書き直しに時間がかかってしまいました。
目が覚めると、見知らぬ天井が広がっていた。
薄暗い照明が照らす部屋の中、意識がぼんやりとしたまま視界が徐々に鮮明になっていく。
(……ここは……?)
体を少し動かそうとして、全身に鈍い痛みが走り、思わず顔をしかめた。
気を失う前の出来事が断片的に頭に浮かぶ。
リアちゃんやあの戦い、そしてヒュアキントスの登場…。
「うぅ……僕、生きてる?……それとも、これが天国?それにしちゃ天井が地味ですね……」
冗談まじりにつぶやいてみたが、当然返事はない。ふと、窓の外を見ると月明かりが静かに差し込んでいるのが見えた。どうやら深夜のようだ。
(ああ、もう夜か……それにしても、ここはどこだろう……?)
周囲を見渡してみるも、誰の姿も見当たらない。隣のベッドも空いていて、ただただ静まり返っている。
(病院……かな?それにしても、怖いくらいに静かですね)
ゆっくりと体を起こして、辺りを確認する。痛みがまだ残っているが、無理やり体を支えて視線を巡らせた。
医療用具や点滴の台などがあることから、ここが病院の一室であることは確かだけど、誰もいないことが妙に不安を感じさせる。
「誰かが待っててくれる、なんてお約束はないですか……」
思わず苦笑しながら、再びベッドに体を戻した。そのまま、静まり返った病院の一室で、10分、1時間と、ぼんやり天井を見つめ続けた。
「暇です…」
刺激が多い生活が続いていたせいかどうにも我慢できない。
体の調子を確かめるために、ゆっくりと体を動かしてみる。
あちこち痛むものの、どうやら歩くだけなら支障はなさそうだ。ベッドから足を降ろし、少しずつ立ち上がった。全身に鈍い痛みが走るが、立ち上がることはできた。
(どれくらい寝てたんだろう……? あの後どうなったのかな)
そんなことを考えながら、ふと枕元に一枚の紙が置かれているのに気づいた。紙には誰かからのメモが残されていた。
「……なになに?」
紙に目を通す。整然とした文字で、皮肉混じりの言葉が書かれていた。
『アポロン様の眷属探しを終え、オラリオに戻ってきたところ偶然貴様を見つけた。やはり運だけは持ち合わせているらしいな』
思わず顔をしかめながら、さらに続きを読み進める。
『アポロン様が貴様の存在に気づかれれば、また勧誘が始まるだろう。オラリオに来てしまった以上、もう逃げることはできんぞ。覚悟しておけ』
最後の文を読み終わった後、しばらく無言でメモを見つめていた。
ヒュアキントスらしい、皮肉と冷たさが混じった内容だが、それでも助けてもらったことに感謝の気持ちはあった。
「……助けてくれたことには、感謝してますよ……うん」
小さくつぶやいた後、メモを握りつぶすように破り捨てた。破り終わった紙を軽く丸めて枕元に放り投げる。
「鬼ごっこの再開かぁ……カサンドラは元気にしているかな?」
ベッドに再び横たわりながら、ふとあの頃のことを思い返した。カサンドラの笑顔や、彼女が言った何気ない言葉、それらが胸の奥に優しく、そして少し切なく響いていた。
「我ながら、最低な別れ方をしました……」
ベッドに横たわりながら、カサンドラとの別れを思い返す。別れ際、自分がどれだけ酷いことを言ってしまったか
『世界が君を信じなくても、僕だけは君を信じ続けます。カサンドラ、僕は必ず君を──』
その記憶が鮮明に蘇り、思わず顔をしかめた。
「今世での悪行トップ3に入るかも……」
そう呟き、ため息をついた。
嘘をついたわけじゃない。誤解を招くようなことをしただけで、後のことを考えると最善だったとも言え…なくもない。そう自分に言い聞かせながらも、胸の中には罪悪感が残っている。
(過ぎたことは仕方ない……)
思い返してもどうにもならないことを考え続けるよりも、今は別のことを考えたほうがいい。そう思い、ベッドから起き上がった。
「こんな時は夜のお散歩といきましょうか」
気分リフレッシュ、廊下を通るとバレかねないので、窓から外に出ることにした。
少し古びた窓枠をそっと押し開け、冷たい夜風が肌を撫でる中で身を乗り出す。月明かりに照らされる静かな街並みが広がっていた。
(夜風が……気持ちいいなぁ)
息を吸い込む。冷たい空気が肺に入り、全身にじんわりと広がる感覚がする。音は何も聞こえない。どこまでも静かだ。
「……」
歩きながら、先の戦いのことを思い返す。ヒュアキントスが来なければ、あの場で命を落としていたのは間違いない。彼の助けがなければ、自分はどうなっていたか。
(本当に運が良かった……もし事前に負傷していなければ、僕一人で勝てただろうか?)
