交わした約束は砕けない   作:イロコイ文明

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私生活が立て込んでて更新できませんでした……
腹切って詫びます



ゴールデン・メロディ───その②

 

 佐倉杏子。出会いは結構昔のこと。別れも結構、昔のこと。

 風見野の魔法少女であった彼女は、ある日、魔女と戦ううちに見滝原までやってきていた。新人魔法少女だった彼女は、魔女の幻惑の魔法に苦戦を強いられていた。それを颯爽と助けたのがこの私、巴マミである。

 

「どォ────やって仕掛けようかなァ。東方仗助が戻ってくる前に、あんたを仕留めなくっちゃあならないからなああ〜〜〜〜っ」

 

「正面から突っ切るってのはどうかしら」

 

「へっ、あたしの眉間にピアス穴つけてくれんの?遠慮しとくよ。あーいうジャラジャラしたの苦手だからさ」

 

「あら、それは残念」

 

 

 皮肉めいたやり取りは、喧嘩中の友達同士のように行われる。しかし、お互いの瞳の奥底には、少しでも隙を見せたら絶対に狩るという『ギラつき』が燃えている。

 

「後輩……って、マミさん!知り合いなんですかアイツと!」

 

「何年か前に、()()()()ね。あの頃はもっと可愛げがあっていい子だったのに、どうしちゃったのかしらねェ」

 

「煽ってんのかい?まだ甘いこと言ってるゲキアマ野郎のくせに…… あたしも成長したんだよ、()()()()とね」

 

 

 さてどうする。いくら不意打ちを受けたとはいえ、状況的な有利はこちらにある。彼女が上条くんを人質にとるか、仗助さんが魔女に負けてしまわないかぎりそれは揺らがない。

 しかし内心、私は焦っていた。彼女は私を買い被っているだけだからである。

 彼女は現在、私の隙を窺っているが、私からしてみれば、そんなことせずに突っ込んで来られる方が困るのである。心身が乱れたあの時の彼女ならいざ知らず、荒んだ環境を生き抜いてきた彼女は前よりグンと強いのは明白。

 魔法少女としての実力は負けている気は全くないが、相性というものがある。前衛的な戦闘スタイルの彼女とテクニカルに戦う後衛的な私。

 ガンマン対決のように見合っているこの状況は、私に一芸を仕込ませる間もなく彼女に接近を許す可能性が極めて高い、綱渡りな状況なのである。

 

「撃って、きなよ……」

 

「貴女こそ、そろそろ来たほうがいいんじゃあない? 仗助さんが戻ってくるわよ……」

 

「あの魔女は久しぶりに骨のあるやつだったんでなァ、そう簡単にやられちまうとは思えないね」

 

 

 一手が足りない。銃をもう一本でも設置できれば。リボンを数本、バイオハザードのレーザートラップのように張り巡らすことができれば、強気に出れるというのに。

 状況的優位はこちらにあるが、精神的優位は彼女にある。

 自分の考えた作戦が完璧に決まり、不利状況から人数をイーブンに持ち込んだのだ。その『自信』は彼女の背中を押す役割を果たす。

 

「…………」

 

「何を臆してんだよ、マミ………」

 

 

 魔法というものは精神、魂をエネルギーとする能力。だとしたら彼女は今、成功体験による気分の昂りに『勇気』を与えられ、とびきりの威力の魔法を放ってくるに違いない。

 どうやら私、結構逆境みたいね…………────────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おいッ!一瞬ぼけっとしたなァァ」

 

「あ……」

 

「マミさん!あいつが詰めてくる! 銃でもリボンでも何でもいいから防御してッ」

 

 

 彼女は予想通り、とてつもないスピードで迫ってくる。走り出しの地面を蹴る動きは、私には目で追えなかった。

 まるで私の方から移動しているような、そんな錯覚に陥る。ベルトコンベアに運ばれて、ミンチにされそうな豚肉の気分。彼女が地面を踏み抜くたびに、呼吸が乱れそうになる。

 しかしこんなに真っ直ぐな動きを彼女がするわけがない。彼女は、私がそんな甘えを見逃すとは思っていない。これもまた悲しいことに信頼であった。

 

「ほれ、プレゼントだよッ」

 

 

 槍を構えて斬りつけようとする体勢から、舞踊のような、初めからその動きに移行するためにあった動きとでも言わんばかりに滑らかに、彼女は槍を投擲する体勢に移行する。

 

「おらっ!」

 

「槍を投げたッ!マミさんの方へぶっ飛ばした!」

 

 

 投げられた槍は彼女の指先から魔力を受け取り、炎を翼のようにして私の元に飛び立つ。

 避けるのは不可能だと直感で判断して、私はリボンを縦横斜めの格子状に織り、防御するための壁として眼前に展開する。

 槍がリボンや障壁に突き刺さった瞬間、それはワニが行うデスロールのように回転し、刃と炎でリボンを焼き切りながら私の元に迫る。さらに何重もリボンを重ねて、槍を完全に包み込むまでソレは止まらなかった。

 

 そのうちに、彼女は次の行動をとる。私が槍をガードした、たったそれだけの時間で槍を再生成し、私との距離をグングン詰めてきていた。彼女が槍を振れば私を掠めるくらいには。

 

「お返しよ!」

 

「なまっちょろい!耄碌したか?巴マミ」

 

 

 至近距離の彼女に、何発か発砲する。牽制の攻撃だ。そんなものに大した威力があるはずもなく、蝋燭の炎を吹き消されるように防御される。

 彼女はそのままの勢いで走り抜け、槍を頭上に挙げ、穂先を私に向けて振り下ろした。私はリボンで脚を無理やり後ろに引き、倒れるように回避する。

 槍は軌道を変えることなく、コンクリートの地面を割って地面に突き刺さる。刃が見えなくなるくらい深く、根を張るように。ようやく彼女が見せた明確な隙である。

 

「ほ! ひょーぉっと!」

 

 

 ところが、彼女はそんな小さな隙さえ戦略のひとつに組み込んでしまう。

 突き刺さった槍の柄を軸に。それを掴む腕だけの力で全身を持ち上げ、逆バク転の要領で、槍の石突きにあたる部分に着地する。同時に槍を手の中に生み出しながら、踏み込む。

 

「飛んだッ!何という体幹!何という判断力!まるで戦いのためのコンピュータですッ」

 

「佐倉さん……!!」

 

 

 彼女の足が槍から離れる。槍を振るいながら、そして……

 

「拍子抜けだ……ああ〜〜〜〜本当に。あんたならもっとやると思ってたのにね。残念だよ……でもこれで証明された。あんたにはもう『見滝原』を守る力はないッてね。

 あんたの……急所は、知ってるんだよ、急所はな……首だ。終わりだマミ。首を刎ねられてあんたは死ぬッ!」

 

「くァっ……!?」

 

 

 私の首に火炎が噛みつく。槍をしならせた二連撃。それは私の肩の服ごと引き裂いて、僧帽筋と広頚筋をブチっと破った。

 真っ赤に煮えたグツグツのシチューが脈から吹き出し、放射線状に飛び出して地面に広がる。周囲に鉄の臭いが蔓延していく。

 

「マミさああああんッ!!」

 

「あ、ああ……っッ 血、がァ……」

 

 

 目の前で空を駆けた彼女は、私の頭上を弧を描いて通り過ぎ、私の首をズタズタに切り裂きながら着地した。魔力を帯びた槍は、私の首全体にまで炎が広がり、私の身体を()()つける。

