「ぐわあああああ!!?」
「ウ、ウドンゲイーン!!!!!」
酸いも甘いも知る老練な華人小娘は、己の矜持と屈辱を一度捨て置く事にした。
非常に悔しくて腹立たしい事だが、この戦場において美鈴は
仮にフランドールが綿月依姫を押し留めていなければ、自分は今頃地面を這い蹲り命を散らしていたかもしれない。少なくとも、レミリアやパチュリーを守護ることはできなかっただろう。
気が遠くなるほどの年月をかけて地道に練り上げてきた自慢の武道は、この戦場に立つ最低限の資格にしかならなかった。屈辱だ。
自分では、フランドールの援けになる事ができない。
「きゃあっ!」
「小悪魔さん! 決して無理をなさらず、危険だと思ったらすぐに下がってください!」
「で、でも……」
「大丈夫。お嬢様とニッヒ様が戻るまで、私一人でなんとかしてみせますから」
依姫がフランドールに掛かりっ切りとなっている現状、玉兎達がその他の殲滅に動くのは当然の流れであった。というより、フランドールを意図的に避けていた。
最適解は依姫の為に援護射撃をする事だろう。しかし、それを試みた勇気ある兵士達は既に物言わぬ肉塊と化してしまった。かの破壊神に害意を向けられただけで爆散するのだから、介入は自殺行為である。
極限状態を体験した兎は危機から逃れるようにしてマシな方へと流れていく。その矛先が美鈴であり、その後ろにいる紅魔館の面々であった。
腐っても玉兎。地上の平均を大きく上回り、装備はそれと比べ物にならないほどのオーバーテクノロジーである。
統率が取れているとは言い難い形だけの一斉射撃でも美鈴は最大級の対応を要求されてしまい、小悪魔に至ってはパチュリーを守る為の盾にしかなれない。
「ぐえぇ!」
「あばぱ!!!」
「潰しても潰してもキリがない……!」
雨霰が如く降り注ぐ弾丸を片手で防ぎ後方を守りつつ、隙あらば反撃して敵を打ち倒し突破口を探るものの、兎の数は増えていくばかり。このままでは防戦一方になるのも時間の問題か。
と、再度小悪魔が前線に並び立ち結界を展開する。彼女がひたすら防御に徹してくれればそれだけ美鈴に余裕が生まれる。
「も、もう少し。もう少しだけ頑張ります!」
「そうですか……。正直見直しましたよ。貴女はピンチになれば主人も差し出して恥も外聞もなく逃げ出すようなクズだとばかり」
「身体よりも先に心が折れそうです!」
紅魔館の良心である美鈴からの辛辣な本心は流石の小悪魔といえど少々堪えた。
実のところ、逃げ出したところで月に居る以上何も事態は好転しないし、どのみちフランドールかパチュリーに粛清されるのがオチである。
それにパチュリーが死ねば連鎖的に小悪魔も死ぬ契約となっている為、命を張る以外の選択肢はない。生存確率の高い方を選んだと言えばそれまでだ。
「この場の
「……!」
「お嬢様と先輩が帰ってきた時みんな疲れ切ってたんじゃ危ないと思うんです! 妹様もずっとあんな調子ですし!」
非常に的確な言葉だと思った。
乱戦の極みにあるような現状での撤退となれば、此方も相応の出血を覚悟しなければなるまい。その際に美鈴の力が必要になると小悪魔は言っているのだ。もしくはパチュリーからの伝言でもあるのか。
ある種の温情である。主人が自ら戦い傷付いている様を見る事しかできない役立たずの門番に与えられた絶好の機会であった。
「次から次に手を変え品を変え、本当に器用な奴ね。本職は曲芸師なの?」
「その言葉、そっくりそのまま返します。もっとも、私としては面白いものではありませんが」
「だろう、ねッ! お前からは戦闘に対する熱を感じない。愉しみなよ、命の潰し合いをさぁッ!」
「穢れの煮凝りが!」
フランドールの剣戟を幾度となく弾き返し、時に痛烈な一撃を与える。須臾と須臾の合間を縫った超ハイスピードの攻防。その別次元の戦いは、当の本人たち以外に認識できるすべはない。
