「忠臣ニッヒ、ただいま戻りましたぁ!」
「ん、おかえり。随分遅かったわね。……で、その酷く滑稽なポーズは何?」
「よくぞ聞いてくれました。このポーズには『おやつ時を過ぎるまでお待たせしてしまい大変申し訳ございませんでした』の意味が含まれているのですよ!」
「お前の無様な姿を見たところでお腹はちっとも膨れないわ。今すぐブツを用意しなさい」
「イエッサー!」
部屋に入るなりニッヒちゃん渾身のジャパニーズ土下座が炸裂したが、マイロードには効果いまひとつだったみたいだ。カルチャーギャップか、もしくは私の土下座レベルが低いのか。このあたりは要検証だね。
それにしても、土下座というのは良いものだ。頭を地面に擦り付けるだけで最大限の謝罪を表現できるのだから。床の味を知り尽くしたニッヒちゃんにはお茶の子さいさいである。これからも多用しよう。
あと万が一月面戦争に負けてしまった後の予行練習にもなるしね。紫さんリスペクト的な意味で。
「で、この時間まで長引いたって事は、何か進展があったのかしら? もしかして私そっちのけでお姉様達と茶会でもやってたんじゃないでしょうね」
「いえいえまさかそんな。何か作る時はまず一番にマイロードに御賞味いただきますとも」
「ならいいんだけど」
私はチャレンジ精神の塊のような妖怪ではあるが、結果に伴う周りからの視線を結構気にするタチである。もしも新作のおやつが不味かったら、なんて考えると夜も眠れないのだ。と言っても私は常時不眠不休なんだけど。
そんな訳で、新作のおやつを考案した時はまず一番にマイロードに毒味してもらうのだ! 馬鹿舌ゆえか結構味へのハードルが低いので、試食第一号としては私のメンタル的にもかなり適任なんだよね。
ちなみに『おやつ時』というのは、吸血鬼における午前三時を指す事を申し添えておく。
「それで会議の結果なんですが、月への侵攻計画の骨組みが八割ほど決まりました」
「へえ。移動手段で揉めてるって聞いたけど」
「あとの二割がそれですね」
「まだ決まってないのか。本当に揃いも揃って無能ばかりなのね」
「中々の難題ですからねぇ、まともな方法じゃ辿り着けない場所ですし。まあレミリア閣下は、だからこそ征服のし甲斐があるって言ってましたけど」
「ただの強がりよ。聞き流しなさい」
鍋に火をかけながら、ごく自然体で流れるように報告を続ける。ここから先の会話はニッヒちゃん的に少々勇気がいる箇所となる。
「あのぉマイロード。その移動手段についてなんですけど、決定にちょーっとばかり些細な一手間が必要になりまして。そのためにはマイロードから許可を貰わないといけないかもしれないというか何というか……」
「何を言い淀んでるの? さっさと言え」
「ちょっくら地獄に行きたいなー! ……なんて」
「え、なに? 地獄が見たいって?」
「違いますから拳を下ろしてください」
本気か、はたまた冗談か分からないバイオレンスムーブはやめてほしい。愉しげに指を鳴らしていたから、どちらにしろ殴る気満々だったみたいだけど。
「で、地獄に行って何するの」
「そこの支配者であるヘカーティアって女神様から月への簡単な移動手段を聞く、または伝授してもらう為です」
「……地獄の女神か」
「ご存知ですか?」
「魔法を扱う身なら知っていて当然よ。あの神はこの世で最も旧い魔法使い──つまり、原初の魔法を作った存在だからね」
なるほど、パチュリーさんにドン引きされた理由が分かった。あの女神様は魔女にとっての神様でもあるって事なのか。
ヘカーティア・ラピスラズリさん。東方紺珠伝にて変なTシャツヤローとして鮮烈なデビューを飾った、三界を支配する愉快な女神である。
そして、長年に渡って血で血を洗う不毛な争いを繰り広げてきた東方最強議論に終止符を打った偉人でもあるらしい。凄いね、まあ私はマイロードが最強だと思うけど。
さて、そんな色々と濃い女神様だが、月への移動手段の鍵を握るのは彼女であると私は確信している。
マイロードが生まれるずっと前から月の都と抗争を続けている、いわば私達の先駆者とも言える人だからね。今から喧嘩を売る私達には比較的友好であろう事が予想され、さらに有用な情報をたくさん持っているに違いない。
月面に妖精軍団を展開できてる点から大軍の輸送方法も知ってそうだし。
最悪ヘカーティアさんと契約を交わして、移動のみ手伝ってもらうのも手である。私の命が対価になるかもって事を除けば良い案だと思う。
もっと欲を言えばヘカーティアさんご本人とクラウンピースちゃん、あと嫦娥絶対殺すウーマンさんを引っ張ってきたいところなんだけど、あの人達が参加すると軍の主体を乗っ取られかねないし、レミリア閣下がそれで満足する筈もないので泣く泣く断念した。