 頭からいろいろなものが抜けていく。傷口が真っ黒に焦げていく。しかし倒れてはいけない。ここで少しでも意識を無くせば、次に地面に転がるのは血どころでなく、私の頸だからだ────

 

─────まあ、それはそれとして。もう余裕がないわけでもない。

 

 

「ぐぎ、ぎ!ぐぎぎぎぎ……マミ……テメーッ……誘って、いたな……!」

 

「はァ、はァ、『柔よく剛を制す』……ふゥ。いやぁ、至言ねェ、こりゃあ」

 

 

 彼女は全身が黄色のリボンでぐるぐる巻きにされていた。腕も脚も、身を捩ることも困難なほどに。さながら、黄砂から掘り出されたミイラといったところかしら。

 着地したはいいものの、バランスを崩してその場に倒れた彼女は、口汚く私を罵る。私は大人っぽく、呆れたふうを装って冷笑し、煽るような声色で彼女に語りかける。

 

「あらァ? まあ、まあ、可愛らしくなっちゃって。貴女は髪も綺麗で美人なんだから、そうやってじっとしてればモテるんでしょォねえ」

 

「どうなってやがるッ!クソッ!ほどきやがれッこのタンカス野郎がッ」

 

「ふふ、ふふふ……貴女が億泰さんをトラップで倒したので思いついたのよォ。私も後輩に舐められて終わるほどヤワな人生送ってないってことね」

 

 

 何が起こったのか。簡単に説明すれば、いたって単純な罠である。

 魔法少女は、そのほとんどが魔力で出来ている。あいつと契約した時点で、私たちは小さい宝石に閉じ込められて、元の肉体は魔力で再構成された物質となる。

 服も然り。変身する時、服も単なる魔力の塊となる。そこがミソだ。

 

「あ、あいつが……マミさんを攻撃した瞬間ッ。槍にリボンが引っかかって……あいつをぐるぐる巻きに! 槍を伝って、まるで生き物のように絡みついたッ!」

 

 

 彼女が服ごと私を切り裂いたのは、そうなるように攻撃を誘っていたからだ。あんな状況でボーッとするほど私は衰えちゃあいない。

 種明かしだ。

 実は、今の私の服は衝撃が加わると、そこがリボンに変化してガッチリと絡みつき、巻き付いて締め上げるようになっている。魔力で出来た服だからこそできる芸当。そうなるように魔力を込めてあるのだ。

 少しずつ、彼女にバレないよう慎重に魔力を操作して、服の生地に複雑な機構を織りあげるのは、正直肝が凍りついた。

 いつ勘付かれてもおかしくなかったし、魔力を維持する集中力が保たない。彼女を待たせすぎても来させすぎてもいけない、絶妙なタイミングで彼女を誘う必要があった。

 

「マミ……ッ、罠に、かけるだって……! そんなそぶりは一度もッ」

 

「成長したのは自分だけじゃあないってことよ。私はもう『ガキ』じゃあない」

 

 

 しかしやりきった。見事に騙しきってみせた。この成功体験がまた、私を奮い立たせる。魔力を巡らせるために強張っていた肩の力を抜いて、全身の損傷を修復する。

 背中が()()()()()。背中に噴き出してこびりついた汗が、空気にあたって体温を奪っている。熱のこもった思考も一緒に、ほとぼりを冷ましていく。

 

「私の勝ちね、佐倉さん」

 

 

 殺しはしない。できるはずがない。しかしケジメは必要。

 ヤクザのいう物騒なものではないが、痛い目と約束はしてもらわなくちゃあ、つけ上がらせるだけだ。今は彼女に付き合っている場合ではないのだから。

 

 

 

 ………ワルプルギスの夜のことを言えば、彼女は私たちに味方してくれるだろうか。『二人ならきっとできる』と、思っていた頃に戻れるだろうか。

 いいや、無理な話ね。それをするには遅すぎる。私が巴マミである限り、佐倉杏子は対立する道しかない。本人がそれを望んでいなくても、水と油はどうしようもなく分離してしまう。

 私たちは、界面活性剤(ともに歩める道)を見つけられていない。ワルプルギスの夜だけじゃあ、混ざったように見えるだけで私たちは何も変われない。

 

「私たちに二度と関わらないことね。貴女が変わらない限りは、私は何度でも貴女をブチのめす」

 

 

 何年振りかの再会は、なんとも憂鬱な幕切れに終わった。私にも、彼女にとっても、苦い記憶を思い出すだけの──────

 

 

 

 

 

 

 

 

「………舐めてたあたしが、悪いな、これは」

 

 

 彼女の真下に、魔力がほとばしった。ほのかに赤く光ったかと思えば。

 

「ぐッ……ウゥ、痛ッ……」

「なッ!?何をッ!」

「なめ、んなよ……巴マミィィッ……!!」

 

 

 彼女が迫ってくるッ。今何をした?どうして拘束を抜けている?槍を構えている。防御できないッ、避けられないッ。

 何が起こった?瞬きするうちに───刃が襲ってくるッ、速い体が動かないどうにもならない……思考しろッ、マズいもうすぐそこまでッまさか死───

 

「マミさんッ!」

「ッは! うッ……たァあああああッ!!」 

 

「なッ────タコス!」

 

 

 脊髄が勝手に私を動かし、彼女の頬をスネで蹴って彼女を地面に転がした。一瞬でも反応が遅れていたら、私は輪切りにされていた。

 突き飛ばされた彼女は腹を押さえて立ち上がる。地面に打ち付けられた時、口内を切ったようで、口角から血が垂れている。

 

「この痛みは……あたしの代償だ。あんたを舐めてかかったことと、的外れな侮辱をしたことに対する……」

 

「あいつ……狂ってるッ、おかしいよマミさんッ!だって、だってさ!普通こんなにしないよ────腹が裂けてッ……拘束を破るために、()()()()()()だなんて! 血が出て……オエッ」

 

 

 執念の炎は、彼女のボイラーを沸かし続ける。『覚悟』の自傷を彼女は行った。自分の腹ごとリボンを切り裂いて、拘束を抜けてみせる。

 幾ら治せるからといって、その痛みは月並みでないはずなのに。彼女は腹を開きながら、あろうことか私が反応できないスピードで刃を突き立ててきた。

 『負ける』と、そのとき微かに、思ってしまった。

 

「美樹さんッ!走りなさい!上条君はきっと彼女がやってきた方にいる!」

 

「でもそれじゃあッ」

 

「くどい! チンタラするなデコ助ッ!」

「おらおら話はまたねーぞ巴マミ!!」

 

 

 美樹さんは歯痒さでいっぱいの表情を浮かべながら、私が彼女に怒鳴って数秒後、脇目を振らず走り出した。重そうなバッグを揺らして、恐怖で目を潤ませながら走る彼女の姿は、私に勇気を与えてくれる。ここは絶対に負けられないと。

 この瞬間にも彼女は傷を再生しながら近付いてくる。私は足を開いて仁王立ちし、少しでも多くの銃を作り出して彼女に向ける。

 

「勝つのはあたしだッ!」

「来いッ!佐倉杏子」

 

 

 あいつってどっから来たっけ!?別れ道とかこの道あるのッ?早くしないとマミさんが!みんなやられちゃう!

