「ねぇ、ホシノちゃん」
「私ね」
「ホシノちゃんと初めて会った時、これは夢なんじゃないかなって思って、何度も頬をつねったの」
「ホシノちゃんみたいな、可愛くて強くて、頼れる後輩がそばにいてくれるなんていう夢みたいなことが、本当に嬉しくて……」
「うーん、上手く説明できてないかもしれないけど……」
「ただ、こうしてホシノちゃんと一緒にいられることが、私にとって奇跡みたいなものなの」
「……毎日毎日、こうして一緒にいるじゃないですか」
「昨日も今日も、明日もそうです。こんな当たり前なことで、なに大袈裟なことを」
「はぅ……だって……」
「奇跡というのはもっとすごくて、珍しいもののことなんですよ」
「……ううん、ホシノちゃん」
「私は、そうは思わないよ」
「ねぇ、ホシノちゃん。いつかホシノちゃんにも可愛い後輩ができたら─」
「間に合ってよかった……さぁ、騎兵隊の参上だよ」
優しさと……猛禽のような鋭さを同時に宿した微笑み。
その矛盾した表情のまま、
「……っ、ホシノさん……?」
セリカの声が、揺れる。
信じたい。けれど、どこかで引っかかる。
彼女が来るはずがなかったからだ。
病室で眠っていたはずの彼女は、あの黒服と名乗る男に連れ去られてから……今この瞬間まで。
どこで、何をしていたのか。
先生を含め、アビドスの誰一人として把握していない。
「来て……くれたんですねっ!」
アヤネの声は、わずかに上擦っていた。
目を覚ましたことへの安堵。
それも確かにある。
だが、それ以上に…………
目の前に立つその小さくとも大きな背中。
この絶望的な戦場を覆しかねない、“何か”への確信にも似た安心感が、その言葉に込められていた。
ニセノは、そんな彼女たちの視線を受け止めるでもなく。
ただ、周囲をゆっくりと見渡した。
崩れた建物。
抉れた地面。
未だ燻る爆炎の跡。
そして……
銃口を向けたまま、動けずにいる生き残ったカイザーPMCの兵士たち。
「……うん、間に合ったっぽいね」
ぽつりと。
場違いなほど軽い声。
その足元には、さっきまでそこにあったはずの最前線が、跡形もなく吹き飛んでいるというのに。
「……貴様」
低い声が、空気を切り裂いた。
理事。
晴れた爆煙の奥から、ゆっくりと姿を現す。
その目は、ニセノを捉えたまま一切逸れない。
「その顔……」
一歩。
護衛が反応するが、理事は手で制する。
「小娘…………貴様は小鳥遊ホシノ、のはずだな」
確かめるような声音。
「確かに貴様は、我々が捕らえていたはずだ」
その言葉に、わずかな理事の“ズレ”が滲む。
「……どうやってあの場所から抜け出した?」
ニセノは、ほんの少しだけ首を傾げた。
「んー……」
考えるふりをして。
あっさりと言う。
「抜け出した、っていうよりさ」
軽く、自分を指さす。
「そっちの
沈黙。
言葉が、通らない。
理事の表情が……ほんのわずかに、止まる。
余裕もなく、理事の理解が追いつかない。
いや、理解を拒んでいる。
あり得ない前提を、エラーを吐きそうになる頭脳が無理やり現実に押し込もうとしている。
「……何を言っている」
低く、吐き捨てるように。
だがその声には、先ほどまでの余裕が僅かに欠けていた。
「貴様は、小鳥遊ホシノだ」
断定。
そう言い切ることで、理事は目の前の現実を固定する。
「我々が捕らえ、管理している個体だ」
言葉を重ねる。
理屈で、状況を縛る。
だが――
「……それ以外など、断じてあり得ん」
その言葉は、理事が自身に向けた確認でもあった。
「…………」
ニセノは、その様子を少しだけ眺めて
小さく、その傷だらけの肩をすくめた。
「そっか」
あっさりと。
あまりにもあっさりと、理事の言葉を受け入れるわけでも否定するわけでもなく。
「じゃあさ、その
首を傾げる。
まるで他人事みたいに。
「どうする?」
その一言。
理事の眉間が、ぴくりと歪んだ。
「……ふざけるな」
低い。
押し殺した声。
だがその奥で、確実に余裕を削ぎ、苛立ちが膨れ始めている。
「状況を理解していないのは小娘……貴様の方だ」
一歩、踏み出す。
護衛が連動し、銃口がわずかに持ち上がる。
「ここは我々カイザーの土地だ。そして貴様は――」
けれどそれはほんの一瞬の出来事で周りの誰も、そのことに気づけなかった。次に
「我らの管理下にある、ただの資産に過ぎん」
