ジェリコの咎人   作:ミヤフジ1945

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第12話  立ち昇る狼煙

 

 

(…………どうしてこうなっちゃったんだろう)

 

 

ほんのわずかに体を揺らしただけで、両腕を縛る鎖が耳障りな金属音を立てる。

 

ガシャリ、と乾いた音が、静まり返った空間にやけに大きく響いた。

 

その音が、自分の無力さを何度もなぞる。

 

腕は天井から吊られ、肩は外れかけたみたいに鈍く痛む。

 

指先はもう感覚が曖昧で、血が巡っているのかどうかすら分からない。

 

呼吸をするたび、胸の奥が引っかかる。

 

空気が重い。冷たい。淀んでいる。

 

ここには窓がない。

 

光も、風も、時間の流れすら閉じ込められたような、ただの箱。

 

――牢獄。

 

その言葉が、妙にしっくりきた。

 

項垂れたままの視界には、自分の影すら映らない。

 

薄桃色の髪が垂れ下がり、表情を隠している。

 

今、自分がどんな顔をしているのか。

 

それすら、もう分からなかった。

 

ただ一つ分かるのは――

 

これは、望んだ結果じゃない。

 

……いや。

 

 

(違う……)

 

 

胸の奥で、小さく否定する声がある。

 

 

(これは……私が選んだ結果だ)

 

 

ぎゅ、と鎖が軋む。

 

逃げられないと分かっていながら、無意識に力が入っていた。

 

 

「ふん……アイツの話から少しは警戒していたが……所詮は小娘、か」

 

 

カツ、カツ、と。

 

乾いた靴音が、閉ざされた空間に規則正しく刻まれる。

 

その音はゆっくりで、わざとらしくて――不快だった。

 

視界の端に、黒い影が差し込む。

 

カイザーPMC理事。

 

その存在を認識した瞬間、ほんのわずかに喉が動く。

 

けれど顔は上げない。

 

上げたくなかった。

 

上げてしまえば、何かが決定的に崩れる気がしたから。

 

 

「どうした?顔も上げられんか」

 

 

次の瞬間、無造作に顎を掴まれる。

 

硬い。冷たい。人の温度がない。

 

機械の手。

 

逃げ場もなく、そのまま強引に顔を上げさせられる。

 

ぐにゃり、と頬が歪む。

 

視界が持ち上がり、光のない天井と、そして――

 

嗤う顔が映る。

 

 

「っ……」

 

 

小さく、声が漏れた。

 

痛みのせいか、悔しさのせいか、自分でも分からない。

 

ただ、心の奥がじわりと冷えていく。

 

 

「馬鹿な小娘だ」

 

 

理事の声は、淡々としていた。

 

感情が乗っているのに、どこか平坦で、だからこそ不気味だった。

 

 

「自分が犠牲になればなどと……そんな甘い幻想に縋った結果がこれだ」

 

 

顎を掴む力が、ほんの少しだけ強くなる。

 

骨が軋む。

 

 

「大切なものを守るつもりで、結局は全てを失う」

 

 

「実に――滑稽だな」

 

 

言葉が、刺さる。

 

鋭いわけじゃない。

 

鈍く、重く、確実に沈み込んでくる。

 

 

(……ちがう)

 

 

否定したいのに、声が出ない。

 

喉が、うまく動かない。

 

 

「アビドスに残された唯一の生徒会役員」

 

 

「貴様さえいなくなれば、あの砂漠に残る価値あるものはすべて我々のものだ」

 

 

「障害は、もう何一つない」

 

 

その言葉に、胸の奥が跳ねた。

 

ドクン、と。

 

鈍く、嫌な音。

 

 

「今頃は――」

 

 

理事は、ゆっくりと口角を吊り上げる。

 

 

「私の部下が、アビドスを制圧している頃だろうな」

 

 

(……っ)

 

 

息が詰まる。

 

一瞬だけ、視界が揺れた。

 

頭の中に、浮かぶ。

 

いつもの部室。

 

いつもの顔。

 

くだらない会話。

 

それが――壊される光景。

 