 指の皮がズル剥けている気がする。今は何も感じないが、後になったら相当痛いと思う。でも走らなくっちゃならない。時間が一秒でも惜しい。

 

「誰かァ─────っ!! い、いるならこっち来てくれェ!しッ縛られてて動けないんだ!」

 

 

 その音を耳が一瞬拾い、あたしは足を止めた。向かってた方のずっと奥、小さいが確かに聞こえた。恭介の声だ。あっちに恭介がいるってこと? どうなってるかわからないけど、急がなくちゃ。

 それはそうと、縛られてるって?あの女許さないね。こりゃーさやか様の逆鱗に触れたわ、もうギッタンギッタンにしてやる。

 

 心配になって走るスピードが増す。運動不足が祟って息切れを起こしてきた。喉奥で血っぽい味が広がる。空を見上げると、太陽と月が近付き合って重なろうとしている。金環日食が起ころうとしていた。

 もう少し走ると、脇に逸れた道があった。なんと都合のいい構造なんだと思う。中を覗くも真っ暗で、

 

「………怖いけど、覚悟は決まってる」

 

 

 突然爆発するとか、そんな可能性を考えなかったこともないが、行くしかない。恭介はきっとこの先にいる。

 糸が一本、地面すれすれに張られている。マミさんが引っかかったあれに繋がっているのだろう。脇道へ続いているその糸の先は、鈴のようなものが吊り下がっている。これで私たちが来たことを察知したというわけだ。

 まず一歩、踏み出した。何も起こらない。もう一歩、逆足を踏み入れてみる。これで全身脇道に入ったわけだが、何かが起こる気配はしない。悪辣なあの女ならここにもトラップがあるかもと思ったが、杞憂だった。

 もし罠があっても回避ができるというわけではないけど。

 

 だがそんなことはどうだっていい。私はこの二つの目で、目の前を見ている。道の奥にあるものをちゃんと両目で。

 病院着のまま、手足を縄で縛られて。身体は椅子にくくりつけられていて、足元には何故だかンまい棒が置かれている。靴も履かされていない。

 あたしの足音がした瞬間、項垂れていたそいつはビクッと反応し、顔を上げた。そしてあたしの姿を見た瞬間、やつれた顔から嬉々とした表情に早変わりし、子犬のようにあたしの名前を呼んだ。

 

「さやか! さやかじゃあないかッ!どうして……いやその前に、僕を助けてくれないか? いやそれとも逃げろと言うべきか……

 そうさ逃げろ、逃げろさやかッ。やばいやつがここらへんにいるんだ。見なかったか?赤髪の女。誰だか知らんが赤髪の女が僕を攫ってここに縛りつけたんだよ。

 何が目的かは分からないけど……ここにいちゃマズいのは確かだ。バカでもわかる」

 

「…………」

 

「さ、さやか?もしもォーし?……聞こえてないのかな」

 

「よかった……」

 

「んム、なんて?」

 

 

 恭介、無事だ。怪我もしてない。アザとかも特にない。本当によかった。心配してたんだよ。すっごく、すっごくさ。後悔した。どうして一緒にいなかったんだって。

 少しずつ歩み寄っていく。安心したせいか、手が震えて止まない。泣きたくなる気持ちをぐっと堪えて足を進める。

 

「ちょっと待っててね、すぐ助けてあげるから」

 

「あ、う、うん?だからここは……」

 

 

 バッグにしまってるカッターナイフを取り出して、恭介を傷つけないように縄を切っていく。はじめに手首のところを、次に足首のとこを、最後に腹と椅子のところを。

 特に危なげなく切り終わって、カッターをしまう。ヴァイオリンを渡すのはもうちょっと後だ。いろいろあったせいで、ぶっ壊れてなければいいけど。

 

「あ、ありがとう……助かった。聞きたいことは山程あるけど、まずどうやってここに?」

 

「それは、まあアレだよ、仗助さんたちに手伝ってもらって……」

 

「仗助さんがいるのかい? それはよかった。会えるなら会いたいな。今日中は厳しいけど明日なら演奏、全然オッケーだって伝えたいんだけど」

 

「あァーそれはァ、ちょっと難しいカモ?ええと……説明するのムッズいなぁ

 

 

 って、それどころじゃあない。マミさんがヤバい。

 かといってあたしがどうにか出来るわけじゃあないしなああ〜〜〜っ。ケータイでほむらたちに連絡する?でも今頃魔力の囮に気が付いてこっちに向かってきてる最中だろうしなァ。

 武器のひとつでもあればなんとかなるかもだけど、そんなの転がってるわけないし。ヴァイオリンで頭をぶん殴ってやるか?あたしが死んで終わりだ。小石のひとつでも投げてみるゥ?

 

「ってさぁ!こんな話してる場合じゃあないぞ、はやく逃げないと殺される。耳を澄ましたらさ、ほら……金属がぶつかるような、物騒な音が聞こえてくる。

 チャカでもぶっ放してんのか?僕は何となく勘付いてるけど、あれはきっとカタギじゃあない奴だよ。逃げよう」

 

「……そう……あいつをほっといたら……」

 

「さ、さやか?」

 

「あ、ゴメンゴメン。いま説明するのはちょっと難しいから、もう少しだけ待ってほしい。とにかく、あたしには行かなくちゃあならないところがあるから」

 

 

 怖くはない。相対的に、ではあるが、このまま何もせず現実を隠してのうのうと生きるよりかは、怖くない。

 恭介に見せたのは苦い笑顔。こんな顔、可愛いさやかちゃんが台無しである。でも思いきり笑えるまで、あたしはこんな顔しかできない。せっかくの再会だが、あたしは恭介に背を向けた。

 

「まさか……それって、あの女絡みのこと?」

 

「……そう。だから恭介は逃げて。病院でも、自分の家でもあたしの家でもいいから。恭介には関係ない。これは『あたしたち』の問題。

 なんとか出来るかは分からないけど、やれることはやらなくっちゃあならない。あたしは『仲間』なんだから」

 

「おい待てよッ、なんだよそれ……僕は関わっちゃあいけないってか?僕だって今すぐこの場から逃げたいさ。でもさやか、君が死ぬのは違う。今さやかがやろうとしていることは賢い行いじゃあない。

 さやか、英雄になろうとするのならやめろ。軍隊で最初に叩き込まれるのは英雄になろうとさせないことだ。蛮勇は己以外に害をもたらす。君がやろうとしていることは『勇気』じゃあない。ただの犠牲だ」

 

「でも、それで逃げるのは違う。出来ないなりに出来ることをするんだよ。それが何にもならなくても、あたしは後悔はしないし納得ができる」

 

 

 ほんとは、その言葉に頷きたいけれど。あたしの覚悟はもう逃げることを許さない。意味のない逃げを肯定しない。あたしが『納得』するまでコンベアのように足を前へ前へと運んでいってしまう。

 今すぐに恭介に抱きついて、胸元でうんと泣き叫びたいが、それはもっとあとにとっておく。恭介は怒りと意味不明に満たされたような表情で、拳をぐっと握りながら視線を俯かせていく。

 

「はいこれ、持ってて」

 

「何これ。さやかのバッグ?」

 

「約束通り、ヴァイオリンとか色々入ってる。頑張って練習してね。壊しちゃってるかもしれないけど、上手いこと持って来れる手段がこれしかなくてさ。ごめん」

 

 

 それだけ託して、もう一度あたしは走り出した。やっと堪えられなくなって、涙が一滴、恭介から見えない角度で流れた。どうか死にませんようにと、頭の上の月と太陽に願った。

 

「おい待てよッ!何勝手に……」

 

「あんたは来ちゃダメ! いいからさっさと帰りなさい!」

 

 

 恭介は、何も知らなくていいから─────

 

 

