透き通るような世界で俺がやるべき唯一のこと 作:THE TOWER XVI
百合を失えど、水族館自体の魅力が失われるわけではない。
ワイワイ楽しんだ俺たちは、思い出の記録と意気込む梔子先輩に付き合わされ、キーホルダーを買ったり三人で写真を撮ったりして、その日を終えた。
その後、約束通り顔を見せながらも、朝が早いことを口実に接触を最低限に抑えつつ、俺は来るべき時のために鍛錬の割合を増やしていた。
朝5時。日課の掃除を終わらせた俺は、砂漠の端、砂に塗れた廃墟ビルの中で、柱の前に立つ。
魔力線。
膨大な魔力をコントロールするカギであり、魔力を持つ者は魔力線の型を持ち、自身の外へと伸ばすことができる。
アルスハリヤの魔力を制御下に置けているのも、この魔力線を構築し、その数と太さを調節すればそれぞれの管を通る魔力を一定に保てるためだ。
以前、まだアルスハリヤの魔力を扱えていなかった頃の俺は、水をプールからくみ上げるためにコップを使っているようなもの、と表現した。魔力線を使って制御することは、複数人がコップで掬うような並列化に近い。理論上、数を増やせば、どんな量の魔力でも同じ要領で扱える。
この魔力線を目の前の柱へと伸ばす。元々魔力を持つ存在に接続すれば、
見開いた両目で柱を視て、魔力線が通るその瞬間を捉える。
抜刀──左から銀が閃き──コンマ数秒の誤差。柱の中ほどで、不快な音を立てて刃が止まる。
ため息を吐いて、魔力で形作った
「魔力線が通ってない無生物に、無理やり魔力線を通すと、一瞬、魔力線が通った箇所は存在しないことになる。その時刃を通して非存在を確定させれば、どんな物体でも切断できる……理屈はわかるが、あまりにもタイミングがシビアだ」
「少なくとも、片手間に使っていた奴を知っているぞ。僕はあまり人のことは覚えない質だが、何度も邪魔をされれば当然、印象に残る。
エスティルパメント、ろくでもないエンシェント・エルフの唯一の生き残り。あのゴミには何度も苦汁をなめさせられてね。奴が、戯れに使っていた技は幾つか記憶に残っているのさ。
あまり思い出したくはないが、ヒイロ君の頼みだからな。魔力線の扱いに慣れた今の君になら、ピッタリだと思い、断片的な記憶からわざわざ引っ張りだしてきたわけだ。
まあ、代金なら、君の美しく絶望に歪んだ顔ですでに前払いは済んでいる。感謝は不要さ」
「水族館では随分ご機嫌だったもんなぁ? ちょーっと、思い出したら、異様に実戦形式の鍛錬が積みたくなってきたなぁ? 今日は、お前で居合の練習でもしようかなぁ……?」
アルスハリヤが消えたのを確認して、俺は柱に向き直る。
あの魔人と書いて屑と呼ぶ奴から教えてもらうのも癪だが、魔力障壁等を頼っている以上今更の話だろう。
それに、まだ両断には至っていないとはいえ、分厚いコンクリートの柱を簡単に半ば切断できるだけでも、その威力は察するに余りある。
要求されるのは、魔力線が通り、存在が非存在へ裏返るその一瞬を捉え、神速でもって刃を通すこと。
今の俺に足りていない居合の技量ばかりは、型を何度も繰り返し、体に焼き付ける他ない。
集中力を要するがゆえに、二の太刀に転じることもできず、溜め動作もいる。
しかし、これなら、理論上切断できない物はない。それこそ、あの機械仕掛けの大蛇を相手にするなら、隠し玉としてこの上ない武器になる。
再び、柱の前で俺は構えて、一連の動作を繰り返した。
晴天。
水分量が少なく曇りを知らない砂漠の空は、今日も晴れ渡っていた。
もう必要のなくなった、砂嵐の発生記録の資料を片手に、俺は生徒会室へ向かう。
廊下の角から飛び出す影。
「……ッ!」
行き場のない感情が渦巻く両目に、
なんで此処に、と間の悪さを責めるような瞳に、あえて声を掛けた。
「取りあえず適当に話しとくから、落ち着いたら戻って来いよ」
目を逸らして俺の横を通り抜けた小鳥遊は、数歩離れた後、立ち止まって零す。
「……先輩が誘拐されかけたことも知らない部外者が、知った風な口を利かないでください」
そのまま駆け去るその背を見送って、俺は生徒会室へ直行した。
開けっ放しの扉から中に入る。
「どーも、三条燈色でぇーす! 資料を戻しに来ましたー!」
屈んで足元の紙に手を伸ばしていた梔子先輩がびくりと顔を上げる。
「ひゃう! ひ、ヒイロ君かぁ……。びっくりしたよ~」
何もなかったように、先輩は笑顔を作る。
資料を机の上に置いた俺は、単刀直入に切り出した。
