麒麟の心臓   作:仁絵乃羊

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少年と幽霊

 ローは病人だ。

 そして、医者の子でもある。

 つい最近、忘れていた使命感を思い出した。

 水を張った桶と沸かした薬缶、それと数枚のタオルを持って階段を昇る。

 ここは雪の降りしきる田舎島。町外れの古い家だ。

 二階の寝室ではもうひとりの病人が臥せっている。骨と皮ばかりに痩せ細った身体に点滴を繋いだまま、こんこんと眠り続けている。

 

 患者の名前はロカ。ローより四つ下、まだ八歳の幼い少女だ。

 ロカは体質のせいで、刃物や針を使った治療を受けることができない。

 もしローが〝オペオペの実〟を食べていなければ、医者の子でなければ、儚く命を落としていたに違いない。

 ロカの左腕は、二の腕の半ばほどで不自然に途切れている。ローの能力で付けた切り口からは、血が流れないし痛みもない。切り離された部位も自分の意思で動かせるし、くっつければ元通りになる。そんな不思議な切断面から、直接血管内へ管を挿しこみ、やっと点滴ができるようになった。

 

「〝ROOM(ルーム)〟!」

 唱えると、ブゥンと音を立てて、ローを中心に薄青い透明なドームが現れた。

 ドームはベッドが収まる大きさまで、風船のように膨らんでいく。

 このドームの中のものは、目に映さなくても、位置や状態をつぶさに把握できる。患者の身体の中も、細かく見ようと思えば細胞レベルで観察できる。

 

 心拍、自発呼吸ともに安定。血圧正常、電解質バランスも良好。

 ノートにデータを書き込みながら、予定通り輸液の栄養を増やしても大丈夫そうだと安堵する。低栄養状態からの回復には気をつけなければならない。両親から栄養剤のレシピを教わったとき、注意を受けたことをよくおぼえている。

 

「ロカ、身体拭くぞ。嫌なら起きて自分でやれよ」

 呼びかけても肩を叩いても、目覚める気配はない。

 順調に回復しているはずなのに。

 胸に広がった安堵はすぐにしぼみ、不安と焦りがもやもやと渦を巻く。

 

「……いい加減、何とか言えよ。なんでずっと黙ってたんだよ……なあ」

 ローは今、複雑な気持ちだった。

 

 

 二人は三ヶ月前まで同じ海賊船に乗っていた。

 ローは構成員として、ロカは少し特殊な存在として。

 その頃、ローはロカが嫌いだった。気味が悪いと思っていた。

 

 初顔合わせは二年前、ローが仲間に迎えられて間もなくのこと。

 文字どおり叩き込まれるような訓練の合間、勉強のために書庫へ連れて行かれた。

 そこに小さな女の子がいた。

 

 ひと目で特別扱いだとわかった。頭や首に光り物を付け、着ているのもやたら凝ったフリルいっぱいのドレスだ。こんな格好では戦えないし逃げられない。

 そして何より、船長が訪れたというのに、挨拶どころか一瞥もくれないのがおかしい。

 船長ドフラミンゴは残忍な男だ。侮辱への罰は拷問か死しかない。

 なのにロカの無礼は咎められなかった。

 

「授業の時間だ、ロカ」

 ドフラミンゴは機嫌良く鼻で笑って、小さな身体を片手で抱え上げた。

 ドフラミンゴが大柄なぶん、なおさらロカが小さく見えた。

 

 人形みたいだった。読みかけの本から引き剥がされても嫌がりもせず、おとなしくされるがまま、眉ひとつ動かさない。

 ぞっとした。

 ローには妹がいたし、同じ教会に通った学友たちも知っている。海賊団にだってほかに二人、年少組がいる。その誰も、こんなふうにじっとはしていない。

 