 足に乳酸がパンパンに詰まる。バッグが無くなったぶんステップは軽いがそれでも体力的な限界を感じる。倒れている億泰さんの前を通り過ぎて、二つの血溜まりがあったところを抜ける。

 ここはさっき二人が戦ってたところか。かなり移動しながら戦っているようだ。しかし、この先がどうにも見通せない。かなり激しいぶつかり合いで、壁や床が壊れて砂塵が舞っているからだ。

 

「結局、行くしかないなら迷ってられない!」

 

 

 ゴーグルなんてあるわけないし、目をつぶって腕でガードしながら進む。大きな瓦礫につまづく事がないよう慎重に走る。時折この空気を吸って咳き込む。

 あと数メートル。ちょっと走れば砂塵を抜けるッ。向こう側で何が起こってるかは全くの未知。無音であることしかわからない。

 あと一歩で抜けられる。全身の疲労を一気に感じ始める。気の緩みがあたしに疲労感を与える。

 そして、砂塵を抜けた。

 

 煙を越えてから、飛び散っている血液の量が増えた。黄色のリボンがいたるところに落ちていて、地面や壁に槍が何本か突き刺さっている。近くで二人が戦っている証拠だ。

 見るからに戦いは激しさを増している。ヤクザの大抗争があったかのような惨状。魔法少女の争いというのは、かくも残酷なものなのか。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ごふゥ────がブッ、はぁ─────ッ、は────ァッ」

 

「勝ったのは……あたしだ。テメーじゃあない」

 

 

─────逃避はやめよう。あたしの目の前には、血まみれのマミさんとあいつがいる。二人ともあたしには気付いていない。マミさんは壁にもたれかかって、血が止まっていない脇腹を手で押さえながら、立っていて槍を向けているあいつの顔を見上げていた。

 

「………はグ、ふゥ────ッ」

 

「……なあ、マミさん。もうさ、休んでよ。

 聞いたよ……あんた魔女にやられかけたんだってね。あんたが。見滝原を守るのはあんたしかいないってのに、一匹の魔女程度に遅れをとって。ひとりで戦い続けたあんたが群れ始めて。

 憧れって言うのか……あたしの中での『巴マミ』が崩れ去ったんだよ。そしたら怖くなった。あんたが誰も知らないところで、勝手に遠くへ行っちまうんじゃあないかってさ」

 

 

 ……これは、夢だ。悪夢であってほしい。肌で感じるこの緊迫感も、鉄の臭いも、砂煙のピリつく感触も、何もかも嘘だ。そんなはずはない。

 何やってるんだよ、と叫びたい。おかしいよ。こんなの絶対おかしい。あいつひとりにみんなやられちゃうなんて絶対絶対、ぜっーたいおかしいッ。

 今すぐ叫びたい。恐怖が私の勇気を飲み込んでしまった。覚悟が持てない。マミさんのために何も出来ない。

 

「さ、フゥゥ────ッ、佐倉さん……」

 

「あんたがさッ!負けるところなんて見たかねーんだよ!あんたには無敵でいてほしいんだよ! 見滝原のナワバリをあたしに奪われそうになって、やられるだけのあんたは『巴マミ』じゃあないッ。

 頼む、あんたの口から言ってくれ。『魔法少女』をやめるって。グリーフシードならあたしが何個でも持ってきてやるからッ、お願いだよ!」

 

「いッ、いや───………よ、やめる、ものですか」

 

「なあッ!なあなあなあッ!今断ったな!?」

 

「ええ。それが?」

 

「それが?だとォ? いいか、次断ったらあたしの手であんたを殺すからなッ。魔女に殺されるよりずっとマシだから!首を刎ねてぶっ殺す!

 面子とか拘らずハッキリ言ってやるよ、あたしはあんたに死んでほしくないと思ってる。心からの本心さ。

 もし仲間を傷つけたことに怒ってんなら謝るよ。あそこまで接近されるとは思わなかったんだ。悪いと思ってる。でも東方仗助ならアレくらいは治せるだろ?死んでいるわけじゃあないんだから。

 頼むよ………もう罠にかけようとか思ってない。だからッ!」

 

 

 語気を強めて叫ぶあいつの顔を、血まみれのマミさんはイタズラを考える子供のような、悪どい笑顔で見上げた。

 まさかッ。それは絶対に正しい判断じゃあない。悪戯にあいつの顔を真っ赤にさせるだけだッ! あいつにはやると言ったらやるという『スゴ味』があるッ。

 そう言いたいが声が出ない。やめてマミさん!本当に……!

 

「佐倉さん。貴方勘違いしてるんじゃあないかしら」

 

「勘違いだって?」

 

「私は──────」

 

 

 カチカラコロッ。軽い音が鳴る。小石が、瓦礫が地面に転がる音だ。それは小気味よくリズミカルに跳ね、地面に空いた小さなヒビ割れに引っかかりながら変則的に転がる。

 そしてあいつに踏み潰された。

 

「こ、こっちを……見ろ……! め、目ン玉ついてんのか、この野郎……」

 

 

 あたしが投げた。あいつの頭めがけて、そこらに落ちていた瓦礫片をぶつけた。しかも挑発まで。

 考えるより先に身体が動いていた。不思議なことに、外すかも、という心配はなかった。マミさんから注意を逸らそうと必死だった。必死すぎて、これからあたしがどんな目に遭うか想像する暇もなかった。

 

「確か……テメーは、美樹さやか」

 

 

 佐倉杏子がこっちを見た。心臓がバクバクだ。実を言うと、やってしまったという後悔は二〜三分ある。やはり蛮勇。一瞬の時間稼ぎで終わってしまう気しかなかった。

 

「なッ……何やっているの……なんで戻ってきたというのよッ!」

 

「馬鹿な奴とは思ってたがここまで馬鹿だとはなぁ〜〜〜〜〜っ。馬鹿は馬鹿だから馬鹿にしようとしてもできねーんだなって……馬鹿言ってろって感じ。さっきの全然挑発になってねーぞ、お前。

 馬鹿につける薬は……ひとつしかねえよなあ?言っても理解しねーんだから馬鹿なんだからさ……」

 

 

 佐倉杏子が槍を構えた。腰を低く保ち地面を蹴る。向かってくるッ!

 やっぱり怖い。恐ろしい。後悔もある。でも、私は心の中で「後悔なんて、あるわけない」と唱えた。そうしないと、納得できなかったから。

 

「体に教え込むしかねェーよなああああっ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おい………待てよ……てめー」

 

 

 

 

 

 

 

 

 佐倉杏子が足を止めた。飛び出した勢いを止めるため、あたしを切り刻む予定だった槍を地面に突き立てて。声がしたのはあたしの後ろで、佐倉杏子は身をよじり、ケモノのような恐ろしい眼光でそこを睨む。

 振り向いた瞬間、困惑と希望と、『どうして』という感情。運動なんてしてなかったから、ここまで来るのにも疲れてるだろうに。

 裸足だから地面の破片で足を切って、傷だらけになって。どうしてそこまでしてッ。

 

「僕の……トモダチに触れるな」

 

「あたしに口挟むなんて、偉くなったなあぁ〜〜〜っ、上条恭介よぉ」

 

 

 恭介が、そこに現れた。ご丁寧にあたしが託したバッグも持って。しかもあたしを庇うため、佐倉杏子に突っかかるなんてッ。

 

「どうして恭介ッ!殺されるでしょ! まって、なんで何で……逃げてよッ」

 

「ああそうだな。このままじゃあ僕はあのデッかい槍で一突きだろうね。でもこれ、君が言ったことだろ?『出来ないなりに出来ることをすれば、納得ができる』って。

 僕はあのままじゃあ納得いかなかったんだ。あいつは何者なのか?僕はなぜ攫われて、何が行われているのか? 僕だけが生きて、さやかが死んでいいのか?

