「近頃多いなぁ、こういう輩。お嬢様はお喜びだけど、門番の身としては堪らないなぁ」
紅魔館のゲートキーパー、紅美鈴は嘆息しつつ呟く。
その傍らには物言わぬ塊となった有象無象が折り重なるようにして倒れており、その悉くが紅魔館──引いては美鈴に無謀な勝負を挑んだ者共の成れの果てだった。
たった独りで門前に立つ、欧州では見かけぬ面妖な服装に身を包んだ小娘など何するものぞ、と。侮った者の辿る末路は皆同じである。
有象無象をそのまま放置しているのに見せしめ以外の意味はない。日が沈んだ頃に屋敷の従者が処分を請け負ってくれるのだ。
あちらで勝手に近場の川に投げ込むなり、食糧庫に運び込むなりするので、美鈴がやる事は何もない。ただ直立不動の構えで紅魔館の武威を示し続けるだけでいい。
「お嬢様の名声が更に広まれば、もっと忙しくなるんだろうか。こりゃ何か対策を考えないと寝る暇も無くなっちゃうなぁ」
新進気鋭の勢力として急速に名を上げつつあるレミリア。それ自体は非常に喜ばしいのだが、その皺寄せが自分に集中しやしないかとちょっぴり不安になる。
別に大した苦労はないのだが、趣味であるシエスタの時間は削られていく一方だ。
いっそのこと寝ながら戦う技術でも会得してみるかと、邪念満載な事を呑気に考えていた。そんな長閑で物騒な毎日が美鈴の日常。
しかし平穏とは、なんの前触れもなく突如として破られるのが常である。
周囲一帯に気の感知網を張り巡らせ、異常が無ければ一眠りしようかと思っていた、そんな時だった。紅魔館内に強い気の乱れを感じる。
場所は、恐らく厨房。思わず身震いしてしまうほどの強大な力が不気味に揺らめいていた。
「……賊ではないだろうけど、何かあったら私の責任だしなぁ」
門の内側で起こった事とはいえ、自分の取り逃しである可能性が万に一つでも存在する以上、美鈴には確認の義務が生じる。周囲に他の悪しき者が居ないことを確認し、館に入る。
「お嬢様、ではない。日が昇ったばかりのこの時間は十中八九就寝されている筈。でも他にこんな強い気の持ち主なんて、妹様くらいしか……」
しかし、それこそあり得ない話だと美鈴は半ば決め付けていた。紅魔館の顔として表舞台で鮮烈な存在感を放つレミリアと全く対照的なのが、妹のフランドール。彼女はいわば影の存在である。
滅多に部屋から出てくる事がなく、その姿を知る者は姉を除けばごく少数。出会ったらその時が最期、なんて噂すら蔓延っている。そんな話が一人歩きするほど、フランドールは使用人達から酷く恐れられているらしい。
確かに、そう思ってしまうのも仕方がないほど、あの方は怖い。美鈴もそう思う。
しかし実際のところ、それが根も葉もない噂である事を美鈴は知っている。あの方が一々使用人如きに関心を向ける筈がないのだ。それは自分に対しても例外ではない。
事実、気を感知する事で敵意の有無を知れる美鈴でさえ初対面のフランドールの威に圧倒されてしまい、またそれに対する彼女の反応は冷淡だった。
ありとあらゆるものを塵芥が如く破壊してしまうフランドール。そんな規格外の力を持つ彼女に対し、この世に存在する悉くに価値を見出す事を望むのは酷な話だろう。
興味を惹く物が現れない限り、部屋の外にすら出てこない現状がその何よりの証左である。
故に、そんな彼女が地下室から遠く離れた厨房に姿を現すのは考えにくいと推測したのだ。
◆
「いちち……蹴ってくださいとは言ったけど、本気で蹴るのは話が違うよぅ」
(なんかいる……)
厨房の正面、シンクを前にして蹲っている少女がいた。薄汚れたブラウス、真っ赤な巻スカート、被っている三角頭巾から金髪がはみ出している。
次に調理後の鍋、微かに漂う甘い香り、そしてテーブルの上に置かれてある五つのカップを見遣る。