「そいつは、あんたの子どもか」

 聞いたのは、ロカが金色の長い髪を波打たせていたせいだ。ドフラミンゴもその弟も、似たような金髪だから。

「フッフッフ! そう見えるか」

 ドフラミンゴは猫でも撫でるようにロカの顎に触れた。

「これは世の野心家どもが涎を垂らして欲しがる幻獣種〝麒麟〟だ」

「麒麟?」

「悪魔の実の図鑑には目を通しておけ、ロー。実は金にも力にもなる。能力者の相手をするにも有用な知識だ」

 

 ドフラミンゴの指先から糸が伸びた。

 この男も能力者だった。この海賊団は悪魔の実を商材にするほどなので、世にも珍しいはずの能力者が何人もいた。

 その糸が、書架の本を絡め取って引き寄せる。

 分厚い本だ。革張りの硬い表紙に『悪魔の実』という箔押しが施されている。

 開かれたページには、挿絵とともにこう書かれていた。

 

動物(ゾオン)系』

『シシシシの実』

『幻獣種モデル〝麒麟〟』

『特定の人間に不老不死を与える能力を持つ。選ばれた者は〝王〟と呼ばれる。〝王〟は尋常の手段で傷つかず、毒や病に冒されず、仮に傷ついてもたちどころに癒えるという』

 

 ローは記述を見て、呆然とした。

「病気が、治る……!?」

 

 ローの祖国〝白い町(フレバンス)〟は、不治の病〝珀鉛病〟が元で滅亡した。

 生き残りであるローの身体も、すでに蝕まれている。顔にはまだ出ていなかったが、襟元にある白いアザと同じものが、身体中に広がっていた。このままなら、あと三年もすれば激痛に苦しみ、死に至る運命だった。

 

「悪魔の実の能力は人智を超える。お前の病気が治る可能性はある。可能性のひとつがこれだ。こいつがお前を気に入りさえすれば、それだけでお前は助かるんだが……ロカ、どうだ?」

 

 名指しをされたことで、ロカははじめてローを見た。

 ガラス玉のような蒼い目が、まっすぐにこちらを見つめてくる。

 口は貝のように固く閉ざされたまま。

 

「……いや、おかしいだろ!?」

 ローはいたたまれず、無意識に語調を強くしていた。

「あんたが〝王〟なんじゃねェのか!? こんな力が本当にあるなら、他の奴に渡したりしねェはずだ」

 露骨に訝しんだが、ドフラミンゴはニタリと口角を上げた。

「お前ならいい」

「なんで……」

「言ったはずだ。お前には素質がある。賭けるだけの価値がある……!」

 

 そう言いながら、ドフラミンゴはロカを下ろして、ローの目の前に押し出した。

 小さな女の子が、ローの帽子の下から顔を覗き込んでくる。冷たく無表情な顔が、じっとこちらを見上げている。

 

 そのとき、妹の姿が一瞬だけ重なった。

 色合いや面立ちは似ても似つかない。けれど、無邪気だったあの笑顔と、病に冒されていく様子がフラッシュバックした。

 さらには、無気力で意思を感じない様子はまるで命を持たないようで……倒れ伏した友人や隣人たちの姿まで、鮮明に蘇った。

 

 ローはトラウマを刺激されていた。その痛みがあまりに鮮烈すぎて、苛立ちをぶつけることも、押しのけることもできなかった。

 胸を締めつける郷愁は、冷徹で達観的だった思考を鈍麻させた。この少女なら本当に救けてくれるんじゃないか、そんな淡い期待が、知らず湧き上がった。

 

 けれどそんなものは、すぐにばっさりと切って捨てられた。

「ローを救けるのは私の役目じゃない。私は誰も〝王〟にしない」

 ロカは幼さに似合わない、暗く低い声で告げた。

 そのまま何事もなかったかのように、読みかけの本へ戻っていった。

 

 それが最初で最後だった。

 ローがロカの声を聞いたのは、刹那のことだった。

 

 

