Mirror of the golden witch 作:フラット・ホームズ
無能
スイセンは18の駒しか置かれていないチェス盤に19個目の駒を置く。
それはエピソード2にて登場した来客ベアトリーチェを表した駒だった。
19人目を犯人とするスイセンにとっては願ってもない大駒だろう。
「さて、エピソード2だけど、どこから話そうか。折角だし、幻想描写についてからにしようかな」
エピソード2と言えば幻想描写だろう。
あれで屈服した人間も多いと聞く。
「これは私の個人的な感覚だけど。譲治たちが夏妃の部屋の鍵を取りに行くために礼拝堂に入ってベアトリーチェに追いかけられたシーンに違和感を覚えたんだよね。
何で客間に助けを求めなかったのかって」
「確か夏妃の部屋に霊鏡を取りに向かったんだったな」
「客間には他の生存者がいたし、銃だってあった。
それに何より自分たちが犯人ではないということを証明できたはず。
……なのそれをしなかった」
「そう言われるとそういう選択肢もあったはずだな」
「それを選択しなかったのは、そもそも魔女に追いかけられていなかったからじゃないか。
……まあ、私の個人的な違和感でしかない。
他の人達を説得できるものでもないのかもしれない。
……でも個人的に魔法が描かれた描写に対抗する切っ掛けにはなりえたの」
個人的に幻想描写を疑う切っ掛けを見付け、そこからスタートしたという話だな。
「それから戦人が幻想描写に言及せずに赤字の推理をしていたことから、幻想描写によるファンタジーと、赤字による密室トリックのミステリーは、切り離せるということに気付いたの」
……なるほど。
戦人はまるで幻想描写を見ていないかのように密室トリックを推理していた。
そこから幻想描写を無視すれば、普通のミステリーとなるということは示されていたと言えるだろう。
「そして何より。戦人が幻想描写を見ていないのであれば、幻想描写を見せつけられていたのは誰だという話になるよね」
「……あの時、幻想描写を見せられていたのは戦人ではない?」
「幻想描写は誰に対するアピールだったのか? それは物語の読み手だよ」
アピールしたなら、それはリアクションを期待しているということ。
だが戦人はリアクションを返さなかった。
リアクションが一切返ってこなかったら、アピールするためにしたことが全て無駄になる。
……であるならば、アピールした相手が戦人ではなく別の誰かであるというのは筋が通っているのか?
そしてそれが物語の読み手であるというのも筋が通っているのだろうか?
「物語の書き手が物語の読み手へとアピールしている。
それは書き手と読み手が対戦するゲームであることを示している。
……つまり、書き手と読み手が最上層のプレイヤーであり、物語の中に描かれている戦人とベアトは下層のプレイヤーということになる」
戦人とベアトのゲームと、読み手と書き手のゲームでは、様相が異なるものとなる。
前者のゲームの場合、読み手はそのゲームの観戦者に過ぎない。
だが後者のゲームの場合、読み手はゲームの主体だ。
言うなれば、読み手こそが探偵なのだ。
それもある種の安楽椅子探偵。
「……戦人が“無能”と赤き真実で断じられたのは、本当のプレイヤーは読み手で、戦人はその代理となる駒だから。
戦人の役割は読み手が推理するためのガイドであり、物語の中で真実を解き明かすことはない。
ゆえに探偵としては“無能”。物語の書き手によってそう定められているんだよ」
読み手がゲームの主役である探偵。
だから作中の探偵である戦人は“無能”でなければならない。
書き手の対戦相手は読み手であり、ゆえに物語をメッセージボトルにして流した。
……それが道理なのだろうか?
「物語の書き手は、物語の中の世界にとっては神同然! その神が定めたのなら、それは物語にとっては絶対なんだよ!」
全てを人間で説明するなら、幻想描写も人間の手によって記述されたものであるとする必要がある。
書き手を神とする世界観。
その神が定めた絶対のルール。
それが赤き真実。
……であるならば――。
「――なら、読み手は書き手を探らなくてはならないな」
「その通り」
「フーダニット。誰が物語を書いたのか?
ハウダニット。どのようにして物語を書いたのか?
そしてホワイダニット。なぜ物語を書いたのか?」
それが読み手が考えなければいけないことなのだろう。
TIPS:物語の書き手
物語を書き記したニンゲンにして、物語の中の世界にとっての神。
メッセージボトルの執筆者、右代宮真里亞。
物語の中の魔女を操る黒幕。
姿なき観測者。
ゲーム盤上に無数の真実を並べる者。