今回ちょっと短めです
美樹さやかは今日も行く。ローファーが小気味よいリズムを刻み、彼女の歩を進める。これが彼女の近頃の日課である。雨が降っても風が強くても雪が降っても。息を切らして、コケそうになっても走る。頬の赤らめを隠しながら。肩で息をしながら。その慕情を羽根にして、彼の眠る寝台へと羽ばたく。
彼女は考える。彼の元で羽を下ろして、まず何から話そう。一番はあの日のことだ。先輩や同級生とてんやわんやのパーティー。貴方も誘ってあげたかったなと、少し申し訳なさそうに話そうか。それとも、やはり彼の好きな音楽の話か。今日はいつもと嗜好を変えて洋楽多めに仕入れてきた。なかなかの豊作揃いで、それを自慢して聴かせてあげようか。あれこれ想像するだけで心躍る。
しかし、その大きな翼をはためかせ意気揚々と彼の元へ着陸しようとした矢先。思い人はどうやらリハビリ中らしい。こりゃあ今日は難しそうだな、彼女はそう思った。意気消沈だ。翼も昆虫の翅のように、彼女の内側へそっと、しまわれた。
落胆の中、彼女はCDをいっぱいに詰めた袋を持った自らの左腕を見つめた。自分は、動く。彼は、動かない。早く治ればいいと、心から願う。私がこれを動かせなくたってそんなに困らない。はず。だったら、彼の腕を代わりに………
代わりになって、それで?何をして欲しいのか。ありがとうと言ってほしい?それとも、もっと絡み合った関係になりたい?人の負い目にかこつけて、善意の押し付けとその恩で、なんて望んでいない。彼女の自己嫌悪が深まる。自分もあの先輩のような強い人間になれたらな。切実な思いだった。
「はァ、帰ろ」
◆
おはようございます、鹿目まどかです。今、私は誰に向かって挨拶したんでしょう。私?お母さん?タツヤ?それとも、他の誰か? なーんて、何寝ぼけたこと考えてるの。浮かれてるのか?浮かれてます。何だってそんな?それもそうでしょう。
『ダイヤモンド・クルセイダーズッ!!』
ふひひ、何だか青春みたい。そんなに甘っちょろいものじゃあないんだろうけど。むしろ、ハバネロのような激辛かもしれないけど。とにかく私、舞い上がってます。なんてったって、寝起きでこのテンションですから。
マミさん、さやかちゃん、ほむらちゃん、私。仗助さん、億泰さん、康一さん、承太郎さん。もう彼らの名前もすっかり覚えて、マブダチ気分。いわゆる王道展開ってやつですかァ、仲間で力を合わせて強大な敵に打ち勝つって、まさにそういうやつだよねェェ〜〜〜ッ! 最後でまさかの私が覚醒してみんなを助けるとか、しちゃったりィ?それとも────
「まどかァーっ、あんた遅刻するわよッ」
いいところを邪魔されました。まったくありがたいお母さんです。
私はベッドから飛び出し、軽快に一階まで降りてくる。いつも通りに髪や顔を整え、朝食にありつく。どうやらウキウキのとろけ顔が前面に出ていたようで、パパからいいことあったか?と問われてしまう。それほどまで上機嫌というわけだ。
「昨日のパーティーっての、そんなに楽しかった?まさか入学して早々に先輩の家でそんなことするなんて、まどかも隅に置けないなぁ」
「あは、あはは………」(承太郎さんに奢ってもらったなんて言ったら、なんて言われるか分かったもんじゃあないから黙っておこう)
朝ごはんを腹に詰め込み、せわしなく歯磨きやらいろいろ終わらせる。ぎこちなくも手慣れてきた学校への支度。荷物よし、リボンよし、ニコニコ満点笑顔よし!