その瞬間。
けれどそれはほんの一瞬の出来事で周りの誰も、そのことに気づけなかった。次に
やっぱり、柔らかい笑みだった。
「……そっか」
先ほどと同じ言葉。
けれど今度は、ほんの少しだけ……声音の温度が低い。
「じゃあ……」
一歩、
それだけで、足元にあった大きな瓦礫が、軽く砕けた。
「私が取り返しに来たってことで、いいよね」
空気が、緊張の糸が張る。
護衛の何人かが、反射的に引き金に指をかけた。
安全装置が外れる音。
照準が、収束する。
――撃てば終わる。
その空気が、張り詰めた瞬間。
「お待たせしました、ホシノさん」
背後から。
場違いなほど穏やかな声が、落ちた。
「対地ミサイルは少々やりすぎましたね……おかげで付近の建物が崩れて、ヘリを止めるのに手間取りましたよ」
まるで天気の話でもするみたいな口調。
自然に、まるで居るのが当たり前だというように“それ”は立っていた。
――一拍、遅れて。
護衛も同時に動き、銃口が一斉に後方へ……理事の後ろへと向く。
理事もまた、遅れて肩越しに振り返る。
自然に、まるで居るのが当たり前だというように“それ”は立っていた。
黒い。
ただ黒いだけのマネキンのような輪郭。
人の形をしているのに、人の温度が一切ない。
仕立ての良いスーツだが、それを着ているのは一目で人間ではないと直感できる。
顔のあるはずの場所には――
ひび割れたガラスのような光が、静かに輝いている。
黒服。
自らをそう名乗る存在。
理事にとっても。そして先生にとっても。
無視できない因縁を持つ謎の存在。
「……貴様」
黒服の存在を認識した理事の声が、低く落ちる。
だが――
黒服は、そんな理事に一瞥すらくれない。
まるで最初から、そこに居ないものとして扱うかのように。
彼女の神秘をよく理解しているはずの黒服のその言葉に、
ただ一人……
「ヘリから飛び降りるとは思いませんでしたが……ご無事で何よりです、ホシノさん」
淡々と。だが確かに黒服の言葉には安堵の色を滲ませていた。
彼女の神秘をよく理解しているはずの黒服のその言葉に、
「ん……そっちも、ちゃんとやってくれたみたいだね」
「貴女を死なせると……あの方たちに顔向けできませんからね」
「何の話?もしかしてワカモのことかな?」
「何でもありませんよ……えぇ」
軽い調子。
まるでここが戦場のど真ん中ではなく、放課後のファミレスで世間話でもしているかのようなその会話の温度。
そのやり取りが……
理事の中で、何かを決定的に切った。
「……貴様ら」
低く。
だが、先ほどまでとは明確に違う声音。
余裕も、理性も、削ぎ落とされた怒気。
先ほどまで本人が嘲笑っていたはずの……感情に支配された言葉。
「黒服……!」
一歩、理事は黒服へと強く踏み出した。
低く、噛み潰すように理事はその名前を呼ぶ。
護衛の兵士が動くより早く、その声が空気を震わせた。
「契約を重視する貴様がッ!」
歯を剥く。
「よくも私を裏切ってくれたなッ!!」
その怒り任せの叫びに、周囲の兵士たちが一瞬だけ硬直する。
だが黒服はまるで風でも受け流すように、わずかにその黒い首を傾げただけだった。
「裏切り……ですか」
興味の薄い声。
「どうやら少々、貴方と私では認識に齟齬があるようですね」
一歩。
ゆっくりと歩を進める黒服。そのまま彼は理事の方へ……ではなく。
理事の横をそのまま通り過ぎて、あくまで
「一つ……良いことを教えてあげましょう、理事」
静かに。
しかし、その場の温度を一段階落とすように。
「お金や技術でのみ繋がった契約とは」
一拍。
「残念ながら……命を預けられるほど固い信頼と信用の前では、無価値な紙切れも同然であると」
沈黙がこの場を支配する。
理解ではなく、拒絶のための空白の沈黙。
そして。
「キサマァァァアアアッ!!」
理事が、ついに完全に激発した。
手を振り上げる。
「撃てッ!! 全員だ! あの小娘と……あの裏切り者を殺せ!!」
命令。
カイザーPMCの兵士たちにとって、それは絶対のはずだった。
兵士たちが一斉に引き金へ指をかける……
その直前。
「あー、ごめんね」
理事の怒声と比べて、あまりにも軽い声。
それだけで。
この場の支配権が変わる。
「ここから先はさ」
踏み砕かれた足元の瓦礫が、ミシッ、と軋む。
「一方通行なんだよね」
次の瞬間。
ドンッ!!