「さっき小鳥遊とすれ違いましたが……喧嘩でもしました? 話ぐらい聞きますよ」
少し目を彷徨わせたユメ先輩は、改めて足元の二枚の紙を拾う。破かれた砂祭りのポスター。それを机の上に広げると、丁寧にテープで繋ぎながら、口を開いた。
「最初に見たホシノちゃんはさ、いつもしかめっ面で……声を掛けても無視するし、イジワルな後輩かと思っていたの。でも、実際は困った私を放っておけないぐらい優しくて、それからは、いつも私を助けてくれた」
「まあ、小鳥遊は梔子先輩が大好きですしね(後方百合の守護者並感)」
「ふふっ……ホシノちゃんは素直じゃないし、直接言っても否定するけどね。あの頃から私のことを守ってくれてたんだろうね……」
懐かしむように微笑む梔子先輩は、テープを貼った裂け目をなぞりながら、続ける。
「今日もホシノちゃんに助けてもらって……その後、アビドス砂祭りの話をしていたら、もっと生徒会長としてしっかりしてって怒られちゃった。
実際、私はいつも何も出来ないどころか、迷惑を掛けてばかりで……こんな先輩じゃホシノちゃんが怒ってもしょうがないよね……。って、ごめんね、こんな話聞かされても困るよね」
「構いませんよ。……それに、小鳥遊も迷惑だなんて、思ってないでしょ」
「それでも……ホシノちゃんの優しさに、私は甘え過ぎてたかなって。確かに、いつもふわふわとしたことを言って、失敗してばっかりで──」
「ホシノだって、真っ直ぐで明るいユメ先輩の存在に助けられていると思いますよ。少なくとも、俺はその関係をとても尊いものだと思う」
「それは……」
「それに、俺が出会った日、ユメ先輩があの場に居なければ、今頃此処には居なかった筈です。それはきっと、ホシノも同じで……このユメ先輩の行動も失敗ですか?」
「そんなわけないよ! あの時、可愛くて強い頼れる後輩と出会えて、私にとっては夢みたいだった。
今だって、こうして後輩が二人も出来るなんて思いもしなかったし……うまく説明はできないけど、きっと、これは奇跡だと思うんだ」
「奇跡……なら、次の奇跡はアビドス砂祭りですね」
「えっ?」
驚いたように両目で見つめる彼女に、俺は自信満々に笑みを返す。
「奇跡は必然です。まるで、与えられたように先輩は奇跡を語りましたが……ユメ先輩の行動が、ホシノを惹きつけ……そして俺をここに呼びました。先輩が生徒会長になって、アビドスの為に頑張っていなければ、ホシノも俺も此処にいなかったはずです。
奇跡は、人の行動と偶然が重なって生まれる必然で……
「ヒイロ君……」
道は定まった。
此処だ。
小鳥遊と梔子先輩の美しい、奇跡のような日常を、新しい奇跡に繋げるために、俺はきっと、この世界に来たのだ。
「だから、ユメ先輩が何か変わる必要は無いと思いますよ。今まで通りで大丈夫です。どうせホシノも、暫くしたら戻って来るでしょ。その時にちゃんと、会ってやってください。放置するのも可哀想でしょう」
「うん……うん! そうだね! ホシノちゃんが戻ってくるまで、待っていてあげようかな!」
二人が仲直りする光景を思い浮かべ、満足した俺は微笑んだ。
「じゃあ、俺は失礼しますね」
「えっ、ヒイロ君も一緒に待ってくれないの?」
「俺が居ても邪魔になるだけでしょう? それにやりたい事もあるので」
「折角だし、一緒に居たかったのになぁ。ヒイロ君がそう言うなら、しょうがないか」
梔子先輩が寂しそうに目線を下げる。
会話の只中で、珍しくアルスハリヤが現れて、俺の耳朶に囁いた。
「ヒイロ君。今日ぐらい三人で仲良しこよし、親睦を深め合ってみてはどうだ?」
「……」
「やれやれ、君は本当に頑固だなぁ。せめて頭についているゴミぐらい取ってやれ」
そういえばと、先輩の頭の上に付いているゴミに気づく。
手を伸ばして、梔子先輩の頭を撫でてゴミを払ってやった。
「……ひ、ヒイロ君? そ、その、いきなり女の子の頭を触るのは……よ、良くないと思うな……」
寂しそうな顔から一転、顔を真っ赤にして、目を回す先輩に弁明する。
「いや、ゴミが付いていたから……」
払ったはずのゴミを指差そうとして、それがゆっくりと消える。
謀られた事を察した俺は、愕然として、アルスハリヤに顔を向けた。
「僕自体が魔力を使って君に見せている幻影だと言ったろう。つまり僕は、こういうことも出来てしまうというわけさ。いやぁ、天才ですまない」
「いや、何しちゃってくれてんの? お前、洒落にならねぇぞ、今後、俺は自分の視界すら疑って生きることになるんだぞ。お前、これ、ヒイロ君に深刻な心的外傷を植え付けた罪で、慰謝料は億も余裕だぞ。本当にお前、どうしてくれ──」
