私にとって生まれて初めてのビッグイベントであった地上進出は、私の尊い犠牲と引き換えに無事終わり、前と変わらないしごきの日々へと戻った。
マイロードは相変わらず部屋から一歩も出ずに引き篭もりライフを満喫していて、時折申し付けられる無理難題も健在どころか鋭さを増すばかりだ。勘弁してクレメンス。
私は私でそんな無茶な要求に応えるべく奔走する毎日である。はて、生まれてから今日までをざっと振り返っても碌に休んだ記憶が無いのはどうしたことか。おかしいな、枯れたはずの涙が……。
まあ、不眠不休かつ絶食で動いてても身体にガタがこない私サイドにも問題があるかもしれない。休暇云々もあんまり気にしないし、無敵の社畜王である。
いずれ魂魄妖夢や八雲藍あたりと雌雄を決する時がくるかもしれない。
ただ、ここ最近は段々とやらなきゃいけない事も無くなってきて、マイロードが寝てる間に限っては自由時間のようなものが与えられるようになった。
ようやくワークライフバランスの一歩目を踏み出せて感無量である。まあ墨汁の上に白いインクを一滴垂らしたところでホワイトにはならないんだけどね。
なお、やった事は逐一マイロードに報告しなければならないし、部屋から出るのは当然ダメなので自由と程遠いのは変わらない。よって大した事はできないので、ひとまず今のところはチクチクと裁縫に勤しんでいる。なんか家庭的でいいよね。
ああ美鈴さんが恋しい今日この頃。あげたプリンの感想も聞きたいし、何より優しさがほしい。人の心を救うのはいつだって愛だ。ラブアンドピース。
それに綺麗でイケメンだしね。目の保養になる。
「はー……また上に行きたいなー。早く連れて行ってくれないかなー。心の広いご主人様なら部下のケアも怠らないんだろうけどなー。散歩したいなー」
「うるさいわね。お前はペットか」
「いや、愛玩動物ならもっと甘々に可愛がってもらえると思うんですけど……」
「可愛がってやってるじゃない」
「それって反社的な意味での『可愛がる』ですよね?」
私のツッコミに対する反応はなかった。つまりマイロードにとっての私とはペット以下であり、良くて鉄砲玉のような存在であることが確定したわけだ。悲しいね。
いずれはダイナマイトでも括り付けられて姉君の下に送られるのかな? 分身を爆弾代わりに使うのは卑劣の極みだが、最高にコスパが良いのも確かだ。やはり天才か。
と、突然マイロードが起き上がったかと思えば、何かを見定めるように、私を冷徹な眼差しで眺め始めた。心臓に悪いからそういうのはやめて欲しい。
「そんなに言うなら上に連れて行ってやってもいいわ。代わりにまた何か美味しい物を作りなさい。この前のプリンよりも、もっともっと美味しい物をね」
「えーまた料理ですかー?」
「不服なの?」
「いえ、そうではないですけどぉ。私って別に料理の専門家って訳じゃないので、身に余る期待を寄せられても応えられる自信がないんですよぉ」
「けどプリンは悪くなかったわ」
マイロードはプリンが大層お気に召したらしい。持って帰った分の四つもペロリと平らげてしまったし、無くなった後の名残惜しそうな様子も印象的だった。マイロードったら卑しん坊なんだから。可愛いね。
さて、普段罵声の嵐に晒されている私にお褒めの言葉は効果抜群ではあるのだけれど、やはりマイロードの要望を今後ずっと満たせる気がしない。私はプリンだけの一発屋なのだ。
「ありがたいお言葉ではありますけど、アレって作り方さえ分かれば誰でも作れますし、多分マイロードもできると思いま……いや、できるかなぁ? 卵とか割れます?」
「黙れ」
「ごへぇ!!!」
ただ心配しただけなのに、そのお返しが鳩尾への肘打ちとは。暴君ここに極まれり。
それに暴力で黙らせるだけで発言の修正を求められたりはしなかったので、やはり卵は割れないのだろう。プリンは私が作ってあげなければダメか。
「ま、まあ料理の腕なら私よりもいつものコックさんとか、美鈴さんの方が多分上ですよー。私なんて知識があるだけの素人なんですから」
「美鈴って確か門番の中国っぽい奴だったっけ。コックは分かるけど、なんでそいつが候補に挙がったの? いまいち結び付かないんだけど」
「あれれ、ご存知ないんですかマイロード。凄腕の拳法家っていうのは、総じて中華料理が上手なんですよ!」
「……」
訝しむような目で見られたけれど、多分間違っていない筈。私の知識にはしっかりと「復活ッッッ」とか叫びながら最高の滋味滋養コースを用意してくれる海王さんの姿があった。それにみんなラーメン作ってそうだし。
とにかく、このままではマイロード専属料理人ルートが開通してしまいそうだったので慌てて軌道修正。
最初のうちは良くても、舌が肥えたら「今日のは口に合わん」とか言いながら机ごと料理をひっくり返されて、挙句に殴られる未来が見えた。とんだ聖帝様である。
「取り敢えずお前の主張は分かったわ」
「分かっていただけましたか!」
「お前ができないと言うなら、私はそれを事実として受け止め尊重する。私の役に立てなかったというクソッタレな事実をね」
「はえ?」
「能無しガラクタの限界がこの程度なら仕方がないわ。処分の日は近いね」