 ………さやか、僕読んだんだよ。君のバッグの中にあった『果し状』ってやつ。隠しておきたかったんだろ?」

 

 

 恭介がぐしゃぐしゃに潰れたそれを、あたしに広げた。そっか、あのままバッグに入れたままだったのか。もしかして、隠してたことを怒ってる?

 それを見た佐倉杏子は、一瞬ピクッと反応して、殴りたくなるような小さい笑みを浮かべた。

 

「そ、れは……ごめん……恭介に知って欲しくなくてっ、でも!」

 

「そこに怒っているわけじゃあないよ。逆にさやかの気遣いが知れて、申し訳なかった。──────だがそれ以上に、僕はッ! ダシにされたことに対してキレてるんだッ!

 おいテメーッ! 僕を攫った理由、そこの倒れてる彼女を吊り出すためなんだってなああ? この僕をッ!音楽を無視してッ!これを許してなるものか……どういう了見かは知らないが……事実!テメーは音楽を軽視したッ!」

 

 

 歯を割れんばかりに噛み締めて、怒りに歪んだ恭介の表情は、あたしの見たことのないものだった。

 拳に血管が浮き、額にシワが寄り、般若面のような恐ろしい形相していた。ひと睨みでカエルの息の根を止めてしまいそうな、そんな顔だった。

 

「この上条恭介をナメるなよ」

 

「それで? あんたに何が出来るっていうんだ?大人しく殺されに来たのか?『納得』とやらのために。

 あたしは音楽は嫌いじゃあない。ゲーセンでダンスのリズムゲーはよくやってるからさ。むしろ好きな方だ。アップテンポなのがテンション上がるからより好みかな」

 

 どこか遠くで、空気が揺れた。歓声が湧いているのだろう。空を見上げれば、太陽と月が何年かぶりに重なり合い、魅了されるほど美しい金環を描いている。

 

 

「音楽……『音』は人類最古の芸術のひとつだ。起源は遅くとも五万年前……かのラスコーの壁画でさえ二万年前だからな。相当古い文化なんだ、音楽ってのは。

 人類が進化の上で獲得したのは二足歩行と肥大した脳だけじゃあない。ただの『音』を娯楽として、芸術として解する心だ。

 それは何万年も前から僕らの遺伝子に刻み込まれて……そう、完璧な音楽というものはッ!人間である以上必ず心奪われッ、魂を震わせる!それはお前も例外じゃあないぞ……『必ず』だッ」

 

「おい……ちょっと待て、何だか話がぶっ飛んできてるよ……今、いったい何の話をしてるんだ?イカれてんのか?」

 

 

 きっと、恭介の話の真意を読み取れている奴は、この場では恭介しかいない。『何か』をしようとしているということしか分からない。

 そんなあたしや佐倉杏子をよそに、恭介はあたしのバッグをおもむろに地面に置いて、中身を取り出し始めた。今のあたしのバッグの中身なんてひとつしかない。恭介はそれを手に取ると、手慣れた動きで頬骨と肩の間に挟み込んだ。

 

「ヴァイオリン……?」

 

「これからこいつで、お前を倒す」

 

「プッ」

 

 

 そんな馬鹿げたことを恭介は言った。途端に佐倉杏子に爆笑が巻き起こる。あたしは血の気が引いて、後ろによろめいて倒れそうになった。それでも恭介は真剣な眼差しで、弓を持ちながら睨み続ける。

 

「ウヒヒヒヒヒ!ハハハハハハハーッ!! マジに?ええと、いいねえ、それ!ナイス……フヒ、ヒヒヒ!ナイスアイディア!クキッ」

 

「恭介!ビビりすぎてオツムがやられちゃったの!?馬鹿げてる!

 流石に無理だよ、爆音スピーカーでもない、ただのヴァイオリンでなんてさッ!それ本体でぶん殴った方がまだマシだよ!?考え直して、自分のためにも、あたしのためにも!」

 

 

 恭介は、あたしがそう説得すると、軽く笑った。

 

「フザケてなんかないさ。実はな……条件は揃っているんだ。完全な追求は難しいが……それを補える才能が、僕にはある。

 僕自身の才能を信じてここまでやってきたからこそ、出来ると確信している………」

 

 

 生唾を飲み込む。恭介が一拍置いて─────

 

「────僕が、『黄金のメロディ』をここに響かせる」

 

「お、黄金のメロディ?」

 

 

 訳のわからないことを、大真面目に語る恭介を見ていると、笑い転げている佐倉杏子に釣られて変な笑いが出そうになる。

 しかし、いまあたしの目の前にいる恭介はいつになく集中していて、武者震いというやつか、手がブルブル震えている。瞬きが止まらず、唇を幾度も噛み締めた。それでも恭介は語り始める。

 

「まず、ここは今限りなく静かだ。外からのノイズは微かなもので、パイプのないこの路地は空気も落ち着いている……砂塵が邪魔だが、そこは僕の技術でカバーしてやるさッ。加えてこの少人数。音を響かせるのには絶好のチャンスだ」

 

「ほ。ほんとうに、何かするつもりなの?音楽で?無理に決まってるでしょ!だって、音はただの音だよ!確かに人を感動させることはできるかもしれないけれど……」

 

「黄金比────知ってるよな、『黄金比』。黄金比の長方形の中に正方形をひとつ作ると、残った長方形も正確な黄金比率の長方形となる……ってやつ。それが無限に続くわけだ。完璧で美しいもの、っていうと分かりやすいかな」

 

 

 残念なことに、恭介にあたしの言葉は届かず、恭介は全身に熱を帯び続けていた。声に若干の震えがみられる。か細くなっていく声で、恭介は言葉を繋ぎ続ける。

 

「音にもそれがある。音の黄金比。正しい名称で言うなら、『黄金比音律』。黄金比を音程に当てはめると〈833セントスケール〉という数値になる。ホラ吹いてるわけじゃあないぞ、フィボナッチ数列にも基づいている……」

 

「…………ふぃぼな…?」

 

「その音程に忠実に従い演奏した曲……それが『黄金のメロディ』だ。まぁ、そんなものはほぼ確実に不可能だけどね。微細なノイズが、必ず入る。空気の揺らぎ、電磁波、周囲の環境、自分の肉体すらも……

 課題は無限に現れる。でも、それを乗り越えた先……無限を乗り越えた完全な音律ならば、その音波には無限のエネルギーが含まれていると僕は思う」

 

「む、無限の?エネルギー?」

 

 

 頭が痛くなってきた。恭介は一体、どこからこんなインスピレーションを得たのか。そんなそぶり一度も見たことが無かったのに、どうして急にこんな。

 仗助さんと会ってから? 不思議なあの能力を恭介も手に入れたというのか。キュゥべえのやつに何か吹き込まれた?それとも────まさか今ここで、今までの経験と知識から、理論の推測と構築を行なっているというのか?

