億泰君が一人で飛び出して行った後、急いで僕らは彼の後を追っていた。空気が頬の体温を冷ややかに変えていく。
このぶどうヶ丘高の周辺には公衆電話が少ない。いつも何かと不便だと感じているのだが、別に廃止されてしまった訳でもないのに妙に公衆電話までが遠いのだ。
幾分か走るが、彼の背中すら一向に見えない。億泰君、きっとザ・ハンドの瞬間移動を何度も使っているなァ。彼が向かっているであろう最寄りの公衆電話の方へ走っても走っても追いつける気配がしない。
「手間かけさせてよお~~ッ、コラァ、ちっとは頭使ってくれねぇーと困るぜ」
「億泰君にそれ言うかなァ?何年経ってもあのままだよたぶん」
茶化しながら小さく僕は笑った。つられて仗助君のあきれ顔も少し柔和に変化する。数秒後、走る中で彼がくしゃみをかました。気付けば息は白色を帯び始めて、1ミリ弱ほどの薄い雪のヴェールが道を覆っている。
雪が冷風を率いてくるたび、凍えで縮こまり僕らは一瞬足を止めてしまう。億泰君との差が広がるばかりだ。
大通りを左に逸れて住宅地の方へ行く細めの道を進んでいく。段々地面が滑りやすく思ったより足を回せない。咄嗟に止まることも難しそうだ。
T字路を右手に曲がり、交差した道を真っ直ぐ直進していく。ここらの道は何度も通ったから間違えることは無いはずだ。確か次は左だったな────
「あれェ、何やってんのォてめえらよォ~~」
「えっ」
道を思い出しながら走っていたところ、唐突に頭上から声が降りてきた。左に曲がろうと角に向けていた視界を紺色の布地が現れ隠してしまう。
僕はその地面が滑るのもあって止まることができず、そのまま紺の硬い化学繊維の生地に顔を埋める事となった。鼻の先が衝撃を一身に受け、鼻骨が強く痛む。僕はその鼻の痛みを手で押さえつつ後ろにスッ転んだ。冷たさをケツで敷く。「いてて…、」と声を漏らして上を見上げるとそこには、僕らが追いかけていたはずの億泰君が不思議がっている顔で立っていた。
「億泰ッ!?てめー電話しにいったんじゃあねえのかよ承太郎さんにッ」
「おう、だからしてきたんだぜェ電話ァ」
仗助君が慌てて問いただすと、億泰君はなんてことないことのように、質問の真意がまるで理解できていない様子のまま茫としたテンションで答えた。
彼の飄々とした態度に、僕の……何というか、疑問?ってのが高まる。僕は仗助君の言葉に繋げてそれをぶつけた。
「お、お金は?だって君のバッグここだよッ、財布も中に入ってるし」
「あっソレ俺の鞄じゃあねーかッ、サンキューゥね」
二度目か三度目かのケツを地面に付けた僕を彼は引っ張り上げて、鞄を僕の手から彼の脇に挟み移した。それから、僕は再び彼に問いかける。
「だから、お金は……」
「金って電話料の事かァ?そりぁよ払ったに決まってんだろォ。ほらあ俺ポケットに自販機使ったあとのお釣り溜めてるしよォ」
仗助君が掌を額に押し当てて深く呆れ顔を見せた。億泰君が右ポケットを叩くと金属同士の掠れ響く音が鳴る。それを二度ほど繰り返すと、彼は能天気に笑った。
その様子を見ていると、何だか和やかな気分になった気もしたが、かぶりを振って他の疑問を投げかける。
「で、でもさ、よく国際電話のかけ方知ってたね?どこかで見たり聞いたとか?」
「いやぁ、それはよォ、なんつーかその……」
彼は立つ瀬がなさそうな顔で、僕から視線を逸らした。一間ほど空白の時間が出来た後、先よりもトーンが落ちた、か細めの声で話し始めた。
「中3か高1か微妙な女が教えてくれたんだぜ。黒髪で、目つきはキリッとしててよ、人には冷てえけど動物には優しいっつーか、勉強スゲー出来そうな顔だったぜ。あれとかアレがもっとボン!ボン!って感じならケッコータイプかも俺ェ」
「聞いてねぇしヒトサマに迷惑かけてるじゃあねーか」
そう突っ込まれると、「うぐっ」と漏らして、彼はまた視線を逸らした。
「……困ったときはお疲れさまだぜェ」
「それを言うなら『お互い様』、ね────」
◆
そこから僕らは帰り路につく。億泰君が承太郎さんと電話で話した内容を聞きながら、オーソンの方面へ立ち寄っていく。