場の状況を鑑みるに夕餉に出すデザートを作っていた使用人かとも思ったが、それでは部屋全体に充満するレミリアに比肩するほどの強い気配の説明がつかない。
「しかも大きく振りかぶって三発だもんなぁ。やば、血が止まんない」
「こほん、失礼します。門の番人をしている者ですけども何か異常は……って大丈夫ですか!? 血が……」
「げぇっ美鈴!!!」
「い、妹様!?」
自分の顔を見るなり驚愕した様子で名前を叫ばれた。どこか
だが驚いたのは美鈴とて同じだ。何せ、つい先ほどあり得ないと断じたフランドールが目の前にいるのだから。しかも顔をアザだらけにして、血を流している。明らかな異常事態に理解が追いつかない。
慌ててフランドールを抱き抱え、容態をチェックする。深刻なダメージこそ無かったが、強靭な吸血鬼の肉体をここまで傷付けるなど尋常ではない。
この館にフランドールを傷付けられるような強力な者は殆どいない。可能なのはレミリアか、
「この怪我はどうされたのですか!? それに、なぜこんな所に……」
「ああいや、気にしないで! 大丈夫だから! ほら私って吸血鬼だから無敵だし、すぐ治るもん!」
「そういう問題ではありません」
万が一、フランドールを害した賊がいるならば早急に排除せねばなるまい。多少の混乱は残るが今はそれよりも焦り、そして怒りの方が強い。自身の護る領域を何者かに土足で踏み荒らされたかと思うと腹が煮え繰り返る思いだ。
憤怒に歪みそうになる表情を抑えつつ、美鈴はフランドールの肩に手を置いて、冷静に問いただす。
「お答えください妹様。何があったんですか?」
「お、お菓子をね……食べたくなったからここに作りに来たの。別に変な事はしてないよ」
「へ? お菓子、作りですか」
予想だにしない答えに思考が固まる。確かにテーブルの上に菓子のような物が置かれてはいたが、あのフランドールがそんな事のために行動を起こしたのかと、別の意味で衝撃だ。
ならば、と。既に治り始めている顔の痣へと改めて目を向ける。凄まじい力で殴り付けられたかのような痕だった。
「これはなんというか、自分でやったっていうか。そう、事故よ! 事故!」
「妹様?」
「本当に大丈夫なの、気にしないで! この事は他言無用!」
「ですが、事故であれば尚更レミリアお嬢様も心配されるかと……」
「それはダメ! お願い美鈴……私がここに居た事含めて、誰にも言わないで!」
まるで逼迫した状況下にいるような、文字通り必死の懇願だった。目に涙を浮かべて、周りを気にする素振りも見せていている。
フランドールが此処にいる事、そしてこの怪我を知られたくない相手。それはレミリアに他ならないだろう。それ以外など思い付かない。
「……」
「美鈴……!」
今回の件を主人に伝えず己の手で握り潰すのは、非常に危うく思える。──しかしそれよりも、絶対的強者として気高く映っていたフランドールの、想像だにしなかった弱々しい姿への心配が勝った。
この場で彼女の頼みを一蹴するほどの勇気は美鈴に無かったのだ。観念したように少しだけ項垂れると、小さな笑みを浮かべる。
「分かりました、今見たことは二人だけの秘密にしておきます。勿論、お嬢様にも言いません」
「ありがとう美鈴!」
「ただし、代わりと言ってはなんですけど、私が仕事をサボって此処に来た事は秘密にしておいてくださいね。約束ですよ、妹様」
「……サボり?」
「バレるとお嬢様に怒られちゃいますので」
別にサボっている訳ではなくこれも業務の一環なのだが、このままフランドールと別れて、自分だけが彼女の弱みを握る状況は避けたかった。こうして無理にでも共犯の形にして、約束の信頼性を高め安心させてあげるべきだと判断したのだ。