音が遅れてついてくる。
装甲ごと。
内部回路ごと。
そして空気ごと。
まとめて吹き飛ばす。
盾で殴られた兵士の身体が、その更に後方の兵士を巻き込みながらボウリングのピンのように吹き飛んだ。
背後の瓦礫に叩きつけられ……そのまま動かない。
何度目かの沈黙。
怒鳴っていたはずの理事も、黙って様子をうかがっていた先生たちの誰も、動けなかった。
僅かな神秘が込められたあまりにも質が違う一撃。
「うん、これで分かりやすくなったかな」
にこり、と笑う。
そして、振り返らずに言った。
「先生」
短く。
けれど、確実に託す声。
「
「黒服が道案内してくれる」
「クックック……えぇ準備は整っています。ヘリも、すぐに飛ばせますとも」
「ここは私が引き受けるからさ」
少しだけ。
ほんの少しだけ、
「迎えに行ってあげてよ」
”……だけど”
そんな
少し視線を移せば、今にもこちらを攻撃してきそうなカイザーの軍勢がいるのだ。
黒服による対地ミサイルと機関砲の掃射によって大きく数を減らしたとはいえ、未だ多くの敵が残っているのも事実だ。
生徒を置いていく。
それは、先生として……最も選びたくない選択肢だった。
「勘違いしないでよ先生。優先順位を間違えちゃいけない」
そんな先生の心情を慮って、
「今ならカイザーの戦力の大半がここに集まってる。ヘリには各種弾薬を含めた
「先生やみんながまずしなきゃいけないのは、
セリカがその顔を上げる。
アヤネが決意を胸に頷いた。
シロコとノノミは、すぐに動いていた。
”……行くよ、みんな”
短く、先生は口を開いた。
全員が覚悟を持って動き出す。
「さぁ、皆さんこちらへすぐに移動しますよ」
黒服が先導するように歩き始め、その背中に続くようにみんながこの場を離れ始めた。僅かに戦場から離れたヘリの元へと。
「みんな!」
その後ろ姿を見ながら、
「あの
「待てッ!!奴らを逃がすな!!」
だが、その前に。
完全に。
正しく壁として。
「ダメだよ」
柔らかく。
けれど、絶対に越えられない強者の声で。
「言ったでしょうが」
一歩、踏み込む。
「ここから先は」
盾を、再び構える。
「一方通行だって……ねッ!」
空気が、震えた。
――戦闘、再開。
⏱
独特の甲高いエンジン音が、鼓膜を叩き続けていた。
四枚のローターが奏でる音が、空気を裂くように鳴り響く。
機体は気流によって揺れ、金属の軋む振動が座席越しに伝わってくる。
それでも――
機内は、静まり返っていた。
誰ひとりとして、何も言わない。
言葉を発する余裕がないのか。
それとも、言葉にしてしまえば張り詰めた心の中で崩れてしまう何かを抱えているのか。
セリカは、膝の上で握った拳を見つめたまま動かない。
アヤネは何かを言おうとして、結局口を閉じた。
ノノミもまた、いつもの柔らかな表情を消していた。
シロコは目を伏せ黙々と、愛銃の弾倉に弾を込めていた。
その指先に、迷いはなかった。
……そして。
先生は、何も言わずに座っている。
ただ、窓の外に見える砂漠の向こうを見ていた。
ヘリの窓の向こう。
黄金色が続く砂漠の向こう、遠ざかっていく戦場。
そこに置いてきた背中が、瞼の裏に焼き付いて離れなかった。
「ここは私が引き受けるからさ」
「迎えに行ってあげてよ」
まるで何でもないことのように優しい言葉で紡がれた、その言葉と姿。
だが、その言葉の重さを、このヘリに乗っている誰もが理解していた。
残されたのは、自分たちだ。
託されたのも、自分たちだ。
絶対に……必ず。
……けれど。
けれど、本当に……あそこに彼女を残してよかったのか。
あの敵の数。
あの戦場。
どれだけ
ひとりで。
その考えが、頭をよぎるたびに。
