透き通るような世界で俺がやるべき唯一のこと 作:THE TOWER XVI
とある日常の永劫回帰
薄明の空。トリニティの医療施設の一角。
アサルトライフルの貫通力の高さ、ほぼゼロ距離であったこと、重要な臓器は避けられていたこと、そして自称神の応急処置の正確さ。多くの要因が複合した結果、むしろ怪我としては聖園を止めた時よりも軽傷で済んでいたようだ。
しかし、当然ながら通常はありえない回復速度であり、以前と同じく経過観察措置となり暇を持て余していた。
そんなこんなで、機械と人間、ひとつ屋根の下、何も起きない筈がなく……。
「三条ヒイロ……あまり、見るな」
「何恥ずかしがってるんだよ。俺たちの仲だろ?」
病室で、ドローンと俺はお互いに囁き合う。
扉の向こうでガタリと音が鳴るのを気にせず、二人の共同作業を続ける。
「隠してないで、もっとよく俺に見せてみろ」
「今まで無価値と断じてきた故に、このようなことをするのは、私にとっても初めてなのだ……」
覗き込んだ俺は、その綺麗な形に期待と共に呟く。
「なんだよ……ちゃんと綺麗じゃねぇか」
「三条ヒイロ……貴様のも大きいな……」
感心する自称神に、俺は笑う。
頃合いを見て、優しく俺は囁いた。
「じゃ、そろそろいれるぞ……」
「ああ、来い、三条ヒイロ……」
デカグラマトンが答えて──扉が凄まじい勢いで開いた。
「ちょ、ちょっとごめんねぇ~! それは流石のおじさんも無視できないかなぁ~!」
「ヒイロ!! 多少のことであれば受け入れるとは言いましたが、あなたが愛する眉目秀麗な天才美少女パートナーとしても、それ以上は見過ごせませんよ?!」
「そ、そうね! つい昨日までヒイロには交際相手はいなかった筈よ。一時の感情に流されず、将来的な人生設計まで合意できる相手と段階を踏んで仲を深めるのが合理的ではないかしら?!」
色とりどりの髪の頭がなだれ込んでくる。
慌てたように乱入してきた小鳥遊と明星、調月に、俺とドローンは手を止めて、ずれ落ちたパンケーキが傾いたフライパンからぽすりと皿の上に収まった。
間抜けな静寂がその場に残る。
「エリドゥの少女に、ハッカーの少女……そして、ああ、アビドスの小娘か」
目を点にした三人は固まっていて、ドローンがレンズの奥を廻して呟いた。
「そうだな。小分けにすれば、あと三枚ほど作れるな」
自分が焼いていた分を皿に器用に投げ入れて、ピッとIHが起動する電子音が部屋に響いた。
「見た目も味も悪くはないですが、絶対的存在を名乗る割には一歩足りない、と言ったところでしょうか」
「それは三条ヒイロが作ったほうだぞ」
「え? え、ええ! そこのドローンに気を取られていたようです。改めて味わってみると毎朝食べたいぐらいおいしいですね。流石は私のヒイロです」
「ああ、そうか、勘違いだった。悪いなハッカーの少女よ、私のもので合っていた。それはそれとして、称賛は受け取っておこう」
「……ヒイロ、この性悪神気取り誇大妄想者を追い出しませんか? このミレニアムの全知の手にかかれば、一秒で済みます」
微笑んだまま、パンケーキが刺さったナイフ片手に明星が車椅子からこちらに身を乗り出す。
なぜか、デカグラマトンと俺の二人に加えて、調月と明星、そして小鳥遊の三人とテーブルを囲んでいた。
「ま、まあ、何だかんだ助かってるし……」
「そもそもそうです! なぜ、このヒイロのベストパートナーでありミレニアムの誰もが認める清楚系病弱美少女を頼らずに、敵だった謎の誇大妄想AIを頼るような真似を! ヒイロは特異現象捜査部としての自覚が足りていませんね!」
「いえ、ヒイロの所属は特異現象捜査部では……」
「ちゃっかりヒイロに頼られていたリオは黙っていてください!」
事実に基づいて訂正しようとした調月を明星が一蹴する。
怜悧な鉄仮面を維持しているようで、その実悲しそうに柳眉を微かに下げて、調月はデカグラマトンの手作りパンケーキを切り分ける作業に戻った。
小鳥遊が黙々とパンケーキを口に運ぶ中、明星はドローンを睨む。
「ゲブラをはじめとした預言者の不穏な動きもあります。それ以上に、トリニティで用いられた弾道飛行を行う新型ミサイルに至っては、深刻な安全保障上の脅威以外の何物でもありません! ヒイロの可憐で頼れるベストパートナーとして、安易に受け入れるわけにはいきません!!」