 もしそんなのが出来たら、天才どころじゃあ……身震いする。

 

「もし人間が無限のエネルギーを持つ音に触れたなら、おそらく魂、思考が音波と共に溶け合って、踊り狂ったあと逝ってしまうだろう……だが、僕はそれを奏でてみせる。不完全なまま、むしろ()()()だから好都合かもしれない」

 

「お、踊り狂う……!? ちょ、ちょ、さっきから何を言って」

 

「課題の多くを払拭するものがある。それが僕らの真上で起こっている現象だ。『金環日食』……過去に東南アジアでこれが起こった時、大気中の電離層に穴が空き……太陽の電磁波と月の引力が重なり、つり合うッ。

 この力の穴は、地球と宇宙の狭間を曖昧にするてすなわち空気の揺らぎもノイズも限りなく『ゼロ』へと! 完全にクリアな環境が出来上がる」

 

 

 その瞬間、音がひとつ、弾けた。黒板を引っ掻いたような耳に悪い音。恭介が、力一杯に弓を弾き、おかしな挙動でヴァイオリンの弦が揺れたからである。

 恭介は二秒ほど深く息を吐いて、思い切り肺に酸素を取り入れる。それでも震えは強さを増して、大粒の汗が滝と化す。蒼白の顔をしていた。

 

「都合のいい話だが……僕がこの現象について知ったのは病院のテレビさ。『NHK』の宇宙の話……専門家のジイさん達のなかに、小学生くらいの奴がいてさ。天才なんだろうな、あの娘も。議論の主導権は常にその娘が握ってた。

 印象に残ったなあ、あれは。内容も、自然に脳へ刻み込まれた。これって……病院にいなかったらなかったことだ。もしかしたらこの時のため、僕が入院したのも『運命』ってやつなのかな」

 

「……………」

 

「不完全な黄金のメロディなら、再現性がある。つまり人間の支配下における。僕はやってみせるさ……無限に近いエネルギーを、僕の手でッ!僕なら絶対にやれる!やれるッ!」

 

 

 

 

 あたしは、恭介に抱きついた。正面から。

 脇腹にヴァイオリンが当たって、少し痛い。恭介の胸板に額を押し当てて、手を脇の下から背中に回し、ポンポンと優しく叩いた。

 

「うお、お? どうしたんだよ、いきなり」

 

「……照れてる」

 

「は、はぁ? こんな時に何言ってるんだ?僕は集中して……」

 

 

 手を恭介の背骨に沿わせて、頭の後ろまで持っていく。髪をかき分けて、背中を叩いたのと同じく、優しく、撫でるように叩く。

 目をぱちくりさせてる恭介の顔を覗き込んだ。両手で恭介の肩を持って、ボクシングのコーチが選手に自己暗示をかけているときのように真っ直ぐに対面する。

 

「あたしには、今から何が起こるとかはわからない。あたしにはこの状況をどうにかする方法はない。だから、恭介。恭介がやるの。あんたが『希望』よ」

 

 

 再び抱きついて、今度は締め技をするくらい、ぎゅ〜っとした。最後に、恭介の手に、あたしの手を重ねると、恭介の震えが止まった。

 恭介から手を離して、後ろに回る。そして広い広いこの頼もしい背中に、ばっちり平手打ちを決めた。

 

「あんたにはあたしがいる」

 

「……ああ、そうだね」

 

 

 いま一度、恭介は弓を弦に掛けなおす。恭介がもしやらかせば、あたし達はおしまいだが、不安は何ひとつ抱かなかった。

 恭介の風貌は、まるっきり違って見えた。ひ弱な坊ちゃんにはそう見えず、まるで古代スパルタ兵のような、甲州兵のような、研ぎ澄まさされた気高い『飢え』が目の中に宿っていた。

 佐倉杏子は、服についた埃を手で払いながら、首の骨を鳴らした。地面に突き刺した槍を引き抜き、ホームラン宣言のように恭介へ向ける。

 

「余興もお開きにしようか、お坊ちゃん」

 

「そうだな。本番を始めよう」

 

 

 何度も見た、佐倉杏子の踏み込み。あたしの目には到底負えず、足元に砂埃が舞ったかと思えば、距離はワープしたように一瞬で縮まる。

 槍を構えた佐倉杏子が、恭介の正面に躍り出る。恭介はそこで、ヴァイオリンを───────

 

「オラッ死んだッ!バカなことするんじゃあなかったなああ上条恭介ェ」

 

 

 叫ばない。出来るだけ静止する。メロディを邪魔する行動はいけない。槍は、佐倉杏子が振れば直ぐにも恭介の首を断ってしまいそうである。それでも、恭介は震えひとつ起こさず、弦を弾いて……

 

 

 肩を上下に動かす。手拍子をとる。頭の中でメロディが反芻する。腰を左右に振る。リズミカルに地面を交互の足で踏みつける。鼻歌が自然に出てくる。

 止めようにも止められない。それどころか、気を抜けば意識がこのメロディの中に溶け出してしまいそうになる。現に、さっきまで私は意識がトリップしていた。

 なんというメロディアス。身体がゾクゾクして止まない。快感が全身を襲う。言うなれば《聞く麻薬》のような、そんな禁忌的なものだと直感する。

 

「と……まらねッ……体がッ!勝手にッ、リズムをッ」

 

「フゥ───────っ、フゥ──────っ」

 

 

 恭介は苦痛な表情をたたえながら、演奏を続ける。一番近くでメロディを浴びる身であるのにも関わらず、意識を保って。

 

「意識が……トぶ……何も考えられ、ねッ」

 

 

 恭介は『本能』を『理性』で抑えているのだ。それもメロディの制御方法を模索しながらである。尋常な精神では無理な話だ。なぜならそれは本能に抗うという、生物的な限界への挑戦をすることになるからだ。

 

「その……耳障りな音をさっさと止めやがれエェェェ……!!」

 

 

 メロディの凶暴性は幾らでも膨れ上がる。あたし達の脳みそに心地よい旋律の毒牙を食い込ませて、脳幹に侵食していく。

 

「あ、あんた……もうあんたの負けよッ」

 

「はァ?なんでよッ」

 

「忘れたの?あんたは仗助さんを倒したんじゃあなく、時間稼ぎに成功しただけってことを。な、何分間こうやって踊ってるかもうわかんないけどさ……

 も、もう戻ってきてもおかしくはないんじゃあないの?そうすればあんた、終わりよ」

 

 

 佐倉杏子に初めて絶望的な焦燥が訪れ始めた。唇を噛み、歯を食いしばって、楽しそうにウキウキダンシング中。裏腹に、額に血管が浮き出てきても違和感がない怒りの表情をしていた。

 

「ちくしょオオオォォォ─────ッ!!」

 

 

 佐倉杏子が叫び、リズムに乗って拳を振るった。怒りの感情を乗せて飛んでいった拳は、空気を殴って、体制を崩した佐倉杏子は前方に倒れる。

 その瞬間に、佐倉杏子は一歩踏み出し、体制を持ち直した。恭介と佐倉杏子の距離は、歩幅ひとつ分、縮まった。

 

「う、動けた……確かにいま足を踏み出したッ」

 

「なッ!何イィィ──────ッ!! 動いたッ、身体の制御が効かないはずなのに!」

 

 

 佐倉杏子は鳩が豆鉄砲を食ったような表情で固まった。息をこれまでで一番に荒げて、目を白黒させながら固まる。

 

「そうかリズムッ!リズムに合わせて体を動かせば多少だが動けるッ!体が勝手に動くのなら動かす方向を決めてやりゃあいいんだッ。

 ククックックゥ………誤算だったね上条恭介!いまそこに行ってやるからさ、雁首揃えて待ってろよ。安心しな、ちょっと痛いだけだから」

 

 

