ルーミアはニッヒの事を、この世で一番大切なモノだと考えている。
生まれて初めての満腹、温かい寝床やお風呂、妖怪としての強さ、空虚を払う知識、行き先の無かった未来。これら全てニッヒから与えられたもの。
まるでオモチャ箱のように次から次へと自分に新しいモノを齎してくれて、オマケに美味いときた。非の打ち所がない完璧なお肉である。
狂わされている自覚はあった。
ルーミアは本来、目的意識無くふらふらと宙を漂い続けるだけのクラゲのような妖怪で、複雑な思考など以ての外。何かに強烈な矢印を向けるのは異常事態と言えよう。
あの肉を初めて口にした瞬間、ルーミアという妖怪の本質は変わってしまった。
いや、むしろそれを以ってルーミアは完成に近付いていると表現した方が正しいのかもしれない。当の本人がそれで満足しているので、こちらが正解なのだろう。
もはや欠かす事の出来ない、己の一部のようなお肉。心はいつだって共にある。
ただ唯一、気に入らなかったのは。彼女が自分の物ではなく、フランドールの所有物であった事。ニッヒの心にはいつだってアレの影があった。
それがルーミアにはどうしても我慢ならなかった。心の底から不愉快だった。
フランドールが居る限り、この夢のような生活は絶対に終わりを迎えてしまう。
響子達はそれを惜しみながらも、仕方ないと割り切っている。それがニッヒにとっての幸せだと分かっているからだ。みんな優しくて良い子だから。
だがルーミアには、そんな優しい考えを持つ事はできない。エゴイズムの塊である彼女に人の幸せを願うなどという高尚な思考は存在しなかった。
ルーミアはいつだって奪う側だ。人に何かを与える事も、与えられる事も無かった妖怪。
今こうして八雲紫との戦いに全力を尽くしているのもその為だ。奴に勝てば吸血鬼を幻想郷に誘致する計画は一旦頓挫し、フランドールがやって来るタイミングも必然と遅くなる。この木漏れ日のような時間が少しだけ長くなる。
その願いだけがルーミアを前へと突き動かし──或いは縛り付けていた。
◆
八雲紫に
幻想郷を数回滅ぼしても足るほどの連続攻撃を紫は自慢の結界術を駆使し、無傷で防ぎ切っている。そして躱しきれないレーザーや単調な物理攻撃は、空間そのものに干渉する事でシャットアウト。
この二段構えの境界が非常に厄介だった。そして最後の一つに至っては微塵も揺らいでいない。
現状、結界を突破できているのはニッヒの分身爆弾のみ。しかし魔力の半分を使用する以上無茶な連発はできず、決定打に成り得ない。
「幽香さんっ、もっと強い攻撃できるでしょ! 遠慮せずブチかましてクレメンス!」
「言ってくれるわね。ならとっておきを見せてあげる……巻き込まれても知らないわよ」
ニッヒの挑発をカンフル剤に幽香の魔力が加速度的に高まっていく。そのあまりの濃度に絶対的な強度を誇っていた日傘が燃え上がり、迸るスパークが術者自らの腕までも焼き焦がす。
幻想郷に比肩する者など居ない最強の火力。これぞ風見幽香の真髄である。
なるほど、これをマトモに受け止めるのは無理だ、と。紫はあっさりと敵が上手である事を認め戦略を切り替える。
直線的な攻撃であればスキマで転送するなり、ストレートとカーブの境界を弄って捻じ曲げる事もできるが、幽香がその対策を疎かにする筈もなく。
「自動でホーミングするようにできてるわね、しかも途中で光が拡散して蛸足のように交錯する仕掛け。意地でも逃がさないって事」
「鬱陶しい羽虫を仕留める為だけの魔法よ。前回お前を逃した時、次こそはと編み出しておいたの。これで無様にくたばってくれたら嬉しいのだけれど」
「前から思ってたんだけど、貴女って頗る乱暴な癖して変な所で几帳面よね」
紫の表情も、やる事も変わらなかった。
眼前へと迫るレーザーの軌道を真上へと捻じ曲げ、空を覆う曇天が大きな風穴を形成する。当然、レーザーは術式に従い急降下を開始。天下る彗星となり紫へと降り注ぐ。