 ローは二年間、船に乗っていた。

 ロカとはよく顔を合わせた。彼女は書庫に入り浸りで、行くたびに顔を見た。

 それでも、お互いにいないもののように過ごすだけだった。

 

 ローは誘拐され、船を離れた。

 誘拐犯はコラソン。道化のように奇抜な化粧をした大男で、船長の実弟にして最高幹部の一人だ。また、常日頃ローに暴力を振るっていたイカレ野郎でもあった。

 

 おそらくは、逃げようと思えば逃げられた。

 縛られていたのは最初だけだったし、二年間でさまざまな訓練を受け、生き残るための技術も身につけた。だから、ひとりで拠点へ帰るのは難しくとも、電伝虫を調達して迎えを呼ぶくらいのことは、やろうと思えばできたはずだ。

 

 そうしなかったのは、コラソンの目的が病院だったからだ。

 珀鉛病を治せる医者を探そうと言ってくれたから。

 誰にも治せるわけがない。国一番の名医だった父にも、この病は治せなかったのだ。

 ローの白化はもうだいぶ進んでいて、寿命はあと一年保たずに尽きるはずだ。

 絶望ならとうにしていた。

 だからといって、死にたいわけじゃない。生きられるなら生きたい。当然だ。

 そのための旅だと言われたら、どんなにつらくても逃げようなんて思えない。

 

 病院は嫌だ。行きたくない。

 みっともなくわめいて暴れた。泣きたくないのに涙があふれた。

 それでも、もしかしたら、本当にコラソンの言うとおり治るんじゃないか。

 そんな希望に心を揺さぶられ、逃げることをためらっていた。

 

 あちこちの病院を訪ねて、化け物と罵られた。

 珀鉛病は中毒症なのに、世界政府は未だに伝染病と言い張って、国が滅んだあとも迫害の手を緩めない。

 追い出されて、通報されて、追い回されて。

 そんなことを何度繰り返しただろう。

 

 二ヶ月が過ぎた頃、コラソンの電伝虫に奇妙な通信が入った。

 コラソンは受話器を取らなかった。呼び出しの鳴き声も聞こえなかった。

 それなのに、電伝虫がひとりでに喋りだした。

 

「コラソン、〝サイレント〟を使え」

 何人もの声を混ぜたみたいな、人の喉から出るはずのない声色だった。

 ローは生理的な嫌悪をおぼえて震え上がった。

 

「……〝サイレント〟!!」

 コラソンは〝ナギナギの実〟の無音人間。自分の周囲に防音空間を作り出せる。

 彼は故あって、その秘密をローにだけ打ち明けた。他の仲間たちや船長にはバレていない。もしバレていたなら、とっくに大変なことになっているはずだ。

 

「お前は誰だ!?」

 問いかけに答えは返らず、次の要求が来た。

「すぐに病院巡りをやめて、二人でミニオン島へ向かえ」

「ミニオン島? なぜだ? お前は誰なんだ!?」

「時間がない。今すぐ向かえ。間に合わなければローの未来はない」

 

 ガチャ、と電伝虫が鳴いて、通信は切れた。

 切れたはずだ。けれど、受けてもいないのに始まっていた。また繋がるかもしれない。今回のように声をかけてこなければ、一方的に聞かれるということで……。

 ぞっとして、ローはその晩、口をきく気にならなかった。

 

 一晩経って、すっかり日が昇るまで寝坊していると、電伝虫が鳴いた。

 プルプル鳴くのは普通の呼び出し音だ。

「コラソン、起きろ!」

 叩き起こせば、コラソンは警戒した様子で電伝虫に向かい、慎重に受話器を取った。

 

「……おれだ。コラソン、お前だな?」

 聞こえてきたのは謎の幽霊でなく、ドフラミンゴの声だった。

 コラソンは強面をさらに険しくし、電伝虫の殻を叩いた。

 トントントン、と肯定の三回。否定なら二回。

 

