冒頭だけそこそこ未来の話です
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幻想郷縁起とは、妖怪への理解や脅威を後世に啓蒙する目的で編纂された書物である。
それは時に、一種の歴史書としての役割をも担う。
妖怪の殆どが長命であり、太古の出来事に登場した人物が現代にも平然と存在しているのはザラである。故に歴史書としての側面を持つ必要があった。
そして歴史を綴る中で、妖怪が引き起こした大事件。中でも語り草になるような勢力と勢力の総力戦、互いの存亡を賭けた決闘は、並外れた危険度や後世への影響を伝え継いでいく上で最も分かり易く、歴史を語る上で重要となる項目に位置付けられていた。
それは古く阿一の平安時代から現代に至るまで、連綿と続いていく事となる。
九代目阿礼乙女稗田阿求が記した幻想郷縁起においても、その項目は用意されている。
ただし彼女が担当した歴史的な記述は歴代御阿礼の子が編纂するそれに比べ、非常に内容が限られていた。
その大きな理由として、博麗大結界の誕生からスペルカードルール成立までの期間で血の気の多い妖怪が淘汰されてしまった事、次に博麗霊夢の登場以後に始まった幻想郷の急速な変化を記す方に意欲とリソースを割いた事が挙げられる。
しかし何もかもが皆無という訳ではなかった。
幻想郷の歴史において比較的小康な状態であり、妖怪の牙が抜け落ちていった期間においても、大きな惨禍を齎した『衝突』は発生している。
それが
これらの出来事さえ抑えておけば十分だと、阿求は判断したのである。
その最初にして、ある意味以後二つの発端とも言われる争いが、単独戦力最強クラスと名高い風見幽香と吸血鬼ニッヒ率いる弱小妖怪軍団の抗争。『第一次吸血鬼異変』である。
特に物珍しくもない縄張りを巡る戦いであり、事前の下馬評は幽香が圧倒的。幻想郷縁起に載るまでもない蹂躙となる事は明白な一戦。
しかし、こうして大きな出来事として記載されるに至る想定外が発生する事になった。
当時、近辺を何故か彷徨いていた射命丸文によって、その戦いの推移は詳細に記録されている。幻想郷縁起編纂における大きな助けになったのは言うまでもない。
もっとも、その耳を疑う内容や日頃の信憑性もあって情報は暫くの間懐疑的に扱われる事になるのだが。
兎に角ハッキリしているのは幻想郷を揺るがす大番狂わせが起こった、その一点のみである。
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類稀なる巧妙な術技で表の世界から秘匿されている幻想郷。その中でも更に異質、次元と次元の狭間に八雲紫の居宅は存在している。
住まう者は屋敷の主人と、その式神のみ。
そんな閑静な佇まいを数百年と維持し続ける空間が、今日ばかりは更に静まり返っていた。
紫はただただ無言で、『文々。新聞』へと目を通している。口頭で説明するよりも誌面を見てもらった方が早いと判断した藍の手引きである。
幻想郷の管理者たる八雲紫にしては珍しく、今回の事件に関して情報の周回遅れが発生していた。とある野暮用を済ませに外の世界へと出ていた為である。
よって既に郷全体へ浸透している情報を、たったいま知る事となった。
新聞の見出しには【湖畔の妖怪連合、風見幽香を撃破】の文字が踊っており、無茶苦茶に荒廃した霧の湖を背景に、とびっきりの笑顔を咲かせる弱小妖怪達の姿を捉えた写真が掲載されている。
そして幻想郷各地の被害状況や今後の展望、人間や妖怪の声、射命丸文個人の推察、そして何故か私怨が感じられる謎のお気持ち表明が続く。
全てを読み終えた紫は、まず情報を噛み砕き、次に目を細めながら誌面を近付けたり遠ざけたりして眺める。
そして一息ついて言葉を発した。
「
「残念ですが、本物です」
藍が冗談を言うような狐でないことを重々承知した上でなお、確かめておかねばならなかった。
これだけの大事件を藍が把握してない筈がない。十中八九、リアルタイムで監視を行なっていただろう。そんな彼女がこんなゴシップ新聞を引っ張り出して報告書代わりにするのだから、ブン屋にしては珍しく相応の真実性がある内容だという事になる。
流石の紫もこの結果は想定外──とまでは言わないが、大穴を引き当ててしまった感覚である。
紫は新聞紙を畳むと、僅かに天を仰いだ。