 

「……ぁ」

 

 

声にならない声が、漏れる。

 

その反応に満足したのか、理事はふっと手を離した。

 

支えを失った体は、そのまま糸の切れた人形みたいに落ちる。

 

ガシャリ、と鎖が鳴る。

 

その音だけが、やけに大きく響いた。

 

 

「まあいい」

 

 

興味を失ったように、理事は視線を外す。

 

 

「貴様の価値など、もう残ってはいないが――」

 

 

「世の中には、こういう“商品”を好む連中もいる」

 

 

ぞわり、と背筋が粟立つ。

 

 

「全てが終わった後で売り払うのも悪くない」

 

 

「仲間共々な」

 

 

下品な嗤い声。

 

それを最後に、足音が遠ざかっていく。

 

カツ、カツ、カツ――

 

やがて、完全に消えた。

 

残されたのは、静寂。

 

そして。

 

ガシャリ……ガシャリ……

 

わずかに動くたびに鳴る、鎖の音。

 

 

(逃げられない)

 

 

分かっている。

 

最初から。

 

ここに来たのは、自分だ。

 

選んだのも、自分だ。

 

それでも。

 

それでも――

 

 

「……ごめ……」

 

 

声が、途切れる。

 

喉がうまく動かない。

 

空気が足りない。

 

 

「……みん……な……」

 

 

視界が、滲む。

 

 

「……たす……けて……」

 

 

その言葉は、誰にも届かない。

 

ただ、閉ざされた空間に吸い込まれて――消えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第12話

立ち昇る狼煙

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

砂に侵食されたアスファルトの上で、銃声が乾いた音を立てて弾ける。

 

かつて商店街だったはずの通りは、半ばまで砂に埋もれたシャッターと、骨組みだけを晒した看板が並び、風が吹くたびに軋んだ音を鳴らしていた。割れたガラス片が地面に散らばり、踏みしめるたびに細かな破砕音が足元で弾ける。

 

崩れかけたビルの外壁は骨組みを晒し、割れた窓ガラスが風に鳴る。舗装はひび割れ、所々で砂に飲まれ、かつての街路は輪郭だけを残していた。

 

人影はある。だがそれは“生活している人間”の動きじゃない。

 

逃げまどい、物陰に身を潜め、息を殺し、ただやり過ごそうとする影。

 

街は形を残しているのに、そこにある営みは、もうほとんど死んでいた。

 

 

――半崩壊した旧市街。

 

 

その中を、銃声が縫う。

 

ダダダダダッ――!

 

 

「くっ……数が多すぎるっての!」

 

 

セリカが瓦礫の陰に滑り込みながら、短く舌打ちする。

 

直後、彼女がいた場所を弾丸が穿つ。砕けたコンクリート片が跳ね、砂埃が舞い上がる。

 

 

”セリカ、右の路地から三人来る!”

 

 

――先生の声。

 

即座に反応し、セリカは体をひねる。

 

 

「分かってるっての!」

 

 

顔を出すのは一瞬だけ。

 

引き金を絞る――

 

パンッ! パパパンッ!

 

僅かな時間で放たれたセリカの銃弾は正確に先頭の一人の敵兵士の肩を撃ち抜き、体勢を崩す。そのまま後ろの二人を巻き込むように倒れ込んだ。

 

 

”シロコ、今!”

 

 

「ん」

 

 

先生の言葉に低く短い返答を返すシロコが、瓦礫を蹴って一気に飛び出す。

 

一直線に距離を詰め、倒れた敵の横をすり抜けざまに銃口を押し当て――

 

ドンッ。

 

鈍い発砲音と同時に、敵兵士の体が跳ねる。完全に沈黙。

 

そのまま反転し、もう一人へ。

 

 

「……クリア」

 

 

「助かるわ!」

 

 

「まだ終わってないです! 後方、屋上から狙撃!」

 

 

無線機越しにアヤネの声が飛ぶ。

 

視線を上げる。

 

崩れかけたビルの上層――割れた窓の奥に、光る銃口。

 

 

”シロコ、下がって!”