自問するが、答えは出ない。そもそも答えなんてないのかもしれない。
ただ、今の自分の力ではどうにもならない状況に何度も陥っていることを考えると、悩みが尽きることはない。
散歩のつもりで歩いているうちに、気づけばバベルを見上げられるダンジョン付近まで来てしまっていた。巨大な塔が月明かりを背にしてそびえ立ち、その圧倒的な存在感に思わず足を止める。
「いや、ダメダメ、何を考えているんだ僕は……」
思わず自分に言い聞かせるように呟いた。まるで引き寄せられるようにここまで来てしまった自分に呆れる。焦っている……わけではない、そう言い聞かせるものの、胸の奥には何かが燻っているのを感じていた。
(まだ先の戦いの熱が……冷めてないのかもしれませんね)
拳を軽く握り締めてみる。体はまだ万全ではない。それなのに、この場に立っている自分がどうしようもなく情けなく思えてくる。
(アリーゼたちにこんなことがバレたら……考えたくはないですね)
彼女たちの顔が脳裏に浮かび、その優しさと厳しさに自然と心が揺れる。
「帰ろう……こんなところでうろついてたら、また面倒なことに巻き込まれるだけです」
足を引き返そうとした、その瞬間だった。
「……ん?」
背筋を冷たいものが撫でるような、嫌な予感が通り抜けた。これには思わずため息が漏れる。ああ、まただ。平穏というものに見放されて久しいが、それにしてもこの頻度はどうなのかと。
「もう、本当に何なんですかね、このエンカウント率。平穏無事な夜を一度くらい過ごしたいんですが」
ぼやきながら周囲を見渡せば、耳に届くのは夜道には不釣り合いな足音だけ。
しかも、こちらに向かってくる。それが視界に入った瞬間、ため息はもう一つ追加された。
暗い服装に身を包み、赤い髪を月明かりに輝かせた男が歩いてくる。その顔には妙にゆるい笑みが浮かんでいるが、細められた目の奥には何か底知れないものが見え隠れしていた。
(はぁ……)
足音が近づくたびに心臓が微妙に早鐘を打つ。こんな時間に、こんな場所で、この男と出会う確率を考えるだけで気が滅入る。
「おやおや、こんな夜更けに子供が一人。迷子ですか?」
彼の登場に、深夜の空気がさらに冷たく感じられた。
(せっかく散歩で気分転換しようと思ったのに……余計な
自分への呆れと、現状への諦念が入り混じりながらも、自然と体は緊張していた。ヴィトーの余裕たっぷりな笑みが、妙に苛立たしい。
逃げるのは悪手、警戒していることを悟られてはいけない。そう自分に言い聞かせながらも、頭の中では最悪のシナリオを考えていた。
(どうにか、この場を無事に切り抜けないと……)
そう思った矢先、ふと違和感を覚えた。
(あれ……?)
僕はこの男『ヴィトー』のことを情報として知っている。
生まれ変わってからそれなりに時間が経ったおかげで、全ての設定を覚えているわけじゃないけど、重要な人物や事件については忘れるはずもない。
『ヴィトー』二つ名は『顔無し』。
生まれながらに色彩能力が欠如し、世界を無色のものとしてしか認識できない破綻者。
色のない世界の中で、唯一『血の色』だけが彼にとって鮮明に映る。それゆえに、彼は殺人という行為に手を染めた外道。
それが彼の設定だった。
(……おかしい)
「おや、反応していただけないとは残念」
目の前のヴィトーは、怪しげな笑みを浮かべている。しかし、そこに漂う何かが違う。
危険を感じる笑顔ではあるけれど、それ以上に不自然なほど『楽しそう』に見える。
「どうして、そんなに楽しそうなんですか?」
気づけば言葉が口をついて出ていた。相手を刺激するのは危険だと頭では分かっている。それでも、好奇心が理性を押しのけた。
仕方ないじゃない、気になるんだもの。
ヴィトーは、こちらの問いに一瞬目を細めた後、ゆっくりと口角を上げた。その表情には、どこか試すような色が滲んでいる。
「楽しく見えますか? それは良いことだ。私が楽しそうに見えるなら、それだけでこの出会いに価値があるというものです」
「価値、ですか?」
ヴィトーの返答に、思わず眉をひそめる。
こちらはただの散歩中で、出会いなど求めていない。けれど、彼は楽しそうに話を続ける。
「ええ、価値です。こうして夜更けに出歩いていた貴方が、私と出会う、偶然に見えて、これはきっと運命です。ほら、退屈な夜に彩りが加わったのではありませんか?」
「彩りなんて、特に感じてませんけど……むしろ、不安と疑念でいっぱいですよ」
「おやおや、それは少し寂しい言葉ですね。私は貴方にとって……そう、刺激的な存在だと思ったのですが」
ヴィトーは肩をすくめ、視線をこちらに固定したままゆっくりと近づいてくる。その足音が耳に心地悪く響き、思わず後ずさった。
「刺激は必要ありません。僕はただ平穏に生きていきたいだけなので」
「平穏……それは素晴らしい理想です。ですが、果たしてこの世に平穏なんてものが存在するのでしょうか? 特に、このオラリオでは」