 今でこそローの前では喋っているけれど、仲間たちの前ではずっと筆談と合図で会話して、喋れないフリをしていた。能力を隠していたこと以上に、それはひどい背信だ。

 そもそもコラソンは仲間ではなく、弟として兄を止めるために近づいたのだという。

 

 過日を思い出したローはふと気がついた。それなら船を離れてしまった今は、本来の目的が二の次になっているじゃないかと。

 

「ローも一緒か? ……そうか。二人とも無事で何よりだ。いい医者はいたのか?」

 ドフラミンゴの問いかけに、コラソンは合図で答えていく。

 まるで普通の家族のようなやり取りを、ローは動揺を押し殺して聞いていた。

 

 どうすればいいのかわからなかった。

 ローはドフラミンゴのような、血も涙もない悪逆の徒になりたかった。故郷と家族を奪われた恨みを、世界にぶつけて復讐したかった。今もその気持ちは変わらない。そのためには船に戻るべきで、コラソンに振り回されている場合じゃないと思う。

 コラソンと同じように、ローもまた本懐を後回しにしているのだ。

 どちらにとってもよくないのに、無謀な旅なんかしている場合だろうか。

 通信に割り込んで、迎えをよこしてくれと頼んでしまおうか。どうせどこへ行っても同じことの繰り返し。嫌な思いをして、心が押しつぶされていくだけだ。

 

 そう思ったとき、まるで考えを読んだような言葉が電伝虫から飛び出した。

 

「ローを連れて船に戻れ。病気を治せるかもしれない……〝オペオペの実〟を奪いに行く……!!」

 印象には残っていない名前だった。生物を癒せる〝チユチユの実〟や、死んでも蘇れる〝ヨミヨミの実〟、寿命を操れる〝ソルソルの実〟……そんなわかりやすく希望を抱かせるものならおぼえていたけれど。

 

「これは制裁だ。先方はウチとの商談を一方的に打ち切った。海軍に巨額の金を提示されてな。まったくナメられたもんだ……しかるべき報いを与えなきゃならねェ……!! 手に入れたら、お前が食え、コラソン……実はロカの具合も良くなくてな……あいつは普通の医者の手には余る。ローとロカ、二人を救うにはこれしかねェ……急げよ」

 

 通信を終える頃には、コラソンの顔は真っ青になっていた。

「……オペオペの実って?」

「……人体改造能力だ……喜べ、ロー。生きられる可能性はある」

「喜べって言う顔じゃねェだろ、それ! 何があったんだよ、今の話に!」

 

 食ってかかったそのとき、また電伝虫が喋りだした。

「コラソン、〝サイレント〟を使え」

「〝サイレント〟!!」

 コラソンは飛び上がって驚いた。何をしていても、そんなことあるかというようなドジをやらかす男だ。うっかり電伝虫を握り潰しやしないか、ローは少しハラハラした。

 

「誰なんだ!? いつから聞いていた!?」

 電伝虫はコラソンの剣幕に動じた様子もなく、淡々と話し続ける。相変わらず人間らしくないぐちゃぐちゃの声で、聞いていると身の毛がよだつ思いがする。

「ミニオン島へ急げ。二人揃って、一刻も早く」

「名前も顔もわからねェ怪しさしかねェ奴に従う理由があるか!?」

「……オペオペの実がそこにある」

「……!?」

「ドフィはまだ正確な情報を得ていない。けれど時間の問題だ。船足に劣るお前たちが出し抜けるタイミングは今しかない」

「ちょっと待て! お前は本当に何なんだ!?」

「……」

「ドフィをドフィと呼ぶ奴は多くねェ……だが連中は裏切るわけねェし、おれの能力も知らねェはずだ。お前は誰で、何が狙いでこんな話を聞かせた!?」

 