甲高いエンジン音が、無理やりそれをかき消した。
考えるな、と言うように。
前へと進め、と言うように。
ローターの回転が、一定のリズムで空を叩く。
まるで、時間を刻む針のように。
引き返すことは、もうできない。
選んだのだ。
あの小さくとも大きな背中に、任せると。
「「「「「…………」」」」」
誰も、口には出さない。
だが同じ想いが、この機内に満ちていた。
取り戻す。
あの場所に残したものも。
奪われたものも。
すべて。
そのために、今は進む。
轟音が荒れ狂う中で。
覚悟を秘めた沈黙のまま。
ヘリは、砂漠の風を切り裂いて進み続ける。
「……間もなく到着しますよ」
不意に。
機内の沈黙を裂くように、無線機越しの声が落ちた。
黒服の声だった。
「みなさん、降りる準備を」
それだけ。
短く、淡々と無機質な一言。
だがそれは、この静寂の終わりを告げる合図だった。
セリカが顔を上げる。
アヤネが、息を呑む。
窓の外に。
シロコは無言のまま弾倉を差し込み、確実に装填を終える。
誰も、もう迷っていない。
ヘリが、大きく機体を傾ける。
高度が落ちる。
窓の外に
巨大な工場にも見える無機質な灰色の建造物群が先生たちの視界に見えてきた。
カイザーの基地。
先生たちの目的地。
先生は、ゆっくりと立ち上がった。
その一動作だけで。
機内の空気が、完全に切り替わる。
”……行くよ”
短い言葉。だがそれだけで十分だった。
全員が応えるように動く。
ローター音が、さらに一段と激しくなった。
風圧が、機体を叩く。
そしてヘリは、迷いなく新たな戦場へと降りていく。
僅か数分で、豆粒ほどだった基地が先生たちの目前へと近づいた。
「……やはり。兵力の大半は前線に出払っていますね」
無線越しの、くぐもった声。
「カイザーの基地は手薄です。予定通り」
「……と、いったところでしょうか」
ヘリが、低空を滑るように侵入する。
砂漠の丘陵に隠れ、サーチライトの死角、監視塔の視線の外側から。
そのまま、基地内のヘリポートへと滑るように着陸した。
「ほとんどが出払っているとはいえ、ヘリの音に気付かないわけがありません」
「警備の兵士が来る前に手早く進めましょう」
ローターが回転を緩め、風圧がヘリポートに積もった僅かな砂を巻き上げる。
だがその音すら、この広大な基地の中ではひどく小さく感じられた。
まるで――
誰もいないかのように。
”……目的は一つ”
先生の声が、低く落ちる。
”ホシノを取り返すこと”
一拍。
”戦闘は最小限。無駄な消耗は避ける”
「「「「了解」」」」
即答だった。
迷いはない。
全員が、そう短く先生の言葉に返した。
次の瞬間には、隊列が静かに動き出した。
黒服を先頭に、シロコ、セリカ、ノノミ、先生、アヤネの順に。
足音は、ほとんど響かない。
砂を踏む感触だけが、かすかに残る。
黒服が先導する。
その背中を追うように、先生たちが建物の影へと溶け込んでいく。
足裏に、わずかな振動が伝わった気がした。
だが、それもすぐに消える。
……気のせいか。
誰も足を止めない。止める理由がない。
そして今は、そんなことに意識を割くべきではないと、先生を含めた全員が理解していた。
黒服が、無言のまま一つの扉の前で足を止める。
指先で軽く端末に触れると、電子音と共にロックが解除された。
重い金属扉が、わずかに軋みながら開く。
中は、無機質な通路だった。
白い壁。
等間隔に並ぶ照明。
消毒液のような匂いと、機械が奏でる低い駆動音。
基地の中枢へと続く通路。
いかにも、という光景だった。
”……行こう”
先生の短い指示。
全員が頷き、内部へと踏み込む。
