誤字報告ありがとうございます。
ぼんやりと意識が戻ってくる。体中に鈍い痛みが走り、全身が鉛のように重い。ゆっくりと目を開いた。ぼんやりとした視界が徐々に焦点を結び、見慣れない天井と、揺れるランプの柔らかな光が映り込んでくる。
「おっ!?やっと目が覚めたんだな!」
元気な声が耳に飛び込んできて、僕は驚きと共にそちらに視線を向けた。そこにいたのは、褐色の肌と尖った耳、特徴的な尻尾を持つ獣人の少女だった。彼女はにこりと笑いながら、僕の顔をのぞき込むようにしている。
「ここは……?」
僕がかすれた声で尋ねると、彼女は手際よく布を水に浸し、額に乗せてくれながら答えた。
「ここは私の村の治療小屋さ。あんた、谷底で倒れてたんだよ。運よく通りがかった私が見つけてさ、なんとかここまで運んできたんだ」
彼女は誇らしげに胸を張って言う、その目には優しさが滲んでいる。
「助けてくれて……ありがとう」
僕が感謝を伝えると、彼女は少し照れたように笑い、肩をすくめた。
「いいってば。それより、あんたの名前は?」
「僕は……タクト」
自己紹介をすると、彼女は満足そうに頷いた。
「タクトか。私はネーゼ!ネーゼ・ランケットっていうんだ」
(……わ、わぁすごい偶然)
彼女は名前を告げると、楽しそうに尻尾を揺らしながら笑顔を浮かべた。その表情は、僕を見つけて助けたことに心からの喜びを感じているようだった。温かい雰囲気に少し安心しつつ、僕はあらためて彼女に頭を下げた。お礼をする事は大切ですからね。
「ネーゼさん、本当にありがとう」
「さんなんていらないよ、ネーゼでいい。それに、谷底からあんたを引き上げるの、案外大変だったんだから感謝するならしっかり回復することだね!」
ネーゼは明るく言い放ちながら、湯気の立つスープを僕のそばに置いた。その温かい香りが、今までの痛みや疲れを一瞬忘れさせてくれるようだった。そんな彼女の気遣いが、心に染み入る。
「ありがとう、ネーゼ」
ネーゼ少し照れたように笑ってから、ふっと表情を引き締めた。
「じゃあ、私はちょっと出てるね。ゆっくり休んで、必要なことがあればいつでも呼んでくれ」
そう言って、ネーゼはそっと部屋を出ていった。扉が閉まる音が静かに響き、室内には再び静寂が訪れる。僕は温かいスープを一口すすり、ほっとした気持ちで身を横たえた。
一人きりの時間。視界には、揺れるランプの光が天井を淡く照らしている。傷ついた体の痛みが鈍く響くものの、この静かな空間が心を落ち着かせてくれるように思えた。自分が今もこうして生きていることが、不思議なほどに実感される
「……ぁ」
スープをすすり、ふと視線を横に向けると、そばに小太刀が置かれているのに気づいた。きっとネーゼが拾ってくれていたのだろう。そういえば、あの時、輝夜から奪い取ったんだっけ。僕はその小太刀を手に取りながら、苦笑を浮かべる。
「……流れで奪っちゃったけど、輝夜、大丈夫ですよね?」
少しだけおどけて呟き、彼女の怒った顔を想像してみる。あの気丈で冷静な彼女が、僕のそんな行動に対して軽く眉をひそめたり、ため息をついたりする姿が思い出され、つい笑ってしまった。
「お前は本当にバカ者だな、とか言いながら、渋々付き合ってくれたっけ」
モンスターに追われては彼女が先陣を切り、僕はその後ろでひたすら頑張っていたのが、なんだか懐かしい。疲れた僕が愚痴を言うと、いつもあきれ顔で返されてばかりだったけど、それも不思議と心地よかった。気づけば、彼女との旅の一つひとつが愛おしく思えてくる。
「まぁ、次に会うときは小太刀、ちゃんと返します……いや、その前にまず怒られるかな」
笑いながら小太刀を軽く振り、再会の瞬間を想像してみると、不安と楽しみが入り混じった複雑な気持ちが胸に込み上げてきた。
◆◆◆◆
「……そろそろ逃げないとなぁ」