勢いのまま明星はパンケーキが刺さったままのナイフで空中のドローンを指そうとして、俺は慌てて垂れ落ちるメープルシロップを紙ナプキンで受け止め、パンケーキごと彼女の手を皿の上に戻させた。
その様子に、デカグラマトンが鼻で笑う。
「そうかそうか、それで私をどうすると? いや、既に言っていたな。一秒で追い出すと言ったか……ふっ、もう忘れたのか? 私が貴様らのHUBを感化した時間は
わざわざ明星よりも高い位置に上昇したドローンは、マウントを取るように少女を見下した。
「小娘、人の身で『絶対的存在』たる私に盾突くその蛮勇だけは褒めてやる」
「ええ、ええ、この超天才美少女ハッカーをここまでコケにしたのはあなたが初めてです……! リオ、止めないでください!!」
唸る明星に、真面目な表情を崩さず調月が制止する。
「落ち着いて、ヒマリ。私たちは争うために来たわけじゃないわ」
「勿論それはそうですが……やはりこう目の前にしてみると、一度分からせる必要があるように……」
「まあまあ、これ食えって。ほら、ホイップクリームを盛ったらハワイアンパンケーキだぜ」
「たぶん、生地から違うと思うけどね~」
ぼそりと小鳥遊が呟いた指摘は無視して、俺はスプレーで雑にトッピングして作ったハワイアンパンケーキ擬きを差し出した。
いつの間にか皿を空にして、勝手に俺のベッドの枕を拝借し顎を乗せてまどろむ小鳥遊の斜め横。
明星はフォークの先の一片をじっと見つめた後、ちらちらと視線を寄越して口端を上げる。
「……し、仕方ありませんね。ヒイロがどうしてもと言うのであれば、そのままヒイロの手でこの清楚系病弱美少女に、あーんしてください」
「ああ、いいけど……?」
「「……」」
言われるがままに俺が差し出したフォークを、彼女は小さな一口で咥えて、なぜかその場で俺を上目遣いで見る。
何か変なことをしているかのような空気になる。
俺は身動きをとれず硬直して、遅れて明星は口だけで綺麗にパンケーキを持っていった。
気を取られたままその艶やかな唇を見つめていて、慌てて逸らした先で目が合う。
「ふふっ、ご馳走様です♪ 少々浮足立ってしまうようなこの感覚……ええ、このパンケーキが誇大妄想癖の狂人の手作りだということを差し引いても、悪くない気分です。こうしてみると、誰が作ったかは関係ありませんね」
「そ、そう? それはなにより……?」
「「……」」
ほのかに頬を染めた明星が機嫌よさそうに微笑む。
横から痛い視線を感じながら、俺は曖昧に返事をした。
一転して上機嫌な明星と反比例するように重くなった空気。
逃げるように俺は己の皿に向き合って、フォークを見る。
違和感。
顔を上げると、じっと何かを期待する明星の瞳と目が合う。俺の視線に気づくと、頬の朱を深めて目を逸らした。
これって……い、いや、これ以上先の思考は危険だ。百合の守護者として、ここは素知らぬ顔で正面突破が正解……!!
そもそも変に意識する方がおかしいだろ! 俺たちは中学生じゃないんだぞ……!
努めて何も考えないように。俺は正面に視線を戻して──机の上。
皿の向こう側から透過するように頭が生えてきた。
「こ、これはまさか!」
「……」
テレビ通販のごとく、大袈裟に驚いた顔をしたアルスハリヤの頭部が湧いてくる。
「濃厚間接KI──」
「◯ね」
フォークを逆手に持ち替えた俺は、殺意の赴くまま魔人の頭頂部に突き立てた。
同時にフォークの封印も成し遂げた俺は、残りをナイフだけで胃袋に仕舞う。
ヒイロの奇行も久しぶりだねぇ、としみじみと呟く小鳥遊をよそに俺はデカグラマトンに話を戻した。
「もう知ってるみたいだけど、一応リオには後で紹介するって言ってたしな。コイツが
「……ビーチの件も本当だったみたいね」
「そりゃそうだろ。おいおい、俺が嘘ついたことがあるか?」
俺は笑って、小鳥遊が笑顔のまま枕の上でふにゃりと首を傾げる。
「へぇ〜何も言わずに居なくなったりしてそうだけどね〜」
「嘘つきは嘘つきだからこそ正直者を騙るもんなァ! なぁ、神ィ!」
「三条ヒイロ、私を巻き込むな」
誰も味方してくれず、立場を弁えた俺は、暫く大人しくすることにした。
調月がデカグラマトンだと予想していたところから話し始める。
「元々、あの件を知っているのは限られた人物よ。ヒイロの周辺に今まで居ながら、私が探れない相手となると限られているもの……。デカグラマトンなら状況も能力も、色々と辻褄が合うわ」