足音は、依然として最小限。
黒服の案内の元シロコが先頭に立ち、曲がり角ごとに視線を滑らせる。
監視カメラの死角の確認。
侵入経路の確保。
その動きは、シロコにとってもはや習慣のように洗練されていた。
曲がり角を一つ、曲がる。
人影。
巡回兵が二人。
会話を交わしながら、こちらに背を向けて歩いている。
”……シロコ”
小さな合図。
大げさに先生が指揮する必要もない。
先生の言葉を聞いた瞬間シロコの姿が、ふっと消えた。
次の瞬間には
一人目の首元に、鋭い一撃。
声が出る前に、意識が刈り取られる。
その身体が崩れ落ちる前に支え、静かに床へ。
二人目が振り向く。
「…………?」
疑問が形になるより早く。
ノノミの銃床が、正確に二人目の後頭部を巨大なハンマーの如く叩き潰す。
鈍い音。
だが、それも廊下の奥へは届かない。
二人目、沈黙。
「クリアです〜」
小さく、しかし確実な報告。
セリカとアヤネが素早く周囲を確認し、監視カメラの死角を維持する。
”よし……進もう”
止まらない。
迷わない。
目的は一つ、さらに奥へ。
無機質な廊下を進むたびに、施設の性質が変わっていく。
倉庫区画。
整備区画。
そして、明らかに警備レベルの高いエリアへと。
カードキー認証を必要とした二重扉。
監視カメラの数も増えていく。
「この先です」
黒服が、低く告げる。
「彼女は……この先の隔離区画に収容されています」
その言葉に。
わずかに、全員の空気が張り詰めた。
セリカの拳が、再び強く握られる。
アヤネの呼吸が、ほんの少しだけ浅くなる。
ノノミの目から、柔らかさが完全に消える。
シロコは――ただ静かに前を見据えていた。
……そして。
足裏に、再び。
……ほんのわずかな揺れ。
コツ、と靴底が床に触れる瞬間に。
一瞬だけ、先生のバランスが狂う。
誰かが、違和感に気づく。
けれど
「……行きます」
黒服の声が、それを上書きした。
思考を、切り替える。
今は違う。優先すべきは――
黒服が小さなドローンのようなものを扉の前へと飛ばした。
モスキート音にもにた微かなプロペラ音を響かせる小型ドローンは扉の前まで飛んでいくとそこでピタッと静止した。
「小型のジャミングドローンです」
「短時間ですが、監視カメラの映像をハッキング出来ます」
そう語った黒服は、そのまま扉の前まで行くとシステムをハッキングする。
ほんの僅かな時間。1分にも満たない短時間で、高いセキュリティを誇っていた二重扉はその口を開けた。
先生が、静かに一歩隔離区画へと踏み出す。
その背中に続くように。
全員が、隔離区画へと進んでいく。
この奥に。
重い隔壁の向こう。
隔離区画はこれまで通って来た場所とは音が違った。
ずっと聞こえていた機械音が、ここでは極端に薄い。
空調の低い唸りだけが、かすかに先生たちの耳に残る。
それ以外は、静寂。
あまりにも、静かすぎる。
足音が、やけに大きく感じられる。
だからこそ全員が、無意識に歩幅を揃え、音を殺していた。
……牢獄。
無機質な床。
等間隔に並ぶ扉と、そこに据え付けられた鉄格子付の窓。
どれも同じに見えるその並びが、逆に異様だった。
人を閉じ込めるための場所。
……牢獄
そんな言葉が、誰の頭にもよぎった。
そして足裏に、再びわずかな違和感。
――ズズ。
一瞬だけ、床が震えた気がした。
ほんの僅か。だが確かに。
先生は視線だけを下へと落とす。
しかし、すぐに前へ戻した。
……気にするな。
今は、違う。
「……こちらです」
黒服が、小さく告げる。
指し示した先。
隔離施設の最奥、他の扉とは明らかに違う扉。
厚い。
二重どころではない、多層構造の隔壁。
戦艦の装甲版を思わせる分厚い鋼鉄製の扉。