 恭介の顔はますます青白くやつれていく。逆に佐倉杏子は、活路を見出して目を輝かせている。

 佐倉杏子はゼンマイ仕掛けのからくりが、ぎこちなくカクカクに動くように、ゆっくりと歩を進める。槍の長さ込みで僅か数メートル。辿り着くのは時間の問題だと思われる。

 

「ゥウ、はッ! う、動く、身体が……?」

 

 

 そんな折、私の体の制御が戻ってきた。余韻が体を巡って、身震いする。あたしが何かしたわけではない。佐倉杏子にそんな余裕があるわけがない。となると。

 

「制御……し始めた。恭介が、スデに黄金のメロディをモノにし始めている!あたしには効かずに、佐倉杏子にだけ効く旋律を、もうすでに探し始めているッ」

 

 

 次第に恭介の顔は明るいものへ変わっていく。瞑っていた瞳も開いて、先ほどよりも息遣いが落ち着いている。どうやら、確実に制御に成功しているようだ。

 しかし汗はかき続ける。佐倉杏子の距離はもう目と鼻の先である。心地よい跳ねる音符とは正反対に、予断ひとつ許されない切迫した局面。

 

「…………ッ!!」

 

「負けて……たまっかよダボが……」

 

 

 佐倉杏子が槍を掲げたッ。振り下ろせば恭介に当たる! た、タックルして恭介を逃すか? い、いやそれじゃあ、恭介きっと演奏をやめちゃう。

 そしたら佐倉杏子が動ける。あたしが身代わりになっても結果は変わらないッ。

 

「てめーのせいだぞ、あたしに逆ったからこんな目に遭うんだッ。許せよ────上条恭介ッ」

 

「…………ッゥ」

 

「うああああああああああああぁっ!!」

 

 

 その時、佐倉杏子の気は確実に緩んでいた。コンマひとつない寸時だったがそれでも隙があった。

 佐倉杏子の体が止まる。メロディに合わせて確実に腕を振るっていたが、突然壁にぶつかったように静止した。いや、身体はリズムをとっていたので静止したわけではないのだが。

 

「マミ! どこまであんたはあたしの邪魔をするッ!どこまであたしの逆の道を歩み続ける!あんたの信じるその道は底なし沼なのにッ、どこまで!」

 

「ハァ、ハァ」

 

 

 リボンが槍に巻き付いて、マミさんが凧糸のように引っ張っていた。口から血痰を吐き捨てて、片目は閉じられている。まさに満身創痍。それでも、彼女は意識を取り戻した。

 佐倉杏子が槍を握って震えている間、恭介は笑った。汗があごから一滴したたり落ち、『信じられない』と言わんばかりの詰まり気味の笑い声を出した。

 

「完成したッ……メロディが。()()『ゴールデン・メロディ』」

 

 

 そのとき、明らかに音の雰囲気が変化した。音は全く変わっていないように思うのに、音符のもつエネルギーの種類が変化したような。

 当然、あたしが聞いても何ともない。さっきよりも快感は薄いし、ただの曲として認識できる。しかし佐倉杏子に対しては───

 

「何をッ───ヲヲヲヲヲヲヲヲォォォォッ!!」

 

 

 佐倉杏子がのたうち回る。踊り狂い始めた。全身でリズムを表現する。頭を明後日の方向に振り投げて、肩も足も腕も、全てを使って完璧にリズムに乗る。

 あたしや恭介には何ともない。かろうじて佐倉杏子に意識があるのは、魔法少女のタフさゆえであり、尋常の人間ならば、これを聞けば脳がショートし焼き切れていることだろう。

 

「有言実行だな。お前はヴァイオリンに負けたんだ」

 

「だまッ、れよ、タンカス、ふぜいッ」

 

「このまま仗助さんがやって来るまでお前を拘束する。自分のやったことを後悔しながら踊り狂うんだな」

 

 

 天才はどこまでも天才であった。マミさんですら敵わなかった佐倉杏子をたったひとりでやっつけてしまったのだから。これでは、ここにいる誰よりも、恭介が強いということになってしまう。

 佐倉杏子の顔は哀れにも楽しげなものであった。身体が勝手に笑みを浮かべるのだ。表情筋すらメロディに乗って踊ろうとして、迫り来る快楽に釣られて口角が上がるからである。

 

「マミッ!てめ、え、許さねッ、ぞ」

 

「………ごめんなさいね。私いま何も聞こえないの。耳鳴りがひどくて、何も。身体が多分、限界なのよね。こうやって貴女に聞こえるように、大きめの声で喋るのも、かなりツラい」

 

「みみッ、なり? だってッ?」

 

 

 流石に憐れみを抱いた。楽しくもないのに笑顔で、限界まで踊り狂わされるなんて、人として見ていて心臓がキュッと縮こまる。こいつの行いを考えたら仕方がないとは思うが。

 もはや、言葉を発することもできずに、嗚咽のような笑い声が口から出てくるだけになった。それを見ていると身の毛がよだつ。

 ………なんか、さっきまで、こいつこんな笑顔だったっけ?

 

「だ───────っ!!」

 

「何をッ……」

 

 

 佐倉杏子の顔の隣に炎が現れた。テニスボール大くらいの大きさで、暖かな橙色の光を放って、宙でゆらめいている。それがふたつ。両耳の間近にある。

 一瞬のうちに、それが爆発した。

 佐倉杏子の顔が苦痛に歪む。耳に炎が燃え移り、メラメラと勢いを増して燃え上がる。目に涙が浮かんでいた。

 

「佐倉さんッ!?」

 

「はがッ……こ、これで……メロディは聞こえねーぞッ」

 

 

 あたしが声をあげる暇も、恭介が逃げる暇もない。一瞬で佐倉杏子は動き出した。槍を抜き、振り上げて、刃は恭介の方へ向く。

 リボンは力無く、地面に落ちているだけである。佐倉杏子を止められるものは誰もいない。

 

「これで決着だァァ─────ッ!!」

「恭介えええええ!!」

 

 

 

 

───────しかし槍は地面を突き刺した。

 

 

 

 恭介がいない。代わりに、ズッシリと響く重低音が聞こえた。それは槍が地面を割って火花を散らした音ではない。奇妙なことに、あたしはその音に聞き覚えがあった。

 

「なっ、何だっ!! 『瞬間移動』!?」

「きょ、恭介が槍の真下から……いなくなったッ!?」

 

「はッ!」

 

 佐倉杏子が顔を上げる。その視線の先のものにピントが合うと、うっかり槍から手を離して、固まってしまった。

 恭介が尻餅をついて、紺色のものに背中をもたれている。ヴァイオリンは転んだ衝撃で飛んでいって、弦が切れてしまっていた。

 

「てめーはッ!何でここに!」

 

「あ……あなたは……!!」

 

 

 恭介が背中の紺色のものを確かめようと振り向くと、見た目の質感から制服の生地だと分かった。

 制服を着ている人物の容貌が気になって、頭を挙げると、その顔面の凶悪性から勝手に「ひぃ」と喉が詰まった声を出す。

 両手をポケットの中に突っ込んでいて、猫背になって視線の先を、その大きな眼球で睨みつける強面の男。

 

「よッ、意外とがんばってんじゃあねーか。それでよォ、コイツ誰?」

 

「「おっ億泰さんッ!!」」

 

 

 億泰さんは、何ともなかったかの表情で、不思議そうに恭介を指さした。頭の刈り上げた部分をポリポリと指で掻きながら、あたりの状況を見渡した上で、首を再びかしげた。

 『ザ・ハンド』だ! マミさんを魔女の結界で救ったときのように、空間を削って恭介を助け出したんだッ。間一髪のところで!

