透き通るような世界で俺がやるべき唯一のこと 作:THE TOWER XVI
桜色の長髪を揺らして廊下を歩いていた有翼の少女は、病室の扉の前に来ると立ち止まる。
前髪を整え、そわそわと身だしなみをチェックすると、最後に観覧車の描かれた二枚のチケットを確認した。
「よしっ」
少女は頬を緩めて静かに呟くと、それを後ろ手に隠して、いつものように笑顔と共に引き戸を開ける。
「ヒーロっ! おっはよー!!」
勢いよく、聖園は病室に飛び込んで。
「……あれ? ヒイロは?」
「ごきげんよう、ミカさん。ヒイロさんなら、用事があるとかで出かけられたそうですよ」
「やあ、ミカ、久しぶりだね」
テーブルを囲む桐藤と百合園に目を丸くする。
「あっ、セイアちゃん……って、どうしてここに? 体調が悪かったんじゃ……」
「お節介な機械がいてね。こうして椅子の上で
「そ、そっか……」
二人に混ざって、何食わぬ顔で紅茶を飲むドローン。
見慣れた光景としてスルーして、聖園は百合園の横顔を窺う。
少しの間が残って、躊躇しながら聖園は口を開いた。
「あ、あのね、セイアちゃん──」
「そういえば、私が居ない間に何か問題は起こしてないかい?」
言いかけた台詞を、ティーカップを持ち上げた百合園が遮る。
「何分、君は思い付いたことをすぐ行動に移すきらいがあるからね」
目を合わせもせず軽く詰る百合園に、一瞬聖園が固まって再起動する。
「……そういうセイアちゃんこそ、ずっとどこに隠れてたの? 秘密主義にしてはみんなに黙ってたなんて薄情だよね」
「君子は言に
「ほんと、セイアちゃんってひねくれ者だよね。そんなだから、友達がいないんだよ」
「君には言われたくないな。人を一側面だけで判断しないことだ。君が見ている百合園セイアもまた、私の一部に過ぎないのだから」
「また、そうやって難しそうなこと言って……セイアちゃんのそういうところ、苦手だなぁ」
「あ、あの、ミカさんもセイアさんも……」
桐藤が仲裁しようと呼びかけるも、気にせず二人は棘のある言葉で応酬する。
「珍しく意見が合ったね。でも、それも仕方のない話さ。時に、IQが50違えばまともに話が通じないというからね」
「それって、私のほうが高いってことかな?」
「いや、もちろんその逆に決まっているだろう? その頭は空っぽなのかい?」
「やっぱり、むかつく……」
ひとしきり言い合った末に、聖園が不満そうに零した。
訪れた静寂の中。複雑な表情で聖園はティーカップを傾ける百合園を見つめていて──しかし、最後には、ふと表情を緩めた。
「むかつく、けど……」
「?」
「けど、それ以上に、懐かしくて……こうして話せるのが、嬉しい」
儚げな笑みを浮かべて、少女はささやく。
「本当に、よかった……セイアちゃんが生きてて」
「……」
「ミカさん……」
ぽつぽつと、聖園は思いを吐露する。
「怖かったの。セイアちゃんが死んだんじゃないかって。取り返しのつかないことをしちゃって……どうしていいか、私には全然、分からなくて……。きっと、ヒイロがいなかったら、今頃私は……」
言葉を詰まらせた少女は、頭を下げる。
「ごめん、ごめんね、セイアちゃん。ずっと謝りたかった。私のせいで……」
「いや、あれは君だけのせいじゃない」
ティーカップを戻した百合園は聖園の台詞に被せるように、否定する。
「夢の中で、君を見ていた。私たちには、お互いに対話が足りなかったんだ。私も、君の話を夢物語と断ぜず、君が抱える感情に、耳を傾けるべきだった」
「セイアちゃん……」
「私こそ、済まなかった。まさか君があそこまで思い詰めるとは、思ってもいなかった。君はもっと能天気で反省するほどの脳を持ち合わせていないものと……」
「セイアちゃん……?」
「ふふっ」
毒が混ざる百合園の言葉に思わず聖園の台詞が疑問形になり、桐藤が笑みをこぼす。
昔のような二人の遣り取りを、彼女は優しげな眼差しで見つめていた。
「そうですね。私も、一人ですべてを抱え込もうとして……道義的に許されないことをしてしまいました」
桐藤は目を伏せると、紅茶の水面を見つめながらぽつりと呟く。