彼が言うには、財団が見滝原の高校近くにあるマンションだかアパートだかの一室を借り入れてくれるらしい。生活が本当に苦しくなったら更に保護を厚くするとも言っていたらしいが、彼はそれをきっぱり断ったという。
「鼻につくぜェ~~~ッ、金があるだけで自分達が『テッペン』にいるみたいでよォ。サシで殴り合ったら俺の方が強いしィ」
とのこと。だがそれでも、あのぼろ家に彼が住むとなると、いつか寒さで体調を崩すんじゃあないかとヒヤヒヤしてたもんで、内心安堵していた。
唐突だが、『無償』という言葉がある。端的に説明すると『タダ』という意味だ。タダ、というのは恐ろしい物で、今タダでもその『無償の行為』に対する請求権を相手に与えることとなる。例え相手にそんな気が無かったとしてもだ。
相手に不利がある契約ほど胡散臭く怪しい物はない。大なれ小なれ、『対価』がある方が安心するという物だ。それはSPW財団からも何かしら要求してくることは必定であった。億泰君に『対価』という物を求めるのは実に普遍的で、当たり前のことだ。
「それが、てめーの親父サンの研究許可ってわけか」
億泰君が話に区切りを付けたところで、仗助君が物腰を据えて言った。それに億泰君が曖昧な相槌を返した。彼が白い息を遠くに吹いて、目線を上に逸らしていく。
「もし兄貴が今居たならよ、スパッとキチッと正しい答えを選んでたと俺は思う……だけどよォ、その兄貴はもういない。
俺はバカだからよォ、どうすればいいのか分かんねえんだ。確かに親父を研究したら親父とか同じような状況の奴が治るかもしれねぇ……でもよ、親父にどんな酷いことをしても俺は守れねぇし何も出来ねぇ」
もっともな言い分だ。彼のお兄さん、形兆さんが死んでから、彼の唯一の血縁は彼のお父さんのみである。異形ではあるが十数年来に共にいた親を手放すのは、僕だったらおいそれと決めることが出来ない。
「………仗助ェ、康一ィ、俺は前に進むぜ。親離れ、っつーかよ」
いつになく険しい顔で彼はそう言ってのけた。
「当分あのゲロイボなツラァ見なくなれて清々するぜコラァ!もう大型犬の介護は疲れたからよお~~、俺は自由って思うとスガスガシいぜッ」
大声で悪態をつく彼の顔は、ワインセラーの中みたいに薄暗く暗がりにいるようであった。声の震えは、寒さによるものなのか、それとも───
◆
数日後、先日慌ただしく引っ越し業者とSPW財団の職員達が億泰君のぼろ家に詰めかけていた事を仗助君から聞いた。学校が変わる僅か四日前の事であった。
これから会いに行くのも一苦労だなぁ───と、思ったのも束の間。家で見滝原の地図を軽く見ながら寛いでいたとき、激しくドアを叩く音がした。インターホンは鳴っていない。僕はいざとなればすぐにエコーズの攻撃を叩き込めるようにしながら、小窓から音の主を覗く。
億泰君だった。
ドアを開けて顔を出す。すると、彼からがっちり肩を掴まれ揺さぶられる。
「康一ッ!てめえクラスの紙貰ったかッ!?」
クラスの紙と言われても。何のことを言っているのか分かるようで分からない、モヤモヤする感じのやつ。
「高校のクラスの書かれた奴だぜ、俺がD組でお前と由花子がF組って昨日話しただろ」
億泰君の後ろから。走ってきたのか額に汗を垂らした仗助君が現れて、そんなことを言った。それとなく思い出した気がする。確か────えェっと、由花子さん(僕の彼女)に抱きつかれながら一緒に喜んだっけ。うん、そうだ。やっと思い出した。
「それで、そのクラスがどおしたの?」
「フツゥよ~~~~こういうクラスってのは後から付け足したんなら後のクラスになるよなァ~~~、ABCのクラスがあるのならDEFってよォ」
彼はポケットに手を突っ込む。小銭のちゃりちゃりとした音を鳴らしながら中身をかき混ぜて、やがて1枚のくしゃくしゃの紙を取り出し広げる。丁度それは、昨日見たクラス分けの紙と同じような大きさのものだった。
「ココっ!見ろよ康一、この部分によぉ~~確実に書いてあるよなァ、B組ってよ」
