物心小さい頃から、僕は身体が弱かった。
双子の妹のように身体も強くなく、頭上に浮かぶヘイローもなくて、産んでくれた両親から『お前は体が弱いから外には出せない』といって部屋にずっと居させられた。
最初は何も疑問に思わなかった。それが普通だと思っていたから。
でもある時、使用人の陰口を聞いてしまった。
『──不吉な双子』
『──体も弱ければ妹様のような力も無い、出来損ない』
その日から僕の世界は閉ざされた箱庭、いや牢獄なのだという事を知った。
部屋から出ることも許されず、部屋を訪れるのは家庭教師と数人の使用人だけ。両親は殆ど来ない。たとえ、僕が病に伏したとしても。
そんな中で心が荒んでいくのは自然だった。
やる気のない家庭教師からの教育。
腫れ物を扱うような使用人たちの態度。
苦しい時に傍にいない両親。
世界に絶望しかけた僕だったが、たった二つの救いがあった。
部屋に所狭しと置かれた本。
そして天真爛漫な双子の妹だ。
本は良い。
家庭教師や使用人達のように侮蔑や哀れみを持たず、ただ知識を、自分の知らない世界を教えてくれるし、退屈な時間を忘れられる。
僕は部屋にある本全てを読み、遂に親にわがままを言って、父の書斎にある語学も、科学も、歴史も、文学も、手当たり次第に読んだ。
その結果僕は小学校に入る前に、大人顔負けの知識を身につけることが出来た。
そしてもう一つの救いは妹だ。
双子の妹は僕と違って身体は丈夫で、可愛らしい桃色の髪と純白の美しい翼、そして頭上に浮かぶ銀河のような光の輪。
宗教学の本も読んでいた自分は『天使とはこういう姿なのだろう』と思った。
最初妹とは喧嘩ばかりだった。
僕は彼女に嫉妬していた。
──丈夫な身体も
──美しい神秘を纏う姿も
──両親からの愛も
自分が持たないものを持つ彼女が妬ましかった。
彼女はそんな僕の卑屈な態度が気に食わなかったようで、何度も何度も喧嘩をした。
醜い罵りあいも、取っ組み合いもした。
その度に両親に怒られるのは僕だったが、お互いの心を不器用に伝えた僕たちは少しづつ仲良くなった。
そしてようやく兄妹仲良く過ごせるようになった時、僕らは小学校に入ることになった。
僕は少し体が丈夫になり、親からその知識が認められたからか妹と一緒に通学することを認められた。
『お兄ちゃん』と呼び親しくしてくれる妹に引っ張ってもらい、色んな子供たちと交流し、少しづつ人に慣れてきた頃、僕は運命に出逢った。
プラチナブロンドの髪を長く伸ばし、似た色の瞳は聡明さと優しさを併せ持った優しい光を湛えている。
一目見た時に、僕は心を奪われた。
ただでさえ人との交流に乏しかった僕はその感情を上手く制御出来ずに、俯いてしまった。そしてそれをからかう妹に恥ずかしさを押し付けるように喧嘩になってしまったのはいい思い出だ。
それでも少しづつ、少しづつ仲良くなっていった僕は幸福だった。
三人で遊びに行ったり、お茶会をしたり、一緒にお菓子を作ったりした。
その中で彼女に惹かれていくのは、自然だったのかもしれない。
けれど、やはり
ある時、父親から呼び出された。
鉄のように冷たく、変わらない表情のまま伝えられる。
『お前には桐藤家のご息女と結婚してもらう』
ああ、やはり
汚い大人から離れた、僕らのささやかな幸せすら、大人たちの事情で歪まされ、その心すら踏み躙られる。
悔しかった。
何も出来ない、何の力も持たない自分が。
恨んだ。
何も出来ない自分を。
『貴方が私の婚約者でよかった』
でも彼女はそう言っていつものように優しく笑い、その小さな体と翼で暖かく包んでくれた。
その時僕は決めた。
強くなると、彼女を守るために、彼女のままでいられるように。
そのために今まで以上に本を読み、貧弱な身体を少しでもマシにできるように鍛えはじめた。
そのおかげであの狭い牢獄に捕らえられていた頃よりも体は強くなり、大人達と混ざって会話出来るほどに賢くなった。