「責めようと思えば、きっとそれぞれに問題があるのでしょう……けれども、私たちは今、こうしてここに集まることが出来ています」
再び顔を上げると、正面の二人と視線を交わす。
手元のティーカップを軽く持ち上げて、少女は微笑んだ。
「だからこそ、久しぶりにティータイムでも如何ですか? もう一度、三人で」
その誘いに、各々笑みを返した。
「うん……うん! そうだね!」
「ああ。語らうことに異存はないよ。きっと、私たちが歩み寄るべき余地は多くあるからね」
和やかに少女たちは輪に加わって、あの時のように、三人はテーブルを囲んだ。
そうして、四半刻の時が過ぎ。
「──それでね、それでね! ヒイロはなんて言ったと思う? 『俺が何度でも止めてやる』って! 私のせいで大怪我もしてるのに、それでも私の為に立ち上がって真っ直ぐ見つめながら言ってくれたんだよ! こんなのもう……」
「落ち着いてください、ミカさん。気持ちは理解できますが、一方でヒイロさんは誰にでも優しい節があります」
無意識の脚色が混じったエピソードが何個か繰り返された末に、桐藤が紅茶片手に諌める。
「初対面で銃を向けてしまった私すらも、ヒイロさんは信じて庇ってくださいました。まさに海のように深く広い慈愛ですが、勘違いするのも良くありません」
「ふ~ん? でもでも、確かにヒイロはそんなつもりは無かったのかもしれないけど、私の方は勘違いなんかじゃないし……そういうナギちゃんも、この前なんか思いっきり押し倒してたよね☆」
「あ、あれは……っ! 誤解を招く言い方をしないでください! 私にも立場がありますし、そう軽々しく口にされて変な噂が広まりでもしたら……!」
「あははっ、慌てるナギちゃんもかわいい! けど、むしろ噂になったほうが色々と牽制にもなるんじゃないかな? 意外と、いい案かも!」
「ミーカーさーん! いい加減にしないと、マカロンをその小さなお口にぶち込みますよ!!」
羞恥と怒り、その両方で顔を赤くして叫ぶ桐藤に、聖園が笑う。
騒がしくなった二人の横で、一人話についていけていない百合園が口を挟む。
「そ、そろそろ話題を変えないかい? 先程から、同じような話を聞かされる側にもなってほしいのだが……?」
何とも言えない顔をした百合園が苦言を呈するが、聖園が呆れたように反論する。
「全部違う話だよ! セイアちゃん、ちゃんとお話聞いてた?」
「君に諭されるのは心外だね……。どれも同じような話じゃないか。
やれ屋根裏部屋の窓から迎えに来てくれたのが白馬の王子様みたいだっただの、嫌なことがあってもすぐ気づいて付き合ってくれて優しいだの、君の素敵なヒーローのことは十分理解したから、それ以外の話題は無いのかい?」
「そんなこと言われても……うーん」
顎に指を当てて小首を傾ける聖園の隣。
紅茶をすすっていたドローンが、すっかり仲を取り戻した三人の元で、ぽつりと零す。
「しかし、三条ヒイロの行動は理解できぬな」
周囲の視線を集めたまま、独り言つ。
「こちらに留まっていたほうが、奴の言う百合に余程近かっただろうに」
その言葉に、本来の目的を思い出した聖園が慌てて立ち上がった。
「そ、そうだ! ヒイロ!」
「結局その話に戻るのかい? 一歩も動かないうちにとは、鶏のほうがまだ優秀だね」
「ちょっと、セイアちゃん! でも、どうしよう! 本当はヒイロを探しに来たのに!」
「なんだ、そんなことか……少しは落ち着いて紅茶を嗜む程度の余裕を──」
「セイアちゃんは何も知らないから落ち着いてられるんだよ! ヒイロが出かけたって、何処に行ったの?!」
「遊園地ですね。白洲アズサに誘われてホイホイ承諾した挙句、だらしない笑みを浮かべて喜んでいました」
いつの間にか聖園の後ろに立っていた飛鳥馬が無表情で答える。
「今日がその日みたいですが、可愛いメイドを放置して遊園地とは、誠に遺憾です。遺憾の意です」
「アズサちゃんか……一緒に戦ってたみたいだし、確かに危ないかも。戦ってる時のヒイロは変にカッコつけようとするし……実際、カッコいいし……うん」