彼はオオゲサにも思えるほど大きな手振りで、その紙を見せつける。僕は数秒間彼が何を言いたいから理解できずに固まっていた。クラス分け、後付け……ということは。
「お、億泰君……転校生になってるってことォ?」
「何でかは知らねぇーがそういう事みたいだぜ。もしかしたら見滝原に引っ越ししたからかもしれねーな」
「んな事有り得てたまるかよクソがッ!コラァッ!」
「お、おい、落ち着けよ億泰」
その後、僕らは学校に問い合わせたが、何も知らぬ存ぜぬの一点張りで話が平行線になったもんで、億泰の機嫌が最高潮に悪くなりながら解散した。つくづくおかしな話だ。ここまで来ると、あの仗助君が言っていた「スタンド攻撃」ってのを疑ってもおかしくないような気もしてくる。
だが、無情にも時は動くものである。ついにやってきてしまったのだ─────
「何だ……ココ、に、20年くらい先って言われても信じるよこりゃ」
まるで新世界。第一印象はそんな感じ。見滝原ってこんなに大きな都市だったっけか、と開いた口が塞がらない。そんな急に発展したとか、そういった記憶は微塵もないのに、これじゃ中学のころ行ったS市よりもデカいんじゃあないかとすら思う。
ただあるのは前に広がる未来的な都市と、ぶどうヶ丘高校を3つ積んでも余りある巨大な高校という現実のみ。
校門をくぐるのすら気後れしている。すうっと、一瞬肺に息を溜めて、ゆっくり歩き出した。ワクワクというか、不安というか、良く分からない感情を抱きながら─────
◇
俺はよォ、頭が悪ぃ。そんなことはとうの昔から、兄貴に言われ続けて自覚してる。正直追試が無けりゃ俺は進級出来てねえといっても良い。
窓が割れるかと思うくらい強く、ドアを投げ開ける。その音で元から向いていた視線が冷ややかなものになりながらも更に注視される。顔も名前も覚える気がない担任の頬には冷たそうな汗が垂れたのが見えた。
「そ、それじゃ……にじ、虹村くん、自己紹介から」
黙っておいてやろおかとも思ったが、どこに座れば良いのか分からなかった分からなかったんでひとまずは、従ってやることにした。
「……俺の名前は虹村億泰 歳は16だ」
続きを促す先公を目で制す。骨の通ってねえ腰抜け教師なもんで、俺がもう一度睨むと悲鳴を短くあげながら、俺の席を指定した。
二つ三つの空席のうち、廊下の窓際の方の席を指定される。そうして俺は床のタイルを踏みならしクラスメイトを目で痛罵しながら椅子に座った。
隣のやつの顔を拝む。名札には『巴』と書かれてあって、襟に他の奴にはない章みたいなものがついている。所謂委員長的なものだろうか。端正な顔立ちと男なら鼻の下が伸びそうなその肉体には好感が持てた。関わりが殆どないことに目を背けると。
HRが終わり、特別な集会が終わり、授業が終わり。休み時間にこのクラスのやつと話すことは余りなかった。何分、ここの奴らは俺からすると『いんてり』?っつー奴らで俺と気が合いそうな野郎はいない。かといって仗助達は学校紹介やらで忙しくて会えない。退屈な一日だった。
「おいそこの2年ッ!見ねー顔だなァ、ええ?」
早く帰って、杜王町へ遊びに行きたいと思ってたとき。ぞろぞろと雁首揃えた3人ほどの男に絡まれた。時代にそぐわぬどこぞの仗助のようなリーゼントの奴や、顔の至る所に生傷を拵えている野郎。どうもこの見滝原でツッパッてる先輩方らしい。そしてこの怒気のこもった声は、大抵俺にとって良くない用があることを裏付けている。
ゆっくりと振り返りメンチを切る。先輩方が軽く眉を顰めたところで、俺は軽く一歩に踏み出した。その態度が癪に障ったのか、その声をかけてきた男共が公然の前であるのにも関わらず『わあきゃぴぃ』と騒ぎ立てる。
「そんなに俺に用があるなら、校舎裏にでも俺を呼び出せばいいんじゃあねーですかい?」
そう俺が言うと、何故か先輩共は更に烈火がごとくブチ切れる。俺はただ思ったことを口に出しただけなのだが、先輩方は俺の胸ぐらを掴もうと取ってかかってきた。