 

 

先生の声に、シロコが即座に身を引く。

 

直後――

 

パァンッ!!

 

高所からの一撃が、さっきまでシロコがいた地面を抉る。

 

 

「チッ……鬱陶しい!」

 

 

”ノノミ、左の壁際から回り込んで!”

 

 

「はい~!」

 

 

ふわりとした声とは裏腹に、ノノミはその巨大なミニガンを構えながら低姿勢で走る。

 

崩れた壁を盾にして死角へ入り込み――

 

 

「そこですねぇ」

 

 

引き金を引いた。

 

ガガガガガガガッ!!

 

連続した重い発砲音。

 

弾丸が壁を砕き、窓枠を引き裂き、内側に潜んでいた影ごと吹き飛ばす。

 

崩れたコンクリートと共に、ビルに隠れていた狙撃手が瓦礫と共に外へ転がり落ちた。

 

 

「はい、制圧完了です~」

 

 

「ナイス、ノノミ!」

 

 

だが――

 

 

”まだ来るよ!”

 

 

砂煙の向こう。

 

統一性のない装備の集団が、波のように押し寄せてくる。

 

アサルトライフル、ショットガン、グレネード。

 

戦術も戦略もない。無秩序に、だが確実に数で押し潰す理不尽の動き。

 

 

「あぁもう、このままじゃあいつらに押し切られる……!」

 

 

セリカが歯噛みする。

 

その時――

 

 

”前に出すぎないで。一旦ラインを下げるよ”

 

 

先生の声が、静かに届いた。

 

 

”右の瓦礫帯を軸に防衛線を組みなおすよ。シロコが前、セリカはカバー、ノノミは面制圧で”

 

 

一拍。

 

 

”アヤネは索敵を続けて。――ここで敵を止めるよ”

 

 

短いが、迷いのない先生の指示。

 

 

「……了解」

 

 

シロコが頷き、前へ出る。

 

セリカは舌打ちしつつも位置を取り直し、

 

 

「はいはい、やってやるわよ!」

 

 

ノノミはすでに銃を構え直していた。

 

 

「いっぱい来ますねぇ~」

 

 

次の増援が来る。

 

そう全員が思った、その瞬間。

 

……来ない。

 

 

「……?」

 

 

セリカの眉がひそめられる。

 

砂煙と砂煙が立ち込める戦場の向こうで、ただ押し寄せてくるはずだった敵兵士の動きが……止まっていた。

 

一発の銃弾も撃たない。

 

一歩も前へと足を進めない。

 

ただ、そこでナニカを、誰かを“待っている”かのように佇んでいるだけだった。

 

 

「なに……これ」

 

 

シロコが低く呟く。

 

異様だった。

 

先ほどまで周囲の被害も考えず無秩序に戦っていたはずの敵が、まるで糸で操られた人形のみたいに動きを揃えている。

 

その違和感が、じわりと先生たちの肌に纏わりついていく。

 

……そして。

 

カツ、カツ、カツ。

 

アスファルトを叩く乾いた足音が、静寂の戦場に割り込んだ。

 

瓦礫を踏みしめる雑音ではない。

 

意図的に“聞かせる”ための音。

 

均一で、揃った歩調。

 

砂煙と砂煙の奥で、影が揺れる。

 

やがて、それが形を成した。

 

晴れた煙の奥で、今までの敵とは見るからに違うと分かる二列に展開した護衛部隊らしき敵。

 

黒を基調とした強化装備。重厚な金属で覆われた無機質なセンサーの視線。巨大な機関銃を構え、射線を切りながらゆっくりと前進してくる。

 

先ほどまでの雑兵とは、明らかに違う。

 

統制。規律。そして圧。

 

“戦場を支配する側”の動き。

 

その中央。

 

護衛に半歩遅れて歩いてくる、一人の機械仕掛けの大男。

 

 

「……やれやれ。少しは骨があるかと思えば、所詮はこの程度か」

 

 

つい先日出会ったばかりで見間違いなどある訳ない。カイザーPMCの理事は、周囲の戦闘など意に介さぬ様子で、ゆっくりとその歩みを進める。

 