また、これ以上彼女を追い詰めると何を始めるか分からない怖さもあった。何せこんな状態であっても室内に充満する圧迫感は強くなるばかりだ。
自分は長く此処にいてはいけないと、正体不明の警鐘が頭に鳴り響いている。
「それでは、私は仕事に戻りますが、何か困ったことがございましたら遠慮なく申し付けてくださいね。すぐに駆け付けますから」
「まって美鈴! これあげる!」
差し出されたのは黄色の物体が入ったカップと小匙。長く生きてきた美鈴をして初めて見る菓子であった。これは何かと不思議に眺めていると、フランドールが精一杯の笑顔を浮かべて教えてくれた。
「良かったら食べて。甘くて美味しいよ」
「初めて見る菓子ですね。そんな貴重な物を頂いてもよろしいのですか?」
「うん。美鈴が食べてくれると私も嬉しい!」
「ふふ、妹様は料理がお上手なんですね。ではありがたく頂戴します」
恭しく一礼し、厨房を後にする。
まだまだ分からないことだらけで何の解決にもなっていないが、それでもフランドールの本質の一端を知れたことは美鈴にとって大きな収穫となった。
少々信じられない思いだが、フランドールは自分の想定よりも精神が脆く、様々な顔を持ち合わせているのだろう。今なお感じるフランドールの不安定な気の揺らぎもその考えを補強した。何故か二重にダブっている気がしたが、まあ巨大すぎる気の前には誤差である。
それに、嬉しいこともあった。
フランドールは、自分が名乗りを上げるより前に名前を呼んでくれたのだ。それも主人のレミリアのように、最大限の親しみが込められていた。
(妹様……私のこと、覚えてたんだ)
従者冥利に尽きるというものだ。
◆
非常に感慨深い、夢のようなひと時だった。
私はしばし立ち尽くし、余韻に浸る。
美鈴さんは私に二つの初めてをくれたのだ。それは、私の知識が正しいことの証明と、無償の優しさである。感極まって泣きそうになってしまった。まだ泣いてないよ、これは血だよ。
紅美鈴さんといえば『穏和な常識人』という事前情報こそあるものの、私の知識はワザップの如しである。実は凄く悪い妖怪で、油断した瞬間にパクリといかれるかもしれないなんて心配があった。
だがそれは杞憂だった。美鈴さんはどこまでも優しくて、私の目には気高く映ったのだ。一つ一つの所作が洗練されていて、顔も言動もイケメンとは恐れ入った。
あと私の知る為人の通り、サボってるところも好印象。それに身長とか、色々なところも大きかった。そうそう、美鈴はそうでなくては。私の中のイマジナリー
ただいつまでも立ち尽くしている訳にもいかない。今も縮こまって隠れている我が主人に事の完遂を報告しなければならないからだ。
「お待たせしましたマイロード。ミッションコンプリートですよ! ぶいぶい」
「どこがよ間抜け」
「げぼは!!!」
シンク下から飛び出した蹴りが腹に突き刺さる。その衝撃によって私は現実に引き戻された。そう、ここは地獄の一丁目。マイロードがいる限り私に平穏は訪れないのだ。悲しいね。
先ほどのやりとりの間、マイロードにはシンク下で待機してもらっていた。勿論、プリン液を冷やしてもらいながらだ。マイロードの行動を縛っておかないと美鈴さんに何をするか分かったもんじゃない。
まあそれでも色々と危なかったような気がする。美鈴さんと話してる間もシンク下から凄まじい殺気が漏れ出ていたのは確認済みだ。
と、空のカップを手に這い出てくるマイロード。プリンは待機中に召し上がってしまったようだ。我慢できなかったのかな? 可愛いね。
「信じて送り出してみれば初っ端から全部失敗してるじゃない。何が擬態作戦よ」
「いやぁ来てたのが普通の使用人さんとかレミリア様なら成功したと思うんですよねー。でもまさか、よりもよってあの人が来てしまうとは」