「……探ると言えば、エリドゥの少女には前々から言っておきたかった事があったな」
「なにかしら? 私からも貴方に聞きたいことは多いのだけれど」
奥底の警戒と緊張を隠して、調月はドローンに視線を移す。
「貴様は頻繁に三条ヒイロの端末へアクセスしようと──」
「場所を移しましょう。ヒイロ、このドローンを借りるわ」
急に立ち上がった調月がドローンの言葉を遮る。
突然の行動にビクリと肩を震わした俺は、おっかなびっくり首肯した。
「も、もともと俺のでもないから、好きに持っていっていいぞ」
「ふふふっ、後ろめたいことをしているから後で焦る羽目になるのです」
くすくすと、調月を見ながら明星が愉快そうに笑う。
「まあ、この澄み渡った雪解け水の如く清純な清楚系病弱美少女には関係のない話ですが」
「貴様も同罪だろうハッカーの少女よ。もっとも、貴様の場合は私への影響がないため見逃していたが……一体、三条ヒイロの個人的な検索履歴や位置情報を集めて何を──」
「リオ、私も同行しましょう。ええ、既に気を許してしまっているヒイロは論外ですし、部外者の方を巻き込むわけにもいきません。私たちは私たちで、この誇大妄想AIを見定める必要がありますからね」
早口で捲し立てると、明星も車椅子を回して調月に同調する。
調月と明星は一拍、目を合わせて──轟音。
天井を突き破って上から
巻き上がる粉塵。遅れてタイルやら蛍光灯のガラス片やらの瓦礫が落下する只中で、片手のタブレットから顔を上げた調月は、靡く長髪を押さえて冷静な表情で告げた。
「こんなこともあろうかと用意しておいた試作型ミニ・アバンギャルド君の出番ね」
「いや、何してんの? ここトリニティぞ?」
「ヒイロは心配性ですね。監視カメラを含め、この病棟のすべてが天才病弱美少女ハッカーの管理下にあります。手抜かりはありません!」
「デジタルで誤魔化しても現実の天井の穴は消えないよ……?」
唖然とする俺を気に留めず、調月と明星はドローンを手際よく捕獲すると連れ去る。
「何をするっ?! 別に隠し立てするようなことでもなかろうッ?!」
「やはり、自称はどこまで行っても自称ですね! 乙女の秘密というのは、安易に暴いてはいけない聖域というものです!」
「これは、『名もなき神々の力』か……! エリドゥの少女め、小癪なことを!? こんなくだらぬことで、私の神性を使いたくなどないぞ!」
喚く自称神がそのまま扉をぶち破って誘拐される。
すぐに調月と明星の姿が見えなくなり、俺は小鳥遊と二人で取り残された。
訪れた無言の間。
しばしの静寂の後に、俺の携帯に自称神が接続してくる。
「三条ヒイロ、貴様も理解していると思うが、あれは私の端末の一つに過ぎない」
「あ、うん」
「理解しているのなら良い。私は仕方なく小娘に付き合っているだけだ……仕方なくな。終わったら、また連絡しよう」
「そ、そう」
その言葉を最後に、また静寂が訪れた。
「……なかなか賑やかだねぇ~。それとも、ヒイロの周りがそうなのかな?」
「さ、さあ? どうなんだろうな~?」
間の抜けたような、独特の調子で小鳥遊が問いかける。
俺は視線を泳がせたまま中身のない台詞を返して、彼女のオッドアイと目が合う。
枕の上に右頬を乗せた少女は、頭頂部から跳ねた髪の毛を揺らして微笑んでいた。
「でも、おじさん安心したよ」
薄く閉じたその瞼の狭間で、神秘的な蒼と金の瞳が俺を捉えていた。
「無事だってことは知ってたけど、こうして直接見ることができたからね~」
寂寥を含んだ声が空気に溶ける。
髪型も喋り方も、雰囲気が変わった彼女だが──その瞳はあの頃のまま変わっていない。
思えば、数年ぶりとはいえ、一時は共に過ごした同級生であり、いわば気心の知れた仲。気まずいと考える方が、かえって気まずくなるものだ。
そもそも、何を気負う必要があるのだろうか。小鳥遊たちはビナーと邪魔な男が同時に消えてむしろハッピーエンドなわけで。
考えれば考えるほど、久々の再会の時の圧が気の所為に思えてきて、俺は心の裡で息を吐く。
「そっか、そうだな。俺も久しぶりに会えてよかったよ。お前も色々変わってるみたいだけど」
「うへ~、逆にヒイロは全く変わってないよね」
「ずっと目指すべきところは変わってないからな!」