まあついでだし、月の都を陥落させた暁には嫦娥を彼女らにプレゼントして媚びを売ろうね。
と、以上をマイロードへと伝える。
地獄の女神を頼ることに難癖を付けてくるかと身構えたが、デザートを待ち侘びているのかスプーンを咥えて頬杖を付いているだけで、意外にも大したリアクションはなかった。
「お前の未来予知の精度は知らないけど、地獄の入り口がある場所も割り出せるものなの?」
「ふっふっふ、分かりません! なのでそれについては後輩ちゃんに案内してもらう予定です」
「小悪魔のこと? アイツ魔界出身じゃなかったっけ」
「一応知識はあるみたいですよ」
経路自体は途中まで同じだということで、距離もそこまで遠くないらしい。そういえば東方霊異伝では地獄ルートと魔界ルートに途中で分岐するし、この二つの世界にはある程度の関わりがあるんだと思う。
まあいざとなれば幻想郷の旧地獄を経由して、こいフラした後ギリシャの地獄まで向かう覚悟である。自分の忠臣っぷりに泣きたくなるね。
「という訳で、私に地獄出向の許可をですね……」
「ダメ、許可しない。小悪魔だけで不安なら門番なりパチュリーなりを同行させればいい」
「そんなぁ……で、でも交渉上手の私がいた方が絶対にいいですよ! そうに違いない!」
「お前が交渉に長けてるなんて初耳なんだけど。それにお前、どうせ外に出たら逃げるでしょ」
「に、逃げませんってば! 信じてくださいよぉ」
「身内や大切な友を人質として差し出すなら一考する余地があるけど、虚無から生まれたお前にそんな大層な存在はいないからね。諦めろ」
それって私を地下、引いては紅魔館に閉じ込めているマイロードのせいなのではなかろうか。ニッヒちゃんは訝しんだ。私だって本当は色んな人と仲良くなりたいのにね。切ないね。
「そうだ! そんなに私の事が心配なら、マイロードが付いてきてくれればいいんですよ! マイロードさえ近くに居てくださるなら万事解決!」
「イヤよ。なんでお前のお守りなんかの為にわざわざ外に出なきゃいけないの」
「ですよね。言ってみただけです」
どさくさに紛れてマイロードを外に連れ出そうとするが、これもダメ。
まあ実のところマイロードを連れて行く気はさらさら無いんだけどね! 本当に言ってみただけなのだ。
だってマイロードの事だから、ヘカーティアさんを前にしたら自慢の毒舌で煽り散らかすこと間違いなしだもん。絶対に引き合わせてはならない。
「お前、そんなに地獄へ行きたいの?」
「あ、はい。行きたいです」
「交渉する以外に他意は無い?」
「えっとぉ……無いんじゃないかなー?」
「嘘つきが」
「あひん!」
折檻としてほっぺたに軽い平手打ちを受けた。まあ軽いと言っても首が捻じ切れそうな程の衝撃なんだけどね。マイロードからの折檻に重いも軽いも無いのだ。
バレてしまってはしょうがない。
確かにヘカーティアさんとの交渉は、彼女の為人を知る私がいた方が成功率が上がるのは間違いない。ただそのオマケとして、一度外の世界を堪能してみたかったんだよね。
何の変哲もない景色で構わない。山、海、空……情報では頭の中で存在していても、今の私には遠き世界の産物。その実物をこの目で拝んでみたかった。ほら私っていつ両目とも失明するか分かんないし。
そして、その体験と感動をマイロードに伝えてあげるのだ。まずは私が先遣隊として外の世界も悪くないって事をマイロードに証明する。こういうのを『まず隗より始めよ』って言うんだっけ? 教えてめーりん。
でも私の魂胆は見透かされてしまったらしい。久々のマイロードによる覚妖怪ムーブである。腹の探り合いにはまだまだ経験値が足りないね。
と、しばらく無言で何やら考えていた様子のマイロードだったが、唐突に大きなため息を吐いたかと思うと、煩わしげに手を翻す。
「はぁ……分かった。お前の姦しい声を四六時中聞かされるのにうんざりしてきた頃だし、ちょうどいい。条件付きでなら外に出ることを許してあげる」
「えっいいんですか!? やったやった!!! これで私は晴れて自由の身だ!!!」
「黙れ」
「はい黙りました」
慌てて口を抑えたものの、口のニヨニヨは隠せない。まさか対価付きであるとはいえ、こうもすんなり(当社比)と私の要求が通るとは。
昔なんて図書館前の廊下に出ることを希望した時ですら「お前が私に要求を突き付けてきたのが気に入らない」とか言ってミンチにされたもんね。もしやマイロード、甘くなってきてるのでは?
