とある妹達《レギオン》の監視役《ウォッチドッグス》 作:大体三恵
「あの……大丈夫、ですか?」
数分ほど洗面台に突っ伏して泣いた美琴は、優しい声をかけられた。
振り返ると
その手を取り、洗面台から立ち上がり離れ……ふと疑問が浮かぶ。
なぜ彼女が、一昨日会社を解雇されたことがわかったのか?
それどころか、彼女の名前、家族構成から年収まで、ぼんやりと把握できた。
不可解だが、今はそれどころではないので、意識から排除する。
涙を拭いて、バッジをポケットに収めて、声を整えて頭を下げる。
「ありがとう。ちょっとショックなことがあって……」
ここがどこなのか、とか携帯電話や所持金の心配もあるが、それは美琴にとってあまり大きなショックではない。
とにかく、あの子に重ねて悪いことをしてしまったという気持ちが大きい。
「そう。大変ね」
小さく「お互いに」と、女性は呟いたが、美琴は聞こえないフリをする。
「もう、大丈夫かしら?」
「ええ。大丈夫。落ち着きました」
まだショックから抜け出てはいないが、これ以上、心配をかけるわけにもいかない。
そして泣いてばかりもいられない。
職を失ったばかりの女性に、これ以上心配をかけてはいけない。
優しいが、どこか気弱そうな人だ。きっと、泣いている美琴を心底心配しつつも、勇気を振り絞って声をかけたに違いない。
美琴はそう感じ、気丈に振る舞った。
強がりには慣れている。
「良かった。何があったか知らないけど、頑張ってね」
「はい」
女性も美琴の自信あふれる立ち振る舞いに安堵したのか、もう大丈夫だと判断して立ち去った。
美琴はもう一度、顔を洗って涙のあとを消し、トイレから出て近くのベンチに腰を下ろす。
まずは現状を確かめよう。
ここはどこなのか?
商業施設に見覚えも聞き覚えはないが、大手チェーンの喫茶店看板の下に汐留店と書いてあった。
「しおどめ? ……汐留! 東新橋? ここ、学園都市じゃないの?」
記憶の上で美琴がいた西東京の学園都市は、壁に囲まれ容易には外へ出られない。
能力開発の秘匿性から、学生は外出許可が降り難い。ましてや第3位で秘蔵っ子とも言える御坂美琴となれば尚更だ。
どうやって外へ出れたのかは謎だが、まずここが東京23区の新橋駅付近とわかった。
事態は不可解だが、今いる場所はわかった。
次に持ち物。
先ほど確認した通り、携帯電話と財布と身分証は無し。どこにもない。
持ち物は常盤台中学の夏用制服一式。ハンカチとゲコ太のバッチ。ハッキング用の小型ラップトップ端末。
ラップトップ端末は、型番こそ同じだが改造されていた。自分のではなく、おそらく
「こんなの持ってたんだ、あの子たち。……私のより性能いいし!」
きっと研究所が手配した特別仕様なのだろう。
それからスカートの下に隠し巻いた腰ベルト。今までは違和感がなかったが、気がついてしまうと、慣れない感触があって収まりが悪い。
ここには投げナイフが一本あった。
空のポシェット? のようなものがいくつかあり、たぶん弾倉をしまっておくポーチだ。
これは多分、
彼女たちはアサルトライフルや拳銃、小型の爆弾などを持ち歩いていた。
腰ベルトには空のホルスターもあったので、ここに小型の拳銃もあったのだろう。今は失われている。
これはなくなっていて良かったと……思っていた時、ルーズソックスに違和感を覚えた。
「ま、まさか……」
慎重にルーズソックスをめくっていくと、左足には小型の拳銃。左足には小さめの投げナイフが2本、装備されていた。
美琴は頭を抱える。
──あの子たち、こんなにいろいろ持ってたの?