「長く生きている者ほど、風見幽香という妖怪の名前の重さを知っている。勿論、私を含めてね。里の人間達も相当驚いただろうけど、妖怪のそれは比較にならない」
「事実、妖怪の山は蜂の巣をつついたような大騒ぎになっているみたいですよ。明確に敵対しようとしていた矢先の出来事ですからね」
「幽香と渡り合えるだけの力もそうだけど、何より自爆が厄介。こんなのとマトモに敵対したら二度と平穏な生活には戻れないわ。『持ちたる妖怪』にとっての天敵ね」
風見幽香に勝利してしまうほどの戦力、テロリズムに適した悍ましい自爆技、全方位に噛み付き権威や格上に全く臆さない狂犬ムーブ。懸念要素を羅列してみれば、なるほど妖怪の山が即座に敵対路線を撤回してしまうのも納得のラインナップである。
仮に天狗がニッヒと事を構えた場合、彼女は躊躇なく単身で妖怪の山へと突撃を繰り返し、思う存分自爆を堪能するであろう。そして後に残るのは焼け野原だけ。
勝てる勝てないといった次元の話ではないのだ。紅魔館支部を叩き潰す成果と、何もかもを道連れに自爆されるリスクが全く釣り合わない。
「たった半日。こんな短期間で幻想郷の情勢をこれほど滅茶苦茶に引っ掻き回してくれるなんてね。なんとまあ、散々にやってくれたものですわ」
「紫様が出掛けられた直後の事でしたので。まさか此方から介入する間もなく風見幽香にリベンジを挑むとは……この私の目を以てしても見抜けませんでした。申し訳ございません」
「ああ気に病まなくていいわ、藍。こういう類いの狂人の考えを一から十まで的中させるなんて事はほぼ不可能よ。特に、貴女のようなタイプはね」
恭しく頭を下げる藍を宥めつつ、話を続ける。
「選択できる手段はまだ無数に残っている。私達は状況に応じて適切な札を切るだけでいい」
「しかし……結果だけを見るなら、やはり惜しいと言わざるを得ません。あんないつ暴発するとも分からない爆弾のような妖怪を、労せずして抑えつける好機でしたので」
「その場合はもしかすると、今の幽香の立ち位置が貴女になっていたかもしれないわよ?」
「遅れを取るつもりは毛頭ありませんが」
「あくまでも可能性の話。万が一とはいえ、こんな無茶苦茶な自爆攻撃で貴女を無用の危険に晒して、あまつさえ失うわけにはいかないもの」
「……」
敬愛する主人にそんな事を言われてしまったのなら、藍は黙るしかない。
ニッヒが幽香と一度目に邂逅し完膚無きまでに叩き潰された時、あの後もしも心折れて自分達の保身にシフトしていたのなら、藍は『チェン』を通じて八雲の庇護下に入る事を勧めていただろう。
了承するのなら、妖怪の山やレミリアとの交渉カードとして使えるよう徹底的に牙を抜き、手下の妖怪達と一緒に外の脅威から匿う予定だった。拒否した場合は紫の指示を仰いだ上で、拉致して監禁するなりしていた。
どちらに転ぶにしろ幻想郷に燻る火種の一つを回収できるのだから、藍にとっては悪い話ではない。
しかし結果はどうだろうか。ニッヒがトチ狂って幽香に一か八かの捨て身攻撃を敢行し、様々な要因が奇跡的に噛み合ったとはいえ勝利してしまった。
燻るだけの火種が瞬く間に燃え広がり、対処困難なメガトン級の爆弾と化したのだ。
藍が選択を悔いるのも無理のない話である。
「ここまで話が大きくなると見て見ぬふりっていうのも許されないでしょうね。名の知れた大勢力はわざわざ火中の栗を拾うようなリスクを冒さないだろうし、いま吸血鬼に喧嘩を売る奴なんて……ねぇ?」
「萃香さんあたりが怪しいかと。あの方、生意気な新参には厳しいですし」
「隠岐奈も接触したくてウズウズしてる筈よ」
「……なんというか、アレな人達ばかりですね」
「そう考えると大なり小なり私達が睨みを効かせる必要があるでしょ? 多少の混沌は許容できるけれども、管理を執り行う側がそれを助長するのはちょっとね」
同僚や友人との関係にやや気苦労があるのだろう。紫は困ったように眉を下げ、肩を竦めてみせるのだった。
「私は手の早い連中に自制を促してくるから、藍は猫でも何でも使って情報収集に努めてちょうだいな。方針自体はこれまでと何も変わらない」
「……紫様は、彼女らを最終的にどう扱うのがベストだとお考えなのですか?」
「当然、最善の形は私達が手を加えず放置したままでも幻想郷が問題無く回り続ける事だった。でもその道は今回の件で閉ざされてしまったわね。ならば次善策は、吸血鬼を幻想郷の枠組みに取り込む事」