砂に汚れることのない靴。皺一つないブランドものの高級なスーツ。

 

この場の誰よりも“余裕”を持っているその姿が、逆に異質だった。

 

護衛の兵士が一歩前に出て射線を確保する。

 

理事が一歩進むと、必ずその前の空間が“安全になる”。

 

まるで――

 

この戦場そのものが、あの男のために整えられているかのように。

 

 

「さて。状況が理解出来ていないという顔だな。今の俺は機嫌が良いから特別に教えてやろう」

 

 

そう、理事が口を開くと共に、護衛の敵兵士は円を描くように展開し、対策委員会と先生を半包囲する。

 

銃口は下げられているが、いつでも引き金を引ける位置。

 

先生たちに逃げ場は、ない。

 

理事はその中心で、ゆっくりと口元を歪めた。

 

 

「――このキヴォトスは、生徒会によって維持されている」

 

 

乾いた風が吹き抜け、砂が足元を流れる。

 

 

「無数の学園、自治区、部活、委員会。その全ては、生徒会という枠組みによって“学校”として成立している」

 

 

一歩。

 

護衛が連動して動き、射線がわずかに絞られる。

 

 

「アビドス自治区とて例外ではない」

 

 

言葉が、空気を押し潰す。

 

 

「そして――その最後の生徒会役員である小鳥遊ホシノが、アビドス高校を退学した」

 

 

静寂。

 

銃声すら、この瞬間だけ遠く感じるだろう。

 

 

「つまりどういうことか……分かるか?」

 

 

答えはない。

 

だが理解だけが、逃げ場なく先生たちに突き刺さる。

 

理事は愉快そうに嗤った。

 

 

「公的な部活も、委員会も生徒会も、自治区すらもないアビドスは、学園都市に存在する学校として自立・存続が不可能だと判断出来る……」

 

 

わざと、ゆっくりと言葉を刻む。

 

 

「だから……あぁ、仕方ない。仕方なく……本当に仕方なくこの自治区の主人である我がカイザーコーポレーションが、お前たちが過ごしたあの学校を引き受けるとしよう」

 

 

そう理事が発した言葉によって、凍っていた空気が膨張した。

 

 

「な……っ、ふざけんじゃないわよ!!」

 

 

噛みつくようなセリカの怒声。

 

だが、そんな怒声に理事は視線すら向けない。

 

 

「安心しろ。お前たちにも“居場所”は用意してやる」

 

 

その口元が、再び歪む。

 

 

「そうだな……新しい学校の名前は【カイザー職業訓練学校】にでもしようか」

 

 

護衛の一人がわずかに前へ出る。

 

それだけで、距離の意味が変わる。

 

 

「もちろん、“生徒”としてではないがな」

 

 

「絶対にアンタなんかに渡さないっ!!」

 

 

髪を逆立て、弾けるようにセリカが前に出た。

 

銃を握るセリカの手が震えている。恐怖じゃない。怒りだ。

 

 

「勝手なこと言って……! アンタたちに何が分かるっていうのよ!」

 

 

理事を真っ直ぐに睨みつける。

 

 

「私たちには……対策委員会がある!」

 

 

声が、廃墟の通りに響く。

 

砂に沈みかけた死にかけの街の中で、それだけが妙に真っ直ぐ響いた。

 

 

「ちゃんと委員会として活動してる! 皆でアビドスを守ってきた! それを……アンタたちが勝手に――!」

 

 

言い切るより先に、浅い呼吸によりセリカの息が詰まる。

 

それでも、振り返る。

 

 

「……そうでしょ!?シロコ!ノノミ!アヤネ!先生も!」

 

 

同意を求めるようなセリカの視線。

 

縋るような、同意を求めるようなセリカの視線。

 

だが。

 

シロコは、何も言わない。

 

ノノミは、唇を噛みしめたまま俯く。

 

アヤネは……

 

 

「…………」

 

 

開きかけた口を、閉じた。

 

言葉が、出ない。

 

そして。

 

先生もまた、沈黙したままだった。

 