美琴は拳銃に詳しくない。あまり見たことのない形状の銃だ。
ここでは怖くて確認できない。
そこらに捨てるわけにもいかないので、慎重にルーズソックスを直して隠す。
「流石にもうないわよね。あ、そういえば」
彼女たちは美琴と違い、能力レベルが2か3ほどであったため、電磁波や磁力線を見ることができない。それを補う装備として、
「でも、見えるのよね」
現状、美琴は普段と変わりなく電磁波や磁力線を見ることができる。
次は能力の確認。
派手に使うわけにはいかないので、磁場の発生など試してみた。
感覚的に、出力が大幅に下がっている。
美琴は幼少時代レベル1から着実にステップアップしていき、中学入学前レベル5に到達した努力タイプである。そのため、現状の出力がおよそレベル3になりたて当時と、同じくらいだと感覚で掴んだ。
レベルが低く、出力が低くても、レベル5まで伸ばした経緯と経験と努力は失われていない。
美琴がレベル3だった当時より、器用に正確に、そしてズル賢く能力を使えるはずである。
「でもまあ、レールガンとか壁張り付きとかは無理そうね」
確認せずに、磁力を使った高速移動などを行わずに良かったと胸を撫で下ろす。
高所で何も考えず飛び出して、そのまま落下……という可能性が高かった。
身体の確認をしてみるが、痛みや不調はない。
「むしろ、なにこの肌の白さときめ細かさ……。生まれたてだから?」
クローンである
夜更かしの経験や、病気や怪我なども受けたことなく、日常の紫外線でお肌がダメージを受けたこともない。
生まれたての白いもちもち肌。
壁の鏡を見ると、自己基準で美少女具合が3割ほど増しているように見えた。
打ちひしがれているうちに、商業施設の大時計が午後3時の鐘を鳴らした。
学園都市に帰るならば、そろそろ電車に乗らないと日が沈んでしまう。
自分が御坂美琴なのか、別に御坂美琴本人がいるかわからないが、勝手知ったる地元に戻るべきだ。
他の
地図と駅の経路図を確認するため、普段はハッキングにしか使わない小型ラップトップ端末を、フリーWi-Fiへ接続する。
「ええっと、ここから学園都市入り口の最寄駅へは……あっ」
ここで持ち合わせがないことに気がつく。と、同時に端末が示す学園都市の位置が大幅に違っていた。
筑波学園都市。茨城への経路案内が、表示されている。
嫌な汗が流れ、御坂美琴は生唾を飲む。
まさか、と声にならない震えた声で、次から次へと検索を繰り返す。
「どこにも……ない」
美琴の知る学園都市の情報が、ネットに中には一切なかった。
出てくるのは全て別の学園都市の情報で、能力開発を目的とした科学先進都市の情報は皆無であった。
多角的に検証するため、学園都市のみならず、関係各所の検索もするが、手ごたえはなし。関係外部企業や大学も、存在しないか別物である。
地名などは同じだが、一部の政治家や有名人などは美琴の記憶と違っている。
大きな事件事故も、いくつか存在していない。むしろ御坂美琴の知らない大きな地震の被害が、情報としてインターネットに残っている。
最後に……、御坂美琴の父親の会社について調べた。
「存在、しない……」
会社がない。
それが倒産した結果であるなら、まだ救われる。
だが、かつて存在していた形跡もない。
つまりそれは、最悪の場合、御坂美琴の両親が存在しない可能性を示唆していた。
御坂美琴はオカルトを否定している。だが、サブカルチャーはある程度触れている。
よくある可能性は、別世界の日本。
「ま、まあ、仕方ないか」
端末をポケットにしまい、御坂美琴は吹っ切るように立ち上がった。
ショックがなかったわけではない。だが、あの子の身体を奪ってしまったかもしれない衝撃に比べれば、まだ耐えられた。
それよりこれからどうするか?
