「藤田ことねさん、貴方をプロデュースさせてください」
「……へ?」
放課後、バイトへ急ぐ私の前に現れた、大輪のバラの花束を持った男はそう言った。
あまりの唐突さに、私は昨日のバイトでクレームが入った時以来の目眩を感じた。
だって、そんなことを言われるわけがない。
これまで一度たりとも見たことのない人から、突然プロデューサーになりたいと言われるなんて、どんな状況だ。
確かに私、藤田ことねは、初星学園のアイドル科という、アイドルを育てるための学科に通っている。
そこにはプロデューサー科がある大学も併設されており、こういったスカウトは頻繁に行われているという。
「なんで、私なんですか?」
だが、スカウトされるのが私だと話が違う。
確かに見た目は可愛いが、アイドル科での成績は正直微妙だ。
名前を知っているなら、そこもわかっているはずだ。
「貴方なら、世界で一番輝くアイドルになれると思ったからです」
即座に答えが返ってくる。
聞かれることは、最初からわかっていたのだろう。
改めて、目の前のプロデューサーを見る。
学生にしては少し大人びた顔で、細いスクエア型のメガネをかけている。
着ているスーツはピシッとしている。クリーニング屋歴一年の私でも、ここまでの仕上がりに出来るのは三回に一回だ。
そして何より目立つのが、その両腕に抱えたバラの花束だ。
「はっ!だったらその、バラは何ですか!?普通、プロデュースする相手にバラは持って来ないでしょ!」
「ああ、コレは貴方に渡すものではありません。単なる造花ですよ。それに花は、プロデューサーよりファンから貰うべきでしょう」
確かに少し落ち着いて見れば、葉脈もなく、茎のあたりにテープで巻いた跡がある。
「へえー、じゃあこの後、私のプロデューサーになったらそのまま他の女を口説きに行くんですか?忙しいですねぇ」
「いえ、まず方針を伝えます。そして明日からのメニューも伝えて、バイトの時間を調整して貰います」
「思ってたよりマトモな回答が来た……」
「当然です。キッチリとプロデュースの準備はしています」
改めてプロデューサーを名乗る男を見る。怪しすぎる。
いや、バラの花束がなければ、疑いながらもついて行ったと思う。でも、造花のバラ……
「信じて貰えていないようですね」
「そうですねぇ。ちょおっと、信じる理由がないですかね」
「でしたら、一先ず信じて貰うために一つ、受け取って欲しいものがあります」
「なんですか?お金だったら受け取りますケド……」
「残念ながら、お金ではありません」
そしてその人は、ポケットの手帳の中に挟み込まれた薄っぺらい一枚の紙を、私に向かって差し出した。
思わず、受け取ってそこに書かれた文字を読む。
¥445000
「……へ?」
それは、振替払込受付証明書だった。
振込先は、初星学園。
振込者の名前は、藤田ことね。
当然、払った覚えはない。丁度この額の金を工面するために、今、私は睡眠を削ってバイトを詰め込んでいるのだから。
「あなたの半年分の学費です。これで、話ぐらいは聞いて貰えますか?」
私のバイトは、大体時給で千五百円程度。
つまり、この紙切れ一枚には、三百時間以上の労働分の価値がある。
そんなものを見ず知らずの人から貰うなんて、なにか裏があるに決まっている。
「いくらでも聞きますっ!」
でも、その紙を手放すことはできなかった。
「さて、ではプロデュース方針を伝えます」
私は、プロデューサー志望に誘われるがまま近くの空き教室に座って話を聞いていた。
だって、ズルじゃん。
こんな大金、手放せるわけがない。
「えーっと、私まだプロデュースしてもらうって決めたワケじゃないんですけど……」
「ではそのポケットの中の紙は返却下さい」
「あっ、されます!私があなたのアイドルでぇす!」
「……では、まず最初に契約を結びましょう」
急に出てきた怪しげな響きに、今すぐ逃げろと直感が囁く。
でも、流石にこの金を持ち逃げするのは余りにも……
「単純な契約です。今から一か月間、私は貴方のプロデューサーになる。そして一か月後、貴方はその紙の所有権を手に入れる」
「……へ?」
聞き間違えたか、と思って聞き返そうとするが、目の前に全く同じ文言が書かれた書類が突き出される。
「初星学園プロデューサー科には、法律の授業があります。プロデュース業を行う上で、契約は必須ですから」
「ええっと、でも、私には、一か月プロデュースされるだけで四十五万貰えるって聞こえたんですけど?」
「捉えようによっては、そうなります」
「そ、そんな上手い話があるわけ……」
その人はメガネをクイ、と持ち上げると、最後に一文を書き加えた。
『一か月を過ぎた後、藤田ことねが望むなら、プロデューサーは二度と藤田ことねに話しかけず、顔を合わせた場合は速やかにその場を去るものとする』
「!!!?」
つまりこの契約書にサインするだけで、
一か月間プロデューサーの指導を受けられる上、一か月後には授業料を払える。
ついでに話していて問題があるとわかれば、二度と近づかないでくれる。
「エット……流石に話がうますぎません?」
「いいえ、貴方のような、才能を持ったアイドルをプロデュースできるならこのぐらい当然です」
怖いぐらい嬉しいことしか言わない。
なんだこのプロデューサー、私の妄想か?
「納得いただければサインを、そうでなければ返却を。勿論、質問は幾らでも受け付けます」
「……じゃあ、最後に一つだけいいですか」
「勿論です」
この話は、きっとこのプロデューサーが、絶対に断られないように計画を練りまくった結果生まれたものだ。
私が思いつくような疑問点など、すぐさま契約書に一文を加えるだけで解決されてしまうだろう。
だから、聞くべきなのは一つ。
今、私が一番知りたいことだ。
「私は、アイドルになれますか?」
「必ず、私がしてみせます」
一歩、踏み出す。
そしてスーツの胸ポケットに入った万年筆を抜き取ると、一気に紙に書き殴る。
電車での移動中、バイトの空き時間、ずっと考え続けた自分を示す文字列を。
「……出来た!」
改心の出来だ。
そうでなきゃ困る。
だってこれは、世界一のアイドル藤田ことねが、初めて書いたサインなのだから。
「一か月間よろしくお願いしますね、プロデューサーさん!」
「ええ、まずは一ヶ月、よろしくお願いします」