「……僕のことを知ってるんですか?」
問いを投げかけると、ヴィトーはほんの少しだけ目を細めた。その表情には明確な答えが刻まれている『知っている』と。
「知っていると言えば、知っている。知らないと言えば、知らない。それが適切な答えでしょうか」
「何を言ってるんですか? はぐらかす気なら、少しはまともにしてくださいよ」
「まともに? 私は常に真面目ですよ。貴方が何者であれ、この瞬間、私たちは出会った。重要なのはそこだけです」
「……話が噛み合わないですね」
ため息をつきながら、じわじわと体に力を込める。
ヴィトーは平穏に見えて、その裏にはどんな狂気を隠しているか分からない。下手に出れば、足元をすくわれる可能性が高い。
「そう身構えないでください。私はただ、少しばかりおしゃべりを楽しみたかっただけのこと」
「楽しみたい相手を間違えましたね。僕はそんなにおしゃべりが好きじゃないので」
「それは残念。でも、貴方は不思議な人だ。こんな場所にいることも、そしてこの時間に歩いていることも。平穏を求める者が、こんな不穏な時間に街を彷徨うとはね」
その言葉に言い返そうとしたが、すぐに何も言えなくなった。確かに、平穏を求めるなら自分がいるべき場所は病院のベッドだったはずだ。
「……あなたこそ、こんな時間にこんな場所で何を?」
「さあ。どうしてでしょうか」
ヴィトーは薄く笑いながら背を向けた。すれ違いざまに、彼の低い声が耳元に届く。
「次はもう少し、楽しいお話をしましょう。その時にはもう一度貴方の『色』を、私に見せてください」
そう言い残して、彼は暗い街の闇の中へと消えていった。
「……」
ヴィトーが闇に消えた後、そこに残されたのは妙な静寂だった。風の音も、街の雑音すらも、なぜか遠く感じる。
「……色」
ふと彼が残した言葉が胸に引っかかる。次は自分の『色』を見せてほしい、そう言っていた。
自分の腕に目を落とすと、動き回ったせいか包帯には血が滲んでいる。その鮮やかな赤が、月明かりの下で微かに光って見える。
「これを……見たのでしょうか?」
そう呟いてみたものの、胸の中には言いようのない違和感が残る。違う気がする。確かに血の色は鮮やかだが、それが彼の言う『色』とは思えない。
(……殺人鬼の発言に意味を求めるのも無駄でしょうか?少し疲れましたね…帰りましょう)
気分はどこか沈んでいた。体は冷え切っており、無理に動いたせいで傷がさらに痛む。ため息をつきながら、ふらふらと病院の建物まで戻ってきた。
(やっぱりこんなことするんじゃなかった……)
窓から出た以上、帰りも窓から戻るしかない。廊下を通れば当然バレる。
人気のない病院の裏手に回り、自分の病室の窓を確認した。幸い鍵は開けっぱなしだ。そっと窓枠に手を掛け、ゆっくりと身を乗り出す。
(よし、もう少しで──)
その瞬間、正面から厳しい声が響いた。
「あなた、何やってるんですか!?」
ビクッとして振り返ると、ロウソクを持った看護師がこちらを睨んでいた。
その視線には完全に鬼のような迫力が宿っている。
「え、えっと……その……」
「『その』じゃありません!ここ二階ですよ!どうやってここから入ろうとしたんですか?そもそも、病室を抜け出していたこと自体、どういうつもりですか!」
看護師の問い詰めにタジタジとなりながら、なんとか弁明しようと口を開く。
「いや、その……ちょっと空気が吸いたくて……深呼吸したら戻ろうと思っただけで……」
「深呼吸!? それで窓から出入りするんですか!? 普通は廊下を歩いて外に出るでしょう!?」
「いや、廊下だと……バレるかと思って……」
「バレたくない時点で、悪いことしてる自覚はあったんですね!!」
バッチリと言い返されて、もう何も言えない。
看護師の鋭い視線に耐えきれず、深いため息をついて項垂れる。結局、全てが裏目に出た。
「……すみませんでした。もうしません……」
「当たり前です!さあ、部屋に戻りましょう!」
腕を引かれながら病室へと戻る道中、妙な敗北感が押し寄せる。傷は痛むし、心は重いし、挙句に看護師に説教までされてしまった。今日の散歩は、何一つ良いことがなかった。
病室のベッドに戻ると、看護師が最後に一言付け加えて部屋を出ていった。
「次、勝手に抜け出したら……わかっていますね?」
その言葉に小さく頷くしかできない。部屋が再び静寂に包まれる中、布団を頭まで引っ張り、深くため息をついた。
「……これなら、最初から大人しく寝てた方がマシでしたね」
目を閉じながら、疲れた体を布団に沈める。そのまま意識が遠のいていく中、ふと思い出したのはヴィトーの『色』という言葉だった。あの不気味な出会いは、これで終わりではない気がする。
そう直感しながらも、疲労に負けて眠りに落ちた。
ヴィトーは色がない、ではなく灰色に見える、ですが、主人公はその設定を忘れています。
原作や外伝を完璧には覚えていないという表現?です!。