互いの刃は可視光線による投影すらも振り切り、白銀と黒鉄の光舞う残滓となって互いを削り合う。
常に一歩先をいく立ち回りでいなしてはいるものの、命に届き得る危うさは一向に消え失せることなく、依姫に付き纏っていた。月人との立ち合いでも抱いた事のない、焦燥感にも似た奇妙な感覚だった。
「何故命を賭けた闘争を忌避する? 殺し殺されの連鎖こそが生物としての本懐だというのに!」
「それは私達がとうの昔に捨て去ったもの。やはりだ、貴様を見て確信した。地上はいつまで経っても変わっていない。穢れたままだ!」
「アハハハッ! 私のニッヒの言った通りだ。お前らみんな腐りきってるよ! そんなものはもはや生物とは呼べない! 全部破壊してしまうべきだ!」
絶え間なくその身に降ろす神を変化させ妖怪風情とは隔絶された異なる力を見せ付けようと、フランドールは正面からそれらを撃ち破り、その度に自身のギアを引き上げ苛烈になっていく。
この死線を糧に脅威的な速度で、それも限界知らずに成長している。変化を嫌い停滞を良しとする月人には理解できない挙動だった。
(そうか、彼女は
八百万の神々と心身を通わせる依姫ならではの観察眼。幾度となく刃を交える中で、着実にフランドールという怪物を理解しつつあった。
その考察は正しい。
フランドールの『破壊の力』は、対象の
ありとあらゆるものを破壊する程度の能力とは、相手の本質を正しく理解する為に視えないものを視る力でもあるのだ。
当の本人は認めたがらないが、人を知り運命を識るレミリアの能力と同系統なのである。
と、バールの横薙ぎ一閃を受けるでもなく紙一重で回避し、一足飛びに距離を取る。如何に祇園様の刀といえど、まともに切り結べば駄目になると判断した。
見ればフランドールの傷は殆ど治癒している。祇園様の罰を受けてもこの程度で済んでしまうなら、彼女を斃すには全身を吹き飛ばす威力の攻撃を以て一撃で葬るか、相当のダメージを断続的に与え続けなければならない。
いずれにしても、長期戦は不毛。時間は依姫の味方にならないという事。
言動から日光が弱点なのは見抜いている。しかし頭上のそれは敵の魔法によって塞がれており『天照大神』を降そうにも、幾つかの前準備が必要だ。手順を無視して放つ日光ではフランドールに致命傷を負わせることはできない。
ならば──。
「もういい。大体分かった」
「……何が?」
「貴女の力から技に至るまで、全て把握しました。もう様子見の必要はない」
「へぇ終わらせちゃうんだ。勿体無い。もう少し時間をかけて殺したかったんだけどね」
「生憎、私には戦闘を楽しむ暇などないのです。すぐにでも貴女達を無力化し、都に潜り込んだ者どもを叩きに向かわねばならないので」
「ふふ、どうぞ。やれるものならやってみなってずぅっと言ってるじゃない」
姉と従者の帰りを待てばいいフランドールにとって、最も望ましいのは長期戦となる形。このまま時間稼ぎに徹すれば自ずと勝利は転がり込んでくる。
だがそれは雑魚の思考だ。
依姫の強烈な意思表示にフランドールは嬉々として乗っかった。次の一瞬の攻防にてどちらかの命を奪い去り、決着にしようという暗黙の合意。
勝負は次の一瞬で決する。
二人の耳から周囲の騒音が消え去り、突き刺すような殺気が静寂に満ちる。
依姫は『経津主神』をその身に降ろし、改めて鞘に収めていた剣を抜き放つと一刀流上段の構えを取る。
この選択をフランドールは驚きを以て受け止めた。覚悟の強さに思わず表情を険しくする。
(仕掛けても、受けても……恐らく斬られるわね)
二刀流ゆえ反撃は可能だ。しかし依姫は間違いなく捨て身の覚悟で刀を振り下ろしてくるだろう。本体を仕留めてもその後、手痛い一撃を受ける事になる。
死にはしないだろうが、傷魂に至るのは確実。再生に手間取る事になるか。
さらに依姫の握る刀に宿ったこれまでと雰囲気の異なる力。アレをレーヴァテイン(仮)で受ければ、恐らく両断される。その確信があった。
