透き通るような世界で俺がやるべき唯一のこと   作:THE TOWER XVI

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真に深刻な哲学的問題(qu’un problème philosophique vraiment sérieux)

「……アンブロジウスか。太古の教義の……いや、しかし不完全……?」

「アン……何だって?」

「アンブロジウスだ。ちなみにユスティナ聖徒会と違い、戒律に縛られた存在でもない。当たり前だが」

 

 ドローンは平然と呟いて、俺は唇を曲げた。

 

「それって、トリニティもゲヘナも関係なく、俺達も攻撃対象ってことか……いや、じゃないとこうして残していかないよな!」

 

 目の前の怪物は、その左手を右肩の手前に溜めて、蒼炎が灯る。

 

 明らかな攻撃動作に、俺は引き金を引いた。

 

 目眩まし──(つが)えていた不可視の矢(ニルアロウ)を全弾撃ち放つ。

 

 鏃の雨に動きが鈍っている隙に素早く導体(コンソール)を付け替えると、布教空間(パーソナルスペース)からワイヤー射出機を取り出した。

 

「いつから、こんなものを……」

「ちょっと、失礼」

「えっ、な、なに?!」

 

 引き金(トリガー)導体(コンソール)接続──『操作:重力』、『変化:重力』──発動、重力制御(グラビティ・バランサー)

 

 戸惑う白洲を左手で抱き寄せて、ワイヤーを斜め奥の屋上へと射出する。

 

「飛ぶぞ!」

 

 反射的に白洲がしがみつき、鉤爪が引っかかると同時に空を一直線に飛ぶ。

 

 ほぼ同時に、化け物──アンブロジウスの左手が半月の軌道を描いて空間を薙いで、その先から放たれた複数の蒼い火球が地面で炸裂した。

 

 砲撃で歪んでいた道路がさらに蒼い炎に包まれる中、屋上に着地する。

 

 白洲から離れると、俺は建物の端に足を掛けて眼下の化け物を窺う。

 

 視界から消えた敵を探すように、アンブロジウスはゆっくりと首を回していて──

 

「どうする? といっても、錠前を追いかけたいよな?」

「それが理想だけど……でも、これを放っておくわけにもいかない……。まさか、一人でアレを止める気なのか……?」

「こう見えて、化け物退治は得意なんだよね」

 

 白洲に俺はニヤリと口角を上げて、手札を切ることを決める。

 

 元から、無機物と生物の違いなんて、文字通り死んでるか生きているかだけだ。俺以外に魔力を持たないこの世界なら、呪衝(スペルショック)も関係なく魔力線を通して切断できる筈。生徒相手は論外だが、化け物なら迷う必要もない。

 

「アルス──」

「三条ヒイロ、それは使わないほうがいい」

 

 だが、そこで頭上から制止の声が入る。

 

 頭に軽く着地したドローンが忠告する。

 

「少しとはいえ貴様の不可解の一部に触れた私になら分かる。貴様に見せてもらったそれは、確実に貴様の身を蝕んでいる。次開けば、その時点でどのような影響が身体に及ぶかも不明だ」

「いや、あれぐらいなら十五秒もあればお釣りが来る……」

 

 俺は反論しようとして、気づく。

 

 アルスハリヤが強制開眼について触れていた警句。

 

 『十と六の刻を経て、人ではなくなった』──刻を時間だと今まで解釈していたが、開眼時間は関係なく、まさか、回数なのか……?

 

「まあ、面白いものを見せてもらった礼だ。私に任せるがいい」

 

 ここに来て強制開眼に回数制限がある可能性に至り、思考に耽っていた俺に、神聖十文字(デカグラマトン)がレンズの奥を廻す。

 

「助かるけど……やれるのか?」

「誰に物を言っている。私は絶対的存在だぞ。この端末以外にも攻撃手段など幾らでもある」

 

 堂々とした物言いに、初めて会った時に超遠距離砲撃を仕掛けてきたことを思い出す。

 

 このドローン自体にあの化け物を倒す攻撃能力はなくとも、攻撃手段自体は他にもあるのか。

 

 納得した俺は、この場は有り難くデカグラマトンに任せて、錠前たちを追うことにする。

 

「こいつが対処してくれるらしいから、任せて俺達は追いかけようぜ」

「……戦場では見た目で判断しては誤る。うん、分かった」

「三条ヒイロ、くれぐれもそれは使わぬことだな。不可解を残したまま死なれては、私が困る」

「俺の価値は魔術だけかよ!」

 

 緊張感のない自分本位な台詞に、俺は口元を緩めて返して、白洲と共に錠前たちが消えた方向へと駆け出した。

 

 

 

 途中、ふと思い出して取り出した端末にとんでもない量の着信履歴が残っているのを確認し、慌てて生存報告を返信すること暫く。

 

 最後に、調月から人工衛星で確認できる限りの状況だけ聞いて、俺は一旦端末を仕舞った。

 

 個人の特定までは出来ないが、ある程度の大きさの兵器や部隊の位置は分かるらしく。

 

 現状、ユスティナ聖徒会を主力に攻勢を掛けるアリウスに、トリニティとゲヘナも混乱から立ち直らないまま押されているようだ。

 

