「あの子は本当に、良くも悪くも悪運が強い。周りの環境もそうだし、何より呪われた体質に恵まれている」
「……そうね」
「並大抵の吸血鬼なら即死。私や貴女でも負傷は避けられないほどの攻撃だった。それを急所に喰らっても命を繋ぐ事ができたのは、ニッヒの特異性に他ならない。まあそれでも死にかけてた……というか、死んでたんだけど」
脅威の略奪者パチュリー・ノーレッジの襲撃から数えて三日が経った。
紅魔館で唯一荒らされず無傷だった庭。其処に建てられた急拵えの
普段なら目を合わせるだけで一触即発の危うい空気が流れるスカーレット姉妹だが、今回に限っては衝突の可能性は限りなく低い事が誰の目にも明らかだった。
俊烈な覇気を放出し、全てを破壊するが如き目で周りを睥睨するのが常であるフランドールにあるまじき消沈具合。決して戦闘能力が衰えている訳ではないのだが、それでもいつになく素直なのは確かだ。
「こういうのを正しく『奇跡』と呼ぶんでしょうね。まったく、あの子の運命は果たしてどのような数奇な形をしているのか。今回に限って私の能力が役に立たないのが口惜しいわ」
「普通じゃないよね、やっぱり」
「そうよ。でも胸に刻み込んでおきなさい。奇跡は簡単に起こらないからこそ貴重なんだ。……次は絶対に無いと考えた方が気持ちは楽よ」
黙って頷くフランドール。その様子を見てレミリアは僅かに眉を顰めると、話は打ち切りと言わんばかりに背を向ける。
「お姉様。……ごめん、ありがとう」
「礼は私じゃなくて美鈴に言いなさい。ニッヒに命があるのは彼女の尽力によるものが大きい」
「うん。門番も、ありがとう」
「め、滅相もございません」
顔を引き攣らせる美鈴。そんなあからさまな反応に特にリアクションを見せることなくフランドールは退室した。ニッヒの眠る地下へと戻るのだ。
その姿を見送って、レミリアは肩の荷が降りたと、大きなため息をつく。
いつだって紅魔館における一番の懸念事項は妹絡みである。そして、この問題が起きる事をレミリアは半ば予知していた。こういう類いの嫌な予感というものは、往々にして当たるものだ。
「私からも謝る。三日間ぶっ通しで苦労かけたわね」
「いえ……あの人を助けるのは私の望みでもありましたから。それに、あんな妹様の姿を見せられては放っておけませんよ。お嬢様もそうだったのでしょう?」
「……今回の一件は私にも責任があるしね」
倒壊寸前の紅魔館を疾駆し、図書館だった場所へと辿り着いた二人が見たのは、崩れ落ちていくニッヒのカケラを腕いっぱいに囲って、なんとかその場に留めようとするフランドールの姿だった。
そして懇願されたのだ。どうかコイツを助けてやってほしいと。
レミリアは尋常ならざる妹の様子に、己の根城を御釈迦にされた恨みをそっちのけにしてビビった。ついでに全く状況が飲み込めない美鈴も混乱していた。
しかしそこは流石、対応力の鬼と化した二人である。状況の把握よりも先にフランドールの要望を叶えることに注力した。
ただし、レミリアは都合の良い因果を手繰り寄せる以外の手助けができなかったので、取り敢えず魔女を抱えて逃げ出そうとしていた低級悪魔を取り押さえるなりして時間を潰していた。ただエールを飛ばすだけの置物と化していた感は否めない。
一方で、美鈴の気を操る能力は大層役に立った。霧散するニッヒの妖力をなんとか繋ぎ止め、効果的な対処法をフランドールが思い付くまで、実に三日間も保たせたのだ。
そして最後に思わぬ形で発覚した『最後のピース』によって、フランドールの分身は消滅を免れた。これが今回の顛末である。
もっとも、治らなかったモノもあるのだが。
「正直途中まで助けるのは無理だと思っていたんですけどね。お嬢様が仰った通り、奇跡を願うしかなかった」
「奇跡っていうのは起こす側にそれなりの力と意志が存在して初めて成り立つ事象。フランドールにも言ったけど、あの分身は普通じゃないから助かったのよ」