無一文で、今日の寝泊まりする場所どころか、夕飯すら手に入らない。
──まいったわねぇ。この私がお金で苦労するなんて。
現実的な困難を前にして、だらしなく天井を仰ぎ見た。
その時。
「……お姉様」
呼ぶ声が聞こえた。
小さいがはっきりと、雑踏が途絶えた一瞬に。
いつもの変態が、鳴らす鈴を転がすようなくすぐったい変態の声ではない。
抑揚がないのに、気になって仕方ない声。
美琴の身体と心が跳ねる。
「どこっ! どこにいるの?」
周囲の目など気にせず、ベンチから立ち上がって周囲を探る。
驚いた通行人が注目する中、美琴は不可思議な光の線を見つけた。通電している有線から感じる磁界に近い物だ。
普段、見えたことのない光のラインが、天井や壁を走っている。その不自然な直線となっている光のラインの一つが、館内放送のスピーカーに繋がっている。
そのスピーカーから、呼ぶ声が確かに聞こえた。
「そこにいるのね」
スピーカーに何かが繋がっている気配。今まで学園都市では感じたことがない光のラインが、階上へと向かっている。
商業施設ビルの階段を使い、光るラインを辿っていく。
昇りきると、そこはビルを背にしたテラスになっていた。何人かの人たちが休憩がてら散策をしている。ほかの施設に繋がる回廊にもなっており、新橋駅へ向かう通行人の姿もあった。
少ないながらも庭木が植えてあり、
その一角へ、見慣れない光のラインが繋がっている。
これを追いかけた先で、美琴は不思議な場所を見つけた。
いくつもの金網に囲まれ、
この祠に、光のラインが繋がっている。他にもいくつか交差した光のラインがあり、それらは周囲の金網の扉へと繋がっていた。
「クローズドなシステムなのね」
光のラインを撫でながら、美琴を繋がりが閉鎖的であることを調べ上げた。これは外のインターネットに繋がってない。小さくローカルなネットワークだ。
制御しているシステムは、あの祠の中にあるようである。
近くのエレベーター乗り降り口に、ctOSと大きく書かれた制御盤ボックスがある。光のラインの一つは、このボックスに繋がっていた。
「ctOS? 聞いたことない……。いえ、あるわね」
ctOSは、アメリカの企業が学園都市に対抗して作った汎用オペレーションシステムである。
学園都市の技術が進んでいるため、追いつけ追い越せと作られたctOSは、目覚ましい性能を誇っていた。
実際、用途は違えど学園都市のシステムを大部分で上回っており、シカゴやアメリカ肝入りの学芸都市で試用されていた時期もある。
広域社会見学のおり、少しばかり触れたことがあるが、特になんという印象はない。ctOSも学園都市の一般的なセキュリティも、美琴のハッキング能力の前では裸同然だからだ。
しかしながら、セキュリティに重大な欠陥を持っており、危険性を指摘されてお蔵入りとなった経緯がある。
どうやらそれが、こちらでは実用されているようだ。
「最近は欧米資本が入ってきてるし、日本でも使ってるのかな」
軽い気持ちで、美琴はctOSにアクセスする。
出力が足りないため、力技のハッキングや遠距離からの制御は難しいが、触れる範囲であれば普段と変わりなく侵入できた。
犯罪である。
「あいかわらずセキュリティ、
まるで最初から意図的にそう作られたのか。
特定IDや上位権限を持っていると、想定以上に侵入しやすい作りとなっている。学芸都市で触れたctOSは、ここまでひどくなかったはずなのにと、首を捻る。
「開錠キーね。あの祠を囲む金網の」
逡巡も一瞬。美琴は施錠システムを解放する。
カコンという小気味いい音を立てて、祠を囲む一枚目の金網戸の鍵が開いた。
周囲の目を気にしつつも、堂々とその中に入っていく美琴。
二枚目の金網も鍵がかかっているが、ここまでくると祠の様子が良く見て取れた。
真新しい木材と樹脂でできた簡素化された祠だ。やや近代的……いや、LANケーブルが突き刺さり、屋根の向こう側にアンテナ、全面には入力装置までもあって、どこかパンクで未来的な祠であった。
しめ縄と