簡単な話が、使用人に擬態して場を切り抜けるというだけの作戦である。
マイロードはメイド達と殆ど会ってないみたいだから、ちょっと細工すればイケる思ったのだ。その為の痣ね。マイロードって嫌われてるし、面と向かって話せなそうだしで、顔はあまり覚えられてないだろうと考えていた。
レミリア閣下が来た場合はもう強行突破だ。顔を見られる前にプリンを差し出して部屋に帰ってもらう。それでも疑われた時は、私が閣下に特攻して諸共日光に突っ込むしかない。気分はさながら南斗五車星である。
まあ今回は全てが裏目に出てしまったが、美鈴さんの聖人っぷりによって結果オーライ。
ちなみに最後プリンを貢いだのは口止め料としての意味もあるからね。決して美鈴さんから気に入られたかったとか、そんなホスト客みたいな魂胆ではないのだ。
「正体は半ばバレちゃいましたけど、あの人なら不用意に言い触らすような事はしないでしょうし問題ないですよ。多分」
「初対面のくせに何故信用できる?」
「だってあんなに優しいし、誠実だしぃ」
「発情するな。気持ち悪い」
「し、してませんけどー!?」
とんでもない言われように流石の私も憤慨する。そりゃ「ちょっとカッコいいなー」とは思ったけど、それにしたって酷い。断固抗議である。
「というか、マイロードは美鈴さんをご存知ないんですか? 有名人だと思うんですけど」
「……まるっきり知らない訳じゃないけど、中国っぽい奴って事しか分からないわ。興味ないし」
「そ、そうですか」
また一つ私の中の幻想が否定されてしまった。あの微笑ましかった『めーフラ』が存在しないなんて。でもその割には美鈴さんが凄く優しかった気がする。
もしかするとこれから二百五十年をかけてこの二人の間に絆が生まれるのだろうか? マイロードを見る限りは全然そんな気がしないのだが。
「まあいいわ、お前への罰は部屋に帰ってからよ」
「えー嫌だなぁ。帰りたくないなぁ」
「つべこべ言うな。早く荷物を持ちなさい」
平積みした本の上にプリンを置いて、なんとか持ち上げる。当然マイロードが手伝ってくれる筈もない……かと思いきや、一番上の本とプリンだけは持ってくれた。
どういう風の吹き回しかと固まる私を、マイロードは相変わらずの冷たい視線で睥睨する。
「なによ」
「いや助かるなぁって」
「お前に任せて折角のプリンが台無しになったら大変だからね。感謝しろ」
「あ、どうも」
「もっと」
「ありがとうございます!!!」
どうやらプリンが相当お気に召したようだ。そういえばヘマをやらかした割に折檻が蹴り一発だったのも比較的優しかったし、マイロードの機嫌は頗る良いのかもしれない。これを優しいと思いたくない私もいるが、やはり普段に比べたら相当マシなのだ。
まさか私は手に入れてしまったのだろうか。対フランドール
「ところで」
「はいはい。なんでしょう?」
「あの門番と話してた時の……演技のことなんだけど。お前には、私があんな風に見えてるの?」
「いいえ全っ然! むしろこうであって欲しいという願望を込めてみました!」
「……」
「美鈴さんとも上手く話せましたし、もしかしたら私の方が『フランドール・スカーレット』が上手いのかもしれませんね! あはははががががががが!!!」
結果として、プリンを回収しておくというマイロードの判断は正しかったらしい。もしかして私よりも未来が見えているのではなかろうか。
ぐちゃぐちゃな身体で本の山に埋もれながら、私はそんな事を思うのだった。
一昔前の謎二次設定
紅魔館の住民から名前を覚えられていない美鈴
気を使う程度の能力はそこそこ万能であることとする
また分身ちゃんは中華系イケメンに弱いものとする