「
「多分肉体が違えば、あの子は
「難儀な運命ですね……」
同情するように美鈴は呟いた。
初めこそフランドールの『柔人格』だと思っていた相手が偽物だったと聞いて困惑を隠さなかった美鈴だが、それでも彼女が心の底から自分に好意を向けて色々な施しを与えてくれていたのは揺らぎようのない事実。
真相が判明したところで、美鈴の態度は何一つとして変わりはしないのだ。
「ここだけの話、今回の事件は全く別の形で起こる筈だったの」
「と仰いますと?」
「本来なら私は遠征に出立せず、紅魔館の主人として侵入者を迎え撃つのがあるべき流れだった」
「……魔女さんと戦うのは本来、妹様たちではなくお嬢様の役目であったと、そういう事ですか。なるほど運命がそのように」
「そう。でもそれが大きくズレた結果、こんな大惨事が起きてしまった。これがイレギュラーの恐ろしさよ。ほんの少しの差異が大きな唸りを引き起こす」
レミリアに把握できるのは、あくまでニッヒというイレギュラーが存在しない場合の運命のみ。
本当なら当主代理を任せられる人材がこの時点で存在するはずも無く、当然紅魔館を長く留守にする遠征などもってのほかだ。故に、レミリアが紅魔館を離れる事はなく、侵入してきたパチュリーと一戦交えるのが本来の流れだったのだろう。
あの出来損ないの分身は、この短期間であまりにも大きくなり過ぎたのだ。紅魔館にとっても、フランドールにとっても。
「放置していても事態は好転しない。だからといってあの子達と共倒れするわけにもいかない。……こうなったら劇薬に頼るしかないわね」
「あの人を消すおつもりですか?」
「それやったらフランから本気で恨まれるでしょ」
ついでに美鈴からも不満を買うだろう。そもそも自分に無いモノを持つ部下を簡単に処分してしまうほど、レミリアは狭量ではない。
ニッヒは面倒な爆弾であると同時に、今後如何なる数奇な運命を辿ろうが、手に入れる事のできないであろう類いの、希少で得難き陪臣なのだ。殺すには惜しかった。
ならば、と。
レミリアは空を──爛々と輝く月へと手を伸ばす。
それは彼女の果てなき野望が大きく膨れ上がり、紅魔館当主としての責務を全うする気持ちを改めて固め、そして姉としての想いに初めて向き合ったことを示す、小さくも確かな一歩であった。
*◆*
微睡みに揺られる私を誰かが叩き起こそうとしている。「起きろ」「起きて」「起きないと殺す」と、飴と鞭と拳をチラつかせるこの三段手法。十中八九マイロードだろう。
不眠不休で働いていた私にようやく眠りが与えられたのだ。もう少しこの甘美な微睡みに浸らせてほしいのに、マイロードはそれを許してくれないようだ。
思えばこの『目覚め』の感覚も酷く懐かしい。アレは確か、私がこの地獄に爆誕したあの日。
それは暗闇から無理やり引っ張り出されて、気が付けば突っ立っていた時の事。長い眠りから覚めたような不思議な感覚だった。
フォーオブアカインドの詠唱を終え、一列に並んだ分身達を興味深げに、それでいて嬉しそうに眺めるマイロードの姿。それが私にとっての最古の記憶。
その後の質問に上手く回答できず右往左往していた私を失敗作扱いした時の、ゴミを見るような目は今でも脳裏に焼き付いている。それが私とマイロードのファーストコンタクトだった。
あの考え得る限り最悪の出会いから始まった苦難の日々は隅々まで鮮明に覚えている。私は賢くて優秀なので、当然物覚えも凄くいい。
仙人の修行には、生を受けてから今日に至るまでの一切合切の記憶をひたすら呼び起こす、というものがあるらしい。つまり、これをお茶の子さいさいで遂行できるニッヒちゃんは仙人も同然なのだ。ふふん。
思えば幻想郷の仙人は紛い物しか居ないので、私だけが正当な仙人を名乗れる未来もあるのかもしれない。邪仙、尸解仙、鬼……なんでもかかって来いやァ!