「彼について私は直接知らないが、その程度のことで危ないも何もないだろう」
「いえ、セイアさんらしくない楽観主義ですね。こればかりはミカさんに同意です」
「嘘だろう、ナギサもかい……?」
唖然とカップから口を離す百合園を置いて、聖園と桐藤が行動を開始する。
「行こっ! ナギちゃん! チケットなら二人分あるから」
「えっ、そ、それはまさか……あっ、待ってください、ミカさん! 先にどこかで変装しましょう!」
バタバタと二人は病室を出ていって、百合園が取り残される。
「では私も失礼します。ヒイロの周囲の動向に目を光らせるのも、ミレニアムのエージェントとして重要な任務ですので」
「ああ……」
飛鳥馬も一礼すると素早く立ち去る。
まるで先程の和解が嘘のように静かになった病室。
百合園は釈然としない面持ちで、目の前のドローンを見つめた。
「ふわぁ、最近の若い子は元気だね〜」
寝言のように、枕を抱きかかえた小鳥遊が布団から顔を出す。
「……君は行かなくていいのかい?」
「ん~? おじさんは昨日喋りすぎて疲れちゃったし、しばらくゴロゴロしてようかな」
瞼を閉じたまま、やる気がなさそうに病室のベッドの上で寝返りを打つ。
「一日ぐらい帰らなくても、優秀な後輩たちもいるし、あと、この枕も返さないとね〜」
「別に直接渡さずとも、そこに置いておけば──」
「……」
「い、いや、何でもないとも。忘れてくれ……」
言外の圧力を前に小鳥遊から目をそらした百合園は、誤魔化すように紅茶に口を付けた。
気まずい静寂が残り、とうとう話し相手が目の前のドローンのみであることを悟る。
「……かといって君と話すと、なおさら夢と現実の境が分からなくなってしまいそうだ。ただでさえ、近頃は予知夢の影響で夢と現の狭間で酔っているというのに」
「ここは貴様の言う現実だぞ。もちろん、蝶の見ている夢ではないと証明する手立てはないがな」
目も合わせず答えるドローンに、百合園も同じく窓の向こうを見たまま呟く。
「胡蝶之夢か……有名な小噺だね」
「シミュレーション世界仮説や世界五分前仮説と本質的に同じ話だ。所詮、いずれも神の存在証明と等しく、『理性的認識が及ばぬ独断的な仮定』に過ぎない。
この世界が夢であろうと現実であろうと精巧な作り物であろうと、思索を巡らせたところで無聊を慰める余興が精々だ」
「夢か現実か考えること自体が無意味とは、なんとも身も蓋もない主張だね。ますます私の症状が悪化しそうだ。
少なくとも、一つ学んだよ。カウンセラーとしては、君は最悪の部類だね」
目の前のティーカップを空にしたまま無言で催促してくるドローンに、ため息をつきながら百合園は注いでやる。
「生命は認知負荷を本質的に忌避する。人は常に世界を単純化し『解釈』する。処理リソースが有限なれば、当然の仕組みだ。
本能的に
「患者に必要なのは真実ではなく共感と理解だよ。もっとも、機械の君には関係のない話か」
「……百合園セイア。聞いていなかったな。貴様の予知は貴様がいうような絶対的なものだったか?」
「私としては、予知に何度も抗おうとしたはずなのだが……今はむしろ、その『不可解』に愚痴りたい気分だね」
百合園は笑みを浮かべて答える。
「私だって未熟で発展途上の子供であり、そして人間だ。こうも呆気なく己の予知を否定されて、思うところが無いとは言えないが……結果は結果だ」
ティーカップをソーサーに置いた少女は正面のドローンに微笑んだ。
「賭けは君の勝ちでいいとも。ランプの魔人のようには行かないが、何か一つ、願いがあれば聞くぐらいはしよう」
「不要だ。予知夢の大天使、貴様の神秘も『不可解』を前には絶対足り得なかった……その情報だけで十分だ」
百合園の申し出を断って、ドローンは席を立つ。
そのまま窓から外に出ようとして、ふと気づいたように立ち止まった。
「だが……一つ訂正しておこう。これは貴様の予知の否定ではなく限界だ」
背を向けたまま、小さなドローンはささやく。
「モデルの価値を決めるのは、普遍的な予測性能ではなく、