それから一ヶ月が経った。怪我もほぼ癒え、ネーゼの家で世話になっている間に、僕は彼女と共に様々な手伝いをするようになっていた。今日は、ネーゼに誘われて猪狩りに出かけるところだ。彼女は獣人としての能力を存分に活かして、獲物を追うのが得意で、その活発な姿に僕は何度も驚かされた。
歩きながら、ふと心の中で旅立ちのことを思い返していた。輝夜との再会のこと、そして本来の目的地へと向かうことを考えると、そろそろ旅を再開しなければいけない時期が迫っている。ネーゼと過ごすこの平穏な日々が名残惜しくもあるが、いつまでも甘えているわけにもいかない。何よりこのまま村に居着いて仕舞えば彼女が村を出ない、なんてことになるかもしれない。
そうなると
「タクト!ちゃんとついてきてるか?」
前を行くネーゼが振り返り、ニヤリと笑う。僕は慌てて頷き、彼女に追いつくために足を速めた。
「ええ、そばにいますよっと」
そんなやり取りをしながらも、僕の頭の片隅には、先日の出来事が浮かんでいた。ネーゼの家族と食卓を囲んでいる時、彼女のお父様が、半ば冗談交じりにこう言ったのだ。
『なあ、タクト。お前さん、ここにずっといてくれてもいいんだぞ?どうだ、うちの子になるっていうのは』
その一言には、笑いを含んでいたものの、どこか本気の響きもあった。
ネーゼのお母様までにこやかに頷き、
『そうねえ、タクトが家族になってくれたらネーゼも安心していられるもの』と続けたものだから、僕は焦るどころか、言葉も出なくなってしまった。
彼らの温かい言葉が胸に響いて嬉しくもあったが、オラリオの未来を考えるとこの選択は間違えられない、しかし、彼らの家族のような温もりに触れるたび、少しだけ揺らいでしまいそうになる自分がいるのも確かだった。
「タクト、ぼんやりしてる暇はないよ!」
ネーゼの声が、現実に引き戻してくれた。彼女が手をひらひらと振りながら振り返っている姿を見て、僕は慌てて足を速めた。どうやら、僕が考え事をしていたことに気づいたらしい。
「ええ、すみません。今行きます」
頭を振って余計な雑念を振り払う。ネーゼと共に歩みを合わせながら、目の前の道と彼女の背中に集中することにした。今は彼女との狩りに集中するべきだと自分に言い聞かせる。
「大丈夫?何か考え事でもしてた?」
ネーゼが不思議そうに尋ねてくるので、僕は少し気まずそうに笑った。
「まあ、ちょっとね。でも大丈夫です」
ネーゼは首を傾げながらも、それ以上は追及せず、笑顔を浮かべて先へと進んだ。
◆◆◆◆◆
夜が更け、森の中で焚き火がパチパチと音を立てながら燃えている。昼間の猪狩りは失敗に終わり、逃げる猪を必死に追いかけた結果、気づけば森の奥深くまで来てしまっていた。帰るには暗すぎて道も見えず、仕方なくここで一夜を明かすことになった。
「……もう少しだったのに、惜しかったね」
ネーゼが焚き火を見つめながら、悔しそうに言う。僕も小さく頷き、火の暖かさを感じながら今日の追跡のことを思い返した。ネーゼと共にここまで懸命に狩りをしていた自分が、少しだけ誇らしく思える。
「まあ、今夜はこの焚き火でしっかり休んで、また今度仕切り直せばいいさ」
「そうだね」
ネーゼは少し笑って、持ってきた少しの食糧を取り出してくれた。静かな森の中、焚き火の暖かさがじんわりと体に染み込み、僕はネーゼと過ごすこの穏やかな時間に、少しだけ安堵を感じていた。
焚き火の光に照らされながら、僕たちは話し続けた。ネーゼが村の伝統的な行事や、獣人の家族ならではの面白い習慣について語ってくれる。その話のひとつひとつが新鮮で、思わず聞き入ってしまう。
「それでね、うちの村じゃ、秋の収穫祭で皆が2人一組になって踊るんだけどさ、私は踊りがどうも苦手でね。去年も足を踏み外して、あっという間に皆に笑われちゃったんだ」
ネーゼが少し恥ずかしそうに笑う。想像するだけで微笑ましくなり、僕も笑いをこらえきれずに肩を震わせた。
「それは見てみたい。もしかして、踊っているときも尻尾が動いていたり?」
「そうそう、それがまた笑われる原因なんだよね」