電子ロックが幾重にも重なり、赤い警告灯が淡く点滅している。
ここだけ、異質だった。
シロコが一歩前に出る。
壁際、天井、床。
視線が流れるように走る。
「……監視カメラ、三つ」
小さく呟く。
その言葉に、先生は持っていたタブレット端末……シッテムの箱を開いた。
”アロナ……”
ノイズ。
それだけで設置されていた監視カメラも、厳重に守られていた電子ロックもカイザーの手を離れた。
「では……先生」
黒服がゆっくりと道を開ける。
譲られた道を先生が一歩踏み出し、扉に指が触れた瞬間。
ロックが一つ、解除。
もう一つ。
さらに一つ。
電子音が、やけに大きく響く気がした。
時間にして僅か数秒。
だが、その一秒一秒がやけに長く感じる。
その時。
――ズズズ。
また。
今度は、ほんの少しだけ強い。
セリカの肩が、僅かに揺れる。
「……今の」
言いかけて、止まる。
言葉にするべきではないと、本能が告げていた。
ノノミも、何も言わない。
シロコは、ただ銃口を固定したまま。
先生もまた――何も言わない。
”……行くよ”
先生のその声と共に……
次の瞬間。
重い開錠音が重なり――
隔壁が、ゆっくりと開き始めた。
内部は、さらに静かだった。
一歩、踏み込む。
空気がまた変わった。
ひやりとした冷気が、肌にまとわりつく。
温度ではない。
もっと別の……閉ざされた空間特有の、重苦しい息苦しさ。
広い部屋だった。だが、何もない。
余計な設備も、家具も、装飾も。
ただ部屋の中央に……
彼女がいた。
天井から伸びる、二本の鎖。
無骨で、冷たい鉄の鎖。
その先に繋がれているのは――
一人の少女。
両腕を上に引き上げられたまま、拘束されている。
つま先が、かろうじて床に触れている程度。
力無く、そのまま全体重が腕にかかる姿勢で。
頭は、俯いていた。
薄桃色の綺麗な長い髪が顔を覆い、その表情は先生たちには見えない。
微動だにしない。
「「「「「…………」」」」」
誰も、声を出せなかった。
その光景が何を意味しているのか。理解が、追いつかなかった。
考えるまでもなく分かるのに……
それを認めることを、本能が拒んでいた。
「……ホシノ、先輩……?」
アヤネの声が、かすかに震えた。
壊れそうなほど、細い声。
「……っ」
セリカが、一歩踏み出す。
だが、次の一歩が踏み出せなかった。
きつく握られたセリカの拳が、震えている。
ノノミの表情から、完全に柔らかさが消えていた。
シロコは……ただ、静かに銃を下ろしていた。
撃つ相手がいないのではない。
撃つべき対象が、この場に存在しないからだ。
先生は。
一言も口を開くこともなく、歩いた。
一歩。
また一歩。
鎖に繋がれたその少女へと、近づいていく。
足音が、無音の室内にやけに大きく響く。
呼吸音すら、邪魔に感じるほどの静寂の中で。
やがて。
手を伸ばせば届く距離まで来て。
止まる。
血の気の引いた肌。
乾いた唇。
閉じられた瞼。
間違いない。
生きている。
だが――
あまりにも、弱々しい。
「……こんなの」
セリカの声が、低く漏れる。
怒りか。
悲しみか。
そのどちらでもあって、どちらでもない。
ただ、感情が溢れ出る直前の声。
その時。
カチャ。
小さな音。
誰かが息を呑む。
ほんの僅かに。
鎖が、揺れた。
それと同時に。
俯いていた頭がわずかに、動いた。
「…………」
ゆっくりと。
本当に、ゆっくりと。
「「「「ホシノ先輩!!!!」」」」
4つの声が、静寂の部屋に重なった。
少しだけ焦点のぼやけた、青と黄色のオッドアイの瞳が静かにセリカに、アヤネに、ノノミに、シロコに向けられる。
「あ、あれ……どうやって……」