話が逸れちゃった。
とまあ、そんな記憶力抜群の私ではあるけれど、故にたった今、ちょっとしたモヤモヤが存在する事に気付いた。
私の感知できない領域に記憶の残骸が埋もれているような感覚。眠りの中に私が在った時の記憶。それは、マイロードとのあの出会いより以前に、私がなんらかの形で存在していた事の証左である。
強く念じれば、当時の自分が何を考えていたのかがなんとなく分かる。それは恨みであり、寂しさであり、孤独だった。きっと何か酷い目に遭ったんだろうね。今も昔も可哀想なニッヒちゃん……!
前世と言うにはあまりにも地続きで、過去と呼ぶには自己が無い。でも私そのものに繋がるであろう重要なピース。
その正体さえ分かれば、今のあやふやな状態も幾らか改善されるだろう。その時こそ、パーフェクトニューニッヒちゃんが誕生する瞬間なのかもしれない。
だからどうしたって話なんだけどね。
正直なところ、そんなものに意味はない。興味が一切ないと言えば嘘になるけど、大切なのは今であり、マイロードと共に在る未来である。
それを失わない事こそ、今も昔も私という道具が一貫して願い続けてきた幸せなのだろう。
「……おはよう」
「あ、マイロード。おはようございますぅ……ん?」
心地よい眠りの中から無理やり引き上げられたような、なんとも言えない不快感が耳の先からつま先を伝う。
寝惚け眼で真上を見上げると、見知った顔が自分を見下ろしている。
これは、まさか膝枕の体勢? マイロードの紅い瞳が心の臓を凍て付かせる。
一瞬惚けた後、命の危険を感じて飛び起きた。
「マ、ママママイロード!? え、何してるんです!? いや、これは幻術……悪夢の延長戦か……!」
「……」
「ええい私を惑わす悪しき幻影よ、即刻消え去れぃ!」
「起きたならさっさと立て」
「ぐわぁッ!? リアルな痛み!!!」
「気分はどう?」
「そこそこサイテーです!」
未だ混乱冷めやらぬ私の心情など知ったことかと言わんばかりに、首根っこを掴んでそのまま壁へと投げ捨てられた。と、その際の衝撃で気付いたのだが、右半身に実体がある。右眼は寝起き故かやけにボヤけてるけども、ちゃんと機能している。
まさかのほぼ後遺症無し! 奇跡の大復活を遂げていた。誰か経緯を教えてクレメンス。
ふと周りを見渡すと、
仮にマイロードに殺された後だったらどうしようかな。その時は私がパチュリー・ノーレッジになるしかないのか……? 「むきゅむきゅ」とか言って、魔理沙さんに矢印向けてたらパチュリーさんって事にならないかな。
そんな無駄な思考に時間を費やしたおかげで、幾らか頭が冷えた。ついでに背筋もヒエッヒエッ。
取り敢えずマイロードに状況確認しよう。そうしよう。
大抵の場合私を突き放した後のマイロードはそのまま読書に移行してコミュニケーションの一切を遮断するんだけど、今回は違った。私を投げ飛ばした体勢から動かずジッと私を見ている。とりわけ右眼に視線が集中しているようだった。正直気味が悪い。
「あのー、お恥ずかしながら途中から意識が吹っ飛んでたもので、あの後なにがどうなって今に至るのかぜんっぜん分からないんですけど。教えていただけたりすると嬉しいなー……なんて。えへへ、ダメ?」
「ねえニッヒ」
「は、はいなんでしょう?」
私の問いをガン無視して呼び掛けてくるマイロード。あまりにも横柄な会話のドッジボールに文句の一つも言いたくなったけど、グッと堪えた。
長い共同生活の末にマイロードの機嫌が一瞬で把握できるようになったフランドール博士である私ですら、今現在の機嫌の如何は不明なのだ。慎重に対応しなければ、せっかく拾った命が即昇天となりかねない。
短い静寂。マイロードは一呼吸おいて、ゆっくりと私を責めるように言葉を漏らす。
「何故、あんなくだらない事をしたの?」
この小説は変身するたびに曇らせ力が上昇するものとする。そしてあと二回も変身を残しているものとする。(宇宙の帝王)
Xの東方垢です。進捗だったり妙な事を呟いてます♡
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