 電伝虫は黙り込んだ。

 おぼろげに正体を現しはじめたこの幽霊が何を語るのか、コラソンとローは固唾を飲んでひた待った。

 けれど結局、それは真実を煙に巻いた。

「ミニオン島へ行け、内通者と〝D〟。戻れば命はない」

 

 すやすやと眠る電伝虫が気味悪くて仕方なくなった。

 もし生き物じゃなかったら、絶対に盗み聞きなどできないように荷物の奥の奥に押し込めるところだ。そんなのは可哀想だから、できるだけ遠ざけて小声で話すようにした。

 

「〝D〟って何なんだ。〝D〟だとドフラミンゴの部下じゃいられねェのか」

 ローのミドルネーム〝D〟は、本当は教えてはいけない隠し名だ。

 珀鉛病も隠し名も、生まれる前から負わされていたどうしようもない宿命だ。そのせいで何もかも奪われた。その上選んだ生き方さえ許されないのかと思うと、怒りさえ湧かなくなった。

 

 コラソンは煙草をふかし、煙を吐き出した。

「言ったろう。お前はあいつと一緒にいちゃいけねェ人間だ……〝D〟の真実はおれも知らねェ。だがその名に対する畏れだけは故郷で刷り込まれてる。ドフィが知ったなら、お前に不信感を持つのも無理ねェ」

 

「……結局、おれはどこへ行っても化け物なんだな」

「バカ言え! お前はただのクソガキだ! どこにでもいる、まだ大人に守られてなきゃならねェ子どもだ! 難癖つけてくる連中がどうかしてんだよ!」

 

 コラソンは北へと舵を取った。船に戻るなら南だけれど、ローも異を唱えたりしなかった。

 道中、コラソンは何度か電伝虫を繋いだ。相手は船長でも幽霊でもなく、漏れ聞こえた名前からすると海軍大将らしい。

 

 大時化の中を小舟で進む荒業をこなす傍らで、ローはコラソンに呼びかけた。

「コラさん……なんだよその顔!! 前見ろ、前!!」

「お前、今『コラさん』て……」

「前見ろって!! 波!! 舵!!」

 もしかしたら聞こえないかもしれないと思ったのに、目玉が溢れそうなほど見開いて顎を落とすものだからローのほうが驚いた。

 

 どうにか転覆を免れても時化が治まるわけじゃない。重力の向きを錯覚するほど風が吹いているし、波は壁のように高くうねり、舟を木の葉のように弄ぶ。降りかかる水滴は雨だかしぶきだかわかりゃしない。

 振り落とされないように、舟にしがみつきながら声を張った。

 

「あんた、本当は海兵なんだろ……!」

「おれは海兵じゃねェ!」

「正直に言えよ! おれの家族も〝白い町(フレバンス)〟も政府に殺された。海兵はその手先だった!! あんたが海兵なら……おれは……」

「海兵じゃねェ!! ……今は違う。三年前、その肩書きは返上したんだ……政府の命令に逆らってな……!!」

「……!!」

「ふざけた話だ! おれは昔、ある海兵に救われた……おれもあの人のように誰かを救う正義になりたかった……だがそれは許されなかった!!」

「……でも、じゃあ、電伝虫の相手は……!?」

「おれを育ててくれた、親みてェな恩人だ。だが……ああ……! もう二度と顔向けできねェなあ……!」

 ローに背を向けて語る声は、あまりにも清々しく、わざとらしい感じがした。

 

 

 風は落ち着き、雨は雪に変わった。

 少し南ではまだ晩夏の様相が見られるけれど、このあたりの諸島は一年のほとんどが冬という極北の辺境だ。

 ミニオン島まで半月がかり。

 荒海を渡りきり、夕闇に紛れて上陸しようという頃、また幽霊の声がした。

 