紫が慌てる事なく手を翳すと光の軌道はまたしても直角に曲がり、霧の湖へと叩き込まれた。
奇妙だったのは、水飛沫の一つすら上がらなかった事だ。それどころか魔力の塊そのものが消失してしまった。この世から跡形も無く。
虐殺者であると同時に一流の魔法使いでもある幽香は、自身のとっておきを封殺したその手法を一瞬で理解した。アレは第一次月面戦争の時と同じやり方だ。
「
「……チッ」
自壊を前提とした極大魔法でも紫には通用しなかった。幽香の『これ以上』は存在こそするものの、対価と代償からして誰の為にもならない諸刃の剣である。使えない手札は無いも同然。
「うおりゃあっフラジャイルソード!!!」
「卍蹴りー!」
「あら、芸がない」
生み出された間隙を利用しない手は無い。
頭上からニッヒが分身から剥ぎ取った異形の羽を振り下ろし、その対応に動いたと同時に闇から飛び出したルーミアが低空から紫の首へと蹴りを叩き込む。
数の利を活かした袋叩きの戦術。一人が大技を仕掛け、残る二人が一斉に攻め込む事で確実な被弾を強いるのだ。厭らしい闘いを好むニッヒらしい戦法と言えるだろう。
ただ逆に言えばここまでやらないと、不気味に、不規則な挙動を続ける紫を捉える事ができないという事でもある。ある種苦肉の策だった。
ルーミアによる急所への攻撃をまともに受けた紫は衝撃そのままに数メートル後方へと吹き飛ぶが、それのみであった。手応えを全く感じない。
「澱みのない素晴らしい連携だけど、私相手では意味がありませんわ。いい加減学習なさいな」
「むぅ……なんだか変な感触」
「嫌になるくらい全っ然効いてないね」
弱小妖怪だと侮られていたルーミアも今は昔。
紅魔館支部メンバーの誰よりも早く大量にニッヒミートを喰らい続け、更には戦闘技術を幽香から叩き込まれたのだ。これで弱い筈がない。
特にパワーは妖怪の中での上澄みに片足突っ込む程度に強化を遂げている。先程の蹴りも、藍に萃香、幽香でさえ多少のダメージを見込める威力だった。
しかし紫は全くのノーダメージ。これが痩せ我慢だというなら大した演技力である。賢者でなく芸者に転向すべきだろう。それほどまでにあり得ない現象だった。
故にニッヒは考えを改めた。この妖怪に対してあり得ないなどという枷は存在しない。
「ねぇ紫さん。貴女って本当に倒せる妖怪?」
「では貴女達だけにこっそり教えてあげましょう。私に弱点は……何にも無いのですよ」
「ほ、本当の本当に?」
「ふふ……撃つ、斬る、衝く、放つ、殺す。何を取っても私には効きません」
この胡散臭い妖怪の言う事全てを信じる気にはならないが、それでも「マジなのでは?」と思わせるほどに圧倒的な差があった。
想定が甘かった。幾ら八雲紫が幻想郷最強の妖怪であるといえども、フランドールや綿月依姫より下、或いは良くて同程度だろうとタカを括っていた。
しかし認めざるを得ない。彼女の強さは、少なくともニッヒの観測範囲内においては、よく分からないヘカーティアを除いて限りなく最強に近い。
ニッヒを赤子扱いできる剛力。
射命丸文がノロマに見える瞬間移動。
紅美鈴すら到達し得ない至高の戦闘技術。
犬走椛の何倍もの動体視力。
風見幽香が脆く感じるほどに堅固な結界。
八雲藍以上の明晰な頭脳。
綿月依姫をも上回るかもしれない無法の能力。
全てが過去にニッヒと対決した強敵たちの長所を凌駕している。まさに完全無欠の妖怪。
「さて、お気づきかしら。私はまだ能力を爪の先ほども使っていないことに」
「そりゃもう、分かってますけどぉ!」
「その気になれば貴女たちを今にでも大地の一部にすることができるし、認識の境界を弄って私の操り人形にすることもできる。なんなら細胞の結合を解いて幽子レベルまで分解してあげてもいいわね」