掠れた小さな声で
「どうして……それに、私は……」
小さく……小さく紡がれる
”ホシノ”
そんなホシノを先生は優しく抱きしめた。
いつの間にか、ホシノを縛り付けていた鎖は外れていた。
”ホシノ……迎えに来たよ”
抱きしめたまま、先生は優しい声音でそう言葉をつづける。
「あぅ…………せん…せい……みんな……」
少しずつ意識が戻って来た
「私は……皆を、裏切ったんだよ……裏切って……騙されて……助けられる資格なんて……私にはないよ」
「そんなわけ、ないでしょ!」
ホシノの言葉を否定するように、セリカが叫んだ。
「何言ってんのよホシノ先輩!」
アヤネが、一歩踏み出す。
「私たち、迎えに来たんです!」
ノノミも続く。
「一緒に帰りましょう」
シロコは短く。
だが、強く言い切った。
「……っ帰る」
ホシノの瞳が、揺れる。
信じたい。
でも自分にはそんな資格なんてないと、心のどこかでブレーキがかかる。
その、狭間で。
「……せん、せい……」
かすれた声。
抱きしめられたまま。
ほんの少しだけ。
ほんの少しだけ、力が抜ける。
「ほんとに……?」
確かめるように。
壊れ物みたいに、弱い声。
先生は、迷わなかった。
”ああ。本当だよ”
ただ、それだけ。
飾らない言葉。
けれど、それだけで十分だった。
「…………」
沈黙。
そして。
ぽたり、と一滴。
涙が、零れ落ちた。
「……そっか」
小さく。
本当に小さく。
「……ありがと…………それと…ただいま」
「「「「おかえりなさい!!!!」」」」
雫が流れる、最初はひとつ、そして2つ、3つ……先生と黒服を除いてアビドスのみんなが泣いた。
沈黙の中で、雫が床を叩く音だけが響く。
しかし、この沈黙は先ほどまでとは違う。ほんの少しだけ、アビドスの日常が戻った音だった。
⏱
「さて、目的も達成したことですので――早急にこの基地から離脱しましょう」
淡々とした声が、
「これ以上の長居は無用です。既にこちらの侵入は検知されている可能性が高い」
それだけを告げて、黒服は踵を返そうとする。
だが。
「……先生」
先ほどとはまた違った
オッドアイの瞳が映すその先…………黒服の姿。
一瞬で、空気が変わった。
「そいつから離れて」
低く、しかし迷いのない言葉。
「え……?」
ノノミが戸惑う。
セリカもアヤネも、理解が追いつかないまま視線を彷徨わせる。
黒服は、動かない。
ただ静かに、そこに立っている。
「黒服……いまさら、何しに来たの?」
けれど、その奥には明確な警戒があった。
「黒服さんは……ホシノさんの……その……知り合いじゃないんですか?」
ノノミの問い。
……ホシノさん。
「……違うよ」
ゆっくりと、視線を細める。
ノノミの言葉に、ホシノはわずかに目を細めた。
……ホシノさん
その呼び方に、引っかかる。
同時に、納得もする。
あの日、あの時の既視感。
初めて
そして、そこに混じっていた僅かな黒服の気配。
「その男は、そういうのじゃない」
一歩、前に出る。
やはり、
「そいつはそうやって人と関わる存在じゃない」
沈黙。
「昔、何度か言われたよ」
ぽつりと、続ける。
「学校の借金、全部肩代わりしてやるって」
セリカが息を呑む。
アヤネの表情が固まる。
「その代わりに」
一拍。
「私の神秘を……体を、研究対象として協力しろって」
空気が凍る。
「……は?」
最初に声を漏らしたのはセリカだった。
信じられない、と言わんばかりに目を見開く。
「うそ……でしょ……?」
アヤネの声が、かすかに震える。
ノノミもまた、いつもの柔らかな笑みを完全に失っていた。
「黒服さんが……そんなことを……?」
戸惑いと困惑。