「……私だけ恥ずかしがらせて、後は一人でブツブツ言って放置する、悪いヒイロ君には先輩がこうします! えいっ!」
トラウマ物の悪戯を仕掛けてきた屑に、それがいかに罪深い行為であるか諭していると──可愛らしい掛け声と共に、正面から抱きつかれる。
ふわりとした香りと柔らかさに、俺は慌てふためいた。
「ちょっ、やめ! 違う! 最初から最後まで全部、悪霊! 俺に憑いている妖怪のせいなんだ!」
「……」
「あ、あの……当たって……」
「──あのね、さっきの言葉、本当に嬉しかったんだ。奇跡が起きるなんて、言ってくれたのはヒイロ君が初めてだから」
感慨深く語る先輩に、俺は黙り込む。
「署名も、説明会も……呼びかけても、みんな、アビドスのことは諦めていて……今日、ホシノちゃんには夢物語って言われちゃった。
でもしょうがないよね。だって、砂嵐のせいで砂漠化は進む一方で……突然それが良くなるなんて都合の良い話、普通はあり得ないって思うよね」
「でも、そんな素敵な奇跡を、私は信じていたかった。
そして、今日、ヒイロ君が奇跡は起こるって言ってくれて、私はとっても嬉しかったの。もしかしたら、私のほうが間違っていたんじゃないかって、弱気になっていたから。だから……ありがとう」
梔子先輩は多くの人が諦めて去っていく中で、アビドスがまた嘗てのように活気を取り戻すと信じて、一人頑張ってきたのだろう。
そこに、小鳥遊がやって来て、そして俺が導かれた。
本当に、強い人だと俺は思う。
徐々に砂嵐に追い詰められ、誰もが諦め、捨て去るような土地。小鳥遊だって、先の見えないもどかしさに、苛立ちを抱いても仕方がない。
しかし、そんな閉塞感の漂うこの土地で、彼女だけは空に輝く
すっと離れて、頬を火照らせた梔子先輩は笑顔を見せる。
「あはは、ごめんね、いきなり抱きついたりして。……明日こそ、三人でどこか行こうね! 約束だよ!」
陽だまりのような温かさに、覚悟が揺らぎそうな気がした。
その場に留まろうとする足を無理矢理動かして、生徒会室に背を向ける。
「約束しますよ」
校舎から、市街地ではなく、既にマークしてある場所へ足を向ける。
「奇跡はきっと起きるって」
アビドス砂祭りという奇跡を起こすなら、砂嵐をどうにかするしかない。
そして、正義でもなく、己の為に。俺は、百合の邪魔をする奴をブチのめすと決めている。
「約束も守らず、死ぬ気か?」
「果たすさ。奇跡を起こすって言ったからな」
「そっちじゃない。あの少女は、今頃、君とのお出かけに無邪気に思いをはせて、楽しく明日は何処に行こうかと、お子様ランチの玩具を選ぶ子供のようにはしゃいでいるぞ。そんな女の子を放っておいて、ヒイロ君は砂漠の化け物との逢瀬に夢中と来た。君は、とんだ女泣かせだね」
「グダグダとテメェは何が言いたいんだよ」
ペラペラと話しかけてくるアルスハリヤを睨みつける。
「死ぬぞ」
紫煙の向こうで、魔人の口が弧を描いた。
「僕としては、君に死なれると困るんだ。君の無茶に巻き込まれる、哀れな同棲者のことも慮ってほしいね。君を案じる一人の相棒として、ヒイロ君には是非、三人で仲良く大変で退屈で代わり映えのない、しかし、かけがえのない輝かしい、そんな青春を送って欲しかったわけだが……僕の渾身の策で背中を押してやったのに、彼女の抱擁すら断ち切って、君は突き進むつもりなんだから、大したものだよ」
「目の前に、百合の障害になっている原因があって……そして一瞬でも百合が損なわれた瞬間を目にして、黙っていられるほど俺は冷静でもないし、ココで無視するなんて選択肢は
一度でも、ブレたら……俺は、
アルスハリヤは静かに目を閉じると、玩具の煙草を光らせて、紫煙をくゆらせる。
「やっぱり、君はあの三条燈色じゃないな。まぁ、君のほうが僕好みだし、とても面白い。良いだろう。君の運命のパートナーとして付き合ってやろうじゃないか。
一瞬一瞬の一幕に生涯を掛けて、己の命よりも信条を優先する。そんな非合理に踊ってこそ──」
翠玉のような瞳を瞼の狭間に覗かせて、アルスハリヤは嗤った。
「人間だ」
「魔眼は?」
端的に、俺は尋ねる。
「今の俺なら
「15秒といったところか。足りないかい?」
「まさか」
俺は笑って答えた。
「十分だ」
そうして、目的地に辿り着く。
データの周期通り発生した砂嵐に、俺は呑み込まれた。
今回登場した居合術、