「コラソン、〝サイレント〟を」

「〝サイレント〟! しばらくぶりだな……もう掛けてこねェのかと思ったぜ」

「その島が何なのかは調べてあるな」

「どこで見ていやがる……ああ、海賊ディエス・バレルズのアジトがある。オペオペの実はそこだろう」

「お前の能力なら盗み出すのは容易い。けれどその後、必ず気を緩めてドジを踏む。まずは人を探せ。ドリィという、顎にX傷のある少年は、恐怖で支配されているだけで本質は正義。海兵になる夢を今も燻らせている」

「どうやってそんな情報を……まあいい。それより、ロカはどうしてる。具合はまだ悪いのか」

「……お前はローのことだけ考えていろ」

 

 言い淀むみたいに間を置いた答えに、コラソンは「ハッ」と鼻で笑った。

「なるほど、何でも知ってるってわけじゃねェらしいな。それとどうやら、嘘がつけねェ……違うか、ロカ」

 

 聞いたことがないくらい穏やかな声で呼びかけて、コラソンは咥えていた煙草を握りつぶした。

 ローは一瞬、コラソンの正気を疑った。なぜって、ロカは海賊団で二番目に幼い、まだ八歳の子どもだ。その上、書庫に引きこもって外の世界には目もくれない。当然、情報の伝手などあるわけがないし、電伝虫も使えないはず。

 

「ロー!」

「え? うわっ」

 

 コラソンは電伝虫を投げてよこした。

「お前が持ってろ! 〝(カーム)〟を使うとおれは喋れなくなるしな……待ってる間の退屈しのぎにもなるだろ」

「待ってる間って、コラさん一人で行く気か!?」

「戦争じゃねェんだ。ちょっと行って宝を盗って来るだけ。頭数はいらねェよ」

「コラソンの〝(カーム)〟は一人にしか掛けられない。〝(カーム)〟なしで忍び込むのは難しい」

「なんでお前が知ってるんだよ」

 幽霊は答えない。

 

 ミニオン島は打ち棄てられた島だ。何があったか、町は廃墟と化していて、海賊たちは丘の上の一等立派な屋敷に巣食ってどんちゃん騒ぎをしている。

 しんとした雪景色にその音が響くかぎり、単身乗り込んだコラソンは無事だ。

 ローは下町の片隅に身を隠しながら、胡乱な目を手元へ向けた。

 

 向こうが見知った相手かもしれないと思うと、得体の知れないものへの警戒心は薄れていた。

 だとしても、ロカだってローにとっては不気味な相手だ。一向に眠らない電伝虫がじいっと見つめてくるのが、たまらなく居心地悪い。それは電伝虫の目であって、幽霊に見られているわけじゃないけれど。

 

「お前、コラさんに何させるつもりなんだ」

「コラさん……」

「どうでもいいだろ、呼び方なんか! そんなことより答えろよ!」

「何も。コラソンがローを救けたいと願った。私は道を示した。それだけ」

「……お前は何なんだ? ロカなのか? 今さら正体を隠したいワケって何だよ」

「知る必要がない。どうせ今夜かぎりの縁だ」

「どうだか! お前のせいで、おれたちはドフラミンゴに追われる羽目になるんだ。お前が船に乗ってるなら……」

「……」

「……悪魔の実を盗ませたってバレたら、お前も……危ないんじゃないのか」

「……」

「何とか言えよ」

「私は……」

 

 幽霊は何かを言いかけて、そのまま黙り込んでしまった。

 退屈しのぎの会話などとても続きそうにない。

 

 かじかむ指先で、毛布の端を手繰って引き寄せた。

 雪深い廃墟で動かずにいると、寒さに慣れているといっても身体が冷える。火を焚くわけにもいかないし、雪の中では乾いた薪も拾えない。

 

「コラさん……遅いな……」

 ぼやいたちょうどそのとき、丘の上で音もなく火の手が上がった。

 雪雲に覆われた真っ黒い夜空が赤く色づいて、遠い声に怒号と悲鳴が混じる。

 