この世界の『神秘』が、外の世界の『不可解』に通じる道理などなく……そして、外の世界の不可解などという例外を、過去の貴様が知る由などあるまい。いずれも、単なる
デカグラマトンは淡々とした口調で少女に告げると、窓を閉めることもなく外へと出て行った。
その背をじっと見つめていた小鳥遊が呟く。
「……へぇ、思ってたよりも人間味があるんだねぇ。機械なのに」
白い球体の後ろ姿に目を細めると、ベッドから出てくる。
「じゃ、おじさんもちょっと用事があるから、お先にごめんね〜」
ゆるく百合園に声をかけて、慣れたような動きでドローンが去った窓から小鳥遊も飛び降りた。
静寂が戻り、一人百合園は病室に取り残される。
狐につままれたように瞠目していた少女は、遅れて小鳥遊の言葉からドローンの迂遠な気遣いを悟り、口元を緩めた。
「……確かに、彼に慰められるとはね。もっと自己中心的で、他者を慮るような性格ではないと記憶していたのだが……しかし、そうだね。他者の心すら証明できぬ人間に、機械に心が無いと証明できる道理も、また無いのだろう」
椅子に深く腰掛けると、息を吐く。
「外の世界の不可解、か」
そよ風に煽られるカーテンを見つめて、一口、百合園はティーカップに口をつけた。
「今頃は遊園地か……何事もないといいが」
狐耳の少女は静かにつぶやいて──
くしゃみを一つ飛ばした俺は、早朝の冷え込んだ空気に身震いしながら端末を取り出した。
モモトークの会話履歴を開く。そこに並んだ待ち合わせに関するやり取りを再確認して、これが現実であることを噛み締めた俺はニチャリと顔を歪めた。
白洲が口にしていた遊園地。
心優しい彼女は、なんと、この穢らわしい男に図らずも同行の機会を授けてくださった。
病室にぶち込まれた直後の見舞いの時に、少し恥ずかしがりながら口にしていた台詞。
──その、ヒイロも……遊園地に、一緒に来てほしい。
上目遣いに、一抹の不安をその瞳に映して尋ねてきた白洲を前に、思わず俺は落涙した。
まさに彼女の美しい心意気を象徴する、天使のような台詞である。
補習授業部のみんなが遊園地でキャッキャウフフの百合模様を近くで見学させてくれるなんて……いい子だ。めっちゃ、ええ子や! 俺、生きててよかった……!
期待に胸を高鳴らせ、双眼鏡も忘れず持参した俺はニコニコと開園前から白洲たちの到着を待ち侘びていた。
同じくニッコニコの魔人を周囲の奇異の目を気にすることなく軽くあしらったり、端末で創作百合を検索すること暫く。
「……その、待った?」
鈴の鳴るような声に、俺は顔を上げる。
「いや、今来たところ──」
満面の笑みで俺は答えようとして、視界に映った人物の姿に固まる。
フリルが可愛らしいシフォンブラウスに、膝丈のジャンパースカート。落ち着かない様子の少女は、ウエストのリボンに時折触れては、前髪を撫でつける。
「ど、どうかな……? ハナコたちに選んでもらったんだけど……」
可愛らしくめかし込んだ白洲が、頬を染めて俺を見上げていた。
意表を突かれた俺が言葉を発せずにいると、白洲は眉尻を下げて不安そうにする。
「……ごめん、やっぱり私には似合わないよね」
「い、いや、思わず見とれてて。天使みたいでかわいい」
「そ、そう……?」
俺の言葉に戸惑うように答えると、地面に視線を落として笑む。
「そっか、うん……嬉しい」
胸の奥を確かめるように呟く白洲に、俺の中で疑念が首をもたげる。
俺は、少女たちの仲良しオーラのおこぼれにあやかることで、人間ソーラーパネルとして環境意識を高めると共に百合を非接触補給しに来た筈だ。
決して、男女二人、遊園地前の広場で、まるで初デートのカップルのような甘く初々しい空気を作りに来たわけではない。
恥ずかしげに、フリルのついた袖口を指先でいじる白洲に、俺は尋ねる。
「と、ところで他のみんなは……?」
「ヒフミたちのこと……? えっと、遅れて来るらしい。連絡があって、外せない用事が出来たとか……」
俺が思い描いていた理想の百合鑑賞会。
気づけば、期待に躍らせていた胸もすっかり冷めており、むしろ漠然とした不吉な予感が頭の裡に渦巻いていた。