そして初等部を卒業し中等部に上がった僕たちはまた少し大人になった。
初等部よりも『家』を重んじることが多くなった中等部では、僕のことを『出来損ない』と揶揄する同級生なども出てきたが、そういう手合いには実力で黙らせることを覚えた。
常に学内トップの成績を納め続けていた僕を気味悪く思うようになってか、いつの間にか絡んでくる手合いは減り、少し過ごしやすくなった。
妹や彼女は家柄のこともあってか話題の中心になることも多く、学校では自然とすこし距離を置くようになったが、それでも家では昔のように仲良く過ごしていた。
そして僕は一つの目標を見つけた。
『いつかバイクで世界を回りたい』
きっかけは読んでいた雑誌に掲載されていたバイクの写真だった。
さざ波が響く海岸線、喧騒の中の街、爽やかな風が吹き抜ける平原など、様々な場所の風を切り走るその姿はとても自由で、狭苦しいこの箱庭に居る僕にとって、それはとても魅力的だった。
いつか妹や彼女を乗せてどこか遠くを走りたい。そんな小さな目標をよく呟いていた。
そして僕と妹の誕生日。
そのつぶやきを聞いてか、彼女は僕に赤いマフラーをプレゼントしてくれた。
彼女曰く、『ライダーといえばマフラーらしいし、ヒーローといえば赤』なんだそうだ。
滑らかだが、暖かく心地よいそれは良く馴染み、いつかこのマフラーを巻いて、彼女と共にバイクで走りたいと思えた。
青い花の髪飾りを贈られ、絵本のお姫様のように笑う妹と、それを見て微笑む僕ら。
少しでもこの幸せな時間が続けばいいと、そう願っていた。
しかしその願いは儚く崩れ落ちた。
ある寒い冬の日、僕は中等部で出来た数少ない友人に誘われてゲヘナ学園自治区に足を運んでいた。
聞いてみればトリニティでは滅多に出回らないキャラクターグッズが販売されるらしく、それに付き合っていた。
たしか、ペロロとか言ったか。あらぬ方向を見ている珍妙な鳥でどこか愛嬌があったので自分も一つだけぬいぐるみを部屋に置いていた。
なんてことは無い友達とのお出かけ。
ただそれだけのはずだった。
しかし突然の爆炎に日常は崩れ落ちた。
不良が暴れ始めたらしく、その流れ弾が道に停められていた車に当たり、運悪くエンジンやガソリンに引火、爆発したらしい。
爆発の熱で肌を焼かれ、飛び散るガラスで肉は切り裂かれた。
突然の事態に周りは恐慌し、一緒に来ていた友人もどこかへ消えてしまった。
痛みに悶えながら僕は助けを願っていたが一向に来ない。
ゆっくりと流れ出す自分の命を見ながら、僕は走馬灯を見ていた。
なんて事ない小さな衝突で起きた妹との喧嘩、それを止めようと慌てふためく彼女。
彼女が好きだというロールケーキを一緒に作り、お茶会を楽しんだこと。
そしてふわりと花のように輝く彼女の笑顔。
ああ、せめて最期一目だけでも彼女に会いたい
そう思いながら僕の意識は闇に沈んでいった。
そして目覚めた僕は
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『婚約者が意識不明の重体になった』
その知らせが届いた時、私、桐藤ナギサの目の前は真っ暗になった。
そして彼の妹であり、私の幼馴染であるミカさんと一緒に彼が搬送された病院で見た彼の姿は、とても筆舌に尽くし難いものだった。
帰ってきた彼の体は、とても見ていられないほどだった。
身体の至る所に火傷を負い、その上でガラスによって切り刻まれてしまったその体は、怪我をしていない所を探す方が難しいほどだった。
そして首元には所々焼け落ち、血を吸ってどす黒くなった赤いマフラーが彼の命を繋ぎ止めるように頼りなく巻かれていた。
でもそれでも彼は生きていた。
細く、風が吹けば今にも消えてしまいそうな弱い呼吸とはいえ、彼の命の灯火は灯ったままだ。
その日は彼が友人と一緒にゲヘナにペロロのグッズを買いに行くといって、出かけて行った日だった。
ゲヘナは治安が悪いから、トリニティと確執があるから、貴方は体が弱いから。