彼女は、笑顔を浮かべながら尻尾を軽く揺らして見せた。その仕草に、僕もすっかりリラックスして、森の静かな夜がなんだか温かく感じられる。
「タクトはどうなの?旅の途中で、恥ずかしい思いをしたこととかある?」
そう聞かれて、僕は少し考え込みながらも、過去の失敗談を話してみた。輝夜との旅の中で、焚き火で髪に火がついたこと、モンスターに追われている際にその場でつまずいて輝夜を押し倒したこと……思い返せば、なんとも情けないエピソードがいくつもある。
「そんなことがあったのか!タクトも案外ドジなんだね」
ネーゼが楽しそうに笑い出し、僕もつられて声を上げて笑った。たわいのない会話の中、互いのことを少しずつ知り、心の距離が縮まっていくのを感じる。この穏やかな時間が、焚き火の温もりと共に、僕の中に心地よく染み込んでいった。
「な、なぁタクト」
ネーゼが少し緊張した面持ちでこちらを見つめている。彼女の頬にはかすかな赤みが差し、尻尾も落ち着かない様子で揺れていた。少しの沈黙の後、彼女はふっと視線を外し、少し照れくさそうに言葉を続ける。
「あのさ……今年の……秋の収穫祭があるだろ?それで、その……私の踊り相手になってくれないかなって思ってさ」
言い終えた彼女は、顔を赤くしながら、こちらをちらりと伺うように見上げている。思わず微笑みが浮かんで、少し冗談めかして返すことにした。
「え?それって、ネーゼがまた失敗するのを見せたいってこと?」
すると、ネーゼの頬がさらに赤く染まり、彼女の尻尾がぶんっと勢いよく振られて、焚き火の火花が小さく散った。
「ち、違うって!ちゃんと誘ってるんだからな!次は失敗なんてしないもん!」
その反応があまりに可愛らしく、僕は少し間を置き、焚き火を見つめながら静かに言葉を続けた。
「でも、そうだね……君と踊るのは、楽しそうだ」
その言葉に、ネーゼの目が一瞬輝き、尻尾が嬉しそうに揺れる。彼女は僕の返事を了承の言葉と勘違いしたのか、ぱっと顔を明るくして頬を緩ませた。
「ほんとに!?それじゃあ決まりだな!タクトが私のパートナー!」
「え、いや、まだ……」
驚いて返事をしようとするが、ネーゼはもうすっかりその気になってしまっているようだ。彼女の楽しそうな様子を見て、僕は思わず苦笑してしまった。
それから夜が明け、僕たちはようやく村に戻った。しかし、早朝に帰り着くや否や、心配して待っていたネーゼの両親にこっぴどく叱られ、僕は気まずい思いで頭を下げた。ネーゼもすまなさそうにしていたが、怒られる最中にちらっと僕を見て、いたずらっぽく舌を出してくる。そんな彼女に苦笑しながら、何とも不思議で楽しい日々が続いていった。
そして、あっという間に一ヶ月が経った。
ある日の夕暮れ、僕が再び旅に出る決意を伝えると、ネーゼの顔が一瞬で曇った。しばらくは黙っていたが、ついに耐えられなくなったのか、彼女は少し怒ったように口を開いた。
「どうして行かなきゃいけないの?ここにいても、誰も困らないじゃないか!」
「……それは、そうかもしれないけど」
ネーゼの言葉に、僕は申し訳なさそうに視線を落とす。彼女が不安そうに揺れる瞳でこちらを見つめているのがわかったが、それでも心は決まっていた。世界の事、とまでは言わないが、僕の将来を考えるとこの場で停滞することはできない。
「私が……ダメだって言ったら?ここにいてほしいって、言ったらどうするの?」
ネーゼの声が少し震えているのがわかった。これまでずっと一緒にいて、気持ちが通じ合ったと思っていただけに、彼女の言葉が胸に突き刺さるようだった。しかし、それでも僕は頭を振る。
「ネーゼ、君の気持ちは本当に嬉しいよ。ここでの生活はすごく楽しかったし、君にも感謝している。でも、僕にはまだ……果たすべきことがあるんだ」
ネーゼは悔しそうに唇を噛み、目をそらした。
「……バカタクト」
ぼそりと吐き捨てるように言われ、僕は言葉を失った。だが、その怒りが彼女の本音であることがわかる。この村では数少ない、いえ、唯一歳が近い友人なのだ、別れも惜しくなるものです。