その沈黙が、何よりも雄弁だった。

 

渇いた風が吹く。

 

砂が、足元をさらっていく。

 

セリカの瞳が揺れる。

 

 

「……なんでよ」

 

 

小さく、零れる。

 

 

「なんで……何も言わないのよ……」

 

 

その問いに、答える者はいない。

 

――いや。

 

一人だけ、いた。

 

 

「クク……なるほど。そう来るか」

 

 

理事が、楽しそうに喉を鳴らす。

 

 

「確かに“対策委員会”とやらは存在しているな。記録上も、活動実態も、な」

 

 

一歩、踏み出す。

 

護衛が連動して動き、半包囲の圧がわずかに強まる。

 

 

「だが……」

 

 

口元が歪む。

 

 

「残念だが、それは連邦生徒会に認められた正規の委員会ではない」

 

 

その一言は、戦車よりも重く、銃弾よりも真っ直ぐに真実を射抜いた。

 

 

「……え」

 

 

困惑したセリカの声が、かすれる。

 

理事は続ける。

 

 

「非公認組織。非公式活動。いわば()()()()()()()()()()()に過ぎん」

 

 

指先で、空を軽く弾くような仕草。

 

 

「そのような怪しい集団に、学校としての権利を保証する理由がどこにある?」

 

 

言葉が、逃げ場を塞ぐように重なっていく。

 

 

「ましてや、もはや生徒会も存在しない現状で、それを学園組織の一部と認めるなど……」

 

 

小さく、嗤う。

 

 

「冗談にもならん」

 

 

完全なる否定だった。

 

セリカの手から、力が抜けかける。

 

 

「そんなの……そんなのって……」

 

 

それでも、言葉を探そうとする。

 

だが……

 

見れば分かる。

 

アヤネは目を逸らし、シロコは何も言わず、先生も動かない。

 

()()()()()()は、誰も反論しない。

 

その事実が、現実が、全てを物語っていた。

 

理事はその光景を見渡し、満足そうに息を吐く。

 

 

「理解したか?」

 

 

静かに。

 

だが確実に、踏み潰すように。

 

 

「唯一の生徒会役員だった小鳥遊ホシノが居ない時点で、お前たちはもう“生徒”ですらない」

 

 

…………沈黙が、落ちた。

 

セリカの声が消えた後。

 

風に巻き上げられた砂だけが、崩れかけたビルの隙間を擦り抜けていく。

 

アヤネは俯いたまま、何も言えない。

 

シロコも、視線を逸らしたまま動かない。

 

ノノミは、唇を噛み締めている。

 

誰も…………理事の言葉を否定できない。

 

その事実が、この場の空気をより重く、深く押し潰していた。

 

理事は、その沈黙を楽しむように口角を歪める。

 

 

「どうした? 稚拙な反論はそれで終わりかね」

 

 

乾いた靴音が一歩、前に出る。

 

「貴様らの拠り所など、所詮その程度のものだ。法も、制度も、何一つ持たない……ただの()()()()()に過ぎん」

 

そう、理事が語ったその時だった。

 

 

”……それでも”

 

 

小さく。

 

けれど確かに、この場に声が落ちた。

 

全員の視線が、一斉に向く。

 

先生だった。

 

これまで一言も発さなかったその人が、ゆっくりと顔を上げる。

 

風に揺れる砂埃の向こうで、その目だけが真っ直ぐに理事を捉えていた。

 

 

”それでも……アビドス高校(あそこ)は、この娘たちの居場所だ”

 

 

一歩、先生が理事へと足を踏み出した。

 

その安物の革靴で小さな瓦礫を踏み砕く音が、やけに大きく響く。

 

 

”他の誰に認められなくてもいい。制度が間に合っていなくてもいい”

 

”この娘たちが、この娘たちの意志で守ってきた場所だ”

 

 

短く息を吸う。

 

そして、先生ははっきりと理事に言い切る。

 

 

”それを、誰かに奪わせるつもりはない”

 

 

空気が、変わる。

 

張り詰めていたものが、また別の種類の熱を帯びていく。

 

