だが、あの場では聖園を放っておくという選択肢も無かったし、この程度は許容範囲内の筈……! 桐藤との仲直りイベントだってあるし、アリウスとの和解だって、桐藤や先生を巻き込めば……そ、そうだ!
ついでに、全ての功績を桐藤に押し付けて、残った悪評を俺が奪うことも出来るじゃないか! これなら、手伝うとか大口を叩いておいて無能ムーブを繰り出す燈色君の株は大暴落……い、行ける!! 行けるぞ……! やはり、百合の女神は俺に微笑んでいる!!
落ち着きを取り戻した俺は、ふうと息を吐いて胸をなでおろす。
もぞもぞと布団を戻して、顔だけを出してこちらを伺う彼女に、笑顔と共に口を開いた。
「ま、まあ、兎に角、一旦ベッドから出ようか? あれは一時の雰囲気に流されただけで、やっぱり男女七歳にして席を同じうせずだからね。誰かに誤解されても困るだろ?」
「誤解……? ふふっ、別に、誤解じゃないと思うけどな~? それよりも、ヒイロもまだ傷が治ってるか分からないから、寝とかないと……ね?」
ベッドの隅で硬直する俺に、聖園は隣に空間を作って誘ってくる。
だが、どう考えても、百合IQ180が入っていいわけがない。
昨日のはあくまで桐藤との百合を想って、聖園の手助けをするという話で。その過程で止む無くというか、初めから聖園が潜り込んでいたため甘受しただけのこと……絶対に、自分から同衾するなんて選択肢は存在しない。
ど、どうすればいい? 俺は、一体どうすれば……?
選択を迫られた末に、俺はこの状況をぶち壊せる存在を思い出した。
「そ、そうだ! 神ィ! そういえば、対価渡し忘れてたよなぁ! ジャンクの
「漸く思い出したか」
「えっ?」
「ん?」
予想通り人参に釣られて自称神が姿を現したが……その場所は予想外の場所だった。
ひょっこり布団の中から単眼カメラ付きの白い球体が顔を出して、驚く聖園が距離を取る。
「そうだ、三条ヒイロ、一応昨日の件で補足しておこう」
「なんで……お前……えっ、今までずっと布団の中にいたの……?」
「な、何このドローン?! も、もしかして昨日の全部聞かれて」
顔を赤くして慌てる聖園を余所に、デカグラマトンは合成音声を垂れ流す。
「おそらく高確率で生きているぞ」
「うん……?」
「百合園セイアは生きているぞ。未だ人体の脳について未解明領域は多く存在している。さらに、意識は脳だけでなく身体全体の神経系や内臓も含めて構築されている可能性があり──」
「ストップストップ! 一旦、三行で要約して」
「現在のキヴォトスに人間の意識を複製するような技術は存在しない。故に、私が出会った百合園セイアの意識体はオリジナルであり、何処かにその意識を創出する肉体も存在すると考えるべきだ」
唖然とする俺達の前で、ドローンは何でもないかのようにそう告げた。