 そしてザ・ハンドの能力が使えるということはッ。千切れていた腕が再びくっついてしまっているということはッ!

 

「なかなか骨のあるやつをよこしてくれたなああ。あの魔女、結構強かったぜ。ベコベコにヘコましてやるにも時間食っちまった」

 

「東方仗助……ッ」

 

「どうするつもりだ? 消耗しているテメーが2対1は無理だと思うがな」

「なあ仗助、あいつ耳燃えてねーか?」「ウゲっ、痛そォー」

 

「……………」

 

 

 リーゼントが億泰さんの背中からひょっこり姿を見せた。仗助さんである。

 髪がいくつもハネて乱れており、制服には汚れと破れた部分が散見できる。ところどころに血が出ていて、それなりの激戦をしてきたということが見てとれた。

 佐倉杏子の顔は不思議と落ち着いていた。何も聞こえていないからこそ逆に冷静になれるということなのだろうか? 魔法を使うでもなくただそこに棒立ちしている。

 

「テメーの目的はなんなんだ?上条を攫って何がしたかった」

「とっとと言わねーとその顔面、マジの豚箱にいたって分からねーくらいに潰すぞッ。このクソアマが」

 

 

 流石のこいつとはいえ、もう反攻は無理だ。マミさんと恭介との戦いで佐倉杏子は息も絶え絶え、いくら体に鞭打てども体にはガタが来ていて、まともに戦うのは困難だろう。

 仗助さん達が近付いていく。今度は不意打ちなんて喰らわないよう、慎重に、着実に距離を縮める。佐倉杏子は呆然とそれを眺めるのみで、何も仕掛けることなくただ突っ立っている。

 

「こんなところで終わるのなんてまっぴらだ」

 

「しかしテメーにはもう、逃げ道は残されていねーみたいだぜ」

 

「妙なことやってみろ、俺のザ・ハンドで目の前に連れてきてやっからなあ。すぐさま仗助のクレイジー・Dが叩き込まれてテメーは終わりだ」

 

 

 絶体絶命の状況で、しかしあたしは嫌な予感がしてならない。逆境をひっくり返してきたこいつだから、恐ろしくて恐ろしくて、息を呑む。

 

「あたしの手札には『逃げ道』は無い……か」

 

 

 嫌な予感が的中しそうな笑み。やめろ、そんな顔をするんじゃあない。

 佐倉杏子の顔は飄々とした笑みを浮かべている。掴みどころのないその顔面だからこそ、何をしでかすか本当に読めない。先読みできるのは「あたしたちに不利益なこと」だということくらいだ。

 

「たァァ───ッ、ばっ!!」

 

 

 無数の槍が無から生み出された。こいつ、まだそんな力を隠していたというのか。だがこれを全て仗助さんたちに向けたところで、とてもダメージを与えられるとは思えないが。

 そんなことを今頃考える肝っ玉はしていないだろう。

 槍が四方八方に飛んでいき、壁へと突き刺さる。無数の槍がパイプのように壁から生えて、まるで結界のように、複雑に入り組んでいる様子はスチームパンクの路地裏のようだった。

 

「手札にないのなら山札から取ればいい。UNOだって出せるカードがなかったら一枚引くだろ?あたしはそこでスキップを引けたって感じかな」

 

「なに《上手く例えてやった》みてーなツラしてんだコラッ!『ザ・ハンド』!」

 

「待て億泰! いま空間を削ると奴の槍がおめーの方に飛んでくるぞッ」

 

「なッ…!? じゃあこのまま逃がしちまっていいのかよッ」

 

 

 そんなことを話している間に、佐倉杏子は軽やかに槍の柄の合間を縫って上へ登っていく。大した高さのないこの路地ゆえ、あと数秒もすれば建物の屋上までに到達しそうであった。

 

「マミが動ければあたしはこんな逃走経路はとれなかった……今回は痛み分けってことで────」

 

 

 佐倉杏子は言葉を失った。自分に負けず劣らずの速度で登ってくる者がいるのだ。それも、あたしから見たら宙を浮いているようにしか見えない。

 仗助さんがスタンドで、佐倉杏子と同じように槍の迷路を登っているのだ。テナガザルがジャングルの樹木を渡るときのように、驚異的なスピードで。

 

「何もせずに見送るだけなんて、そんな都合のいい話がよォ───、あるわけねぇ〜〜〜〜よなあ」

 

 

 逃げるあいつ、追う仗助さん。リードは縮まる一方。だがしかし、先に屋上へ辿り着いたのは佐倉杏子だった。

 それでも、あと一秒もあれば充分、仗助さんも屋上へ到達できるくらいの距離である。佐倉杏子が全力で逃げようとも、ほぼ間に合わず追いつかれてしまうのは想像に難くない。

 しかし、佐倉杏子はさっきとは打って変わって、安心したような柔らかい表情に変わっていた。

 

「危ねぇなァ。ヒヤヒヤさせんなよ」

 

 

 次の瞬間、槍が全て、朱色の光の粒子となって消滅した。あたりに散乱していた槍も、壁に突き刺さっていた槍も、もちろん仗助さんが掴んでいた槍も全部。

 身体の支えがなくなった仗助さんは空中に投げ出されて、重力に従って自由落下し始める。壁に掴まれそうなものはない。このままいけば、十数メートルの高さから打ちつけられることになる。

 

「なにッ!うおおおおおおおおおおっ!?」

 

「ま、魔法少女化を解いた!魔法が全部魔力に戻ったんだわッ」

 

 

 高度はぐんぐん低下していく。背中からの落下であり、仗助さんは地面との距離がはかれずにいる。必死でもがいて立て直そうとするが、空中であるため上手くいかない様子である。

 地上までの距離は残り五メートルほど。一秒弱もあれば着地してしまう。未だ仗助さんは背面落下で、視線の先には離れつつある月と太陽がうつる。

 

「トッカ・スピラーレ!!」

 

 

 限界ギリギリのところで、滑り込むようにリボンが駆け出した。幾本ものリボンが蛇のように地を這って、折り重なってクッションのようなものを構築する。

 そこに仗助さんが降ってくる。仗助さんは手で顔の汗を拭いながら起き上がり、拳をわなわなと震わせた。

 

「あのやろう……逃げきりやがった」

 

「佐倉さん……」

 

 

 幕切れはなんとも憂鬱に。あれほどやって、気が滅入る結果しか現れなかった。皆が下を向いている中で、マミさんだけが、逃げた佐倉杏子の方を向いていた。

 月と太陽は、完全に別れていった。次にまた同じ形で遭うのは、数十年後のことになる。

 

 

to be continued

 

 





 今回の話のヤマとなった黄金のメロディ。北國ばらっど先生の『岸辺露伴は倒れない』、そこに収録された話「黄金のメロディ」の設定を引っ張らせていただきました。
 初めて倒れないを読んだ時にその設定が頭から離れなくなって、どうしても出したくなってしまった次第です。伊坂『恭』明と上条『恭』介のこじつけも出来ることですし。

 書いてる途中思ってたけど路地のわりに長いし広くね……? 凄みで理解してください

杜王町回を挟みたいです。新たなスタンド使いとして接触して欲しいのは?(一番得票が高かったやつのみ出るって訳じゃないです。)

  • 噴上裕也
  • トニオ・トラサルディー
  • 小林玉美
  • 間田敏和
  • 山岸由花子
  • 大柳賢(ジャンケン小僧)
  • ミキタカ
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