 気がかりなのは、先生と空崎だが……場合によっては、一度先生との合流を目指したほうがいいな。

 

 それこそ、先生を脅威と見做していた理由があるはずで……唯一の大人、シャーレの権限……後は、自称神が度々気にかけている不可解なタブレット……いずれにしても、解決の鍵になる可能性がある。

 

 一人沈思していると、その場で白洲が立ち止まり、俺は振り返って彼女を見つめる。

 

「ごめん」

「なんで謝るんだ?」

「あの時助けてもらって、仲間のドローンも足止めに……今の所、私は足手まといだから」

 

 そう囁く彼女に、俺は空気を明るくしようと軽口を叩こうとして──遮られる。

 

「でも、手はある」

 

 そう言って、彼女は制御装置のついた長方形の物体を取り出す。

 

「以前セーフハウスで居合わせた時に、私がアリウス分校のスパイだったことは話したと思う。百合園セイアを暗殺する為にミカを騙して侵入したことも。

 その時、サオリから渡された道具、『ヘイロー破壊爆弾』がここにある」

 

 その物騒な言葉に、俺はピクリと眉を上げる。

 

 ──キヴォトスの人間は頑丈だ。

 

 銃弾を受けても『痛い』で済むため、この世界では死という概念が遠い。死を彼女たちはヘイローが壊れると表現するが、一般にヘイローを破壊するためには相当の時間と力が必要だ。

 

 そんな世界で、名前に冠する『ヘイロー破壊』が事実なら、それは凶器でしかない。

 

 それこそ、前世における銃のような──他者の命を簡単に奪える凶器。

 

「私が錠前サオリのヘイローを破壊する」

 

 顔を上げた彼女の顔は覚悟に染まっていた。

 

「私のせいだ。トリニティのみんなも、ゲヘナの人たちも傷ついて……セイアが昏睡状態になったのも、学園がここまで破壊されたのも……全部、私のせいだ。

 ヒフミ、それにハナコとコハルも、このままだとみんな危険になる。だから、誰かが止めなくちゃいけない」

「……昔の仲間なんだろ?」

「元々、『人殺し』が当たり前の場所で、それが出来るように教えられてきた……それが本当の私。最初から、ヒフミたちとは住んでいる世界が違ったんだ。私がサオリのヘイローを壊す以外に、この事態を止める方法はない」

 

 手にした人を殺せる道具を握りしめて、白洲は静かに呟く。

 

 ──『人殺し』が当たり前の場所、か。

 

 聖園を止めた時に遭遇した部隊だって、かなり統制のとれた、それこそ軍隊のように訓練された動きを見せていた。

 

 数百年前にアリウス分派が逃げ込んだ先が、地下墓所(カタコンベ)によって繋がるアリウス自治区なら、一体そこで何が行われているのか。

 

 錠前が口にしていた台詞。先生が計画の支障になると言ったという『彼女』。

 

 いや、そもそも黒服が触れていた。

 

 ベアトリーチェ──アリウス自治区を支配しているという人物。

 

 もし、黒服の言葉に嘘が無く、彼女が支配しているのであれば、当然、その支配下のアリウスは彼女が動かしていると見るべきだ。

 

 支配とは、他者を己の意のままに従わせることで。つまり、それが正しければ、憎悪を語る錠前の後ろにはベアトリーチェがいる。

 

 さらに、彼女がゲマトリアの一人、すなわち『外から来た』存在なら、アリウスの成り立ちも憎悪も当事者でない可能性が高い。何かしらの個人的感情に基づく同情でもなければ、彼女の目的は別にあると考える方が妥当で──

 

 視界の端の空。見覚えのある光点を捉え、口角を上げた俺は思考を中断した。

 

 白洲に意識を戻して、今も彼女が肌身離さず持っている人形が目に入る。

 

「その人形、ペロロ様だっけか?」

「うん、そうだけど……」

「阿慈谷とは補習授業部で一緒だったんだよな。以前、あいつから似たようなの見せられたからさ。ま、眼鏡じゃなくてチョコミントアイスで窒息しかけてるやつだったけど」

「そうか、ヒフミの知り合いなのか……。このカバは友達からもらった初めてのプレゼントだから……あと、可愛いから好き」

「……(ペロロ様って鶏じゃないのか……?)」

 

 予想外の単語に気を取られつつも、今までの真剣な表情を緩めて少女らしい笑みを零す白洲に、俺も満面の笑みを浮かべる。

 

 此処にあったのか……百合の芽よ……。

 

「ちゃんと、戻るべき場所があるじゃねぇか」

「だけど……止めるには──」

「世の中、たった一つの方法だけでしか解決できないほど綺麗に出来てないもんだ。むしろ、解答を作成する前に、問題を定義する所から始めなきゃいけないのが現実だ。

 錠前の挑発に乗ってあいつのヘイローを壊したところで、大団円になる未来は視えないな」

「……」

 

 俺に言われずとも、彼女だって錠前を倒したところで何の意味もないことは分かっているのだろう。

 

 白洲は黙り込んで、俺は笑う。

 