ぱちんと両頬を叩き、今日の気合を入れる。いつもより早い出立だけど、それだけいても立ってもいられないということ。家族に『いってきます』と告げ、牢屋から脱走するように急いで玄関を出る。
さやかちゃんといつも会う通りを一気に通り過ぎ、顔を合わせた黒猫のエイミーには挨拶をして、学校を目指す。私の足は北風だ。ぴゅーっと吹けばぐんぐん前に進む。早くみんなに会いたい!そう思うと余計風の勢いは強くなった。
「はっ、はっ、はっ………」
「見てーあの子、めっちゃ急いでんじゃん」
「クスクス、まじめじゃ〜ぁん」
観光客に笑われながら、徒競走なみの全力で地面を蹴る。それでも鼻歌混じりになるほどウッキウキ。残り数百メートルさえ待ち遠しく思う。運動は不得意だが、今だけはハヤブサだって追い抜けると思っていた。気付いた頃には校門の前。時が飛んだように一瞬だった。
「あれっ、まどか」
「さやかちゃん?早いねェェ────」
「それはまどかもでしょ?やっぱり、待ちきれないよねェ」
みんなに会いたかったのは私だけじゃあなかったみたい。そりゃあそうだよ、あんなことがあってワクワクしないなんて、さやかちゃんだったら絶対ありえない。
時は進んでお昼休みのこと。授業中に時折マミさんやさやかちゃん、今日は新しい仲間としてほむらちゃんも混ぜてテレパシーで会話しながらいると、気付けば授業が終わっていた。今日の数学と古典は何一つ頭に入らなかった。
屋上にて仲良く昼食である。楽しい談笑で、マミさんの武勇伝をおかずにすると冷や飯も炊き立てかのように食べられた。肴として一級品だ。
ほむらちゃんも私たちとは少し離れてご飯を食べてるが、心なしか数日前より表情が穏やかだった。友達として、すごく嬉しい。友達と思われていなければかなりショックを受けるけど。
「もう、二人とも、ちゃんと授業は受けなきゃダメよ?私も会話に気を取られてノート取り忘れかけたんだから」
「そうは言ってもマミさん、あたし本当に嬉しいんです。あの時マミさんが死んでたら、今頃あたしとまどかはどうにかなってましたよ」
「クサイこと言うヤツね」
「アん?なんか言った!?」
「ちょっとー、どうしてそう揉めちゃうかなァ」
ちょっぴりカッコつけて言ったさやかちゃんのセリフに、マミさんが恥ずかしそうにしていると、ほむらちゃんが私とおかずを交換っこしながらツッコミを入れた。この二人は相性が悪いなぁ、と思う。性格がきっかり南北に向いてるし。
きっと、この時間はすごいものなのだと思う。さやかちゃんの言うとおり、もしマミさんがあそこで私が想像するような死に方をしてたなら、二人で暗闇のような気分の中で、息の仕方も忘れるような落ち込み方をしていたのだろう。ほむらちゃんとも、不思議な人止まりで、こんなふうに仲良くご飯を食べてる場合じゃあなかった。簡単に想像できる。
「……キュゥべえのいない生活ってのも寂しいものね。あいつは酷いやつだったけど、私の中で両親と同じくらいの時を共有したのも、事実だったから」
「だったら!私たちとそれ以上に一緒にいれば寂しくないんじゃあないですか。これからいっぱい思い出作ってけば、キュゥべえなんて忘れられますよ!」
「ふふ、それもそうね!じゃあ今日の放課後、もし暇だったら私の家でまったりしましょう?お菓子もあるわよ」
「あっ私行きます!」
「……お菓子の種類次第ね」
「そォねええ、チョコチップクッキーに、紅茶にィ〜〜〜、よおし、今日はトクベツ!冷蔵庫にあるレアチーズケーキもつけちゃおうかしら」
「
「あー、すんませんマミさん。今日は用事があって、ちょいと難しいかも」
そう言ってさやかちゃんは断りを入れた。顔を見れば、すぐ上条くん絡みだと分かった。そういえば、彼女が今回仕入れたCDはどうたらと熱弁してたのを思い出す。ピンク・フロイドがどうとか、クイーンがどうとかプリンスがどうとか。洋楽だってことしか分かんない。
それを聞いたマミさんは残念がるが、仕方ないと割り切り、クッキーの材料があるかどうか考え始めた。マミちのお菓子すごく美味しいから楽しみだ。
ワルプルギスの夜のことは、学校では思い出さないようにしている。この幸せが消し飛んでしまうかもと考えると、足がすくむ。