「もう僕がこの村に帰ってくることはないと思う」
その言葉を口にした瞬間、ネーゼの目が見開かれた。彼女の顔には、怒りとも悲しみともつかない感情が浮かんでいる。僕はどうにか彼女に笑顔を見せようとしたが、思ったよりもうまく笑えなかった。
「ふざけないでよ……そんなの、嫌だ…」
ネーゼは俯き、拳を握りしめている。その震える肩を見ると、心の中に一層の罪悪感が広がっていく。僕がこの村を去ることで、彼女がどれだけ寂しさを感じているのかが痛いほど伝わってきた。我が事ながらよくここまで好感度を稼げたものです、やはり子供同士ということが重要なのでしょうか。
「ネーゼ……本当に、君には感謝してる。君のおかげで、ここまで回復できたし、楽しい時間も過ごせた。でも、僕には行かなきゃならない理由があるんだ」
そう言いながら、彼女の反応を待つも、ネーゼはただ黙っていた。わがままで無理を言う彼女の姿をとても愛おしく感じる。けれど、このまま何も言わずに行ってしまえば、きっと後悔だけが残るだろう。
「ネーゼ」
僕は彼女の名前を静かに呼んだ。俯いていたネーゼが、ゆっくりと顔を上げる。目には涙が浮かんでいて、その瞳が僕を真っ直ぐに見つめている。
「……僕のことを許してほしい」
その言葉が口をついて出たのは、彼女に何も言わず去ってしまうことが、あまりに心苦しかったからだ。ネーゼはしばらく黙っていたが、やがて震える声で口を開いた。
「タクト……嘘でもいいから、また帰ってくるって言ってよ」
彼女の願いが、胸に深く刺さる。けれど、ここで嘘をつくのは彼女を裏切ることになると感じた。
僕はただ、ゆっくりと頭を振った。
「……ごめん」
彼女の涙を見つめながら、でも、と僕の想いを伝える。
「僕たちは別々の道を歩むことになるけど、必ずまた会えるよ」
そう言うと、ネーゼの表情が一瞬で険しく変わった。目に怒りが宿り、彼女は口を開きかけた。
「そんなこと言って、結局……!無責任にそんなこと言うなんて、タクト、あんたって本当に――」
その言葉を飲み込ませるように、僕はネーゼの手をそっと握りしめた。驚いたように口を閉じ、少し戸惑ったような彼女の目が、僕の手を見下ろす。その怒りと悲しみが入り混じった瞳を見つめ、僕はできるだけ穏やかに、安心させるように語りかけた。
「ごめん。でも……信じてほしいんだ。必ずまた会えるって」
ネーゼは、僕の言葉にしばらく黙っていたが、やがて小さくため息をついた。
「タクトのバカ……本当に、あんたって大バカだよ」
そう言って彼女は僕の手をそっと握り返した。その瞳にはもう怒りはなく、どこか切なげな光だけが残っているように見えた。僕は彼女の手を握り返しながら、静かに微笑んだ。
「また会えるよ。約束する」
そう言って、彼女の手を優しく撫でた。彼女は僕の顔を見つめながら、小さくため息をつく。
「……絶対だよ?」
そう言いながら、彼女がそっと手を離す。その仕草が名残惜しそうに感じられて、僕は少し胸の奥に痛みを感じた。ネーゼは視線を落としながらも、その表情にはどこか清々しさも感じられるように思えた。
そんな彼女に僕は微笑みながら、冗談めかして言った。
「再会したら、踊りでもしようか?転ばないようにしっかりと支えてあげますから」
その一言に、ネーゼの顔が一気に真っ赤になった。彼女は視線をそらし、怒ったように見えながらも、口元が少しだけ笑っている。
「そ、それは……その時まで練習してるもん!絶対にこけたりないから!」
頬を染め、気恥ずかしそうにしながらも決意をにじませる彼女の姿が、尚愛おしく感じた。僕は静かに笑みを浮かべ、彼女に最後の視線を送って、新たな旅路へと歩き出した。
(……なんとかなりましたね、でもまぁ、また会っちゃうんですよねぇ、本当に…)
ネーゼ・ランケット、未来のアストレアファミリアメンバーです。
現在タクトの所持品は小太刀と少量の食糧のみ。