セリカが、ハッとしたように顔を上げた。

 

タブレットを持っていたアヤネの指が、震えながらも強く握られる。

 

シロコの視線が、再び鋭く前を向ける。

 

理事は一瞬だけ目を細め……

 

そして、嗤った。

 

 

「ふん……感情論か」

 

 

軽く肩をすくめる。

 

 

「おおいに結構。だがな……それでは何も守れん」

 

 

 

”知らないのかい?子供が一歩前へと踏み出すときは、何時だって理屈より感情だよ”

 

”そして”

 

”その一歩を踏み出した生徒を前へと導くのが、先生()の役目だ”

 

 

シッテムの箱の画面を見せつけるように、理事へとそう宣言する先生。

 

その画面に映っているものは、未だ小さく日の目を見ない……希望の芽。

 

 

アビドス対策委員会承認審査中

 

 

”生憎、まだホシノの退学届けに受理サインを書いてないんだ”

 

 

先生がもう一人の小鳥遊ホシノとの約束を泣く泣く破ってシャーレへと帰った際に、対策委員会の現状を知った先生がついでとばかりにリン行政官経由で連邦生徒会に出していた、正式に対策委員会を認めるための申請書。

 

あの時はただ気になったからと提出しただけの代物が、今この場に残された先生たちの最後の武器だった。

 

未だ退学届が受理されていない現状、ホシノが所属する対策委員会が連邦生徒会に承認される確率は高い。

 

あとは先生たちがホシノを取り返すことができれば、アビドスの正当性は逆転することができる。

 

その可能性を見た理事は、少しだけ不機嫌そうに指を鳴らした。

 

その瞬間、囲んでいた護衛の兵士の他にも周囲の瓦礫の影、崩れた建物の内部、路地の奥から――

 

一斉に銃口が姿を現した。

 

 

「いいだろう。現実というものを、俺が貴様らに教えてやる」

 

 

そんな理事の言葉と同時に……周囲の銃口が、一斉に火を噴こうとした。

 

……刹那。

 

空が、裂けた。

 

キィィィィィィィィィィン……!!

 

空気を引き裂くような高周波の音。

 

次の瞬間。

 

 

ド  ゴ  ォ  ォ  ォ  ン  ッ !!!!

 

 

と、空気そのものが叩き潰されたような衝撃が、戦場を押し潰した。

 

 

「……ッ!?」

 

 

爆発による衝撃波と熱が、遅れて先生たちに叩きつけられる。

 

地面が跳ねる。瓦礫が浮く。崩れかけた外壁が悲鳴を上げて崩落する。

 

この場に居た全員の視界が白く弾けた。

 

爆炎と砂塵が一気に膨張し、旧市街の一角そのものを飲み込む。

 

 

「な、何なの一体っ!?」

 

 

驚いたセリカの声が、衝撃音にかき消された。

 

だが、それだけでは終わらなかった。

 

 

ドゴォンッ!! ドゴォンッ!! ドゴォンッ!!

 

 

連続する着弾。

 

まるで空から杭を打ち込まれるみたいに、爆発と共に地面が抉られていく。

 

ビルの上層が吹き飛び、鉄骨がむき出しになって軋む。

 

舗装は砕け、砂と瓦礫が渦を巻いて舞い上がる。

 

――完全に、戦場の形が変わった。

 

理事の周囲で今にも引き金を引こうとしていた兵士たちが、爆発に呑まれて初めて明確に崩れた。

 

 

「な、何だこれは……!」

 

 

今まで余裕そうにしていた理事が初めてその態度を崩した。その時。

 

 

バララララララララ……ッ

 

 

低く、重く、逃げ場のない音。

 

空気を押し潰すローターの振動音が、舞い上がった爆煙をかき分けてこちらへと迫ってくる。

 

「……来る」

 

シロコが、低く呟いた。

 

次の瞬間。

 

濁った砂煙を切り裂くように、焦げ茶色の機影が突入してきた。

 

地面すれすれの、今にも墜落しそうなほどの低空飛行。

 

力強いローターの風圧が、建物の残骸と砂をまとめて吹き飛ばし、視界を強引に奪う。

 

 

”伏せて!”