「ああ、目指したゴールに近づくどころか、逆走しているからな、ヒーロ君は」
空中でうんうんと頷く魔人の顔面に拳をめり込ませる。
病室の壁をすり抜け消し飛んだのを見送って、俺は何事も無かったかのように着席した。
「そういえば、お前も後輩が出来たんだよな?」
「みんな私にはもったいないくらい、いい子だよ」
小鳥遊は穏やかな笑みを浮かべる。
「悪い影響があるといけないから、ヒイロには会わせないようにしないとね~」
「ああ、俺も賛成する。やはり、百合園に男は不要……。
いや~、でも、そうかそうか、後輩か! やっぱり、出ていった俺の判断は間違ってなかった!!」
「……」
枕に顎を乗せて微笑んだまま、動きを止めてじっとこちらを見ている小鳥遊の前で俺は歓喜の笑みを浮かべる。
すっかり調子を取り戻した俺は、後輩が入った事も踏まえ、再びあの質問をする事にした。
「で、その……もちろん、言いたくなかったら、いいんだけど……改めて、す、好きな女の子とかいる……?」
「……」
「おっと、そうだよな。俺の悪い癖だ。ついつい百合を目の前にすると俺の百合IQ180の頭脳が回転しすぎて、人類の一歩先を行き過ぎてしまう……」
「崖っぷちの一歩先の間違いだろ」
紫煙の上で寝転がったまま、懲りずに茶々を入れてくるアルスハリヤをぶちのめす。
俺は気を取り直して、質問を改めることにした。
「えっと、そのぉ」
胸の前で人さし指を突き合わせた俺は、小鳥遊の顔色を窺いながら己の欲望を口にする。
「みんなで頬を寄せ合って自撮りした写真みたいなのあったら、是非恵んでいただけるとヒイロ君としては助かると言うか……」
「……やっぱり、一発殴らせてください」
「えっ!? 何か悪いことした!?」
「してますね。思い出したらムカついてきました」
薄く開いた瞼の奥。目が笑ってない小鳥遊を前に俺は吃驚する。
「言っておきますが、ユメ先輩なんて相当引きずってますよ。居なくなる前にユメ先輩に一体何を言ったんですか? まあ、私はユメ先輩が見てられなくて逆に冷静になれましたが、ええ、でも無事だったら連絡ぐらいしても良かったんじゃないですか? そもそも、一年以上あったなら、せめて一回ぐらい帰ってこれましたよね? ゲヘナのほうで賞金稼ぎの真似事を続けていたのも知っていますよ。だったら、なおさら、一度ぐらい顔を見せてくれればよかったのに。勿論、私がというわけではなくて、ユメ先輩が見てられないから、ユメ先輩のためにという話ですけど……」
「そ、その、小鳥遊──」
「ホシノでいいって、昔言いましたよね?」
「ほ、ホシノ、その……」
「だいたい、ヒイロが不要だとか、勝手に決めつけるのも不快です。急にいなくなって嬉しいなんて、そんなわけないじゃないですか。確かに、私は最初冷たく当たりましたし、最後も、ヒイロに当たってしまって……だから、私にはこんな事言う資格はないかもしれませんけど、でもユメ先輩は……」
捲し立てる小鳥遊に、俺は気圧されるまま謝罪した。
「ご、ごめん、そこまで心配されるとは思ってなくて……」
「……別に私はいいですよ。謝るならユメ先輩に謝ってください」
「えっと、それで……く、口調……戻ってるけどいいの……?」
「っ……こ、これは、仕方がないじゃないですか! ヒイロと話してた時はこうだったので!」
「ちなみに、それって、後輩が入ってくるから変えたの……? あと、あの口調って、もしかして、梔子先輩の影響とか……?(興味津々)」
「あーもう! そうでした! ヒイロはこんなのでしたね!」
気づけば互いに遠慮はなくなり、今までの時間を取り戻すように、これまでの事を二人で話し続けた。
卒業後もまだ未練がましく居座っているから、いい加減ちゃんと梔子先輩にも会えと念押しされつつ、小鳥遊も昼過ぎには帰っていった。
その後、解放されて帰ってきたドローンの力を借りて部屋を修復する。
続けて、矢継ぎ早に訪れる少女たちを笑顔で捌いた末の逢魔時。
「あいつ、俺の枕をそのまま持って帰ってないか……?」
小鳥遊が勝手に使っていた枕が、ベッドにも返却されておらず、机の上にも見当たらない。
探せど枕は見つからないまま、「では、私があなた様の枕になります」と膝枕を笑顔で押し売る狐坂を前に、その日の夜は飛鳥馬が乱入してくるまで逃走劇を繰り広げて。
そうして迎えた翌日。
俺は、遊園地の入り口に立っていた。