風見幽香の撃破という実績、多種族を統率する組織力、霧の湖という活動基盤。これだけ揃っているのなら一端の勢力だと認められるのは必定。
今後、野良や盗賊団といった有象無象とは一線を画した相応の立ち振る舞いが求められるだろう。
外交を疎かにせず、幻想郷に存在する数々の約定を順守し、無闇矢鱈に争いを振り撒かず治安維持に努め、この世界に生きる者としての自覚を持つ事。
それらを全うするだけの品格と知恵があるのなら、多少の問題行動があっても幻想郷で生きていける。
全ては吸血鬼次第だ。その果てに誕生するのが紫の意にそぐわない敵性勢力であったとしても、紫はよろこんで彼女らを受け入れよう。
自分の創った幻想郷とは、そういう世界なのだから。
だがもし仮に、そんな最低限の境界さえ踏み越えてしまうような度し難い愚か者であった時は──。
少し強めのお灸を据えてやる事にしようか。
「ところで紫様、外での御用事とは一体何だったのですか? 随分と遠くに出掛けてらっしゃったのは存じておりますが……」
「ああ、ちょっとレミリア・スカーレットの所まで行ってたの。今後お世話になりそうだから、挨拶がてら偵察にね。まあ噂に違わない強力な吸血鬼だったわ」
「……」
「あっ、一緒に連れて行けなくてごめんなさいね。謝るから拗ねないで?」
「す、拗ねてません!」
駄々を捏ねたところで同行する事は出来なかっただろう。八雲紫不在の幻想郷を見守る役目を負う事ができるのは八雲藍をおいて他に居ない。
ただ紅魔館は敵地とまでは言わずとも危険な場所であることに変わりはない。そんな所へ主人を単身で向かわせてしまった事が歯痒くて仕方ないのだ。こういう時に自分の代わりを任せられるような後進──式神がいればと、つい思わずにはいられない。
それはさておき、紫の用事についてである。
「如何でしたか、西洋の覇者は」
「興味深い集団よ。顔を合わせた従者は国籍も種族もみんなバラバラ。多種多様な妖怪に加え、人間に魔女、あと付喪神と玉兎も居たかしら。見てて飽きなかったわ」
「こ、濃ゆい面子ですね」
「あれだけの個性を束ねているんだもの、全員から相当慕われているんでしょう」
「なるほど、それほどのカリスマを」
「ただ肝心の妹との仲は決定的に拗れていたわ。……いや、アレは妹の方が単に壊れているだけって見方もできるけど。八方美人って表現も考えものよね」
実のところ、紫はレミリアとの顔合わせよりも、フランドールとの接触を最優先に動いていた。幻想郷で話題の渦中にいる謎の吸血鬼との関連性を見極めたかったのだ。
そもそもこのタイミングでの訪問となったのも、ニッヒが深く関係している。
ニッヒを紅魔館の先遣隊であると仮定し、その敗北を知ったスカーレット姉妹が何らかのアクションを起こす事を警戒しての行動だった。
例えば彼女らがニッヒの弔い合戦で幻想郷に乗り込み、風見幽香との対決に臨むというのなら、紫とて相応の対処を考えなければならない。
ただその心配は杞憂だった。紅魔館に所属する主なメンバーに幾らか探りを入れてみたが、幻想郷やそこに住まう吸血鬼の情報は皆無であり、直ちに何か動きを起こそうとする素振りも見せなかった。
否、唯一
結局ニッヒが幽香へのリベンジを即座に成功させてしまったため、紫の試みは骨折り損となった訳だが、それはそれとして別の収穫もあった。
紫は確信した。
レミリアとフランドールは、今回の一件どころかニッヒの存在すら把握できていない。
フランドールと瓜二つであり彼女を信仰までしておきながら、存在を認知されていない謎の吸血鬼。まさか無関係という事はあるまい。しかしその矢印はどうにもニッヒからの一方通行のように見える。
東欧と幻想郷。遠く離れた二つを結ぶ、八雲紫しか知り得ない奇妙な繋がり。
もしかすると、この情報は非常に強力かつ危険なカードになるのかもしれないと思った。
適切な使い時を見極める事ができれば幻想郷により一層の盤石性を齎し、逆に誤ってしまえば大きな惨禍を齎す可能性だってある諸刃の剣。
どう扱うかは紫次第……もしくはニッヒ次第か。
当代博麗の巫女は『宮出口』関連のゴタゴタによる影響の余波で活動が低調になっているかもしれないものとする。
なお巫女が万全でもこんな自爆魔を相手にするのは紫が許さないものとする。
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