私ができることは少ない。戦えないし、気の利いたことができるわけでもない。だったら、少しでも、心の支えのひとつにくらい、ならなくっちゃあ。
今日、仗助さん達は見滝原の地図を把握しにいくらしい。ワルプルギスの夜との決戦は、街全体を駆け回らなくちゃあならないほどの大規模なものとほむらちゃんが言った。土地勘を少しでもつけるためと彼らは言っていた。
「まどか、どうかした?」
「ううん、なんでもないよほむらちゃん」
とにかく今だけは。問題を先送りにして、青春を謳歌しよう。あの事実を知ってなお、戦うための勇気を持つ。そんなことができるようになるまでは。ケーキ、楽しみだなあ。
◆
図書館のような、変わった病室。窓から夕焼けを見る彼の横顔を眺めていると、彼はあたしにようやく気付いて物憂げな表情を見せる。めんどくさいと、思われているのだろうか。
ここはなんて病院だったろう。名前すら忘れた。彼がいなけりゃ、来たくもない場所だ。陰気臭くて、それでいて冷たい。元気ハツラツなさやかちゃんでも参っちまう。いつもの明るい笑顔を作ることができない。不恰好な笑顔しか。
「来てたんだ」
「こ、このさやかちゃんが来てやってそれだけェ?もっと有り難がりなよ。薄情だねえ、ハ・ク・ジョ・ウゥ〜〜ッ」
そうやっておどけてみても、彼の機嫌は一向に変わらない。しみったれた表情を顔に彫り込まれたかのように。苦笑いをずうっと続けている。なんか、悔しい。包帯でぐるぐる巻きの左腕は未だぐったりとベッドに寝かされたまま。これが彼をここまで落ち込ませる原因だ。本当に、どうしてあたしでなく彼なのだろう。
彼の耳に音楽プレイヤーとケーブルが繋がっていることに気付いた。よかった、話題だ。こんな様子じゃあ、私が明るい話をしたら皮肉を言っているのかと勘違いされちゃう。
「なに、聴いてるの?」
「亜麻色の髪の乙女」
「ドビュッシー……うん、素敵な曲だよね。楽譜のどこがどうすごいとかは、あんまり分かんないけど、頑張って色々な曲聴いて、勉強してるんだ、あたし。周りからは驚かれるけどね。『そういうガラじゃあない』だって。
ヤダね───ッ。人の趣味にケチつけんなよなッ。どいつもこいつもポップなの聴きすぎなんだよ。センスないよねエェ───っ。
……でもさ、そんなのはどうだっていいんだ、ほんとは。似合わなくたって、恭介が聴くきっかけをくれたから……」
もじもじと恥ずかしげに言ったあたしの言葉を、恭介は聞こえないふりをしてやり過ごした。打てば響く?打っても響かないどころか、まず当たってない。そんな印象を与える会話だ。会話と言えるかどうかも怪しいところだ。
ここでめげてちゃいけない。彼はブルーだ。あたしだって、こんな状況なら相当落ち込む。人間弱いんだから、しょうがない。彼を責めようとしたあたしを必死に叱りつけ、持ってきたCDを彼に見せる。
「今日はさ、嗜好を変えて洋楽持ってきたんだ。クラシックの勉強はいいけど、他の音楽も聴いて改めてクラシックを再確認するとか、いいんじゃないかと思ったの」
そうして、仕入れたCDを彼の手元まで持っていく。ピンク・フロイドの『
プリンスの『
しかし。表情はうんと暗いまま。失望したような眼差し。彼の顔は笑顔とはかけ離れていて、むしろ怒りを抱いているような様子だった。どうしてそんな顔するの?その様子に、あたしは腹の底が冷え切るような感覚を味わった。
「さやかは、僕をいじめているのか?」
その言葉により、身体の底から冷たさが、洪水のように迫り上がってくる。うねりをあげてあたしを巻き込み、濁流と化して。肝が凍える。血の気が引いていく。あたしを氷のように変えていく。
衝撃的だった。あたしにそんな気は万にひとつもない。あたしが恭介をいじめるだって?ただ恭介を元気づけようと、健気に貴方の元へ通っているのに。通い妻さながらに尽くしてきているあたしが何をしたというのか。
「嫌がらせはよしてくれよ。なんで今でもまだ、僕に音楽なんか聴かせるんだ?なあなあなあなあなあなあァァ───────ッ?嫌がらせなんだろォ、ええ?違うのかッ」