「おーっと急に料理の勉強がしたくなってきたなぁ! ちょっとだけ時間をいただければもっともっとマイロードの役に立てるかもしれない!」
「そっか。期待してるね」
いきなり上昇志向が湧いてくるなんて不思議な事もあるものだ。今の私はモチベーションマックス。これにはマイロードもニッコリである。
助けて……助けてクレメンス……。
「いやもうホント、私はマイロードの優秀な道具ですので喜んで従いますけども。役に立ってるうちは捨てないでくださいね? 私まだまだ生きてたいんです!」
「そもそもお前は生きてるの?」
「ひどぉい!!!」
マイロードの言う事はもっともだが、もう少しこう何というか、手心というか。私に優しい言い方があろうもん。
それはそうと私もいい加減気になっているので、マイロードには私の身体の秘密を解き明かして欲しいものである。最悪生きてさえいればなんでもいい。ロボットでもまだギリギリ許容できるかな。
「まあそういう事だから、私を満足させるために日々自己研鑽に努めなさい。これは別に料理に限った話ではないわ。お前のことだから他に何か隠してそうだし」
「そんなことないですよー。私がマイロードに隠し事なんてできる訳ないじゃないですかやだなー」
「……どうだか」
疑いの目を向けられても、私はただ愛想笑いを浮かべることしかできない。だって私にあるのは真偽不明の謎知識だけ。こんなものは特技でも何でもない。
これの詳細を報告した日には廃棄処分待ったなしだろう。私はもっと長生きしたいのだ。
まあ万が一そうなってしまった時は、マイロードとレミリア閣下のラブラブイラストが世界中に出回る可能性を言い残してしめやかに爆散するけどね。末長くお幸せにってやつである。
という訳で、私の死生活の中に芽生えた僅かな希望はマイロードによって根こそぎ摘み取られ、さらなる深みへと陥る逆循環を生み出してしまった。
しかし全てが悪い方向に寄った訳ではない。
当然、無から知識や技術が生まれる筈がなく、先生や教材が必要である事はかの引き篭もりといえど理解していた。マイロードは暴君ではあるけど、愚かではない。そしてそこが一番厄介でもある。
「取り敢えず真上の図書館までなら暇な時に限り自由に出入りしていいことにするわ。料理本があるかは知らないけど、まあ気長に探しなさい」
「いいんですか!? うっう……苦節数ヶ月、遂にこの埃臭い部屋からおさらばできるんですね……!」
「話聞いてるの?」
「き、聞いてますぅ! 調子に乗りました!」
胸倉を掴まれて恫喝されたが、私の内心はウッキウキだ。こうして少しずつでも自由な範囲が増えていくと、世界が広がっていくように思える。
今までの苦難を必死に耐え抜いてきた報いだろうか。まさしく『禍福は糾える縄の如し』である。
「ただし図書館の外に出ないって条件付きね。それ以外の場所は全て私から許可を得る事。外に出た時点で逃亡と見做し殺す。あとは……門限も定めるけど、それを一秒でも破れば死を与えようかな」
「刑罰はもうちょっと段階を踏みませんか!?」
「破らなければいいだけの話よ。お前は私の優秀な道具なんでしょう? 信じてるわ」
「ひぇ〜」
そんなありがたきお言葉に私は震え上がるのだった。
その後、マイロードは他の詳細なルールは後日伝えるとして、さっさと就寝してしまった。多分いつも通り半日は起きてこないだろう。なお寝る子は育つと言うが、その気配は今のところ一切見られない。
さて、とんでもない話に発展してしまったけれど、ひとまずは処分されない程度に頑張ってみようと思う。私にできる事が増えれば必然とマイロードの機嫌も取りやすくなるし、悪い事ばかりじゃない。
それに何というか、マイロードが私のプリンを食べてる時、比較的可愛らしい笑顔を浮かべていたような気がするのだ。それこそ『フランちゃん』の面影を感じさせる程度には。ちょびっと嬉しかった。
あの笑顔が毎回見られるのなら、頑張ってみるのもありかもしれない。
ここで私の頭に一つの仮説がよぎる。
もしやマイロードは、まだ成長途中なのではなかろうか、と。『フランちゃん』が存在しないのではない。これから『フランちゃん』が生まれてくるという可能性。
よしんば天使の域に到達しなくても、適度に欲が満たされる健全な生活を送る中で、マイロードに人の心が生まれれば、私に対して優しくなる日がやってくるかも。
そう、今の劣悪な環境を改善してマイロードを天使に近付ける計画。名付けて『フランちゃん』が生まれる環境を私が整えてあげよう作戦!
正直なところ目の前の悪魔とあの天使がイコールで結び付かないのだが、奇跡は信じる者にしか訪れないからね。私の中のイマジナリー
ただ世の中には「環境で悪人になっただと? ちがうねッこいつは生まれついての悪だッ!」なんて言われちゃうゲロ以下の臭いがプンプンする吸血鬼もいるらしい。マイロードがそっち側でない事を祈るしかあるまい。
そんな僅かな希望と、まだ見ぬ大天使への祈りを胸に、私は中断していた裁縫を再開するのだった。
分身ちゃんはフィクションと現実の区別がイマイチ付いていない節があるものとする
ちなみに少しネタバレになりますが、今回の話はフランドールから分身ちゃんへのご褒美回でもあります。当然別の思惑もありますけども