いくつも理由を並べたが彼はただ微笑んで
『確執があるのは大人の理由。子供がそれに縛られてたらいつまでも終わらない』
『それにいつか、君を色んなところに連れて行ってあげたい。だから色んな場所を知りたいんだ』
そう言って出かけて行った。
救急隊が言うには彼を見つけ、救急通報をしたのは連れて行った友人ではなく、同じトリニティで暮らす、自分よりも年下の少女だったらしい。
友人はそのパニックに気が動転し、彼を見棄てて避難してしまったらしい。
どうして彼を置いていったのか
どうして、どうして、どうして……
『──大、丈夫…ナギサ…』
友人を恨む気持ちが炎のようにチラチラと燃え上がり始めたが、昏睡状態の彼が消えそうな声で呟いた、私を宥める言葉にその心は直ぐに静まった。
でも妹のミカさんは違った。
『野蛮なゲヘナのせいでお兄ちゃんは酷い目に遭わされた』
『ゲヘナなんて居なければ』
幼い瞳に昏い復讐の炎が燃えているのを見た。
そして彼は一向に目覚めず、一週間が過ぎようとしていた頃。
それは起きた。起きてしまった。
目を覚ましていない彼が、病室から姿を消した。
病院の警備システムが夜間に更新され、監視カメラなどが停止するその瞬間に彼は姿を消した。
聖園、桐藤の両家は病院に対してその失態を責めながら、警察に捜索を要請した。
しかしその足取りは一切掴めず、数ヶ月を持ってその捜索は打ち切られ、彼は死亡したとされた。
しかも私の両親は幼少の身でありながら未亡人となってしまった私の『次の貰い手』をどうするのかを既に話し合い始めており、彼の生家である聖園家も早々に調査を打ち切り、何も納められていない空の墓を建てた。
彼が両親や周囲から『出来損ない』だと揶揄されているのは私も知っている。
けれど彼は必死に生きていた。
知識を身につけ、体を鍛え、その評価を覆した。
事実彼は学園でも首席の成績を取り続け、学者とも討論できるほどの叡智を持つ『鬼才』と評価されていた。
そんなに努力した彼に対する仕打ちが『これ』なのか?
私は『大人』を信じられなくなった。
そして数年が経ち、私はトリニティ総合学園の三年生になった。
「明日から……しばらくここには来れそうにありません」
私は数年の間日課になっていた墓参りに来ていた。
たとえ中に彼がいない、空虚なものだとしても、そこに行けば彼の存在を自分の中にいる様な気がしたから。
「これまで何度もそう言っては来てしまいましたが……今回ばかりは本当」
死人に会いに来る、なんておかしい話だが、私はどうしてもそうは思えなかった。
いや思いたくないのだろう。
だから私はいつもここに来る時は、彼がお腹を空かせていないか、喉が渇いてないかと心配して、お菓子やお茶を持ってきてしまう。
「だから、この子を置いていきますから、拗ねないでください)……」
しかし今日はそのどちらでもないものを持ってきた。
彼が何となく気に入っていた、ペロロという鳥のぬいぐるみを供えた。
眼鏡をかけたペロロ博士というそれはその奇妙な表情を抜けば、いつも本を読んでいた彼に少し似ている気がした。
そう言ったら、彼は困ったように笑うだろうか。
「──エデン条約……貴方の言う『確執の歴史』に終止符を打てそうなんです……だから、それまで待っていてくださいね」
彼は自分の両親よりももっと前、先祖から連綿と紡がれてしまった『トリニティとゲヘナの確執』について、常々苦言を呈していた。
大人の身勝手に翻弄され続けた彼にとって、その歴史は忌むべきものだったのだろう。
彼は『子供が子供らしく、親の事情なんて捨てて笑い合える楽園』を願っていた。
だから私は、彼が願う楽園、そのための条約をなんとしてでも調印したかった。しなければならかった。
「絶対にエデン条約だけは、貴方の描く楽園だけは作り上げてみせます」
彼の描いた楽園が作り上げられるなら、私はどんな手を使ってでもそれを成し遂げてみせる。
たとえ何を犠牲にしたとしても。