「始まった!」

 音のしない爆炎を見せてやろうと電伝虫を持ち上げたりもした。まるきり電伝虫に慣れない子どもの仕草だ。誰にも見られていなくてよかったと後になって思う。

 

「ロー」

「何だ?」

「……ロー?」

「だから何だよ」

「……静かだな」

「ああ。向こうは賑やかだけど……電伝虫じゃ聞こえねェか」

 期待と不安で心が揺れていた。

 丘の上の騒動に夢中で、幽霊の様子がおかしいのには気づかなかった。

 

「……死んだのか」

 突然、そんなことを言われてぎょっとした。

 

「何の話だ!?」

「もう少しだったのに……となり町……スワロー島……」

「聞こえねェのか!? ロカ!!」

「……ロー」

「おれだ!! ロカ、聞こえるか!? お前、今どうなってるんだ!?」

「ロー、スワロー島へ行って……ペンギンとシャチとシロクマを探して……」

「何の謎かけだ!? しっかりしろ、ロカ!!」

「ごめんなさい……ごめん……なさい……」

「ロカ!!」

「どうして……」

 

 ガチャ、と電伝虫が鳴いた。

 長い通信に疲れ果てたというように、ツノを垂らして眠り込んだ。

 手の中で小さな命が失われたような錯覚。

 

 何もかも壊してやりたいと思っていた。人を傷つけることも、奪うことも、何とも思わなくなっていた。仄暗い悦びすらおぼえていた。それなのに、ロカが——妹と同じくらいの幼い女の子が、死んだ……かもしれない。そう思うと、だめだった。

 

 ありし日の絶望。〝白い町(フレバンス)〟の最期がまざまざと思い出されて、ローは慟哭した。

 

 

 日に何度もベッドを訪れて、生きているのを確かめる。

 

 あの後、コラソンとローは()()()()船に忍び込んでロカを連れ出した。

 どうということはない運任せの博打だった。

 船は近海を目指してやってきていて、コラソンは事前に海軍に通報していた。

 まずは、軍艦とやりあい始めたヌマンシア・フラミンゴ号が、音もなく近づく小舟に気づくかどうか。

 そして、砲弾の飛び交う戦場で、能力者(カナヅチ)二人を乗せた舟が転覆せずに済むか。

 ローたちは二つの賭けに勝利した。

 

 ロカは病人扱いで、隔離部屋の硬いベッドに痩せ細った身体を転がされていた。

 船での病人扱いというのは、回復するか死ぬまで安置するだけ。メスでも薬でもなく、()()()()を上手く使える奴が船医と呼ばれる。そのレベルなのだ。

 ドンキホーテ海賊団(ファミリー)は少数精鋭。ロー以外に医者はいなかった。

 

 比べれば、今はずっとマシだろう。

 マットレスを買う金はなくて、シーツの下には干し草と古布を重ねて敷き詰めた。安上がりの寝床でもよほど上等だ。それくらい、船の病床はひどいものだった。

 

「明日は冷えるらしいぞ、ロカ」

 寝返りを打たせて毛布をかけ直す。

 

 意識のない患者に話しかけるのも、医師だった父と看護師だった母の教えだ。思い出すこともなかったのに、いざとなれば身体が動くように染みついていた。口にした言葉は、かつて両親が患者に語りかけていたのと同じ。同じだけれど、両親はもっと柔らかな声を響かせていた気がする。

 

「父様なら……」

 口をついた言葉は患者に聞かせていいものではなかった。慌てて口をつぐむ。悪魔の実の能力を手に入れたところで、ローは未だ父に遠く及ばないと思った。

 

「早く起きないと冬が来る……患者を抱えながら北へ戻れって? 冗談じゃねェ。お前、もう悪いところなんかないんだから……怠けてないで目を覚ませよ」

 

 そう声をかけて、目を離したのは40分足らずの間。

「ロカがいない!」と電伝虫に叫ぶことになるなんて、まさか思いもしなかった。

 

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