徐々に。徐々にではあるけれど、着実にマイロードの『フランちゃん化』が進んでいるのかもしれない──そう思っていた時期が私にもありました。
マイロードが手招きするので、それに従ったところ頭に手を乗せられる。そしてナイトキャップ越しに何やら魔力を感じた。一分とかからないうちに解放されたが、妙な細工を施されたのは明白だった。
という訳で、恐る恐る聞いてみた。
「えっと、これが条件ですか?」
「そう。たった今お前の身体に破壊の術式を組み込んだわ。仮にカケラでも逃亡を図った場合、周囲を巻き込んで爆散する仕組みよ」
「ヒェッ……」
「ついでに地獄の女神との交渉に失敗しても作動するようになってるからね。生き恥を晒すくらいなら最後の足掻きで女神の首を獲ってきなさい」
「マジの鉄砲玉じゃないですかヤダー!」
ニッヒダイナマイトだこれ!
そうか頭の中に爆弾が!
ついに神殺しの称号まで得ようとしてる貪欲なマイロードに惚れ惚れしちゃうな。月の都と地獄の二正面作戦なんて正気の沙汰じゃないのでやめてクレメンス……。
やはり美味しい話には裏があるという事を思い知らされたニッヒちゃんであった。
◆
「いやぁ、良い旅立ち日和だね後輩ちゃん!」
「……先輩の諸々の境遇は聞いてますのでテンションが上がる気持ちは分かりますよ。でもだからって朝っぱらから出立することはないと思うんですけど」
「朝日とともに出発した方が何というか、らしいじゃない! あと夜にコソコソ出て行くのはなんか夜逃げっぽくて格好悪いし?」
「先輩って一応吸血鬼ですよね?」
「諸説あるね」
小悪魔後輩は不服そうだけど、やっぱり旅立ちは黎明とともに始まるのが新たな物語の開幕って感じがして良いと思うんだよね。私の進む道は黄昏の道ではなく、明日へと続く夜明けの道なのさ!
まあ、仮に今日が雨だったとしても別に気にしないけどね。それはそれで乙なものだよ。
勿論、愛用の紫傘で日光をシャットアウトしているので大した問題はない。この傘にも随分と助けられてるし、そろそろ何か名前でも付けてあげようかな。マイロードからの初めての御給金という事で思い入れもあるし。
「それじゃあね美鈴。なるべく早く帰ってくるからね! それまでなんとか堪えて!」
「うぅお願いします……。私とパチュリー様だけでは身が持ちません……!」
「これはニッヒちゃん秘伝の技なんだけど、マイロードは自分への賞賛の言葉を浴びてる間は暴力性が体感薄れるから、これを駆使して頑張って!」
「もっと早く知りたかった……」
私達の旅路を見送ってくれるのは、半泣きの美鈴さんただ一人だった。私が分身だった事を知っても全く態度を変えなかった事も含めて、やっぱり良い人である。好き。
一方でパチュリーさんは身体が痛むのと朝は血圧が下がるからって理由で引っ込んでるし、スカーレット姉妹は言わずもがな。まあ、朝である事を抜きにしてもマイロードが私の見送りに来るはずないけど。
そう当然の話である。だから寂しくなんか無いんだからね! ぐすん。
そんな悲しみを噛み締めつつ、私と小悪魔後輩の旅路は朝日に後押しされるように晴れやかに、そして密やかに始まるのであった。
ヘカーティアについては、第一話で既にその存在をフランちゃんが言及していており、また彼女の存在からフォーオブアカインドの着想を得ているので、ある意味ニッヒちゃんにとって第二の生みの親みたいなものとする。
あとネタバレですけど、地獄編はありません。