ニッヒ特別製の得物に大きな不満がある訳ではない──むしろ結構満足していたりするが、それでも武具としての格が違い過ぎる。
闇雲に得物で受ければ破壊される。ならば武器は全て攻撃用として割り切る他あるまい。従者からのプレゼントをみすみす壊されてたまるか。
即ち死ぬ気で回避、からのカウンター──。
「はァ!!!」
「……ッ」
それしかないと判断──する直前だった。故意か偶々か意識の間隙を縫うように依姫が仕掛けた。
当然、その程度で不意を突けるほどフランドールは甘くない。真正面から振り下ろされた斬撃に対し、対照的な軌跡を描く逆袈裟斬りで反撃を叩き込まんとする。
しかしフランドールの炎剣が依姫へ到達するよりも早く、左目が断ち切られた。
計算外だったのは、依姫の動きが従来より遥かに洗練されていた事だ。フランドールの想定を優に超える速度で懐まで切り込んできた。
視界の半分が闇に閉ざされる。
「死ね」
飛び込んできた獲物をみすみす見逃すような真似はしない。片目を斬られたところでフランドールの行動を妨げるまでは至らなかった。
間髪を容れず炎剣を振り抜き、脇腹に食い込ませ肩までの切断を試みた。
しかし起死回生の一撃は神器によって阻まれてしまう。腰に携えた鞘がレーヴァテインを押し留めていた。
依姫の追撃は止まらない。
刃先を真上に向けて返す刀で切り上げる。狙いは、残った右目。依姫の狙いはハナからフランドールの視力にあった。光さえ奪ってしまえば『特別な視点』による破壊の力は発揮できないと踏んだからだ。
「お見通しなのよ間抜けが」
「ぐ……!?」
瞬間、依姫の右腕が肘から逆方向へと折れ曲がり、同時に足を蹴り砕かれる。剣筋は乱れフランドールの頬を切り裂いた。
眼球を的確に狙ってきた時点で依姫の目論みは看破されていた。ならば反撃と同時に、残ったバールで本体を直接殴るのが手っ取り早い。
攻防一体。隙を生じぬ二段構え。二刀流の扱いとしては邪道もいいところの野良犬剣法であったが、これが一番理に適う形だった。
と、フランドールの口が開かれる。端が裂けそうなほどに大きく開く。
吸血鬼は全身が凶器でできている種族。爪も牙も羽も、戦闘に転用できない部位は一つとしてない。わざわざ目の前に差し出してくれたんだから、顔面を齧り喰らい、その整った顔を滅茶苦茶にしてやるまで。
バールの一撃で体勢を大きく崩した依姫には躱す術がなく──。
フランドールの右目が破裂した。
視界が闇に閉ざされ、一切の光が奪われる。
果たして何が起きたのか。如何なる攻撃を受けたのか。さしものフランドールも理解に数瞬の時を要した。
戦闘とは、拮抗すればするほどほんの僅かな傾きが決定打となる。どんな分野でどれほどの誤差だろうが、上回ってさえいればそれが勝負の分水嶺になり得るのだ。
かつてフランドールが姉との決戦を前にしてニッヒに語った自論である。当時その役割を担ったのがニッヒであり、今回は
敗因はそれだけの話だ。
「これで、終いです」
数瞬あれば、体勢を整え刀を振り抜く事など容易い。矮小な存在が作り出した極小の隙。それが依姫とフランドールの明暗を分けることになった。
「だ、大丈夫ですか? 依姫様」
「……問題ありません。少々手こずりましたが、神降ろしは三十で留めました。八百万で割ると二五万回連戦しても勝てる計算。順当な勝利です」
「えっと、よく分からないけど良かったです!」
戦闘が終わったのを見計らい、わらわらと自分の元へと集まって心配する部下達を、余裕を装い宥める。
当然だが実情は異なる。相応の消耗は強いられたし、仮に同じような化け物と連戦となれば何度でも同様の結果になるとは言い難かった。
しかし本音は胸の奥底にしまい込んだ。本音を漏らしたところで士気を下げる結果にしかならないし、そも綿月の姫が地上の妖怪に苦戦したなどあってはならない事だからだ。この事実は月の都にとって不都合となる。