「じゃあそれをしないのは、私たちを舐め腐ってるってことなのか?」
「まさか。この争いは互いの生命を奪い合う為の闘争ではなく、分かり合う為の試合擬きですわ。貴女達を殺してしまっては本末転倒でしょうに」
ルーミアの腹立たしげな声に対しての挑発混じりの返答は、彼女のみならず幽香の神経をも逆撫でしている。ニッヒもその性格の悪さにドン引いた。
客観的な見られ方によって強さや存在そのものが変動してしまいがちな妖怪にとって、格付けの完了とは今後余程な事がないと覆らない上下関係を定められるも同義である。それは妖怪における死を意味する。
そして紫は一度も攻撃らしい攻撃を行わず、その格付けを完了させようとしていた。
屈服の手段として理に適っている。むしろこれ以上ない最適解だった。
或いは紅魔館への強力なカードとして使う予定のニッヒを必要以上に痛め付けない為の最大限の配慮とも言えるかもしれない。どちらにせよ、圧倒的な戦力差がないと為し得ない芸当ではあるのだが。
「困ったなぁ……非常に困った。ちょっと勝てるヴィジョンが思い浮かばない」
「でもそれで諦めるニッヒじゃないでしょ?」
「当然だともルーミア! まずはあの理不尽なカラクリを突破する、話はそれから!」
「カラクリ?」
「八雲紫といえばズルしてなんぼだもん!」
あらゆる物事に境界を引き、その境界を利用して有と無を自由に操る能力。
物と物、概念と概念、実在と非実在、自分と他人、等々。存在するもの全てに絶対的な境界を定める事など紫には朝飯前だろう。
結界を破壊し、スキマを掻い潜り、やっとの思いで攻撃を直撃させても無傷な理由。それは恐らく、外的干渉の全てを境界によって打ち切っているからだ。
防御力が高いわけでも、体力が多いわけでもなく、ただ単に攻撃が届いていない。ニッヒの知識で言うところの現代最強呪術師、もしくは効果抜群以外を無効化してしまう害悪ポケモンみたいなものである。
さて、肝心となる最後の障害を突破する方法だが、先述の通り残念ながらニッヒには思い付かなかった。知識だの予報だのにもそれらしいものは皆無だ。
ならばどうするか?
そうだね、ゴリ押しだね。
化け物には化け物をぶつけるのがこの世の定石。八雲紫の無法に対抗できるのは、同じく無法の存在である己が主人のみだとニッヒは考えた。
いつだってニッヒが最後に信じるのはフランドールの底力である。
彼女の持つ破壊の力は分身たるニッヒにも宿っている。センスの問題により上手く使えないだけで、理論上では同程度の規模で運用する事ができる筈なのだ。
主人の能力を最大限模倣し、絶え間なく浴びせる事ができれば。あの無敵の境界を穿つ事が能うかもしれない。
「恐らく、次のスカーレットニヒリティでこの戦いは終わる。コレを凌がれたなら、もう私には打つ手が無いからね。橙たちも、そう長くは持たないだろうし」
「──あの時」
「?」
「私との戦いを制した最後の一撃を思い出しなさい。この風見幽香に敗北を刻み込んだアレを再現する事ができたなら、貴女はきっと誰にも負けないわ」
「……! はい!」
「幻想郷の頂点、奪い取ってやりなさい」
本当に不器用だ。幽香はいつだって遠回しにニッヒ達を応援して、道筋を整えてくれている。
かつて最大の宿敵だった彼女によって活路は示された。後はそれに突き進むだけだ。
ニッヒはただひたすらに前を向いていた。今も昔も、後先を省みる事がない。
故に向き合っている敵への理解は深くなるけれど、その反面、自分の後ろに居る者達の心や表情にはどうしても疎くなってしまう。
だから気付かない。
「……」
長くなったため分割したものとする。
あと4話くらいで三章と諸々が終わります。あのタグは忘れた頃にやってくるものとする(n回目)
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