振り払おうととを伸ばした瞬間、先輩の手に触れるかどうかのタイミングで先輩は胸ぐらから手を離し、俺を校舎裏に誘った。そのまま帰っても良かったが、このまま舐められたままで逃げるのは俺の癇癪に障ったんで、ついていってやることにした。
「へへっ、馬鹿の中の馬鹿だなてめえーはよ。こうやって絡まれたくなけりゃそんな格好しなけりゃあ安心安全な高校生活が遅れてきたのによォ~~~」
「それで、なんすか?先輩方が何をしたいか俺にゃ全くさっぱりですよ」
「ほざけよッ!てめーぶどうヶ丘の生徒だろ?そっちじゃそれでも通ってきたかもしれねーが………」
脇の開いた甘いジャブが飛んでくる。だが、このまま襲ってくれば顔面に当たること間違いなしだ。
「うっ…ゲェっ!い、イデエエ───ッ!?」
「どこ狙ってんですかァ先輩ィ、直々に教えてやりますぜェ……パンチっつーのはよお、こうやるんだぜ、このダボがッ!」
俺の右頬に飛んできていた拳は、
何が起こったか分からず困惑しっぱなしな先輩方が顔をマメ鉄砲喰らった鳩みてーにする。俺が更に横たわる
傷の多い方の奴の頬が赤くなり、口内から歯で傷付いて出た血が垂れ、一人目の
「てってめー……何モン、なんだよッ、今確かにこの目で見たぜ!ほんの少し瞬きしている間に……俺の視力は1.5だぜッ!」
「ああ~~そうかよッ」
『ザ・ハンド』の能力を発現させる。像は見せない。ただほんの少し目の前の空間を削りとるだけでいい。俺の目線の高さをほんのチョッピリ削るだけで、こいうの鼻頭がすぅぅーっと俺の方へ向かってくる。あとはこいつをバッティングセンターでクソ遅いボールをかっ飛ばすみてーにぶん殴って─────
「やめなさい!」
拳を下ろして声の方に向きなおす。女の声がした。肩に引き寄せられてきた先輩がぶつかる。俺は逸る怒りを抑えきれず、仲間おいて逃げてった先輩に目もくれず睨みつけながら近づいていく。
金色の御髪を揺らして、恐れを知らぬ刃のような目でその女は俺をにらみ返す。どうも見覚えのある見た目だ。あいつだ、俺の席の隣……巴、名前は確か───
「さっきぶりだなァ、『巴マミ』さんよぉ~~~」
「そういうあなたは虹村億泰」
微妙な空気感。張り詰めているという訳でもなければ、穏やかに事が済む空気もない。奇妙な間合いが広がる。例えるなら霧の深いタイガの中での遭遇戦のような、双方が焦って戦いづらい空気。その霧中で先に言葉を発したのは俺だった。
「やめてほしいだぁ?ならよォー、てめえが代わりにぶん殴られるっつーことで構わねえよなあ?コラァ」
「………できるものならね」
威圧的に、脅しをかけてみれば、すました顔からその余裕ぶった物言いに俺はかなりカチンときて、首掴んでその丸っこいツラを更に赤く腫れ膨らませてやろうかとズカズガ歩み寄っていく。
数歩進んだ。マミの顔には一つも動揺が見られない。肩で空気を切り、更に距離を詰める。もうスデに腕を伸ばせば届く距離に来ているというのに、マミは何も動かない。………俺はそこで足を止めた。
「……殴らないのかしら?」
この女、どこかおかしい。殴られるのを期待しているのか?とも思うがその割には顔色に変化がなさ過ぎる。不気味っつーか、気色悪いと俺は思った。
先程から一貫してその黄色の目はどこか俺を見下しているような気がしてならなかった。まるで未知のスタンド能力を持つ敵に真正面から突っ込んでいくような『危うさ』を俺は感じた。このまま殴ったら俺は『負ける』。そう思えてならなかった。
ほっぽり投げていた鞄を拾い、踵を返して校舎の表に出て行く。とてもムカつくが、やりあってもいないのに完敗したと心の中で認めてしまっている。俺はあいつに殴りかかることができなかった。それが結果だ。
「へえ~~、中々賢いじゃない」
「余裕ぶってんじゃあねー。こんなのは『一度きり』だッ。二度目はあると思うなよ。そして絶対にこの惨めな借りは返すッ」
朱色の日が照りつけ、俺の顔に影をつける。俺は苛立ちのまま、杜王町行きのバスへと向かうのであった。
to be continued
12/20 ミス修正