「私を助けてくれたのは、貴女ね。ありがとう助かりました。見ない顔ですが、名は?」
「は、はい! わたし清蘭っていいます!」
「あらぬ方向から放たれる想定外の狙撃。タイミングも掴めなかった。見事だったわ」
「たくさん練習しました!」
フランドールの右目を撃ち抜いたのは清蘭という名の最近配属された新兵だった。
主席の鈴仙が脚光を浴びていた事と、多数科目の成績が低迷していた為に玉兎の中に埋もれていた人材。ただ実は射撃の成績だけは鈴仙と並んでトップという異色の兎であった。
そんなバランスの悪い成績を叩き出した原因は彼女の持つ『異次元から弾丸を飛ばす能力』にあった。要するに能力を駆使してズルしていたわけだ。
過ぎたる力が高尚な理念の持ち主に宿るとは限らないという好例である。しかしそれに救われたのもまた事実。
清蘭の狙撃が無ければ顔面を幾らか抉り取られていただろう。それでも戦い続ける事はできただろうが、依姫とて女だ。極力避けるに越した事はない。
「依姫様、暫く安静にされてください。怪我の処置をいたしますので……」
「いずれ完治するから放っておいて問題ないわ。それよりトドメと残存する抵抗勢力の掃討を優先する」
「トドメ……?」
「あの化け物はまだ生きているわ」
「ひぇっ」
若干の疲れが滲む目で、先程まで熾烈な死闘を繰り広げていた相手を見遣る。視線の先には、腹から肩にかけて真っ二つに泣き別れ、それでなお祇園様の囲いで厳重に封印されるフランドールの姿があった。
捨て置いても恐らく死ぬだろう。『経津主神』の力で叩き切り致命傷を与えたのだ。もはや再生はできまい。やがて照るであろう日光で焼き殺してもいい。
それでも安心できなかった。
月の都の防衛を後回しにしてでも、フランドールの息の根を確実に止めるのを優先すべきだと判断した。彼女を解放すべく険しい表情で此方に向かってきている中華服を着込んだ妖怪の討伐も同様だ。フランドールが再起する可能性を根本から消し去らなければ。
息が整うのを待ち、地に刺した刀を杖代わりにして立ち上がる。そして美鈴の相手を一旦部下の玉兎達に任せると、まずは『天照大神』を降誕させる手順を踏むべく神降ろしを再開せんとした。
だが、間に合わなかった。
今日は依姫にとって最悪の厄日だ。
「──……マイロード?」
月の都方面の桃林から現れた新手の顔を見て兎達は恐れ慄いた。冷静沈着な依姫ですら驚愕のあまり剣を取り落としそうになった。
何故なら、その新手が先程苦労して斃した筈の化け物と同じ顔をした少女だったからだ。
必死の思いで斃した敵が複数個体のうちの一体だった、なんてオチであれば悪夢である。
しかもその手には
「うわぁ!? 鈴仙が捕まってる!」
「あの人って主席じゃなかったっけ?」
「鈴仙……」
「依姫様ぁ〜! た、助けてください〜!」
あまりの急転にその場の全員理解が追い付かずにいた。そしてそれは、ニッヒも同じだ。
身体を切断され力無く倒れ伏す
やがて死人のように青白かった顔が、みるみる赤黒く変色していく。
「よくも……ッ! よくも! よくも!!!」
事ここに至って、ニッヒはフランドールの言葉を真の意味で理解した。
争いを避けようとする貧弱な心。敵を本気で憎めない生半可な心。それが闘争において如何に無駄なモノであるかを、改めて突き付けられたようだった。
純然たる殺意に後押しされた暴力へと身を委ねるとは、こういう事なのかと。
「お前ら!!! 私の、私のマイロードに!!! ご主人様にっ!!! 何してくれてんだ!!!」
この怒り。苦しみ。憎しみ。人に対して向ける本物の暴力。──これら全ての初めては。
私を私たらしめてくれた貴女の為だけに。
フランちゃんは引きこもり特有の経験不足と、なんでも自己完結してしまう精神性ゆえに想定外には結構弱いものとする(例:ニッヒちゃん)
いつの間にか画面外で敗北しているうどんちゃんについては次回冒頭で語られる筈。筈。