目を凝らしてみると筆で文字が書かれているが、格子の向こうで薄暗く読み取れない。
まず二枚目の金網を開かないと。
美琴は首をめぐらし、金網の戸から伸びる光のラインが、少し離れた場所の街灯に繋がっているのを探し当てた。
だが、手が届かない……。
レベル5の能力があれば、出力を上げてハッキングできた。
しかし今は出力が大幅に低く、端末に手が触れる程度まで近づかないと、接続すらおぼつかない。
身体を持ち上げるほど、電磁力を発する出力はさらに不可能だった。
仕方なく美琴は金網をよじ登り、街灯の柱に捕まって手を伸ばす。
「と、と、とど、届いた!」
触れた瞬間、電撃が走り、施錠システムを解放する。
バランスを崩したが、危なげなく金網の上から飛び降りて、膝を使って着地した。
そしていつもと違い、短パンを履いていないと気が付いて赤面する。
「ちょ、だ、誰も見てないわよね!」
祠は静かな場所を選んで祀られていたため、視界が遮られるように考えられている。
盛大にスカートがめくれ上がり、しまパンを全部晒して着地した美琴を見た人はいない。
だが、近くに防犯カメラがあった。
「まさか、見てないわよね」
真っ赤な顔で、カメラを睨む美琴。
終始、監視しているとは思えないし、常にズームしているとも限らない。
遅ればせながら、楚々と歩き、二枚目の金網を抜ける。
そこに、目的の祠があった。
小さく一礼し、手を合わせ、心の中で謝りながら、祠に手を伸ばす。
電撃が、信号が、美琴の脳に接触した。
「これは! ctOSの管理用
祠の中にはQRコードがあり、ラップトップのカメラで読み取ってみると、ctOSの上位権限のIDが手に入った。
そのIDを適用した瞬間、美琴の意識が広がる。
汐留から新橋駅を越え、愛宕付近まで、美琴の意識が広がっていく。
出力が足りず、すべてを掌握することはできないが、視界内であれば、ctOS下のシステムを奪うことができる。
「ど、どういうセキュリティホールよ……。いえ、一般人じゃできないでしょうけど、知識がある人ならスマホさえあれば……」
ゾッとした。
信号やガスのインフラを制御したり、ctOS下で繋がっている端末を盗み見したり、防犯カメラを傍受したり、停止させたり、改竄することだってできる。
「ctOSを作ったのって、シカゴだっけ? そこにあるブルームって企業よね? どうしてこんなひどいシステムを作ったの? ……このQRコードは第三者が仕込んだ可能性があるけど、それにしたってひどいわ」
ハッキングをスナック感覚で行う自分が言うのもなんだが、と思いつつも、愚痴の一つも出てしまう。それくらいctOSには致命的な問題があった。
「それより……」
さきほどの呼び声。
その正体を探らなければ、と美琴は祠の格子戸をあけた。
そこにあった木札には──
と書かれていた。
「な、なんの冗談よ」
自分の名前と似た札に慄き、渇いた笑いを浮かべる。
オカルトを信じない美琴だが、神仏を無下にするような人間でもない。
札に触れるのは畏れ多いと思ったが、呼び声の正体を知りたかった。
木札に触れる。
感触は木を樹脂でコーティングした物。
そしてこれはただの木札ではなかった。
メモリーカードが封入されている。
外部からアクセス方法はない。
通常であれば、木札を破壊するしかなかっただろう。
しかし、今は能力が下がっているとはいえ、ここにいる者は学園都市第三位。
不条理な非接触ハッキングができる存在である。
絶縁されていないコーティングの隙間から、内部のメモリーカードに侵入する。
電撃姫美琴は、電撃を受けたようにショックを受けた。
その場で弾けるように跳ね上がる。震えて取り落としそうになった木札を祠へそっと置き、胸を抑えながらよろめき下がる。
「な、なんで……ここに……、ねえ、なんでよ!」
これは独り言ではない。
美琴は【
「なんでッ、
御坂尊を御坂命に変更
日本書紀形式ではなく、古事記表記に合わせました。
命のほうがこう…「御坂美琴命!」って推し感もあるし、お札なら命表記かなと
古事記にもそう書いてある