 

 

咄嗟に放たれた先生の声。

 

先生の声が聞こえた瞬間、条件反射でノノミたちがしゃがんだ直後――

 

 

ドドドドドドドドドッ!!

 

 

ノノミが持つミニガンとは比較にならないほどの重低音の射撃音が先生たちの鼓膜を強く揺さぶった。

 

それは銃声なんて生易しいものじゃなかった。

 

20ミリGIAT M.621機関砲。

 

毎分800発の速度で発射される、徹甲焼夷弾榴弾の暴力。

 

装甲車の残骸が、紙みたいに引き裂かれていく。不運にも命中してしまった、強固に装甲化された敵兵士が砕け散るんじゃない……文字通り消し飛ぶ威力。

 

今にも先生たちを仕留めようと展開していたPMC部隊が、何が起きたか理解する間もなく消えていく。

 

「ぐ、あぁぁッ!?」

 

悲鳴すら続かない。

 

音に、衝撃に、全てが潰される。

 

やがて再び、風が流れた。

 

爆炎と共に舞い上がった砂煙がゆっくりと晴れていく。

 

その中心に――

 

ひとりだけ立っていた。

 

爆炎の衝撃波など感じないとばかり微動だにせずに。

 

ただ、そこに在る。

 

拭っても消えぬ血と硝煙のしみ込んだ装備を身に纏い。

 

傷つき、所々削れた盾を持ち。

 

何時でもその咆哮をあげんと握られた銃を手に。

 

見慣れているはずのシルエット。……なのに。

 

この場にいる誰もが、すぐには声を出せなかった。

 

纏う空気が、違う。

 

つい先ほどまでこちらを圧倒していた理事の圧とも違う。

 

静かすぎる。

 

戦場のど真ん中に立っているのに、そこだけ切り離されたみたいに、空気がちがう。

 

 

「……誰、あれ」

 

 

伏せていた顔を上げたセリカの声が、かすかに溢した。

 

その影が、ゆっくりと顔を上げた。

 

痛んでボサボサの……薄桃色の髪の奥。

 

青と黄色のオッドアイが覗いた瞳は。

 

 

「……ホシノ、先輩……?」

 

 

「……あーあ、派手にやっちゃってるねぇ」

 

 

まるで世間話をするように、ぽつりと呟かれた言葉。

 

声音は柔らかい。

 

けれど、その場に残った結果が、言葉の柔らかさを完全に裏切っていた。

 

 

「もう少し、裏で色々と準備をしていたかったんだけどさ……さすがにそうするだけの時間はなかったよ」

 

 

現れた彼女の姿に、理事は言葉を失った。

 

何故だ!?お前はあの場で囚われたままのはずだろう!?

 

そう言葉を出そうとしても、まるでエラーを吐いたかのように理事は声が出なかった。

 

白とピンクに彩られた凶悪なショットガンをくるりと回して、小鳥遊ホシノは肩に預けた。

 

 

「ホシノ先輩!どうしてここに!」

 

 

”いや……違うよアヤネ。彼女は……”

 

 

そんな彼女の姿を見て、思わずそう叫んだアヤネ。だが直ぐに彼女の正体に気づいた先生が、今にも駆け出しそうな雰囲気のアヤネをそう言って止めた。

 

この場の誰もが彼女……小鳥遊ホシノ(もうひとりのホシノ)へと注目する中で、彼女のオッドアイの視線が、ゆっくりと周囲を見渡す。

 

先生たちへ。

 

そして……理事へ。

 

「でもまぁ……」

 

少しだけ、笑う。

 

優しく。天使のような微笑みで。

 

けれど……猛禽のような逃げ場のない笑みで。

 

ガシャンっと愛銃を構えて、小鳥遊ホシノ(もうひとりのホシノ)は言葉を告げる。

 

 

「間に合ってよかった……さぁ、騎兵隊の参上だよ」

 

 

 

 

旧版と改修版……どっちが読みやすい?

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