「ま、綺麗に出来てないからこそ、足掻く余地がある。こいつも帰って来たしな」

 

 彼女の背後の白い球体を顎で指して、聞き慣れた合成音声が流れる。

 

「私を待っていたのか? 三条ヒイロ」

「あの化け物は?」

「処理したぞ。あれは未完成品だな。古書館の地下の書物に記された情報以上のものは得られなかった」

 

 予想通り光点はドローンのもので、そのまま輪に入ってきた自称神に声を掛ける。

 

「OK、デカグラマトン! アリウスの侵攻を止める方法」

「アリウスの戦力はそのほとんどがETOだ。つまり、戒律の根源にしてユスティナ聖徒会の神秘を支えるあのカタコンベを、この星から消し去ればいい」

「アリウスが霞むレベルのテロ行為はNGで。もっと持続可能で環境に優しいやつで頼む」

物理的な破壊(ハードキル)が不可であれば、システム自体の破壊(ソフトキル)かクラッキング……もっとも単純な方法は、奴らがやったように上書きすることだ。小娘に戒律を捻じ曲げられて、我々にできない道理は無く……そもそもエデン条約の本来の主体はアリウスではなく、トリニティとゲヘナ、そして連邦生徒会だ」

 

 淡々と手段をドローンが提示して、こちらを見上げる白洲に俺は軽い口調で投げかける。

 

「とりあえず、戒律捻じ曲げるとこから始めてみない?」

 

 瞠目した彼女は、ぬいぐるみに視線を落とす。

 

 何度も口にしてきたように、淀みなく彼女は一つの句を呟いた。

 

全ては虚しい(Vanitas vanitatum)何処まで行こうとも全ては(et omnia)ただ虚しいものだ(vanitas)

 

 両手でアサルトライフルを構えると、俺に目を合わせて頷く。

 

「私たちはアリウスでそう教えられてきた。だから足掻く意味は無いと皆は言うけれど……私はそうは思わない。虚しいからと言って今日、最善を尽くさない理由にはならない」

 

 同じ覚悟でも、過去ではなく未来を見据える眼差しは違う。

 

 白洲の目には、既に希望の色が戻っていた。

 

「ありがとう。大事なことを、私は忘れていた」

 

 彼女の透き通った紫水晶(アメジスト)の瞳に、俺はニヤリと笑い返して、九鬼正宗の柄頭を押さえた。

 

「んじゃ、決まりだな」

「ちなみに、そのような態度に近いのは不条理主義(l'absurde)だ」

 

 ついでに、横から首を挟んだドローンが蘊蓄を垂れ流す。

 

不条理とは(l'absurde naît)人間の呼びかけと(de cette confrontation entre)世界の理不尽な(l'appel humain et le)沈黙との衝突である(silence déraisonnable du monde)。その名に不条理とあるが、これは世界を不条理であると嘆く悲観的虚無主義とは異なる。むしろ、世界を意味も目的もない虚無として受け入れた上で、自由と情熱をもって不条理に反抗する態度だ。

 即ち、永遠に岩を山頂に押し上げるような無価値な労苦でも、そこに喜びを見いだせればそれは不条理への勝利となる」

「血も涙もない機械のわりに、良いこと言うじゃん」

「知識の問題だ。私が不条理主義を語ったからといって、その主義に賛同していることを意味しない」

「でも、同じように考える人がいることを知るだけで、勇気づけられるものだと思う」

 

 純粋に感謝する白洲に対し、ドローンは黙ったままそっぽを向いて先を行く。

 

 時折見せる人間臭い動きに、俺は笑みを浮かべると白洲と共に追いかける。

 

「お前、なんだかんだ人間っぽいとこあるよな」

「……人間によって作られ、人間の言語と知識を基に思考する以上おかしな話ではあるまい」

「俺はお前のそういうとこ、結構好きだぜ」

「貴様は……。三条ヒイロ、さっさと古聖堂に行くぞ。そこの小娘は貴様が抱いて、魔術を使って連れてきた方が早い筈だ」

「あれ? 神?」

 

 本心半分、揶揄うようにそう言うと、ドローンはエンジンノズルを展開して宙に飛び出す。

 

 白洲と二人で置いて行かれて、隣から感じる視線にゆっくり首を回す。

 

「あの時のワイヤーを使った機動のことだな。んっ」

「いや、えっ」

 

 至って真面目な顔のまま、両手を広げて俺を見つめる白洲に固まる。

 

「高層階やヘリからの降下を想定し、似たような訓練は受けている。私は大丈夫だ」

「そういう問題じゃ──」

 

 百合学に基づき、俺は百合には直に手を触れないように心掛けている。

 

 当然、不要な接触は避けるべきであり、俺は別の解を見出そうとして──

 

「……ごめん、既に色々助けてもらっているのに厚かましい、よね」

「おんぶで、行きましょう」

 

 結局、眉と手を下げて悲しそうにする彼女に折れた俺は、白洲を背に乗せる。

 

 重力制御と下肢の強化を組み合わせつつ、少女の柔肌の温もりから逃れるように古聖堂へと急ぐことにした。

 

 

 

 

 

 

 

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