そして、わずかな恐れ。
その視線が、一斉に黒服へと向けられる。
だが……
黒服は何も否定しない。
ただ静かに、そこに立って
沈黙が、肯定のように重く落ちる。
「だからさ」
ホシノは肩をすくめる。
「今回、ちょうどいいと思ったんだよね」
黒服を見据えたまま。
「カイザー経由なら、あんたに会えるって……あの時の契約で、学校を……みんなを助けられるって」
そして……
「……でも、違った」
ほんのわずかに、声が落ちる。
「もう、とっくにカイザーとは縁切ってたんだ」
沈黙。
黒服はだまって
ただ事実を確認するように、静かに口を開いた。
「……ええ」
変わらぬ声。
「いま現在、私は貴女と契約を結ぶ予定はありません」
一拍。
「……私にも、支えるべき存在がいますのでね」
その言葉に。
ほんの一瞬だけ。
ホシノの目が揺れる。
だがすぐに、いつもの調子に戻る。
「……そっか」
「それってもう……一人の私のこと?」
「そうですね」
「あの娘は何者なの?私のクローン?それとも……」
ナニカをいい含むような
会話に入れない。二人から生まれる圧が、他人がそれ以上踏み込むことを拒んでいた。
「彼女はホシノさん、貴女のクローンではありません」
一拍。
「ですが――全く無関係な存在でもありません」
それだけ黒服は答えた。
ほんの数秒の沈黙。
だが、その数秒の中で……
ホシノの中で、何かが整理されていく。
「……ふーん」
小さく息を吐く。
視線は逸らさないまま。
「言わないんだ」
責めるでもなく、ただ事実を確認するように。
黒服は答えない。
その沈黙が、何より雄弁だった。
「……そっか」
ほんの少しだけ、口元が緩む。
けれどそれは、いつもの軽さとは違う。
「じゃあ、もういいや」
一歩、引く。
距離を取るように。
「それ以上は聞かない」
きっぱりと。
「どうせ、今の私じゃ届かない話でしょ?」
その言葉に。
そう返して、
アヤネも、何か言おうとして……言葉を飲み込んだ。
ホシノは、もう黒服を見ていない。
「…ならもう、これで終わりでいい」
そう返して、
それ以上は踏み込まない。
「ホシノ先輩……」
ノノミが小さく呼ぶ。
だがホシノは振り返らない。
ただ一度だけ、先生を見る。
――大丈夫。
そう言うように。
その時。
黒服が、わずかに視線を上げた。
「……繰り返しますが」
静かに。
しかし先ほどよりも僅かにだけ強く。
「速やかに離脱を。時間がありません」
その声音に、ほんの僅かな“焦り”が混じる。
理由は語られない。
だが……
この場に長く留まることが、何かを招く。
そんな確信だけが、空気に滲んでいた。
そして。
先生が、一歩前に出る。
ホシノと黒服の間に立つように。
視線は、黒服へ。
ほんの一瞬の沈黙。それから、静かに先生が口を開く。
”……黒服”
低く、確かめるように。
”一つ、聞いていいかな”
黒服は、わずかに首を傾げる。
先生の言葉を待つ。
そして。
”あの時のTF-404って言葉……もしかしてもうひとりのホシノが居た部隊?”
――その瞬間。
その場の誰もが、言葉を失った。
「…………ほぅ」
この小説の評価が高すぎてプレッシャーで胃が痛い。
もっとこう……☆1ばっかで自己満乙みたいな感想ばっかだと期待されてないから逆に吹っ切れるのに……
うごごごご……
あと、正直この小説は曇らせなのか?
旧版と改修版……どっちが読みやすい?
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旧版
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改修版