「だって恭介、音楽好きだから……」
「僕がッ!この僕が音を聴くだけで満足する人間だと思っているのかァ──────ッ!! 僕は
僕の……好きな。好きだった音楽なんだよ………僕だってこんなことしたいんじゃあない。さやかに強く当たったって何も変わらない。それは分かってるんだ。でもッ!!」
恭介が音楽プレイヤーを叩き壊す。その破片が恭介の右手を切り裂き、どくどくと血が垂れ流れる。あたしは、何も言えない。気の利いた恭介を支えられるような一言が、言えない。無限のように思える時間が病室ごとあたしをとらえて離さない。あたしはただその様子に怯え、同情の眼差しを向けることしかできない。
「恭介、血が……」
「そんなことはどうだっていい。僕の左腕は動かない。その事実を前にしたら、右手だってどうなっても構わない。どうせもうヴァイオリンには使わない」
「諦めちゃあダメだよ、諦めなかったらきっと……」
「諦めろって。言われたさ、今日。無駄なんだよ。現代の医学じゃあ僕の腕を治す方法は見つかっていない。ヴァイオリンは諦めろって。僕にはヴァイオリンしかないのにね。────二度と僕の腕が動くことはないんだ」
「え………」
頭の中が真っ白になった。今恭介なんて言った?二度と動かない?
どうしよう。恭介、そりゃあ傷つくよね。嫌味にしか聞こえなかったよね。謝ろうか。慰めるのが先?励ます?あたしは何を言えばいい?なんと言えば彼の絶望を和らげてあげられる?何をしてあげればいい?
まずは右手の手当て?そんなことしたらさらに彼は烈火の如く怒るだろう。諦めるなと言い続けても同じこと。あたしがしてやれること?医者になって治療法を見つける。そんなの、何年後の話だよって。
「あと何年諦めなければいい?その頃には別の奴の音楽しか聴かれない。上条恭介なんて過去の者になってる」
「そんなことない!少なくとも、あたしは。ずっと待ち続けるよ。恭介の腕が治るまで、恭介の音楽をずっと!」
「へえ」
どうやっても伝わらない思い。あたしの心からの励ましは、相槌のみで受け流された。彼の目を見る。穴だ。瞳孔が漆黒に染まり、太陽から降り注ぐ光をそこだけは完璧に呑み込み、完全な闇を生み出していた。
明けない夜が、幕のように恭介を隠す。夜の帳が下へ下へと降りて、やがて彼の絶望と混ざり合って、つま先まで染めあげきったのち、きっちりと封がされた。
これが今の彼なのか。あたしが惚れた上条恭介という男は、もっと輝いていたはずだ。恒星のようだった彼は、光を受け取る惑星どころか、まるで反物質のようになっている。これでは人の形をしたブラックホールだ。
「ああ、こんなの、さやかに話したってどうにもならないのに……ごめんよ。でもッ、でも僕は!悔しいんだ!!勝手に世間に忘れられるのが、音楽を捨てたと思われるのがッ!! 弾きたい。弾きたいよ、さやか。
ヴァイオリンを、クラシックを。ソロでも、大勢でも。聴かせたいよ、僕の音楽を。『
「本当に、諦めちゃうの?」
「あそこまで断言されたんじゃあなあァァ。もうどうでもよくなってきた。だって僕の腕は奇跡か魔法でもない限り治らない」
奇跡。魔法。────契約。それを思い出すと、頭の中でモクモクと膨れあがり、あたしの脳を煙巻く。その馬鹿馬鹿しい誘惑をしつこくなるほど入念に消した。あんなの、あたし、きっと耐えられない。少なくとも
それ以外を更に思い出す。あたしにはそれが見えないけど、確かにそこに『有る』もの。様々な能力をもつもの。見ようとしていないものが、見ていないだけのもの。傷を治す能力なんて、都合の良すぎる話かな。いたとしても、それは身近にはいない。そんなの神に祝福されすぎだ。あたしは物語の主人公じゃあない。
でも、驚くほど自然に言葉が出てきた。嘘八百と言われようとも、希望が少しでもあればいいと思った。すると口が勝手に開いた。こんなこと言うのは無責任かもと、口に出してから思った。
「あるよ」
「え?」
「奇跡でも魔法でもないものも、あるんだよ」
to be continued
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